霊の曇りと病気の発生

今日世界広しと雖も、真に病を治す方法としては、我浄霊を措いて他には絶対ない事は断言するのである。そこで此原理を説くに当って、前以て知らねばならない事は、一体人体なるものの構成である。之に対し科学は唯物的にしか判ってゐないから、それを基本としてゐるのが現代医学である。処が之は半面であって、本当は見へざる霊と見ゆる体との二原素の結合から成立ってゐるのである。此理によって病気とは体に現はれた現象であり、根原は霊にあるので、つまり表と裏との関係になってゐるので、此事が認識出来ない限り真の医学は生まれる筈はないのである。

では霊とは何かといふと、之こそ無色透明一種のエーテル体であるから、科学で把握出来ないのも当然で、科学はまだ其処迄発達してゐないからである。然し神示によれば立派に実存してゐる以上、将来科学が一層進歩した暁、把握出来るのは勿論である。此理によって治病の場合、病の本体である霊の方を治さなければ、体の方が治る訳はないので、浄霊とは霊には霊を以て対するといふ、此平凡な理屈にすぎないのである。処が科学は唯物理念である以上、体のみであるから治らないのである。此意味に於て医学が如何程進歩したとても、結局無意味で徒労でしかないのである。故に之から生まれた医学としたら駄目に決ってゐる。又医療以外の凡ゆる療法もそうであり、只灸点だけは些か異うが、之は刺戟によって一時的患部の毒素を誘導し、苦痛緩和させるだけで、化膿を可いとするのも、それだけ毒素が減るからである。茲で浄霊の根本原理を徹底的に説いてみよう。

前記の如く病気は霊に発生するといふ事は、最初局部的霊に曇りが生ずる。曇りの原因は薬毒が一旦体内に吸収され、血液が濁るので此濁血が霊体一致の法則によって、霊の方では曇りとなる。すると曇りは自然浄化作用によって、漸次局部的に濃厚分子が出来る。之が体へ移写して固結となる。之が神経を使う所程集るのであるから、人間が神経を使う所といえば上半身で、頭脳を主とし眼、耳、鼻、口、咽喉等であるから、其処へ集中する場合、一旦一歩手前である肩、首の周囲に結集する。体では固結である。今日如何なる人でもその部を探れば、必ず固結やグリグリがあるのがそれである。

処が之に自然浄化が起ったのが感冒であるから、感冒に罹るや発熱によって固結は溶け液体となり、之が痰、水洟、汗等であって、痰を排泄する為のポンプ作用が咳であり、鼻汁が出る為の嚔であるのは此理によるのである。又、頭痛は頭脳内の毒素が熱で溶け、何れかに出口を求めやうとし、神経を刺戟する為であり、中耳炎、淋巴腺炎、扁桃腺炎、眼疾、歯痛等悉くそうである。又、彼の神経痛、関節リョウマチスもそうであって、人間が手足、指等を屈曲する為、その部に毒素固結するその浄化の激痛である。以上ザッとかいたのであるが、要するに病気の苦痛は各局部に集溜固結せる毒素排除作用であるから、何等恐るる必要はない処か、之によって健康は増すのであるから、喜んで我慢すればいいので、而も病気苦痛は誰も知る通り、その半分以上は恐怖が手伝うので、右の理を知れば苦痛は半減する訳である。

そうして特にかかねばならないのは、彼の結核である。此原因は最初浄化発生するや、体内各部に固結せる毒素が、熱で溶けて忽ち肺臓内に滲透し、一時停滞するや、間もなく痰になって排泄される。之が自然原則であって、それを知らない医学は、一時的肺臓内に停ってゐる痰を、肺から病が発生した為と誤解し、極力停めやうとする。それで固まるだけは苦痛が減るから治ると思うのである。そこで御注文通り痰の固りが出来、レントゲン写真に雲翳となって写るので、医師は結核の初期、肺浸潤と診断するので、以上の経過にみても全く医療が結核を作る事がよく分るであらう。元来肺臓なる機能を分り易くいえば、液毒即ち痰が排除される場合、中間駅の役目といってもいいので、それを医学は終点駅と間違え、中間駅に汽車を停めるやうなものである。その結果出るべきものを止め、結核を製造するとしたら、之程恐るべき誤謬はないであらう。

次に近来恐れられてゐる病気に赤痢、疫痢がある。此病原も意外な処にある。即ち頭脳特に後頭部から延髄附近にかけての固結毒素が、熱によって溶解、下痢となって排泄されるので、その過程として液毒は一旦腸に溜り、下痢となって出るのであるから想像もつかないであらう。然し之は事実が立派に示してゐる。此病気の予後は非常に頭脳明晰となり、学童などは俄然として優良児となるにみて明かである。そうして医学は結核に限らず、凡ての病原を黴菌感染の為としてゐるが、実は菌なるものは、毒素が古くなれば自然発生するもので、之が物質の原則である。而も体温といふ好条件が拍車をかけるに於てをやである。然し感染しない事もないが、それは問題とはならない。要は無限に自然発生する事である。此菌に就ては後に詳しくかく事となる。

浄霊の原理(医学革命の書 昭和二十八年)