霊界が本当の世界、霊体が本体という話

霊界のことや霊体のことは御教えに求めるしかないんですよね。私自身も霊感はないし、このことについては帰幽するしか確認のしようがないので、明主様のおっしゃられたことを軸に整理していくしかない。霊という、この部分っていうのはどうしても宗教になってくるんですよね、確認できないけど信じるしかない。感知や観測ができないんで、論理立てて証明できない。ただ、御浄霊が効くという事実をとおして、霊というものがあるんだ神霊というものがあるんだということは確認させていただける。そして神霊、霊体、霊界というものの実在があるという前提をもとに、御教えを基に日々の生活をとおして真理の探究をしていくのが信仰生活というものであると思うんです。なので御浄霊の実在を出発点にドミノ倒し的に信仰を深めていくしかないんですよね。御浄霊が効く⇒神霊はある⇒明主様は正しい⇒明主様の言われていることは正しい、というこういう順番になる。なので、逆説的に言うと、ああ!確かに御浄霊はある!素晴らしい!という体感がないと、信仰は始らないんですよ。御浄霊??⇒おまじない??⇒霊??神仏??⇒幽霊やオカルトは面白いけど⇒明主様??⇒なんとなく良いこと言われてる気がする⇒霊界??霊体??⇒へーそんなのがあるんだ、というフワフワのフニャフニャな感じになっちゃう。御浄霊で病気が治ること救われることは、神様と出会うことと言い換えることができるわけで、強烈な信仰の出発点なんですよね。信仰一世はどうしても神様に対して熱烈になるし、二世、三世になっていくにつれて信仰が温くなっていくのはどうしても仕方がない。何故ならば、二世、三世の子や孫は神様に会ってなんだから、ということになります。もちろん御浄霊が出発点の方もいれば、自然農法が出発点の方、聖地や美術館を出発点に信仰をはじめられた方もいるでしょう。信仰のドミノが倒れはじめれば何でもいんですけど、それがはじまってないのに無理やり言い聞かせて納得させてる方は二世三世の方に多いと思われますし、気の毒だなと感じています。

それで、私の場合は霊が見えたりすることは無いんですけども、御浄霊の光をよく感じるんです。額のあたりをしていただくときはよく熱風を感じますし、腎臓部をしていただくときは触れられてないのに手を置かれている感覚があります。それで、冷え性や低血圧をよくしていただいた体験もありますし、まだ大病はしたことないのでそれを治していただいた奇蹟体験なんてものはないんですけど、しかしながらしっかりとした体感はあるわけです。御浄霊を取り次いだ際には、急所にあたっているとビリビリと手に響く感覚もありますし、明らかな症状の改善も何度も見ました。御浄霊以外では、夢で明晰夢をたまに見れるというのがありまして、夢というのはとりとめもなく連続的に映像を受け身で見せられるっていうものだと思うんですけど、明晰夢の場合は現実の様にある程度自分の自由意思で夢の中を体験できるんです。それがですね、まあ面白いですね、夢にもよるんですが本当に面白いエンターテインメント体験なんですよ。朝目覚めて、ああ続きが見たいと思うことも度々あります。御教えにもありますが、夢っていうのは幽冥っていう言葉を詰めたもので、睡眠の際に副守護神が身体から抜け出して霊界の中にある幽冥界というところへ行くんです。それでいろんな体験をするんですけど、まあ一時的に霊界体験をしていると言ってもいいんですよね。なので現界に生きながらにして霊界を体験してみたい方は、夢を見ましょうということになります。

それで現代人はどうしても今を生きていかないといけないので、現界ばかりにフォーカスしがちなのですが、明主様の言われているとおり霊界ありきで現界を捉えないと、虚しい人生で終わる可能性が高いんです。しかも現在は最後の審判の真っ最中なので、今回神様からバッテンをもらった場合、もう次はないかもしれないんですよね。で、大事なことがですね、仏教でもよく言われることですけども、現界は仮の娑婆であって、霊界が本来の本当の世界ということなんです。霊界と現界というのは重なり合っててそれでいて次元で切り離されているんですけど、まあ要は人間現界で死んだらそれで終わりではなくて、その後霊界生活がはじまるということなんですよ。それで、現界生活が50年~80年なのに対して、時間の流れが違うので単純比較はできないんですけど、霊界生活は200年~400年とかという具合にめっちゃ長いんですよね。

こんなかんじのサイクルをですね、人間は魂を磨いて向上して神になるまで何度もグルグルグルグル生まれ変わり死に変わりするわけです。一説には何万回とこのサイクルを繰り返すらしいですね。御教えには特にこの回数についての言及はないですけども、一回や二回でないのは明らかです。それで繰り返しになるんですけど霊界生活の方が長いんですよ。霊界生活がメインなのであって、現界生活というのはボーナスゾーンと言いますか特別な期間なんですよね。現界、物質世界をなぜ神は想像されたのかについては長くなりますのでまた別に解説しますけど、霊界というのが本来の世界でメインなんだということを押さえておきたいと思います。それで物質世界である現界に対して、霊界なるものは摩訶不思議なファンタジーの世界でございまして、明主様も想念の世界と言われています。現界と霊界に相当するものとして、肉体と霊体というものがあるんですけれども、これも肉体というのは一時的な殻でございまして、本体は中身の霊体なわけです。それで、肉体というのはとても不便なものなんですよね、制約が多い。一方、霊体というのは万能の自由自在な存在でありまして、ちょうど肉体が昆虫のサナギであれば、霊体は羽化した蝶に相当するんですよ。ではどれぐらいの違い差があるのかを下に表にしてみたんですけども、しかしながら霊体と言っても位置する霊層界によってはピンキリなので、地獄の霊体と天国の霊体とで分けて比較してみました。

というようにですね、天国の霊体の万能性に比べたら、肉体のなんと不便なことと感じざるを得ないですよね。一方、地獄の霊体は肉体よりも劣るんです。死なない利点があるじゃないかと思うかもしれませんが、死んだほうが楽と思うような境遇が延々と続くわけでして、『コロシテ…、コ……、コロシ…テ…。』みたいな状態がズー――っと続くんです。最悪ですよね。まだ死んだら一応それで終わりにできる現界の方がよっぽどマシに思えてくる。そうかといって自殺はダメですよ、自殺では解決になりません。そして自殺しなくとも現界生活でミスって地獄のレベルまで落ちちゃうと、その後の長い霊界生活もしょっぱい地獄生活が延々と続くわけですね。それがまあシンドイわけです。霊界生活もピンキリで霊層界のどの地位にいるかでまったく境遇が違っちゃう。これも下に図解で簡単に示しましょう。

このような具合で、天国と地獄とでは生活の質QOL(Quality Of Life)に雲泥の差があるわけです。なので結局何が言いたいのかというと、天国の霊界生活を目指すのが根本ですよねということをしっかり腹に納めないといけないということなんです。永遠の生命(永遠に続く天国的霊界生活)を価値観の中心にしないといけないですよね、現界のしょうもない外郭に気を取られるなんてナンセンスですよねということなんです。一時的な肉体の為に霊体を汚すような行い、霊層界を下げるような行いは百害あって一利無しなんですよ。なので御浄霊が効くという体感から、いろいろ信仰が進んで霊界を信じれるところまできたらですね、家にある薬剤や身体を汚すようなものは全部ゴミ箱にポーーイですよ。もちろんそこまで信じれない方はそんなことしなくてもいいですけどね。