此標題を見た人は、私の頭脳を疑うかも知れない。何故なれば日本は戦には負けたが、依然として、文明国の仲間に入っている事は確かだからである。そうして先づ野蛮国といえば彼のアフリカを始め、地球上には色々の国があるが、よく考えてみると、之等は単なる野蛮国ではなく、野蛮未開国というのが本当であろう。只日本は未開の二字だけは慥かに除れたが、野蛮の二字は依然として其儘残っているのが事実である。
何よりも私は近頃の世相をみて、熟々そう思われるのは、余りにも野蛮的な事が多すぎるからである。何かというと集団的暴力を奮って社会を騒がしたり、人々を脅やかし、殴り合い、兇器の奪い合い等々、怪我をしたりさせたりしているというように、実に不安極まる社会である。而も将来文明の指導者たるべき、最高学府の学徒迄が其仲間になって騒ぐのだから、全く情ない話である。そうかと思うと市井の巷などでも、運チャンの首締め、殴打で人事不省にして、僅かな金を奪ったり、又一寸した事で人を殺したり、中には親子、兄弟の殺傷沙汰さえ往々あるのだから、全く野蛮極まる世相で、日々の新聞に一つや二つ出ていない事はない位である。
其他強窃盗、強姦、掏摸や放火、喧嘩、殺傷沙汰等、数えあげればキリがない程で、之が文明世界であるかと疑いたくなる。私は寧ろ獣に近い社会と曰った方が可いとさえ思うのである。という訳で実際現代人はまだ文明の何たるかを知らないようである。成程近代文明は機械の発達によって非常に便利になり、社会組織や機構などが科学的に巧妙に仕組まれるようになったので、単に見た目には驚異的進歩であるので、之が文明というもののあり方と思って了い、随喜の涙を雫(コボ)しているのが大部分であろう。処が何ぞ知らん、吾々からみれば之は文明の表面だけで、裏面は文明処か、野蛮がまだ大いに残っていると思わざるを得ないのである。
之を分り易くする為、歴史的順序をかいてみるが、抑々人類は原始時代から未開野蛮時代を経、それから宗教や学問の発達によって文明が生れたには違いないと共に、野蛮の方も減りそうなものだが、事実は減る処ではない。という訳で変な言葉だが、今日は文化的野蛮時代と言った方が適切であろう。従って真の文明時代とは之から出来る世界であって、此時代こそ全人類の待望する平和幸福な世界である。だが喜ぶべし、其時代は已に目前に迫ったのである。それは其時代を造る役目として生れたのが我がメシヤ教であるから、本教の今行っている事業を見ればよく分る。其第一着手としては、文明の裏に潜んでいる幾多の誤謬を指摘し、暴露すると共に、真の文明というものを教えているのである。故にそれを信じさせる為の手段として、神は旺んに私に奇蹟を行わせ、神の実在を信じさせているのである。斯うみてくると本教は既成観念で考えるような、あり来たりの宗教ではなく、全く新しい文明世界の創造者であり、世界歴史大転換期に於ける神の一大経綸の担当者である事が分るであろう。
(栄光百五十九号 昭和二十七年六月四日)