以下はアーカイブ管理人の所感であって、真理がどうであるとか、神様の御旨が如何様なものであるとかということとは一切関係がないことは最初に断っておきます。
祈りの浄霊と急所の浄霊で、よく信者さん方の間でどちらが正しいとか、そのやり方は古いとか新しいとか、いろいろ意見があるのはよく耳にすることなんです。実際のところ急所の浄霊をされてるのは東方の光教団ぐらいで、いずのめ教団を代表する他の教団は祈りの浄霊を主体にされてるのではないかと思います。
で、管理人はどう思っているかというと、『治ればどちらでも良い、救われればどちらでも良い。』と考えています。
おそらく祈りの浄霊の方が、急所の浄霊に対して上位互換の存在なのではないかなとは考えています。覚えること少ないし万能な感じしますからね。しかしながら、実際のところ本当に大事なのは、現実においてどちらが奇蹟が多いのか、どちらが治病力を発揮するのかの点にあるのであって、空理空論の理屈ではなく、統計的なデータをもって世の中にうち出していくべきなんです。世を救う気持ちが大前提にないとチグハグになってしまいます。
急所の浄霊の方もデータが古すぎるし少なすぎる。昭和20年代の実績(御蔭話)出されてもねって、世間からしてもあまり肯定的に受けとられないですよね。祈りの浄霊の方にも世の中にうち出していける実績があるのかというとあんまり聞いたことがない。わたしも教団職員ではないのでさほど内情に詳しいわけではないですが…
ちなみに東方の光教団には療院という施設があり、西洋医学の医師免許をもっておられる先生が常駐されてて、急所の浄霊を受けられるそうです。信者さんの多くの方が浄霊の奇蹟を期待されて訪れられるそうなんですが、西洋医学の解釈で治療に向けて薬を処方されるのだとか。御浄霊の立ち位置がなんだかよくわからないカタチになってて、幻滅される方もいらっしゃるそうで、そこはちょっとかわいそうですね。わたしが療院に期待するのは、御浄霊の科学的優位性を客観的データとして世の中に論文として出していただける事なんですけどね。科学的って再現性があるかどうかってことなんで、統計データを取って優位性を示せれば、科学的優位性があるってことなんですよ。
しかしながら、明主様の御在世当時そのままに御浄霊されてて、現在でも奇蹟を出されてる方が確かにいらっしゃるのも確認はとれてるんですよ。その方は急所の浄霊派ですね。そういうかたが現代でもチラホラいらっしゃる。なので急所の浄霊が今でも機能してるのは確実性がある。
祈りの浄霊の方での話というと、小川栄太郎先生も晩年は祈りの浄霊だったそうで、小川先生の浄霊で人生が好転したみたいな話は聞いたことがあります。まあこれも故人の話ですし、教団の中でもレジェンドみたいな人なんで… やっぱり祈りの浄霊の方でも統計データを取ったほうが良いですね。
まあ何にせよ、治ればいいと思いますので、大浄化のときに身近な大切な方を助けてあげたいという際にですね、どちらでも好きなほうを選んでいただければなという考えです。
また、御浄霊とは別にですね、数十人規模の多数の信者さんが治る様に御念じすることによって、治病の成果を挙げたという御事績があるんですけどね。これは確かに今でも有効なように思います。『ありがとう』を100万回唱えたら癌が治ったとかインターネットとか雑誌とかにもよく出てきます。自分で言っても効果があるし、数十人規模の他者から言われた場合では更に効果があるのでしょう。明主様はこういう治し方もあるよとお示しくださったのだと思います。なので、普段から感謝の言葉を口癖にするとか、みんなで感謝の言葉を言い合えるネットワークを構築するとか非常に重要だと思いますね。しかしながら、とあるコミュニティのなかでクローズドでやるにはいいでしょうけど、世の中にうち出していくためにはやはり客観的な統計データが必要なのは変わりないですね。
■浄霊の科学性
浄霊の科学的根拠を確認したい方は是非以下の書籍を読んでみてください。
浄霊による血流量の増加、体温の最適化(熱い時は下げて、冷たい時は上げて)等の効果が客観的な観測データと統計分析によって非常に分かりやすく科学的に証明されています。
小冊子とありますが271ページあるのでしっかりとした書籍です。市販には売られてないので教団に連絡する等して手に入れてください。発行が世界救世教いずのめ教団なので、いずのめ教団にこの書籍が欲しいと言えば何らかの方法を教えてくれるでしょう。また入信への勧誘のあった場合もあまりしつこくはないと思いますのでそれほど気にしなくていいかなと思います。無神論なんですとか、他教団に所属してますとか各々理由があると思いますのでそれを伝えてみてください。ちなみに管理人の場合はいつの間にか期せずして手元に届いたので上記方法はとっていません。ですので、万が一手に入らなかった場合はあしからずご容赦願います。
存在すら知らずにポロっと手に入って、あーこれは神様から読めと言われてるんだなとパラパラ読み進めていけば、なんとなんと素晴らしい内容ではないですか!!浄霊が実在するのを科学的に証明されてしまっている!!ここまで明らかに見せつけられると浄霊が実在することをもう否定することなどできない!!これを否定しては逆に統計学の分からない無教養のバカに見られてしまう!!いずのめ教団さん、こんな素晴らしい書籍をいつの間に!!一般販売は無理でも、教団サイトからインターネット購入出来るようにしてよ!!とは、思いましたが、今のところ内部向けの研鑽資料なんでしょうね。コロナ騒動でよく分かりましたが、DSサイドのやり口が手段選ばず式でなんでもやりよるので、今ほど危なっかしい世相はないですね。火素が増えて医療がボコボコに叩かれださないと、ホントに大手を振って表を歩けない。日が差すか差さないかの明け方って感じがしますよね。
■浄霊に対するもう少し突っ込んだ私見
もし救世の業としての御浄霊をやってみたい方は、急所の浄霊から実践されるのをオススメします。なにせ初心者でも効果を実感しやすい。熱が下がる、固結が柔らかくなる、楽になるというのは日常の中ですぐ体感できると思います。最初は自分、家族、友人、信者間とパーソナリティーの近い方で実践すべきです、医療行為とみられては危ないですからね。『気功が出来るようになった。ヒーリングが出来るようになった。』とか適当なことを言ってやればいいんです。ちなみに普段から言葉の表現に気をつけるなら『治る』『治療』というのは言ってはいけません。口頭でも法律に違反する恐れがあります。『改善』『緩和する』『和らぐ』という表現に置き換えるといいと思います。例えば『症状が改善する』『痛みが緩和する、和らぐ』『〇〇の動きを良くする』みたいな表現です。それで先方に抵抗がなさそうなら『実はこの力は神様からいただいたんだ。』と打ち明ければいいんじゃないかなと。
それで祈りの浄霊(想念の浄霊)はすごい高度なので、だいぶ急所の浄霊の研鑽を積んで自信が持てるようになってからすべきであると考えています。岩松栄先生の著『魂の目覚め』にも記述がありますが、想念の浄霊でも腕なら腕、腰なら腰、足なら足と想念でキチっと狙って浄霊されてるんです。やはり子供は親に習え式で、明主様も最初は急所の浄霊で研鑽を積まれています。そのあと想念の浄霊、集団浄霊と如意宝珠の出力上昇にともなって、御浄霊を発展させていかれているんです。なので御浄霊に関しては実践するのが一番雄弁であって、理屈をこねくり回すのがあまり好きではないんですよね。ウンチクは一流で、プレーは三流みたいなのにはなりたくないんですよ。自分がヘタクソなのを棚に上げて、出来ない理由を探し求めて理屈をこねくり回すのは一番避けたいですね。野球選手が監督にそんなことを言えば、たぶん思いっきりブン殴られると思うんですよ。私は神様からブン殴られるのは、何としても避けたいですね。
それでも御浄霊を取り次ぐにあたって結構注意点がありまして、自分の頭の整理のためにもここにまとめたいと思います。
①効かない理由の99%は急所を外してるから。つまり取り次ぎ手がヘタクソ。
②御浄霊が自分の力と思うと光が出なくなる。
③腕に力を入れると光が出なくなる。
④病気直しばかりになって神様と切り離すと光は出なくなる。
⑤浄化している時でないと御浄霊は効率が悪い。
⑥自分には資格がないと思うのは間違い。人間で人種問わず誰でも(全人類)御浄霊はできる。
⑦薬毒と相克関係にあるので、どちらか一方にしてもらわないといけない。これは食事ついても同様で、食育指導に賛同いただけない方は効率が悪い。
⑧救われるほうに救われるだけの資格が必要。※取り次ぎ中は基本これは考えない。全人類を救う気持ちでやる。
⑨利害関係を考えてやると効果が薄い。神様の気持ちと離れる。
⑩人類救済の想念が第一で霊統などは二の次
⑪受け手側の家族や親族に反対者がいる場合
浄霊の時の祈り
“御浄霊の際「この病人が一日も早く治ります様に」との気持から観音様に御願ひし、且つ念ずる心になり勝ちですが、矢張り之も抑へた方が宜しいのでせうか。右、御教示お願い申し上げます。
“制えなくてよい。そういふ気持は大いに結構である。斯ういふ気持でするのが当たり前である。危急の場合とか、思ふように行かぬ場合は大先生にお願いする。普通はそうしない。(S23・11・8)
観音教団の行り方と浄霊力強化の法
“今の行り方は治療と信仰の間の行り方である。信仰へ入れば病気も治る。手数は要らぬ。信仰は霊的であるから、話をする事が主になる。話して納得ゆけば治る。第一は誠の心を持つ。一人でも多くの人を救ふ――といふ大慈悲心の旺盛な人ほど治る。天国的生を楽しむのも結構である。それ以外に、多くの人を救ふ気持――世界人類を救ふ大きな心を持ってやると全然治り方が違ふ。その意力の強さと、大きな広さである。(S23・6・12)
浄霊時の想念
“浄霊に際して想念との関係に就て――
“どういふ気持も何もない、ありのままでいい。苦しんでいて気の毒だ、楽にしてやりたい、助けてやりたいといふ想念である。此人を助ければ大いに宣伝するであらう、発展の為働くであらうというような、先の事はあまり考えず、助けて上げるといふ想念だけで結構である。神様のお考えは人間と違ふ。(S24・2・16)
浄霊力と覚り
“お浄めは霊層界の上へ行く程よく治る。それには即ち仏教でいふ覚者にならなくてはならぬ。その智が進み、高い所を知る程上へ昇り、治りよくなる。宗教となると、兎に角喋らなくてはならぬ。一般の宗教は治療の武器がない為、話より外ない。 (S23・6・24)
病院での御浄霊
“最近病院より出張御浄霊の依頼を受けますが、病院では効果が薄いと思ひますが如何でせうか。
“全く効果が薄い。なるべく避けた方がよい。万止むを得ない時はやってもよい。触れなければよい。臨機応変にせよ。
無苦痛時の浄霊
“二十三歳になる娘が結婚後間もなく発熱、朝三十七度二、三分、午後八度四、五分の熱が約五十日位続きましたが、現在は平熱に復しました。 発熱は医師の診断では身体に異状なく、妊娠と認定されました。妊娠の為発熱する様な事があるでせうか。それとも何処か身体に異状があるのでせうか。浄霊は平素も続けております。今後の措置、方法を御指導下さい。
“熱のないのに浄霊するのは意味ない。苦痛のある時浄霊すべきである。何ともない時に浄霊するのは嘘である。 (S24・5・28)
御浄霊受ける態度
“お浄めは故意に寝てはいけない。起きられるのに寝ているのはいけない。敬虔な態度が一番いい。寝てる時でも起きてる時でも同じ事である。
浄霊で掌の痺れ
“体内の浄化している場所(患部)を浄霊致しますと手の平にはっきり痺れを感ずる人がありますが、如何なものでせう。
“之はよくある。一種の霊能である。普通人でも練習すると或程度出来る様になる。
浄霊の手熱くなる
“患者を浄霊中に自分の手が暖かくなります。何時もではありませんが、時々感ずるのはどう言ふ訳でありませうか。
“斯うなるのは当り前である。火素が出るのである。暖かくなる程いい。とても熱くなる。
薬毒を説く事に就て
“今迄は御浄霊の場合「薬を使う事、医師にかかる事、 注射をする事」等を否定しない様に、法規に触れない様に注意致して参りましたが、此の度の「結核と神霊療法」中に「医学の誤謬」に対する明確な御言葉を拝読致しまして、之は時期切迫に基く御神意と拝するのでございますが、教導師も感情的に医学を非難しない様に注意して、一般の方方に医学の誤謬をはっきり御話し致しましても宜しうございましょうか。右、御教示御願い申し上げます。
“本は学説であるから、学説は構はぬ。言葉で出すと違ふ。法規に触れる。原則としては法規に触れぬ事、後は臨機応変である。当局も前ほどでない。観音教団も世間で信用するようになった。ちょっとした言い方である。「薬を服んではいけない」といふと法規にふれるから、言ふ事は出来ない。服む、服まぬは勝手だ。(S24・7・3)
浄霊と薬服用の問題
“前回「此のお道に未だ入っていない病人でも薬を使用している場合は御浄霊は当然中止せよ」との御言葉を頂きましたが、その場合薬の使用を中止させる事は世人の誤解を招き易いと存じますが、此点如何でせうか。
“これは難しい問題で、薬を服んでいては浄霊は出来ない。一番いいのはサンザ医者や薬をやってよくない人ならいいが、そこは相手によって臨機応変に処すればよい。邪神は本教を医学の方で今やっつけようとしている。
手を切るべき病人と邪神
“左記について、代理にて御伺ひ申し上げます。三十六歳の女、矢野よりゑ、三年前より入信し御神体も奉斎し熱心に信仰致し居る者でありますが、丁度四年程前胸部を少し患ひ、御利益を受けて居りましたが、一昨年夏より小便がだんだん近くなり、最近では十分間位しか持たなくなり、午後四時頃より夕方まで熱が三十八、九度に上りますので、親戚の者が無理に病院へ連れて行き入院させました。医者は淋毒が膀胱を犯し(多少梅毒性もあり)黴菌が腎臓を犯し、レントゲン診査の結果右の腎臓は腐敗し、活動していない。 今この右腎を手術除去せざる限り左をも犯し、生命は五ケ月位より持たぬが、目下衰弱している為、手術は出来ぬからとて、ペニシリン注射をし、 輸血等をなして居ります。(入院は本年四月一日より)本人は信仰により浄霊を受けたいと念願しつつも、親戚の勧めと医師の言葉に迷いを生じ、手術を受け様か、もしくは手術を受け却って命を縮めては子供(三人あり)に対して可哀そうだしと大いに迷ひ、私は相談を受けましたが、国立病院へ入院してよりの話故に私も手術するなとも言ふ自信がありませんし、共に迷って居ります。何とかして、救って頂き度いと思ひます。 本教反対派は、かく信者の入院する事を悪宣伝の種としますし、又、万一退院を勧告した結果、本人なりその家の罪穢の重荷に耐えかねて治らない時は、因果を考へず御利益なしと逆宣伝しますが、この場合、
(イ)、本人の意志に任せ、手術する意志なればさせるより致し方ないでせうか。
(ロ)、退院を勧告し、浄霊を致した方がよろしいでせうか。
(ハ)、淋菌又は結核菌が侵入し腎臓が腐敗する様な事があるでせうか。
右、御垂教を謹んで御願ひ申し上げます。
“斯ういふのは浄霊しても手術しても駄目である。手を切るべきである。病院へ入院しているのは唯物世界へ入っている。それを救ふのはおかしい。どうする斯うするといふのは道が違ふ。スッパリ関係を絶つ事である。斯ういふのは退院しても駄目である。反対している霊が邪魔するのが一番悪い。反対派がよくないから、危い。諦める外ない。救はれる因縁がないのであるから、可哀そうだが止むを得ぬ。 係わり合ってると邪神界で悪用する。その不結果を悪用する。邪神はよくそういふ事をやる。(S25・4・17)
浄霊患者死ぬ者多い場合
“私は昭和二十年末から御用をさせて戴いて居りますが、私の行かせて戴く所は死ぬ人が多いので御座いますが、どういふ訳で御座いませうか。御伺ひ申し上げます。
“危険性のあるのは手を出さぬようにする。経験を積むにつれ要領がよくなる。 (S24・3・14)
不治とみらるる病人の扱い
“御浄霊の時、この病人は治らないかも知れないと感ずる場合もありますが、その様な時には如何致すべきでせうか。
“来ないようにする。兎角問題を起しやすい。(S24・9・23)
気の向かぬ病人の浄霊
“私が御浄霊していた病人を都合により他の人に依頼した所、其の後その病人に御浄霊を行ふ事が堪らなく嫌になるといふ一信者がありますが、如何なる理由でせう。
“之はよせという事である。気が向かぬとか嫌とか思うのは、守護神がよせという事で、それを我慢して行く要はない。
医学に走った人に就て
“御浄霊によっても治癒が長びく場合、焦って医学に頼る人もあり、中にはたまたま一時的にもせよ治る事があるのは、御浄霊により毒素が軽減した為、薬が浄化を一時的に抑へ得た為と考へて宜しいでせうか。
“それでよい。そういう人は手を引くべきだ。医者の提灯もちしても何にもならぬ。
医療受けしものの浄霊
“信者平野嘉明の子供(二歳)でございますが、一月の初めより肺炎になりペニシリンや其の他の注射は出来る限り致したそうでございます。其の後二月初め両親が御教修を頂き、同時に光明如来様も御祀りさせて頂きました。引続き母親が御浄霊をさせて頂いておりますが、大した変化はございません。最近、医師は慢性肺炎との診断を致しました。両親は御浄霊と医者と両方を致しております。時々私が出張させて頂き御浄霊をしております。子供は元気もございますし食欲もございます。只今までの御浄化は発汗と咳だけでございますが、特にお乳を飲んで居りますときは頭部だけ流れる様な汗でございます。如何致しましたら宜しうございませうか。
“手を引いた方がよい。医者にかかっているなら、無駄な努力である。
注射する病人の浄霊
“今年十九歳の男子、二、三日前から頭痛(軽痛)の為休養していたところ、昨日医者にかかり、注射致しました。三時間後にひきつけ、手足をばたばたさせ全身冷たくなり、眼玉を吊り上げておりました。早速御浄霊さして戴きましたところ三十分位で体も温まり落着いてまいりましたが、時々発作的に手足をばたばたさせます。現在尚昏睡状態であります。
“注射する人はよした方がよい。(S24・7・29)
薬服用者の浄霊
“御浄霊を頂きつつ一方では薬を服用致して居りました場合、それは回復に手間取るだけで御座いましょうか。或いは苦痛を増し悪い病状となりますでしょうか。
“服薬者に浄霊は無駄である。 (S24・2・8)
入信せぬ父子の浄化
“二十三歳の娘、慢性胸膜炎入院中を救はれ、退院致しました。その後、喀血十回に及び、浄霊を受け漸次良好となりつつも、食欲少なく寝たり起きたりしています。右、浄霊法を――。母は入信してますが、父親は入信の意志ありません。
“父親の想念が邪魔するから治りがわるい。おかげばなしなど読むようにする。
反対者ある浄霊
“松江市の産婦人科の病院長、医博森本昇(六十九歳)、二年前肋膜炎を発病、昨年秋中風になり、左半身不随、口が利けなくなり、四十度前後発熱し、昏睡状態に陥り、日赤病院長も死は時間の問題と匙を投げました。其の直後御浄霊に通ふ様になり、其の後相当激しい浄化もありましたが段々快方に向ひつつあります。現在までに御浄霊約九十回施しました。左半身も相当自由に動きますし、口も利ける様になりましたが、意識があまりはっきりしません。食欲は全然ない時と非常に沢山食べる時とあります。所が妻及び娘は非常に熱心にお縋りしていますが、長男の医師が全然本教を否定し、且つ神様に対し御無礼な言動もありますが、今後御浄霊を続けるべきでせうか。
“長男が反対なのはまずい。頭に溢血の血が固まっている。充分浄霊すればよい。本当に縋ればやるし、反対者があると治りが悪い。賛成者が多ければよい。(S25・5・3)
反対者ある病人、(卵巣除去と失明)
“私の母(八十五歳)が昨年十一月に肝臓が痛んで注射で止め、後で目が見へなくなってまいりました。私が浄霊を致しますと大変喜びますが、兄が反対ですから時を待っておりますが、現在は母は床についたままです。今目以外の浄化はありませんが、毎日紙々と言って紙遊びをします。霊的でせうか。お伺ひ致します。
“卵巣を除去すると失明する事がある。反対者なく頼まれれば、やってやる。反対者の霊は邪魔をする。(S24・10・28)
反対の父に隠れて浄霊
“子供の百日咳が良くなりましたので、母親は喜んで昭和二十二年七月入信し、其の後二十三年五月男児を安産しましたが、其の子が時々発熱し、目の附近に腫物が一面に出来て一年位になります。夜も熟睡せず未だ歩けません。母親は耳が遠くなり、乳房が化膿し、之が治りますと、今度は乳首が切れて痛むので、授乳出来ず、遂に止ってしまいました。父親は世間の悪評を聞き妻子の浄化をガミガミ叱るのですが、御浄霊を受ければ楽になるので、父親に隠れては時々浄霊を受けにまいります。父親に見付かれば叱られるので続けては出来ません。母子の指導法並びに御浄霊法を御教示ください。
“子も母も薬毒が沢山ある。之は止めた方がよい。父が反対するとやりにくい。でないと素晴しい大神様を侮辱する事になる。だから、勿体ないからやめた方がよい事になる。(S25・1・27)
共産党霊の御浄霊妨害
“近所の小児を出張して御浄霊致しました処、右母親は喜び明日御宅へ伺ひますと申しました。その晩私は夢で黒い手が私の左肩をぐんぐん押し付け「そんな仕事は止めてしまへ」と云ひましたので、私は「嫌だ」と申しました処、益々ひどく押し付けましたので一心に御浄霊させて戴くと、白い御光によって黒い手は消えて楽にして戴きました。処が翌日来る筈の病人は来ません。その場合、病人宅へ行ってやるべきでせうか。なお、病人の父親は市会議員、その弟は熱心な共産党員だそうです。
“共産党の霊とみらるる。先方で呼ばぬ限り行かぬ事である。