科学の進歩は、科学発見以前の世界と較べたなら、比較にならない程素晴しいのは今更言う迄もないが、さりとて向後百年、千年後を想ふ時、それは想像も出来ない程の超驚異的文明世界である事も勿論である。そこでよく考えてみると、今日迄の科学の進歩は、端的にいえば光学の進歩でしかない事である。即ち小さなものが拡大して見える硝子玉の進歩である。大は天体観測の望遠鏡から、小は微生物発見の顕微鏡に至るまで、つまり大と小の極端の進歩で、中間は殆んどないといっていい。そこで医学に関する面を主としてかいてみるが、現在の処電子顕微鏡で見得る限度は二十万倍とされてゐる。此限度内で把握された微生物即ち黴菌、又はヴィールスを病原としてゐるのが医学の考え方である。そこで医学は此菌を殺滅すれば、病は治るものと信じ、それを建前として研究を進めてゐるのは言う迄もない。
処で考えねばならない事は、右の如く二十万倍以下の菌を対象としてをり、それ以上の菌を重視しない事である。としたら茲に問題がある。それは真の病原は二十万倍処ではない。百万倍か、一千万倍か、科学者は想像もつかないであらう。それのみか仮に一千万倍の菌が見えるやうになったとしても、それで根本的治病が可能なるかといふと、之も分りやう筈がない。或は真の病原は菌の大きさ処ではなく、無限であるかも分らない。としたら科学が如何に進むとしても、病気を治す事は絶対不可能であるのは断定しても間違ひはない。それに就いて言ひたい事は、医学は紀元前彼のヒポクラテスが創始したものであって、已に二千有余年を経てゐる今日、今以て病気は解決出来ないのである。併し言うであらう。十八世紀後半俄然として科学が勃興し、それに伴って医学も発達したのであるから、此儘で漸次進歩の暁、理想的医学となるに違ひないから、それを期待してゐるのである。
処が医学の病理の如く、病原は悉く黴菌としてゐる以上、前記の如く顕微鏡が如何程進歩し、微生物の極致まで発見されたとしてもそれで解決出来ないのは右によっても明かである。又別の面から見ても、人間の生命は造物主が造られた万有中、最も神秘極まるものであって、他の物質とは根本的に違ってゐる事を知らねばならない。之は説明の要はない程高級な存在である。言うまでもなく智性、思想、感情等の思想的面は他の動物には全然ない。此意味に於て人間以外の一切は、科学によって解決出来ると共に、益々進歩発達させねばならないのは勿論であるというのは一切の物質は人間よりレベルが低く、従属されているものである。従って人間が同一レベルである人間を、自由にする事は真理に外れてゐるから、どうしても人間以上であるXの力でなければならない。だとすれば人間が作った科学を以て、人間の病気を治そうとするのは、如何に見当違ひであるかが分るであらう。故に治らないのが当然である。標題の如く科学で病気の治らない訳は分ったであらう。
又次の例を挙げてみると一層ハッキリする。昔から至大無外、至小無内といふ言葉がある。勿論大も小も無限という意味である。例えば大空の無限大と共に、微生物の本質も無限小である。之を人間に譬えれば想念の無限である。宇宙一切、森羅万象如何なる事物でも想念の届かぬ処はない。之によってみても人間は如何に高級であり、神秘な存在であるかが分るであらう。従って人間の病気と雖も、有限である科学では治し得ないと共に、無限の力によらなければ治し得ないのは明々白々たる事実である。此理によって医学の誤謬の根本は、人間と他の物質との違いさを知らない処にある。としたら、その幼稚なる未開人的といっても過言ではあるまい。
以上思ひ切って科学にメスを入れたが、現在の処私の説は到底信じられないであらうが、科学の理論物理学が実験物理学によって確認されると同様、私の唱える理論が実験上確認されるとしたら、之こそ真理である。只私の説が余りに飛躍しすぎてゐるので、直に受入れられないだけの事で、承認されるのは時の問題でしかあるまい。以上の如く無限の病原を、無限力によって万人を救ふ例として、現在日々数万の患者が救はれてゐる。例えば医学では絶対不治とされ、死の宣告まで受けた患者が、医学の医の字も知らない人々が数日間の修業によって得た方法を以てすれば、忽ち起死回生的に全治する。又彼の盲腸炎の激痛でも、術者が数尺離れた所から、空間に手を翳すだけで、二、三十分で痛みは去り、間もなく下痢によって排毒され全治する。結核菌を呑んでも感染しない、感冒に罹る程健康は増すとしての喜び、目下流行の赤痢、日本脳炎など、数日間で全治する等々、例は何程でもあるが、之だけで充分であらう。
従って此著を読んだだけでは余りの偉効に到底信ずる事は出来まい。恰度幼稚園の児童に、大学の講義を聴かせるやうなものである。此大発見こそ夢の現実化であり、不可能が可能となったのである。私は断言する。何人と雖も之を身に着ける事によって、完全健康人となり、安心立命の境地になるのは断言する。故に此事が全世界に知れ渡るとしたら、空前の大センセーションを捲き起すと共に、文明は百八十度の転換となるであらう。その時になって臍を噛むとも間に合はない。此例として明治以後西洋文明が国内を風靡するや、今迄嘲笑され下積になってゐた人達が、一挙に新時代を受持つ栄誉を担ふに反し、旧思想に捉はれ頑迷な丁髷連中は、慌てて後を逐ふとも追ひつかなかったのと同様である。而も此大発見たるや、それよりも幾層倍、否幾十層倍大であり、永遠性があるとしたら、徒らに躊躇逡巡バスに乗遅れないやう敢て警告するのである。
科学で病気は治らない(医学革命の書 昭和二十八年)