私は曩にかいた如く、昭和三年二月の四日の節分の日、それまで従事してゐた仕事を全部放擲し信仰生活に入った記念日でもある。勿論神示によって私の使命を覚り、幾多の奇蹟によって確信を得たからで、全身全霊を打込まざるを得ない事になったからである。此時から昭和九年五月一日東京市麹町区平河町に一小家屋を借り民間治療所を開業する迄六年三ケ月の間、凡有る霊的研究と相俟って神幽現三界の実相を把握し、人間の病気と健康に関する一大発見等によって、神霊治療こそ、病無き世界を出現し得べき絶対的方法である確信を得たからである。
処が此年一つの大奇蹟が顕はれた。それをこれからかいてみるのである。忘れもしない此年の十月十一日東光男といふ名刺をもって初めて来訪した男があった。東光男といふ文字に興味を引かれ私は会う事にしたが、彼の話は斯うである。「自分は約二十年前支那内地を旅行した。その時支那の有力な古い宗教である道教の信者となり、或時私は神憑りとなった。其時の御託宣には、『今より二十年後日本に観音力を持った人が現はれる。』といふ事である。其後日本へ帰国したが右の御託宣を信じ、それとなく待ってゐた処、今年の春自分の家より東の方に観音力を持った人が既に現はれてゐるというのである。自分の家は渋谷であったから東といえば赤坂から麹町方面なので探してゐたが、偶々麹町に知人がありその話をした処、それは最近平河町に観音様で病気を治す人が出来たから訪ねてみよーと言われ、来訪した。」といふのである。
私はそれを聞いて、『それは多分私でしょうよ。』と言って二三時間重に宗教的な話をやり、帰りがけに、「写真を映さしてくれ。」といふのである。私は承知した処、彼は、「床の間へ座ってくれ。」といふので、私は座り写さした処、翌日彼は、「こんな不思議な写真が出来た。」と乾板を持って来た。私も見て驚いた。私の横腹の方から白色雲煙のようなものが天井の近くまで噴出状に出てゐて、頭上一二尺辺に千手観音の姿が見える。私はあまりの不思議さに眼を瞠った。昨日写さした時何か不思議なものが写るような予感はしたが、観音様が写るなどとは想ひもよらなかった。よく見ると立派な画である。多分どこかにある絵を、マグネシュウムを焚いた瞬間、空間を超越し、電光石火画面に表はしたものに違いない。
それまで外国のも日本のも種々な霊写真をみたが、それ等は人間の死霊が重で、外国写真などでキリストの写ったのをみたが、之はトリックである事がマザマザと判るのである。外にそう大した霊写真は見なかった。処が右の私の霊写真の何といふ素晴しさだ。のみならず間髪を容れない一瞬に、無論遠方にある画を写真に表はすといふ。其不思議な力こそ観音力でなくて何であらう。此観音力の素晴しさを考える時、今にどんな力を発揮されるか想像もつかない。嗚呼、恵まれた吾なるかなと、自ら湧く希望感に酔ったのである。
之より先、赤坂の某所に住んでゐた某夫人の病気を私が治したので、その婦人は感激の余り三階に観音様の部屋という六畳敷の一間を作った。その部屋は私のかいた観音像や、種々の書体をかけた。私も夫人の感謝の気持に嬉しく思ったのである。その部屋の出来上る頃、私は千手観音の像が描きたくて仕方がない。それから巾五尺長さ六尺という大きな紙に描くべく構図にとり掛った。然し描く部屋が長四畳の座敷なので狭いとは思ったが、外に適当な部屋がない。それを婦人が見兼ねて、「今度出来た私の家の三階の観音様の部屋では如何です」という。私は気がついて、それは結構だ-といふ訳で、弥よ右の観音の間で筆を執る事となった。
恰度三分の一位出来た時である、その夫人の主人というのが大酒家で、非常に酔って帰った晩、何思ったか書きかけの千手観音の画をナイフで滅茶々々に切り刻んで了った。それを電話で知らされ、驚いて行ってみると、成程余りの無残さで、一時私は茫然として泣きたい位であった。其時ふと浮んだ事は二三日前に出来た、千手観音の霊写真である。そこでよく考えてみると、観音様は初めのではいけない、此様にかけと霊写真によって見せてくれたに違いない。とすれば切られたのは、観音様がなされたのだ。そうだ寧ろ感謝すべきだと思ったのである。早速新規蒔直しに書いたのが五六七教会小田原本部にある千手観音のお姿で、仏壇へ祀る御屏風観音でもある。そうして右は最初の構図と違ふ点が三つある。最初のは円光がお顔の周囲だけであったのが全身的になった事と、最初のは髯があったのが、今度のは全然ない。いはば若いお姿で、又最初のは雲の上であったのが、今度のは巖の上といふ訳で、つまり円光が大きくなった点、お年が若くなった点、雲上から降られて地上で救ひの業をなされるといふ訳で、私は成程と肯いたのである。
右の霊写真から十日後の十月廿一日又素晴しい霊写真が出来た。此日観音様の鎮座祭をしたいといふので、私は右の三階観音様の部屋へ招かれた。未だ何か霊写真が出来るような気がしたので東光男に写さした。彼は今度も床の間に座ってくれといひ、前へ香爐が欲しいといふがないので、白磁の水盤を香爐代りに置いた。そうして私に端座合掌してくれといふのでその通りにした。此時写ったのが空前絶後ともいふべき霊写真で、それは室内が朦朧として中央に鮮かに円光が強い白色で表はれ、その円光の中央に私の顔がかすかに表はれ、合掌した手も見える。座蒲団と水盤は微かながら鮮明に表はれたが、その外は何も写らない、右はその時円光から強力な光波が放射し室内に充満した為、物体が妨げられたのである。其時疑惑を避けんが為、座にゐた七八人の人を立合はせた。といふのは前の霊写真の時は、立合人は、例の夫人一人であったからである。
次で其晩今一枚の霊写真が出来た。それは、私が頻りに睡気を催すので、前にあったテーブルへ顔をうつ伏せにして居睡りをした。そこを東光男が、前二回はマグネシュウムを焚いたが、此時は私が動かない為か、電燈の光で写した。出来上ったのをみると、之は又驚いた。俯伏になってゐたので、頭だけ写った。処が頭の上に龍神が首をもたげ身体は螺旋状に巻いており、頗る長身である。龍神の身体からは、幾条もの光を発してゐる。数えると五条の光で、之は金色であるから金龍である事に間違ひはない。私の守護神は金龍である事の裏付といってもいい。
茲で東光男に就て少しかいてみるが、此男は時々平静な神憑りになる。其時は冥目して何か自問自答してゐる。インスピレーションが時々来るらしい。此時の事も彼がいふには、先生には龍神さんが守護してをられる。何故なれば、いつも先生と面接する時は必ず小雨が降る。之は龍神が守護してゐる證拠だ。今晩も先程、雨が降って来たので、キット龍神が写るかもしれないと思ってとったのである、との事で私も肯いたのである。
本書冒頭の霊写真は右三種の中の千手観音様のものである。
(自観叢書四 昭和二十四年十月五日)