世界的迷信としての現代医学

よく時々新聞、ラヂオ等で報道されている事だが、鉄の肺で小児麻痺が治ったとか、赤ン坊の決定的死を親の血液と取替えて助かったとか、死人の網膜を移植して目が見えるようになったとか、心臓の手術が成功したとか云って、サモ医学が進歩したように特ダネ的に扱っている記事がよくあるが、之を吾々からみると、医学の低級さに情ないと思う位である。何となればよし治るにしても惨(ムゴ)たらしい冒険的手段で万一を僥倖するのであるから、確実な方法とは言えないと共に、仮に治ったとしてもそれは一時的で、決して根本からではないから、何れは必ず故障が起るか、再発するのは勿論である。

それに引換え本教浄霊によれば、それしきの病気などは簡単に治るのみか、そんな手数も要らず、苦しい思いもせずして安心し乍ら全治出来ると共に、再発の憂いもないのだから、到底比較にならない程の異いさである。従って本教の全快者の驚きは大変であると共に、絶対的信念を得て百八十度の転換となり、医学を棄てて了うのである。勿論病気になっても浄霊一本で済むばかりか、家族の誰でも信者になりさえすれば浄霊が出来るのだから、之程有難い事はあるまい。たとえ夜が夜中でも急の間に合うのだから、其安心感たるや到底言葉では表わせない程である。

処が之程進歩した信仰療法を、筆に口に知らせても一般は容易に信じられないのであるから、如何に医学迷信が根強く泌み込んでいるかが分るであろう。勿論政府も専門家も同様で、振り向いても見ないのであるから困ったものである。之を想像してみると斯うであろう。そんな馬鹿な事があって堪るものか、ヤハリ戦後派宗教の巧妙な手段の一つで、全然科学性がないのだから、迷信以外の何物でもないと決めて了うので、此態度こそ吾々から見れば恐るべき迷信以外の何物でもないのである。

右のように医学の僅かばかりの御手柄を、大々的に宣伝するジャーナリストも、ヤハリ迷信屋の味方であるから、吾々の方でどんなに奇蹟的効果を知らせても、豚に真珠で迷信を通り越して野蛮蒙昧人と言いたい位である。然し事は人間生命に関する重大問題であるから、何とかして彼等の眼を醒ましたいと思うが、右の通りだから仲々容易な業ではない。然し時が来れば神は絶対力を揮わせ給うから、其時こそ万人の眼を覚まさせられるのは言う迄もあるまい。

(栄光百五十九号 昭和二十七年六月四日)