御 教 え 集 第十号

五月五日

【御  教  え】
此間奈良の方に行つて仏教美術を調べ、研究して大いに参考になつたんですがね。それを一寸書いてみたんで、今読ませます。

(御論文「⇒奈良美術行脚」)  【註  栄光一五六号】

此間京都、奈良に行つて見ましたが、法隆寺に夢殿という小さい――御堂という程のものじやないですが、お厨子の大きい様なものがあるんです。それは一年に一ぺんきりしか開けない事になつているが、丁度私が行つた時に何の理由か知らないが開くという事になつたのです。それで私は、ははあと思つたんです。で、開けてあるのを見たんですが、そうすると中に矢張り観音様が居られたんです。其観音様の御像から、とても何とも言えない霊気が、スーツと入つて来て、実に良い気持だつたんです。涙が出そうになつた。非常に待つて居たんですね。それは非常に深い意味があるんですがね。其時分つたことは、聖徳太子という方は、あれは千手観音の小さいんです。千手観音というよりか、千手観音がまだ充分の御働きが出来ない為に、小規模に色々な事をなされたんです。で、日本に仏教を弘めたのが奈良ですね。仏教の発祥地ですね。そこで急激に盛んになつて、法隆寺を始め東大寺――奈良の大仏ですね。大仏みたいな、ああいう素晴しいものが出来たんです。その位仏教が、あの時一時盛んになつたんです。で、聖徳太子は仏教を弘める内に、仏教芸術を弘めたんですね。ですから聖徳太子はああいつた色々な芸術――仏教的芸術を生んだ事ですし、それが仏教を弘める一つの手段として、そうされたんですね。法隆寺を中心として、あそこに七堂伽藍を作られた訳なんです。そうかといつて、宗教許りでなく、何しろあの当時に十七カ条の御誓文を作られたんですから、日本に於る憲法の始めですね。そうすると、政治家と言つても良いですね。政治的能力のある方と、こう言つても良いんですから、単に仏教家、宗教人でもなかつたんですね。もつと深い広い、思想的の人だつたですね。とすると非常に面白いと思うんです。奈良の夢殿の観音様が、そこに御名前が救世観世音としてあるんですね。之は文献にあるにはあるんです。親鸞上人の書いたのに救世(グセ)観世音とあるんです。それを其時分に救世(グセ)観世音というそれを、私は「メシヤ」と仮名をふつた訳ですね。之は私が初てやつた訳なんです。そこで私の方から言うと「救世(メシヤ)観音」です。救世(メシヤ)観音が千二百年前に其御厨子の中に入られて、時を待つて居られたんですね。聖徳太子様は色々仕事をされるのに、夢殿のある処の部屋で仕事をし――起居されていたんですね。それで其位置に夢殿を作られたんです。ですから夢殿というのは聖徳太子に最も因縁の深い処ですね。その救世(メシヤ)観音の像に宿られて時を待たれた。で、此間行つて開扉して、私が行つて、其処から出られたんです。出られて、今度は本当に御働きになる。で、私は今千手観音の働きをしている訳ですね。だから何にでも手を出す。何でも出来る訳ですね。聖徳太子の御働きを大きくした、つまり世界的にしたんですね。それが今私がやつている仕事です。ですから聖徳太子は、矢張り観音様が日本に経綸をされる為に、聖徳太子に生まれられたと言つても良いし、聖徳太子を使われたと言つても良いですね。ですから結局観音様が聖徳太子になられて、で今度は聖徳太子が私に生れて来て、そうしてあの時代の――それは日本丈ですからね。日本に対する仏教を弘めた。その手段として芸術ですね。それを作られたという事を、今度大きく世界的にして、つまり仏教じやない――凡ゆる宗教ですね。凡ゆる――世界的宗教、世界的救いですね。それをやる。と、そういう様に解釈すると大体解ると思うんです。ですから私が美術館を造つたり色々する事は、聖徳太子の世界的行(ヤ)り方と、こう見れば良く解ると思いますね。そんな訳で私は以前から、自分は聖徳太子に或る点は非常に似た処があると思つていたんですがね。今度行つて其因縁がはつきり分つた訳ですね。私が、自分ではつきり言うと、非常に頭が良いんです。聖徳太子の話に、八人の人の話を聞別けたという事が有名で、伝説にありますが、あれはおまけも大分あるでしようが、兎に角頭の良かつたという事は確かです。で、あの時分の色んな仏教芸術の、聖徳太子の独創的な物も随分ある様ですからね。私はラジオを聞乍ら何か読むとか見るとかし乍ら、それから人の話を聞く。三人四人位な事は行りますがね。けれども、そうすると頭を余計使いますから骨が折れます。それで、俺は聖徳太子に似ているなと思う事がありました。そんな様な工合で、余程――今度行つても面白かつたですね。ですから千手観音の働きをするんです。仮りに美術品なんかも、道具屋が驚いている。どんな人でも一色か二色、茶器の好きなものはお茶に関するもの、絵が好きな人は絵。絵でも浮世絵の好きな人もあるし、水墨的なものが好きな人もあるし、光琳の好きな人もあるし。大和絵、錦絵とか色々あります。私は全部好きでやつてます。支那陶器でも仏像の方でも、だから恐らく私位間口の広い人はないそうです。ですから美術館なんかといつても、大抵全般的に亘つてという美術館はないです。外国にもないでしよう。イギリス、アメリカあたりの美術館、博物館の図録を見ても――尤も日本のものなんかは手に入れられないから仕方がないが――どうも局部的ですね。今度の美術館は全般的ですからね。ですから其点に於ては世界一と言つても良いですね。それも或る一部のものも、唯全般的につまみ食い的ではなくて、一種類々々々深く集めた訳ですから、仮りに日本の蒔絵なら蒔絵。蒔絵の極く最高のもの。一寸見られない様な、そういう様なものを集めるとか、或いは支那のものにしても、仏像の様なものにしても、其種類の内で一番高い――最高のもの、一級品を集めてありますから、兎に角そういう方面に目のある人は驚くだろうと思いますね。それを行(ヤ)り始めると、私は直きに分つちやうんですよ。だから殆ど買損いがない位ですね。それから贋物と本物が直き分りますからね。沢山――何百とありますが、贋物は一つもない。面白いのは、贋物は幾ら上手く出来ていても、私がこう見ると、霊気で分る。良い物は――本当のものは、何とも言えない良い霊気が入つて来る。贋物ですと、その贋物を作つた人の魂がそこに入つてますから、上手く瞞まして本物に見せて、金を儲け様という邪念がフツと来てますから、実に良く分る。で、買損いがない訳ですね。だからよく――うんと月謝を払わなければ、判る様にはならないという事をよく言われてますが、私は殆ど買損つたものはないんですね。だからロハで――月謝なしで習つた訳ですね。そんな様な訳で美術館が出来ると可成り世の中の人は驚くだろうと思つてます。最初、開館式は六月十五日の積りです。六月十五日、六日――日光殿も広くなつたし、信者さんも愈々増えてますし、美術館が出来た以上は一刻も早く見たいですから、どうしても多勢来られる事になりますから、十五日から五日間という様な事にしますがね。そうして信者さんを何より先に見せて、それから七月の月初めに、関係がある人に見せるべく――数十人――それを招待して見せ様と思う。私が最近東洋美術協会というのを作つて――私が作つたのではないが、私が相談相手になつて作つたんですが、之が丁度五十何人か会員が居る。之は著名な人許りです。会長は武者小路実篤ですね。作家のね。あの人が会長です。この人を会長にしたが、他の人はやつぱり色んな事情で会長になれない。最初は小林一三さんを会長にと思つたが、色んな事情で勘弁して呉れという。それから細川護立さんね。それも駄目なので、それで武者小路さんに決つたんです。まあそういつた方面の人から、色んな著名な人許りですね。で、そういう人達も七月の月初に見せる。それから新聞社、放送局だとか、そういう色んな方面の人を招んで、それから一般の人を見せる。そういう順序に決つた訳です。何しろ神様がやつているんですから、美術館に飾る様なものは不思議に入つて来るんですよ。だから、どうして之を手に入れただろうという様なものが随分ありますから、其点でも、見る人は随分驚くだろうと思います。

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美術館に関した事はその位で、それから之は、今度新宗連ですね。新宗連で新聞を発行するというので、私に記事を書いて呉れというので、それを書いてみたんですが、今読ませますが、之は今の――現在の宗教人そういう人に読ませる意味で書いたんです。その積りで――。

(御論文「今後吾等は如何にすべきや」)

結核問題に就いて、大体出来て、之から印刷に掛ろうと思つたんですが、随分念を入れて書きましたから、之を読んで解らない者はないだろうと思います。それに就いて、今度御蔭話の一つですが、現代医学の間違つている点が非常に良く現われているので、それを今一寸読ませます。

(「⇒恐るべき医学迷信」)  【註  栄光一五七号】

つまり、それで思う事は、こうして自分がやつた病人が之程に治つた事を知り乍ら、それつきりになつちやうんです。唯不思議だとね。こんなに治るものなら、大いに研究しなければという心が起らなければならない。それを、ハイドラジツトなんてやつて大騒ぎをやる。それで、完全に――もつと治るもつとはつきりしているのを医者が何とも言わないし、それにこういう記事を一年位前から厚生省に送つているんですが、こういう記事を読んでいる筈ですが、それで知らん顔しているんですから、こういう人の頭脳ですね。何と言つて良いか、到底表現しようがないんです。私は此点に於ては野蛮人より低いと思う。之を野蛮人が見れば、之は大変だと大騒ぎをしますね。それを頑として頭を変えないですよ。之は非常に強い迷信ですね。この迷信は宗教に負けない。宗教以上と思う。医者が始終御蔭話を見れば解りますが、始終各地で医者は驚いているんです。それで何とも言つて来る人はないし、それを厚生省の連中が見ていて、それで何とも言つて来ないんですから、それは実に不思議ですよ。けれどもいずれは頭を下げます。唯遅れれば遅れる丈犠牲になつて命をなくす人が沢山ありますから、それが如何にも可哀相だと思つてね。

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五月六日

【御  教  え】
此間奈良から京都方面の仏教美術ですね。大変良いけれども、まあお寺巡回ですね。まあ大いに得る処があつたんです。それをざつと書いてみたんですが、今読ませます。

(御論文「⇒奈良美術行脚」)  【註  栄光一五六号】

之はざつと見た儘を書いたんですが、ここに面白い話があるのは、此間京都でも一寸話しましたけれども、法隆寺に夢殿という小いさい祠がありますが、あそこは一年に一回位しか見せないんです。処が先月の二十九日に私が行つた時に珍しく開くというんですよ。こんな事はないんですね。之は何か神秘な事があるに違いないと思つて、それから其処に行つて、扉が開いているんです。それで内を見ると、薄つ暗になつて、はつきりは分らないが、等身大の観音様があるんです。それを見ますと、其の観音様から何んとも言えない霊気がスツと入つて来たんです。之は可笑しいなと思つたが、そうするとなんだか嬉しい様な気持になつて、涙が出そうになつた。それで暫く私も恍惚として居た。見ると、名前が救世観世音としてあるんです。之は本当から言うと救世(グセ)観世音と言つて、之はあるにはあるんです。親鸞の書いたものなんかに救世(グセ)観世音なんかある。それを私が救世(メシヤ)観音という名前をつけたんですね。之は私が初て附けたんですが、処がそういつた仏像に出る観音というのはないですね。今迄有名なそういうものを見た事がないですからね。処が夢殿というのは聖徳太子が始終其処を居間にしていたんですね。そこで色んな事をやつたんです。で、お亡くなりになつてから、其処を夢殿と称して救世(グセ)観音を祀つて、締切りにしていた訳ですね。ここに神秘があるんです。というのは、元来聖徳太子という方は矢張り観音様の化身なんです。兎に角日本に仏教が亘つて来たのは、欽明天皇の時ですが、一寸聖徳太子の天平から見て二百年位前ですね。それを聖徳太子が奈良を地点として仏教を弘めたんです。一時大変な盛んになつた訳ですね。それが為に奈良にお寺が沢山出来た訳で、初め聖徳太子が七堂伽藍――あれを法隆寺のある処に作られた訳なんです。まあ極楽浄土の形ですね。丁度私がやつている地上天国の模型と同じ事なんです。まあ仏教的に言えば七堂伽藍なんです。とか、祇園精舎ですね。私は仏教的でなく世界的、現代的に地上天国としているんですが――そんな訳で非常に仏教が盛んになつて、結局東大寺が出来て――奈良の大仏ですよ。つまり奈良の大仏なんて言うのは、今日でも作るのは難かしいかも知れないですね。それをあの当時、そんな様な冶金や何かの技術がない時に、兎も角あんな大したものを作つたんですから、本当に信仰の熱ですね。あの大仏を作つた記録なんかを見ると、実に涙ぐましい事が沢山ありますね。金なんかが足りなくて、色んなものを――鍋釜を鋳したりして、金を――金というが材料ですね。大仏様の銅を集めたりなんかした訳ですね。というのは如何に仏教信仰が燃えていたかが分るんです。そんな訳で奈良が日本仏教の発祥地ですね。発祥地にされたのは聖徳太子なんですからね。然も聖徳太子はああいつた仏教美術を作つた許りでなく、その他の事も色々やられたんですね。有名な十七条の――あの当時の憲法ですね。だから、つまり憲法の元祖ですね。尤も其時分には十七条で済んだんですから実に簡単なものなんで、今に較べれば何十分の一かも知れない。今のは、第何百何十条なんていつて、毎年議会で増やしつつあるんですから、其当時と較べてみると、如何に箇条書き的の量が増えているかが分る。そうすれば、法律が増えれば犯罪者が減るとすれば、其当時より今の方が犯罪者が減りそうなものだが、法律の少い時の方が犯罪が少くて法律が多くなつた時の方が増えている。尤も、犯罪者が増えるから法律が増えるのかも知れないが、それは吾々から言えば肝腎な事を疎かにしているので、幾らやつてもしようがない。そんな訳で、聖徳太子という方は凡ゆる方面に精通していたんですね。だから聖徳太子は、他の仏教の開祖なんかと違つて、あんまり神秘感はない人ですね。だから仏教文化を作られたんですね。というのは、この方は千手観音の小さいのと思えば良いですね。凡ゆる事に精通している。それで救世(メシヤ)観音様が私に憑つたんですよ。憑つて、之から大いにメシヤ教の為に働かれるんです。それが今迄――千二百年という間夢殿に時を待たれて居たんですね。神様の方でも勝手には出来ないので、時期時期があつて、時期が来れば御働きが出来るんです。そんな訳で愈々時期が来たんです。ですから、つまり私は矢張り聖徳太子と非常に深い因縁があるんです。だから、今私がやつている事は聖徳太子のやられた事を世界的に広げたと、こう思つてみるんですね。私は今千手観音の働きをしているんです。だから何でも分るし、何でも手を出すし、何でもやるんですね。之はつまり千手観音を御神体にしてますが――何時か家で御神体にしていた大きいあれがそれを描いたものなんですがね。そんな訳で現在聖徳太子の其仕事を、世界的に私がやられると、こう思えば分る訳ですね。それで夢殿という名前も面白いと思いますね。つまり私がやつている事も夢の実現ですからね。よく、思想とかなんか大きな希望ですね。そういう事を、夢という事をよく言いますがね。実際其時の聖徳太子様の夢ですね。夢殿なんて名前はあんまりないですからね。面白いと思いますね。で、今度行つて救世(メシヤ)観音の――救世(グセ)観音を「メシヤ」と私が名を附けたという事も、其観音様とよく合つている訳ですがね。ですから今度あつちに行つたのは、仏教芸術を色々調べる意味と、それから今の夢殿ですね。それが大変な御経綸の一つだつたですね。それから、京都にいずれ地上天国を造るという、そういう様な敷地があるというので見ましたがね。中々、条件は大体合つているんですね。いずれ其辺の地点に出来るだろうと思つてますがね。之は時期が来ると神様がちやんとやられるんだから、そう色々考える必要はないと思うんです。で京都は去年から三度目ですが、大体分つて来ましたけれども、どうしても将来日本の美術の中心ですね。そういう処になるべく、今迄――千年も前から準備されたという事はよく分るんです。それは神様の方は何万年何十万年前に準備されていたので、人間としての準備は千年位前から準備されたという事は分りますが、実に今更言う必要はない位ですが、地形ですね。色々山の形だとか、水の流れ方、それで一種の霊気ですね。霊気と言いますかね。空気と霊気と両方の様相ですね。実に良いですね。兎に角なんとなく気が落着いて、上品と言いますかね。いやらしい感じがないですね。ですから将来の、矢張り地上天国としての様相がよく備わつているんですね。山の形といい、木の色から木の種類から、配置の具合、凡て関東やそういう他の土地とは違います。だから、将来一大地上天国が造られるという事は分るんですね。そんな様な訳で京都、それから奈良も今にもつと良くなりましようけれども、然し奈良は大した事はないです。唯古代仏教の遺蹟という程度で、奥床しい一種の寂びた地上天国的の様になる訳ですね。いずれは京都の次に奈良にも地上天国を造るかも分りませんがね。奈良にはお寺は沢山あるが、元から定つた様な宗旨というのがないですね。それは寺に依つて便宜上属した寺はありますがね。真宗とか、天台宗とかに属したのはありますが、中途からですね。最初はそれがなかつたですね。仏教でも、原始仏教と言いますが、奈良のが、あれは原始仏教なんです。仏教は最初原始仏教それから山岳仏教ですね――山を中心とする仏教。それから世俗仏教ですね。つまり町に出た仏教ですね。そういう順序になつて来たんですね。その内の原始仏教が奈良です。そこでお寺の在り方に良い処があるんです。偏らないでね。で、結局中心は何処でも、みんな観音になつています。観音と薬師如来。薬師如来は観音様ですからね。矢張り日本仏教の根本ですね。根本も観音様という訳ですね。で、まあ――さつきも読みましたけれども、あの時代の特に薬師寺の本尊ですね。その時代に銅で出来た等身大より一寸大きい位ですが、あの作品は実に大したものです。光背は後で出来たものですが、火事で焼けたので光背なんか焼けたものと見えますね。それで仏体丈は殆ど完全にしてますが、少し腕の処が取れた処があります。之は其時に何か大きな材木でも倒れたものかも知れないですね。そうして面白いのは、裾の方なんかに色々、毛彫ですが、彫刻が沢山あるんです。大抵龍に取巻かれてね。その中に裸の土人が何かやつている――インディアンですね。そういう点なんかが中々変つた点があるんですね。それで一番良い処は、お顔から手足ですね。それから身体全体ですね。実に均整が取れているんです。一点の非の打所がないんですね。他にも随分良い彫刻がありますが、どうも――背が低かつたり高かつたり、手が長かつたり短かかつたり――百済観音も良いですが、一寸それが欠点です。薬師寺の本尊様は実に非の打所がないです。あれは芸術的に見て頭が下りますね。それからもう一つは法華寺の本尊ですが、之は木彫です。そう大きくはないが、その細かい巧緻な点は恐らく一番だろうと思いますね。それから宇治の平等院の宝物ですね。その中の大きな阿彌陀さんですが、之は藤原時代の非常に柔かい感じが実によく出ている。之は私は――御堂も丁度、そう大きくない御堂で、其仏体丈が入る丈の御堂ですが、前なんか――天井なんか赤い絵が一杯画いてある。それが構わなかつたので破損して、絵なんか判らない位です。あれは、なんでも先方では離す様な意向がある様に聞きましたが、離す様だつたらあれを買つて、そつくり京都に移そうかと思つてますがね。之は素晴しいものですね。それで兎に角一番数が沢山あつて良いものは、法隆寺が断然群を抜いてます。法隆寺にあるものは片つ端から凄いもの許りです。法隆寺に中宮と言いますが一軒別になつてますが、其処の――何か観音様が、直ぐ側に行つて見られますが、あれは実に良いものです。そんな様な訳で、私は以前見た時はそういう様な事が分らなかつたから夢中でしたが、今度はそういう事が分つてみると、今更乍ら驚いたんですね。丁度、行つた時に奈良博物館で白鳳、天平特別展覧会というのをやつていたので、其処に行つて見ました。色んなものが出てましたが、其処に大きな三尊の彌陀ですね。何処かの寺から持つて来たんでしようが、之はとても大きなものですね。等身大よりか大きい位ですね――真中はね。両側は等身大ですがね。それはとても吾々の手にあいませんよ。一つお釈迦さんが之は小さい――この位ですが、金銅仏で良いものです。大きな――タライの替りでしようが、大きなお皿みたいなものに乗つている。其二つは到底及ばないですが、あとの品物は私の方が上です。今度仏も沢山ありましたが、其内の一番良いのが私の処で持つているよりか落ちます。それからお経も沢山あります。沢山ありますが、お経も殆ど天平時代のもの許りで、それも私の方が種類が余計ある丈上ですね。私の処は天平も、支那の唐時代も、山岳仏教時代のも、そういう種類のお経がありますからね。光明皇后のお書きになつた長い経文もあります。それから仏器ですね。仏の道具ですね。そういうものも私の方が種類が多いですから負けない積りです。それに不思議にあつちには仏画というものがない。絵がないですね。之は度々あつちの寺は焼けてますから、ああいうのは焼けたのが多いのと、もう一つは不断巻いてあるから、あの寺には何があるという事があんまり知れないから、財政上から売つたのも随分あるだろうね。絵の方は民間の方がずつと多いです。民間には良いのが沢山ありますね。そんな訳で今度は仏教美術に対して、私が研究したそういつた成果を今話したんです。その話はその位にして置きましよう。

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之は、何時も結核問題は始終話しているから、特にお話する必要もないんだが、今度来た御蔭話の中で、非常にはつきりした御蔭で、そうして極く解り易い――未信者にも解り易い様な、そういつた経路ですから、それに説明を書いたんですが、それ丈読んであと一寸話します。

(「⇒恐るべき医学迷信」)  【註  栄光一五七号】

こういうのをお医者さんが見て、そうして唯首をひねつて驚いている丈で、それでお終いなんです。それが分らないんです。之は大変なものだ。こういうものがあるとしたら、大いに研究しなければならないと思うのが当り前ですが、そう思わないのが実に不思議なんです。之がアメリカとか、ドイツとかで、斯ういう療法とか斯ういう薬とか言うと、それこそ吃驚して大いに研究するんです。日本人で、然も宗教家から出たのならば、どんな事でも駄目だ。駄目だでもないが、気に入らないんです。之は面白いんです。この心理状態ですね。一口に言えば迷信ですよ。恐るべき迷信ですよ。処が彼等の方は我々の方を迷信だと思つたりするんですが、実に可笑しいですね。処がこういう事は今迄ないんですからね。唯ポーツとしちやつて判断力が出ないんですね。だからいずれはどうにもしようがなく頭を下げる事になりますが、それ迄の間未だ命のある者を、なくされる人が沢山出来るに違いないから、それが如何にも可哀相ですよ。然し、そういう人は矢張り罪が多いんだから、之も仕方がないんです。我々の方の色んな事を奇蹟々々と言いますが、本当は奇蹟じやないんです。それは、医学で治れば奇蹟ですが、医学では治る筈がない。我々の方で治るのは奇蹟じやないんですね。つまり今迄斯ういうのはなかつたから、それで珍しいので奇蹟と思つている。丁度今迄ガラス玉を首に掛けて、立派なものと思つていたのが、今度は本当のダイヤモンドが出たんですね。そうすると、今迄のガラス玉より余程光る。之は奇蹟だというのと同じですね。この中で、気胸療法で空洞が萎びた。小さくなつたというのがありますが、あれは何んでもない話で、丁度手を片つ方使わずに置くと萎びますからね。こんな肉の張つたものが、段々萎びていきますからね。あれと同じ理窟です。気胸で空気を入れて、肺の活動を止めちやう。それで肺胞も活動しないから段々萎びていくんです。だから空洞も萎びるんです。之を、当り前にしていくと、肺も大きくなるから、空洞も大きくなる。つまらない話なんですよ。それを大したものと思つているんだから、本当に可哀相というか、言い様がないですね。それから之にもある様に、外科の意見と内科の意見と違つたり、それから外科のお医者さんが請負えない。何しろ外を歩いて居ても突発事故で轢かれる事もある。こうなつては、一種の詭弁ですよね。人の命を預かり乍ら、こんな事を言うなんてね。それは、病人も信ずるという事も可笑しいんですが、本当の事が解つて医学の事を見ると、何と言つて良いか、余りにひど過ぎるんですね。尤もそれだからメシヤ教の値打があるんだが、それで仕方がないんだがね。時間が大分来たから寸鉄を――。

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五月七日

【御  教  え】
此間奈良、京都の方に旅行したそれを今簡単に書いてみたんですが、今読ませます。

(御論文「⇒奈良美術行脚」)  【註  栄光一五六号】

今度、丁度奈良の博物館で白鳳、天平展覧会というのが開催されていたんです。三尊の彌陀――之は大きいんですね。等身大位です。それと金銅仏で誕生の釈迦ですね。それがありましたが、どちらも素晴しいものですが、片つ方は大き過ぎるので、到底東京とかこつちの方に移動する事は出来ないものです。其他、金銅仏が十数点と、経文とか仏器とか、そういうものも相当ありますが、今の二点を除いた外は私の美術館の方が上です。で、私も大いに気を良くした訳です。数は成程博物館の方がありましたが、博物館にあるよりかもつと良いのが私の方にあります。それから経文なんかも博物館のは殆ど天平時代のもの許りですが、私の方のは支那の唐時代のもありますし、それから色々な種類がありますからね。それから仏器なんかも私の方が種類が多くありますから負けない積りです。その仏教美術の方も私の方は一部なんですからね。一部で奈良博物館より大体上なんですからね。引け目をとらないと思つてますね。そんな訳で、今度見た色々な仏教なんか、千二、三百年前にそういうものが出来て、今日はその足元にも追いつかないのは実に不思議と思いますね。色々なものが進歩しているにも拘らず、そういうものは進歩どころか反つて退歩している位です。それは何ういう訳かと言いますと、之は一寸一般の人は気がつかないんですが、やつぱり理由があるんです。何故というと、其時代の人は頭が非常に良いんです。今の人は――美術家は勿論の事ですが、頭がずつと悪くなつているんです。何故というと、唯そこに、単に頭が良いとか悪いとか言う事は、其時代の人の中身ですね。中身が良かつた。今の人は中身が段々悪くなつて来て、上つ側になつて来た。つまり表面が、頭が良くなつて来たんですね――今の人はね。それで中身が微弱になつて来た。そこの異いさですね。私なんかもどつちかというと中身の方です。そこで今の人の頭の悪さ加減が、実に驚いているんです。実に頭が悪いんです。何よりもメシヤ教が之程病気が治つても、解らないんだからね。それをお医者さんなんか、よく見たり聞いたりして、唯首をひねる丈で、それをさて研究しようとか言う考えは起らないんですね。まあ、何かの工合だろうと、唯気休めみたいに理窟をつけて、それでお終いになつているんですからね。そういう工合に悪くなつているんです。それから栄光新聞は厚生省に一年も前から送つています。皆見ているに違いないですが一人も何にも言つて来る人はないんです。ですから、それすら実に頭が悪いですね。そういう事許りでなく、あらゆる方面ですね。政治でも経済でも実に頭が悪いですね。だから政府の、何か偉い――大臣や知識階級の人が色々頭を集めて年中相談許りしています。それでいて実にまずいですね――頭がね。今度の共産党の暴れた問題なんかも、あれは何んですね。片つ端から怪しい奴は逮捕するんですが、逮捕した処でそれを警視庁なら警視庁に運ぶ事を忘れちやつたんです。ですから、輸送の方が出来ない為に、ふん掴まえた者に警官が附いて居なければならない。そこで、もつと掴まえる事が出来たのを、附いて居ては、あと掴まえる事が出来ないから、そこで能率が上らなかつた。だから掴まえる事は、余程考えて準備したに違いないが、それを輸送する事を忘れちやつた。一事が万事で、何でもそうなつてます――頭が悪いのはね。じや、日本人許りかというと、西洋の人が頭が悪い。特にアメリカ人の頭が悪いのは恐ろしいです。中共と停戦問題に就いて交渉やつてますが、あれでアメリカ人は愈々講和が成立するという事を、よく偉い人が去年あたりから言つてますが、何時迄待つても駄目だ。今度愈々駄目だという事になつた。リッジウェイなんかも、此間の話では愈々出来るという事を言つてますが、駄目なんです。最初から駄目なんです。引延ばしなんですからね。私は先から言つてますがね。唯時を稼いでいる丈なんですからね。それを幾らか信じていたんですね。だからものの見通しが出来ないですね。上つ側の智慧だからね。そういう様に上つ側は非常に良くなつてますから、小利巧に今の人は言つてますがね。実に上つ面の、見え透いた事を、政治家なんか言つてますが、少し深い処や見通しなんかは全然ないですね。之は医学と同じで、対症療法と同じです。事が起つてから周章てるとね。だから共産党の大物ですね、今八人ですが今以つて潜つて判らないですね。まあ此点は共産党の方が頭が良いかも知れないが――。だから芸術方面もそういう風になつていますね。だから今の美術が良い物が出来ないのは、頭が悪いのと経済的関係ですね。それで良い物が出来ない。それから、今の人は何うして頭が悪いかというと薬の為です。薬毒が頭に上つてますからね。それは白鳳や天平時代よりか今の人は余計薬が入つてます。然もあの時分は草根木皮でしたが、今はもつと強い薬が入つてますからね。それで今の人はあの時分より頭を余計使いますからね。使うといつても、良い事に使うのではない。心配です。心配というと、まあ税金でしようね。税金の為に何の位頭を使つているか分らない。頭を使うから頭に毒血が上つていきます。何の位悪くなつているか分らない。近来赤痢が流行るのは、薬毒と税金なんです。赤痢は頭の毒血ですからね、赤痢の流行に税金が原因だと言つても、今の人間には到底解りつこないですよ。そんな様な訳ですから、内容に目が届き、頭が働けば根本が分るんです。それから今度奈良で、非常に意味があつたのは、法隆寺に夢殿という小さい祠がありますがね。祠というか、まあ美術品が少し許り入つて、そうして中に観音様の像があるんです。其処の扉は一年に何日か開く事になつている。丁度其時開いていて、其処に行つて見ますと、やつぱり等身大の観音様の仏像で、そこに救世観世音という札が出ているんです。之は仏教の方では救世(グセ)観世音というんですがね。之は文献には少しありますがね。唯それに「メシヤ」という様に名を附けたのは、私が附けたんですがね。救世観音と書いて救世(メシヤ)観音ですね。処がジツと見てますと、何とも言えない霊気がスーツと私の方に入つて来て、とても良い気持になつて来て、何んだか嬉しくて涙がこぼれそうになつて来た。それは、観音様の霊が私に入つて来たんですよ。それは非常に意味があるんです。というのは、聖徳太子はつまり千手観音様が憑られたんです。ですから千手観音の御働きですがね。あの時には大体時代が時代ですから小さい御働きだつたですね。まあ、千手観音じやなくて百手観音様かも知れませんがね。そこで仏教を観音様が、つまり日本に本当に御自分が出る迄の間、仏教を日本に弘めて、それで救わなければならないと、そうして聖徳太子を働かせて、兎に角仏教を始められたんですね。ですから奈良は仏教発祥の地です。そこで奈良という処は、何宗何宗という何はないんです。仏教には真宗とか色々ありますが、それは後から寺をそういう風にしたもので、本当から言うと奈良には開祖なんて言うのはないんです。だからあれは原始仏教ですね。本当の原始仏教ですよ。其後に至つては法然とか、空海、伝教、親鸞――そういう人達が出て開祖になつて今の色々な宗門を作つたんですがね。それから山岳仏教ですね。高野山とか、比叡山ですね。其時になつて民間仏教ですね。つまり在界の仏教ですね。ですから奈良は純然たる原始仏教であつて、その発祥の地ですね。で、仏教を始められたのは聖徳太子ですからね。聖徳太子は千手観音様の働きをされた訳ですね。で、其後千二、三百年という間は法隆寺の夢殿に居られたんですね。聖徳太子という方は、仏教を始めるに就いては矢張り芸術に依つて弘めたんです。そこで、つまりあの地を卜して七堂伽藍を造られたんです。だから色々な事に精通されていたんですね。で、ひとり芸術許りでなく、十七条の憲法なんか作つたんですね。憲法といつても、日本に於ける憲法の最初は聖徳太子という事になりますね。ですから政治的知識も非常にあられたんですね。ですけれども、兎に角仏教を美術に依つて開こうという事になつた。其為にあの時代の仏教美術というものは非常に盛んになつて、まあ奈良の大仏なんて、ああいつた驚くべき――あの時代にあの位の立派なものを作るという事は殆ど人間業以上ですね。丁度私はそれを世界的にした様なものです。で、私は芸術に依つてメシヤ教を開くという事は、丁度聖徳太子がやられた事を、もつと大きくして――世界的にしてやるのと同じですね。それで私が今やつている事は、つまり千手観音の働きになる訳なんです。ですから私が一番最初に始めた時の観音会ですね。観音会を作るに当つて――それが昭和九年の十月でしたね。観音会を作つたんですが、其時に千手観音を画いたんです。之から千手観音の働きという訳ですね。私は其時には気がつかないで、画きたいから画いたんですが、今日になつてみると、そういう必要があつてやらされたんですね。ですから現在私が色んな事に手を出して、何でもやりますが、千手観音の働きですから色んな事をやる訳ですね。で、千本の手に色んなものを握りますがね。握るといつて、懐に入れちやう訳じやないんです。凡ゆるものを救われるんですね。救うという事は、それを自由にしなければ救えないから、つまり言う事を聞かなければね。それで、握れば自由自在になりますから、それで思う様に救える訳ですね。そういう事は大体知つてましたが、今度夢殿に行つて、そうして尚はつきり分つたんです。つまり聖徳太子がやられる事がね。私に憑つた訳ですね。だから矢張りメシヤ教の為に大いに働かれる事になつたんです。ですからもう夢殿には霊が居られなくなつたんですね。だから、今に開けつ放しになるかも知れませんがね。で、そういう神様の事というのはちやんと、年限でも時でも凡て決つているんですからね。そんなら早くそうしたら良いだろうというが、そうはいかない。やつぱり時期々々に依つてそうなつている。矢張り「神は順序なり」でね。花が咲いて実がなるのと同じでね。幾ら神様がみんなに綺麗なものを見せたいといつて、正月に桜が咲く事はないんですからね。そういつた、時と順序それは厳然として動かす事は出来ない。それで夢殿は聖徳太子が始終仕事をなさるのに、丁度夢殿がある処で仕事をなさつたんです。それを紀念としてあそこに夢殿を作つたんですからね。つまり奈良の中心は法隆寺で、法隆寺の中心は夢殿というんですから、仏教の中心は日本に於ては夢殿ですね。あれが中心といつても良いですね。今度、其他に京都にいずれ地上天国を造らなければならない。そういう適当な敷地があるというので、それを見て呉れというから、それを見たんですが、之は大体条件は先ず良いですね。時期が来たら手に入るだろうと思つてます。で、そんな訳で美術館なんかにしても、仏教美術――そういうものに就いて大いに知識を得た訳ですね。大体仏像やそういうものに就いては粗方(アラカタ)分つたですから、いずれはそういつた様な美術館も京都に造りたいと思つてます。旅行の話はその位にして――。

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今度新宗教新聞というのが出来て、それに何か原稿を書いて呉れというので書いた処が、間に合わないので、一号には出なかつたが二号に出るでしよう。メシヤ教の記事も出てましたね。良く書いてありました。其原稿を――之は現在の宗教家に言う事なんで、参考になりますからね。

(御論文「今後吾等は如何にすべきや」)

之は良く知つている事ですが、非常にはつきりしている結核問題ですが、はつきりしている御蔭話です。説明をつけて書いたんです。

(「⇒恐るべき医学迷信」)【註  栄光一五七号】

こんな様な訳で、肺を取巻いている膜と膜の間に空気を入れて、肺を圧迫するんですね。だから肺が、こう(伸縮自由)なつていたのが、少ししかならなくなる。つまり肺の絶対安静ですね。それで段々萎びていくんです。あれは人間でも、手など使わずに置くと段々萎びて来ます。あれと同じです。萎びて来るから空洞が小さくなる。あれで良い様に思つているが、あれを普通にすると又空洞も大きくなる。つまらない事なんですよ。だから気胸というのは、一時的に症状が減るんですね。それで治ると、斯ういう風に間違えちやつたんです。もう一つは、外科のお医者さんと内科のお医者さんが意見が違うんですが、外科のお医者さんは、町を歩いていても自動車事故がある。だから請負えないという事に至つては、何と言つて良いか言い方がないですね。余りに馬鹿々々しいです。だから、医学なんて言うのは、当り外れなんです。だから請負えないんですね。医学の色んな――よくラジオなんかの質問に対する解答が、決してはつきり言わない。「治る筈です」とか「治る訳です」とか「治ると思います」とか「治る事になつている」とか曖昧極るんです。あんな馬鹿々々しい事に命を任せるんですから、実に危ぶない世の中なんです。之程危険な時代はないでしよう。何時も言つてますが、そんな様な工合でありますけれども、段々浄化が強くなりますから、いずれは二進も三進も行かなくなつて、それからこつちの言う事が本当に解つて来るんですから、もう一息ですよ。

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五月十五日

【御  教  え】
明々後日箱根に移る事になつてます。何時もは六月一日ですけれども、早くして十八日という事にしたんです。何しろ来月の十五日に美術館の開館式をやろうと思つてますから、まあ之から一カ月間大車輪で色んな飾附けや、準備をやつて了おうと思つてます。おまけに初めてやる事なので、まあ少しは骨も折れる事だろうと思つてますが、然し嫌な事で骨を折るんでなくて、楽しい事で骨を折るんだから結構な訳なんです。つい二、三日前に行つて見たけれども、大体出来上つて、あと塗る丈で良い訳です。案外早く出来たですね。色々な点に於て私の思う通りに出来まして非常に気持が良いです。恐らく皆吃驚するだろうと思つてます。凡て新しい行(ヤ)り方をしてありますからね。一つの、美術館としての見本を造つた様な訳ですね。だから見た人は、成程斯うやれば良い、斯うするのが本当だという様な気持が起るだろうと思います。で、之に就いて矢張り神様がやられている事は、如何にも多方面に亘つているんです。それで、斯ういうものが無くちやいけない、斯ういうものは是非並べなくちやいけないと思つていると、パツと出て来る。それからもう一つ面白い事は、私が好きなものは安いんです。そう迄ない――まあ、斯ういうものはと思うのはベラボーに高い。ああいう処は神様は旨くやられるんです。だから割合に安く手に入つた訳ですね。で、並べる品物は、其物の一級品ですね。それから私はあんまり専門的には知らなかつたです。唯、好きですから若い時分から見ているので、漫然とは知つていた。又、道具屋がそういつた様なものを持つて来て、色んな説明をして教育をされた訳ですね。だから支那陶器なんか去年から急に研究を始めたんですね。又そうなると不思議に支那陶器許り持つて来る。斯ういうのも面白いですね。それから、それに関した本なんかを読んだりして、約一年――去年一年で大体分つちやつたですね。だから道具屋は皆吃驚してますがね。あんまり私が分るんで、良い加減に嵌込もうと思つた奴が、大当外れなので、つい失望する人達があります。そんな訳で美術館に並べる品物も各面に亘つてます。みんな一級品。まあ下つても二級品程度ですね。だから、よく斯ういうものが集まつたという事で驚くだろうと思います。 それからもう一つは、贋物は一つもない。みんな本物許りです。之は霊感ですね。こうやつてみますと、贋物は厭な霊気が来るんです。それで直ぐ分る。それから、本物はとても良い霊気が入つて来るんです。だから其点が一番ですね。色んな説明がありますね――専門家の方のね。私はそういうのは参考に聞いてます。何よりも感じですね。要するに霊感ですね。それでやつて行きますから、贋物は手に入らなかつた。だから殆ど買損つたというものはないですね。どんな人でも相当買損つている。どうしても、今でも月謝を一千万円払わなければ駄目だという事を言われてますが、私は殆ど月謝なしで稽古したんですね。そうして要り用なものはちやんと来るんです。何ういう訳だというと、霊ですね。霊界で手柄をしたい為に、自分が持つていたものとか、愛好したものはメシヤ教の手に入る様に、やつぱり霊界で色々働くんです。之は本人に知れちや、気持悪くするけれども、どうしても俺は手放すものかといつていても、やつぱり金が要つて、背に腹は替えられなくて、大事なものでも手放さなければならないという事も大分あります。此人が斯ういうものを手放すのは不思議だというけれども、そうじやない。其人の祖先の霊が、霊界で大いに働く訳ですね。ですから、そういう点でも不思議に色々なものが集まるんです。丁度四、五年前から二、三年位前ですが、浮世絵なんか私は大して関心を持つてなかつたが、一寸したものを持つて来たのを買つていたんですが、割合に其頃は安かつた。今それを見ると、浮世絵の最高のものです。今そういう専門家に見せると、どうして手に入りましたかという。どうしてといつて、持つて来たから買つたというんです。之は中々手に入るものじやないという事を聞いて、私も吃驚する。だから、そんな様な工合でとても値が上つている。どうしても、平均として買つた時の三倍乃至五倍になつてますね。だから私は道具屋としたら随分儲かつたが、銭儲けじやないからですが、そういう点でも奇蹟は非常に多いですね。今でも始終奇蹟がある。つい最近ですが、之は絶対秘密という事になつてますが、日本一という素晴しいものです。処がそれは財閥ですが、どうしても息子が売らなければならない。それは三人非常に目掛けている。みんな財閥の息子ですが、それを一人に売ろうとしても、三人のうちのあと二人に対して悪いので、どれに売る事も出来ない。処が金が要る。何処かに売らなければならないというので、秘密に私の方なら当り障りがないという訳で、非常に安く持つて来たんです。博物館なんかでも、前から言つて来ているが、博物館に出すと、国宝にされちやうんでね。それで、国宝にされると厭だというので出品しなかつたのです。それは財閥の極く偉い人でね。それは人に見せなかつたんです。これは余程奇蹟ですね。買手が三人もある為にこつちが安く買つた。それは一例ですが、そんな事が色々ある。又、支那陶器なんかは、私は色々外国のを調べてみると、日本で持つている人は少ないです。之は英国、米国に負けているんです。英・米は明治初年時分から注目して集めたんです。日本人の方は、それを見て知つた位ですから、立後れになつている。処が日本は昔からそういうものがあつたんです。だから外国に無い様な良いものもあるんです。今支那陶器で一番良いものが集つているのはロンドンの博物館です。之は以前も話したホップレスが集めた。それが第一です。それは、非常に数があるんです。図録が十一冊ありますがね。それに出てます。私の方の支那陶器と較べてみると、無論数に於ては負けてます。均窯というんですがね。あとは勝つているものが多いですね。二番目はイギリスの、デヴイットという美術館がありますがね。図録が一冊ですが、厚いのがあります。其本が中々手に入らなくて、漸く手に入れて、見ると私の方が勝つているんです。デヴイットというと、支那陶器の有名な蒐集家ですが、その品物と私のと較べてみると、デヴイットの方が負けている。非常に安心しました。私のは一年位で集めたものですがね。デヴイットというのは何年もかかつて集めている。之が人間力と神力の違いですね。あとイギリスではホブソンというのが居るが、之は大した事はない。日本にも来て写真を写した事がありますがね。そこで均窯というものの少し良いものを私が集めたら世界一という事になりますね。熱海の美術館が出来たら、そう思つている。処が品物があるかどうかが問題です。日本には古い良いものがありますが、茶に関したものが多いです。茶に関係しない鑑賞的なものは昔から日本にあんまりなかつた。猶、米国の博物館、美術館。ニユーヨーク、ワシントン、ボストンのですね。そういつた様な美術館、博物館は論ずるに足りないんです。唯、私の方でアメリカに負けているのは銅器です。支那の周銅という之は私の方がずつと負けてます。銅器は、支那から英国、米国がいち早く集めちやつた。日本は昔から銅器は問題にしないで、集めなかつた。それで、支那の銅器というのは英・米に買われちやつてます。それを買うべく日本でも骨折つてますが、中々難かしい。日本でも数を集めたのは住友ですがね。京都に銅器の美術館があります。四百何十点という、之は一寸歯が立たない。それから、根津美術館。白鶴ですね。此三カ所は銅器は立派なものがあります。之は一寸私の方は負けます。望なきにあらずでなくて、望なしですね。けれども神様がやられる事ですから、どんな事になるか今の処は一寸分らない。然し、銅器というのは普通の人は分らないものですよ。非常に難かしいものです。私なんかも、銅器を随分研究してますが分らない。何しろ周銅というのは三千年前ですからね。神武天皇の前ですからね。周の前が商で、その前が殷ですね。殷というと三千四、五百年前ですからね。だから三千年前と二千五百年前という見分が中々難かしい。二千年前は漢の時代になり、それは良く分ります。全然違つてますからね。それから支那はイミテーションが上手いんです。二千年位前に上手い物を作つている。それは売らないで大抵直ぐに地に埋めちやうんですよ。それで孫の代に売る。非常に上手いので中々分らないんですよ。私の方に少しありますがね。専門の、或学者は本物だという。或学者は贋物だという。そういう事がよくある。今そういうのが一つあるんですよ。京都の大学教授で梅沢という有名な人ですがね。此人は「素晴しい、本物だ」という。それから東京の博物館の、そういうものを書いて居る田沢という――私の方の顧問にしてますが、此人は「贋物だ」という。両方の議論があるんです。それでそれを預かつている道具屋が美術館に出して呉れという。それで、そういつた好事家とか専門家の意見を聞いて判断して下さいというので、私が預かつている。そんな様な工合で非常に難かしい。まあ、美術の話はその位にして置きます。どうも私は美術の話というと、時間を忘れちやうんでね。

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それから此間火星が近附いて、あそこに生物が居るとか居ないとか新聞に出てましたが、それに就いて色々書いてみた。それから月の旅行ですね。

(御論文「⇒宇宙は地球以外に生物なし」)  【註  栄光一五九号】

(御論文「⇒日本は文明か野蛮か」)  【註  栄光一五九号】

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昨日だかの新聞に盲が――女の人で見えなくなつたのを手術するや直きに見えた。という事をデカデカと出てましたが、あれは目の側に肉腫が出来ていて――肉腫を二つ許り手術でとつた処見えて来たというんです。あれは肉腫じやないんです。何故というと、熱が出て痛みがあつたというんです。熱が出て痛みがあるなら肉腫じやないんです。膿の固まりですからね。浄霊をやれば直ぐ見える様になるんですがね。大変な巧妙な、医学を信じさせる様な旨いやり方ですがね。そういう様な事は始終あります。我々からみると、屁の様な事を、大変な偉い様にデカデカとね。それは医学を偉く見せる様な邪神の働きなんです。それを今一寸書いてみたんですがね。

(御論文「⇒世界的迷信としての現代医学」)【註  栄光一五九号】

それから斯ういう事を知らなくちやならない。一寸気がつかないですがね。つまり此処(後頭部)を浄霊していると、此処(後頭部)は良くなるんですね。そうすると胸が悪くなる。極く軽い吐気が起る。そういう事はよくあるんです。それは、こういう処(後頭部)の毒が溶けたのが、一旦胃に行くんです。胃に行つて、胃でそれを自然浄化で溶かす。その間気持が悪くなる。ですから方々浄霊して、胸が悪くなつたら、溶けた毒が胃に入つたんだから、之は直き治ります。それから溶けた毒が肺に入ると、咳をして痰になります。よく浄霊すると咳をしますが、あれは溶けた毒素が肺に入るんです。そうでなくムカムカする人がありますが、それは溶けた毒が胃に入るんです。それは、多く下痢になりますね。それをよく心得て置くと良い。浄霊して胸がムカムカしておかしくなるという事があるが、そういう訳ですから、それを良く心得て置かなければならない。段々浄化が強くなりますから、そういう事が著しくなるんです。此頃は、一寸悪い人をやると、直ぐに咳が出て痰が出ますが、そういう様な訳だから、今言う毒の溶けたのは、肺から出る場合と、胃に行つて胃から排泄されるというのと両方あるという事を心得て置けば良いですね。それから此頃御守護電報なんかが日に何本となく来ますが、重態な場合もあるし、つまらない――こつちから見るとつまらないんだけれども、本人や浄霊している人は、重大だと思つて電報打つんでしようが、病状と苦痛に依つて分ります。大した事でなくて直きに治る様な事で御守護の電報が来ますが、あれはどうも治し方が違つているんですね。浄霊が違つているんですね。というのは矢張り力が入るんですよ。で、力を抜いてやれば何でもなく治るという事が、治らないという事はそういつた訳ですね。だから浄霊の一番の修行というのは、力を抜く修行ですよ。力を抜いてその霊が向うに通らなければならない。だから本当いうと難かしいんです。やり方は楽なんです。だから楽で難かしいと、こう思わなければならない。通そうとすると力が入るんですね。そうでなく力を抜いて霊を向うに通す。之をやると非常に良く治る。兎に角力が入つちやいけない。若し治りが悪いと、力が入つたなと気がつかなければならない。私が始終そうです。私が、一寸誰か浄霊してやる場合に、力を抜くと非常に良く治る。可笑しいなと思うと、不知不識力が入つている。ですから力を抜く修行ですね。それが出来るに従つて良く治ると、こういう風に思つていいですね。

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五月十六日

【御  教  え】
愈々熱海も明日切りで、明後日箱根に越す積りです。四、五日前に行つて見た処、大体美術館は壁が出来る丈で完成します。壁も半分位は出来てました。凡て私の思う通りに出来たんで非常に気持が良いんです。それで之から何んな建築でも、みんな私が設計家になつて、思う通りにやろうと思つてます。そうすると非常に安くも出来るんです。私のやり方は、出来る丈余計な事をやらない様に――出来る丈整理しちやうんです。だから反つて気持が良いです。処が商売人は立派に見せようというんで、余計な事をするんですね。だから金がかかつていて効果が薄いという事になる。美術館は見れば解りますが、そんな様な意味で、私としては非常に良く出来たと思つてます。他の事は大体話してありますから、何んですが、モミジは粗方(アラカタ)終りました。ですから、何時か話した苔ですね。苔も、此次箱根の方に来られる時にボツボツ持つて来て貰いたいと思うんです。随分広いですから、相当要るだろうと思います。成可く多く、どうせ新聞紙に包んで来れば大した荷物にもなりますまいから、来られる度にね。それに今月から来月にかけて入梅ですから都合が良いです。そうして京都の苔寺以上の苔庭にしたいと思つてます。美術館の方も大体品物は整備して、又ケースも此間見本が出来てきてましたが、やつぱり非常に工合良く出来てました。ケースなんかも、最初立派なものを拵えましたが、あれは全然反対で、私は出来る丈平凡に立派さのない様にしたんです。というのは、中の品物に精神が集中しなければいけないので、廻りに気を取られるようでは、反つて面白くないですね。ですから、そうかといつて安つぽいものや変なものでは工合が悪いから、安つぽくない程度で、ケースなんかに気を取られない様にした方が良い。そういう意味で歩く処なんかは、市松にする予定――建築屋の方の予定だつたんですが、そうすると矢張り派手になつて気を取られるから、一色でやらせたんです。色も極く神経を刺戟しない様な柔い色ですね。そういつた様にして出来る丈他に神経を取られない様にね。で、美術品許りに集まる様に、そういう考え方でやつたんですがね。色々――日本、支那、朝鮮――そういう工合に並べるが、何しろそういつた種類が多いですから、むしろ並べ切れないんじやないかと思つているね。品物の方が多過ぎるんじやないかと思つている。例えて言えば、支那陶器ですが、支那陶器なんかも、世界中――といつた処でアメリカとイギリスですが、外国の博物館や美術館の支那陶器なんかを調べてみると、私の方は負けていないんです。それは種類に依つては負けているのもあるし、又勝つているのもあるし、平均して負けていないという事が分つたんですね。で大いに満足したんですがね。支那陶器でさえああいつた国と負けていないとすれば、その他に日本の美術品が主ですからね。無論世界で何処にも負けないのだから、世界一という事は断然言えると思うんです。ですから、兎に角段々世界中に知れる事に無論なると思います。然も日本に来て箱根に行かない外人はないです。箱根に行けば必ず其美術館を見るという事になりますから、割合に世界中に知れるのは早いだろうと思います。だから此点丈でも大変に国家に良い働きをするだろうと思います。日本人の秀れた文化的の価値を認めさせると共に、外貨獲得――という程大袈裟な事は言えませんが、でも幾らか外貨獲得にもなりましよう。外貨獲得に、大いになると結構だと思います。沢山来る様になつたら、入場料をうんと高くして大いに儲けようと思つてます。そうして置けば、又美術品の良いのを買えますからね。それは、日本は大した国で未だ未だ素晴しい美術品は随分あります。財閥とか旧大名ですね。それから、明治以来の華族もそうですし、未だ取つておきの良いものがあるんです。それでああいう処で売るには、裾物から先に売つていくんです。で、うんと良いものは惜しくて売れないんです。あとに残して置きますからね。二級品迄は大抵今迄売つた処が多いんです。一級品というのは中々売らないんだけれども、懐が苦しいですから何時かは売らなければならない。今でも値に依つたら売るというのが沢山ある。相場よりずつと高いんですね。大きく言えば倍位といえば殆ど売らない処はない。それには金が要りますから、ですから入場料がうんと入つて来たら、そういうものを買いたいと思つてます。いずれ熱海に出来たら、箱根以上のものを造りたいと思つてます。ですから品物もそれ迄に大いに優秀品を集めたいと思つてます。今度の美術館なんかも、一級品はありますが、有名品とか特別品とか、そういうものは思う程はないんです。然し、そういうものは、手に入れるのは大変なものです。中々金丈出した丈では駄目だというのもありますからね。そういうのは又別な方法で、出品という事で、なんとかならない事もない。箱根の方はそれ程大きくないし、今準備した丈で充分ですからね。それでも、今言つた様に世界一という位に値打があるんですからね。それで、ゆつくり見るとどうしても半日はかかりますね。普通そういう事に趣味のない人で、通り一ぺんに見るとしても一時間位はかかりますね。そうかといつて、あとを押されて見る様じや、やつぱり鑑賞出来ませんからね。相当余裕をとつて見るというのと、楽しむというのと両方にとつてですから、休憩所を作つたり、人を制限して次々入れるという様にする積りです。それで、一般の人や信者さん。それから研究家、特殊な好事家――そういう人の満足の行く様な方法をとりたいと思つてます。それから、雨の降つた時なんか自動車で濡れずに入れるという様な、そういう設備をする積りです。地形が、神様が準備してある丈にちやんと旨くいつているんです。そういう設備ですね。美術館はもうそんなに細かく説明しなくても、直き見られるんですからその位にして置きます。いずれ出来る光明台ですね。あれが今ツツジが非常に盛りですから、今度箱根に行つたら、丁度此次の二十五、六、七位は一番盛りですから、それを是非見て貰いたいと思つてます。何しろ相当前に植えたので大きくなつてます。非常に見事なものです。それは今度、第二になりますが、そこは又別の意味のものを造る積りです。で、将来公園も――登山会社の公園ですね。あれも大いにこつちが手伝つて立派にして、いずれ箱根一流の地上天国という様な事になるでしよう。美術館も色々ありますが、環境ですね。廻りも箱根の方は一寸驚くだろうと思います。未だ早い様ですが、この秋あたりは――いきなり入ると、左手の方が紅葉ですね。紅葉が、丁度この間二百本ありました。相当大きい木ですからね。それが紅葉して、それから萩の道を通つて竹林を見て、それから美術館に入る。その様相ですね。それで大抵な人はアツとするだろうと思います。ですから段々知れるに従つて、随分来るだろうと思います。先づ一度は見るという事になるだろうと思います。それから熱海の方も、之は大抵誰方も見ているでしようが、神様の方の計画ですね。それも着々として進んでいるんです。それは、次々に土地が手に入つて来る事になつているんですね。それがやつぱり、何時も言う通り順序良くね。別に、こつちは急(アセ)つて何うするんじやないが、ちやんと順序良く手に入つて来る様になつているんです。実に何んとも言えない面白味があるんです。会館はこの夏あたりの予定ですがね。何しろ許可をとるとか色んな準備をするんですから、思つたより後れますが、けれども神様はちやんと決つているんだから、何も心配する事はありませんがね。之は箱根と違つて素晴しい、規模の大きい、大変な事になりますけれども、之は未だそうお話する程度にはなつていませんからね。今年の六月十五日ですね。六月十五日が節(フシ)ですからね。之が過ぎると、余程表面的になつて来ます。去年、一昨年あたりを省みると、随分メシヤ教というものを、世間で見る目が違つて来た様です。之はまあ時節ですね。ですから、もう一息ですね。美術館が評判になるという様な事が、今迄のメシヤ教を変な目で見られたり、兎に角マイナス的存在の様に見られたのが、今度は反対に「大変なものだ」「今迄の見方を変えなければならない」という様な事になると思います。宣伝も非常にし良くなる訳ですね。で、それが矢張り時節で、大本教のお筆先に「時節程有難いものはないぞよ」「時節には神もかなわぬ」「時節程有難い恐いものはないぞよ」なんてお筆先があります。よく出ていると思います。

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それから今度二十日過ぎると九州の方に宣伝旅行に行く事になつてますがね。それで何時もの通り原稿を書いて置きましたが、ざつと書いたので、それを今読ませます。幾らか、一寸面白い処があると思いますから――。

(御論文「⇒舌に代えて」)  【註  栄光一五八号】

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それから此間火星が接近したとか言つて新聞なんかに色々出てましたが、火星に生物が居る。それから運河や何かが出来ているという様な事を言つてますが、実に出鱈目も甚だしい。それから月の世界に行けるという説で、一生懸命に準備をしているという様な事を新聞なんかに出てますが、それに就いて一寸書いて見たんですがね。

(御論文「⇒宇宙は地球以外に生物なし」)【註  栄光一五九号】

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それから時々医学で――二、三日前も新聞だかなんだかで、盲の貧乏人の女の人で、肉腫が二つとか出来て、それに妨げられて見えなくなつたというのを手術したら、忽ち見える様になつたとデカデカと出てましたが、之は何でもないので、之は肉腫じやないんです。膿の固まりなんです。何故肉腫ではないかというと、非常に痛んで熱が出たというんです。痛んで熱が出るのは肉腫と違うんです。膿なんですからね。それを二つとか取つたら見えて来たというんですから、何でもないんですよ。我々の方でこう(御浄霊)やれば、膿が取れますから見えて来るんです。そういう様なつまらない事を大変な事の様に書いてありますがね。それで我々の方でもつとひどい盲を、之(御浄霊)で治しても、知らん顔してますね。聞いても見ても、そんなものは、もう隠してますね。実に可笑いですね。近頃聞いてみると、薬屋さんなんかが非常に悪く言つて、色々投書なんかをしているそうですがね。今は薬屋に影響――結局大して影響しますまいが、影響すると心配しているんでしよう。それはもう一歩考えてみると、それ程薬屋に影響するのなら、薬を使わなくて病気が治るという事を証明しているんですから、そうすると、薬を使わなくて病気が治るとしたら大変な救いですから、薬屋さんをやめて大いにこつちの方の宣伝をするのが本当です。薬屋さんの目的というのはお医者さんと同じで、矢張り病をなくして人を救うというのが目的ですから、薬を飲んで死のうと悪くなろうと、唯金さえ儲かつたら良いと、それでは本当の悪魔的ですからそんな筈はない、兎に角如何なる商売――普通の商売と違つて、人の病気を治し命を救う商売ですからして、先づ己の金儲けは次でなければならない。処がメシヤ教は薬に対して「邪魔する」「けしからん」という考え方というのは可笑いんです。こんな事は沢山ありましよう。私の方は別に薬屋を悪く言う訳でも、お医者さんを何うする訳でもないんですよ。それで、医者で治り薬で治れば結構ですから、私の方はやめちやいますよ。然し、それでやると治らないし、反つて悪くなる。それでは黙つて見て居られない。それを知らないならなんだが、根本的に知つた以上は黙つて居られない。それが斯ういうものだという事を明ら様にはつきり分らせる事ですね。分る事が、其人には大変な困る事になるでしよう。だから先づやめるより他にしようがないですね。やめたら飯が食えないというのならば、直ぐにやめなくても色々準備してやめれば良いんです。一番良い事は我々の方に相談に来る事です。何うしたら良いだろうと――そうしたら、やめて浄霊の方にとね。そういう事が社会に沢山ある。そういう社会だから、神様はそれを解らせて、それを救わなければならないという事になるんですが、まあ仕方がないでしようがね。

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それから、米国通信が二、三日前に来ましたがね。今あつちで一番多い病気は、癌と小児麻痺と結核と、此三つが一番多いそうです。私は之を書いて米国に送る積りです。此間の原子爆弾に関する「原爆恐るるに足らず」というあの論文は、教団の方で米国のそういつた要路に送つたそうです。反つて、飜訳するよりか日本文の儘の方が良いそうです。それはそうでしよう。それをあつちの飜訳する人に依つて幾らか違いますからね。こつちで飜訳して了えばそれつきりですからね。反つてあつちで飜訳した方が、色々に訳するからして、それを綜合すると反つて良く分りますから間違ない事になるから良いと思いますね。で、あつちの大統領だとか、陸軍長官。又空軍関係の偉い人だとか原子科学研究の方面と、随分方々――多方面に送つたそうですから、反響があるか何うか、一寸、反響迄にいかないと思いますが――唯吃驚して口を開いている丈だろうと思いますがね。で、まあ兎に角そういつた一つの刺戟を与えて置くという事は、将来何かになると思います。だから、今の米国の病気も書きましたが、今度新聞に出します。癌というのは何でもないんです。あれは肉の毒ですからね。肉食人種に多いんです。日本なんかも昔は癌なんて殆どなかつたんですが、肉食になつてから起つたんで、肉の毒が段々溜つていくんです。それは何んだというと、野菜の食べ方が少ないんです。野菜を食べれば調節されてそういう事はないんです。肉の方に偏する為ですね。それで野菜の食べ方の少ないという事は、つまり原因は肥料ですね。之が、非常に原因するんですよ。外国は化学肥料が多いですから、野菜が不味いですから、どうしても肉を余計食う事になるんですね。だから、野菜を美味くするのは無肥料でなければならない。無肥料は此点にも非常に効果がありますね。

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それからもう一つ注意したい事は、よく御守護の電報が来るんです。電文を読んでみると、つまらない病気で、非常に重態の様に思つて、電報打つて来るんですが、何処が苦しいとか、何処が痛いとかですね。浄霊すれば、他の信者の人がやつても訳なく治る様な程度です。それを、どうしても治らないから寄越すんですが、浄霊の仕方が未だ間違つているんですね。力が入るんです。大抵の痛みは本当に力を抜いてやれば、割合に早く治るんですよ。力が入ると治らない。ですから力を抜く事を、一層骨折つて貰いたいですね。それで、力を抜いて其霊が出来る丈向うに通るようにね。そうすると非常に治るんです。ですから、つまり力を抜く稽古をするんですね。処が、苦しがつたり痛がつたりすると、反つて一生懸命になるんですね。一生懸命になると力が入るんです。だからむしろ一生懸命にならない様にする方が良いですね。苦しがつて七転八倒すると、反つてボンヤリして、何を苦しんでやがるんだという積りでね。ですから、自分の力とか、治そうとする熱意とか、そういうものは出さないんです。何んだこんなもの。といつた様な、要するに一生懸命にならない事です。そうすると良く効くんです。だからそれには力を抜く事ですね。そこの処が、一つの修行ですね。それからもう一つ注意して置く事は、浄霊すると痰が出ますね。咳が出て痰が出ますが、之は肺から出るんです。溶けたものがね。処が胃から出る場合もある。胃から出る場合は、胸がムカムカして来て吐きそうになる。よく頭が痛いとかで、浄霊をやると頭は大変良くなつて、胸が何んだか工合が悪いという事がよくあります。それは溶けたのが肺の方に行かないで胃の方に行くんです。それで胸がムカムカする。そういう時には胃の方をやるんです。そうすると直き良くなります。之は今迄私は注意しなかつたですが、そういう点がよくありますから、今注意します。そういう時には鳩尾の辺を目掛けて霊を放射するんです。それから場合に依ると背中の方ですね。そうすると胸の悪いのは割合に早く治ります。

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五月十七日

【御  教  え】
近頃よく御守護電報が来るんですが、それに書いてあるのを見ると、「長い間胃が痛んだ」とか「頭が痛んだ」――そういう様な電報がよくあるんです。大体痛みというのは訳なく治るものなんですよ。浄化作用では、一番激しい浄化作用だからして治りも良いんで、それが大分長い間そういう痛みがあるというのは、あれは浄霊の仕方がやつぱり悪いんです。というのは力を入れるんですよ。よく、一生懸命にやるという事を言いますがね。御蔭話なんかにも書いてありますが、一生懸命にやるとどうしても力が入る。だからそこを間違えない様にしなければならないですね。一生懸命にならない方が良く治る。一生懸命になると人間の力の方が多くなるから、神様の力の方が薄くなる。治してあげたいというのは結構ですが、治すのに一生懸命になるというのは、いけないんです。だから、全然一生懸命にならないで、極く軽い気持というよりか――軽い気持というと反つて徹底しないので――まあ、どうでも良い、ええい面倒臭いと、そういう気持が良いんです。私はそういう気持でやつているんです。どうせ、うんと薬を飲みやがつたんだから、自業自得だ。だからまあ可哀相だから治してやるんだけれども、そう何にも一生懸命になる必要はないという様な――極端ですが、そういう様な気持でやる方が反つて治る。すると、神様の御力の方が強くなつて、人間力の方が弱くなるから治るんです。痛みなんか、極く力を入れないでやると直き治るんです。軽い気持で、霊が通れば良いんですからね。それで霊を通そうとすると力が入るんです。そこが難かしい。だから力を出来る丈抜いて霊を通そうとする。そうすると段々慣れてきますからね。そうすると痛みなんか割合早く治る。どうしても痛みが治らないという御守護電報は、そういう訳なんです。力が入るんですね。

それからもう一つ知つて置かなければならないのは、こう(御浄霊)やると直きに咳が出、痰が出ますが、あれは溶けた毒が肺にいくんです。処が肺にいかないで胃にいくのがある。よく浄霊した場合に――頭をやると頭は大変気持良くなつたが、胸がムカムカするというのがある。それは溶けた毒が胃にいくので――之は大抵下痢になります。そういう時に胸がムカムカする。其時には鳩尾を狙つてやる。そうすると、胸がムカムカするのは直きに良くなります。頭が良くなつたのに胸がムカムカする。可笑しいなという事がよくありますが、今の理窟を知れば何でもない。一寸気がついた事を注意して置きますから、その積りでやつて貰う。

それから最近米国から――あつちに行つている人の通信では、今米国で一番多いのは癌なんです。その次が小児麻痺。その次が結核と。此三つが一番多いんですね。唯、日本と違うのは、癌が非常に多い事と、小児麻痺も多いですね。結核は日本の方が上かも知れません。或いは米国の方が、又結核が再び増えつつあるのかも知れませんが、今度書いてそれを米国の関係方面に送ろうと思つてます。癌の原因というのは、肉の毒なんです。肉食が多過ぎるんです。アメリカの人は――まあ、白人種はそうですが、特にアメリカ人は多いです。で、肉の毒を消すのは野菜です。だから菜食すれば良いんです。癌も色々ありますが――特に胃癌が多いですが、胃癌は菜食すれば治るんです。ですから、つまり肉が多過ぎるんですね。本当から言うと、私の栄養学に書いてある通り、菜食と肉食と半々が良いんです。それが、菜食が少なくて、肉が多いと癌になるんです。医学ではそれが解らないから色んな可笑しい研究をして、只それ丈なものです。それをアメリカの人に知らしてやると、ずつと癌は減ります。それから小児麻痺ですが、アメリカの小児麻痺は疑似小児麻痺が多いので、ですから大抵片つ方の足が歩けない――大抵足ですね。それは、注射の毒が足に固まる。それを放つたらかして置けば良いが、色々の固め療法でやりますから、固まつて――そうすると歩けない。それが原因なんです。それも解つてみれば何でもないものですが、根本が分らないからやつぱり固めちやう。そこで浄霊をあつちでは未だ知らないとすれば、放つたらかして置くのに限るんです。そうすれば、いずれは腫れて膿が出て、治つちやうんです。それと、結核の方はいずれ「結核信仰療法」の本が出来たら、あつちにも送りますから、それで解決出来る訳です。そろそろ西洋の方にこつちの医学を教え様と思つて、ボツボツやろうとしてます。そんな様な訳で、アメリカの人も、他の発明や何かは中々偉いですが、医学に関する限り、何ういうものか寔に頭が悪いですね。

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次は美術館です。箱根の庭園ですね――地上天国――それが愈々出来る事になりました。明日あつちに引移る積りですが、何時かお話した裏手の方のモミジを植えて、下に青苔をやるという事でしたが、つい此間行つてみると、モミジは殆ど植わつたです。聞いてみると二百本許り植わつたそうです。みんな相当大きな木ですね。一人前のモミジですね。ですから随分――紅葉でもしたら壮観だろうと思います。其下の苔ですが、もうそろそろ植えて良い段取りになつてますから、今度箱根に来る時に苔を出来る丈持つて来て貰いたい。丁度来月は入梅にかかりますから非常に良いと思います。で、六月十五日に落成式ですね。神仙郷の落成式と美術館の開館式をやりたいと思つてます。それ迄に苔も出来る丈植えて置きたいと思いますから、今月の二十五、六、七。来月の五、六、七ですかね。その二回のうちに出来る丈苔を持つて来て貰いたいと思います。何しろ広いですから、相当要ると思います。多勢の人ですから随分来るだろうと思いますが、こつちの広さも中々広いですから、その積りで出来る丈多く持つて来て貰いたい。あれも大して重いものでもないし、嵩ばるものでもないから、相当持つて来られるだろうと思います。――そうして六月十五日から――何しろ早く見たいという人が沢山どころか、殆ど皆早く見たいと思いますから、それで出来る丈早く見せたいと思うので、大体十五日から十日でも間に合わないかも知れません。日光殿も随分広くなりましたが、やつぱり二千人一寸だろうと思いますね。だから中々多勢は、一度に一寸入り切れないですからね。それは教団の方で然るべくやるだろうと思つてますが、随分大変だろうと思つてます。美術館も随分色々なものを並べますから、一回見るにも相当暇がかかるだろうと思います。急いで見ると一時間位かかるだろうと思います。少し好きな人は、もつと――二時間も三時間も見たい人があるだろうと思います。何しろ何処にもないものが沢山ありますからね。見られない様なものがある訳ですね。それは方々に美術館とか博物館とかありますが、そういう処にない様なものを私は出来る丈主にしてますから、中々暇もかかるし、度々行つて見たいだろうと思います。信者以外の一般人で来たい人もありますし、そこで交通ですね。交通も考えているんです。今の登山電車ですね。あれなんかも、不断でも随分満員で乗り切れない事がよくあるそうですから、どうしても小田原から強羅迄教団の自営のバスが必要だろうと思つて、今そういう様な計画をしてます。之は大して厄介でもないらしいので、昨日もそういう話があつたんですが、四、五十人乗のバスを十台位用意しようと思つている。そうして教団の人は専用バスですから、非常に楽に自由に乗れますから、どうしてもそれをやる必要がある訳です。参拝日以外は、教団以外の一般の人の美術館行という様にしてやる訳ですね。今の処では、強羅から降りて又ケーブルに乗らなければならない。それをバスでずつと直通にして了えば非常に楽ですから、之は是非やろうと思つてます。近頃はバスは非常に進歩してますから中々乗心地の良い、観光的ですね。ああいうバスの非常に良いのが出来ている。然も信者の人で、あの方の専門の会社の社長さんが、骨を折つて呉れるそうですから、非常に工合が良いと思つてます。まあ、美術館の事は話すれば沢山ありますが、話すより「百聞一見に如かず」で、見て貰う方が一番早いです。他にないのは――美術館も他にないですが、今度あそこにモミジが沢山植わつて、廻りに紅葉でもする様になると、いきなり入つて行つて――で、紅葉は一般人に見られる様にしますからね。それから萩の道を通つて竹林ですね。それら庭園の美です。それ丈で相当驚くだろうと思います。何とも言えない――あそこの調子が良いですから、そういう美術館というのは世界中にないと思つてますね。外国の美術館なんかには、それは相当広い処もありますがね。芝生の幾何学的の――我々から見てはあんまり趣味がないです。只気持が良い丈でね。あとは町の中ですね。其点に於ては箱根の美術館は断然群を抜いていると言い得ますか、特異的の環境ですね。そういう風になつてますね。美術品も、私は日本よりか外国を主にしてますからね。英・米の何を調べてみるけれども、随分数はあつちにありますが、一軒で大したものはない様です。だから段々分るにつれて外国の人が随分来るだろうと思つてます。話はその位にして――。

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今度、二十日過ぎてから九州方面に、又宣伝旅行をやる様で、例の通り原稿を書いて貰いたいというので、一寸書きましたがね。一寸変つた事が中にありますから、参考になると思うから読ませます。

(御論文「⇒舌に代えて」)  【註  栄光一五八号】

此中に日本は白の色という事が書いてあるが之は面白いんですよ。日本の天皇の皇の字ですね。それから、日本は「天皇(スメラギ)」の国とか、「皇(スメラ)」とかいう事は、各々白の下に王と書いてありますね。日本は白の国という事は――太陽の光線の色をグルグル廻すと、白になりますね。あれと同じ理窟です。だから日本は各国の色を全部取入れるんです。そこで日本の文化をみれば良く分ります。日本位各国の特徴を取入れた国はないですからね。世界中の人種で、各国の文化を理解出来るのは日本人丈だ。之は外国の識者でも、そういう説を唱えているのもある様ですがね。例えて言えば、同じ東洋人でも、西洋音楽は日本人しか解らない。支那――中国人には解らない。勿論朝鮮人もそうです。日本丈です。それから外人――白人種の方は、色々な方面には随分頭が良いんですが、日本の芸術――それは解らないですね。近頃大分歌や俳句を研究している様ですが中々解らない。処が日本人は外国の詩でも文学でも容易に理解出来るんです。だから日本人位多方面に能力がある国民はないです。そこで日本は日の本ですね。太陽の国というのはそういう訳です。講和以前ですと、あんまり斯ういう事を言うと工合が悪いですが、もう言つても良いから言うんですが、そんな様な訳でメシヤ教にもそういう事が当嵌まるんです。又今迄の宗教でも、メシヤ教位色んな事をやる宗教はないです。大抵今迄の宗教は、教えとか――まあ教えが根本です。美術館を造るとか、農業を改造するとか、或いは医学を排して病気を治すとか、御祭の余興に色んな芸能人に色んな事をやらせるとか、メシヤ教という名前からしてキリスト教向きであつて、そうかというと観音様があつたり御神体があつたり、仏教的で――実に多方面に亘つているんですね。之は今言う太陽の白の働きですね。ですから昼間の世界という事は、白の世界ですからね。それで色々な色を取入れて、コントロールして白色という事になる。それで私は寸鉄に白光生という名前をつけたのはそういう意味からです。そういう事を知つて日本の国をみると一番良く分るんですね。だから日本には色んなものがあるんです。だから日本の思想にはアメリカの思想もあるし、ソ連の共産主義もあるし、イギリス、ドイツ――色んな――各国の思想があります。又そういつた風の色の人間も日本人にはあります。東洋でも色々――支那、朝鮮、南洋――そういうのがあります。実に面白いんです。それで、日本には凡てのものの種類が一番多いですからね。食物でも、日本位魚の種類が多い国はないそうですからね。そういう事を言うと切りがないのですが、今言つた様な――日本は白という事はそういう意味です。そういう事をお話したんです。

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それから此間火星が地球に近附くというので、一寸気がついたのでそれを読ませます。

(御論文「⇒宇宙は地球以外に生物なし」)  【註  栄光一五九号】

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(御論文「⇒世界的迷信としての現代医学」)  【註  栄光一五九号】

二、三日前の新聞に、貧乏な人の婦人ですが、片つ方の目が見えなくなつたので、それを病院で手術をしたんですね。肉腫が二つあつたのを、二つ取つたら直ぐに見えて来たというのをデカデカと出てましたが、あれは肉腫じやないんです。何故というと、最初から痛んで熱が出たというんです。肉腫は痛みも熱もないんです。痛みがあり熱があるのは膿なんです。それを、視神経に膿が固まつていて邪魔したので見えなかつた。そんなのは我々の方でやれば直き治つちやいます。そういう様な事を、私の方で厚生省に一年以上前から毎号送つているんです。だから厚生省の人は誰か屹度見ているに違いない。御蔭話なんかに、目の見えない人が訳なく治つたという事実があるんです。読んでいるでしようが、何にも関心を持たない。そうして、医学のつまらない――一寸効果があるという事実を大々的にして嬉しがつているんです。全く、つまり之程根強い迷信というものはあんまりないでしようね。然も之は世界的迷信ですからね。今迄は宗教の迷信というと、一民族とか、世界の一部ですからね。処がこの医学迷信は、今迄のものの中で一番大きいでしよう。そして又迷信にかかつている人も最も多いですね。尤もそういう迷信があるからメシヤ教が発展する訳ですがね。そういう迷信がなかつたら、我々の方で発展するとか、人を救うという必要はないんですね。御蔭話なんかというのはなくなつちやうんですね。だから其点に於てはあんまり悪くも言えない。そうかといつて神様の方は万民を救うんですからね。こつちの都合の良い事許り考えても居られないです。そんな様な訳で、例のハイドラジツトですね。此間、「結核新薬を嗤う」という論文を出しましたが、最近になつてどうやら怪しくなつて来て、アメリカの製薬会社なんか、一時は株が暴騰したそうですが、最近になつて又ガタ落ちになつた。薬屋が、あんまり誇張して言い過ぎたんです。それで医者がそれに乗つちやつたんです。それで製薬会社で米国の医者に、千何百人とかが詫状を出した。あんまり誇張して言つたので、御迷惑かけて済まなかつたと。そういう様な事は矢張り薬を迷信している為にそんな事件が起るんです。我々の方は最初から薬というものは駄目だということが分つているから、予言した事が当つちやつたんですが、そんな訳でこの医学迷信、薬剤迷信――之をぶち壊すのは中々大変なものです。こういうもの――薬を一番信じているのはアメリカですからね。アメリカの医学が一番世界的に威張つてますからね。之をボツボツ之から解らせ様と思つてますがね。その位にして寸鉄を――。

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五月二十五日

【御  教  え】
もう一息で此処も出来上つて面目一新という訳ですが、美術館も来月の十日迄に造る予定で夜業してやつてます。あらかた出来ると思いますがね。聞いたでしようけれども、来月の十五日に開館式をやる事になつてます。それに就いて、今迄の経路ですね。それを書いてみたんですが、それを今読ませます。

(御論文「⇒美術館出来るまで」)  【註  栄光一六○号】

今読んだ通りで、非常に早く出来たんですね。一昨年の暮に美術館を建て様という気になつたんです。それで敷地丈出来て、去年の今頃はあそこの処は、石を割つたり泥を運んだりして、惨憺たるものでしたが、それが一年経つか経たない内にああいう風になつたんですから実に早いです。むしろ私が驚く位に早く出来たですね。それは信者さんの奉仕に依つて、つまり欲得離れてやつたという事が一番の原因ですが、それで此処で働いている職人ですね。そういう人も殆ど信者になつてますからね。ですから、そこに熱と誠でやりますから良く出来て早く出来るという、そういう訳ですからね。世間で出来る斯ういつた建築物とは全然異う訳ですね。まあ、世間でやると――斯ういうものを之丈造るとすると、どうしても二、三年は掛りますね。その間にスツタモンダ、ヤー予算が足りないとか、中には変なずるい奴があつたりして、スラスラとは決していくものではないですね。然も予算より金が掛つて、どうも金が集まらないので、支払が延びるとか、ですから原料でも材料でも買うのが旨くいかないとか、そこに請負師が何とか色んな口実を言つて、値増しを要求する。増さなければ職人が集まらないとか、材料が買えないとか、スツタモンダでそれは厄介なものなんですよ。処がこつちは全然そういう事がなくて、どんどん驚く様にいくんですね。実に信仰というものは大したものです。又一方並べる美術品ですね。之も矢張り手に入るのは奇蹟です。ですから道具屋が驚いている。斯ういうものは売物に出るものじやないが、どうして手に入つたかという事がよくあります。私は別に――簡単に、斯ういうものが無くちやならない、斯ういうものが欲しい。と、一寸思うんです。そうすると何んだ彼んだと集まつて来るんです。で、割合に旨く、値段なんかも安くね。どういう訳かというと、やつぱり霊界で――私が欲しいと思うと、霊が――自分が元持つていた物とか或いは家宝とかいうものを是非私の方に寄越して――そうすれば大変な働きになりますからね。それから又子孫が救われた者なんかは、それに対する御礼ですね。そういう意味で働いて、そういうものを蒐めるんです。その霊界での色々な働きが、そういう事になる訳ですね。だから美術館が出来て品物を並べても、随分驚く人があるだろうと思います。どうして此処に之が出ただらうかという様に思う人が随分あるだろうと思います。私も色々調べてみますと、終戦直後なんか何でもなく気に入つたものを買つたという様なものです。値段も安いし、そういうものが今日は大変なものなんです。どうして之が手に入つたかというものが沢山あるんです。そういう様な点も大いなる奇蹟ですね。だから信仰の面からみれば此美術館なんかも解りますが、信仰のない者がみたら余程考えざるを得ない様になるだろうと思います。色々外国や何かの美術館なんかを調べてみると、随分苦心して蒐めた様でも大した事はないですね。というのは段々解つたんですが、外国で集められたものは支那の美術品ですね。銅器、陶器ですね。大体支那陶器ですが、一番はロンドンの博物館にある、ユーモ・ホップレスという金持が蒐めたもので之が一番です。その次はデヴィットという人が蒐めた美術館で第二ですね。只ホップレスの方が少し、銅器とか、陶器の内宋均窯という――之丈が非常に優秀なものがある。デヴイットの方はそれがないんです。只全般的の支那陶器です。そのデヴイットという人も随分長い間掛つて蒐めたんです。その品物と私の方で蒐めた品物と較べてみると、私が一年で蒐めたものが、デヴイットより上でも、下という事はないですね。それはよく分るんです。デヴイットの図録がありますからね。良いのは写真版で着色になつてます。それで調べてみると私の方が上ですね。ですから外国人が何十年かかつて蒐めたのより私が一年で蒐めたのが勝つているというのは奇蹟なんですよ。其点に於ても、どうして斯んな良い支那陶器が蒐まつたかと、知つている人は思わざるを得ないんです。大体完成するのは七月ですから、七月から一般の見物人を入れ様と思つてます。そうして随分来ますからね。そこでどうしても交通機関が間に合わない。二、三日前にも登山電車の専務や、村の有力者共が御礼に来たんです。というのは、去年私に「もう一月早く来てもう一月遅く」という歎願書ですね。小田原から箱根にかけて五百人の連名でね。そこで何時もは六月一日に来たが、今年は五月十八日に来たのです。其為に早く来たというので其御礼に来た。一石二鳥ですね。そのとき会社の専務に、一体美術館が出来て沢山見物人が来ると、貴方の方でどうして呉れる。電車の増発をする事が出来るか、というと技術的の問題で増発する事が出来ないそうですね。増発するには何かの設備が要る。それは非常に金がかかるそうですね。それではバスを増やさなければならない。貴方の方でバスを増やして呉れるかというと、それも金がかかるので出来ない。じや私の方で自営でやりますよ、というと、どうもそれよりしようがないというのです。教団でどうやらバスも出来そうですからね。丁度信者でそういつたバスの会社の非常に有力な人が――割合に新しい信者で――其人に万事やつて貰う。直営ですから、小田原の駅を降りると、それに乗れば美術館に一直線に来られますから楽で良いですよ。定員が四十人か五十人ですが、定員以上は乗せない考えなんです。満員で立たせてはね。立たせるのは間違つていると思う。私は前にパリーに長く居た人の話で、パリーは非常に良いというんです。住むならパリーだというんですね。何処が一番良いかというと、バスが一番良いという。四十人乗だそうですが、ずつと並んでいて、それが四十人乗るとキチンと出ちやうという。非常に気持が良いそうです。それが私の頭に残つてますから、それをやろうと思う。今地所を求めてますが、バスの発着所になります。それでハイヤーで来たのは、あそこの川に橋をかけて、美術館に横着けにして雨が降つても濡れないで済む様にする積りです。外人がきつと非常に多いと思います。外人は日本人と違い、それに日本に来て美術館を見ようというのは身分の高い人が多いですから、美術館にずつと入れる様に遺憾なくやろうと思つてます。あと一カ月で出来るんですから、内訳の事は話する必要はありません。その位にして置きます。

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今度「結核信仰療法」が出来上つたので之から印刷にかかります。更に面白い本を書こうと思つて書始めたんですが、それは「私物語」という本です。之は、私というものは普通の人間と違いますから、色んな神秘な事が多いんですよ。そういう事を只想像したりするよりか、明ら様に書いた方が良いと思つて、将来私というものを知りたいという人が沢山出来るに違いないですから、それに考えてみると釈迦、キリスト、マホメツトという人は、教え丈は書いたり説いたりしましたが、どうも個人的の日常生活とか、自分の内面ですね。そういう事を殆ど言わなかつたですね。或いはあんまり無かつたかも知れないですが、それで只生神様然としちやつて、甚だもの足りない訳ですね。私はそれとは反対に思い切つてそういつた面を書いて残して置こうと思うんですよ。それが、今の「私物語」という本なんですがね。今書始めたので、未だ纏まつていませんし、未だ直す点もありますが一寸読ませます。

(御論文「⇒私物語」)

それから、此間私の仕事を色々見て、丸で秀吉みたいというんです。それで私は、飛んでもない事を言う。秀吉があれ程の偉い事をやつた、どうして偉い事をやつたかというと、兎に角素晴しい殺人強盗の結果じやないか。幾人殺されたか分らない。然も、日本人許りでなく朝鮮人もあの時代に殺したんです。そうしてあれ程の色々な事をした――桃山時代というのを作つたんですからね。其点丈は偉いかも知れないが、根本が殺人強盗じや、やつぱり駄目だ。私は人を助けてやるんだから、其点を大いにみて貰わなければならない。と、斯う言つてやつたんです。じや家康はというから、家康は矢張り秀吉のものをそつくり貰つた。つまり、遠慮なく言えば大泥棒の上前を取つた。ですから結局、今迄なにか社会的に仕事をした――国家、社会に仕事をした人は、どうもそういつた――一方で非常な罪悪を犯してやるんですから本当じやないですね。そうかというと宗教家は教えを説いたが仕事をしなかつたですね。で、私は教えも説くし仕事もするし、言わば今迄で一番欲張りでしようね。何にも彼にもやるんですからね。然しそれは、人を助け世の中を良くする為ですから威張つたものですね。

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今年は赤痢が大分流行だという事が新聞なんかに出てますが、全くこう寒いのに――未だ夏にならないのに、随分各地に赤痢が続出してますね。今年は盛夏になると随分多いでしよう。或いはレコードを破るかも知れませんね。何時かも赤痢の原因は話しましたが、之を一口に言うと、頭を使つて薬を服む。之が赤痢の原因です。今の人は非常に頭を使うんですね。社会生活上頭を使わない訳にいかないからね。それで又色んな苦しい事が多いですからね。心配もするし智慧もしぼらなければならない。そこにもつていつて頭が大分悪いですからね。頭を酷使している訳ですね。そこにもつていつて薬を服みますから、薬毒がどうしても此処(後頭部)に寄つて来るんです。私は此頃一般は治療しないが、家の家族だとか或いは手近な人で工合が悪い時に見ると、皆之(後頭部)です。十人が九人迄ですね。之に浄化が起つて、つまり毒血ですね。それが下に、溶けて下つて来てお腹に溜つて、それが下痢になつて出るんです。それが赤痢なんです。医学では黴菌一方にして大騒ぎをやつてますが、実は大変結構なんです。つまり人間は、此処に溜ると頭が悪いんだから、頭許りでなく、始終此処に毒血を寄せますからイライラしてボーツとして来ます。よく交通事故がありますが、アメリカでもそうですが〈アメリカの交通事故で死んだのは戦争で死んだのより多いんですからね〉日本でもよく統計が出てますが、交通事故で死ぬのは多いんです。それは何が原因かというと、此処(後頭部)に熱が出てボーツとするんです。それで衝突したりするんです。それは頭が悪いからです。頭が悪いというのは、此処(後頭部)に浄化が起つているんですね。それから一寸した事で喧嘩したり殺したり――此間のメーデーの時でのことも、あの原因がやつぱり、之(後頭部)です。それから不快感ですね。物を善意に解しないで悪意に解する。何となく気持が悪い。それに一寸拍車をかけられると暴れる。暴れるのは、一つのヤケクソみたいなものですね。だから世の中の一番の忌はしい事は之(後頭部)が原因なんですよ。つまり薬毒の固まりです。之を神様がやつたというよりか、自然に浄化に依つて掃除される。それが赤痢なんですよ。だから赤痢位結構なものはないんですよ。赤痢になれば其人は健康になるし頭も良くなるしね。それなのに滑稽なのは、外から帰つたら手を洗え手を洗えというと赤痢菌なんて随分大きなものと考えている。手を洗つてみても、菌はこつちについたりあつちについたりしている。目に見えるものなら――泥みたいなものなら洗えば取れるかも知れないが、黴菌みたいに小さいものは、洗つた処で直ぐついちやいます。そんな面倒臭いことをするのは実に可哀想なものですよ。それで他に手がないんで、結局赤痢の注意というのは、暴食をしない様にと言いますが、暴食と赤痢は関係がないですね。暴食は只胃が太る丈で、血を暴飲するんじやないからね。暴食したつて、それが糞便になる位ですからね。又、手を洗えというのは実に子供みたいなものですよ。それで、あとは手も足も出ないんですね。それで心配して非常な金を使いますね。だから我々からみれば実に可哀想なものです。今度新聞にも書きますが、書いた処で信者さんには解るが、他の人は不思議だ位しか解らないですからね。兎に角そういう様な状態ですね。ですから信者の人は赤痢なんていうのは、反つて罹れば結構なもので、その安心丈でも大したものだと思います。

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五月二十六日

【御  教  え】
漸く美術館も出来ましたが、未だ形丈で中は一寸見られません。私が予想したよりも工合良く出来たので非常に満足しているんです。それともう一つは、非常に早く出来たんですね。それに就いて今迄の経緯(イキサツ)を書いてみたんですがね。読ませてみます。

(御論文「⇒美術館出来るまで」)  【註  栄光一六○号】

今読んだ様な訳で、つまり宗教を弘げるに就いて美術を利用したという事は、聖徳太子が元祖です。つまり私はそれを世界的にする訳ですね。まあ、之から世界的にする其最初の一歩として、美術館を日本的に造つたんです。然し、之が段々知れるにつれて世界の注目を浴びる様になりますから、やつぱり将来世界的のものにはなるんですね。で、之はまあ――熱海に大きなものを造る其見本として造つたものなんですが、之に依つて大体良く分りましたから、まあ一、二年の内に熱海にもつと大きい――私の予定では約三倍位のものを造ろうと思つている。之は本当に名実共に世界一のものが出来る筈です。ですから聖徳太子のやられた事を、もつと新しくもつと広くやつたという意味ですね。ですから、此間言つた救世(メシヤ)観音ですね。救世(メシヤ)観音さんを見た時そういう事が良く分つたんですね。其時に、其観音さんの霊が私に入つて来たんですからね。で、そういう事を私に知らせた訳ですね。ですから聖徳太子という人は非常に頭が良かつた。一ぺんに八人の言う事を聞いたという事を言いますが、之は大袈裟に作つたものに違いないとしても、兎に角非常に頭は良かつたに違いないですね。私も――自分は非常に頭が良いとは思つていないんですが、世間の人があんまり悪過ぎるので、較べてみると非常に良いという事が分るんです。ですから其点もよく似ていると思うんです。それで今朝も一寸、藤枝さんが来たので其話をしたんですが、私はくどいのが非常に嫌いなんですね。一つ事を幾度も言われるのはね。だからくどい人は面会しない――話合わない様にしてますがね。くどいというのは何ういう訳かというと、其人は頭が悪いから幾度も言わないと理解出来ないんです。それで、人に対しても幾度も言わないと解らないと思うんです。ですから私も幾度もやられるんです。それで、降参するんですがね。そこでくどい人は、其人は頭が悪いと、斯う思つて良い。之は私の自慢話になりますが、私は迷うという事がないですね。何かの問題があつても、何うしようか斯うしようかという事は――全然ない事はないが殆どない。聞いたり見たりして直ぐ決つちやうんですがね。ですから私は買物するのが早い。デパートに行つて、直ぐ之と之というんです。すると、家内なんか他の物をさんざんひつくり返して見た結果、やつぱり私が言つたものなんです。そういう事がよくある。今度美術館に出る友松という人の――やつぱり国宝なんですがね。之は京都の博物館に屏風が六雙預けてあるから見に来ないかとのことで、見て買つて貰いたいというんです。それで、去年京都に行つた時に、博物館に行つて拡げて見させたんです。一雙でも――一本しか拡げさせない。それで分りますからね。一つか二つ開けさせるんです。何しろ六曲の屏風を見るのに五分ですからね。それで之を決めたんです。五分位しか掛らない。それで帰つて来たんです。私は自分乍ら早いと思う。そんな工合ですから、美術館を造るにも庭を造るにも迷うという事はないですね。何うしよう斯うしようとね。直ぐ分るんですからね。ですから先の方で呑込めない事があるんですね。そこで、呑込めない許りでなく、あんなに簡単にしたんだから、やつぱり充分御考えになれないんだろうという様に解釈する。そんな様な事で非常に早いですね。早いという事は頭が良いという事になるんですが、私からいうと他所(ヨソ)の人は遅いんです。それで仕事が早く出来るから沢山出来るという訳ですね。それで、箱根は斯うやつて行(ヤ)つてますが、熱海も出来る丈報告を聞いて、月に一ぺん位行つてみようと思う。それで沢山なんですね。先の報告を聞くと大抵見当つきます。そんな様な訳で、今は原稿を書くし、新聞も雑誌も御蔭話は全部私が目を通すんです。目を通して、此人に読ませるんです。読ませて、幾らか直す処もあるし文を添える処もあるし、それから歌も――歌は訳なく出来ますが、まあ一時間あれば五十も出来ますがね。一番難かしいのは寸鉄なんですよ。之は笑わせなければならない。で、急所をピタツと言つて、ははあ成程という様に思わせて笑わせるんだから、之が一番難かしい。他のものは別に何でもない。「⇒結核信仰療法」も、あれは随分念を入れて――何しろ世界的に、世界中の人に見せるんですから念を入れてやりました。手間が掛りましたが、やつと出来て、之から印刷に掛ります。今度のは「私物語」という本で――変な題ですが、それを今から書こうと思う。それは非常に面白いと思うんです。今序文と少し出来ましたから――。

(御論文「⇒私物語  序文」)

其中での最初の一章ですが――。

(御論文「⇒私の神秘」)

それから、よく熱海や箱根を見て――之はまあ、未信者の人で相当偉い人ですが、先生は丁度秀吉みたいです。と、よく皆言うんです。それで秀吉みたいな点もあるが、根本が丸つきり違う。秀吉があれ丈の事をしたのは、元はと言えば殺人強盗の大きいのと同じです。それであれ丈の事をしたんです。つまりあの為に人を何人殺したか分らない。処が私は人を助けてやつているんだから、其点をみて貰わなければならない。と、斯う言うんです。成程家康も偉いが、殺人強盗をして物にしたものを、又物にしたんだから、確かに偉い人で功績はあるにはあつたが、根本が違うからそれ丈知つて貰えば良いという事を時々言うんですが、そんな様な工合で今迄の世の中は、色々英雄とか偉人とか言う人は、相当罪を犯したんですね。そうして立派なものを作つたり、天下に覇権を握つたんです。それから一方、人を助ける――救うという宗教家は、私から言うと意気地がなかつたですね。成程教えとかそういう事は中々命懸けで説いて、救おうとしたけれども、結局其時代の――時代も悪かつたに違いないが――今日と違つてね。いろんな圧迫をされたり――まあ、お釈迦さんなんかは出が出ですから、それ程でもなかつたが、それでも理想に偏つて現実的な救いはあんまりやらなかつたですね。沢山教えを説いたり、お説教はしましたがね。例えば、病気の原因を知らせるという事はなかつた。なかつたというよりか、病気の原因が発見出来なかつた。それから、農業も、芸術も――之が一番不足したと思うんです。キリスト、釈迦、マホメツトでも芸術は無関心だつた。で、中にはバラモン的に、そういつた美なんて言うのは罪悪の様に思つて、粗衣粗食小さな家に住む事を、反つて良いという様な説き方をした者も随分あつた。そういう様な点で歴史に残つている人としては聖徳太子丈です。尤も、矢張りああいつた位の高い処から出たですから、そういう影響も多分にあつた訳ですね。処が私は本当のどんぞこから出て、そうして美術を大いにやるんですから、此点も大いに変つている訳ですね。そういう様な訳で之からやる事も――今迄の色んな偉い人は非常に間違つている。そういう点なんかも之から書こうと思つてますがね。そこで、私がそんな様な、美術でも何でもやるのは、それは私がやるのではなくて、神様がちやんとそういう案が出来ていて、私がやつている様だが私が指図を受けてやつているんですね。要するに神様の番頭みたいなものです。だからさつき読んだ通り、奇蹟でどんどん出来ていくという訳です。だから其点に於ては非常に楽ですね。今迄何年も苦労した様な事を、私は何でもなくやつていくという訳ですから、そういう点も、それを心得て見なければ見当がとれないという訳ですね。その位にして――。

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それから、赤痢が今年は流行りそうだという事を新聞やラジオで盛んに言つてますが、之は何時かも話した通り、赤痢というのは頭の毒ですからね。後頭部の毒血が出るんです。処が其原因というものは、今の人は非常に頭を使いますからね。何しろ子供の内から学校で頭を使う。それから社会に出ても頭を使う事許りですから――中々農民や労働者でも、今の人は昔と違つて中々頭が発達してますよ。私はよくラジオの街頭録音を聞きますが、農村や何かで街頭録音をやつているんですが、百姓をやつている人で、中々上手い理窟を言うんですよ。私は驚いたですね。労働者にしてもね。ラジオで見えないから分らないが、代議士が言うよりもつと気の利いた事を言う人があります。私は感心しますがね。不断から本を読んだり思索をしているという事が分りますね。だから近代人は頭を使うという事が分るんです。頭を使うと血が頭に上りますからね。それが、良い血が上るなら良いが、毒血ですからね。それは薬を服み、注射するからね。頭を使うという事は、ここ(前頭部)に血が集まる前に後頭部に集まつて来るんです。後頭部を通過して前頭部にいくんです。それで、そこ迄行かない内に此処(後頭部)で固まつちやう。それから字を書いたり手を使つて――神経を使い易いから、此処に集り易い。それが浄化が起つて、溶けてお腹に行つて、それが肛門から出るんです。それが赤痢なんです。だから赤痢の原因というものは、今言つた様なものです。黴菌というのはそれを誘導するのに必要なものです。早く毒血を出さなければならない。それで黴菌が毒血にわくんです。それが伝染していつて多勢が浄化するんです。非常に結構なんです。病気の経路は今言うそういう様なものですがね。処が滑稽なのは今の予防法ですね。「外出して帰つたら手を洗え」「食事の前には手を洗え」それから「暴飲暴食をするな」「生ま物を食うな」と、そういう様な点ですね。手を洗えというのは、私は一番滑稽だと思う。黴菌が相当大きい――砂か泥位なものなら手を洗えば綺麗になるが、顕微鏡で見る様な小さなものが果して落ちるかどうかですね。落ちても又直ぐついちやう。本当に気休め程度ですね。それから生ま物を食うな。生ま物を食うなという事は、水を危険と思つているらしいです。水が危険としても、井戸はそうかも知れないが、水道はそんな事がないですからね。生ま物を水道で洗つて――そんな事はない訳ですが、下痢し易いんでしようが、下痢が結構という事は知らないからで、そんな様な訳で他に知らないから、アツプアツプやつているんですがね。可哀想な滑稽な様な話で、実に情ないと思つている位です。其理窟さえ解れば結構なんです。それが解つた信者さんは、其点丈でも幸福者ですね。大変なものですね。さもないと、外から帰つて来ても、怖がつて一々手を洗つて厄介な話ですからね。それで始終ビクビクしてね。それで一寸でも下痢すれば赤痢にでもなつたのではないかと心配しますがね。之は何時も言つているから、改めて言う事もないが、何んとかして早く解らせなければならないと思うんですが、どうせ神様がやられている事ですから時期の進むにつれて皆解からなければならないという事になりますから、時を待つというより仕方がないですね。

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五月二十七日

【御  教  え】
あの通り、美術館ももう直き出来上るんで、まあ――皆昼夜兼行でやつてます。つまり突貫工事というんですね。それに就いて今迄の経路を一通り書いてみたんですが、それを読ませます。

(御論文「⇒美術館出来るまで」)  【註  栄光一六○号】

大体今の経路で分つたと思います。面白いのは、あの美術館に入る壁の処から、段々上つて――あれを作る時には鳥の屋があつたんですね。処があんな幅の広い立派な道を作つたので、家内なんかも驚いて――あの道丈は馬鹿に立派だと言います。私も只何となくああしたいのでやつたのが、今思つてみると、美術館の入口にピツタリ合つちやうんです。あれが一尺外れても工合が悪いんです。だから神様がちやんと用意された訳ですね。けれども、私は分らなかつたんです。只そういう気持がしてやつたんです。それから面白いのは、竹をあそこに植えましたが、普通は田舎にある竹薮みたいに万遍なく生えるものですが、見ると一所にかたまつて生えたり、又飛んで生えたり――あれが面白いんですよ。万遍なく生えたのでは、百姓屋の竹薮に岩があるという丈で、風情がないです。処々にかたまつて生えるというあれが面白いのです。支那の壇芝瑞という人の絵は、竹許りある。それで壇芝瑞という人の竹は、ああいう工合に一所に寄つて生えているものですね。支那という国は妙な国だなと思つて居た。処がやつぱり支那という国にもそういう処があるんじやないかと思つているんです。だから丁度其処は支那風の感じなんです。之は今読んだ通りに、終戦後とても素晴しい物がどんどん出て――私が好きな物はどんどん出て、手に入るんですね。で、然も其時分に非常に安かつたんです。其時集まつた物は、今はとても――幾ら金を出しても買えないです。売物がないです。ですから其時分から神様がちやんと用意されたんですね。で、私は美術館なんて考えは少しもなかつたんです。只私は好きで欲しいから――買いたいから買うという丈だつたんです。そういう工合で、全然神様がやられているという事が分るんですがね。そんな訳で今読んだ通り宗教を弘めるに就いて、美術を利用したといいますか、それは今迄に聖徳太子以外にないですよ。外国にも無論なかつたですね。只日本の――聖徳太子。今度は私がやるという丈ですね。此点が今迄の宗教は非常に間違つていたですね。反つて、そういつた美術とかそういうものは、一つの贅沢な享楽的な意味で排撃した位ですね。反つて、汚ない家に住んで粗衣粗食で居る事が、本当の信仰としての生命である様に、そういう様に説いたり実際行つたりしたですね。まあ日本なんかでも、開祖なんていうと、乞食坊主同様に、草鞋脚半で足袋をはいてやつていたのが、如何に本当でなかつたかという事が分るですね。それはやつぱり、何時もの通り、世の中は地獄ですから信仰も地獄だつた。今度は昼間の時代になるし、天国的宗教としては今迄と反対に美しい――美ですね。そんな事は良く分るんです。今迄世界で色んな大きな仕事をした――偉い人は、大ざつぱにみると面白いんです。それに就いて、私の仕事をみる人は、よく――丁度秀吉と同じ様ですね。という事をよく言われるんです。今迄大袈裟にやつた人は無かつたですからね。それで私は何時も言うんですよ。成程見た丈の目ではそうみえるかも知れないが根本が違う。つまり秀吉は成程偉いには偉いが、結局、あの仕事をしたのは、遠慮なく言えば大きな殺人強盗ではなかつたか、つまり殺人強盗の親玉ですよ。石川五右衛門が千鳥の香炉を盗ろうとして捕つた時に秀吉が、貴様はずるい奴だ、なんて太い泥棒だ、と言うと、冗談じやない。俺よりか太閣殿下の方がずつと大泥棒だ。天下を盗つたじやないかと言つたそうですが、それは決して間違つていないですね。だから今迄の英雄豪傑というのは、大量殺人――とか、人の物を盗るとか、実際殺人強盗の頗る大きいのですよ。だから大きい為にそれをほめられる事になつちやつたんですね。又徳川家康も偉いには偉いが、結局秀吉が盗つたそれを、やつぱり自分が盗つたんですから――だから物にしたものを物にしたという訳なんだから、根本を考えてみれば、全般的には表面丈ですね。只仕事の結果は偉いという事は言えるけれども、根本はあんまり褒める訳にはいかないんです。けれどもそれは、そういう考え方は小乗的見方なんです。大乗的に言えば、矢張り其時代にそういう事をしなければいけなかつたんですね。矢張り神様の御経綸の一つだつたんです。ですから、要するに善悪の批判は出来ない訳なんです。そういつた、道義的に正邪善悪を正してみれば、そういう理窟になる訳ですね。ですから、之は日本に限らない。外国でもそうですが偉い事業をした人は兎に角悪でやつたですね。悪の手段ですね。で、悪を用いない本当に慈悲や善で救おうとしたのが皆宗教家ですが、宗教家は善をすすめ悪をするなという丈の話で、仕事はしなかつたですね。つまり物質面のそういう事はやらなかつたですね。だから結局幾ら人を救おうとしても、そういつた英雄や政治の為に抑えつけられて、結局目的を達する事が出来なかつた。それは相当の功績もあげましたけれども、本当に救う事は出来なかつた。只今迄はそういう工合に、事業をする英雄と、そういつた形の事をしないで、政治をする。そういう風に別れ別れになつていたですね。私が之から段々する仕事は両方兼ねているんです。一方で救い乍ら、又仕事も大きな――今迄の英雄や何かのやる、それ以上の形あるものをしようと思つてます。それも、別に私がやるのではなくて、神様が私を使つてやらせるんですから、自惚れる事も出来ないですよ。明ら様に解剖してみればそんな訳ですね。ですからつまり聖徳太子という人は日本的に規模が小さくそういつた事をやられたんですね。であるから、今迄の歴史をみても斯ういう風に思われるんですね。どうしても偉い人とか偉い事をするのは、善では駄目だ。善という奴は、要するに意気地なしだ。だから意気地のない奴が宗教にこもつたり、宗教人になつたりするという事を言われますが、それも間違つちやいないですね。どうも今迄の宗教家というものは意気地なしの点が非常にあつたですね。だから悪に負けて、何うする事も出来なかつたという事なんです。もう一つは斯ういう点も大いにあるんですが、それは力ですね。今迄の宗教で色々偉い人がやるのは力が無かつた。例えて言えばキリストにしろ釈迦にしろ病気を治す事は――キリスト自信は一寸はやりましたが、弟子にやらせるという事が出来なかつた許りでなく、病気というものを知らなかつたんですよ。だからお釈迦さんなんかは全然今のお医者さんと同じで、病気は薬で治せと、薬草彙本なんてお経を説いたんです。ですから病気は浄化作用という事は全然知らなかつたんです。そうしてみると本当に救いという事は出来なかつた。出来なかつたから悪人に負けたんですね。というのは、それ丈の力を与えられていなかつた。結局悪人に頭を下げさせるのは病気です。どんなに力のある悪人でも病気には敵(カナ)わないですよ。幾ら威張つても病気丈はしようがないですよ。ですから結局病気を治すという事は、悪に勝(マサ)る訳ですね。ですから私の仕事で、病気を治すという事が根本です。それで、あとの貧乏とか争いとかいうのは其枝葉という位のものです。話はその位で――。

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「⇒結核信仰療法」は出来上つて、之から印刷に掛るんですが、之はみれば解りますが、私は随分力を注いでやつたんです。医学を息の根が止まる程やつつけたんです。それでいて決してそれを攻撃する事も、反対する事も出来ないんですね。何となれば一分の隙もない様に書きましたから――まあ打込む隙がないというわけですね。だから之を出したら、随分驚くだろうと思いますね。で、世界中に配りますからね。特に、割合アメリカなんか早くはないかと思つているんですがね。今度の新聞に出ますが、アメリカの病院に入つて、浄霊で治したのが、アメリカの院長や担任の医者がみて解らないんですよ。不思議だというんです。ですから、そういう処に本を是非見せてやりたいんですよ。矢張り其人は結核なんですよ。大学に入つていたので――結核とすると、病院に強制的に入れちやうんです。それで色々奇蹟がありましたが、それで神様がアメリカの大きな病院の院長と医者を教育する。そういう面なんかも大いに読ませたいと思うんです。

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今度から別の面白い本を書始めたんですがね。それは「私物語」というんです。之を今読ませますがね。兎に角今迄斯ういうものを書いた人はないし、之は面白く色んな事の覚りを得るという意味ですからね。

(御論文「⇒私物語  序文」「⇒私の神秘」) (教十号  昭和二十七年六月十五日)