自観叢書 はしがき 私は日本流に数えて今年六十八歳となるが今日迄凡ゆる世の中の辛酸は嘗め尽したつもりである。恐らく私ほど異色ある波瀾重畳の境遇を経たものはあまりあるまい。或時は高い山の上に乗せられたかと思ふや、忽ちにして谷底へ突落され、そうかと思うと又高い山の... 2020.09.04 自観叢書
自観叢書 黄泉比良坂の戦 此標題に就て、時々訊ねられるから概略解説してみよう。之は勿論古事記にあるものでそれを如実に私が体験した経緯をかくのである。今から恰度二十年位前、或日青山から明治神宮参道から神宮の入口に向って二三丁行った処の恰度参道ダラダラ坂の三分の二位の地... 2020.09.04 自観叢書
自観叢書 霊写真 私は曩にかいた如く、昭和三年二月の四日の節分の日、それまで従事してゐた仕事を全部放擲し信仰生活に入った記念日でもある。勿論神示によって私の使命を覚り、幾多の奇蹟によって確信を得たからで、全身全霊を打込まざるを得ない事になったからである。此時... 2020.09.04 自観叢書
自観叢書 入信後の神懸り 私は入信後、出来るだけ信仰の知識を得ようとして、間さえあれば大本教の出版物の読破に努めた。当時大本教では教祖出口直子刀自の書かれたお筆先を、唯一の聖典としてゐたので、一般信者は勿論私としても専心読み耽った事はいふまでもない。元来お筆先といふ... 2020.09.04 自観叢書
自観叢書 本教救ひの特異性 本教の使命は地獄で苦しんでゐる人達を、天国へ救ふので、それによって社会を天国化そうとするのである。此意味に於て、人を天国へ救ふには、先づ自分が天国に上って天国人となり、大衆を救ひ上げるのである。つまり地獄から天国へ梯子をかけて、手を延して一... 2020.09.04 自観叢書
自観叢書 私の告白 よく私が質かれる事に、「大先生は、観音信仰がよほど熱烈であられたと想像される。」といふのは、殆んど紋切型といってもいい。此想像は信者としても大部分はそうであらう。况んや第三者に於てをやである。処が驚く勿れ、私は観音信仰は全然なかったのである... 2020.09.04 自観叢書
自観叢書 観世音菩薩と私 観世音菩薩と私との因縁に就て皆知りたがってゐるから、茲に開陳する事にする。忘れもしない大正八年私が大本教の信仰を始めたが或事情の為、四五年空白、十三年再信仰になってから半年位経った頃、或人が訪ねて来て、其頃流行宗教であった大本教に関しての話... 2020.09.04 自観叢書
自観叢書 序文 私が常に言ふ事は、宗教の真髄は奇蹟に在る。宗教即奇蹟といってもいいとする。何となれば如何程深淵な理論を並べても、病気一つ治し得ないでは何等の価値がないからである。よく現当利益を非難する人があるが、之は大いに間違ってゐる。甚だ失礼だが、之は現... 2020.09.04 自観叢書
自観叢書 霊層界 霊界の構成は曩に述べた如く、天国、中有、地獄の三階段が三分されて九段階となっており、一段は又二十に分れ、一段階二三ンが六十段となり、三六十八即ち総計百八十段となる。私は名づけて霊層界といふ。その上宇宙の主宰者たる主神が坐すのである。主神の主... 2020.09.04 自観叢書
自観叢書 神霊と仏霊・人霊 私は茲で日本に於ける神界仏界の、種々相をかいてみよう。先づ神霊は高級なる程巨大であって、人間と同じ御姿である。唯だ御位により相違はある。普通は衣冠束帯で、最高級の神は紫の上衣に紅色の下袴、冠は纓を垂らしてゐる。模様も花鳥模様、雲形、龍等を主... 2020.09.04 自観叢書