このことはですね、詳細に検討してみると当たり前なんですよね。そりゃそうだよなと思っちゃう。まず前置きからお話しますとね、明主様が昭和29年に大浄化に入られてから段々と本当の現人神となっていかれるんですけど、本当という表現はちょっと変でかなり以前から本当に神様だったんだけれども、かなり表面上ボヤ化しておられた、平々凡々の人間の振りをしておられた、それが御自身の浄化に伴って無理となった、御神格そのままの振舞しか許されないようになった。そして経綸としても神様の型として振舞うようにしないといけなくなった。当時の教団幹部や側近奉仕者の方は世界人類の型であったので、世界に分布する人種を代表する種だったんですよね。なので最晩年は、メシアとしての明主様と世界人類の種であった人々との間での御経綸だったのです。それはどういう御経綸かというと、メシアの言うことに素直に従うかどうか、大浄化後の世界に残されるのを許されるかどうか、という非常に重要なものでした。なのでメシアの型をされる明主様の言葉は、時には非常に厳しいものであった。その厳しさの裏側というか奥には、全人類を救いたい、次の世界に全員を残したいという神の大愛があったからなんですよね。なのでメシアであられる明主様に対して、素直に従わない態度や不敬な振る舞いに対しては大変厳しく御注意された。それは後々、その型が押し広がって世界人類がメシア様に対して不敬な態度をとる様になり、メシア様の言うことを聞かなくなるからです。そうなるとどうしても滅びの運命をたどることになる、なんとか存続させようと思っても許すことは出来ない、光明世界建設のお邪魔になる、それが可哀想なのでつどつど厳しく御注意されました。なので面白いのは、明主様は神様の型として振舞われる時は、命令口調で呼び捨てで御命じになる、しかし一方、人間として接せられるときは丁寧口調でさん付けなんですよね。なので当時の側近奉仕者の方はそのギャップにビックリして理解が追い付かなかったのです。一番追いつかなかったのは奥様であられた二代様です。
そのようななかで、明主様の御言葉に次のようなものがある。
昭和29年4月28日
側近奉仕者に対し「メシヤとして私の御神格が非常に高くなった。これからは我を出さず素直になるように努めなくてはご奉仕は許されなくなる」と厳しいお言葉を賜わる。また、「これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい」と仰せられる。(樋口)
まず、『これからは想念の世界である』についてなんですけどね、これは、これまでは想念が伴わなくてもカタチだけでもとりあえずそういうフリをしてればそれで許された、しかしこれからは想念も伴わなくては許されないという意味なんですよ。もっとかみ砕いてお話しますとね、これまではチャランポランのパッパラパーでもとりあえず神様に手を合わせて御浄霊を受けてれば許された、しかしこれからは神様の言うことに素直に従って神様の御心に適わないと許されないという意味なんですよね。なので御浄霊は二の問題と言われてるんです。カタチだけテキトーにやって信仰してるフリしても、もうダメだよと言われている。それでは御守護いただけない、次の世界に残されないよという意味ですよね。そして後半にある『お念じしなさい』という部分ですよね。お念じするというのは、神様にお祈りするという意味です。お祈りというと願望成就の願掛けの様に思いますけど、それは神様を人間の下にして道具にするようなことなんで割と野暮な考え方なんですよね。祈りについては神学的にいろいろ研究されてますが、よく言われるのが神との対話であったり、神の神性と一体となることであったりと表現されます。ということは祈りとは神の御心に適うこと、神の御心とシンクロすることと解釈できるわけですが、救世教の場合もっと平たく言うと、明主様に言われたとおりにやりなさいよ、明主様がやってこられたのと同じようにやりなさいよということです。明主様の言われることに素直に聞きなさいというのが分かりやすい表現であると思います。なので我を取りなさい、素直になりなさい、私の言葉はそのまま受け取りなさいと御教えくださっています。
それでこれはあまり言いたくない事なんですけど、あまりにも多くの信者さんが明主様の言われたことをどっか隅の方に追いやって、自分で編み出した独自のMyルール信仰でやっておられるように思えてならない。次にMyルール信仰の一例を取り上げますけどね、別に咎める意思はないですよ、解説のための一例です。とある男性60代後半、健康診断で腫瘍が見つかり、ステージⅡの癌と診断され、手術による腫瘍除去後、抗がん剤投与によって5年生存率は70%であると医師から伝えられる。その男性の御神前での胸中はだいたいこんな感じと推察されます。
『神様、私はね、家族が信仰初めて、それを引き継いでこの年になるまでずっと信仰続けてきました。御浄霊だって素直に受けます、神様にだって手を合わせます、毎月のお祭りの時だってちゃんと少ないながらも献金してきました。御論文だってお祭りの時に朗読があるので、ちゃんと聞いてます。でもね神様、しっかり信仰してるのにそんな私が癌になるなんてヒドイじゃないですか。ちゃんと信仰してるのに一般人と大差ないなんて割に合わないですよ、何のための信仰なんですか、何も代償に対するリターンがないじゃないですか。献金だけしっかり受け取っておいて、私には何もメリットがないじゃないですか。そりゃね、タバコは止めましたけど、お酒は飲みますし、好きなものを好きなだけ食べるような生活をしてきましたよ。運動もこれといって特にしたことないです。でもね嫁さんが出してくれるもんは好き嫌い言わずに全部食べますし、それにプラスしてカップ麺や菓子パンやアイスクリーム食べるなんて普通じゃないですか。ごく一般の家庭と変わらないですよ。それなのにね、そんな私が癌になるなんて、神様に裏切られたような気持で一時はハラワタが煮えくり返るような思いでしたけどね、いつまでもそんなこと言ってられないので、いったんそれは置いておいてですね。神様ね、お医者さんが言うにはあまり深刻な癌ではないというんですよ。手術して抗がん剤が合えば5年以上生きれると言うんです。それでね、神様、私今までの不義理は一旦忘れて許しますから、どうかね手術が成功して、ちゃんと一発目の抗がん剤で体に合うように御守護いただきたいんですよね。ちゃんとね御浄霊も受けますよ、でもね一番の願いは手術が成功することなんで、そこのところをどうか頼んます。手術成功して抗がん剤が合って癌が治ればね、また元通り信仰して献金できますんで、そこんとこどうかよろしくお願いします。』
こういう感じの信仰がですね、令和における救世教の大多数ではないかと思うんですよね。ホントのところは分からないですよ、私の勝手な印象であることを願うばかりです。それでここは強調して言いますけど、私個人としてはそのような信仰を咎めるつもりはないです。人には人のそれぞれの自由意思がありますので、私はそれを尊重します。しかしながら、明主様の御教えが腹の底まで徹底してる人から見たらですよ、上記のような考えはかなり的外れなんじゃないかなというのが分かりますよね。なんかすごくアンポンタンな印象を受けてしまう。というのも理屈から言っても無茶苦茶で、これから手術で身体を切り刻んで自分からお願いして大ケガするけど助けてくださいだとか、これから身体に全身の細胞が衰弱するほどの猛毒を注入するけれども何ともないように元気にしてくれだとか、そりゃ医療に騙されてるのかもしれないですが、そもそものお願いが無茶苦茶なんですよ。ちょっと違う例えをすると、今からウラの山の木々に火をつけて燃やし尽くすけど緑生い茂る豊かなものにしてくれだとか、これから川に魚が即死するような猛毒をずっと垂れ流すけど毎年新鮮な川魚がいっぱい採れますように、みたいなですねちょっと冷静になって考えると血の気が引くようなお願いなんですよね。よく明主様は理屈に合わないことはいけないと言われてますが、ほんとに理屈に合わないことばかりです。東京に行くために沖縄への航空チケットを取りました、神よ何とかしてくださいみたいな、そんな感じばっかりですよ。全部の原因は御神書をちゃんと読まずに、TVばっかり観てマスコミに見事に洗脳されて頭パッパラパーだからですよね。だから明主様は最晩年に「これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい」と言われたんですよね。
想念が出来てたらですね、同じようなケースでも御神前で以下のような胸中になるわけです。
『明主様、日々の御守護ありがとうございます。先月たまたま健康診断受けることになって、医者から癌だから手術しないといけないって言われたんですけどね。お医者さんはね、癌はそれほど深刻じゃないし、今のうちに手術して抗がん剤で治療しましょうって言うんですよ。ただね、明主様の御論文に癌は食事療法でだいたい治るってありましたし、近藤誠ってお医者さんも癌は放置が一番いい、一番長生きできるって書籍で言われてたんでね、明主様の言われた通り食事療法と御浄霊で治したいと思いますので、どうか御守護お願いします。世間では大慌てするような場面なんでしょうが、こうやって明主様とつながっているおかげで何も心配してないです。心より感謝申し上げます。今後ともよろしくお願いします。』
全然違うでしょ。こうやって比較して検討すると、御浄霊二の次、想念第一と言われた意味が良く分かると思うんですよ。ただしここで改めてお伝えしたいのは、私は下の様な考えになることを強要しているわけではないです。私は人それぞれの自由意思を尊重します。御神書や御教え読んでて、普段から御浄霊受けていれば、自然に下のような考えになるよねとは言いたいけど。