御 教 え 集 第九号

【御  教  え】
此処にある鉱石は見ましたか。之は鉱山の知識がない者が見ると、本当に判りませんが、少しでも鉱山の知識がある人が見ると、驚くべきものなんです。之は、神岡鉱山の技師が、日本一と言う折紙を附けたんですからね。恐らくこんな鉱石と言うものは、今迄に日本に無かつただろうと思いますね。今迄に一番良いのは、上野の科学博物館にあるんですがね。あそこのも私は以前度々行つて見ましたが、之程の物ではありません。もつとずつと悪いです。此処の山の鉱石は、今迄日本中の鉱山に関係した学校等の標本になつているんです。処が、その時出した物よりも、之はもう一層良いんですから、大変なものです。之は、亜鉛と鉛と銅と、その三種が混つている。いずれメシヤ教も大いに経綸――色んな金の要る事をしなければならない。今現に、地上天国なんて言うのは、金が非常に要る様な事をやつているんですからね。いずれはもつと大規模に、段々東洋から世界と言う様な事に発展しなければならないですね。そうすると金が何の位要るか分らないです。そこで神様が、こう言う山をちやんと用意してあつたんですね。で、之を今直ぐに売つても、相当金になりますけれども、之で――売ると割合に安いんです。三種の――亜鉛、鉛、銅と別けて売ると、非常に割が良いんです。それですから急がないで、今そういつたものを別ける選鉱機械を注文して、据附ける事になつている。まあ――来月あたり据附ける事になりますから、それを運転させると、ちやんと分離して、又品位が上るんです。品位が上ると言いますと、この石なんか、銅は八%位ですが、それが其機械にかけると二十%にも三十%にもなるんです。そうすると、仮りに売るのが、銅百%ものとして、一屯三十五万円位になるんです。そこで三分の一の三十%としても十万円になるんです。だから鉛、亜鉛が――大抵此石で、両方で六、七十%位ありますから、それを分離するとみんな正確に売れる訳です。で、之丈で売ると誤魔化されても判らない。それはつまらないんで、沢山売るとすると、どうしても選鉱機械がなければならないんです。前にも言う通り、神様は、金が要る丈はちやんと何処からか集つて来る。箱根の美術館も、建築から総ての設備から、三千万円かかりますね。昨年秋の形勢では、とてもそんな金は集りそうもないと思つたんですが、それを発表すると、信者さんが夫々一生懸命に誠を捧げた為に予定通り忽ち集まる。今迄もそう言う事は色々ありましたが、実に――神様はその時に応じて、経綸の進め方によつて、自由自在にやつて呉れるんです。だからこう言う山が手に入る。まあ、いずれは非常に金が入るだろうと思いますが、やはりそう言う様な経綸が始るんですよ。御祭の時にも話した通り、之からも色々な計画がありますが、そう言う事もドンドンやる様になると思います。そうして、やる様になる時分には、山から金が出ると、こう言う事になる。之に就いては霊的の事も神様の方で色々あるんですが、いずれ時期が来たら話します。もう一つは私の鉱山学は今迄の鉱山の学理と余程違うんです。それで、私は鉱山に就いても今迄の鉱山学とは違う行(ヤ)り方をやつている。ですから、こう言う物が出て来るんですがね。今迄の鉱山学だと、中々容易に山と言うのは出るものじやないです。簡単にお話すると、今迄の鉱山学では、鉱物と言うものは、何うして出来るかと言うと、地の下から鉱液と言つて、つまり鉱物になる液体が噴いていると言うんです。すると、地球の地殻ですね。地殻は岩石ですから、岩石の亀裂に鉱液が噴出して、そこに埋まつて、それが鉱物になると言う、そう言う学説なんです。処が、私の方はそうではない。大体地殻と言うのは、昔は――最初は泥だつたんですからね。よく泥海時代と言う――天理教なんかで言つている、あれがそうです。それが硬化作用ですね。段々泥海が土になる。それが硬化して石になるんです。石が硬化すると金(カネ)を胚胎するんですね。で、金属にも硬い柔いがあつて、鉛は極く柔いんですね。それが硬化すると亜鉛ですね。ピカピカ光つてますね。結晶するんです。亜鉛が硬化すると銅が発生する。こう言う事になつている。私の説でいくと、山の方も実に合つていくんですよ。浄霊と自然栽培――あれと同じ様な理窟ですよ。鉱物は硬化して出来るんですからね。一番面白いのは、熱海の晴々台ですが――晴々台に限らないが、土を掘ると大きな岩石は土が硬化したと直ぐに分るんですが、山の廻りに小石があるんですが、あれは何時誰が投込んだか分らないんですよ。川にある小石ですからね。あれが、土から出て来るんですよ。之は硬化作用丈でも分らないですね。何時の時代か、降つて来たものとしか思えない。又、鉱山の噴火で、熔岩やそう言う物が降つたのは、箱根の神仙郷の岩石ですね。あれは熔岩で、その時岩石を破砕して――あれは爆裂山と言うんです。つまり地下の岩石が破裂して、岩石を飛ばしたんです。だから、そう言う様に現われているんです。処が熱海の丸い小石ですね。それは土が硬化して、土の小さい固まりが出来るんです。それが段々育つていくんです。育つていくと言うのは中々神秘なものです。と言うのは、段々硬化し、其処に固まつていくんです。層が出来るんです。之は、学問でも未だ分つてないですね。晴々台に行つて、そう思つて見れば分るんです。之では、鉱山の講義みたいになつたが――その私の学説を覚えて、之から鉱山をやると、発見が容易に出来る訳ですね。まあその位にしておきましよう。

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それから、お蔭話に就いて――。

(御論文「⇒御蔭話を読んで」)【註  栄光一五一号】

この原稿は「結核信仰療法」の一番終いに医学の欠点を並べてみたんですが、余程参考になるから、今読ませます。

(御論文「⇒医療誤点の種々相」)【註  栄光一五二号】

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それから、近頃よく感じる事があるんですがね。私が一寸、簡単に言つた事でも、非常に重要な事があるんですよ。ですから、それを聞いた人は――何時の間にか忘れちやつて、旨く行かないことがよくあるんです。よく聞いてみると、こう言う点があるんですね。即ち、宗教の教祖なんて言うと、神憑り式です。神憑り式と言うよりか、神様に御伺いを立てる行(ヤ)り方ですね。神様に伺うとこう言う御示があつた。そう言うと、大変有難く思うんですよ。そこで聞いた人は、之は神様のお指図だとか、戒めだとか言つて、非常に強く印象されるんですね。処が、私がチヨイチヨイと軽く言うから、そう言う様な――何んて言うか、有難味と言いますか、強い刺戟を受けないですね。そう言う事がよくあるんです。それから偶に、昔から之は始終あるんですが、信者の中に神憑り的になつて、神様はこう仰言るとか言つて、それを一々信ずる人があるんです。処がそう言うのは、神様と言つても、下――下級の神様だから、いずれボロを出しちやうんですが、一時迷わされちやうんです。そこで、私の神様――と言うのは変ですが、はつきり言つて見ると、今迄の教祖とか、そう言う人達と違うんですよ。違うと言う事は、位が違うんです。仮りにキリストにしろ、天の父の思召しによつて、自分は生まれたとか、或はエホバがこう言われたとか、そう言う事をよく言われてますね。それから天理教祖とか大本教祖にしろ、神様はこう仰言つたとか、ああ仰言つたとか、よく言うんです。そして、そう言う神様を始終拝むんですよ。私は拝まないんです。と言うのは、私の腹に居られる神様は――私が言つたりしたりする事は、神様が直接するんですから私が拝む事はない。それから、拝むと言う必要はないんです。私のお腹の中に居られる神様は最高の神様ですから、拝まれるのは当り前ですが、こつちで拝む神様はないんです。みんな下の神様ですから、私の思う儘にやつて居れば、それが最高の神様がやられているんですから、そこで私は、神憑り的な――私が御神体に向つて礼拝しないと言うのは、そう言う意味なんです。之は今迄の宗教には一つもないんです。それは、釈迦でもキリストでもマホメツトでも、やはり神様を拝んで、お指図仰いだり、色々するんですが、私はそう言う必要はないですから、それ丈に力も――まあ字を書いても、その字が働くと言う様な訳でね。之は本当言うと、字を書く前に羽織、袴で祝詞を奏げて、神様にお願いして、そうしてやるものです。それは、今迄何処の宗教の教祖にしろ、色々な――御守等作る場合も、そうしているんです。私は、裸でアグラかいて書く事もあるし――それで良いんだから、別に面倒な事を言わなくてもね。そう言う事を知つて貰えば良いんですね。だから、他に神憑り等出ても、問題にはならない訳ですね。こう言う事は、今迄余り言いたくなかつたから言わなかつたんですが、そうでないと、他の神憑りを大層有難く思いますから、それでお話しする訳です。

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四月六日

【御  教  え】
誰方も、此処にある鉱石を見られたでしよう。之も、一通り説明しなくてはならんと思います。之は鉱山の知識のない人は一寸判らないですけれども、此石は日本一だそうです。神岡鉱山――あれは鉛、亜鉛は日本一の山で、飛抜けて大きな鉱山です。其処の技師が日本一の折紙を附けたんですから間違ないです。之は亜鉛と鉛と銅と、その三種なんです。で、今掘つてますが、鉱量は余程あるらしいです。ですから、事業的に言うと素晴しいものです。大いに前祝をして、踊つても良いんですがね。こつちは人類救済に此金を使うんですから――嬉しいですけれども、金儲け一方の人の嬉しさとは違うんです。それから、何しろ世界を救うんですから、余程大変な金が今後要るんです。然も神様は何万年前から仕度されて居るんですから、この位出るのは当り前だ――もう少し早く出して呉れれば良いと思う位です。之を今直ぐでも売れば金になりますけれども、然し大抵――銅なら銅。鉛、亜鉛なら鉛、亜鉛と、殆ど別々に処理する風になつているんです。こう言う風に三つ混合している石と言うのは、殆どないです。ですから、之で売ると、銅専門の会社に売ると、鉛亜鉛はお供みたいになつちやう。それから鉛、亜鉛の会社に売ると、銅はお供みたいになつちやう。非常に損なんです。そこで、こつちで分離する事が出来るので――機械で選鉱する。そうして亜鉛、鉛、銅と三種に区分してやると、そつくり金になる訳ですね。それには設備が要るですから、今その設備に取掛つたんです。どうしても、もう二、三カ月掛ると見なければならないですね。今掘つて溜めて、機械の設備がすつかり出来てから、売物が出来る。と言う段取りです。之を掘つたのは先月です。最近の報告に依ると、もつと良くなつているんです。この倍位に太くなつているんです。ですから、未だ々々素晴しい鉱山になる訳ですがね。で、私は二十年前から鉱山をやつてますが、やつていると言つても続けてやるんでなく、時々やつたんですね。何しろ下手に手を出すと金が掛りますからね。ですから、やる時よりやらない時の方が多かつた。然し怠らずにやつていたんですがね。で、私は最初は知らなかつたけれども、ここ数年前から神様から鉱山に就いて色々教わつた訳ですね。之なんかも、神様の方の鉱山学で見当附けたんです。最初、去年拳位の石を見本に持つて来たんです。それを見ると素晴しい石なんです。ですから直ぐに聞かした処が売りたいと言うんですね。安かつたので直ぐ買えと言つて買つた訳なんです。で、此山に去年の秋私は行つたんです。水上ですがね。温泉の側です。水上駅の左側は、直ぐ温泉場になつてますが、駅の手前を右に二、三町行つた処です。実に便利な処です。そこで、先に掘つてある処の脈を見ると細いんです。一寸か二寸なんです。普通の脈は太いけれども、鉱物がついている脈は細いんです。之は、下に行くと太くなると言うので掘らせました。下に行くと太くなると言うのも、神様の方の鉱山学なんですよ。すると、それから十間許り行くと、昔掘つた坑道がある。五、六十間もある。丁度良い。此下だから、もう少し掘つて行くと良い、と目を附けてやらせたんですよ。で、元掘つてあつた処の、直ぐ上つている様な処を、もう少し掘れと言つて、四、五尺上つた処が、之にぶつかつちやつた。昔それを掘つた人が――何んでも二、三十年前なんですがね。もう少し掘らせたら、其処を見附けたんですよ。然し、其処で力がなくなつたんでしようね。そこで、間違えたと見えて、横つちよの方に掘つてある。そんなこんなで旨く行かなかつた。之は神様がキユツと止(ト)めたんですね。大変な奇蹟です。だから村人なんかも、あそこであんなに良い脈があるなんて思えない。手伝つた人が随分あるんですが、あそこがあんなにあるなんて可笑しいと、見物に来るそうですがね。村中の評判になつているそうです。其時分に神様が用意してあつたんですね。楽なものですよ。又、その大きさに掘つてある。それで四、五尺で当つちやつたんです。又、この位便利な処はないんですよ。駅から二、三町ですからね。駅から見えますよ。ですから掘つた物を索道掛けて、ずつと運んでしまう。その間運賃なんて要らないんです。大抵、鉱山と言うのは、駅から何里もあるものなんですよ。その運搬費は大変なものです。その運搬費が要らないんですからね。それに信者の奉仕隊の人を増やしていくんですよ。そうすると、鉱物は日本一だし、運搬費は零みたいなもので、掘る坑夫は――之も零みたいなものです。非常に有利なものですね。流石に人間の行(ヤ)る事とは違うと感心する位ですね。ですから、この夏あたりからボツボツプラスになる訳ですね。丁度夏あたりから会館の建築に掛つたり、それから又箱根の本山ですね。光明殿と言うんですが光明殿に来年は是非掛りたいと思つているんです。丁度金の要る時に金が入る様になる訳ですね。それから去年も私が此処で言つた通り、「金の要る時には神様の方で、何処からか入つて来る」と言いましたが、あの時は私は、そんなに山が良くなるとは思わなかつたんですが、何か入るとは思つていたんです。今考えると、之かと思うんですね。この間の御祭の時に、之からの色々な経綸の事をお話しましたが、そんな具合で、今教団で――矢張り何と言つても、金が一番要り用なんです。ですから愈々山が始る様になると、又発展は目覚ましいものがあるだろうと思いますね。何時かも話した通り、京都にも地上天国を造らなければならないんですよ。ですから京都は、熱海、箱根よりかもつと大きな規模になるだろうと思つてますがね。色々の――そう言う経費が何億要るか、何十億要るか分らないですからね。やつぱりそれが手に入る様になりますからね。それは心配ないですがね。御祭の時にその話をしたのは四日目と五日目でした。ですから、最初の三日間と言うのは、その話をしなかつた。唯之からの経綸の話をしたんです。だから信者に向つて説くのに、資格者としては、こんなに金が大変だ。我々は何うしようかと心配した人もあるらしいが、成丈得心の行く様に、今日は話したのです。そうかと言つて余り安心しても困る。未だ二、三カ月、出る迄は金が要りますからね。それともう一つは、みんな――信者の人なんかと言うのは霊的の借金がうんとあるんですよ。之は自分許りでない、祖先以来ですからね。要するにそれが罪穢――メグリですね。それを、病気――色んな苦しみに依つて、借金を減らしているんですがね。だから、大本教のお筆先に「皆メグリは沢山あるから、一日も早く借金なしにして下されよ」と言うのがあるんですよ。そんな訳で、金の御用をすると言うのは、それ丈罪を減らすんですから、無理をしない限り――出来る丈沢山した方が、早くメグリが取れる訳ですね。そうすれば、それ丈苦しみが減るのと、あべこべに徳が多くなるですね。私は今迄余り言わなかつたですが、神様に上げた金は何倍にもなつて帰るんですよ。目覚ましいものです。之は、経験すると分りますよ。支部で財政が苦しいと言うのを、よく聞きますが、それは金の御用をしなかつたからと、よく言います。他の宗教みたいに――天理教みたいにスツカラカンになつて苦しむと言う事は絶対にないですね。そんな気の利かない神様だつたら、信仰止(ヤ)めた方が良い。ですから、今教団の方で金が要らなくなると――今の内に御用をした方が良いと言う事になります。そうすると、何んだか旨く言つて、金を出させ様と、そう言う風にとられると困るんです。私は正直だから、有りの儘を言うんです。今に、あべこべにこつちの方で、「支部の家がない」「よしきた」と、拵えてやる様になります。之も嘘言つたら大変ですからね。どうしても嘘は言えない。将来は地上天国が方々に出来るんですよ。今は箱根、熱海ですが、いずれは京都に造るし、それから九州に造るし、北海道に造るし、それから小さい天国ですね。それには各町村、小さい州にですね。やつぱり大中小になるんです。それには矢張り本部の方にうんと金が出来なければね。信者さんの方丈では、出来ない事はないが、手早く出来ないです。そう言う事を、大いに楽しみにして居て貰いたいと思いますね。鉱山の話も色々ありますが、余り信仰とは関係がなくなりますから、今日はこの位にしておきます。

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それから、よくあいつは邪神が憑いているとか、あの人は気を附けろとか、よく今迄も言う人があるんです。それに就いて書いたのを、今読ませますからね。

(御論文「⇒人を裁く勿れ」)

それから、之は今度の「結核信仰療法」の一項目ですけれども、非常に参考になると思うから、今読ませますがね。病気に対して、又信者とか未信者ですね。そう言う風に解らせる――説き方ですね。それに就いて非常に参考になると思うから、読ませます。

(御論文「⇒医療誤点の種々相」【註  栄光一五二号】

それから、もう一つ注意する事があるんです。よく邪神が憑いてるか憑いてないか、或いは邪神か邪神でないかを見る、一つの方法があるんです。それは、一番分り易いのは、邪神と言うものはしつこいんです。で、神様程あつさりしているんです。ですからクドクドしく一つ事を言つたりするのは、之は邪神と見て良いですね。で、高級な神様程あつさりしている。ですから、あつさり言う人は身魂が高級と思つて良いですね。それからクドクドしく言うのは、邪神でなければ、神様では低い――低級とは言えないが、低いんですね。一番低いのは狐ですよ。まくし立てますが、あれは大抵狐です。そう言うのでなく、本当に身魂が良い人は穏かに――議論したりまくし立てたりする事はないですね。それから女でペラペラ喋るのは狐が多いです。男で、威張つたりするのは天狗ですよ。こう見て居れば間違ない。議会なんかで、色々議論したりしますが、あれは天狗ですからね。天狗と言うのは、負けるのが嫌ですからね。言い出したら通そうとする。議員だとか学者や弁護士だとか、ああ言うのは天狗が多いんです。横車を押したり、人に議論したりするのは、天狗に限るんです。何しろ天狗と言うのは問答が好きでして、天狗は問答して勝つたのが、位が上つていくんですから、議論して勝とうとしますね。みんな天狗ですよ。それは天狗も良い働きをしますよ。だから悪くはとれないんですが、然し余計な手数を掛ける丈のもので、天狗でも智慧のあるのは良いですが、余り智慧のないのは困るんですよ。年中争つたり――口争いですがね。人の感情を害したり、物事を捗らせなかつたり、そう言う事がありますからね。こう言う、天狗の憑いている人でも、段々神様の事が分れば、自分の欠点が分つて来ますから良い訳ですが、そう言う様に、大体参考にすれば良いですね。

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それから神憑りに就いて昨日私は話したが、大変良い話だつたと言う人がありましたがね。それと、私は神様は拝まないんですよ。何の宗教でも、今迄何んな教祖でも、必ず神様を拝んだものです。それを、私は拝まない。と言うのは、私に憑いている神様は、一番高級だから拝むものがないんです。みんな下ですからね。それからもう一つは、よく神様に御伺いを立てるとか、或いは神様に御知らせを戴くとかして言うんですが――大変有難く思うんですが、私は簡単に、普通の事の様に言うんです。うつかりして軽く見るんですね。その為に忘れちやつたり、うつかりして、何かあつた時、之は先に明主様に御注意戴いた事がある。御言葉にある。と、気が附く事が、誰方もあるんですがね。私は神様に御伺いして、それを御取次するんでなくて、私の口から出る事は、神様自身が言う――こういう事になるんですね。最高の神様ですからね。だから、私が神様に御願いするとか御伺いするとか、そう言う事はないんですよ。そこで、御守なんか書く時に、普通なら何の宗教の教祖でも、そう言う時には、羽織袴で祝詞を奏げるものですがね。私なんかそうでない。夏なんか裸でアグラかいてやりますからね。見る人は有難く思いませんよ。私はそれで良いんですよ。神様自体が書くんだから、何うしようもない。こう言う事は今迄言わなかつた。そう言う事も心得て良いですね。もう一つ例えて言えば、信者の人で色んな奇蹟をやりますが、奇蹟も、やつぱりキリストがやつた位の奇蹟は毎日やつてますからね。之は、時間があつたら読もうと思つたが、時間がないから止したんですが、キリストの奇蹟以上の奇蹟ですよ。之は全然理窟がつかない程の奇蹟です。それから、原子爆弾で助かつた御蔭話ですね。之も、七つ許り来ましたからね。私は、それを発表する様に言つてあるんです。之も、今度良く説明を附けて、この次あたりに読ませますがね。そんな訳で、私の弟子がキリスト位の奇蹟をすれば、やはりキリストも私の弟子になるんです。それをはつきり分つて居なければ、キリスト教信者なんか誤解します。と言うのはもう一つ言つておく事は、キリストは贖罪主なんです。贖罪主と言うのは、一つの会社なら専務ですね。専務みたいなものです。若し会社で色んな過ちがあつたりしますと、専務が代表者になつて、許して呉れと言つて社長にお詫びします。贖罪主と言うのは、そう言うものです。万民の罪を御自分が負つて、万民になり代つて十字架にかかる。贖罪主とは別に、社長――即ち、よし許すと言う、許し主がなくてはならない。私は許し主なんです。ですから、そう言う点は非常に――主人と家来程違うんですね。こう言う事も、今迄も言いたかつたんですが、余りかけ離れているから、誤解されますので言わなかつた。明主様は、誇大妄想的な脱線だ。と、未信者は言いますから、言わなかつたんですが、もうソロソロ言つても良い時期になつたので、言つたんですがね。そう言う事も知ると、余計色んな事がはつきり分る訳ですね。その位にしておきます。

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四月七日

【御  教  え】
メシヤ会館ですが、今出掛けに図面が出来て来たんです。之は幾度も直して、やつと思う通りに画けたんですよ。順繰に廻して――之は、本当にざつと画いた丈で、いずれもつと大きく、彩色にして画かせる積りですからね。

「縦の線を随分お使いになつて居られます様で御座いますが――」

縦の線です。根本はコルベジユエですが、それに荘厳味をつけ様と思つてね――荘厳にしようと思つてね。この様式は未だ世界にないんですよ。柱が人造石で、縞になつて、その間は白壁になる。椅子丈が二千百六十ですね。廻りに立つと――廻りの廊下に立つと、丁度三千人入れる様になつている。専門家のは気に入らないでね。丸つきり之は違うんですよ。寸法から、全部私がやつたんです。高さが、前が四十尺です。後の方は下つて三十四尺にして、柱を二尺にして人造石で縞になる。縞の粗さを定める訳ですがね。柱と柱の間が、白い壁ですね。中の椅子の処から、全部私が設計した。今度は、展望台の図面を引かせますけれどもね。

「長椅子は五人掛けで御座いますか」

いや九人掛けです。普通は十人になるんですがね。上にテレンプを張つてね。一人々々区切つてやる。肱はないんです。ベンチでは、やつぱり窮屈ですからね。やつぱり一人宛にやつていくんです。

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それから、此鉱石は皆見ましたね。此鉱石は神岡鉱山の技師が日本一だと言いますが、私は世界一じやないかと思つてますね。恐らく之程の鉱石はないだろうと思いますがね。之は、鉱山の知識のない人は一寸見当つかないが、少しでも知識のある人は、驚かざるを得ないんですね。随分良い鉱石でも、石の中に金(カネ)が散らばつているものですがね。私は二十年前から――この方は続けてやつてないけれども、やつたりやらなかつたりしていたんです。随分方々の石を見ましたが、石の中に金(カネ)が散らばつている。之は金(カネ)の中に処々石が散らばつている。反対なんです。つまり無垢ですね。最近の報告ですと、之よりもつと良くなつた。此倍位の幅になつたですね。鉱物ももつと良いと言う事を、手紙が来ましたがね。二、三日中にこつちに来るでしよう。ですから、やはり流石に神様が準備したと言う事が分るんですね。それで、埋蔵量ですけれども、それを今調べてますがね。埋蔵量といつても、上からじや中々分り悪(ニク)いものでね。何しろ土の中に入つているのでね。それで、今横に掘つているのと、竪坑を入れてますからね。横は延長が分りますし、竪坑は深さが分るんですね。大抵之は、下は銅になる積りですがね。之は正規脈と言うんです。脈にも――処々固まりがあるのはポケツト式。網になつているのは網状脈とか。真直行つているのは正規脈です。正規脈は銅が多いんです。之は亜鉛と鉛と銅なんです。鉛が一番多いですがね。黒いのは鉛なんです。学名は方鉛鉱と言うんです。ピカピカ光つて結晶しているのは、閃亜鉛です。黄色い真鍮の粉をふつた様なのは黄銅鉱です。銅が一番多いのが良いんです。と言うのは銅が一番値段が良いのと、銅が不足しているのと、銅は平和時代にも使える。鉛、亜鉛はどつちかと言うと、戦争に使う丈だからね。今朝鮮の戦争がだれて一旦休んでいる様なものだから、鉛、亜鉛が一寸下つて、景気が悪いですね。だから神岡鉱山でも、今売るのは損だから、溜めておきなさいと言うので、溜めているんですがね。銅は始終不足しているんです。値が倍位良いですね。そこで、今銅を取るべく竪坑を入れているんです。で、下に行く程銅になるんです。と言うのは、私の学理なんです。神様の学理です。人間の学理は違うんです。やつぱりあべこべですね。医学と同じです。人間の学理は、鉱物と言うのは、地球の下から鉱液といつて、鉱物の液体ですね。それが上昇すると言うんです。そうして岩石の亀裂を埋めて、それが結晶して鉱物になると言う学理なんです。処が、それは出鱈目なんですよ。鉱物と言うものは、硬化作用ですね。土が固まると石になる。それから、石がもう一層硬化すると金(カネ)になる。金(カネ)になると言つても、石の中に処々に結晶が出来る。之は丁度人間の膿と同じなんです。万物は理窟は一つなんですからね。だから、全体に――身体に毒がありますね。それが結晶して処々に固まりが出来る。それが段々固まると、丸で骨みたいになるんですね。私は先の歯の毒が固まつて、骨の様です。此頃段々溶けて柔くなりましたがね。そう言う様なものです。だから、よく腎臓結石とか胆嚢に結石が出来ますがね。人間の膿でさえ石になるんだからね。あの石を取つて細工すれば、何しろ指輪の石やボタンになるんだからね。膿の固まりの結石した物は立派な物ですよ。磨いてあるとピカピカ光つてね。驚きましたね。膿の因(モト)は薬ですからね。水薬なんてのは、結局人間の身体にやると石になるんですからね。従つて土が石になり金(カネ)になると言うのは何でもないですね。それで、例えてみれば粘土が固まつて、それが鉛になるんです。だから色が鉛は粘土色してますね。それが固くなると亜鉛になるんです。亜鉛とか、土の性質に依つて錫になるんですね。錫になる性質のものは、錫から銀になるんです。だから銀は錫が硬化したものです。一方今の粘土の黒い方は銅になるんですね。粘土にも、黒いのと白つぽいのとありますがね。白つぽいのは、結晶すると亜鉛ですね。亜鉛と言うのは、四角に結晶するんですね。それが結晶すると銅になる。之は結晶すると言つても、胚胎するんですね。部分々々に結晶して来る。銀が結晶すると金になる。それがもつと結晶するとプラチナになる。日本にはプラチナが少ないんですね。と言うのは日本は新しいからですね。神道なんかで日本は一番古いと書いてあるが、そうじやない。一番新しいんです。で、新しいのが一番上等なんです。だから宗教でもメシヤ教が上等なんです。一番新しいからね。そう言う様なもので、今之を掘つている。私が去年の秋に行つた処が、細い脈だつた。良い脈ですが、一寸か二寸ですからね。だから、之から下に行けば太くなると言うので、下に行こうとした処が、昔既に掘つてあつて、五、六十間坑道を作つてある。矢張り見込をつけてやつたが、途中で迷つて横つちよに行つたりした為に、みんなうんと金掛けたでしようが、力尽きて止(ヤ)めちやつたんですよ。だから止(ヤ)めて落盤したりして埋まつていたのを、すつかり掘つて、進んで行つて、突当りから一寸掘つたんですね。僅か四、五尺で当つちやつたんです。ですから、神様が準備したと言う事が良く分る。その時にもう四、五尺掘られたら、其時にやられたんです。今度山の中心部――中央に向つて進んでいるんです。すると、進むにつれて鉱物も良くなつている。と言うのは、山の中央が圧力が強いですから、金属を胚胎する事になるからね。之は私の学理なんです。それから、下に行く程金属が胚胎しているから、銅が胚胎している。だから下の方は銅が多いんですよ。だから圧力に依つて鉱物を発生すると言う事は、実際上良く合つている訳ですね。ですから、山の中央を目掛けて行けば、鉱物は段々良くなる。処が学理はそうじやない、鉱液とか、出鱈目な事を言つているから駄目なんです。ですから私の学理で行くと、鉱物を見附けるのは、割合に簡単にいくんですね。之は鉱量も余程あるに違いないですね。大体分つてますけれどもね。そうして、不思議な事には、此山は駅から二、三町きりしかないんです。水上の駅を降りて、左に行くと温泉場になつてます。やつぱり二、三町位で温泉場になつている。右に行けば良いんですからね。だから恐らく、駅の近くにこんな山があるなんて珍しいです。普通鉱山と言うのは、駅から県道を何里行つて、それから山に何里入ると言うんですね。こんな駅の側にあるなんてのは殆どないです。だから、今度駅に索道掛けると、直ぐです。何程も運賃なんて要らない。そこにもつていつて、段々信者の奉仕隊が増えていきますから、そういつた労賃も零みたいなものですね。だから、之も日本一ですね。だから日本一が三つあるんです。今売れば売れますが、之で売ると非常に損なんです。と言うのはこういう石は滅多にないんです。銅とか鉛とか決つている。鉛、亜鉛は一緒ですがね。そんな訳だから、銅専門、鉛、亜鉛専門と、鉱山が別れてますからね。どつちかが犠牲になつちやうんです。それで、選鉱機と言う分離する機械が出来ているので、それを注文して据附ける予定になつてます。それが動くと、みんな分離して、専門々々の会社に売る事になる。非常に得なんです。だから何んだ彼んだと、プラスになるのは、この夏あたりだろうと思つてますがね。それから人間も要りますしね。人間を寝かす処がなくちやいけない。飯場ですね。それを作つてますが、一軒は出来ました。一軒で二十人位泊れます。之は至急百人位にしようと思つている。五カ所位にね。之が不思議なんです。坑道の直ぐ側に千坪許り平になつている。矢張り神様が準備したんだから、違いますよ。だから其処に簡単に建てられる。一カ月に一軒建ちますからね。だから、秋迄には出来ます。だから信者さんも、鉱山の方の勤労者を集めて貰いたいと思いますね。そうして、金が儲かる様になると、矢張り神様はそれ丈の仕事をなさるんですからね。この間の御祭の時に色んな話をしましたが、あんな事を始めると、信者は金を奉納しなければならない。と、心配する様な話もありますが、それは大丈夫です。今言つた通り、そういう様な必要丈の金は出るし、又、金が出ると言う事は、そういう仕事をしなければならない事になりますからね。で、此間話した様な事が、ちやんと出来て行く訳ですね。之は、去年私が話した、色々な造営なんかやつても、必要丈のものは必ず神様が、来る様にするからと言う事を言いましたがね。あの時は、私は山はそうなると思わないが、そうなる様になつているんだから、神様が何とかするだろうと思つてました。で、矢張り先月――あれから鉱物は出だした訳ですね。そんな様な訳で、細かく話したら大変ですから、この位にしておきますが、そんな訳ですから、愈々今年から規模も非常に大きくなりますし、世の中に大いに知れ始める訳ですね。今でも中々知れて来てますが、けれども断然普通の宗教と違うと言う――メシヤ教の本当の事ですね。それを認識される様に、いずれはドンドンなつていくと思いますね。そうして、美術館も予定通り出来ますからね。で、すつかり中のケースなんかも、品物に一つ々々合わして、見良い様に、この十三日に注文して、ケースの設計と言うものも出来ました。箱根の本山なんかも――光明殿なんかも割合早く出来るだろうと思います。まあ、鉱山の話はその位にして――

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「⇒結核信仰療法」のお終いの方に、医学に関する間違ですねそれを凡ゆる角度から見て、説明した原稿ですけれども、之は信者に説明する場合に――信者でない。患者に説明する場合に、非常に解り良いと思いますから、之を今読ませますからね。良く――要するに急所ですね。それを書いてありますから、その積りで聞いて貰いたいと思います。

(御論文「⇒医学誤点の種々相」)【註  栄光一五二号】

この理窟で、今――之から流行(ハヤ)ろうとしているハイドラジツトと言う奴ですね。あれなんかも医学上の調査は、昨日なんかの新聞に出てましたがね。ストレプトマイシンより毒性は強いとしてます。ですから、その毒性の為に効いたんですからね。何しろ結核菌は皆死んじやうと言うんですからね。之は人間じやないんですよ。二十日鼠ですよ。結核の二十日鼠に注射すると、結核菌は皆死んじやう。今言う様に副作用を出来る丈起らない様にして注射すると効くんです。そうするとあとが恐いんです。未だ、あとが恐いと言う迄に、行つてないから、安心してますが、あとが恐いんです。ですから、今の医学は困るんですよ。

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それからこう言う事を知らなければならないんですがね。それは、昔から宗教の教祖とか言う人が、何でも一々神様に御伺いするんですね。そうすると御託宣が出て、神様がこう仰言つた。とか言うんですがね。そうすると、それを聞いた人は大変有難がるんです。有難く思うんですね。処が私はそんな事はしないですね。唯、其場々々で簡単に言つてのけるので、有難味がないんですね。だから、ともすればそれを軽く思つて聞き逃しちやう訳ですね。で、何かあると、こう言う事を以前にお聞きした。之だと言う事に気が附くんですが、初めは中々そう思わないんです。それですから私の言う通りやらない人も随分あるんですよ。それは何う言う訳だと言うと、私は神様に聞く必要はないんです。私のお腹に居られる神様は最高の神様です。自分が言う事行る事が、その儘神様が行つている事と同じですからね。つまり直接なのですね。処が、今迄の宗教の教祖と言うのは間接なんです。キリストにしろ、自分はエホバの命に依つて生まれたとか、天の父だとか、何とか言いますが、あれはやつぱり間接的なんです。で、私に居られる神様は、エホバと同じなんですからね。そこで、私は神様を拝んだ事がないですね。何処の何の宗教でも、御祭だなんて言うとやつぱり神様に、教祖が恭しく礼拝するものなんですがね。私はやらないんです。と言うのは、私が拝む神様はないんですよ。若し神様があるとすれば、私より皆下だからね。だから、神様の方で私を拝んで良いんですよ。それですから、御守を一つ書くにも、普通は斎戒沐浴して、羽織袴で恭しく書くんですが、私は夏なんか裸でアグラかいて書く。だから知らない人は有難味はないんですがね。私は何んでも無造作にやつてのけるんです。難しくする必要がないからですよ。ですから、反つてその点を逆に考えられるんですね。逆に思われるんですね。誤解されるんですね。然しそれは、段々分つて来れば良いと思つている。だから一時的誤解は私は何とも思わないですがね。こう言う事も余り生神様らしく思わせることになるので、私は好かないので余り言わなかつたんですが、その為に私の言う事を軽く見る場合がよくあつて、その為に間違がよくありますから、その為に言つておいた方が良いと思つてお話するんです。だから、その点を良く心得て居て、他の宗教や、教祖と較べればはつきり分るんですよ。一番分るのは、キリストの奇蹟なんかは、非常に有名になつてますが、私の弟子で、キリストと同じ様な奇蹟は盛んにやつているんですからね。それ以上の奇蹟さえあるんです。時間があつたら読もうと思つたんですがね。奇蹟以上の奇蹟と言うんですがね。今度新聞に出しますが、読むのは時間がないから略しますが、百姓夫婦で、最初田んぼに入つて、電線が切れて落ちたのを、うつかり掴んだんです。六十ボルトで――感電してひつくり返つて倒れたんです。それを見て、亭主が、之は大変だと入つて掴んだ処が、又ひつくり返つたんです。電気の方では、水に入ると五倍の電流が流れると言うんですね。ですから、その電流を食つて、身体が仮死状態になつた。処が良い塩梅に助かつたと、本人が書いたものなのです。之は、全然学理で理窟のつけ様がないんです。精しく書いてありますが、新聞に出て見れば解ります。

それから原子爆弾の御蔭話も、そういつたので七つ許り集まりました。之も、新聞に出しますがね。之なんかも、随分奇蹟がありました。殆ど、信者で――御守を受けたのは、一人も被害がなかつたんですからね。だから原子爆弾も恐るるに足らずですよ。必ず助かります。又、原子爆弾で半分死んだ様な人でも何でもない。やつぱり浄霊で治つちやうんですからね。だから、是奇蹟なんて言うのは、キリストでも――あの時分には電気や何か無かつたから仕方がないが、それはキリストの奇蹟以上ですよ。今話した、キリストや何かも間接的の力であつて、私は直接だと言う事は、之丈を見ても証拠附けられるんです。時間が来ましたから寸鉄を――。

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四月十五日

【御  教  え】
広島、長崎の原子爆弾ですね。あれの御蔭話を書いて出させたんですが、七つ許り出てます。前にも言つた通り原子爆弾の光線――あれは所謂熱ですが、非常に強い熱ですね。それで焼くんです。然しこつちの御守から出る光の方が強いんです。ですから、御守を掛けている人は怖い事はないですね。之は、今度新聞に出します。尚あつちの――ハワイ、アメリカに送つてやろうと思つてます。まあ、首をかしげる丈の様なものでしようが、それでも世界中で、誰も一寸言つた事がないですからね。何かの事がありますね。

(御論文「⇒原爆恐るるに足らず」)【註  栄光一五三号】

一つ丈記録を読ませます。

(御蔭話「頭上にピカドン、御浄霊で大活躍」)

之は面白く書いてある積りなんです。

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(御論文「⇒世界的丁髷時代」)【註  栄光一五五号】

之もよく言う事ですが、未だ時々小乗信仰の人があるので、それに一寸釘をさしたものです。

(御論文「⇒人を裁く勿れ」)

之に就いて少し話をしますけれども、大本教のお筆先に――あそこは建替え建直しと言う事を言つてますが――「今度の建替え建直しは世界の大芝居であるから、悪の役も善の役も、両方あるのであるぞよ」と言うのがありますが、中々面白く言つてあるんです。ですから、色々の役があるんです。処で、悪の役はないんです。悪に見える役はあるんです。ここが難しい処ですね。人間には悪に見えるが、神様にはそうではない。人間には善に見えて神様にはそうではない――そう言う場合もある。で、人間が、あの人は善だとか、悪だとか――判るものではないです。私自身がそうです。あいつは悪い奴だ――と言うが、神様に御用があるんだろうと思つてますと、案外な御用をするんですね。だから人間は上つ側を見ますから、中身は判らない。上つ側で決めるんですよ。そこが危い。神様は、中身も中の魂をも見抜かれるんですから、どうしてもしようがない。そこで、人間は上つ側を見るから、形に囚われるんですね。自分がやつた事を、人はあゝ言う風に見るだろう、こう言う風に見るだろう、と言う。そこが大変な事です。そこで人間を相手にするな、神様を相手にしろと言うんです。人間の気に入られると言うのは必要ないですね。神様の気に入られるんです。処が、どうも人間の気に入られ様とするんですね。それは、世間一般はそうなつてますが、神様は違うんです。そこで、よく他の信仰なんか、お金なんか寄附すると、何千何百円とか、何の某と、札を出しますがね。私の方は、そんな事は全然――誰が幾ら出したか判らない。幾ら出したと言つて、偉く思わせ様と言うのは通用しない。神様に見て貰おうと言う事はあるが、人間を対象とはしないですね。神様に見て戴く――それを対象にしますから、それが本当と言う訳になる。だから考え方が、神様中心――神様丈に見て戴く、お気に入つて戴く――之で良いんです。そういう風に思つていると、屹度御守護が厚いんですよ。だからそれが――一寸今迄の色々な習慣や何かもあるので、難しいんですね。その点ですね。そうすると、あいつは悪いとか、あの教会は間違つているとか言う事は、口に出さなくなる。思う事は構わないですよ。神様は想念の自由は許されている。然し、行動に出してはいけない。大体その時の気持で、大いに興奮して言うが、それを我慢して言わないと、屹度ああ言わなくて良かつたと言う事がありますよ。あいつは悪いと言うが、あとになると、大抵後悔するものです。之は信仰の急所ですね。まあ――お説教になつちやつたから、この位にして止めます。

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それから、一昨日の晩文部省の人ですが、今度アメリカから帰つて来て、一ぺんメシヤ教を調べる――と言つても、悪意じやないんですよ。まあ観察をしておくと言う必要がある、と言う様な意味で――どつちかと言うと、善意と興味ですね、そんな点で、私も一ぺん会いたいと思つたので、会いましたがね。色んなアメリカの話なんかしました。アメリカにも色んな新しい宗教が出来ているそうです。日本が新宗教が大変ある様に、新聞なんかに書いてありますが、そうでないらしいですね。アメリカも同じ様な傾向らしいですね。その宗教のやり口を見ると、メシヤ教に非常に良く似ているんです。似ていると言つて、あちらは自由ですからね。そんな点が似ているので、大きさはとても似ている訳じやない。その人は中々新智識の人で、役人らしくない人で、話が面白かつたです。先も共鳴したし、私も大いに――役人と話している様な気がしなかつたですね。昔の知人か友達の様な気持で話をしました。矢張り、アメリカは美術と言う事が非常に盛んになつて来たです。特に日本美術ですね。それに憧れを持つて、鑑賞するとか研究するとか、見たいとか――そう言う事が非常に盛んになつて来た様ですね。それで、その人の話なんかも、色々綜合してみると、丁度――美術館を今度箱根に造ると、あれが時宜に適していると言いますか、実に機運にピツタリする様でして、矢張り神様が――その空気とか情勢とか、そう言う事をチヤンと醸(カモ)し出して、そこにピツタリ当嵌る様な行り方をされるんですね。神様は自由自在ですから当り前ですが、特にそう思われるんです。それで日本美術と言つた処で、何時も言う通り、世の中には美術館や何かあつても、日本美術と言うものは殆ど無いんですからね。今度初めて造る様なものです。それで、色々調べてみますと、今度箱根の美術館に並べるものですね。博物館の美術品よりか確かに上ですね。可成り上ですね。唯、仏教美術――それ丈が負けているんです。それは、博物館の方はお寺から自由に借りますからね。博物館が持つているものは幾らも無いです。殆どお寺から借りたものですからね。いずれ、こつちもお寺から借りるとか買うとかしますがね。そうすると、こちらも良くなります。それ迄は――今の処は、致し方ないですがね。あとの絵画、蒔絵、陶器〈陶器は日本と支那との両方ですが〉之丈は箱根の美術館の方が相当上になつてます。だから、見た人は喫驚りするだろうと思います。陳列の方法も、今迄の様な――唯雑然と、ガラス箱の中に品物を並べると言う丈でなくその品物が色々ありますから、その品物に依つてケースを合わせていく。色々の、見る人の目の角度ですね。光線の具合――そう言う事に大いに意を用いてありますから、その点も――今後の美術館の模範にされるべく力を入れてあります。日本でも、相当そういつた美術館の計画がある様ですね。最近聞く処に依ると、大阪の藤田ですね。藤田組ですね。あそこでも、そう言う傾向がある。あそこは終戦前の美術品を随分買い溜めてある。それがそつくり手をつけずにあるそうですから、之は中々見るべき物があるらしいです。いずれあつちの方に作るだろうと思つてますがね。それから阪神急行の美術館も、早晩作るそうです。あれは、あそこの美術品の交渉する、何とか言う人で古美術に就いては中々権威者だそうです。東京の方は余りそう言う事は聞きませんがね。兎に角今度の箱根の美術館は、余程センセーシヨンを起すだろうと思つてますね。然も外人もですね。無論世界的に注目の的になるに違いないですね。そこで、まあ――外客が日本に来た以上は、箱根には必ず寄りますからね。箱根に来た以上は、必ずこつちの美術館を見ると言う様に、外客は殆ど洩れなく見るだろうと思つてます。今差当つて必要なのは、英語の出来る人ですね。英語が出来て、そうして美術品に対して――それ程専門的知識は要らないけれども、兎に角幾らかそう言つた経験があるとか、さもなければ、そう言う事が非常に好きだと言う人がありましたら――信者さんなら尚結構ですが――心掛けて貰いたいと思う。そういう人が二人位要るんです。外人が沢山来ますからね。それから、アメリカの美術館なんかに関係した人を私は知つてますが、あつちの人は、日本美術に就いて、非常に説明を聞きたがるんだそうです。だから、無論そういつた通訳的説明の人が大いに必要だと思うんです。中々、二人や三人では間に合わないと思うんですが、兎に角そういつた適当な人がありましたら心掛けて貰いたいと思うんです。それで、箱根は日本的に造るんですが、いずれは熱海に、之は本当の世界的の素晴しいものを造ろうと思つてます。それは相当先の積りですが、箱根丈でも、今言つた様な具合ですからね。まあ、信者さんも大いに御蔭を戴けると思うんです。之は、御蔭と言つた処で、霊的じやないですよ。と言うのは、随分多勢来るだろうと思いますから、あゝ言う物をゆつくり見ると言う事は出来ないですね。処が信者さんは、信者さん丈が見る時間がありますから、ゆつくり見れますから、そういう御蔭は請合ですよ。面会の時間迄に――九時からとすると、九時から十一時迄二時間は信者さんが見られますから、非常にゆつくり見られると思います。話はその位にして置きます。

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四月十六日

【御  教  え】
今、出掛けにメシヤ会館の絵図が大体出来たんですが、この間のとは少し違つたんです。幾らか柱を細く――こまかくね。この間のは柱が二尺五寸の幅だつたですが、どうも――段々考えてみると太過ぎるので、一尺六寸にして、数が五、六本増えたんです。柱が人造石で、その間が白壁です。柱が一尺六寸で、白壁が三尺六寸――倍ですね。高さは、前面が四十尺ですから、約七間ですね。入口は大体三間位の幅で、両方に大理石の丸い柱――直径二尺位のを立てゝ、入口の欄間になつている処を、金――と言つても、本当の金ではない。金メツキなんですが、何か模様で、且つ入口のガラスの戸の縁等迄全部金メツキにして、入口は絢爛たるものにしようと思う。

「右つ側の茶色になつている処は何で御座いますか」

今、土がむき出しになつている処――それですよ。それから其処に家が建つんです。建つけれども、それには画いてないんです。家は、色々な――事務所とか、そういうものが建つんです。之はもう、全然新しいんです。未だ何処にもないんですよ。で、椅子が二千二百人許り入るんですね。その廻りが九尺の廊下で取巻くから、約三千人位入りますね。中の椅子から、之からは御神前、舞台兼用ですね――それが難しいんですよ。どうも、舞台らしくしては下品になりますしね。又余り神床一方では――其処で歌唄つたり、舞踊つたり出来ないから、そこを調和させるのが難しいですね。

次は景観台ですね。展望台の丸いガラスの家を、今画かせてますがね。もう直き出来ますけれども、之は余程変つたものでね。何から何迄全部私がやらなければならないのでね。実に、専門家なんてのは頭が古くて間抜けでしようがないですよ。昨日も箱根に行つてケースの見本を見ましたが全然問題にならないですよ。それで東京で一番なんです。高島屋の専属なんですがね。良いものが出来ると思つたら、丸つきり駄目です。明治時代の物の様ですね。第一回の博覧会の様です。先が古過ぎるのか、こつちが新し過ぎるのかね。それで、金をかけて、安つぽい物が出来ちやうんですよ。私がやるのは、一番金がかからない。之だつて、金がかからない様にね。つまり金をかけないで、効果的ですね。何でも同じですよ。宣伝するにも、何にも言わなくて急所をやる。之ですね。矢鱈に――ペラペラ喋つても効果がない。会館の中の椅子から、天井から壁から、凡て私の考え通りにやるんです。美術館も大分出来ましたからね。先にやつた処がどうもいけないんですね。それは一々言わなければならないのです。言つた通りやれば良いんですが、商売人は言つた通りやると、自分の沽券に関わると言うので変えるんですよ。それを直すんですね。言つた通りやらないで、変えるんですね。「素人はこういう処は分らない。どうも素人流でいけない」と言うのですね。一つの教育ですね。私の言つた通りやると言う教育を呑込ませる迄に相当かかるんです。庭だつてそうですからね。去年の夏石を流れの縁に入れてやるというのでも、私がこうしろと言つても、どうしてもやらないんです。簡単な事ですけれどもね。こうやれと言つても、どうしても私の言つた通りやらないんですよ。三度ともそうです。親方の弟ですがね。今度私の言う通りやらなかつたら、あの人は退いて貰わなければならないと言つたので、親方が私の言つた通りやつた。ですから、本人は暫く隠退の様になつてましたがね。そう迄して自分の思う通りやろうと言うんですね。不思議ですよ。此の頃は来て一生懸命やつてますがね。そんな訳で、こつちの言う通り、どうしてもやらないですね。簡単な事ですがね。二、三日掛つて駄目になつた。それが半日でちやんと出来ちやうですね。だから一番難しいのは、私の言う通りにやらせると言うのが、一番難しいんです。一番厄介なのは、木の枝を切る事ですね。之は言う通りにやらないと、育つ迄に何年も掛るんですからね。之が一番困る。ですから、木を切る丈は私が見て、一々切らせるんですよ。それで、どうやら良いんですが、随分厄介なものですよ。

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(御論文「⇒神人合一」)【註  栄光一五五号】

(御論文「⇒原爆恐るるに足らず」【註  栄光一五五号】

こういうのがみんなで七つ来たんですが、之が一番良く書いてありますから、之丈読んだ訳ですがね。ですから、之はハワイとアメリカにも送つてやろうと思つている。それから、之は一寸面白い書き方なんで――。

(御論文「⇒世界的丁髷時代」)【註  栄光一五五号】

もう一つ、之は先にも書いてありますけれども、もう一ぺん、一寸書き方を違えましたからね。

(御論文「⇒大乗愛」)

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二、三日前文部省の――アメリカから帰つた人で、之はメシヤ教に大いに関心を持つて来たんです。地上天国なんか見せて、私に是非会いたいと言うので、一寸会いましたがね。中々、役人らしくない人で、まあ新人ですね。話が良く合うんですよ。私も役人と話している様な気持がしないで言いたい事を言い、先も宗教家らしくないと言うんですよ。ですから、やつぱり固苦しい事や、そういう様な事に触れないで、色んな話をして、中々面白かつたですがね。ああいう役人が出来る様になると、日本も大いに民主的になると思うんですよ。やつぱりアメリカでも、美術熱と言うものは非常に盛んになつている様ですね。特に日本美術ですね。それに憧れを持つていて、大いに――見たり、手に入れたりしたい様な空気が盛んになつているそうですがね。で、そんな話を聞いていると、今度の箱根の美術館なんか、丁度時宜に適切に嵌つている訳ですね。と言うのは何時も言う通り、日本美術という物は、見せる処が日本に未だ無いんですからね。ですから、いずれ外国に知れ渡るに違いないから、随分見に来るだろうと思つてます。日本に来た外客で――観光客としたら箱根を見ない人はないですからね。箱根に来れば、嫌でも此の美術館を見ますからね。だから相当世界的に反響を起すだろうと思つてね。去年あたり、日本に来る外客が確か五、六万人位でしたかね。季節的な関係があるから、箱根は半年として、半分として三万人位は、確かに美術館に見物に来るだろうと思つてます。それに就いて、館の方は大分信者の人も見に来るそうですから――知つているでしようが――未だ、規模は小さいです。然し一通りは並べられると思うんです。で、並べる品物を段々調べてみますと、何と言つても、日本で規模の大きいのは博物館――上野の博物館ですからね。そうすると、博物館の品物――美術品を私の方と較べてみると、断然私の方が上なんですよ。但し仏教美術丈は博物館の方が上ですがね。之は、上の筈なんですよ。方々のお寺から借りますからね。それからもう一つは国宝と御物ですね。それが相当ありますからね。御物丈はこちらはとても敵いつこないですからね。それでも仏教美術丈は、いずれ負けないものを集める積りですがね。今の処は仏教美術はとても歯が立たない位ですね。然し、一般の美術を鑑賞するのは、仏教の方は一般的には分らないですから、私も近頃ああいう方も研究してみると、とても趣味のあるもので、それと共に良い悪いがとてもあるものです。最初の内は阿彌陀様も観音様も同じ様に見えたですよ。良い悪いも、時代なんかは分らなかつた。そんな訳で一般としては、他の美術品が良ければ、一番効果的だと思うんです。その他の美術品としては、絵画ですが、日本は無論ですが、支那のものでも、博物館よりか私の方がずつと上ですよ。数に於ても負けないでしよう。物に於ては断然上ですからね。之は大いに誇るに足ると思うんです。あとは蒔絵ですが、蒔絵も私の方がずつと上ですね。それから陶器――日本、朝鮮、支那の陶器ですが、之も私の方が勝つてます。だから仏教美術を除いた他の物は、少し位でなく相当勝つてますから、外客が見て――方々美術館を見るでしようが、確かに箱根の美術館は――日本美術を見たいとしたら、どうしても来て見なければならないと言う事になるのは間違ないですね。で昨日行つた処が、ケースの見本が出来てましたが、問題にならないですね。どうも――さつきも言つた通り、全然やり直す積りです。そんな訳で、段々調べて分つた結果、非常に安心したと共に大きな期待が持てる訳です。それから後の方の広い処ですね。モミジを植える処ですね。モミジも可成り植わりましたが、植え方が少し混み過ぎるので、間を開ける様に、昨日言つて来ました。美術館は美術館として、周囲ですね――竹林とか萩の道ですね。ああいう方面も大いに感心するだろうと思つてますがね。で、丁度六月迄には大体出来ると思つてますからね。大いに楽しんで良いと思います。ですから、少し好きな人は、何時迄もそこに釘附けにされる人が随分あるだろうと思いますね。だから余程方法をしないと、多勢見せ切れないだろうと、それが聊か心配ですね。何しろ不断、一品か二品でも是非見たいと言うのが沢山ありますからね。好きな人は動きませんよ。何時かの寸鉄にある様に、息が止る人や、腰を抜かす人がある位ですね。そんな訳ですから、幾度も見に来る人がありますね。ゆつくり見たら一日掛つても見切れない位ありますね。処が信者さん丈は、面会日は朝の九時から、十一時の面会迄の二時間はゆつくり見れますから、一つの特権だろうと思つてますがね。だから、その為に信者に入る人も随分あるだろうと思います。時間がないから、話はその位にして置きます。

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四月十七日

【御  教  え】
一寸面白いので、今読ませます。

(御論文「⇒神人合一」)【註  栄光一五五号】

丁度、今のと繋がつている様な御蔭話ですから――

(御蔭話「⇒奇蹟以上の奇蹟」)

それから原子爆弾は此御守を懐に入れていると、先ず大丈夫ですね。その御蔭話を出せという事を言つた処が七つ来たんですよ。その内の一つ丈を今読ませます。それと、論文を一寸添えてあります。

(御論文「⇒原爆恐るるに足らず」御蔭話「頭上にピカドン、御浄霊で大活躍」)【註  栄光一五三号】

未だ御蔭話が六つあるんですが、之が一番良く出来てますから、之一つ丈読ませたんです。

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それから話は違うけれども、今度ですね――新潟県の佐渡で自然農法の座談会があつて、その記事を昨夜読んだのですが、佐渡で三十人位で座談会をやつたんですが、一人も減収しないで、最初から少しづつ増収になつてますね。一番良いのは八俵一斗とかです。大抵一、二年。三年位が多かつたですね。それで、勿論品質も非常に良くつて大分評判になつたそうですがね。唯面白い事は、私の言う通りにやつたんです。よく方々で自然農法をやつても、今迄の習慣や、色んな事情によつて、私の言う通りにやる人は少ないですよね。どうも――余り違うので、信じられないんですね。処が佐渡丈は、私の言う通りやつた。と言うのは何かと言うと、堆肥に重きを置かなかつた。ですから、水田に藁を細かく切つてそれを混ぜた丈なんですね。で、中には幾らか堆肥を水田にやつた人もあるけれども、成績が悪いんです。で、水田に堆肥をやらない程成績が良いんです。堆肥を水田にやれと、私は書いてありませんよ。堆肥は畑に、藁は水田にと書いてありますからね。佐渡は今年から、無論堆肥もやらなければ、藁もやらない。土丈でやる事が、一番成績が良い様に思われる。と言う事がありましたが、之が本当なんです。本当は何にも要らないんです。もう一つは、浄霊をしなくても増収になる。之も私の言う通りです。で、私は――土そのものが大変な肥料なんだから、例えてみれば、藁をやると、藁が肥料になるんでなくて、唯根を温める丈だと言う事が書いてありますね。だから、極く寒い所ですね――東北地方のね――そういう所は、温めるのに藁をやる必要がありますがね。その他の所はやる必要はないです。それから、浄霊は肥毒を消す方法ですから、やれば良いんですが、浄霊しなくても、肥料さえ無くなれば良いんです。今迄浄霊を余りしなくても、増収になつた。今年からは、浄霊すれば尚一層増収になるだろうから、今年からは浄霊すると言う事がありましたがね。そんな訳で、浄霊も肥毒が全く無くなれば、する必要はないんです。薬毒と同じですからね。薬の気が全く無くなれば、浄霊の必要もなしと言う訳ですから、其根本を良く腹の中に入れて置くんですね。それから畑に堆肥をやるにも、土を固めないとか、或いは乾かない為にやる。肥料じやないというのですから、之も適宜そういつた様な意味でやれば良いんです。私は一頃注意したんですが、此頃はそうでもないですが、堆肥に肥料があると思つて、無暗に堆肥を使つたですね。自然農法は、何処迄も土ですね。土そのものを生かすんですからね。で、大分各地で解りかけて来た様で、未信者の方でも関心を持つて、中には試作を始めた人もある様ですがね。まあ、農林大臣の広川さんですね。あの人なんか、非常に堆肥をやれと言う様な事を言つてますがね。化学肥料は余りやらない方が良いと言う事を――大分自然農法の信者になりかかつてます。今年等は大分信者の方でも解つて来た人が多くなつて来たので、非常な成績だろうと思います。

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それから、メシヤ会館ですね。之は昨日出来たんですが、柱は人造石でやります。で、その間を真白に塗るんですね。それは、出来上つたら天然色写真を撮つて、世界中に配る訳です。建築家も驚きますよ。世界に無いんだからね。ビルディング型とか、劇場的とか、そういう建築はありますがね。宗教的なのはないです。やつぱりコルベジユエ建築ですがね。コルベジユエ建築で宗教的な建築は世界中にないんですからね。メシヤ会館が最も新しいです。それから、建てるとしても、こういう様な着想は外人にはないですね。それは何故かというと、専門家の画いて来たのがある。同じ様なものですがね。宗教建築と言うのは三角の屋根になつて、柱が何本もある。世界的の宗教建築では、有名なパンテノンにあるんですね。今、古くなつて半分壊れてますがね。それから西洋の建築の写真に出てますが、てんで問題にならないですね。

「ルネツサンスとかの建築は、こういう宗教建築が骨子になつたもので御座いましようか」

あれはややこしい、丁度油絵の写生みたいなもので、非常に緻密なものです。今は、あれじや全然古臭くて、近代感覚は出ない。近代的な感覚で荘厳味がなくてはならない。私は新しい狙いで荘厳味を出す。というのが狙いなんです。今迄どうも直線味がなかつたんです。バチカン宮殿とかでしたね。馬鹿にとんがつてね。飛行機の――針の様なね。ああいつた具合で荘厳味を出したんですね。私の方は直線で荘厳味を出したんです。之はもう、世界的に驚きますよ。随分新しい建築を、始終見てますがね。そういうのは全然ないですね。入口や何かも、廻りがこういつた色彩が淡泊ですから、入口は金ピカにしようと思う。ガラスのドアーなんかも――メツキですがね――本当の金じやないが、欄間なんか金でね。模様を考えてますがね。中々難しいですよ。下手すると劇場の様な浮薄なものになる。やつぱり何処迄も宗教的になるから、そこが難しいです。中の椅子から、私が細かい処迄やる様にしている、商売人に任せると全然駄目なんです。二、三日前もケースの見本が出来たので行つて見たが、それが東京一番のケースを作る会社なんですが、出来て来たのを見ると、どうしても明治か大正時代のものなんです。ですから、全然違つた様式にする。専門家が、そういつた図案とかやるが、手間がかかつて金がかかる。私の設計はとても安く出来る。無駄は省いて、それで効果的なんです。だから凡て私が独創でやるよりしようがない。で、今度の建物で一番難しいのは舞台なんです。舞台と言うのは劇場になる。それが神床にもなる。神様を拝む処になる。そこが踊つたり――演芸の舞台になる。その調和が難しい。余りどつちかに偏る――どつちかの色が濃くなつてはいけない。そこに苦心がある訳ですね。未だ出来ないけれども、之から考えてね。で、椅子丈で二千二百人許り入る。それから、色んな事が進まない。幕の図案迄私がやるんですからね。何故というと、歌舞伎の幕がありますね。みんな、まずい事――どうも、見られないですよ。その癖安田靭彦先生なんか画いた花ものがあるが、そういつた有名な人が画いてあるが、兎に角幕は幕としての、一つの約束があるんです。様式がね。そういう事を知らないんですね。幕も、宗教的であり、そういつた――演芸的であり。という、そういう様なものを――二通り作るんです。だから凡ゆる点に於て、兎に角世の中の人が驚く様なものが出来るのは確かですね。

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それから美術館なんかも、段々調べた結果、仏教美術丈は、私のは博物館よりか落ちますがね。之はしかたがない。先は方々のお寺で借りますからね。博物館の権威で集められますからね。あとのものは全部私の方が勝つてます。特に絵画なんかそうですね。数段上ですね。それから彫刻――仏教以外の彫刻、蒔絵、陶器ですね。そういうのはずつと上です。出来たら大変なものですね。大体、外人が驚くですよ。日本に来る外客が六万人位になりますかね。まあ、観光外客とすれば、どうしても箱根に行きますからね。箱根に来ない観光外客は一人もないでしよう。箱根に行つた観光外客は美術館を見ない訳にはいかないでしよう。之丈はどうしても、世界中に知れ渡る訳です。で英語が出来る人で、美術に趣味がある、聞きかじりがあるという人を、心掛けて貰いたいと思う。どうしても二、三人は要るだろうと思う。外人は非常に良く聞くそうですからね。だから是非必要なんです。方々に頼んでありますがね。神様が適当な人を見附けて呉れると思いますがね。その意味に於て、六月迄に探して貰いたいと思います。

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四月二十五日

【御  教  え】
自然農法に就いて、今度佐渡の方から座談会の記事が来たのです。之は、今迄のこういつた御蔭話中でも一番良いんですよ。それは、私の言う通りにやつているんです。だから成績が中々良いんです。で、今度新聞に出しますが、非常に参考になると思うので、今読ませます。

(御論文「⇒自然農法の勝利」)

で、今ある通り切り藁ですが、之はやつぱり十一月にやつた方が良いと言いますが、之はそういう訳なんです。丁度十一月頃やると、植附けの時分には腐つて柔くなるのです。それで、藁は暖い処は必要ないんですよ。極く寒い処ですね――東北の様な処ですね、以前書いてある通り、土を温める丈の効能ですから、暖い処は要らない訳ですね。之にもある通り、何にもやらないで土丈が良いとありますが、之は丁度私の説に合つているんですよ。浄霊も肥毒を取るんですから、だから四、五年以上先になると、浄霊の必要がなくなるんですよ。肥毒が無くなるからね。そういう訳だから、その気持でやれば良いんですね。之にもある通り、浄霊しなくても――信者でなくても、米を沢山穫る事は出来ると言う事ですね。之を一般に知らせると非常に良いんですよ。それでないと信者にならないと、どうも取れないと言う事になると、普及するのに非常に暇がかかりますからね。信者になる、ならないは二の次にして、日本の国の食糧問題を一刻も早く解決しなければならない。それには信者にならなくても、浄霊しなくても増収するという事を、未信者にもよく言つて呑込ませるんです。それで良いんですからね。だから浄霊しなくては穫れない。と言つて、信者を作る様な意志が一寸でもあつてはいけないです。病気の方は信者になつた方が良いですが、自然農法の方は、肥毒さえ無くなれば豊作になる。その点をよく心得てやつて貰わなければならない。此間の日比谷の時も言いましたが、こういう点が自然農法の効能ですね。で、それは非常に美味いんですよ。野菜でもね。之は、米に限らない。一切の作物ですね。処が今迄肥料を使つている為に不味いんですね。不味いからして、どうしても肉や魚を食いたがるんです。私でもそうですからね。矢張り、近頃自然農法で取れたものを大分食べる様になりましたがね。大分美味いから肉より野菜を食べたいんですが、以前と来たら、野菜は不味いんです。だから、つい御馳走と言つたら、動物性の物を食べる様になるんです。だからして西洋は昔からそうですが、日本でも近頃非常に肉食が多くなつて来た。動物性が多くなつて来た。そうすると、精神的にどうしても気が荒つぽくなる。怒りたくなる。そこで白人位戦争好きなものはない。野蕃人が戦争好きと言うが、野蕃人より白人の方が戦争好きです。野蕃人は部落と部落の戦争はやります。処が白人は、戦争によつて自分の野心を遂げ様とするのが、歴史に沢山ありますよ。それから社会的の争いですね。裁判とか或いは警察の取締りとか、そういう事が非常に必要になるのは、肉食の原因が非常にあるんです。私は七、八年前に――私の本にも書いてありますが、川治温泉というのがありますが、川治温泉と日光の間位の処に、湯西川という温泉がありますが、其処に行つた時に、戸数が九十戸で、人間の数が――六百人という村人が居りますが、其処では絶対菜食です。川に鮎があつても食べないんです。先祖から食べた事がないから食べたくないと言うんです。鶏も無いんですからね。鶏を食べ様と思つても無いんです。遂々隣村迄行つて買つて来ましたがね。鶏がいないから、無論卵もないんです。其処では問題が起ると、宿屋の親父が一人で裁いている。それで済んでいるんですからね。病人なんか無いんです。肺病なんか無論無い。と言うのは、其処の村は絶対に東京なんかの都会人とは結婚しない。絶対に村中の人間と結婚しているんですね。偶に――日光が一番近いから、日光の人とは偶には結婚するらしいですがね。あとは絶対に村中でやる。何故かというと、東京なんかとすると肺病になり易いので、そんな危険な事はやらない方が良いというので、村中で済んでいるんですね。そういう訳ですから実際理想的ですね。天国みたいな村です。私は其時に――だから皆心が穏かで、其処の色んな事を宿屋の娘に聞きましたが、娘も二十位で女学校ですがね。女学校は日光の女学校に行くが、非常に頭が良くて、話し方も滅多にない位にはつきりして気持が良いんですね。そういう点を聞いてみると、菜食というものの影響――之が非常にある。だから、つまり自然農法も、そういつた米にしろ野菜にしろ非常に美味くなりますから、どうしても多く食べる様になる。そうすると、その為に人間に、精神的効果が非常にあると思う。だから、自然農法の効果は、今迄それを言わなかつたが、近頃そういう点に非常に影響があると思つてお話するんですがね。だからそういう風になると、西洋でも野菜をもつと多く食べる様になりますね。外人ですね。尤も外人でも菜食家というのはありますがね。死んだバーナード・シヨウなんかは有名な菜食家ですね。ですから、やつぱりミロクの世の、一つの条件になる訳ですね。

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それから、この二十八日――私は奈良、京都方面に行くんですが、この目的は何だと言うと、仏教美術ですね。仏教美術といつた処で、仏像を見に行くんです。之は、良いものは奈良に一番多いので、そういつた様な――そういう良いものがある寺を数カ所大体連絡して了解させて、そうしてそれを順繰りに見る事になつているんですがね。それは何う言う訳かというと、私が去年あたりから仏教美術を研究してみると、驚いたんですよ。それは何だというと――素晴しい彫刻ですね。然も、兎に角奈良時代ですね。千二、三百年前に出来た木彫なんか大変な傑作がある。それは方々のお寺にあるんです。大体仏像が多いですが、仏像以外に昔の力士ですね。力士の男性の裸像――之なんかには非常な傑作がある。本当に遠慮なく言うと、ロダン以上のものは沢山あるんです。ロダンは男性美の力強さですね。それがロダンの特色としているんですが、処がロダンのは写生ですが、奈良朝時代に出来たものは、写生でなくて頭で作つたものです。空想的なもので、写生のものよりもつと力強い、実に驚くべきものです。又それ以外に仏様ですね。阿彌陀如来とか薬師如来とか、穏かな崇高な様子の溢れた面貌といい、感じといい、実に大したものですね。そこで、日本にそれ程の秀れた彫刻が沢山あるんです。数え切れない位あるんです。然し何と言つても奈良、京都です。ここに集中されている。先ず、古い処は推古、飛鳥ですね。天平、白鳳、弘仁、藤原、鎌倉といつた工合で、夫々特色があります。鎌倉時代の精巧な作品は又別な特色があつて、それは実に大したものです。だから私は、どうしても世界的に知らせる必要があると思う。日本人が如何に文化的優秀性があるかと言う事をですね。それにはどうしても京都に一大美術館を造らなければならない。と言うのは、仏像の大きいものは、一つか二つは何うか知らないが、沢山運ぶ事は無理です。困難なんです。だから地元に陳列しなければならないですね、だから私は、京都に美術館を造るべき敷地ですね。それが丁度、候補地があるんです。それを今度調べる積りなんです。それと、もう一つは、やつぱり古いお寺は非常に財政難に落入つているんです。その為に去年も、京都の大徳寺に行きましたが、気の毒な様です。雨漏りを修繕する事が出来ず、壁は落ち縁側も落ちそうでね、で、それを修繕する事が出来ない。政府でも国宝保存に対して、非常に気を揉んでますが、中々又それ程の財政援助が難しいので余程それに対して人民の方で、そういう事に力を尽さなければならないと思う。又人民の内で、終戦前みたいに金持が沢山ある時はそういう事も出来ない事はないが、今日の様な状態では中々難しい。それで私は、あの辺の寺から、優秀なものを一カ所に集めます。今迄はそういつた研究や何かはお寺を一軒々々廻つたものです。おまけに、外人や何かは日限がないのに大変ですから、一堂に集めて一ぺんに見せると言う機関を作らなければならない。そういう機関を作つて、相当の入場料を取つて、その金を出品したお寺に分配して、お寺の保存費、修繕費――そういうものに当てる様にする。そうすると一挙両得ですからね。然も日本の彫刻の秀れた――それを世界中の人に知らせる。そういう事ですね。之は是非やらなければならないですからね。大体そういう意味で、今度行く事になつたのです。で、神様がやられているんですが、そういつた様な丁度良い様な敷地でも、ちやんと取つて置いてあるんです。其処に段々、やつぱり地上天国を造ろうと思つている。  もう一つは、京都という所は、全然発展性がないんですよ。だから、一番の証拠には、京都の人口を調べて見ると増えないんです。何年前から同じなんです。だから京都は、別の――そういつた美術都市ですね。それが京都としての在り方なんですね。ですから、それには京都は将来もつと観光外客が、序に見るという所でなく、日本の京都を見に行こうという位の誘引力ですね――そういうものを大いに京都という都市に発揮すべき必要があると思う。差当つては美術館は是非拵え様と思うし、それから後には、京都に一大地上天国を造ろうと思つている。それには、京都と言う所は実に雰囲気が一番適当しているですね。之は日本の土地で、京都位の所はない。京都は日本に於けるフランスなんです。日本を世界とするとね。之は霊的の事になりますがね。之はいずれ話すとして――日本を世界とすると、京都はフランスになる。フランスは世界の観光客を集める。と同じ様にして、京都もそんな――今でもそういう点はありますが、未だ々々貧弱なんです。唯、古臭い、歴史的のにそういつたもので客を呼ぶ丈です。成る程、桂の離宮とか、修学院とか、色んなそういつた古いのがありますが、それ丈では極く特殊な人丈しか、それが理解出来ないんです。そこで、現代人誰も彼も是非行つてみたいと言う意欲を起すには、兎に角新しい天国的なものを造るという事でなくちやならないと思う。そういう意味で、段々京都もそういうものをやる積りですがね。今度の旅行の意味を一寸話したんです。それから、之は一寸注意ですけれどもね。

(「⇒大いに注意すべき事」)【註  栄光一五六号】

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四月二十六日

【御  教  え】
自然栽培に就いて、今度佐渡の方から報告が来たんです。座談会です。之は、私の言つた通りにやつて、又、その通りの結果を得られているんですから、之を大いに参考にした方が良いと思うんです。その中で一番肝腎な事は、私の説には浄霊しなくても増収する。増産になると言う事を書いてある。あれを忘れている――というよりか、余り軽く見ている人が多いんですよ。その為に何んでも彼んでも、浄霊しなくてはいけない様に思つてやつているんですが、そうではないんですよ。それは私の考えと幾らか喰違つているんですね。浄霊しなくても増産になる。浄霊をしなくては増産にならないとしたら、それを見た隣の百姓や何かは、信仰に入らなければ増産にならないと言う事になつて、自然栽培や何かを実行しない様になるんですよ。やつぱり、一つの宗教宣伝だ。巧妙な宗教宣伝だと解釈されるんですね。それでは面白くない。そうすると、食糧増産するのが遅れる訳ですね。信仰に入らなくても、肥料さえ無くすれば良いというのだと、ドンドン実行しますから、普及するのが早い訳ですね。私は信仰を宣伝する為に利用する意志はないんですからね。日本が早く食糧増産になる様にという点を祈念としているんですから、その点を考え違いしない様にして貰わなければならない。病気を治す方は、信仰に依つて大いに効果がある。健康になる。之は結構ですが、自然栽培の方は、全然そういう事を一緒にしないで、信仰でなく栽培法丈の改良で充分増産になるんですから、それで良い訳なので、早く日本中――そういう自然栽培の人を多くして、増産になる様にするという事が肝腎なんです。

それから、先にこういう人があつた。之は新聞にも出てますが、堆肥が良いと思つて水田に迄堆肥をうんと入れて、失敗ではないけれども、前年より減つた――減収したという例がありましたがね。ああいう工合にどうも堆肥に囚われ過ぎるんですね。囚われるという事は、土の威力を無視することになるのです。ですから今度は何にも――堆肥も要らないんです。それから浄霊の必要もないんですよ。唯、浄霊するという訳は、肥毒を減らす効果があるんです。それですから、肥料のある間は浄霊は結構ですが、五、六年も経てば肥毒は無くなりますから、そうすれば浄霊しなくても良いんです。そういう風に考えていれば間違ないです。今読ませます。

(御論文「⇒自然農法の勝利」)

この中で、一寸可笑しな処がある。畑ですね。畑作の方は未だそうしないという意味の事がありましたが、之は何か間違つているんじやないかと思うんですよ。畑の方が、自然栽培は水田よりも余計効果があるんですよ。というのは、水田の方は大雨が降つたりすると、荒れますから肥毒が流れるんです。処が畑の方は肥毒が流れないから害をするんです。そこで畑の方が水田よりも一層効果がある。之はやつた人は知つているでしようが、イモとか豆とかは一、二年で倍になるんですね。もう一つは、米の本質――種類ですね。之は、未だ知らないだろうが、神様は最初米を作られたのは一つなんですよ。それが段々年代が経つに従つて色々分れて来た。それは何ういう訳かというと、土地の――土がみな違うんです。それと気候ですね。それから水の多い少いとかですね。土の変化という事も、精しく言うと色々あるんですが、一番気のつかない事は地霊ですね。地球の中心の火ですね。火から始終霊気が立つているので、それが地層を通つて地殻を通して発散している。その時に地殻の変化が色々ある。厚い処と薄い処がある。それから又亀裂がある。その為に亀裂の処からは地霊が強く発散する訳ですね。そうすると、土に変化を起す。鉱物というのは亀裂の処から霊気が強く発散しますから、硬化作用が強いので、鉱物が発生する。之は全然学問にもないので、思いもつかないんですが、本当はそうです。そこで地層の厚い薄いが非常に関係がある。地球上でも、日本は地層が割合薄い。というのは、日本は新しく出来たですからね。之は信仰雑話にも書いてあります。地層が薄いから地霊が強く出るので、日本の土というのは非常に肥えている。世界中で一番肥えている。そこで、日本で自然栽培をやれば良く穫れる。それを知らない為に色んな事で地力を殺しちやうから、収穫が無くなる。それで今日の様に輸入しなければならない。一カ年に一千万石も――人間の食う丈足りないというのは、そういう訳です。 それからもう一つは、その土地に生える木の多い少いは大変関係がある。日本は木が多いですからね。雨が降つて、木の汁が流れていつて土に変化を起させる。それから山が沢山ある。山の蔭になつたり、色々して土に変化を及ぼす。そんな様な色んな関係があつて、そこで稲の品種が違つて来るんです。品種が違つて来て、それで良いんですがね。それを、北海道に出来たものを本土に持つて行つて植えるとか、九州に出来たものを関東に持つて行つて植えるというのが間違つている。種というのは、その土地に適当した様に出来ている。北海道のジヤガイモなんかが良いといつて、こつちに持つて来て植えるのは間違つている。あつちは広いので肥料が行渡らないから良いので、こつちでも肥料をやらなければ成績は良くなる。そんな事を知らないから可哀相なものです。品種なんてどつちでも良い、一年でも無肥料で育つた種なら良いんです。その位にして置きましよう。

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私が今度――明後日奈良、京都方面に行くんですが、それは何の目的かというと、私が去年あたりから、日本の仏教芸術を研究してみると、日本の彫刻、特に木彫ですね。之が非常に優秀なものなんです。私は驚いたですね。而も奈良朝時代に既に立派なものが出来ている。この間の三越であつた興福寺の展覧会に出ている阿修羅なんかは、大抵の人は見たでしようから知つているでしようが、実に良い作ですね。他にも色々ありましたが、あれが千二、三百年前に出来たんですから大したものですね。ですから、あの時分に出来た彫刻でも、力士なんていう力を入れたものとか、帝釈天、多聞天という力を入れたものは素晴しいものです。それが空想的に出来たものですがね。処がロダンなんて言うのは、大体写生ですね。ロダンは力の彫刻としては有名になつてますが、日本の力の彫刻なんかと較べるとロダンの方は足下にもおつつかない位です。そういう、日本に素晴しいものがあり乍ら、それを無視してロダンなんかを崇拝しているのは、実際可笑しくなるんですね。ですから日本は素晴しい美術品があると思う。日本人の美術的感覚というものは世界一です。ですから之を大いに外国に知らせる必要がある。之は戦争の道具を自慢するのと違つて、平和的の文化財を自慢するんだから、どんなに自慢しても外国で変な目で見る心配はないんですから、大いに誇張して良いと思うんですね。それで、その木彫ですね。それが奈良、京都に一番集つている――お寺ですね。お寺は、私等から見ると美術館ですよ。ですから、美術というと、みんなお寺のものを珍重しますからね。そういう様な風で、私の目的は、京都に一大美術館を造ろうと思うんです。そうして、美術品は京都、奈良に沢山あるけれども、それを見るとしても一々お寺を廻つて歩かなければならないし、大変ですからね。それに、お寺で――見せるお寺もあるし、見せないお寺もありますからね。仮に外人がお寺を見たいとしても、一々廻つていては、予定があつて、全部を見られる訳のものじやないから、そういうものを一堂に集めて一ぺんに見られる様にしなくてはならないですね。それに、何しろ大きいものが多いですからね。それこそ四畳半一杯位のものが沢山ありますからね。大きな美術館を造らなければならない。東京に運ぶのは困難ですからね。ですから京都に運ぶのは訳ないから、どうしても京都に美術館を造らなければならない。各お寺にあるものを美術館に集めて、一ぺんに見られる様にしなくてはならない。然もお寺に見に行くと、一々坊さんが案内して薄暗い廊下を通つて――そういう仏像がある処は薄暗い処の為に、良く見られないのです。それを美術館で鑑賞出来ると良いですね。それで、そういつた日本の秀れたものを世界に知らせる事になりますからね。入場料を取つてやつても、随分来ると思います。その収入を各お寺にみんな分配しようと思うんですよ。そうすると、実際お寺は、今財政に困つているのが沢山ありますから、一挙両得だろうと思います。然もそういつた寺の修繕もしなければならないのです。美術品の良いものが置いてあつても、雨漏りの修繕や、風が入つたりして、政府でも非常に心配して、文化保護とかやつてますが、何しろ金がかかりますからね。之は、気の毒な位予算が少いので、修繕が出来ないんですよ。ですから、美術品を保護する意味から言つても、非常に肝腎だろうと思います。そんな意味で、京都に美術館を造るのに適当な土地がある様ですから、それを見たいと思つてます。有名なお寺を――大体連絡が取れましたから、それを見る。そういう目的が主なるものです。で、霊的には未だ別の意味があるんです。之は、簡単に言えば、仏界を大いに救わなければならないですね。仏様が苦しんでいるのが随分沢山あるんです。そういうのを救うには、やつぱりそういう様な方法もやらなければならないので、そんな様な意味もあるんです。之は余り言うと、やつぱり信者以外では、中には誤解する人が無い事もないでしようから、余り言わないが、そんな様な色々な意味があるんです。結局箱根、熱海の美術館では、そういつた仏教的な事は、場所も要りますし、今言つた運ぶ事も出来ないので、そういうものは避けて、一般の美術品を並べる積りですがね。京都の方はそういう意味で、その為に京都という都市が非常な恵を受けるだろうと思つてます。だから、解れば大いに――京都市等も援助しても良いと思いますけれども、尤も援助は受けたいとは思いませんが、大いに感謝する事になるでしよう。未だ、それに就いて話すべき事がありますが、之は――京都で一ぺん講演会を開きますから、その時にもつと精しく話します。

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(「⇒大いに注意すべき事」)【註  栄光一五六号】

もう一つはこういう例があつたんですがね。二十年近く前ですが、私は宝山荘に居る時分に、或る部屋の床の間の前に行くと、皆気持が悪くなる。どうも不思議でしようがない。それから調べて見ると、床の間の柱に雲版が掛つていた。それに色紙が――誰かが書いたのを――色紙を雲版に入れて掛けてあつた。それは歌か何か、発句だか――その人はそういう事をやつている人で、それが掛つている。それで、私がそれを取つて見た。すると、その下に私の色紙があつた。それでその色紙を取つて、私の色紙丈を掛けた。それから何んともなかつた。そんな事があつたんです。

(御論文「⇒医学迷信」)

(御論文「⇒唯物主義が悪人を作る」)

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四月二十七日

【御  教  え】
今度佐渡から来た座談会の報告ですが、自然農法に就いて、私の言う通りにやつて大変成績が良いんです。それで、特に私の言う事を良く聞いた理由は――之は他の人も、言う事は良く聞いてますが、やはり今迄の観念が残つていて、一寸予期にはずれる嫌いがあつたんです。というのは、私の本に書いてあるのには、浄霊しなくても増産になる。としてあるんですが、信者の人は矢鱈に浄霊しなくてはいけないと思つているんですね。あの点が一寸喰違つている。だから、それを余りやると、未信者である農民が、やつぱり自然農法は信仰に入らなければ増産が出来ないと、こういう風に思つちやうんですよ。そうするとつい億劫になつて、無肥料栽培をやらないという事になるので、そうすると普及率が非常に遅くなる。中々普及しなくなる。又信者さんの方は、浄霊をしなくちや増産しないと、一つの宣伝の具にするという嫌いがあるんです。之は面白くない。つまり病気の方は信仰に入らなければ、治つて健康にならない。然し自然農法の方は今言つた通り信仰と結びつけるという事が面白くないんですよ。そこで誰がやつても、今迄の肥料さえなければ、つまり土自体の力を発揮させれば、幾らでも増産になると言う事を知らせるのが本当です。ですから、之から浄霊なんかは人に見えない様に――目立たない様にした方が良いんです。浄霊しなくても立派に増産になるという事を何処迄も見せるという考えでね。それからもう一つは、堆肥に依つて出来ると――堆肥尊重に偏る――そういう点が大いにあつたですね。処が佐渡の方は堆肥をやらなくて――中には、今年から堆肥をやらないで、土許りにすると言う人もありますがね。堆肥をやつた程出来が悪いんです。尤も、先に御蔭話の中に堆肥をやり過ぎて悪かつた。前の年は堆肥をやらなくて成績が良かつた。処が、次年に堆肥をやり過ぎて悪かつたというのがありますが、それを見ても堆肥をやり過ぎるといけない。堆肥をやり過ぎると、やはり土を殺すんです。私のに書いてある通り、堆肥というのは土を固めない事と、稲なんかは根を温める為と、野菜物は乾くから水分を成可く保存して置く為に行う――そういう意味で書いてありますからね。だから例えて見れば、稲なんか暖い土地――暖い処は藁を切つてやらなくても良いんですよ。あれは根を温める為だ。土を温める為だと、私は書いてありますがね。寒い処はやつた方が良いが、暖い処はやらなくても良いんですよ。それから余り乾かない処はやらなくて良いんですね。それから、土が固まらない処ですね。固まらない処はやらなくても良い。ですから――土が古くなると、余り固まらなくなります。それから、浄霊もそうですね。あれは書いてある通り、肥料を減らす方法ですからね。だから五、六年経てば肥料が無くなりますから、肥料が無くなれば浄霊の必要もないんですね。私のに良く書いてありますから、その儘に解釈し、その儘実行すれば旨く行くんです。処が、そういう処が今迄の観念が残つているので、私の考えと喰違いが起る。その事を今読ませます。

(御論文「⇒自然農法の勝利」)

それから色んな――品種なんて言いますね。農林第何号とかね。ああいうものは何にも必要ないんですよ。良い品種が取れた処というのは、肥料の少い処なんです。だから肥料なしでやれば、一番良い品種が出来る訳ですね。面白いのは、ジヤガイモなんかは北海道が良いと言つて、北海道から取寄せますが、北海道は土地が広いので、肥料が行渡らないんですよ。そういう訳でジヤガイモなんかも無肥料でやれば、とても良いものが出来ますよ。それから連作が良いというのもそうなんです。よく、昔から連作がいけないというのは滑稽ですよ。一番連作をするのは水田ですよ。毎年稲を作つている。処が畑の方は、茄子はいけないとか、何がいけないとか言つて、品種を変えていきますがね。処が、稲や――米は昔から連作してます。いけないものなら変えていかなければならない。そういう処に気がつかないんですね。そういう訳で、稲の品種を心配する必要はないという事丈知つていれば良いですね。それから、自然栽培の方は美味しいですからね。今読んだ通り、搗減が無かつたり、炊増するという様な点の利益もありますしね。美味いという事が大変な意味があるんです。というのは、美味いとどうしても野菜を多く食べますからね。野菜を食べると健康にも良いし、第一性質が変る。人間の性質がね。今の人間は気が荒くて、直きに喧嘩したり殺したりしますが、あれは食物が非常に関係がある。処が今のものは、肥料が多いので不味いですから肉とか魚を多く食べる。それでなければ食物とは思わないですからね。私なんかも、動物性のものが美味いですからね。野菜は不味いですね。処が無肥料になると、野菜が美味いからね。白人種が闘争を好むのは、食物の関係が非常にある。だから白人文明といつて威張つてますが、一番争いが多いですね。争は東洋人の方が少い。だから世界を始終騒がしているのは白人ですよ。之は、白人は良く考えて貰いたいですね。アジアの人間は、実に柔順で善人が多いですね。そんな訳で白人種も、ミロクの世になるに就いては、野菜を多く食べさせる必要がある。それには野菜が美味しくならなければならないので、無肥料になれば野菜が美味しくなるから、人類に益する処が甚大です。之は一寸気がつかないですが、そういう点も大いに知らせなければならないですね。

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農業の方はその位にして置いて、明日私は京都、奈良方面に旅行する積りですがね。その主なる目的は、仏教芸術――大体仏像を見に行くんです。あつちの有名なお寺なんかは、前以て連絡して置きましたから、そこで良い作品ですね。仏様を作品なんかと言つちや勿体ない様ですが、まあ――私から言えばそれで良い訳です。何う言う訳かというと、私が去年あたりから仏像を研究しているんですが、それで解つた事は、日本の木彫――彫刻は実に素晴しいものなんです。処が之は、外国でも相当知つている人があるにはありますが、たんと見る事が出来ないので、未だ充分にそういつた知識は得ていないんです。で、よく私が調べて見ると、奈良朝時代ですね。今から千二、三百年前に出来た彫刻は、到底ロダンなんか較べものにならない位良いです。ロダンというのは世界的の彫刻家ですがね。あの人の作品なんか、多く男性美――力強さが素晴しいですね。それで世界的になつたんですが、処が奈良朝時代に出来た力士ですね。その力士の骨格隆々とした処の効果をみますと、ロダンよりかずつと上です。処がロダンは写生です――人間のね。奈良朝時代の方は、要するに空想ですね。作者の頭脳から生れたもので、それでいて生きている様な力強さと言うのは実に大したものです。こういう事なんかも、未だ外国に知られていない。それで、私は将来京都に大きな美術館を造ろうと思つている。というのは、ああいつたものは大きいですからね。少し大きいものになると四畳半一間位の広さが要るんです。そういうものを沢山並べるには、余程大きな美術館を造らなければならない。外人が日本に来て、外人許りでない、日本人でもそういつた仏像の彫刻の良いものを見ようと思えば、お寺を一軒々々廻らなければならないから、中々余程――公に宝物として見せている処は良いですが、そうでないと、廻る事が出来ないですね。やつと旨く見た処で薄暗い処で有難く祀つてあるので、側に行つて明るくシゲシゲ見るという事は出来ない。それでは駄目なので、どうしてもそういうものを美術館に、ずーつと陳列して、直ぐ側で鑑賞出来るという様にしなければならない。そうして京都で、大体神様がそういう土地に適した所を――即ち今度その敷地も見る積りです。それで、そういう美術館を造つて一堂に集めて、一目で見られる。そうすると外人なんかが来ても、それ丈の――成る程日本の木彫は大したものだという事が分る。そうでないと、本当に良いものを見るには幾日かかるか分らない位ですからね。中々、外国人なんかは僅かな日数で割当てているので、相当良いものを数見ようなんて、到底出来ないんですから、どうしてもそういうものを造る必要があるんですね。そうして又、あつちのお寺も、今日非常に財政に苦しんでいるし、之はお寺に行つて見れば分りますが、それはもう雨は漏り、障子の紙だつて穴があいて真黒になつてますからね。それは実に情ないものです。その為に国宝的の良いものなんかが、風に吹晒されたり鼠が齧つたりして、保存の意味から言つても情ない状態です。そこで、そういう美術館を造ると入場者も相当ありますから、その収入も沢山あります。それを出品したお寺に分配すると、お寺の維持に困らない様になりますから、一挙両得です。で、そういう意味で――今度そういう目的で調査して来ようと思うんです。そうして無論美術館許りでなく、京都は京都的の地上天国を造ろうと思つている。箱根、熱海は山になつてますからね。それに制約されて、やつぱりそれに合つた様な行り方をしなければまずいんです。京都は大体平な地形ですからね。それで又、土地の雰囲気から言つても、非常に落着いた奥床しい、何とも言えない味わいがあるんですね。だからそれに合つた様に、そういつた地上天国を造る積りなんです。そうすると、京都の――一つの有力な御蔭になる訳なんです。というのは京都という処は発展性がちつともないですね。何しろ京都の人口を調べて見ると増えないんですからね。何年調べて見ても同じですね。それは、別に商業都市ではなし、工業生産――そういつたものも、西陣の織物位です。それで、余り収入がない訳ですね。そこで、何処迄も京都は観光地ですね。つまり日本の公園というものにしなくてはならない。そういつた意味はありますが、今度美術館が成り、地上天国を造るとすると、一層京都の京都的の意味が大きくなりますからね。で、京都は成る程古い都ですから、色々古い――古美術的のものはありますが、新しい――そういつたものは全然ないですね。そこで私は、新しい――近代感覚の豊な、誰も楽しめる様な、そういつたものを造りたいと思つてますね。我々が去年二度行きましたがね。どうも、桂の離宮にしろ修学院とか、何寺とか色々ありますが、一ぺん行けば二度と行く気になれない位ですね。今の頭で見ると、寂(サビ)は充分ありますが、そう引附けるものはない。だから一般人としたらそれ程の魅力がない訳です。だから一般人――現代人が見て、実に良いという魅力ですね。そういうものを造りたいと思つてます。未だ色々話はありますが、時間が余りないですからね。そういう意味での今度の旅行ですから、それを一寸お話したんです。

(「⇒大いに注意すべき事」)【註  栄光一五六号】

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四月三十日(京都劇場に於ける御講話)

【御  教  え】
今日は信者の方許りだそうですから、その積りで話をします。今度京都に来たのは、大体二つの目的なんです。一つは、奈良の仏教美術――それを視察する為と、それからもう一つは、京都の地上天国を造る候補地――そういう適当な土地があつたというので、それを見る為――その二つの為なんです。昨日奈良方面に行きました。法華寺、薬師寺、東大寺、法隆寺。それから奈良の博物館。博物館は丁度白鳳、天平の仏――それに関した展覧会というのを開催していたので丁度良かつたんです。大体奈良に於ける主なるものを見たので、大変得る処があつたんです。大抵、有名な品物は写真で見て居りました。国宝の写真帳なんかに沢山ありましたが、今度実物を見まして、到底想像もしなかつた程立派なもので、驚いたんです。然も千二、三百年位前に、今日でも出来ない位巧な彫刻なんです。之は全く、美術丈は時代逆行ですね。ですから、文化が発達したという事は、要するに元気になつたという丈ですね。で、そういつた芸術的、道徳的には却つて逆行したんじやないかと思う位です。実にその時代の作者の感覚と、技術の秀れたのには驚いたです。特に法隆寺にある品物は、よくもこんな立派なものが集つていると思う位です。その何れも実に良いです。あれを美術館にでも並べたい位に思つてますが、然しあそこに行つてみると、ああいつた良いものは――矢張り法隆寺としての雰囲気ですね。非常に時代的の一つの色ですね。古い、寂びた姿ですね。そこにああいう古代芸術の立派なものを並べて置くという事が、実に相応(フサワ)しいです。ですから法隆寺なんかあの儘で火事が起らない様に気を付けて、大いに保存して貰いたいという様に思つたんです。それで、一番驚いたのは薬師寺の観音様ですね。あれが実に素晴しいものですね。形といい、姿、お顔、もう到底今の何んな名人が作つても、あの真似は出来ないです。あれが天平時代に出来たという事は、何う考えても想像がつかない位なものです。それから、その他にも驚嘆する様なものがありました。之は奈良に近い人許りだから行つて見れば判ります。そう精しく言う必要はないですから、この位にして置きます。

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それで将来京都にも美術館を造りますけれども、そういつた様な動かす事の出来ないものは仕方がないが、そうでないものも相当ありますから、そういうものを一堂に集めて、日本の仏教美術を外国の人にも紹介したいと思つている。それで、つまり美術館を造るという処は、それは美術館許りでなしに、地上天国を造る積りなんです。今日見た候補地としては、大体は良い様ですが、未だ値段も聞かない様ですから、懐具合にピツタリ合はなくちや、急に何うという事は出来ませんが、然し神様が凡て準備されたに違いないですから、工合良く行くと思つてます。で、それに就いて、こういう訳なんです。何時も言う通り、箱根の地上天国は五ですね。それで山なんです。それから熱海が六ですね。海です。つまり火と水になる。今度は七ですね。土がなくてはならない。それは平な土地なんですね。岩石なんかがない――そういう処の条件は、矢張り京都より他にないですね。そういう意味で、何時かも話した通り、京都に何れ造る。それは去年京都に初て来まして、フツトそういう――まあ、神様のお知らせがあつた訳です。丁度、今度で一年目になる訳ですね。まあ――そこに一歩前進した訳ですね。ですから京都は平な処で、そうして無論環境ですね。凡てが条件にあつていると思うんです。今日の処は、そういう――大体八十点位の条件が合つている様です。然し矢張り、色々の――広い所に行くと、農地があるとか或いは市の土地だとか、色んな何がありますから、之は神様が段々良い工合にされるだろうと思つてます。そこで、特に京都という処は、丁度世界でいうとフランスに当るんです。ですから兎に角、芸術の都(ミヤコ)ですね。そういう意味があるんで大体今迄もそういう風になつてますが、然し之から本当に京都を発展させ、態々外国から京都を目当に見物する位――という位に、要するに美術都市にしなければならないんです。で、京都が日本の美術の中心という事にならなければならない。処が、現在としては、美術の中心は東京になつてますが、之は本当ではないですね。将来京都になるんです。それに就いては、京都に釣合つた様な地上天国的のものを拵えなければならないと思う。それがメシヤ教の矢張り一つの使命になつているんですから、京都は美術都市であり、宗教都市ですね。そういう風になる訳ですね。そこで京都としても段々認識する様になるだろうと思います。今が第一歩として自然に進んで、思う様になつて行くに違いないと思つてます。今度の目的の話は簡単ですけれども、その位にして置きます。

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色々の話をしたいと思うんですが、大抵不断気の附いた事や思つた事は、喋つたり書いたりしてますから、どうも不断言わない様な事を話したいと思うんですが、そう沢山はない訳ですね。で、そうかといつて、不断聞いている様な話じや、折角遠く迄出て来て意味がないですから、成可く珍しい話をしたいと、こう思つてます。で、之からお話するのは、今迄余り言わなかつた事で、今度の講和ですね。一昨日から効力を発生したという事になつてをりますが、之は大変神秘なんです。みんな目出度い目出度いと言つて、国中喜んでますが、確かに之はそれに違いないけれども、然し誰も分らない様なもつと目出度い事があるんです。之は或いは、人類始つて以来の目出度い事かも知れませんね。というのは、大体今世界は――何時も言う通り、精神文化と物質文化と、離れ離れになつて、つまり経の棒と緯の棒が結ばつてないですね。処が、緯の棒は――之もお話した事がありますが、物質文化の中心であり、殆ど世界の物質文化の親玉みたいになつているのは米国なんです。今欧洲の文明国がありますけれども、到底今日は米国の素晴しい物質文化には敵わないです。処で東洋文化ですね。精神文化の東洋文化の方は何うかというと、之も何と言つても日本ですからね。日本こそ精神文化の中心であり、それからして日本は又美術――この中心でもあるんですね。そこで経と緯と結ばなければならない。その結ぶ最初の起点ですね。はずみが一昨日の講和記念日になるんです。で、神様の方ではそういう経綸になつているんです。つまり世界が伊都能売になるんですね。そこで、つまり十字に結ばる訳ですね。だから、講和を契機として、日本とアメリカは一層仲が良くなるんです。非常に密接になる。従つて文化も、日本の文化がアメリカに益々入つて行くんですね。それはアメリカでも、日本の特に古代文化なんか認めてますから、そこで日本の美術なんて、そういうものが未だ未だずつとアメリカに染込んで行くんです。それと共にアメリカの文化がもつともつと日本に入つて来るんです。それで非常に――夫婦の様に密接になるんです。そんな第一歩が講和記念日からなんです。それで始めて世界が伊都能売の働きになるんです。で、バツジですね。バッジがそれを現わしているんですよ。真中の赤が日の丸なんです。廻りの黄色がアメリカになるんですよ。つまりアメリカに日本が抱かれているんですよ。そうして十字に結ばつて、真中がそういう風になる訳ですね。だからして、その意味から言つて、この位目出度い事はない訳なんです。で、世界の文化というものは、そうなつてからが本当の文化が出来るんです。つまり偏らない本当の文化――それが出来る。まあ、凡て神様の御経綸で著々としてやられているんですから、そういう意味でメシヤ教も之から非常に世の中に表面的に出て来て、つまり発展する訳です。その結ぶ仕事というものが矢張りメシヤ教がやるんですから、今迄余りそういう大きな事を言うと、山師みたいに見られますから、成可くそれは言わない様にしてますが、実際に於てそういう様な時期になつて来たんです。そこで最初の結ばる意味から言うと、日本の東と西と、この真中が丁度中京になる訳ですがね。で、緯の方は、日本は細長い国ですから、そう著しくないですが、経の方は長いですから、東と西がはつきりと別れている。その中心が中京になる。それで一昨日中京の教会に寄り道して一席話したんですが、その意味の話をしたんです。それで霊界に於ける経綸を、私が説明した訳ですね。だからその積りで之から行(ヤ)られれば良い訳ですね。で、何事も時期ですからね。こんなに病気が治り、貧乏、争が解決出来る宗教が、もつとどんどん発展しなければならないと、誰でも思うんです。私始めそういう風に思つているんですが、それは矢張り時期ですから、段々ものが育つて行く様に一歩々々進んで行くんです。神様の方は、突如としてパツと成るという事はないんです。それは、大自然の真理にはずれますからね。どんな事でも、一歩々々育つて行くんです。その代り確実ですからね。時期さえ来れば、ちやんとその通りになる訳です。ですから今度の京都に来た意味なんかも、矢張り最初チラツとした位の事が、段々一歩々々具体化して来ると、こういう訳なんです。

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それから、昨日面白い事があつたんです。昨日法隆寺に行つた時に、夢殿というんですが、普通余り参詣人に見せないですね。今迄は一年に一回扉を開いて見せるという事になつているそうです。昨日は突如として、夢殿が開いていたという訳ですね。之は非常に不思議なんですね。矢張り神様の方に何か訳があるだろうと思つて夢殿に行つて見ますと、ちやんと外の扉が開いて、中のお厨子の扉も開いて、其処に観音様の御像があるんです。はつきりは判りませんが、少し暗いですからね。それと遠くですからね。形が、等身大の御観音様です。それに札が書いてある。「救世観世音」としてある。救世(グセ)観音様とも言いますが、之は昔から文献にない事はないんですが、唯私はそれに「メシヤ」と仮名をつけたんですね。之は私が初めてやつたんです。ですから、私の方から言えば、救世(メシヤ)観音ですね。文献にはありますが、そう言つた観音様の御姿と私は思うんです。見た事がないですからね。大体文献には大きいのは六観音ですね。六つの観音様。それから小さいと言いますかその中に観音が三十三体あります。救世(グセ)観世音というのはその中には一つもないんです。ですからそこに神秘がある訳ですね。それで私は観音様の処に向うと、観音様からスーツと霊気が入つて来る。実に何とも言えない良い気持です。そうして涙が流れそうになつて来た。まあ、長い間待つていたという訳ですね。それで、矢張りそういつた――神様の方にも時期があるんです。その時期が来る迄は何うする事も出来ない。それで、今迄法隆寺の夢殿に於て時を待たれていたんです。で、愈々時が来て、昨日私が行つた為に、之から大いにお働きになりたいんです。それで私に憑られたんです。ですから、実に時なんです。之から又観音様が大いにお働きになる筈なんです。そんな様な工合ですからして、一生懸命にやつて結構ですけれども、唯急(アセ)つて、時期の来ないのに色々の心配したりする事は必要ない訳ですね。時を待つという事が一番肝腎な事です。そうかといつて、ぼんやり時を待つていては――寝ていて果報を待て――式じや、之は駄目で、行る丈の事は行る。そうして唯急つたり無理をしないという事を心得ていれば良い訳ですね。そういう訳で、京都の方々のお寺にある色んな仏様ですね。結局はメシヤ教が現われるのを、みんな待たれたんです。それで今度私が来た事に就いても、色んな仏様は霊界で大変な喜びなんですよ。そういう訳ですから、その仏様達が、自分の宗旨の人を段々分らせるんですね。そういう時期が非常に近寄つて来ている。この間私は日比谷の公会堂の時の話に、釈迦、キリストは私の弟子に相応するという事を言つた訳ですが、随分大きな事なんで、知らない人は驚きます。信者の人は別に驚く人はないんですが、そうすると仏教の方で、法然、親鸞、伝教、日蓮、弘法――ああいう人達が、私の孫弟子になる訳ですね。だから愈々親父が出て来た。之は何んでも働いて、色々手柄をしなければならんという事になるんです。そういう事に就いても、之から段々京都に地上天国でも造る様になりますと、そういう仏様達が皆寄つて来て、大いに私の言う通りに働く様になりますからそうするとこつちの方も大発展をするという事ですね。だから非常に期待した時期が近寄つた訳です。

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そうしてもう一つのお話は、昨日もお寺を廻つて見ても、実にお寺が疲弊してますね。だからいずれは美術館が出来たら、仏教美術を主なるものにしたいと思つているんで、方々のお寺から――本尊様は仕方がないが、本尊様は馬鹿に大きいが、まあ出せる限りのものを一堂に集めて、そうして日本人はもとより、観光外客にも見せる様にして、入場料を取つて、収入を多くして、それをお寺に分配するという様な方法をとつたら非常に良いと思う。そうするとお寺の方でも、修繕とか――随分普請をしかけて手をつけないという処がある様ですから、お寺救済にもなると思います。メシヤ教は社会事業はしませんが――養老院だとか、そういう事はしませんが、今言つた様な事は一種の社会事業です。然し私の行る事は、人の行らない事をしたいと思う。他の人が出来る様な事は、する必要がないと思います。他の者が行れない様な事を行ろうと思つてますから、今言つたお寺救済と、それから日本の良いもの、良い古いものを、傷まない様に保存する仕事をしなければならんと、そう思つている。之は本当は政府が行るべきですが、政府が予算が足りない為に思う様にいかないので、その欠陥を補う訳です。大体――今度の旅行に就いての色々なお話はその位の事と思います。

(教九号  昭和二十七年五月十五日)