私の告白

よく私が質かれる事に、「大先生は、観音信仰がよほど熱烈であられたと想像される。」といふのは、殆んど紋切型といってもいい。此想像は信者としても大部分はそうであらう。况んや第三者に於てをやである。処が驚く勿れ、私は観音信仰は全然なかったのである。ただ観音様は如何にも眉目秀麗、円満なる御容姿と、何宗でも祭られてあるその固着や、偏頗のない点に好感を持ってゐたまでである。処が前項の初めに書いた如く、私の傍に観音様の霊が始終附いておられる事を知って驚くと共に、此時を契機として観音様に関しての奇蹟が起り始めた。之等も追々発表するが、そのような訳で、終には観音様の御本体は伊都能売といふ神様である事を知り、何れ時機が来れば、観世音菩薩は或期間救ひの為に化身されたのであるから、最後には元の神位に復帰さるるといふ事なども判ったのである。そうして昭和元年から観音様は始終私の肉体に懸られ、私に種々な事を教へられ、命じられ、自由自在に私の肉体を使はれるのである。全く私を機関として一切衆生を救はせ給ふのである。

以上の如くであるから、私が観音を信仰して今日のやうになったのではない。全く観音様の方で私を道具に使はれるのである。此様な訳で私というものは、観音様の身代りといってもよからう。故に観音様といふ主人が思ひ通り使はれるので、私としては全然自由がない。といって観音様が揮はれる妙智力は自由無碍であるから、その点亦別でもある。一言にしていえば普通人より自由がなく、普通人より大自由があるといふ訳で、此心境はなかなか説明がし難い。普通人には想像すら出来ないからである。今一つ私の変ってゐると思ふ事は、昔からの開祖や聖者等はすべて何事も神秘にする傾向があった。恐らく自分の心境を赤裸々に述べた例は殆んどなかったであらう。尤もそうする方が有難味がよけいある事も考えられる。然し私はそういふ行り方はどうも好まない。尤も時代の関係もあらう。何しろ今日は神でも信仰でも、科学的に究明されなければ承知しないのである。そういふ智性人が社会を指導してゐる現状だから、幽玄神秘的では一般を判らせる事は至難である。観音様もその点を鑑みられ、私の行り方のような方法をとられたものであらう。

それに就て斯ういう面白い事がある。あまり古くはない頃、本教団を或種の目的の為、潰してしまふと宣言し、彼の手此手を用いた人があった。それを又頻々と報せてくれる人もあった。其都度私は笑ひが止まらなかった、といふのは観音様を相手に喧嘩しようとするのだから、実に大胆だか無謀だか馬鹿だか、批評の言葉はない。そこで、何でも自由におやりなさい、私は傍観者として眺めてゐるからと、彼の使者に言った事もあった。

又本教団へ対して種々の野心を抱いたり、種々の誤解をする人などが数え切れない程あった。今日は余程減ったが、何しろ一時は本教が急激に世の中へ喧伝されるようになったので、うるさい程善悪共にいろいろな人が来てテンヤワンヤであったのは、止むを得ない過渡期の現象でもあった。然し、その渦中に置かれた私は、いつも心は落ついてゐる。何となれば観音様はどれもこれもどういふ風に解決なさるかといふ事に深い興味をもってゐたからである。

今一つ面白い事は、世界の状勢や、社会の推移、個人の運命等、必要な事は前以て種々な形で知らされるので実に面白いのである。その中の幾分かは発表する事があるが、之も露骨には言へない。何故なれば政治に関した事や世界の偉い人の事、天災地変、既成宗教の運命等々であるから、種々の誤解を招く懼れがあるからである。

未だ種々かきたい事があるが、此項は此位で筆を擱く事にする。

(自観叢書四 昭和二十四年十月五日)