本冊子は、御参拝日に於ける明主様の御教えを記録にとり、茲に「御教え集」として集録せるものであります。
明主様の神言の数々により病苦はもとより、人類の三大苦から救われ、歓喜の生活に入り得る事はいと易き事であり、且既成の文化の如何なるものを以てしても、到底達し得られないところの真理の大道を御示し下さる御言葉の数々、真善美全き御代への指針とならざるものはなしと信ずるものであります。
以上の意味により信者各位の必読の書たらん事を期するものであります。
注:(本序文は本号より第十七号まで同文で一部漢字を平仮名に改めただ けゆえ次号以下第十七号まで略)
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昭和二十七年六月御教え
六月五日
【御 教 え】
美術館も見らるる通り足場が取れまして――未だ外の方は色んな構えや、自動車の通る様な橋を作りますが、建物丈は外観が大体出来た訳です。誰でもそう思うんですが非常に早いんです。スピードですね。恐らく斯んなに早いのはないだろうと思うんです。之は、商売人で此処で仕事をしている人は殆ど全部信者になつている。それから又奉仕隊が一生懸命にやるという様な訳で、要するに普通の建物と異つて、つまり信者さんが本当の誠と熱でやるんですから早いのが当り前なんです。そうして、早ければ出来がぞんざいかというと、之は又あべこべで実に良く出来ている。丁寧に出来ている。見れば分りますがね。内部でも、世間にある美術館とは余程異う訳ですね。何処となく品が入つてますからね。つまり味わいがあるんですね。建築なんていうのは――良いとか悪いとかいうのは、丁寧にやつて気を入れたものは味があるんです。つまり見ていて飽きないんですね。之でみると一番よく分るんですね。理窟でなく感じですね。ですから私は美術館の中をみると、味があるんです。何も飾らない内から、あそこに居ると何時迄も居たい気がする。それでつい時間がかかる。そういう点なんか実に面白い。十日あたり前から品物を飾る予定ですがね。之は、飾り方も、只雑然と決りきつた事でなく、中の品物から並べ方から余程意味があるんです。掛物にしろ――此の掛物、此絵の隣は此絵と、調和がなくてはならない。だから並べ方も出鱈目では矢張り面白くない。それに絵なんていうのは非常に粗い細かい、色がいろいろありますからね。それから墨絵――そういう点なんかが一つの芸術なんですよ。処が世間のは、そんな事は全然無関心――でもないでしようが、傭われた人がお役でやる様な訳ですから、陳列の仕方なんかも随分変なのが沢山あるんです。それに就いて私のやり方ですね。早く出来るという事を一寸書いてみたんですが、之は大いに参考になると思いますから今読ませます。
(御論文「⇒私の考え方」)【註 栄光一六二号】
之は何事でもそうですが、浄霊なんかの場合も、つまり三十分なら三十分、一時間なら一時間やる場合にも、続けてやらないで一旦気を入れて、そうしてやると効果があるんです。それで急所を見附け様と思つて、一生懸命やるが急所が見附からない。それで一旦気を抜くと、直ぐ見附かる場合がある。それも、そういつた転換の為ですから、転換するという事が非常に良いんです。で、やつてみてスラスラと行く事は良いんですが、一寸行詰つたり一寸考えに余つたり解らなくなつた時は全然それから離れて他の事をやる。そうすると先の事が反つて解るものです。ですから私は一つ事を長くやらない様にする。大抵な事は最近一時間以上やる事は滅多にない。御守とか書をかく場合大抵一時間ですね。それから先はやつぱり能率が上らなくて、上手いものが出来ない。それから色んな指図ですね。大抵一時間から三十分です。それでどんどん変えていくんです。そうすると其一つ一つが割合旨く出来るんです。斯ういう事はつまらない事の様で、非常に仕事の上に影響があるんですね。それから何か考える場合に、一つ事を考えていると結局解らなくなつちやう。だからあんまり考える事はいけないですね。何でも、少し考えてみて斯うと思う考えがわかなければ止しちやつて、他のことを考えて他の事をするんです。そうして良い考えは刹那にフツと浮ぶものです。考え抜いて浮ぶものじやないんですよ。ですから、よく相談なんかそうですよ。何時間会議をしたとか――よく聞きますが、そんな事で決して良い案は出るものじやないんです。ですから何時か私は、信者の幹部の人で会議をするのに三時間とか四時間したというから、駄目だ。精々三十分か一時間で、それで案が出なければ止したらいいと言つたんです。良い案というのは一つしかないんです。三つも四つもないんです。一つしかないんです。ゴタゴタやつているのは其一つが見附からないからやつているんです。よく議会とか代議士会とか、一つ事をゴタゴタやつてますが、その一つの良い事が発見出来ないからやつているんですが、発見出来ないという事は頭が悪いからですね。頭が悪いという事は、頭が曇つている。曇つているという事は、今の人は薬を服んでいますから、そこで良い考えが出ないんです。よく色んな議論をしているのがありますが、一番面白いのはラジオの政界座談会がありますが――政界の色んな偉い人が集つてやりますが、一つ事を色々議論してますが、どつちも理窟があるんですが、自分の理窟が良いと思つて言つているんです。その理窟を較べてみるんです。最後に於て較べてみると、どつちかが良いんです。それで分ります。みんな色々言いますよ。それで較べてどつちが良いかという事が分らないんです。で、自分は之が良いと思つて、口角泡を飛ばして――今に喧嘩が起るかという様な事がありますね。ラジオでは見られないが、テレヴィジョンになつたらよく分りますがね。今はラジオ丈だから何んだが、丸で口論ですね。議論でなくて口論ですね。ああいう処をみても、今のああいう人達の頭脳というものは、甚だどうも褒められないですね。そんな様な訳だから、無駄な時間と無駄な労力を費して――大体議会でも年中延期々々ですが、延期等――つまらない、くだらないものをして延期をしてますがね。よくそんな暇が――代議士なんていうのは、暇人の相当な方ですね。だからああいう人達がゴタゴタしているのは――一種の、悪く言えばお道楽でしようね。一つの――議論をして、理窟を言つている。あれが面白いんでしようね。国民はいい面(ツラ)の皮だ。そんな様な工合ですからね。今の人に一番の肝腎なのは、頭をもう少し良くしたいですね。そういう点からいうと、明治初年の政治家の方が頭が良かつたかも知れないですね。頭が良かつたという事は、あの時代の人の方が誠が多かつたですね。やつぱり誠から出る論は良いですよ。不純な論だから変なんですね。一番面白いのは共産党の方から出る意見ですね。そういう事はどうも変なんですよ。大変理窟に合いそうでいて合つていないですね。だからラジオの時局座談会とか討論会ですね。あれをみても、共産党系の人は辻褄が合わないんです。で、自分はやつぱり良いと思うんでしようが――一生懸命にやつてますが、どうも聞いて居ても馬鹿々々しいですね。やつぱりそれは誠から出ていないせいでしようね。本当に国を想い、社会を想い、人民の幸福を想つて言う言葉は必ず人を動かす良いものが迸しるですね。
話は横道にいきましたが、結局人間は頭の働きですね。よく智慧と言いますが、智慧というのはそれから出るんですからね。だから宗教に於ても、智慧という事に非常に重きを置かなければならないんですが、其点に於て仏教でお釈迦さんが説いたのは、智慧という事に非常に重きを置いてますが、之は非常に良いですね。智慧正覚というと――お釈迦さんは覚者と言いますがね。覚りを得た人を覚者と言いますが、之は矢張り覚者になると良い智慧が出るんですね。それから偉い坊さんなんかは大智と言いますが、大きな智慧ですね。そういう様な智慧という事は、頭が良くなければならない。頭を良くするには、今言う精神を転換させるんですね。そうすると頭は非常に良くなる。それを今言つた訳です。
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それから此間結核半減のお祝をしましたが、あれを一寸書いてみた。
(御論文「⇒結核半減記念祝に就て」)【註 栄光一六一号】
之に就いて「⇒結核信仰療法」は出来て、今印刷の方に廻つてますからね。之は日本にも世界にも医学に関係した方面に出来る丈配る積りですがね。そうしたら少しは目が覚めかかるであろうと思つてます。随分徹底して書いてますからね。先ず医学が病気を作つている根本から精しく書いてありますからね。随分驚くだろうと思います。然しそれを反対するとか、突込むということは恐らく出来ないですね。それを出来ない様に実例をあげて徹底して書いてありますからね。まあ、黙つて居る事も出来ないですね。日本人も、驚くお医者さんがあり、外国の医学界もどうしても黙つて居られないですね。こつちは別に騒がす積りじやないが、どうしても、この病気というものに対する本当の事を解らせなければならないですね。それで人類から病気を無くするという事が、地上天国でも五六七の世でも根本ですから、それには何うしても世界人類を徹底して解らせなければならないですね。其の第一弾ですからね。まあ、只じや済まないと思いますね。そうしたら何と言つて来ますか――何とか言つて来るだろうと思いますがね。そうしたら又其次の手を打つ積りです。それで少くとも日本はお膝元ですから之は手取り早いから、先で聞きに来るか何んとかせざるを得ないだろうと思うんです。何しろ今そういつた世界の状態をみると黙つて居られないですよ。今度出来たハイドラジットにしろ、あれなんか大変な品物の様に大騒ぎをやつている。各国の政府が関心を持つて、其国のお医者に試験させ様としてますが、何んでも彼んでも薬に頼る。薬と、或いは手術とか、そういう事の一寸でも新しいものが出来ると、直ぐに飛びついて研究するという事が、殆ど薬迷信に捉われきつて居るんですから、之をぶち壊さなければしようがないですからね。といつても、此儘で行けば之で誤魔化して行けますが、いずれ浄化が段々強くなりますから、それは色んな病気が急激に増える時代が来ますから、そうなつてから周章てると犠牲者が大変ですから、そうならないうちに警告を与えて置く必要があるんです。今年は赤痢なんかが非常に増える傾向にあつて、何十年振りと言つてますが、今にこんなものじやないですね。何十年振りじやなくて、レコードを破つたり、それこそ今迄の何倍どころではない、何十倍という時期が来るんです。ですから其時になつて、初めてメシヤ教が言つた事は本当だ。之だという事が解りますから、そうすれば信者に一ぺんに束になつて来ますよ。ですから今の処は、その準備をしているんですね。そういう時代になると、治したり訳を教えてやる人が非常に必要ですから、そういう人を今神様が作つているんですね。ですから今信者になつている人はそういう人なんですね。そういう人にしろ、矢張り色々――医学では、博士もあるし学士もあるし町医者もあるし――まあ、成可く博士になる様に一生懸命にね。
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それから今評判の国際美術展というのを上野でやつてますが、あれは世界中の画家が協同的にみんな出したんですから非常に値打はあります。それで日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ブラジル、ベルギーと、大体そんな処ですね。ドイツはない様でしたね。それで各国の油絵の中から選んだ。相変らず未だ変な病気は治らない。やつぱりああしてみると、薬で病気を作つたり、それから肥料で減産にしたりしているのと――そういつた間違つた頭が、美術の方もよく似ているんですね。丁度油絵なんか、不思議な絵許りですよ。其中で評判になつているのはフランスのルオーとブラツクですね。マチス、ピカソは非常に新しがつてやつてますが、此二人はそう新しがらない。どつちかというと――旧派じやないが、落着いた方の作品なんです。然しそれを良く見ると――それは本当の審美眼から言うと問題にならないですよ。ルオーなんかも非常に大騒ぎをやつてますが、美術の内に未だ入つてないですね。未だ工芸品ですね。未だ、あの人達は美術という事を知らないんです。日本でもそういう画家は非常に多いですがね。それで世界中のを比較してみると、矢張り日本が一番です。之はそういう評判もある様ですが、確かに油絵は――日本はお弟子の様ですが、外国のよりか良いですね。それで日本の油絵は、兎に角活気があるんです。未だ若々しいですね。処がフランス、英国あたりのはもう時代から過ぎた――或いは、もうくたびれているという様な工合で、殆ど活気がないですね。沈滞している様な工合ですね。フランスなんか、人は非常に褒めてますが、全体からみて絵が非常に弱いんです。迫力がないんです。それともう一つは、フランスでいうとボリュームですね。ボリュームが非常にない。其点に於て日本は一番ですね。ですから日本人というものは、兎に角美術に於ては世界に卓越している人種と言つてもいいですね。それから、私はそれに就いて此間宮本武蔵の絵を買つたんですがね。達磨の絵ですが、実に上手いんです。私は驚いたですね。支那の宋時代の有名な牧谿だとか梁楷ですね。ああいう人達と遜色ないです。今度美術館に出しますがね。字も上手いです。字は一休によく似た字ですが、一休より上手いかも知れない。沢庵なんか問題にならないです。沢庵に始終教えて貰つてましたがね。武蔵の字は沢庵よりずつと上手いです。そうすると武芸者ですね。武芸の達人になると、レベルが同じになるんですね。一つの名人になると、他の事も矢張りそれにつれていくものなんですね。之は、よくそういう事をみますがね。私の処にありますが支那の宋時代の坊さんで、有名な虚堂という人のがある。観音さんの絵を私は持つてますが、之は実に上手いです。之は字より上手い位です。余り習つたとは思えないですね。矢張り字が上手い――上手いという事はそれ丈行が積んで魂が偉くなつているから、そういう人のは字を書いても絵を画いても同じにいくんですね。何時も言う通り、東洋美術としては支那の宋元の時代ですね。宋元を過ぎて明になると、実に下手ですね。実に不思議ですね。処が、宋時代に偉い画家が出ましたが全部坊さんです。だから牧谿和尚とか梁楷禅師とか――そんな様な坊さんなんです。最近手に入れたものですが、五代という――宋よりも一寸前です。唐、隋、五代から宋になるが、其時代の徐煕という人は実に上手い。私は驚いたですね。今度美術館に出しますが、之を今の画家が見たら、到底目がくらみますね。今、くだらない西洋の絵だとか、日本画なんかも迷つて油絵なんかの真似をしてますが、之は良いものを見ないからでしようね。昔の名人のをね。だからどうしても良いものを見せなければならない。今度美術館もそういつた支那の名人、日本の名人――そういうのをやつて見せ様と思つてます。之で大いに刺戟されるだろうと思います。そういつた美術家許りでなく一般の鑑識眼は高くなると思います。結局そういつた良いものを見なければならないので、そうすると、他の良い悪いが解るんです。処がくだらないもの許り見てますから、頭が下になつている。私は始終良いもの許り見てますから、今言う国際美術展に行つても、楽しんだり鑑賞しようという心が起らないですね。腹が立つたり情なくなつたりね。美術を楽しみに行くのではなくて、美術を憤慨しに行くんですね。馬鹿々々しくなるが実際はそうですね。だからそういう人達に良いものを見せたら相当刺戟して、頭が変るだろうと思います。日本でも今度文化事業の為に行く梅原龍三郎という人ですね。油絵の――。あの人は今日本で一番の名人でしようが、あの人は非常に書画骨董が好きですね。私より好きかも知れないですね。買つたといつてから、それから絵を画く。それ丈のものを稼ぐ。実にすごいですね。それでやりますから、梅原龍三郎のは実に良い。今度出しますがね。何処か違うんです。非常にボリュームがあるんですね。ですから見応えがあるんですね。他の現代の油絵とは違うんです。矢張りそれは見る人があるんで、あの人の絵が一番高いです。高くて、画くと直ぐ売れちやうんです。もう一人安井曾太郎という人が居ますが、あの人の絵は私はどうもね。だからそういつた点に於ても、ああいつた古い美術品を好きな人は何処か違うんですね。宮本武蔵みたいにね。それから、小説家がそうですよ。吉川英治がそうですがね。あの人は古くからそうです。三十年前からですが、稼いだ金で全部買つちやう。だから今も良いものを持つてます。だからあの人の作品も大いにそれが影響していると思うんです。今度の、宮本武蔵の書いたものは、吉川英治と徳川夢声は非常に欲しがるだろうと思いますがね。宮本武蔵は「二天」と書いてある。それから国宝が一つある。それは有名な――鶏の蹴合いの絵ですが、何しろ国宝になるんですから、如何に良いか分る。それに、実に数が少いんです。私も先から欲しいと思つていましたが、今度のは非常な傑作で喜んでます。そんな訳で、作家で好きなのは川端康成、大仏次郎。女では吉屋信子。ああいうのが好きな人は、あの方でも偉くなるんですね。だから人間はああいう古い美術で頭を養うというのは、他の事に良い影響がある。その方の親玉は秀吉ですね。若い時分から好きで、戦の最中で集めて来たという事は実に驚くべき事なんですね。ですから信仰上から言つても、ああいうものを見るという事は、要するに魂を向上させるんですね。魂の位を上げるという事になるから、矢張り美術館というものは宗教上から言つても必要なんですね。
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六月六日
【御 教 え】
今日は少いですから、一寸変つた話をしましよう。私は何時も大乗と小乗という事をよく言うんですが、之が本当に腹に入るのは、中々難しいらしいんですね。それで、全く難しいには違いないんですよ。そこで私は小乗にあらず大乗にあらず、大乗であり小乗であり――両方反対の事を言つているんです。之は経と緯でいえば、緯が大乗で経が小乗ですね。そこで大乗でもいけないし小乗でもいけない。それから大乗でなければいけないし小乗でなければいけないですね。だから非常に難しいと言えば難しいんですがね。解れば易しいんです。何でもない。だから一番それが分り易い考え方は、結果を見るんです。結果が良ければ大乗も小乗もないんです。大変理窟に合つていて結果が悪い人は沢山あります。むしろ理窟に合う方が結果が悪いんです。理窟に合わない方が結果が良いんです。今度は、可笑しな話で――理窟という事になりますが、よく昔から理外の理と言いますが、理外の理というのはないんですよ。理窟に合わないという事は理窟が違つているんですよ。理外の理という、その前の理というものは理じやないんです。理外の理という後の理は本当のものなんです。先の――理外の「理」ですね。其方が間違つている。で、世の中の道理というのは殆ど間違が多いんです。そこで間違つた理窟の他の理窟という事になります。処が、間違つた理窟の他の理窟という事は、間違つていないんです。そうすると理外の理という言葉はないんです。理内の理ですね。そこをよく考えなければならない。だから例えてみれば医学ですね。医学というものは科学だという事を言つてますが、私は科学ではないと言うんです。浄霊が本当の科学です。結果からみて浄霊の方が効くからね。それから浄霊の方なら、どんな深くでも説明が出来ますからね。医学では説明出来ない。風邪は何処が原因ですかと言うと、未だ発見出来ない。先生此病気は何処が原因でしようというと、斯ういう事になつているが未だ解りません。ハイドラジットは効くというが、何ういう訳で効くんでしようと言うと、そいつは分らない。実験したが分らないという。実験したが分らないという事はあれは科学じやない。つまりまぐれ当りなんです。多分効くだろうといつて、効くか効かないか、副作用があるかないか試すでしよう。動物実験から人間実験から――色んな事で試すでしよう。それは科学じやないんです。科学というのは方程式にちやんと合つてなければならない。だから動物実験するという事は科学じやないんです。鉄砲を射つても、弾道が正確だとちやんと当るんです。弾道が正確でないと当り外れたりするんです。だから、医学は色んな実験をする間は未だ科学じやないんです。つまり推理ですね。多分斯うだろう、多分良いだろう。之は赤痢に効くだろう。何人やつてみたら、それが良くなつたから確かに良いと――それは理窟じやないんです。まぐれ当りなんです。薬というものはみんなまぐれ当りです。何ういう理窟に依つて、何ういう作用に依つて効くという説明は出来ないんです。まぐれ当りの様な、そんなあやふやなものを学理と言うんです。凡てがそういう理窟になつてますから、本当の理窟の方が理外の理になつちやう。だから、今迄の理窟というものは、今みたいに外れている理窟もあるし、稍真理に近い理窟もある。理窟にも色々ありますがね。やつぱり医学で――よしんば薬が効くとして、一時効くのと永遠に効くのとありますね。半年は大丈夫だ。一カ年は大丈夫だが、その先は分らないというのは本当に効いたのではない。一時的なものですね。肥料もその理窟なんです。硫安なら硫安をやると、最初一年なり二年は効くんです。それが段々悪くなる。それに気がつかないで最初出来たから何時迄も効くと、斯う思つている。実に人間の目は近視眼になつているんですよ。遠くが見えない。処が浄霊すると今迄なかつた熱が出て来るしオデキが出てくるしね。だから一時は悪くなつた様にみえるが、それを越せば良くなるんです。それが医学の方は、一時熱が冷めたり痛みが軽減されたりする。だから理窟は、向うの方の理窟は短い期間の理窟ですね。永遠性のない理窟ですね。我々の方は永遠の理窟ですから、そこで真理なんです。小乗と大乗でも、そういう事が言えるんですね。で、小乗大乗の場合に、一番尤もらしく聞えるのは小乗ですよ。之は日本が終戦前に国家に忠義を尽せ、忠君愛国が本当だ。というその悲愴な理窟ですね。よく勤皇なんかの伝記とか色んな行つた事を聞くと、それは涙がこぼれる様な忠誠ですね。偉いと思いますね。然し私は其時分からそういう事が馬鹿々々しくてね。腹の中では笑つてましたがね。一寸聞くと非常に理窟が良いですからね。道理に合つている様にみえますからね。それで感心してみんな命迄捨ててやるんですがね。ですから私は何時でも、小乗的理窟と思つたのは、非常に日本は忠君愛国――日本人は忠義だと強調した時私は思つたんです。それじや朝鮮人も支那人もそういう忠君愛国だつたら何うだろう。すると日本が人口が増える。どうしても食い物が足りないので何処かに広がらなければならない。するとお隣の国に広がらなければならない。処がお隣の人間が忠君愛国だつたら厄介ですよ。他国の人間は一人でも入れるものか、国をやるものか。そうするとそこに武力を以て入り込むでしよう。防がなければならないとなる。だから忠君愛国は戦争を作る様なものだという事になる。戦争を作るものだとしたら間違つている。だからああいう敗戦の結果斯ういう風に変つたという事は、実は間違つた事が訂正されて本当になつた。間違わない事になるんですね。で、私は先から嫌いなのは忠臣蔵ですね。あれは嫌いで、ですから此前の春の大祭の時には講談で忠臣蔵をやらない様にと注意させたんです。私は大嫌いです。何故嫌いかというと、君に忠義を――浅野内匠頭の忠義のために自分の命を犠牲にして、苦心惨憺してやつたんですが、それは感心です。感心だけれども、本来仇討ち思想というのは、非常に間違つている。伜なら伜が――親父が誰かに打たれたというと、どうしても親の仇だと言つて、一生を仇を討つ事にのみ骨折つているとすれば、人間というものは実に馬鹿々々しいもので、世の中を良くする為に――神様が理想世界を造る為に生まれたのに、人殺しをやる為に一生を棒にふるのは如何に間違つているかが分るし、親の仇といつて討つと、其息子が又親の仇と言つてやる。そんな馬鹿々々しい事なんです。だから仇討思想を無くするのが一番良いと私は思つている。そこで仇討思想を最も偉く見せかけているのは忠君愛国が代表的なものです。だから私はあれはいかん、嫌いなのはそうなんです。之は祖先以来仇討思想を押込まれて来た為ですが、実に厄介な思想です。それでもう一つは昔の武家時代ですね。武家時代は武家が自分に都合の良い道徳を作つたんですね。その代り一生食うに困らない丈の扶持をやるから、殿様が不慮の災難が起つた時、或いは誰かにやられた時には――というのだから、うつかりやれない。だから其殿様が安全になりますからね。そこで権力者が安全にする為に武家道という自分に都合の良い道徳を作つた。その代り一生涯困らない丈の扶持をやるというんです。そこで忠臣蔵みたいにやるのは当り前ですよ。敢えて尊ぶべき事で値打を評価する価値はないですね。それは普通の人でも一生涯困らない丈のものを貰えば、そうするのは当り前です。一種の取引ですからね。食うに困らない丈の扶持を貰つて生命を維持されたんですから、君の為に命を捧げるというのは、経済的に言えば一種の取引です。だからそこに人類愛的な何もなければ、崇高な何もない。それを崇高にみせたり、神に祀つたりするのは、如何に其時の道徳が間違つていたかが分る。今の見方は大乗的な見方です。処が忠臣蔵は偉いとか曾我兄弟は偉いというのは小乗的な見方です。それは其人丈の見地から見ていくからそうなる。どうしても真理というのは、大乗的にみるのが真理なんです。何うみるかというと世界人類――世界をみるんです。世界が全部良くなるというのが真理であつて、それが大乗です。あと自分――兎に角せばめられた言動ですね。自分の家を良くしようというのは小乗です。そこで小乗の悪は大乗の善で大乗の悪は小乗の善という事になるんですね。自分の子息丈を良くするという事は小乗の善ですね。それを世界的にみれば大乗の悪ですね。そこで共産主義は小乗善です。他の者は不幸になつても構わないというのは大乗じやないです。結局悪になるんですね。で、世の中を騒がしておいて、大衆に不安を与えても自分の主義を通そう。自分の階級、団体のみを幸福にしようというのは小乗的にいえば非常に良いんですが、世界人類的に言えば悪なんです。そこでああいうのは一時的で決して成功しない。しないけれども、神様の経綸上矢張りあれも必要なんです。つまり、善と悪を闘わして今迄の文化を発展させたんですからね。だから之程物質文化が発達したんだからね。之は善悪を闘わした為なんだから、今迄の事は仕方がなかつた。処が何時迄も摩擦させると人類を進歩させるんじやなくて、滅亡させる事になる。だからここいらで打切つて、善悪の摩擦をさせない――させないといつても、戦争の様に人殺しの摩擦をさせないんです。というのは、国際競争ですね。之はある。例えてみればスポーツですね。ああいう風に世界各国が優勝を得ようとしてやる――之は摩擦でも、闘争でなく競争ですね。之は大いに盛んになる。ですから神様の経綸からいうと、そういう方に人類の頭を持つていくんです。で、殺し合いはもう打止めになるんです。一番分り易くいうと、原子爆弾ですね。殺し合いが続いていくと原子爆弾を持出す。そうすると人類は滅亡になりますからね。ですからここ迄来て、ここで善悪の闘争は止めさせる時期になつたんですね。そうすると善悪の闘争がなくなる世界になると、今度は今言う競争ですね。そういつた様な事が盛んになる。今度は芸術の世界です。人間は今迄人殺しに一つは興味を持つたんです。武士とか色んな戦国時代ですね。つい最近に至る迄人間は殺し合いに興味を持つていた。我々から言うと、あんな命懸けで危ぶない事や、危ぶない職業ですね。武士なんか真平御免だが、あれを希望して武士になりたがる人間が沢山あつた。そうすると殺し合いが如何に好きだつたか、興味を持つていたかが分る。そこで之からの人間は人殺しの興味という事はなくなつてくるんです。で、人殺しに興味を持つているのは副守護神です。動物霊です。だからそういう社会が出来たんです。それは霊界が暗かつたせいで、副守護神がのさばつていたんです。霊界が明るくなると副守護神の力というものは非常に薄くなるんです。弱くなる。副守護神が弱くなると本守護神の方が力が強くなる。そうすると平和的なものを好むんです。ですから副守護神が萎縮するに従つて、人間は他の楽しみを持つて来る。人を殺すんでなく、人を生かすとか人を喜ばすという事の興味が段々起つて来る。それは何処にいくかというと芸術にいく。もう少し経つたら書きますが、五六七の世になると非常に芸術が好きなんです。大抵一つの町に一つ劇場なんか出来る。そうして至る処に公園が出来るんです。公園や花園――そういうものが出来る。それで、一週間に一度宛町々村々で集りがある。で、集つた時にみんな美術品を見せ合つたり、娘に踊らしたり、他の人は歌をうたつたり、それを非常に楽しみにする。又文学的なのは歌をやるとか俳句をやるとか、碁将棋ですね。それに依つて競争する。そういう世界です。それから料理なんかも非常に発達して、其時に食べ較べて――御馳走を作りつこする。それから旅行ですね。旅行なんかも、殆ど汽車賃なんか只みたいになるですね。それで会社とか工場とか団体的なものは、ちやんと定期的に旅行出来る様になつて、そうしてやつぱり――金持も貧乏人も色々ありますが、貧乏人でも食うに困る様な貧乏人は全然なくなります。最低生活といつた処で楽々食べられる様になる。というのは病気がなくなりますからね。病気がなくなれば貧乏人なんか決してない。貧乏の因はみんな病気なんですからね。それから了簡が今よりみんな良くなりますから、そこで喜んでみんな働きますからね。そこで非常に良くなる。半日働いて楽々食つて行ける。そうして富豪は凡て利益を公開しますからね。此半期は三井は何億万円入つた。住友は何十億の利益があつた。と、はつきり公表する。そうすると、それを私に使う事は出来ないんですね。普通は三分の一丈を所得にして三分の二を公共事業に出すんです。何ういうものに出すかというと、娯楽施設です。劇場なんかですね。そこで入場料なんか殆ど申し訳で良いですね。金儲けが目的じやないからね。そこで、芸術なんか非常に発達して来る。建築なんか、壮麗な素晴しいものが出来る。それこそ天国浄土みたいなものが出来る。私の地上天国の模型なんか、極くしみつたれなものでね。其時代になつたら、こんなものは場末に出来る様なものですよ。ですからそうなると色んな演劇とか映画とかは非常に違つて来ます。こんな話をしていると切りがありませんがね。今に段々書きますが、兎に角非常に楽しい世の中ですね。神様はそういう世の中を造る目的で今迄物質文化を発達させたんですからね。発達させるには矢張り悪人がなくちやならないし、殺し合いをさせなければ発達しないし、人間発明発見――発明というのは戦争の為にあつたんですから、今迄は必要だつたんですね。そういう風に考えると、今迄の戦争の時代というのは愈々終りに近づいたという事は分るんですね。
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それから斯ういう事を時々聞くんですがね。私の本や何かで裏表があると言うんですね。そういう事を聞くんですがね。一時そういう事の随分甚だしい事があつたです。裏表がある様にみる人は邪神が憑つている。何故というのは、今迄のお経にしろ、凡ゆるものは夜のものだから、どうしても確かに裏表があつたんです。夜の世界だつたら、此処丈は月が照らすから見えるが、此処は見えない。処が昼の世界では此処も見えるが、此処も見えるんです。だから裏表はないんですね。だから私の説いたものはそんな事はないんです。その儘信ずれば良いですね。それから今迄の事は根本が悪になつていたから、明ら様に言う事が出来ないんです。そこで秘密があつたんですね。凡ゆるものがそうだつたんですね。之は宗教も無論そうでしたね。何しろうつかりすればキリストみたいや、日本の色んな偉い坊さんでも島流しになつたり、殺され様としたりしたから、どうしても明ら様に出来ない。秘密にしたんですね。我々だつてそうですよ。終戦前はそうですよ。はつきり言えなかつた。だから「⇒明日の医術」でも曖昧極まるものがあつたですが、あれははつきり書けなかつたんです。処が今はそうではない。言論の自由ではつきり書けるから、今度の「⇒結核信仰療法」ははつきり書いた。日本がそういう民主的になつたという事は昼間の明るい時期に一歩近づいた訳ですね。そういう訳ですからメシヤ教というのは昼の世界を造る。昼の世界になるについて出現した宗教です。ですから今迄の日本の宗教と違うんです。だから私の言う通りにやれば決して間違ない。裏があると思つたら間違ですね。だから素直になれというのはそういう意味ですね。素直にその儘やれば凡て旨くいくんですね。
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それからもう一つ肝腎な事は――之に就いて二、三日前に宮本武蔵の絵を買つたんですが、今度美術館に出ますが、達磨さんの絵です。実に上手い。驚いたですね。支那の宋元時代の名画に遜色ないですね。国宝も一つあります――宮本武蔵の絵のね。そこで武芸の達人になると凡てのものも矢張り其奥義に達するんですね。之は非常に、知つて置いても良い事なんです。色々な種類がありますがね。部門ですね。絵でも彫刻でも芸能でも又文学でも、日常生活ですね。凡ゆる人間生活に種類がありますが、此内の一ついきますね。そうすると他のものも其処にいくんですよ。下にさがつていてもね。之が面白いですね。そこで武芸の達人なら達人になれば、絵を画いても武芸の達人の処迄いくんです。そこで字の上手い人は絵が上手い。絵が上手い人は字が上手い。斯ういう事になる。私が何をやつても上手くいくという事は、霊的に魂が上にあるから、凡ゆるものが斯う(上位に)なるんです。だから庭を造つても建築をやつても――最高の庭になるんですね。建築でも最高の建築になるんですね。それは別に教わらなくても、自然にそこにいつちやう。そこで美術館を造つて名人の良いものを見せるというのはそこに意味がある。だから美術の良いもの――高いものを見ると、其人の頭が之に接近しますから、矢張り信仰で身魂を磨くのと同じ結果になる。只昔の人は色んな難行苦行をして身魂を向上させたものです。それは地獄の信仰です。つまり夜の世界の信仰です。そこで私は天国的宗教ですから、昔の人が水浴びたり断食したりするのと同じ結果になる。それは行動からいえば大したものなんですが、売薬と違つて斯ういう場合は大丈夫です。そういう訳ですから、神様はつまり美術を大いに利用したんですね。聖徳太子はそういう考えだつたんですが、時期が早過ぎたんです。だからあの時代丈救うには効果があつたが、あの後やつぱり夜の世界ですからね。只美術丈は残つたが思想的には大した効果はなかつた――とはいうものの奈良にあれ丈の美術を作つて残してあつた為に、時々人間が行つて、それから受ける刺戟に依つて幾分かの効果はあつたに違いないですね。違いないけれども時期がつまり言わば早過ぎたんですね。夜を出ない内にやつたんですね。今度私がやるのは、丁度夜明けの時期になつたから時期もピツタリする訳ですね。そんな訳で今の宮本武蔵の偉さというものは、何でもそういつた様な、名人というものはそういうものだという事です。そうして武芸の達人にしろ、凡ゆるものの達人というものは、一寸考え方が違うんです。ここの処が大乗道の上の方のものなんですね。一寸分り難いですが、一番手つ取早くいうと、武芸の本当の名人になると腹の力を抜くんです。よく人間は腹に力を入れろというが、あれは本当じやない。間違つている。だから、力を入れるとか、頑張る――そういう事がいけないんです。だから決して頑張つてはいけない。頑張ると力が限度になるからね。頑張らないのが非常に力が出るんです。丁度浄霊で力を抜く程効果があるというのはそれなんです。だから色んな事を人が言つた時に、何処迄も自分の主張を通すというあれがいけないんです。愚かになるんですね。私が素直にしろ、素直にしろと言つているのは、素直にするのは勝つんです。最後には勝つんです。従わせる方が下になつちやう。よく負けるが勝ちと言いますがね。議論しますね。こつちの方で負けますね。そうすると勝つたんです。何故なら議論した方は主張を言つちやつたんですから、あとは何もない。素直に負けた方は何んなものを持つているか分らない。だから勝つた人は恐いんです。負けた人は何でもないんです。ひどい目に合わされた人は一時は恐いが時間が経つに従つにて決して――不安はなくなるんですね。むしろ先方は満足しているだろうと思うから、こつちの方は気が明るい。ひどい目合わせた方は、あいつは怨んでいるだろう。仇討ちをしないだろうかと、気が苦しいんですね。だから負けた方が勝つているんです。だから何でも負けて先方の言い条を通させるんです。之は腹の力を抜くのと同じです。だから私はどんな部下の、つまらない事を言つても、出来る丈言う事を聞いているんです。私が主張を通そうとする時は、悪に蹂躪される時丈は強いんですが、そうでない時には従つているんです。よく世の中では部下の言う事を聞くと値打がなくなる様に思うんですが、実に滑稽なんですよ。バーナード・シヨウがよくそういう喜劇を書きましたが、一つの喜劇なんですね。私はマッカーサー元帥がヒリッピンで攻められた時に逃げましたが、逃げる時に――いずれ又此処に来るからと、逃げたんですね。あの時に私はマッカーサーというのは偉い人だ。今に大変な仕事をするからと言つた事があるが、それは負けたからです。逃げたからです。兎に角軍人で逃げる位の軍人は名将になるですね。何処迄も命を捨てて向つて来るのは、極く下の下ですね。そういう様な訳で、結果というものが、非常に違うんです。そこでさつきも言つた通り、一時的ですね。医学で一時的良くなつても駄目で、永遠に――将来迄良くなる。それが真理だという理窟にも思うんです。だから今言つた負けるが勝ち流に世の中を渡れば必ず旨くいくんです。結局勝つんです。ですから凡ゆるものが、世の中の事は逆が多いんです。ですから逆の結果、逆の現われかけ――そういう事をみて、それに学ばなければいけないんですね。そうすると楽々と成功するという訳ですね。それで私がメシヤ教を始めた時分の――其前からですが、出来る丈人に知れない様にしろ、宣伝的の事を決してやつてはいけない。目立たない様に目立たない様にヒツソリヒツソリする様にとみんなに言つたんですが、よく宣伝的にもつとやつた方が良いと言つた人がありましたが、私は知れない様に知れない様にやつた。処が知れちやつた。之が逆効果です。だから知れる様に宣伝的にやつた宗教というのはあんまり知れないんですね。然し他の事はそうではないですよ。売薬とか石鹸とかああいうものはしますが、そうではない本当の仕事ですね。それは出来る丈地味にした方が良い。ですから支部や分所を作つても、世間に知れる様にしたら反つて知れない。知れない様にした方が知れるんです。斯ういう事を言うと切りがないから此辺で何して置きますが、そういつた様な事を私はボツボツ書いてますが、之は一つの聖書みたいなものですね。聖書は良い事が書いてありますが、中々解らないんです。それにあの時代は、時代も違つてますからね。あれを今の人間に合わせ様と思つても、中々ね――「金持を救うのはラクダを針の穴に通すが如し」と言つてもね――そうすれば金持は絶対に救われない事になる。あの時代はあれで良かつたんですが、今の時代に合つた様な事を色々書く積りですがね。話はその位にして置きます。
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六月七日
【御 教 え】
落成式が近づいたので、大分少ない様ですが――昨日も少なかつたので話をしたんで、非常にみんな喜んでましたから、今日も話をしようと思います。之は肝腎な事ですが、よく私の書いた文章だとか、私の言つた事もありますが、明主様の仰言る事でも矢張り裏表があるから、そういうのも考えなければいけないといふ様な事を時々聞くんです。そういう人があつたら、それは邪神が憑いていると思えばいいんです。私の言う事は決して裏表がないんだからね。言つた儘、字に書いた儘、その儘受取れば良いんです。そういう裏表を書く様では、何処迄信じて良いか分らなくなります。それは何ういう訳かというと、終戦前は危ぶないですから、あの当時の官憲は偉い人が出るという事を非常に怖がつた。それですから大本教でも人の道でもやられましたけれども、その根本は生きた人間を拝むんです。生きた人間を拝むと天皇陛下より上という事になるんですね。そこで、人の道なんかは御木徳一という教祖の像をニツケルで作つて――お宮の真中が天照大神で、向つて右が代々の天皇、左が祖先と、斯ういう風な像を作つて、天照大神の前に御木徳一氏の像を置いて、それを拝ませた。で、他のことはみんな官憲が作つたものでしようね。根本はそれなんですよ。つまり不敬ですね。天照大神の前に自分の像を置いて拝ませるという事は、丁度天皇と同じ様な意味になりますからね。又どうしてそんな事をしたものか一寸気が知れないと思つたんですがね。然し矢張り信仰的に――神憑り的にそういう風に信じたんでしようね。それが元だつたんです。大本教なんか、出口王仁三郎先生ですね。あの人が不敬も不敬、大変な不敬だつたですね。十六の菊の御紋を附けた羽織を着て、服装なんか宮様でも着る様な服装をして、言う事も、ワシが日本の本当の天皇の系統だと言う。というのは、あの人は有栖川の宮さんの落し子だそうです。之は本当でしよう。有栖川の宮さんが京都に滞在なされた事がある。其時に近侍として出た若い娘にお手がついたとの話です。其時生まれたのが出口王仁三郎先生だと言うのです。だからお母さんが有栖川の宮さんの胤を戴いた訳ですね。それは、お母さんが危篤の時に出口先生が行つて今迄隠していたがお前は本当は斯ういう事情の下に生まれたのだという話をされた由です。その直後に私は見舞に行つて帰つて来て出口先生に直接聞いたんです。それからガラッと変つたんです。俺はそうしてみると本当の日本の天皇の系統だという気持になつた。それで明治四十年頃に南北朝正統論というのが喧ましく言われましたが、学者の説で南朝が正統だという事になつたんです。で、其当時の天皇の系統――終戦時の天皇の系統は北朝ですから、北朝は本当ではない。俺は南朝の正統だから、俺こそ日本の天皇になるべきものだという考えになつちやつたんでしよう。それから外出する――旅行なんかするにも、儀仗兵的に――駅なんかに着くと、あの時分青年隊というのがありましたが、それは全部軍人の様な服装をして、出口王仁三郎先生はちやんとサーベルか何か持つて――剣を持つて――それは抜くと旗なんですが、剣の形にね。それでプラットホームに行くとみんな敬礼している。それで陛下の時の様にしている。外に出るとオートバイが二台先頭に立つてズーツと行くんです。それで後からお供の車が二、三台行く。之は私が大本教を脱退した一つの理由だつたんです。危ぶない、之はやられると思つてね。其時諌言した人も相当あるんですがね。注意したんですが、その注意が可笑しいんです。出口王仁三郎先生は聖師様と其時言つていたが、「聖師様はそういう思召はないんだが、側の者がそういう事をするのはけしからん」というのと「聖師様がそうするのだ」というのと両方ありましたが、何しろ危ぶないので、それが脱退した一つの理由です。それで官憲の方はけしからんと根こそぎ弾圧したんです。あとで行つてみると、よくも壊したものですがね。月宮殿というのがありましたが、みんな壊れて――戦災の跡みたいです。みんなダイナマイトで壊したんですから、見る蔭もないです。そんな様な工合で、其当時の官憲は偉い人というのを非常に嫌つた。だから私が病気を治したりすると、有難がつて敬つたりしますが、それが危ぶないんです。だから出来る丈そういう事のない様に小さく小さくやつていたんです。それでも大宮警察署に引張られて其処で拷問にあつて――之は肉体的拷問です。頭の毛を引張られたり、剣術の竹刀を持つて二人の奴が腰骨をくだくと迄言つてやられたり、それで全然有りもしない事を書いて判を捺せというんですからね。今度の静岡の取調も随分ひどかつたが、それ程ではなかつたですね。随分ひどかつたが、今言つたそういう恐ろしい事はなかつたですね。それを警視庁にやると、岡田という奴はけしからんとブラックリストに載せられる。それで至る処警察の奴が放たれて――監視付ですね。随分あの当時は嫌な感じだつたです。熱海に来た時は――東山荘に来た時ですね。熱海の警察署から二人来て、屏の穴からのぞいて、今日は男が何人女が何人、何時頃帰つたと記録していたんですからね。だから時々変な男が家の廻りを見に来たりするんで、だから気持が悪くてね。それで、天国会の中島さんがやつている時警察が来て、病気が治るという事は、つまり観音様で治るのではない。陛下の御稜威で治るんだ。陛下の御稜威で治るというのを言うのなら良いが、観音さんで治ると言つてはいかんと、そういう事がありましたね。そんなこんなだから、やり悪(ニク)かつたんですよ。その当時中田重治という人がやつていたホーリネスというキリスト教会があるんですが、そこなんか幹部の者が六人牢屋に入れられて、非常な拷問や虐待を受けて二人牢で死んだです。まあ殺された様なものですね。中田重治という人も病気になつて死にましたがね。何が原因かというと、再臨派といつて、キリストの再臨を信じた。キリストは黄金の国に再臨するといつて――黄金の国とは日本で、日本に再臨しなければならないというので、再臨派は相当居たですね。先に大阪の人で、位置は大阪に違いないが――大阪に再臨しているに違いないと、そうして探した人がありますがね。そんな訳でホーリネス教会の一人で、一体キリストが再臨したら、天皇とキリストと較べてどつちが偉いんだ。斯ういう事を言つたんですがね。それは日本では天皇陛下は偉い方に違いないが、世界的に言えば矢張りキリストの方が全人類を救われるんだから、先ずキリストの方が上とみなければならない。その一言でやられたんです。只其時分に日本の軍部――日本の天皇陛下は世界を統一する――八紘一宇ですね。そこで天皇より偉いという事になればそれは大変なんです。それ丈で遂々つぶされましたがね。近頃幾らか小さく始めている様ですが、まあ気の毒なものですよ。中田重治という人は中々立派な人で、言う事は正しかつたですね。むしろキリスト教の方ではホーリネスを注目していたですがね。ホーリネス教会という名前で何処かに出来たという事を聞きましたがね。
「明主様申し上げます。関西の方で再臨教会というので盛んに致して居ります」
そうでしようね。やつぱりあれは、キリスト教も本当に研究すればそこにいくんですからね。そんな様な訳で――話が馬鹿に横道にいつたんですが――本筋が分らなくなつちやつたが、そういう訳ですから、そうそう裏表の話でした。そういう訳だから、はつきり言えなかつたですね。ですから私の本なんかでも、最初の「明日の医術」なんかは随分ぼかして書いてありますから、確かに裏表があつたんです。日本でも最初――昔、仏教の最初の時代ですが、あの時代には随分神道や何かも力があつて、本当の事が言えない為に大いに――裏表どころではない、裏許りの説き方をしていた。其時分の――真言密教ですね。あれがそうなんです。密教というのは、本当の奥義はお釈迦さんは七王の上にあるとしてある。七つの王様の上にあるというんですね。ですから其時分の天皇に対して非常に不敬になるんです。天皇より上なんですからね。大本教にそういう研究家が居て、釈迦は七王の上にあるんだと言つて、警察に呼出されて随分やられた様です。そうして其弁明に非常に苦しんだ様ですが、之は宗教の――霊界の事だからというので、旨く誤魔化した様ですがね。そんな訳で、言葉や筆で知らせる事が出来なかつた。ですから覚りでいくんですからね。本当の事を言わないで、本当に近い様な事を言つて覚らせるんです。教えをして、味わいですね。あれをさせる時には試験の時には大僧正の前に行つて、大僧正からお前解つたかというと、解りました。それで良いんですからね。それでちやんと霊的に通じている訳ですね。霊的に解つたんです、ですからあの時分は暗号と言つて符牒を作つたんですよ。丁度今の共産主義の様なものでね。昨日かの新聞に出てましたが、共産党の暗号は野球に準(ナゾ)らえてね。そういう事は日本の密教が初めですよ。その言葉を何かで一寸見ましたがね。共産党よりか上手く出来てましたよ――もつと深かつたですね。共産党のは直きに分りますからね。そんな様な訳で、だから仏教でも嘘は許されていたんです。ですから「嘘も方便」と言いますがね。ですから嘘は――結構じやないが、それ程の罪にならないです。罪になるのは偽(イツワ)りです。嘘と偽りは違うんですよ。嘘というのは、先が信ずるも信じないも勝手です。鼻の先であしらう――嘘言つてやがらあ、とね。偽りというのは嘘の具体的効果ですね。人に嘘を言うのはそれ程でもない。場合に依つては嘘を言つても良いんです。ですから嘘というのは空虚なものですね。ですから口偏に虚(カラ)と書きますね。偽りというのは中に実体が入つているんですね。
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それからもう一つは、理外の理という事をよく言いますが、理外の理という事は、あれも本当じやないんですよ。理外に理はあるものじやないです。理外に若し理があるとすれば、其理は非理ですね。というのは理外の理の、最初の理と後の理が違うんです。今理外の理という最初の理は理じやないんです。後の理が本当なんです。理というのは道理であり真理です。真理というのは理外の「理」の理ではないんです。ですから理外の「理」というのは真理じやない。偽理ですね。後の理の方が本当に効果的、実質的ですね。そうしてみると今迄の理窟とか道理とかいうのは、それは嘘だつた。贋物だつた。ですから、私の言う事は真理なんですが、真理でない偽理の方が一般的になつている為に真理が可笑しく取れる事がありますね。だからよくありますが、最初メシヤ教の説を聞くと余りに突飛なんで、正面(マトモ)に信じられない様な奇想天外なので喫驚する。とよく書いてありますがね。それは本当いうと、私等が世間で言う様な理窟を聞くと、奇想天外と思うんです。全然なつていないので、あんな事をしたら飛んでもない事になる。例えてみれば結核新薬のハイドラジットなんか大したものと思つて世界中で大騒ぎしているんですが――それに就いて一つ書いたんですがね。
(御論文「⇒結核半減記念祝に就て」)【註 栄光一六一号】
それから、今日は凡てが間違い切つている訳ですね。それを治すのが我々の仕事なんだから、大変な仕事には違いないですね。
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それから又話が違うけれども、大本教のお筆先に旨い事が書いてあるんですよ。「人間が見て解る様なちよろこい仕組ではない。神の奥には奥があり、その又奥に奥がある仕組である」という事がある。それから「神界が解らないと思う人は解りたるのであるぞよ」斯ういうのがあるんですね。それは何ういう訳かというと、人間的の考えで判断するのは、之が一番怖いんですね。兎に角人類を救う――新しい文明世界を造るという位の非常に大きな深い仕組なんですね。だからして人間的の判断なんかで到底解るものではないです。そうかといつて、それをはつきり言う事が出来ないですね。矢張り時代に――時期に依りますからね。私は先から少し宛段々近い処を説く様にしてますが、未だ未だ其深さというのは何処迄もありますからね。時期の進むに従つて、説いていく訳ですね。だから人間は、奥の奥――深い処、神秘な処を分りたいのは誰でもそうですが、それを分ろうと思う丈ならいいが、只上つ面の処で――自分の小智小才を以て善悪を判断するというのが一番工合が悪いんですよ。それが又、分る様なら矢張り神様と同じなんだから、分らないのが当り前で、只素直に時期を待つという態度で居るのが一番良いんですね。
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それからもう一つは、人から色んな事を聞きますが、それを正面(マトモ)に信ずるという事が、之が又危ぶないですね。だから色んな事を聞いても、成程良い、然し之は神様の御趣旨に合つているか何うかという事を先ず考えてみて、どうも神様の御趣旨に合わない点もある様だという場合には、御神書を見るんです――読むんです。そうすると大抵な事は何処かにありますから、それで判断をするという事にしなければならない。そういう事で間違える事がよくありますからね。最近斯ういう事があつたですね。或信者で、メシヤ教は天国を造るんで、家庭も天国にしなければならない。そうするとお金は、つまり余つてからあげる。あげても経済的に差障りがない丈の金をあげる。そうすれば金の苦しみがないから、それが本当のやり方だ。苦しんで金をあげるという事は矢張り一つの苦しみを作るのだから、それは神様の御趣旨に合わない。昔からいう「信心は徳の余り」という訳ですね。それを聞いて、或る信者は感心したんですよ。それが段々広がつて――苦しんで金をあげるからだから家庭が天国にならないんだという事に迄なつた。そうすると又一方神様は今非常にお金が御入用だ。人間は少しは苦労をしても神様の方にあげなければならない。という両方の説が対立した。然しどうも後の説が負けるんですよ。最初の方が勝つていくんですね。どうもゴタゴタしているので、私が呼んでよく話してやつた。私の話は斯ういう訳です。最初の、家庭が困らない様にするという事も合つている。確かにそれに違いない。それから、神様はお金は沢山必要だから――はやく地上天国を造つて救わなければならないので、どんなことをしても金をあげなければならない――どんなに苦しんでもあげなければならない、という事も合つている。両方とも合つているんだ。只大乗と小乗だ。最初の方は小乗的考え方ですね。後の方は大乗的考え方ですね。じや、後の方は金をあげて苦しむかというと、決して苦しまない。金をあげてそんな苦しむ様な神様だつたら拝むのを止めたらいい。だから試しにあげて御覧なさい。苦しむ様にあげて御覧なさい。十倍になつて返つて来ます。苦しむどころじやない。大変な金にだぶついて来る。そう言つてやつたので、両方共――小乗的の方はよく解つて、つい此間謝りに来ましたがね。そういう事があるんですよ。ですからそういう事も心得て置かなければならないという事を今話したんですがね。
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それから五、六日前に宮本武蔵の絵を買いましたがね。それは何故買つたというと、道具屋に行つた処が脇に掛けてあつたんです。見ると実に良く書いてあるんです。之は誰だというと、宮本武蔵というんです。絵の中に「二天」と書いてあるんですがね。達磨さんの絵ですがね。宋時代の絵に負けないですね。私は是非欲しいからと買つて来ましたがね。恐らく、今の古径、靭彦なんか足元につかないです。技術なんかですね。今度美術館に出しますから、見れば分ります。そこで考えさせられるのは、不断此の方(剣術)は始終やつてましたが、筆の方はそれ程、そう研究した訳じやないからね。それは何ういう訳かというと、一芸に達した人は他の方もそうなる。例えてみれば色んな何があるとしますが、一つ飛抜けて上の方に行きますと、他のものもそれについていくんです。結局は同じなんですからね。だから、武道の奥儀に達すれば、絵の方もそこに行つちやうんです――少し経てばね。結局それに依つて魂を向上させれば良い訳ですね。之が一番はつきりしているのは、私ですが、私はなにも植木屋の手伝いした訳でもないし、大工の――庭でも、今度の建築でも全部私がやつたんですが、一つそこにいくと、何でもそこのレベルにいきますからね。今度美術館をやりましたが最高のレベルだと思います。今あれ丈の設計をするのは恐らくないです。之が私が宗教の教祖でなければ、なぐられちやいますよ――馬鹿にしているとね。まあ、実際を見れば分りますからね。之はホラじやないんですよ。そういう様なもので、その道理を押進めていくと美術品ですね。あの良いものを見るんですね。名人の傑作品を見ると魂がそれにいきますから、目が高くなるんですね。目が高くなると、他のものに迄いきますから、批評眼が高くなるんですね。芸術品許りでなく、凡ゆるものの批評眼が高くなるから、其人の智慧正覚が高くなるんです。智慧正覚というのは批評眼です。ものを見てそれが善いとか悪いとかね。本当だとか嘘だとか、其判別は批評眼に依るんですからね。ですから人間は物を見た批評眼が一番大切ですね。だからああいつた美術品の好きな――今の美術館はそういつた価値はありますね。
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此間私は上野に行つて国際美術展の各国のを見ましたが、実にお話にならない。あれを良いとか悪いとか批評して新聞や雑誌に出てますが、あれは批評出来ないですね。若し批評するとすれば零というんです。ひどいものです。丁度薬で病気を作つているのと同じです。それから、糞をかけて米を穫れない様にしているのとね。美術の方もそうなつているんですね。そこにいくと古美術の秀れた高さというものは大したものです。現代人がつまらないものを大層に思うのは、批評眼がないからです。批評眼がないという事は、良いものを見ないからですね。其点に於ても私は美術館は大変な役目をすると思つてます。古い良いものを見ると、其人の頭が余程違つて来ます。一番分り易いのは、ああいうものが好きな芸術家はみんな上になるんですからね。一番好きなのは吉川英治ですが、三十年位前から好きで持つてます。今以て好きで買つてますがね。それから大仏次郎、川端康成――とても好きなんです。それからあれは何時か来て見せてやりましたがね――高見順ですね。此頃大分出世して来ました。川端康成の弟子ですがね。大分注目されて来ました。油絵の方では梅原龍三郎です。又馬鹿に好きなんです。ですからあの人の油絵は一番良いです。今度の美術館にもあの人の油絵の良い方のを一つか二つ出します。私は他の油絵を美術館には出す気にはならないですね。出す価値がないです。梅原龍三郎は他の者が持つていないものを持つているんです。ですから二、三日前に芸術家の会議で行きましたがね。やつぱりあの人の骨董好きですね。それが影響している訳ですね。それから吉川英治なんか宮本武蔵なんて傑作を作りましたが、あの中に光悦も入つてますが、それから沢庵和尚ですね。あの文芸作品で、あゝいう方面に関心を持つたという事は矢張りそれ丈違つていた訳ですね。中々、話の方は切りがないから此位にして置きます。
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神仙郷完成兼美術館開館記念祝賀式典御教え
六月十五日
神様の御守護や皆さんのお骨折りで、漸く神仙郷も大体完成しました。特に美術館も一通り出来上つたので非常に喜んで居る次第なんです。それに就いて、愈々地上天国の一歩に入つた訳です。之が段々広がつて行つてそうして遂に世界的の地上天国と、斯ういう訳なんです。之程結構な事はないんです。今は小さい――模型的なものですが、兎に角美術館は相当世界的の反響を受けるだろうと斯う思つて居ります。というのは何時も言う通り、世界に誇つても良い程のものだと思うんです。斯ういう美術館が僅か数年――というよりも、建築の方は一年かからないで八カ月余で出来たんですから、斯ういうスピード的の建築は例がないと思うんです。之から皆さん見られるでしようが、そんな短期間に出来たものとは到底思えないと思います。之を世界的にみると、世界は大破壊の一歩手前に来ている状態なので、何時大破壊が始るかわからない形勢なんです。処が私の方は建設に一生懸命にかかつているんです。之を対照してみると、やはり破壊と建設です。地獄と天国という訳です。そして、今迄の宗教は立派な人間を作る――お釈迦さんが言つた覚者です。つまり覚りを得ると、そういつた――解り易く言えば立派な人間です。或る程度の資格を得た者です。魂の資格を得た者――それを覚者というんですが、それになろうとか、ならせ様とかいう事は、昔から人間はやつて居たんですが、今迄のは苦しみです。難行苦行――ひどいのになると断食したり山に籠(コモ)つたりしますが、その目的というのは矢張り覚者たらんとする事です。処がメシヤ教が行(ヤ)るやり方は新しい、反対の――楽しみ乍ら覚者たり得るんです。良い気持で魂を向上するという行り方なんです。之は今迄とは反対で、今迄にはなかつたんです。というのはメシヤ教は天国を造るというんですから、飽迄(アクマデ)も天国的の行り方なんです。大変な異いさがあるんです。今迄とは逆です。それを認識しなければならない。その内の一つとしての此美術館です。美術を楽しみ乍ら魂を向上させるという訳です。
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一々説明すると良く解つて面白味もあるんですが、中々――之丈の人数の人を、そういう訳にいきませんから、あらまし前以つて簡単なお話をして置きます。大体中の品物は、室が六つありますから、それを六部に別けて――今お話しようと思いますが――入つて左の広い処は一部として、之は日本の美術品の近代のものです。大体徳川期からこつちの陶器類、就中(ナカンズク)日本の陶器類と屏風です。之は見れば分りますが、陶器の内で日本のものとしては何と言つても仁清(ニンセイ)という人の品物なんです。私は色々研究しましたが、支那陶器というものは世界的のもので、到底日本は及ばないとしてありますが、唯仁清丈は支那に負けないです。或る点は支那以上です。それから、他の柿右衛門とか――色んな名人がありましたが、それは支那の真似です。明時代の赤絵と言いまして非常に絢爛たるもので、その真似です。処が仁清に至つては絶対に真似がない。日本の独特のものを出している。私は仁清のものを古くから蒐めてあるので、私の処が日本では一番蒐まつているでしよう。普通の人が気がつかない時から蒐めました。それを真中に置いてありますから見て貰いたいと思う。真中に置物で花模様がついているので、之は珍しいと思う。普通仁清というと、壺とか茶碗とか香炉(コウロ)とかですが、ああいう置物的のものは非常に珍しいとしてある。旨く私の手に入つたんです。それから次は水指です。それと茶の湯の茶碗です。茶の湯の茶碗は、重茶碗と言つて非常に有名なものです。その道の人は誰も知らない人のない位有名なんです。それは、茶碗が大小二つ並んでますが、その模様たるや実に新しい。今の人が作つた様です。三百年以上前の人が焼いたとは、とても思えないです。その図案の新しさというものは驚くべきものです。あとで見れば分ります。その隣に乾山(ケンザン)の鉢が二つあります。之も名人ですが、仁清の次位でしよう。それからあとは九谷が多いです。九谷、鍋島、伊万里――大体そういうものが占めてます。あとは屏風です。屏風の内に光琳(コウリン)の屏風が二つありますが、一つは二曲です。もう一つは二曲一双です。二曲のは、これは極彩色の岩に水鳥ですが、之も中々良いんです。光琳の二曲の屏風では、例の風神雷神と紅梅白梅と今の水鳥の屏風ですが、之は三つとも同レベルのものです。ですから、之は滅多に今迄人の目に触れなかつたものです。その隣の二曲の秋草――之は一双ですが、之は白地に金泥を薄く塗つて秋草を画いたもので、之も中々有名なものですが、之の贋物が沢山あるんです。私も二、三見ましたが贋物と弟子の画いたものです。去年博物館で琳派展をやつた時、それと同じ屏風がありましたが、それは弟子が画いたものです。それはずつと下手です。それから海北友松(カイホウユウシヨウ)――足利時代の人ので、やつぱり有名な人です。此人の山水ですが、極くあつさり画いたものです。之は国宝になつているものです。それと現代のを入れ様と思つて、今尾景年(イマオケイネン)という人ので一双です。山下亀三郎氏が非常にあゝいうものが好きな人ですが、その当時の人で、景年は花鳥が一番上手い人です。其人に画いて貰おうと思つて、屏風も非常に金をかけて之以上ないというものを作つて、一世一代のものを画いて貰つたそうです。孔雀(クジヤク)の絵です。現代のとしては相当価値のあるものです。大体一部はその位で、二部というのは入つて右に行つた手前の部屋ですが、その後が三部になつてます。二部の方は現代です。大体生きている人ですが、亡くなつても近頃亡くなつた人です。現代美術の代表と思つて見て良いです。絵は、雅邦(ガホウ)、栖鳳(セイホウ)、大観(タイカン)、玉堂(ギヨクドウ)、春草(シユンソウ)と、その五人のです。もつと新しい古径(コケイ)とか靭彦(ユキヒコ)、青邨(セイソン)、龍子(リユウシ)――そういう人達のも並べたかつたが、何しろ会場が狭いので到底並べられない。それにそういう人の力作が中々手に入らないし、いずれ熱海に出来たら並べ様と思う。今はその五人の大家の傑作を並べました。特に栖鳳の竹と鯛ですが、之は素晴しいものです。鯛は有名なものですが、竹は余り知れてない。その竹たるや、その絵の上手いというのは驚く位です。之は何んな人が見ても息が止まるだろうと思います。まあ危ぶない話です。それからあとは彫刻です。蒔絵は明治以後の名人を大体蒐めてあるんです。明治以後の名人は、何時も言う白山松哉(シラヤマシヨウサイ)です。松哉の沈箱というのがありますが、何しろ説明書をつけるのが間に合わないので一寸工合が悪いんですが、此次位迄にはちやんと完備して置きますが、そこで主なるものを一寸お話して置かないと解り悪(ニク)いですが、――やつぱり、解らないと一寸感じが出ないです。で、松哉の沈箱で、香を入れる箱です。之は素晴しいものです。その次の名人は川之辺一朝(カワノベイツチヨウ)という人です。文台の硯が出てます。実に上手いものです。海浜の景色ですが、之は良く見たら人間業でない様に綺麗に出来てます。その次が赤塚自得(アカツカジトク)という人です。此人のはダリヤの料紙文庫と硯箱が出てます。その次が植松包美(ウエマツホウミ)という人です。之は蜀江模様の料紙文庫と硯箱です。あと、之は模造物ですが、模造物の名人であり、又蒔絵も相当有名な人ですが、京都の迎田秋悦(コウダシユウエツ)という人です。硯箱で出てます。それは鎌倉時代の青貝の菊で金ベタと言い、金のベタになつている。そういう硯箱です。それと明治時代の人で小川松民(オガワシヨウミン)――それと同じものが出てます。蒔絵は大体そんなもので、それから彫刻です。彫刻は何時も言う佐藤玄々(サトウゲンゲン)という人の彫刻です。それの大黒さんです。大黒さんは昔から之と同じものはないですよ。それから、鷹と観音様と猫ですね。それ丈出てます。之も一寸息が止まりそうになると思います。余程その積りでね。それからその後の三部が茶器類を並べてありますが、之はお茶を習つた人なら直ぐ解りますがその中で掛物の一休です。お茶の方の掛物は書が多いです。支那の書か、或いは日本の書――というと先ず大徳寺派です。大徳寺の坊さんです。その坊さんの中の一番有名なのは一休ですからね。一休禅師の肖像画があります。それは想像画じやないんで、一休さんの生きている時に、藤原何んとか言う人が――其当時の偉い画家が肖像画にそつくりに画いたんです。ですから一休師の生写しと思つて良い。それから沢庵の字とか一休の画いた自画讃です。それから大きい掛物が二つあります。その一つが「帰雲」です。それは支那の宋の時代の無準(ムジユン)という人です。之はその道の人はみんな知つてます。その当時の有名な人で書が上手いんです。今それは一番高い位です。その無準の人の「帰雲」と書いた――昔尾張に古田織部(フルタオリベ)という織部焼の人がありますが、今で言う陶芸家です。その人が時々大名を招いてお茶の会をした。其当時の有名な陶芸家は大名の贔屓(ヒイキ)になつて始終茶器を作つてますから、そこで茶会をやるんです。或一日茶会を開いた時「帰雲」を出したんです。其時細川三斎という、細川家の祖先です。其大名が来て、その殿様が非常に気に入つたんです。織部に、之を俺に売つて呉れと言うと、それは売る事は出来ません。私も非常に愛してますからと言つた。どうだ、一字千金というから二字で二千金ではと言つた。処が其当時の大名というのは特権として、気に入つたものをみんな持つて来て構わない事になつている。じや俺は持つて行くぞ、と持つて帰つて、あいつは二千金でも売らないと言つて居たから三千金持つて行けと、家来に三千金持つて行かしたというのが記録にあるんです。それを書いて出そうと思つたが、間に合わなかつたので出さなかつたんです。そんな訳でそれも有名なものです。実に良いです。むしろ、上手いというよりか味のある字です。見ていて何んとなく見飽きないという、そういう字です。その隣にある大きい幅ですが、之は大徳寺の開山とは違うが、開祖です。第一世です。大燈と言つて、お茶の方では皆知つてます。何時か――大徳寺に去年行つた時、あそこに看読真詮(カンキンボ)という長い巻物がありましたが、私がじつと見てましたが、それと同じものです。大燈(ダイトウ)のがありますが、字の大きさが実に丁度良いです。御気嫌の良い時に書いたと見えて良く書けているんです。中々字も上手いし、私はよく見ないが文句も良いんだそうです。之も、見て居て相当楽しめるものです。その隣に観音様と、上に自画讃がありますが、小さい掛物で之は支那の虚堂――読むのは「キドウ」と読んでますが、此人の観音様の絵に自画讃です。之も中々良いです。他の茶碗類は少しお茶をやつた人でないと解らないですが、茶碗の種類は先ず名品とか名物です――そういつたものが並んでます。それが三部で、次は二階に上つて、右に広間がありますが、そこは殆ど蒔絵です。蒔絵と画帖物です。画帖物は大したものはありませんが、それでもその内の源氏物語がありますが、之は住吉具慶(スミヨシグケイ)という大和絵では有名なものです。歌と絵――極彩色で画いてありますが、中々品が良いです。今源氏物語が流行つてますが、其時分の風習をよく表わしてます。それから断然光悦(コウエツ)の書です。之は漢字と仮名と両方出してあります。之も光悦のそういうものとしては最高のものです。それから絵も掛物は出来る丈種類を多くしてあります。その中の一番は光琳の達磨です。私の持つて居るので、光琳の伊勢物語が二幅対で良いんですが、之は元の持主の方で出して呉れるなとお頼みがあつたので、止(ヨ)して達磨を出したんです。達磨も有名なもので、非常に柔い内に凛としているんです。之は光琳独特のものです。それからあと光琳の秋草です。芙蓉(フヨウ)が中心になつてますが、良く画いてます。此筆なんてものは、今の画家が逆立しても真似は出来ません。それから宗達(ソウタツ)の鷺(サギ)と鶏です。それから犬です。此犬は特に私は出したんですが、それは去年琳派展があつた時に宗達のそういつた絵の中に、安田さんが持つている黒い犬があるんですが、其時非常に評判になつた。尤もその中で一番良かつたです。処が今度此処に出ている犬はその黒犬よりずつと良いです。丁寧に良く画いてあります。黒犬を見た人は感心しますよ。それから此間も言いましたが、宮本武蔵の達磨も出てます。この、上手いというか、之は説明よりか見た方が良いです。そういつた絵の心得のある人なら吃驚します。あと未だ他の物もありますが、それは見て貰えば分りますから別に説明の必要はないです。もつと見せる品物や変つたものがあるんですが、何しろ大きさが――それ程余地がないから止むを得ず、いずれ陳列替えした時に出します。その隣が浮世絵です。浮世絵の内で真中に出ているのは湯女というんです。昔――桃山時代ですが、湯女というのが盛んだつたんです。其時分の夜の女というものでしよう。そういうのが散歩している処を画いてあるんですが、之は有名なもので、浮世絵では日本一といつて良いです。之は博物館で非常に欲しがつていたのを、私の方に手に入つたんです。之は此間、国際写真画報にも出てました。之もみれば良く分ります。その隣にある光起(ミツオキ)という人が画いた高尾ですね。昔の遊女です。之が実に良く出来ている。之も傑作です。それからあと二、三ありますが、大体そんなものです。五部は支那の美術品です。之は相当誇るにたるものです。支那の絵なんていうのは、大体宋元を主にしてありますが、其時分の名人の傑作です。特に其内の名人としては、牧谿(モツケイ)という人の鶺鴒(セキレイ)と、もう一つの鳥は川蝉(カワセミ)(翡翠(ヒスイ))です。その墨絵ですが、之も見れば分りますが、実に上手く画いてあります。一寸日本人にもあゝいつた絵はないでしよう。支那でも牧谿と言えば最高の画家ですからね。その隣に梁楷(リヨウカイ)の寒山拾得(カンザンジツトク)があります。此人も大したものです。牧谿の兄弟位です。その隣が三尊の彌陀です。之も有名なもので国宝です。それから、その反対の方の隣に――どうも支那人の名前というのは覚え悪(ニク)いんですよ。兎に角牛を画いた絵ですが、上手く画いてあります。之も有名なものです。それから馬遠(バエン)という人の画いた松の下の公子です。松の下の偉い人です。之は国宝ですが、それも中々大したものです。あと徽宗(キソウ)皇帝のものです。未だ五、六点ありますが、一々は時間がないから省きますが、そんな様な処が掛物です。之もそういつた宋元のものを大抵二、三部位ですが、あれ丈の点数を一度に見せるという事は一寸不可能ですよ。それでやつぱり宋元物にも贋物が随分色々あります。私の方はそういうものは無いんですから、それ丈値打はある訳です。それから支那の陶器類ですが、之は世界に誇つても良いと思います。その内の良いものは、白羽二重にのつてますから分ります。一番良い場所にある青磁の香炉ですが、袴腰と言つて、三枚の香炉ですが之は世界一です。随分外国も調べましたが、それ丈のものはないです。青磁としては世界一と言つて良いです。色といい、形といい一分の申し分ないです。完璧です。その隣にある瓢箪型の徳利で、赤絵と言つて綺麗なものです。そういつた赤絵のものでは、やはり世界に誇るべきものですね。その前にある皿ですが、宋均窯(ソウキンヨウ)と言つて大きい、之は世界一です。もつと小さいのはアメリカにもイギリスにもありますが、この大きさのはないです。その前に徳利で、郊壇窯(コウダンヨウ)という青磁の徳利がありますが、之も世界一でしよう。そういつたものが他のものよりも非常に形が良いんです。その隣にある亀甲ですが、高麗青磁といつて朝鮮の青磁で、之も世界一――とは言えないが、世界的のものです。日本では一番でしよう。朝鮮にはそれに負けない位のものがあります。之は本元だから仕方がないです。京城の李王家の博物館のです。あとの青磁のものは、そう別に自慢する物はないです。之は他所にもあります。然し余り屑はないです。みんな相当の――中以上のものです。ところが方々にある支那陶器展覧会というのは、相当に屑が混つているんです。今鎌倉でやつている支那陶器の展覧会ですが、自慢してますが――良いものもありますが屑もあるんです。それはひどいものがある。私のはそういうのはないです。その次の部屋は仏教に関するものです。仏画が並んでますが、仏画は別に自慢するものはないです。普通世間にあるものですが、只私はいやに仏臭くない、美術的のものを蒐めた積りですから、その点は違うと思います。方々で言う仏画は、お寺の本尊の様なものがありますが、それでは面白くないから――宗教的に見るのではなく、美術的に蒐めた積りです。その部屋で一番誇るのは因果経です。天平因果経といつて千二、三百年位前に画いた絵が、今でも色が、青でも赤でも今画いた様です。之は実に不思議とされているんですが、因果経では日本一なんです。その次のは二カ所あるんです。久邇宮さんの処に一つと、先の大臣をした金光庸夫という人が一つ持つている。あれも売つても良いというが、高いですからこつちは金が追いつかない。今のがあれば良いですから――。兎に角他にないんです。それと、世間にあるのは大抵三行か五行位で大変な宝物にしているんですから、其点に於てもみんな吃驚してます。あとは大したものはないです。お経で――嵯峨天皇のお経で国宝になつてます。弘法大師が印(シルシ)をつけたものです。之も世間にありますが、みんな切つて掛物にしてます。行の多いのではこつちが一番です。その次のお経は光明皇后の書いたのがあります。之も名前が有名なのと、私は好きですから出したんです。もう一つはやはり奈良朝時代の、其時分の錦の御旗です。持統天皇という天皇が行列の時に持つていたんでしようが――旗ですが、それがボロボロになつているが、保存されているんです。模様の肝腎な処丈は残つてますから、それを出してあります。其時代に成程之程の繊維業が発達していたかという事の参考です。それからもう一つは銅の仏です。金銅仏で、その中に金の残つている仏が一体あります。之は御物ではそれと同じ様なものがありますが、民間では之が一番です。之一つしかないです。ですから見るべき価値は大いにあります。あと黒いのが三つありますが、それは方々――でもないが、そういうものがある処にはありますから大して自慢は出来ないんです。今言つた様な――未だもう少し出すものがあるが、間に合わなかつたから、あとは仏器類――之は別に取立てて言うものはありません。只一つ鎌倉時代の木彫の仏ですが、掛物の前に出してあります。其時代に切金細工といつて、金を細かく切つて置くんですが――今でもあります。之は鎌倉時代に出来て非常に盛んだつた。その切金細工の内で、今美術館に出ている位巧(タクミ)に、念を入れたものは今迄ないです。私は初めて見ましたがね。之は恐らく鎌倉仏としては一等だと思います。之は今やる人は京都に一人ある丈だそうです。それはやはり名人だそうです。さつき話した玄々という人の彫刻は切金模様が沢山入れてあるんです。其点から言つても、大黒さんは余程値打はあります。今の話は大体ですが、それを頭に入れて見れば余程感じが違いますからお話した訳です。そんな様な訳で本当にゆつくり見たら半日でも見切れません。何しろ之丈――二千人の人ですから、ゆつくり見て居られないから今日は瞥見程度にして、お参詣に来られる度にちよいちよい見た方が楽しみも深いし、ゆつくり見られる訳ですね。あとは実物を見て――まあ、美術館案内です。今日は浄霊しない積りですが、どうも皆さんのお頼みが非常にあるので民主的にして――。
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六月十六日
見らるる通り地上天国の、大体箱根の模型は出来た訳なんです。特にあの通り美術館も思い通り出来たので、私は非常に満足している訳です。大体メシヤ教というものは、地上天国を造るという意味で、最初の――つまり地上天国の模型を造るんです。で、世界の経綸は、即ち神様の御経綸というものは面白いもので、丁度果物の種の様なものでして、まあ梅なり桃なりが、実そのものは世界なんですが、種がつまり中心になる訳です。中心という事は、今はつきり言う事は出来ませんが、種の中心に又種の元があるんです。そういう工合でして、そうして世界を色々するには、一番小さい種が変るんです。そうすると、丁度池に石を抛り込んだ様なもので波紋を起します。そういう様なもので、世界を天国にするには、極く中心の中心の小さい――そこを色々に変えるんです。色々変えるというのは、天国を造るんです。で、天国を造るその本尊様がつまり私なんです。ですから私というものは、世界の極く中心なんです。その中心というものはポチ(・)なんです。で、丸(○)にチヨン(・)ですね。之が宇宙の形なんです。丸(○)が宇宙でして、チヨン(・)が肝腎なのであります。それが私の救いの仕事になるわけなんです。それは非常に神秘ですから、精しく話すると面白いんですが、未だ時期がそこ迄行つていませんから、時期を待つて居るのです。中々、神様の事は深いんです。そこで地上天国を造るという事は、それが丁度石を投げて波紋を起す様に、段々広がつて行つて世界が天国になるという事になるんです。ですから、小さくても――単に之丈のものでいても、之が非常に大きな意味になるんです。ですから六月十五日――之が過ぎると同時に変るんです。箱根は、何時も言う通り霊界になるんです。熱海は現界になる。ですから之が過ぎると、今度は熱海の地上天国の方が非常に捗(ハカド)つて参ります。それで熱海の地上天国が出来ると今度は世界的に変ります。それは目に見える様な変り方になります。今の処は霊の方ですからはつきり――著しくは見えないが、何となく変つていきますよ。それは確かです。昨夜、今度アメリカから来た宗教研究家と言うか、宗教調査と言いますか、之は新聞にも出てましたが、ブレーデンという人ですが、日本に於ける神仏両方――既成宗教を一週間許り前に簡単に調べたそうです。新興宗教も調べて、昨日はメシヤ教を調べた。其時の色んな質問応答がありましたが、アメリカは――之は此間話しましたが、緯の棒の中心であり、日本は経の棒の中心である。それを結ばなければならない。それを結んで初めて真の文明が生まれるという話をしたんで、非常に喜ばれていた様です。だからして貴方が此処にお見えになつたという事は、つまりその切掛(キツカケ)だという様なお話をしたんです。ですからそういう意味に於て、昨日は六月十五日ですから、十五日にアメリカの人が宗教的の意味で私とそういう話をした事は、やはり今言う緯と経が結ぶ極く最初の――まあ、画き始めになるという意味なんです。此間京都に行つた時にも、名古屋で講和記念日に中教会で私は話をしましたが、其時に今日は経緯の結びの日だ。講和記念日というのはそういう大きな意味が含まれている。それは名古屋という土地が、関東と大阪、京都――関西の間です。その中間が名古屋です。ですから中京というのは、丁度十字の結び目になるんだから、今日の日茲に立寄つた。その話もしましたし、講和記念日とそういう関連があるという話をしました。それが段々現われるというのは昨夜がそうです。現われの極く初めです。そういう様な工合で地上天国は段々時期が進むに従つて具体的になつていくんです。それは世界の動きを良く注目すると分ります。中々興味もあるんですよ。然し良い方の話許りして嬉しがつても、中々そこ迄行つていませんから――未だ油断は出来ないです。というのは要するに浄化です。人間の身体の病気許りでなく、世界の浄化があります。今我々の方は天国建設の方の仕事をやつてますが、世界的には大破壊の仕事をやつているんです。之は毎日の新聞に出ている通り、如何に破壊すべきやという大仕掛な計画をしている面もあるんです。で、破壊と創造です。之を世界でみると、創造されつつ破壊されていくんです。丁度花と同じで、花の髄が出かかつて同時に花弁が散つていくんです。ですから花が散る方が破壊で、髄が出来る方が創造の方です。そうして髄が段々大きくなつていく。やつぱり散花結実です。そういう頭を以つて之からの色んな出来事を注目すると大体分ります。
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美術館も、之から皆さん見られますが、案内書が間に合わないので、私がざつとした案内書の代りをしますから良く聞いて貰いたい。中は六部に別けたんです。入口から入つて左の方の広い処を一部、右の方の最初入つた処を二部次に入る処が三部です。二階に上つて、右の広い処が四部、それから左の方に最初入つた小さい処が五部、その後が六部――と、斯ういう工合に別けましたから、そういう順序でお話をします。之はというもの丈の説明をします。最初入つた一部は屏風と陶器です。屏風は光琳のものが二つあります。之が見物(ミモノ)です。光琳の二曲が一つと、つまり一本です。それからもう一つは一双です。二曲が二つになつている。一つの方は極彩色の水浜の図ですが、岩に水鳥が沢山居るんです。之は光琳の図録には出てますが、非常な傑作なんです。今パリに行つている佐野繁次郎氏は、光琳では之が一番だと言つて、自分でも写したりして非常に褒めてます。その隣の白地に金泥のカスミに秋草を画いてますが、之は淡彩です。去年の博物館の琳派展覧会の時に同じ様な屏風がありましたが、あれは弟子が画いたものです。一寸見ると同じ様なものですが、良く見るとずつと出来が悪いです。それから根津美術館にもそれと同じものがありますが、それは偽物の様です。悪いけれども、それを言わなくちや、こつちの本物が分らない。こつちが本物です。それは実に良いです。その反対の隣の方が、足利末期の名人ですが、海北友松という画家です。之は極く簡単な墨絵ですが、面白いもので有名です。国宝になつているんです。もう一つ、右手の方には現代――明治以後の画家です。その内の代表と言つても良い位ですが、京都の今尾景年の孔雀を画いた金屏風ですが、之は先の山下亀三郎さんが、之以上ないという屏風を作つて、景年にうんと最高の物を画いて呉れと言つて――非常な力作です。実に――現代画でも、見て値打があります。之は汪精衛が日本に来た時にあの屏風を必ず立てたそうです。御自慢だつたんです。あとは陶器ですが、その内で見るべきものは、真中に仁清のものがあります。之は日本の陶工で第一番のものなんです。むしろ、日本陶器の真髄は仁清にありと言つても良いです。というのは日本の他の陶器は、何んでも結局支那の写しです。支那をお手本にしている。柿右衛門でも、支那の明時代の赤絵物を模したものです。少しは日本的なものがありますが、大体支那の赤絵の模倣と思つて居れば良いです。それから、乾山はそれ程支那の模倣はしてませんが、やはり支那の一部を模倣したのと、オランダの模倣をした。そこに兄の光琳から大いに学んで作つたんです。兎に角乾山は各国の良い処を――朝鮮の風も取入れてあります。そうして琳派の特色を発揮したというものなんです。処が仁清に至つては全然外国のものは少しも取入れてない。独自のものを作つている。そこに素晴しい価値があるんです。そこで私は昔から仁清は好きで、最初から仁清丈を蒐める方針で――だから仁清が一番蒐まつているでしよう。仁清の内の最も傑作を三点部屋の真中に飾りました。その真中の一つは支那の唐子人形です。それが二人花車を引いている。花の籠の意味を陶器で表わしている。それで二人で引いているんです。置物です。仁清のものは名作と言えば壺ですが、そういつた置物はないですよ。恐らく、それ一つじやないかと思います。その意味に於て珍器です。珍物なんです。それから左手の方にある水指ですが、之は雲に菊畑が画いてあるんですが、金を多く使つて、その工合が非常に仁清の特色を発揮しているんです。仁清の優美な何んとも言えない美しさが良く表われているんです。右手の方には茶碗が二つあります。茶の湯の茶碗です。之は重茶碗と言つて有名なものです。仁清の茶碗の内では、之が一番としてある。その意匠たるや非常に新しい――現代の図案の感覚です。それと一寸も違いないです。今の人が作つた様な意匠です。三百年前にあれを作つたという仁清の頭というものは、実に大したものです。未だその他のも私は持つてますが、今度出るのは之丈です。之が大いに注目する価値があると思います。その隣に乾山の鉢が二つ出てます。之も乾山の内の名作ですから良く見て貰いたい。あとは鍋島、九谷です。その皿が多くありますが、之は世間にもありますから、そう自慢する程の事はない。世間のは兎に角大抵は毀(キズ)があります。今度出ているのは毀がない物ばかりですから、其点は誇つても良いと思います。それから壁際に画帖があります。之は現代の物で、取立てて言う程ではないです。次の二部は現代の美術品を飾つたんです。そこで掛物は雅邦、栖鳳、大観、玉堂、春草と、此五人のものを出しました。現代としては古径だとか靭彦、清邨、龍子――そこいらを出したいんですが、どうも未だもう一息という処があるのと、それから其人達の傑作が手に入りませんし、場所もないし――いずれ熱海にでも出来た時に飾る様になりますが、今回は今の五人のものを並べたんですが、その内で素晴しいものとしては、栖鳳の竹と雀です。之は私は頭が下ります。この技術に至つては古人に遜色はないです。鯛も中々良く出来てますが、鯛の方は可成り写生味が多い為にもう一息という感じがします。竹に至つては絶品です。殆ど神技に近い――神技と言つても良い。見れば分ります。それを見ると息が止りそうですよ。それから、工芸品としては蒔絵の白山松哉という人の、あれが昔から一番の名人ですが、此人のが二点出しています。一つは沈箱と言つて香を入れる箱です。あそこに行けば分ります。もう一つは香台と言つて香を薫(タ)く台です。之は、陛下が出御なされる時に香を薫くんです。香を薫いて良い香がしている処に出御するという香台です。之は、素晴しいものです。何しろ香台の裏迄蒔絵の立派なものがついてます。明治以来の名人のはみんな出てます。松哉の次のは、普通の人は知りませんが川之辺一朝という――松哉と並び称されている人です。之は海浜の図ですから見れば分ります。其次が赤塚自得という中々有名な人ですが、ダリヤの料紙文庫の硯があります。其次が蜀江の嫌味のない奥床しいものです。金一色で画いてあります。之も文庫硯です。それから硯が三つありますが、之は模したものです。模したと言つても、贋物を作るという意味じやない。模したものも非常に名人がある。小川松民で、鎌倉時代の有名な政子の硯箱の写しですが、もう一つは光悦の舟橋の硯箱の写しです。之は大正頃の名人の迎田秋悦作です。それから彫刻の佐藤玄々という人は昔からの――古今を通じての名人です。入つて左手に猫がありますが、この猫たるや実に素晴しいものです。本当の猫を見る様な感じです。それから中の方に入ると、鷹と観音さんと大黒さんと三つありますが、之も大したものです。あとは波山の陶器ですね。楊成(ヨウセイ)の堆朱(ツイシユ)と、そんな処です。次の三部はお茶に関係したものです。その中で面白いのは、支那の無準という坊さん――有名な坊さんですが、此人ので大きな字で「帰雲」と書いた掛物があります。之は説明すると、面白い由来があるんです。昔、無論徳川初期あたりですが、尾張の陶器の名人で古田織部という、之は織部焼の元祖です。此人は茶器を焼くのが上手いので、各大名から贔屓にされていた。そんなこんなでお茶の会を終始開くんです。或る時其会に、其時分細川の――最初は幽斎ですが、其次の人か、兎に角細川の殿様が茶会に行つて、「帰雲」がお気に入つた。是非譲れと言つた。それは譲る事は出来ないと言うと、一字千金というから二字で二千両で売れと言つた。駄目だと言つても、俺は気に入つたから貰つて行くと言つて持つて行つた。其当時はそれは差支えない事になつていた。掠奪御免です。むしろ殿様に持つて行かれる様に出した位です。それも持つて行かれるのを誇りと思つたんです。自分も好きなので売らなかつたんですが、どうも殿様が持つて行くのでは仕方がない。で、二千両でまからなかつたから三千両なら承知出来るだろうと、使いの者に三千両届けさせたという謂(イワレ)があるんです。ですから如何に気に入つたかという事が分るんです。私も、そういう事を知らない時に、一目見るなり非常に気に入つたんです。それで後で分つて――そういう記録があります。やつぱり良いものは同じ事だと思いました。その隣に大燈国師――京都の大徳寺の開祖です。此人の字があります。日本での書では大燈の字が一番良いとしてある。之も名品ですよ。ああいつた墨蹟物は細かい字よりも大きな字が良いんです。大きさが丁度良いんです。で、書くのも面白味があるんです――決まらないでね。去年京都に行つた時に看読真詮という、あれは後醍醐天皇の罪を仏様に許して貰うという――それで悲愴味がある。去年の時にも私は良く見ましたが、非常に固い何んとも言えない悲愴――そういつた気分を受ける。感じを受けるんです。処が今美術館に出したのは、そうではない非常に明るい楽しい様な気分が良く出ているんです。非常に字が面白いんです。之も見るべき価値がある。それから一休の像を画いたのを出してありますが、之は一休が生きている時にそれを写生したのです。ですから、想像画じやないから、成程一休という人は斯ういう人だなという事が分ります。見れば分ります。成程一休らしい感じがします。私は会つた事はないが――。あとは大した物はありません。竹の花生があるんですが、之は利休が小田原に太閤殿下のお供をして来た時、伊豆の韮山(ニラヤマ)の竹が良いというので、自分で切つて拵えた花生です。それも出てます。それから白い花瓶がありますが、之は大したものです。支那の定窯(テイヨウ)と言つて――定窯と言うのは大抵皿が多いんです。あの花瓶は世界的のものかも知れないです。実に良いです。茶碗がありますが、楽茶碗でアヤメというのがあります。之は此間京都の官休庵(カンキユウアン)先生――お茶の方の一人者です。官休庵先生に貸したんですが、非常に面目をほどこしたというんで、非常に厚い礼状を寄越したんですが、それは長次郎の作品の内で、アヤメと早舟という有名なものがあり、此二つが一番良いとされています。早舟は私も欲しいと思うが、中々手に入らないし、早舟は割れているんです。アヤメは割れていないから、長次郎の内では一番良いと思います。実に良いです。誰も褒めない者はないです。それが出てます。楽茶碗です。それからもう一つ鳳凰を画いた鼈甲になつてますが、支那の茶碗で玳玻盞(ダイヒサン)というんですが、玳玻盞も色々ありますが、この位出来の良い、鮮かに出来たのは之が一番だろうという評判です。之は鴻ノ池家から出たんですが、見るべき価値があります。それから青磁の茶碗があります。金で縁をとつた――之は藤田家から出たので、青磁の茶碗としては日本で一番だと言われています。非常に良いお茶碗です。その他にも名品ばかりですが、一々説明しても切りがないからその位にして置きます。今度は二階に上つて、四部は掛物と蒔絵が主ですが、それから巻物も――大した何はないが、中に源氏物語がありますが、そういつた大和絵の大家で住吉具慶という人の画いたもので、良く其時代の気分が出ているんです。上品で何んとも言えない。歌と絵と交互になつているんですが、私が見ても――堪らないです。それから宗達の巻物と光琳の団扇です。あとは光悦の書いた楷書です。楷書というのは珍しいんです。もう一つは仮名書の画帖ですが、光悦の内でも絶品なんです。この位良い画帖はないです。その画帖は近衛家の祖先が光悦に直かに頼んで画いて貰つたものだそうです。ですから普通見るよりか良いです。見物(ミモノ)です。掛物での一番は光琳の達磨ですが、私は光琳の伊勢物語の双幅があるんですが、元の持主から出して呉れるなというので、その代り達磨を出しました。之も有名なもので、実に柔い内に凛とした処があるんです。実に何んとも言えないものです。もう一つ光琳の秋草の芙蓉を画いた――此掛物の上手さというのは何うして斯んな筆を使うかと思う。今の画家もいずれ見るでしようが、頭が変らないかと思う位です。今の絵は塗末絵(トマツエ)と言つて塗末するんです。その秋草の絵は一気にパツパツと画いてある。あの技術というのは、今の画家では到底逆立ちしても画けないでしよう。それから、あと宗達の物が三幅あります。宗達の鷺の――葉ですが、葦の葉みたいなものですが、それが一気にスーツと画いたものは、出力は素晴しいものです。それから宗達の犬がありますが、宗達の犬の中でも之が一番だとの評です。私は特に出したというのは、去年博物館の琳派展で、宗達の墨絵の「たらしこみ」というのは、画家の方では、垂涎措く能わざるものがあつた。黒犬があつたが、安田さんの持つているものです。処がそれよりか私の処の犬はずつと良いです。あつちは黒犬ですが、こつちはブチなんです。白と黒になつている。それでずつと丁寧に画いてあつて、それは何んとも言えないですね。非常に可愛らしい。之は見れば分りますが、之でも画家は驚くだろうと思います。あとは鶏です。もう一つありますが、之は「たらしこみ」を最も良く表わしている。あとは乾山の雪松――之は非常に迫力のある、つまりボリューム――それがあるものです。それからもう一つは宮本武蔵の達磨の絵ですね。之を見ては実に驚きます。支那の宋元時代の名画と匹敵する位の上手さがあるんです。之は話より見るに如かずですから、説明しません。その隣に浮世絵を四、五点出しています。真中の大きいのは湯女と言つて昔の湯屋で傭つてある商売女です。之が又非常に良いんです。それが日本の浮世絵の掛物では一番とされているんです。もう一つ彦根屏風というのがありますが――屏風であつて、戦災で屏風から離して又仕立てたもので、それに屏風というのは掛物より一つ落ちますから、今の湯女は浮世絵でも一番です。之は博物館でも非常に欲しがつてましたが、何ういう訳か私の方の手に入つたんです。何時か博物館の人が来て非常に口惜しがつていた。その隣に土佐光起の高尾が一寸横に肘をついて寝そべつた処ですが、之が堪らなく良いんです。その片つ方の方が宮川長春(ミヤガワチヨウシユン)の双幅ですが、若衆と娘でしよう、その双幅ですが、之が又実に良いんです。それから蒔絵は色々ありますが、特に真中にある一つの手箱ですが、説明書がついてますからそれを見れば分ります。もう一つは印籠箪笥と印籠掛です。それから印籠です。印籠は又素晴しいものです。一つだつて容易に手に入らないものを十二掛けてあります。之はその道の人が見たら吃驚するだろうと思います。未だあります。硯箱でも、有名な硯箱がちよいちよいあります。之は現品を見て貰うんです。時間がないから、はしよつて言います。次が支那陶器、支那の絵ですが、此絵たるや素晴しいものなんです。何が素晴しいと言つて、容易に手に入らないものです。中々昔から、支那の宋元時代の絵はみんな大事にして大名の宝物みたいになつている。ですからその内の良い絵になると、箱に鍵がかかつている。ですから絵を鍵で開けたりするんです。何故そうするかというと、絵が一つ無くなると、それこそ首なんです。命懸けなんです。その位大事にした。その時分参勤交代で江戸に行く時は立派な荷物の籠を作つて、交代で担いで行つたんだそうです。その位大事にした。昔はそういつた掛物や茶の湯の茶碗は人間の生命よりも大事にしたものです。一々説明すると大変ですから、見て貰いたい。陶器も一品物は特別に飾つてあります。この中で一番値打のあるものは青磁の香炉ですが、これは世界にないです。私は随分イギリス、アメリカ、日本もそうですが、調べてみたがないです。その位良いものはないです。色と言い形と言い細工と言い、幾ら見ても欠点がないんです。一番良い処に出てます。あと絶品もありますが、時間がないから説明しません。その隣の六部ですが、此処の名品は何と言つても因果経です。天平因果経と言つて天平の初期に出来た。此間の奈良の博物館にも因果経があつたが――天平でも末期に出来た。此の因果経が出来てその後に出来たんですからずつと落ちるんです。美術学校の所蔵になつてます。私の処に出ているのは――日本に色んな巻物がありますが、その最高のものが因果経なんです。その内の――三種か四種かありますが、その内一番良いのが天平因果経です。それは実に良いんです。美術学校のものは、其の内十五行がアメリカに行つたんですが、とても珍重して、もつと欲しいというのが何の位あるか分らない。是非見ずんばあるものかです。之丈見に来るのも随分あります。一行か二行で掛物になつているのがあります。最初は二百三十行あつたのがバラバラになつて私の処と久邇宮さんの処と元の大臣の金光庸夫氏の処で、後は分散しているんです。それで一行で売物になつてます。三行位になると取合いです。そんな様な訳で非常に珍重されているものなんです。それから今度は仏が四体あります。黒いのが三つと、金色したのが一つあります。金色したのは民間にあるのでは最高のものです。推古時代にみんなで四十九体出来たので、その内四十八体は法隆寺の橘寺にあつたんです。橘姫というのが――法隆寺に御厨子がありますが、それが皇室に献上したんです。四十八体の御物では最後のものでしよう。その内の一体残つていたのが手に入つたんです。之は神様がしたんですね。推古仏ですから一番最初のものです。千三百年前ですね。黒いのは白鳳で、之はあります。もう一つは三尺位の大きな布が壁にありますが、それは持統天皇――奈良朝時代ですから千二、三百年経つてます。その時分の錦の御旗です。之は古くなつてボロボロになつてますが、未だ見る丈のものは残つてますから、珍しいので見る価値があります。あとは仏画で、三幅対で――真中は不動明王。両側に矜羯羅(コンガラ)童子、制多迦(セイタカ)童子がある。宗達が画いたので、良く宗達の味が出てます。端の方にある曼陀羅ですが、私の方に幾つもあるし世間にも幾らでもあります。然し曼陀羅というものは汚ないのが多いですが、之は珍しく馬鹿に綺麗なんです。足利時代の作なんです。ですから美術的に見て価値があると思つて出したんです。あとは他にもある様な仏画ですから説明の要はないんです。只一つ、仏像で鎌倉時代の立つた阿彌陀さんです。それがありますが、それは木彫です。之は切金と言つて金を細かく切つて置いたもので、鎌倉時代に流行つたものなんです。切金細工の代表とも言うべきもので、それもやつぱり見る価値があります。それで終りにして置きます。細かく言つたら切りがないから話はそれ丈にして置きます。
本当は浄霊はしない積りだつたんだが、希望の方が沢山あるというので、どうも頼まれると断われないという性分でね――。
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六月十七日
丁度、今日が祝典の三日目で、お天気都合も割合、入梅中としては上等の方で結構と思います。美術館もあの通りすつかり出来まして――後でゆつくり見て貰おうと思いますが、期日に間に合わせ様と思つて急いだにしては、割合にそう破綻がなく整頓したという事は、まあ結局神様がおやりになつているんです。昨日の、写真のサン新聞――あれは大分良く出てました。之は大抵見られたでしようが、あれが大変な宣伝になると思つてます。割合にあの新聞は多く出るんです。去年あたり聞いた処に依ると五十万と言つてましたから、今年はもつと増えてますね。あれは、写真をあんなに出すんですから素晴しい宣伝効果と思います。あれを見ると、みんな見たくてしようがないと思います。ウズウズしているのが何の位あるか分らない。あとで行つて見れば分ります。私は毎日行つて一生懸命見てますが、自分で言つては可笑いが、品物も之丈に多方面に亘つて遺憾なく蒐まつたと思つて驚いている位です。それで、之は更めて言う程の事もないんですが、美という――最高の美をみると非常に魂が向上するんです。つまりレベルが高くなるんです。そうすると色々な事が分るんです。色んな事が分らないという事は魂が低いからです。ですから、色んな――メシヤ教の悪口を言つたりする人がありますが、それはメシヤ教が此処(上位)だと、此処(下位)に居るんですから見えないから、そこで色んな事を言うんです。まあ、屋根の上を下から見る様なもので、「何もないじやないか。立派な瓦があるなんて、それは嘘だ」と。ですからそういう人を幾分でも高くすると、横からでも一寸見えますから――それには美術館というのは必要なんです。之は一番良く表われているのは宮本武蔵の達磨の絵ですが、之は出してありますから見れば分りますが、実に上手いんです。専門家なんかが――二、三の批判を聞きましたが、支那の宋時代の絵に負けないというんです。というのは、武蔵が剣道に依つて、要するに霊的に向上しているから、自然にああいう上手い絵が出来るんです。ですから美なら美というものに対し霊的に向上すると、美術許りでなく、凡ゆるものに、まあ鑑識ですね。分るんです。で、ああいつたもので一番面白いのは、極く良いものを見るんです。良いものを見ると、今度は他のものがみんな悪く見えるんです。それが肝腎なんです。今、日本にマチスだとかピカソだとかルオーだとかブラツクだとか――フランスの名画ですが、あゝいうのをみんな非常に感心して色々褒めているが、あれは然し腹の中じや感心してないんです。解りやしないんだから、みんなが良いと――世界的に評判だから、多分良いんだろう。良いに違いないと、首をひねつたりして――良いと思うんです。要するに自己錯覚です。もう一層言うと自己欺瞞です。それをみんなしているんです。というのは、私もそうでした。私が見て、何処が良いかと其点を発見するんですが、随分骨を折るんです。然し美がないんです。之は、私が良いものを見ている頭の為かも知れないですが、そういう様で審美眼が低いと、つまり批判力がないから、人が良いと言えば何んでも良いと思つているから、沢山良いものを見せて頭の教養をする。そうすると、色々な世界的な美術品が来ますから、そういうのを見る場合に其批評眼が高いです。そこで、普通――一般人でなく、美術家です。そういう人達もそれを見るから、作品でも何んでも余程良い影響を受けるだろうと思います。そんな点に於て、それ丈の価値が充分あるという事を、美術館で私が認められるんです。ですから、あなた方は勿論の事、そういう方面に関心を持つている人は随分驚くだろうと思つてます。で未だ説明書が間に合わないので、中の傑出したものを一応説明して置いた方が、あれを見た場合に余程違いますから、時間のある丈は舌の案内ですかね――それをしようと思つてます。
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二階と下に合計六室ありますから――一、二、三、四、五、六と、斯ういう風に別けてあるんです。入つて左の広い処を一部として、入つて右の方が二部、その後が三部。二階の――之は梯子段が入口とは逆になつてますから、上つて右の方の広い処が四部です。それから、その左が五部、その後が六部となつてます。 第一部は、屏風と日本の陶器と画帖、巻物です。画帖にも、初代の広重とか色々面白いものがあるんですが、処が今度あそこに並べ様と思つて出してみると、昔の画帖というのは間抜なもので、くつついている。ですから広げて並べられない。今度直そうと思つてますが――それで止したんです。間に合わせのもの丈出して置きました。栖鳳の十二カ月。それから雅邦の近江八景。みんな短冊です。それから現代大家の詩歌ですが、それ丈はちやんと広がるので出して置きました。之丈でも相当見る価値があります。屏風は、一番の呼物とも言うべきものは、光琳の極彩色の水鳥の屏風と言つて、有名なものです。之は光琳の図録には必ず出てます。岩に鴛鴦(オシドリ)や何か、そういつた岩に水鳥が沢山ある。之は光琳中の、やつぱり指を屈すべき品物です――作品です。その隣にやはり光琳の、之は一双の白地に金泥でカスミになつて、そこに秋草が画いてある。之は本当の光琳なんです。本当の光琳というのは可笑しいですが――この贋物がよくあるんです。そう言つては悪いが根津美術館にあるのは、あれの贋物の様です。丸つきり違います。何うして美術館にああいつた贋物があるか――それが贋物が下手なんです。それから去年の琳派展に出ていたのが、之と同じものがあるんです。私は之は変だなと思つたが、之は弟子が画いたんです。弟子の名前が入つてます。やつぱり下手です。此美術館のは本物ですから、実に良く画いてあります。其反対の方に――光琳や何かの極くコツテリした隣ですから、極くあつさりした、足利末期の画家で海北友松という――その時代には長谷川等伯、狩野山雪――之が三名人です。友松の山水ですが、之は非常にあつさりしている。之は一種独特の味わいがある。之は国宝になつてます。之は墨絵として、東山水墨画の内に入りますが、水墨画として傑出したものです。何しろ屏風は、六曲なんか長いですから、数は並べられないです。その隣りは徳川初期時代の京都の町の風俗です。之は極彩色です。随分緻密に画いてあります。それは、大したものじやないが、一寸楽しめるものです。それから、やはり現代のも必要ですから、京都の今尾景年の孔雀と色々な花を画いた屏風ですが、元の――亡くなつた山下亀三郎さんが、之以上ないという屏風を作る積りで――屏風なんかの出来が良く出来ているんです。金なんかも、金泊よりももつと金がかかつている。金泥とか砂子とか一杯して、金具なんか素晴しいものがついている。それに丁寧に、うんと力を入れさせたんです。ですから非常な力作です。之は現代の絵としても見るべき価値があります。之は先に汪精衛が日本に来た時分に必ずその屏風を立てる様にしていた。汪精衛が気に入つたんでしようね。そういう話でした。あとは日本の陶器です。色々ありますが、その内で特に推奨したいのは、真中の仁清の――昨日のサン新聞にも出てましたが、唐子人形が二人花車を引いている処で、置物で珍しいんです。仁清というのは、大抵壺とか茶碗とか香炉とか、そういうものですが、そういつた置物は見た事がないです。恐らく仁清としてはそれ一つだろうと思つてます。その隣に同じ様な模様の大小になつて――金銀になつてますが、それが二つ組んであるんです。之は仁清の重茶碗と言つて有名なもので、仁清の茶碗の内では之が日本で一番良いとしてある。処が模様たるや実に新しい。三百年以上前に出来た様には思えない。現代の陶工がやつても之より新しくは出来ないと思う位図案が新しいんです。殆ど直線的です。あの時代にああいつた様な図案を拵えたという事は不思議に思う位です。色や焼工合も実に完璧です。之丈でも、之を見たい人が何の位あるか分らないです。というのは、先に益田孝という人が非常に愛用していたので、それが終戦直後でしたか私の手に入つたんです。すると評判のもの丈に、そういつた識者や色々な方面では、あの茶碗は何うしたんだというので、みんな探したんです。で、分らなかつたんです。先は秘密にして呉れというので、四年間秘密にしていたんです。で、去年から出したんです。その位世間では大騒ぎをやつていた品物です。そういう訳です。その隣の反対の方に水指で、雲に菊の模様ですが、之は金を非常に余計使つてあるんです。之は仁清としての特色を遺憾なく発揮しているんです。之はその品と言い柔さと言い、実に仁清ならでは出来ない程の味わいがあります。次は二部ですが、之は現代の美術家の作品です。絵は雅邦、栖鳳、大観、春草、玉堂と五人の作品です。現代画といいますと、古径だとか靭彦、青邨――ああいう人のも並べなければならないが、何しろ狭いので、今ので一杯ですから斯ういう人達はいずれ熱海に出来た時に、そういうものを並べる積りです。其絵の内で、特に私として感銘に絶えないのは、栖鳳の竹に雀です。之は、立派とかそういう力作とかいうのでなく、その効果ですね。制作効果――それは素晴しいものです。それを私が最初見た時驚いたんです。兎に角、竹の葉を画くのにあんまり筆を使わないで、実にあつさり――あんまり輪廓や線を入れないで、それで竹というものの気持を実に良く表わしている。それから色の濃淡と言い何んとも言えないです。あれは実に、日本画としての神技という位のものだろうと思います。やはりそれらを見ても、明治以来の名人としてはやはり栖鳳です。その他に栖鳳の鯛もありますが、之も良く出来てますが、まあ竹には一寸較べられない。それから雅邦の豊干(ブカン)禅師という、虎を連れている坊さんがありますが、之は非常に迫力があるんです。之は雅邦としての一代の傑作です。雅邦は、この豊干禅師と御仏の観世音があります。それが一番力作――名作だという事になつてます。それを見ても、御物に匹敵する位のものですから名作に違いないです。あと大観、春草、玉堂――之は普通のものです。工芸品としては蒔絵ですが、蒔絵は何時も言う白山松哉という古今の名人です。昔から松哉位上手い人はないんです。松哉のものを二つ出しました。未だあるんですが、やつぱり狭いですからね。一つは沈箱という沈香という香を入れるものです。沈箱と言つて、あそこに行けば分ります。妙な形をした、蓋した、箱の様なものですが。之なんか実に良く出来ている。普通の上手な漆芸家でも真似は出来ないですね。もう一つは香台と言つて、香炉をのせて香を薫く台ですが、之は陛下のお使いになつているもので、陛下が出御する時、其台で香を薫くんです。そこにお出でになる時に、香の匂がただよつているというものです。之も松哉がやつたんです。香台の裏迄蒔絵がしてあつて、之は珍しいものです。松哉というのは大きなのはやつた事がないんです。小さいもの許りです。その位大きいのは一寸、松哉の内でも逸品だろうと思います。その次の人は川之辺一朝という人で、之も有名なものです。此人の作品はあんまりないんです。みんな宮内省に収めたんです。此人の文台の硯を出して置きました。海辺の図です。之を見て、少しの欠点もない。人間業と思えない緻密なものです。行つて見れば分ります。その次の名人としては赤塚自得です。菊の御紋なんかついてますが、ダリヤの絵です。文台と硯箱です。その次は植松包美の料紙文庫と硯箱が出てます。之は又変つた、言うに言われない上品なものです。それから、その次では硯箱が三つありますが、之は昔の模造したものですが、模造の名人としては小川松民です。之は、模造としては今迄で一番上手い人です。ですから模造でも堂々として、松民模したと書いてあります。贋物という意味ではないです。それと、京都の迎田秋悦という人で、之はもう亡くなりましたが、やはり名人で、此人のも出てます。松民のは左手の硯箱ですが、之は鎌倉時代の頼朝の奥方の政子が愛用していた硯箱で、俗に政子の硯箱というんです。本物は鎌倉の八幡様にあるんです。偶に宝物展がありますが、其時に一番のものとして出しますが、それを模したものです。真中は有名な光悦の舟橋の硯箱の写しです。それは迎田秋悦の作です。あとは彫刻の佐藤玄々という人の彫刻で大黒様に鷹に観音様――之は絢爛たるものです。それから入口の側に猫がありますが、猫が馬鹿に良く出来ている。丸で本当の猫が居る様に思われるんです。一昨日アメリカの宗教調査に来たブラーデンという人に、此猫と鷹と同じ彫刻家だと言つたら喫驚してました。丸で違います。二室はそんなものです。三室はお茶のものです。お茶のものも色々あるんですが、どうもお茶の方はゴテゴテ飾つちやいけないというので、茶道具屋に任せてやりましたが、此中で見るべきものとしては、一休の肖像画ですが、之は一休が生きている時に、当時の名人が良く画いてあります。此画家に画かしたんです。ですから想像画じやない。だからして一休の通りに違いないです。全く一休という人は斯ういう人かと思われる様に画いてあります。もう一つ面白いのは大きな掛物で、大きな字で「帰雲」と書いてあるのがありますが、それは支那の無準という人が書いたので、之は日本にも来た事があるんです。鎌倉初期時分に来たんです。やはり、此人のは非常に珍重されていて引張凧です。値段も高いです。此掛物は昔――徳川初期に尾張の陶器師で古田織部という人がある。此人は元武士(サムライ)上りだそうです。織部焼の元祖です。で、お茶の会をした時に――大名の細川三斎という人があつたですが、幽斎の子か孫でしよう。その殿様が見て、気に入つて是非譲つて呉れと言つた。之は自分が愛玩しているので許して貰いたいと言うと、じや一字千金というから二字で二千両で譲れと言つた処が、それでもどうも駄目です。すると嫌でも俺は気に入つたんだから持つて行くと言つて、殿様は持つて行つた。それが、其時分には天下御免だつた。大名は自分の気に入つたものは――掠奪じやないが、自由に持つて行つても差支えない。中にはそれを反つて名誉とした位です。そこで、その殿様も持つて帰つて、二千両で承知しなかつたから三千両やつたら良いだろうと、家来に三千両持たしてやつた。その位掛物が気に入つた訳です。ですから成程そう思われる位良いです。私も非常に気に入つて、相当高かつたが手に入れたんです。その隣に大徳寺の開祖の大燈国師という坊さんですが、大燈の書と言つて、日本では一番とされている。やはり非常に良く書いてあります。その反対の方には支那の虚堂という有名な坊さんの、自画讃といつて観音さんを画いて、讃がしてありますが、之も非常に面白いものです、あとは茶碗も数点あります。茶碗の中に、一つアヤメという楽茶碗がありますが、之は楽の元祖の長次郎という名人の焼いたものの内で、先日――お茶の宗匠の官休庵という人が此間お茶会があるので貸しましたが、非常に褒めて、先ず長次郎の内では之が一等だろうと評をしてましたが、それに依つてみても、非常に良いものです、ああいう人が言うんですからお世辞でも何でもない。もう一つそれに匹敵するのに早船というのがあります、私も写真で見ましたが非常に良いものです。然し割れているんです。作は同じ位だが、私の方は毀がないから上だという事になります。他にも良いのがあります。その中に伊羅保(イラホ)と言うザラザラした黄色いのがあります。伊羅保では日本で一番です。それから青磁のお茶碗がありますが、青磁としては日本では一番だと言われています。それから、支那の天目(テンモク)、玳玻盞というのがあります。中に黄色味をもつて、中に黒く鳳凰が出てます。玳玻盞も色々ありますが、之が一等だそうです。そんな事で、切りがないからその位にして置きます。あとは利休の作つた竹の花生ですが、之は太閤殿下が、北条征伐の時に征伐してこつちに来る時に利休がお供をして、伊豆の韮山に良い竹があるというので、切つて作つたと出てます。それから花生の内で徳利があります。白い徳利があります。之は支那の定窯という陶器――磁器です。定窯でそういう作は珍しいので、二つとないんです。之は外国にもないかも知れない。二階に上つて第四室は絵ですが、掛物がずつとあります。此掛物は一つ一つ只の鼠じやないです。まあ、曲物ずくめです。その中で主なるものは、光琳の達磨ですが、之は実に素晴しいものです。光琳の柔い筆で、そこにもつていつて犯すべからざる力なんです。それから宮本武蔵の達磨も、さつき話した様に出てますから見れば分ります。あと光琳のもう一幅は秋草です。芙蓉に芒(ススキ)が画いてある。之が又実に素晴しい。此筆の使い方というのは、今の画家が見たら拝むだろうと思う。兎に角今の日本画を画く人は筆を使えないんです。それは可哀想なものです。それで仕方がなく塗るんです。ですから私は塗末絵と言つてます。画くんじやない、塗るんです。それ丈筆を使えないんです。そういう現代画家に見せたいと思つてます。見に来るでしようがね。一筆でスーツと画くんです。それは塗つたよりかずつと効果的です。それから宗達の鷺と鶏と犬ですが、此犬なんかも――去年の琳派展に黒犬が出て大変評判になつた。その黒犬よりもずつと良く出来ていると思う。浮世絵ですが、真中にある大きいのは、浮世絵としては日本一なんです。之は掛物で、湯女と言つて、昔の湯屋に――まあパンパンみたいなものですが、有楽町のガード下に居る様なあんなのではない。もつと高等なんです。それが散歩している処で、実に良いです。桃山時代の絵です。日本にその湯女と、彦根屏風がありますが、屏風の方は疎開するについて、剥がして――未だ出来ないでしよう。こつちは掛物ですから、之は日本一と言つて差支えない。その隣が土佐光起の高尾の絵ですが、之も実に良く画いてあります。あとは蒔絵ですが、之も一つ一つみんな謂(イワレ)がある様なもの許りですが、それを今話すると時間がかかつて何んですから、それは見て貰うとして、只其内に一つ素晴しい手箱があるんですが、それはあそこに説明書がついてますから、それを読んで貰う。あとは印籠があります。之は珍しいものです。印籠一つ一つが最高のものです。今それが一つでも大変なものです。それが十二並んでます。それで蒔絵が画いてあつて、それに印籠箪笥があります。私は一つ一つ蒐めたんですが、不思議に一致した。之は神様の御働きがあるんです。そこにある巻物ですが、巻物は二、三ありますが、住吉具慶という、昔の大和絵の名人です。その人の源氏物語ですが、歌と絵と交互になつてますが、其時代の気分が実に良く表われている。それを見ると何んとも言えない気品に打たれます。宗達の巻物、光琳の団扇――それも珍しいです。光悦の書ですが、一つは漢字です。光悦は仮名書きの名人ですからね。支那の詩か何かです。あとは光悦の画帖です。之は色紙を何枚も貼つてあるんですが、之は近衛家の先祖が直かに光悦に画かしたんだそうです。ですから光悦の色紙でも最高のものです。幾らもありますが、此位のものは滅多にないです。次は第五室です。之は支那のものです。之は先ず道具屋やそういつたものの専門の者でも驚いてました。掛物で、宋時代のものですが――元もあります。宋元時代のものです。その内の一番のものは、牧谿の画いた双幅で、鶺鴒と翡翠(ヒスイ)です――小鳥のね。之は実に良いです。何んでも、関雪の弟子の何んとか言う人――鉄香(テツコウ)ですね。其人が二日続けて来たんです。それ丈を見にね。何時迄でも見ているんだそうです。それは実に良いんです。あとはその隣に梁楷という人の寒山拾得があります。その隣りの三尊の彌陀ですが、之は国宝です。有名なものです。未だ色々あります。徽宗皇帝のもあります。徽宗皇帝の本物というのは非常に少いんです。滅多にないんですが、之は本物です。それから馬遠(バエン)だとか因陀羅(インダラ)、銭舜挙(センシユンキヨ)、高然暉(コウネンキ)、李安忠(リアンチユウ)の鶉――之は鶉の名人です。支那のものは妙なもので、一つのもので名人がある。それ丈画いている。ですから日観(ニツカン)の葡萄と言つて葡萄許り画いている人、又檀芝瑞(ダンシズイ)の竹と言つて竹許り画いている人もある。そんな様で宋元画は大変なものです。それから陶器類も、今鎌倉の美術館で支那陶器の展覧会をやつてますが、此間も各国大使を招んで、大変な名器を蒐めたという事になつてますが、商売人が此処の美術館を見て、てんで鎌倉の美術館とは違うと言つてましたから、素晴しいものには違いないです。第六室は普通ですが、此中で是非知つて貰わなければならないのは、例の天平因果経です。之は、説明が昨日出てましたからそれを見たら分ります。只、千二百年位前で絵具なんかちつとも浅(ア)せてないです。之は不思議なんです。そういつた絵巻物の中では日本一です。沢山因果経はありますが、之は最高のものです。知らない人はない位です。アメリカでも珍重しているんです。それで、アメリカ人が欲しがつて大変です。十五行いつて居るんですが、十五行も此処にある因果経の次の因果経です。之は非常に欲しがつて、幾ら高くても買うそうです。之を知つている人は決して売らないです。之は国宝以上のものです。何故国宝にならないかというと切つてあるからです。纒まつていないからです。切つてあるのは国宝にならない。それから推古仏で、一番古い――千三百年位前です。肘をついている観音さんで、金銅仏ですが、之は日本で四十九体出来た。で、四十八体丈法隆寺から献上した。ですから四十八体仏と言つて、御物になつている。その内一体丈、余計出来たのが、或る処に非常に大事に隠されていた。それが旨い工合に私の手に入つた。ですから民間にあるのでは之が最高です。それから旗があります。之も奈良朝ですから千年以上前です。持統天皇の――其時分の錦の御旗です。ですから、もうボロボロになつてますが、肝腎な処丈は残つてます。之は歴史的に面白いです。あそこに出てます。それから、仏画の中で一寸面白いのは、不動さんの絵があつたのを、宗達が矜羯羅(コンガラ)童子と制多迦(セイタカ)童子を画いたんです。矜羯羅童子と制多迦童子は可成り大きく画いてありますが、それは宗達の仏画です。それは珍しいんです。良く画いてあります。あとの仏画は大した事はないです。
「作者が入つてをりませんが――」
ああいう仏画は作者というのがないんです。大抵坊さんが画いたものです。一つ、鎌倉時代の阿彌陀さんの立つたのが出てますが、それは切金細工です。金を細かく切つて置くんです。それを実に――よくも根良く身体全体に置いてあります。袖の裏迄置いてあります。ですから切金細工としては恐らく日本にないです。切金細工の代表物です。大体そんなものです。細かく話したら切りがないが、百聞一見に如かずです。
「湯女というのは作者は誰で御座いましようか」
浮世絵の、古い時代は作者を入れないものです。ですから、桃山時代の浮世絵の作者の銘はないんです。
「又兵衛じやないかと言つて居りますが――」
又兵衛は似た処がありますが、又兵衛とは違います。ああいう強い筆は使わないです。又兵衛のがありますが、又兵衛を出す丈の余地がないんです。むしろ、又兵衛はあれからヒントを得てやつたんです。又兵衛よりあの方が古いです。
浄霊は斯ういう時はしない積りですが、どうも非常に希望があるというので、断り切れないのでやります。
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六月二十五日
【御 教 え】
今日、美術館はみんな見られたんでしよう。段々整つて来たから、最初よりも良い積りです。此間、博物館長の浅野侯爵が来て見て、よく斯んなに良いものを蒐められた、と言つて驚いてました。道具屋なんかも、あんまり良いものが多過ぎると言つて――勿体無いと言つてましたが、然しその位でなくては値打がない。まあ、道具屋から借りたものもあるし――借金も大分あるから、みんなこつちのもの許りじやないんですが、兎に角之程の美術館は絶対にないです。此間理研映画の人が撮影に来ましたが、いずれ――フランスのカンヌという処で文化コンクールですか――毎年でしよう――あるそうですが、それに是非映画にして出したいという話なんで、之は今迄にないんだそうです。以前博物館で写したそうですが、あそこは仏教美術は豊富にありますから、それを写して、あと他の美術品を写そうとしても、あんまり適当したものがないので、中途で止めちやつたそうです。然し此処なら大丈夫だという自信があるので、是非やらせて呉れと言つている。之は非常に面白いです。先の羅生門ですね――之はイタリヤのヴェニスか何処かで、やはり映画コンクールで写して一等になつたんです。それで評判になつた。で、ああいう工合に世界的に評判になつた。此の美術館も、カンヌのコンクールで一等になるか何うか分らないが、そこは映画ですから、色々文化的なもので世界的の評判にでもなつたら、それは素晴しいものです。外国の人も見に来るでしようし、日本人も今更の様に見に来ますからね。羅生門でもそうでしたよ。我々が最初見た時には大したものとは思わなかつたが、ああいう評判になつてから見直してみて、今度見ると大変良くなるんです。そんな様な工合で、余程希望がある訳です。その位の価値はある訳なんです。此の庭から、桜の咲いた時、「さつき」の咲いた時、紅葉の時なんかを、庭園の方を写してそれから美術館の方の建築から設備、まあ美術品という様な工合にやると、文化映画としての長さ位は出来ますからね。で、斯ういう映画は今迄にないです。だから、外国に出したら非常に受けるだろうと思つてます。今、向うも世界的に美術館流行りですからね。特に日本の美術品というのに非常に憧れているんですから、それを紹介したら、先ず人気を博する事は間違ないと思います。そうするとメシヤ教というものが、宗教的でなくそういつた面から、兎に角世界中に知れるという事は確かです。中々、神様が旨くやりますから、そういう風になるだろうと思つてます。今月の三十日、一日――三十日が新聞記者だとか、無論外国の新聞社もありますが、作家、芸能人――そういう階級の人を招待して見せ様と思つている。一日の方は著名人です。そういつた偉ら方を招待しようと思つてます。外国の新聞にも載せるでしようが、喋るのを飜訳するより、原稿を書いて呉れという。それを訳した方が非常に楽だからというので、今原稿を書いたんです――喋る様にね。それを今読ませます。
御論文「⇒美術館建設の意義」【註 栄光一六四号】
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何時も言う事ですが、メシヤ教が宗教的に活動を始めたのは廿二年の八月ですから、三、四、五、六、七と、今年の八月で満五年になるわけです。此間も、フランスの大きな雑誌で、パリ・マツチの主筆が来て色んな事を聞いたんです。今何の位の信者があるかと言うので、まあ三十万以上あるだろう、と。何時始めたかと言うから、五年前。その始めた時は何の位の信者かと言うから、数百人位だろうと言うと、どうも信じられない様で、吃驚した様でした。だから如何に発展の速かだという事は分ります。一体その根本は何かというと、病気が治る事です。斯う(御浄霊)やつて病気が治るという事です。だから私の弟子はキリスト位の奇蹟の出来るのは、何んでもないと言うと、カトリツクなんかが非常に根強い――キリストを信じて居る。するとキリストよりか以上とすると、一体何ういう神様か。キリスト以上の神様は、カトリツクでは無いとしている。と言うから、私はキリストは天の父という事を言つているではないか。即ち天の父という神様はキリストより上じやないか。等と、そんな話がありました。それで美術館を見せてやりましたがね。何か言うと、奇蹟だと言うんです。本当の値打は、外人ですから――それに、あんまり美術の研究が深くない様ですから、解らないらしいですが、見た目が立派ですから、良いと思つているのでしようが、斯んなものが沢山蒐まつたという事は奇蹟だと言つていました。そんな訳で、奇蹟ずくめです。此の美術館、神仙郷から熱海ですね。色々――五年間の仕事にしては驚異だろうと思います。此処に来た時には、昭和十九年の五月でしたが、その時には最初神山荘です――あそこを買つてましたが、当時十六万円でした。処が私の懐には六万円しかない。十万円何うしても足りない。で、その話をした処が、其時分に坂井さんがよく来られる時分で、じや何んとかやつたら出来ない事もありますまいと言うので――其時は宗教的じやないですから、病気の治つた人が宗教信者みたいに数百人という程もない位ですが、百人か二百人あつたんです。その人がみんな金を出して、十万円か十一万円出した。それでやつと買えたんです。それから二、三カ月して熱海にも良い家があるというので、私は行つて見たが非常に気に入つたんです。今の東山荘です。其時に値段が分らなくて――それも坂井さんと一緒に行つたんですが、帰りに私は三十万円位なら買おうと、そんな話をして、それから聞いた処が七十万と言うんです。それはとても駄目だから諦める他しようがないと言つているうちに、渋井さんに話した処一つ出来る丈やつてみましようと、それで三十万円位お金を持つて来たんです。兎に角、じや買う方針でやつてみようとやつているうちに、段々集まつて来て、それから相当足りなかつたが、又渋井さんが足りない分を持つて来て、どうやら七十万の金が出来て買えたんです。それ程其時分にはピーピーしていた訳です。普通では少し大胆過ぎるんですが、そこがやはり神様を後楯にしてますから、神様がなんとかして呉れるだろうという訳でやつたんです。それに最初そういう経験があつたんです。今の東京の宝山荘ですね。あの時にも、あの辺を探して歩いて、あそこが非常に気に入つたんです。聞いてみると其時分に十万円です。よし、じや買おうと――買おうと言つても、こつちは五千円しか無かつた。こつちは買う積りになつて、それで歌まで書いたんです。其時分には随分――むしろ無茶をやつたんです。其時分に信者なんてない。僅か十人か二十人病気が治つて信者みたいな人があつたんです。おまけに払うのも、きざんで払つたんです。最初私の懐の五千円と、五千円借りて一万円にして、それで売る人も苦しいので――毎日借金で取られて苦しいので、一万円呉れたら越すからと言うので、一万円やつて越して貰つて、色々苦労して三、四万円やつた時に、あそこが競売になつた。今でも裁判してますが、五島慶太という人に取られたんですよ。競売で取られたと思つて居た処が、弁護士に聞いてみた処が、決定するには一週間だ。一週間前に何んとかすればつながると言うんです。七日一杯に駄目になるんです。それで七日の日に弁護士が日を忘れて気がつかなかつた。それで七日の日に申立書を書いて、裁判所にある何かのポストに入れたのが夜の十一時です。あと一時間遅かつたら駄目です。まあ九分九厘ですね。それでやつとつながつたんです。それであそこを土台にして基礎を作つたんです。その大変な役目をしたんです。その役目をしたのも、僅か一週間の違いでなつたんです。実に、神様のする事はハラハラする事があつたんです。近来はそういう事はないが、最初の内はそういう事がちよいちよいありました。ですから随分色々障碍を乗越えて来たんです。熱海に来てからも、脱税問題とか何んだ彼んだ色々ありましたが、何しろ邪神との闘いですから、邪神はひつくり返そうとしてやるんですが、それは神様の方は――邪神は九分九厘で、神様は一厘ですから、一厘の違いですから、一厘で始終ひつくり返してます。大本教のお筆先に面白いのがあります。「今度の仕組は九分九厘と一厘の闘いであるぞよ」なんてね。全くそうです。兎に角そんな貧弱であつたのが、今日美術館から、之は世界に誇る可き位のものが出来たという事は、僅か数年の間に出来たんですから、一大奇蹟と言つて良いでしよう。此の美術館を造るにも、みんな知つているでしようが、去年の今頃は未だ未だ――あそこをカツポジツテ、石を割つたり色々な事をしていた。兎に角美術館の敷地丈作つて置こうというのでやつていたんです。十月頃になると、フツと気がついて、之は此処に美術館を一日も早く建てたいですから――之は此間新聞にも出してあつた通り、そういつた計画を始めて、それから私が図面とか、中の間取りという様なものを書いたんですが、夜一時間位二晩で出来ちやつたんです。さもなければ設計なんか商売人にやらせる積りだつたがそんな必要ないので、それから直ぐに建築屋の方に任かした訳です。処が、然し金はやつぱり幾らもなかつたですから、それこそ余裕なんかというのは少しもないです。そこに美術館なんて建てるというと、最初は一千万円以上かかるという様な設計でした。で、阿部さんに相談し色んな事情を調べてみると、どうやら出来ない事はないという様な話なんで、私もやはりそういう時は神様に乗つちやいますから、神様が何んとかするというので、兎に角始めようというので、始めると丁度要る丈の金が集まつて来て、ちつとも金の心配なく出来た訳です。まあ皆さんのお骨折も大いに役立たしていますが、然し神様は余裕というものは決して与えない。困らせない代りに、余裕というのは与えない。実に不思議です。然し兎に角そんな様で、凡て美術品なんかが入るのも奇蹟的に割合安く入るんです。で、こつちの懐工合をちやんと神様が見てやられるとみえて、斯ういう良いものが蒐まつたのは不思議だ不思議だと言つてます。そんな様な訳で此の美術館というものは世界にない筈なんですよ。そういう様な神様が御守護をする人は他にないから、敵(カナ)いつこないですね。
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それで神様の経綸というものは何時も言う通り型で行くんです。斯ういつた美術館が出来ると、之が段々広がつて世界的に美術が盛んになる訳です。だから、もう現に大分美術思想が、何んだ彼んだ盛りあがつて来ました。で、然も外国との美術に依る交通です。日本の美術が――昨日の新聞にも、何んでもフランスに四十点か行く事になつてますが、あつちの美術品もこつちに来る。それからアメリカで日本の美術の展覧会がある事になつてます。此間アメリカのロスアンゼルスで支那陶器の展覧会があつたんですが、其時に日本から十五点か出したんです。然し、其点に於ては日本と一寸違います。何処の家には何があるか、何処の美術館には何があるかとか調べてあつて、ちやんと註文して来る。ちやんと調べてある。その内の十五点やつた。処がイギリスとかアメリカのものも随分出たんですが、やはり日本の十五点が一番だつたそうです。で、あつちの雑誌のトツプに日本の美術品が出ているんです。それから批評なんかも、三分の二は日本のが出ていたそうです。で、一品々々鑑賞するそうです。フランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、イタリア――その辺の支那陶器なんです。調べてみて、やはり日本が一番なんです。断然群を抜いてます。で、日本であり乍ら支那陶器迄世界一という事は面白いんですが、之は理由があるんです。というのは、日本の支那陶器は伝世と言つて、昔から伝わつているんです。大体藤原時代あたりから入つてますから――その前にも幾らか入つてます。唐のものなんかは奈良朝時代にも入つて来てます。処が他で買つたのは、支那から買つたんです。支那から買つたという事は、みんな土中物と言つて土に埋まつていた。日本のは土に埋まらないのが昔から伝わつて来たんです。だから同じ支那物でも、日本のものと西洋にあるものは違います。土に生けるのとは、全然艶が違います。伝世と言つて、昔から日本に伝わつたものは綺麗なんです。そこで支那陶器でも、今言つた通り日本は素晴しいものです。そんな様な工合ですから、日本美術というのは殆ど西洋にはなかつたので、此処にある支那陶器の――大英博物館は支那陶器で一番としてますが、全体から言つても此処の美術館の支那陶器の方が、それよりか上です。二、三負けているのもありますが、全体から見て此処の方が上です。ですから、之丈の美術館の――支那陶器は一部ですが、それでいて大英博物館に勝つているという事は、神様の仕事という事が良く分るんです。時間が来ましたから、その位にして置きます。
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六月二十六日
【御 教 え】
昨夜の映画で、博物館のがあつたんですが、之は理研の文化映画なんです。博物館のは殆ど仏像です。それから、あとは奈良が主で京都あたりのお寺、桂の離宮とか――古美術的なものです。そういう映画で、之は珍しいです。今迄そういつた映画はないですからね。それ丈世の中が美術という事に関心を持つて来た訳なんです。フランスあたりと油絵の交換とか、そういう事が新聞に出てますが、そんな様な工合で何んとなく美術というものが人の注目を引く様になつて来ました。で、理研の映画をやつている人の話では、博物館を写して――フランスにあるカンヌという処で毎年文化コンクールがあるんだそうですが――写しかけたが、あと大したものがないので、それで仕方なしに奈良やあつちの方のものを写して纏めた訳だと言うんです。処が此処の美術館は――此処の庭も色々取込めてでしようが、大丈夫コンクールに出す映画が撮れるというので――二十日位かかるそうですが、此の九月に撮つて文化コンクールに出す話になつているんです。そういう訳であつてみると、まあ博物館以上という事は確かなんです。そうすると日本では博物館がそういつた美術に対しては一番としてあるんですが、それ以上とすれば日本一はもう間違ない話です。そういう美術館を造つたというのは、計画をそう思いついたのは二、三年前からなんです。そうすると驚く程早いんです。早いというのは、之は私から言つては甚だ変ですが、つまり頭の良い悪いなんです。私は、自分ではそう頭が良いとは思わないです。忘れる事もあるし、色々まごつく事もあるしね。然し一般の人から較べると素晴しく良いんです。そうすると普通の人が素晴しく頭が悪いという訳です。そういう事が言える。色々考えてくると結局頭の問題です。大体人間の幸不幸は之は頭です。不仕合せになるのは頭が悪いんです。一番頭が悪いのは悪人ですよ。之は、悪い事で成功すると思う――悪い事で幸福になると思う、その錯覚ですね。悪い事をすると駄目になるという事に気がつかない頭の悪さです。ですから私は、悪い事をする人間は非常に頭が悪いと思う。それで人間が偉い偉くないとか、或いは名前がある人とか、名前が出ている人とか出ていない人とかいう事は余り関係ないです。つまり幸福ですね。何も、名前を得たら幸福という訳じやないです。そこで同じ頭が悪くても、悪さにも色々差別があります。非常に悪いのとそれ程でもない――今、出世している人とか著名な人は悪いなりにも、少ないです。良いとは言えないが――。 それに就いて気がついたのは、最近マッカーサーが非常に評判が良いというんです。何処に評判の良い元があるかというと、今度国連軍の方で、黄緑江を渡つた処を爆撃しましたが、あれなんです。あれはマッカーサーが主張した案なんです。それを、いけないと言つてマッカーサーを抑え附けたんです。然しその戦法を今度実行したんです。そうするとやつぱりマッカーサーは偉かつた。一年前にちやんとその案を主張したという事に於て、マッカーサーの人気が非常に良くなつている。或いは、今の処はタフトを後援してますが、マッカーサーが、大統領に出る様な匂もしているそうです。そうすると私があの当時からマッカーサーを褒めてました――あの政策は非常に良いと言つてましたが、やはりそうなる訳です。トルーマンという人も偉い人ですが、その点に於て非常に頭が悪いです。折角、共産軍をあそこ迄追いつめて置き乍ら、マッカーサーが大胆に満州を爆撃するというのを止(ト)めたんですから、蛇の生殺しにしたんです。だから今以つて停戦会談なんか、グズグスしてます。あれなんかもいずれ今に協議が纏まるとか何んとか唱える偉い人がアメリカにありましたが、処が私は先からあれは駄目だと言つている。つまりソ連の消耗戦術です。止(ヤ)めて了えば、アメリカは引上げますから、アメリカの消耗は駄目なんです。処が闘えば勝目はないから、闘わない様にしてアメリカの軍隊をどこまでもあそこに止(ト)めて戦力を消耗するというので、グズグズしているんです。それに気が附きそうなものですが、気が附かないで――妥協が出来ると思つているんですが――今漸く気が附きかけて来たんです。その位頭が悪い。凡てがそうです。之はアメリカに限らず日本でも、その頭の悪さは同じ事ですが――今でも頻りに解散論を唱えてますが、あれは承知してやつているのかも知れませんが――改進党でも社会党でも、どうも頭が悪いんです。兎に角内閣が失敗するとか政治が悪いとか言つて、到底維持出来ない。国民の輿論が轟々として、収拾がつかないという、そういう声になつた時に解散論を唱えると、ワツと言つて、そうなりますが、今の様に無事に行つて――それに吉田は中々旨くやるんですから、兎に角吉田以外に政治を担当するという人はないですから、後釜の目当のつかない内に解散しても国民はついて行かないですからね。一人よがりで笛吹いている様なもので、国民はソツポ向いてます。それから共産党が頻りに工場を焼打したり巡査を何してますが、あんな事をしても逆効果です。そうすると、段々警察予備隊を増やして行くし、政府の方も厳重にして来ますから、段々共産党は手も足も出ない様になる。彼等は成程地下に潜つて姿を晦(クラ)ますのは上手いですよ――今以つて徳田以下潜つてますが、あれは実に頭が良いです。処が肝腎な事は、暴動を起して社会を混乱させて了おうという目的です。処がそれに踊つているのは日傭人夫や学生の若い者です。之は要するに小児病の具体化です。どうも頭が悪い。仮りに、やるとすれば油断させて――大人しくして居て一挙にやると、それは効果があるでしよう。然し、それをやられても困ります。そんな様でああして騒いで、自分丈やつているのは効果はないです。あそこに非常に頭の悪さがあるんです。それから共産党が騒いでますが、もつと野蛮蒙昧な国――それからもう一つは、非常に政治が悪くて貧乏や色んな事の為に国民が食うや食わずに居るという状態とすれば、共産主義は相当それに興味を持たれるんです。処が日本は今それ程の困窮にはなつていないし、それから又斯ういう事が良い、斯ういう思想が良いか悪いかという、そういう判断力から言つても、兎に角日本人は相当進んでますから、いくら共産主義で踊らせ様としても、それに引掛らないです。で、兎に角文化の発達した国――ヨーロッパでも日本でも共産党が非常に社会から嫌われている。段々議員なんかの数が減つて行く。ひとしきりイタリヤなんか共産党がはばつたが、年々共産党の議員が減つて行く。そうしてくると成功の見込は少くなるんです。というのは、文化の発達した国民は判断力がありますから、中々丸呑みにしないで批判しますから、批判してみるとどうも共産党が面白くない。之で幸福な社会になろうとは思えない。そこで段々人気がなくなつて来る。だから、それに旨く成功したのは中共です。支那です。処が中国は未だ教育の程度が低いし、それ丈の隙がありますから、そこでまあ成功したんです。そのやり方を日本に持つて来ても、それは成功しないですよ。それもスターリンあたりは大分感ずいて来たんで、近来非常に日本に対する優遇政策を取つて来たんです。一方で社会を混乱させ様としているが、一方では政府や有識階級には妥協政策をやつてます。そういう政策を見つめてみると、やつぱり頭が悪いです。だから日本では先ず共産主義は成功しないという事は言えるんです。此間アメリカのブレーデンという宗教の研究調査に来た人ですが、強羅ホテルで一時間ばかり会談した時に、共産主義に就いて何う思うかと質問されたが、近き将来亡びるから私は問題にしないと言つたら吃驚してました。恐らくその様に言う人はないでしよう。何故亡びるかというから、それは根本が悪だから――自己の団体、階級の利益を計つて人類全般の幸福を計らない。そうすれば悪だから亡びるよりしようがないから、私の方は別に問題にしない。そういう訳で、成功するか成功しないかは、思想なり問題なりの根本がはつきり解れば何んでもない話です。そういう訳ですから、ものを批判したり見る場合に、本当に人類の為になると、或いは世界全体が幸福になるという、そういつたものは必ず成功する。そうでないのは、一時的に良くても失敗する、という様に判断すれば決して間違ない。処がそういう簡単な理窟が中々解らないんです。というのは、頭が悪いその原因は、何時も言う通り、矢鱈に薬毒を身体に入れて始終心配許りするから、頭に毒素が上つて、それで頭が悪いんです。だから教育や学問で一生懸命頭を良くしようとする。頭を良くしようとするからして、それ丈は良くなるが、その為に頭を使つて薬を入れるから、その薬毒が頭に来て悪くなる。という訳ですから、今の人間は理窟は旨い事を言うが、その理窟は浅いんです。外部から注ぎ込むやり方ですから、だから上つ面は非常に発達するが、内部の方は毒を頭に注ぎ込んでますから悪い、斯ういう状態です。だから、上面(ウハベ)利巧の芯(シン)馬鹿――斯ういう人間が沢山出来ている。
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三十日と一日に美術愛好家、それからそういう方面で著名な人を招ぶ事になつてます。まあ外国人も相当――新聞記者や何か来ます。で、喋つた事を飜訳するよりか、原稿を書いて貰つて飜訳した方がずつと正確で楽だというので、書いて貰いたいというから書いたので、それを読ませます。
(御論文「⇒美術館建設の意義」)【註 栄光一六四号】
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之は薬毒に就いてですが、信者でも余程古い人は徹底しているが、新しい人は中々薬毒に気がつかない人が随分あるんです。兎に角薬毒に気がついて徹底するのが一番肝腎なんです。薬毒の恐ろしさを書いてみたんです。
(御論文「⇒薬毒の恐怖」)
此間ラジオかで一寸聞きましたが、今病気の数は千百幾つというんです。だから、昔は四百四病と言つたが、ずつと増えた訳です。三倍になつた。で、そういう風に病気の種類が増えるという事は、一寸考えると可笑しいんです。処が病気の原因が薬という事が分れば、何んでもなく分ります。つまり薬の種類が増えたから、病気の数が増えたんです。兎に角そういう様な工合で、何んの病気でも先ず薬を考えてみる。そうすると分ります。よく信者の人なんかで、どうも治らない、しつこい、憑霊現象ではないか、何んの霊でしよう。と、よく聞く事があるが、それよりか薬毒の方がずつと多いんです。それからもう一つは、憑霊と言つても、そういう霊は悪霊ですが、悪霊が憑くのは頭が曇つている。曇つているというのは薬毒です。薬毒で曇ると、そこに霊が憑くんです。ですから憑霊を何うしよう斯うしよう、解決しようという事は気にはしなくて良いんです。それより薬毒を取つちやおうと考える。それが根本です。精神病というと霊に違いないが、因(モト)は薬毒です。精神病は不眠になる。不眠が因という事は延髄に固りがある。延髄に固りがあるという事は薬毒です。だから、精神病でも何んでも、そういつた心の病気も全部薬毒です。そこで人間不幸の原因も薬毒なんです。だから薬を身体に入れなかつたら其人は仕合わせです。色んな災難なんかはないんです。霊が曇つているから、曇り相応の浄化が来るんです。災難というのは浄化です。そうすると薬毒で血が濁つているから霊が曇るんです。だからこの根本は薬を無くする事です。そうすると地上天国が出来るんです。だから浄霊というのは曇りを取る事ですよ。薬で逆に曇らせたのを浄霊で取るんです。ですから浄霊すると血を吐いたり、鼻血を出したり、下からくだつたりしますが、それはそういう訳です。 之はやつぱりそれに関係した、伝染病の事です。
(御論文「⇒伝染病恐るるに足らず」)【註 栄光一六四号】
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六月二十七日
【御 教 え】
美術館は見らるる通り段々整つて来つつありますけれども、大分上層方面に評判になつた様な話をよく聞くんです。神様は一番――インテリから上層階級の人達を救うには、普通では中々接近して来ないんです。それには美術館なんていうのは最も良いんです。之以上そういう人達を寄せる方法はないでしよう。で、そういう人達が此の土を踏めば、それで霊的に結ばれちやうんですから、先ず嫌でも救われる動機が出来る訳です。ですから美術館というものは、その一つの御仕組です。中々宗教的に話を聞いても、馬鹿にして――何んだ新しい宗教なんていうのは、どうせインチキ的なもので、旨く拵えてある。うつかりそんな事にひつかかつて迷信の禽(トリコ)になつては大変だという、そういう観念が非常に強いですから、そういう人達を救うには、尋常一様では駄目なんです。又美術館なんていうと、そういう人達が非常に憧れを持つて居ますから、一言も喋らなくて良いです。只此処に見に来る丈で霊的にそこに縁が結ばれる。で、いずれ時が来ればこつちの話が耳に入る様になります。要するに、霊的に邪魔していた様なものが弱りますからね。ですから中々神様は旨くやられると思つて感心しているんです。三十日は新聞記者だとか文士だとか芸能人だとか、そういう人達を招待する事になつてます。で一日は著名人です。偉ら方を招ぶ事になつている。三十日は、外国の記者とか又美術の愛好家という様な人達が来る様な話なんです。新聞方面の外人は、喋つたのを飜訳するより、あらかじめ原稿を書いて貰いたい――それを飜訳した方が非常に早くて楽だという様な意向なんで、原稿を書いたんです。それを今読ませます。談話体になつてます。
御論文「⇒美術館建設の意義」【註 栄光一六四号】
それで私の思う事は、普通美術館と言いますと、今迄世間にある多くの美術館――その頭で考えるのとは大いに違う。成程建築、設備、並べてある品物というのは、今迄にないという処を認識させたいのでありますが、無論分るに違いないですから、分るにつれて非常な反響を呼ぶだろうと思います。然も、いずれは映画で外国にも知らせますから、世界的に評判になるだろうと思つてます。そうして信仰の方から言うと、メシヤ教というものの存在――というと消極的ですが、新しい変つた宗教だ、兎に角芸術を之程尊重すると、そんな点に於て世界中一度に分る訳です。之も神様の御仕組なんですから、之からそういつた様な意味に於て、世界的発展の時期が段々近附きつつあると思うんです。振返つてみると、驚くべき事は、宗教になつてから――宗教法人になつてから、この八月で満五年になるんです。そうすると最初始めた頃は、信者の数は数百人で、無論金の力も殆どない位です。それが僅か五年間に之丈の仕事が出来たという事は、そのスピードは今迄に例がないです。何しろ早いです。之は私も驚いて居るんです。私は早くしようと思う積りはない。只神様の思召の儘に急(アセ)らず騒がず順々に進んで居るんですが結果を見ていくと実に早い。之はみんな知つて居るでしようが、去年の今頃は未だあそこの処をホジクツたり石を割つたりしていたんです。美術館の計画を起したのは十月です。それが今あんな工合に出来たんです。普通でしたら之は何年もかかるでしよう。世間にある今迄の美術館というのは一生涯かかつたんです。私が何時も言う白鶴美術館なんかは八十年かかつたんです。三十台からああいうものを買蒐めて、それも支那のものに限つているんです。日本のものは全然ない位なものです。支那の陶器と銅器ですが、それを買蒐めるのに五十年かかつた。それで美術館は、そうですね未だ十年にはならないです。数年前です。で、九十越して――九十幾つで死んだのです。ですから一生涯かかつた訳です。処がこつちは、本当に言えば二、三年位のものです。二、三年前から私は美術館をいずれは造らなければならないと思つて居た。それが支那美術許りでなく日本美術を主にしてやつたんですから、そういうのと較べてみれば実に人間業ではないです。兎に角神様が腕を振われたんですからして当り前でしようが、兎に角驚くより他にないです。之が若し世界的になるとしたら、一層驚く訳です。無論世界的になりましよう。此処に並んでいる五つの支那美術丈でも、大英博物館の支那陶器に遜色ない積りです。之は私が言うのでなく、あつちを見て来た人の話です。英国の支那陶器というものは、博物館のホップレスという人の品物です。それからデヴイットと、この二つが支那陶器としては世界的になつているんです。その美術品に、此処にある支那陶器は負けていないです。負けているのもあるが、勝つているのもあるんです。大体から見て私の方が勝つているでしよう。一番勝つている強味は、英・米でも――どちらも支那から買つているんです。私は日本で買つているでしよう。処が日本のは伝世と言つて、古い時代から伝わつて来ているんです。藤原時代から来ているんです。その儘伝わつてます。支那のは土中物と言つて土に埋めたものです。土に埋めたものは光沢がなくなつて、色や何かも変化して全然駄目です。そういうものが十万円とすると、伝世物は五十万か百万か――何十倍というものです。その強味が大変なものです。それから、宋元の絵――此処に並べてある――之は英・米にないです。之丈は支那にもないです。焼けたりしてます。日本丈しかない。処が絵に限つて、昔から大名が非常に大切にしたんです。ですから、あの中に、白地のに鳥が止つているのは、銭舜挙という人のですが、あれは秀吉が大切にしていた。それ程珍重されたものです。ですからああいつたものを見ると、如何に大事にしたかという事が分るんです。そういう為に、支那の絵というのは今日本丈にしかないんです。兎に角日本は、何時かも言つた通り、世界の美術館と言つても間違つてはいないです。そんな様な訳で、今に外国の偉い人や何かも、必ず此処に来るだろうと思つてます。それで神様の経綸は型でやると言う事を言つてますが、此美術館というものは箱根の山の上――山の上というのが東と西の丁度間です。之は先にもよく言いましたが、之を今から言えば、日本は世界中の型になつているんです。之は講和前ですとそういう様な事を非常に喧ましかつたが、講和になつてみれば差支えないから言いますが、日本人は世界中の型なんです。之は、一番分る事は、日本人というのは世界の何処の文化でも咀嚼出来るんです。世界に他に斯ういう国民はないです。日本人は、西洋の文化でも支那の文化でも南洋の文化でも何んでも呑込んで、自分のものに出来るんです。此点をよくみると日本人というものは特殊の人種という事が分るんです。仮りに文学や音楽でも、東洋人であり乍ら支那人には解らないそうです。支那人にはないそうです。特に西洋音楽は解らないそうです。処が日本人は、西洋音楽でも今では西洋人に負けない位に偉い音楽家が出来ているんです。それから絵でもそうです。ピカソやマチスの、今は――真似ですが、兎に角今度なんかも四十点か色んな油絵を出品しましたが、その位そういつたものが日本人は偉いんです。ですから、私は前に斯ういう事を言つた事があるんです。日本は組立工場とも言える。つまり、自動車や何かの――アメリカの大工場のフォードなんかそうですが、各専門々々の会社を下に持つていて、車は車、発動機は発動機――そういつた様に部分的の会社を持つていて、それが一ぺんにフォードの本社に集まつて組立てて一つの自動車として完全なものにする。それと同じで、日本は世界中の色んな文化を取入れてそれを組立てて本当に実用になるという様なものを作る。それが日本の使命だと言つた事があるが、そういう様な訳で日本人というものは世界の見本になるべきです。そうすると日本という国が、矢張り見本になるんです。そこで神様は日本の中心――中心というのは箱根の山なんです。神山ですね。之が中心です。神山の向うが西で、こつちが東です。そうなつている。つまり関西、関東になつている。そこで此の美術館というのは天国の型です。天国という事は、つまり芸術です。天国の表徴は芸術なんです。それを造つたという事は、之が段々広がつて世界的になるにつれてミロクの世になるんです。つまり丸(○)の丸(○)の中心です。之になる。だから只単に美術館としてでなく、そういつた様な非常に深い経綸上のものなんです。だからミロクの世のポチ(・)が出来た様なものです。早く良いものが出来たという事は、其意味で神様が段々それをやる。その為に品物なんかでも殆ど神様が寄せたんです。何時でも道具屋が「斯ういうものなんか売物に出るものでないが不思議ですね」と言つている。ですから私は「変ですね」と言つて腹の中で笑つている。そんな様な訳ですからトントン拍子に行つたんです。で、神様の型という事は面白いので、ひとりそういつた様なもの許りでなく、人間がそうなつている。米国人の型、英国人の型、支那人の型。中にはアフリカ人の型もある訳です。そういう人の一人々々が信者になつて救われると、それが広がつて――そういつた型になる訳なんです。それがずつと広がつて一国になる訳です。で、良くみるとそれが沢山あります――それは言う訳にはいかない。それも、喜ぶ人許りでなくて、中には――君はアフリカ人の型だというと、どうもね。中には共産党の型も或いはギャングの型もあるかも知れない。そんな様に型でやつて行くんです。私が色々と世界中の事を知つたという事は、型で知らされているんです。之も大本教のお筆先にあります。「大本は世界の型であるから、この中を見て居つたら世界の凡ての事は良く分るぞよ」というお筆先があるが、それは全く間違つていないです。ですから大本教の中に世界の型が色々ありました。それを大体神様から色々知らされてましたから、そこで世界の将来という事が大体分るんです。そういう事も之から書き始めてますが、そういつた――一つの、神様の経綸上の神秘に就いてですが、書く事が多いので書くのが間に合わない位です。そんな様な訳ですから、信仰でも自分一人ではないんです。何万人何十万人の、自分は代表者になつているから、自分をそう軽く見る事は出来ないです。そうかといつて、俺は何処の国の型なんて言うと自惚れが出ますからね。で、地上天国になるのに一番邪魔しているのは、何んだと言うと薬なんです。之をあんまり知らせると、色んな反対や被害があるから今迄あんまり言わなかつたが、それもいずれ知らせなければならない。之は短いのですが、それを一寸書いてみた。
(御論文「⇒薬毒の恐怖」)
(御論文「⇒薬屋さんには御気の毒」)【註 栄光一六五号】
(御論文「⇒救世の警鐘」)【註 栄光一六五号】
(教十一号 昭和二十七年七月十五日)