御教え集 第二十三号に以下のような記述があるんですよね。
『それで一番神様の思召しに適うという事は、多くの人を助け、人類を救うという事です。ですから一人でも多く信仰に導いて救ってあげるという事が一番です。だからして自分が救われたいというのは、神様のお役に立つ人間になる事です。神様が、その人を見放しては神様の方に損が行くというような人間になればよいのです。それが神様の御心です。ですから神様の心を心としてというのは、その点にあるのです。だから一生懸命に拝んで、ただ祝詞を沢山奏げるという事は、決して悪い事ではないが、そのために多くの人が助かるという意味にはなりません。ただ自分が早く助かつて多くの人を助けるという動機になるわけです。ですから、自分の罪をお許しいただきたいというのは結構ですが、ただ自分の罪を許されたいというだけでは、一つの自己愛ですから、自己愛では駄目です。
ですから私は前に大本教にはいった頃に、家内が“自分はどうも地獄に行きそうだから、天国に救われたい”と言うから、“オレは地獄に行っても結構だ。世の中の人をみんな天国にあげてやって、それで地獄に行くのなら行ってもよい。君とはあべこべだね”と言ったのです。そうしたら“それはあなたは男だからです。女はそうはゆきません”と言うのです。ですから地獄に行きたくない天国に行きたいという事と、自分は地獄に行っても人を天国にあげたいという事は根本的に違います。ところが実は、人を天国にあげたいと思うような人なら、自分も天国にあがります。それで自分が天国に行きたいと思う人は、地獄に行く事はないでしょうが、天国の下の方か中有界ぐらいでしょう。』
(教二十三号 昭和二十八年七月十五日)
このことについて、なぜそうなるのかを検討してみようと思います。これはですね、ちゃんとそうなる理屈があるんですよね。神の法則と言いますか、そういう想念であればちゃんと天国に行く、またはちゃんと地獄に行くという理屈がちゃんとあるんです。
人間の幸不幸は霊層界の地位によると御教えくださってますよね。で、どの人間がどの霊界に配属されるかというのはちゃんと決まってて、それを『相応の理』というんです。これはもう神律で決まってることなんです。何どうしようが理屈をこねようがこれは動かせない。で、この『相応の理』って何ですかっていうと、相応しいものがそこに集まるっていう法則なんですよ。良い人間のとこには良い人間が集まるし、悪い人間のところには悪い人間が集まる。もっというと明るい人間の周囲には明るい人間が集まるし、暗い人間の周りには暗い人間が集まる、気前のいい人間には気前のいい人間が、ケチにはケチが、神経質なら神経質、怠惰なら怠惰、喧嘩っ早いなら喧嘩っ早い、というように似た者同士が集められるんですよ。ちなみに建物や衣服、食べ物も、その人間の想念に相応しいものが集まります。それで、善良にして真実があり美しい人間が集まるところを天国というんですよ。逆にですね、悪心があって欺瞞に満ちて醜い人間の集まるところを地獄というんですよね。なので、明主様は天国と地獄はこの世にもあるしあの世にもあると御教えくださっているんですよね。天国や地獄はただの空虚な概念じゃないんですよ。
それで、“オレは地獄に行っても結構だ。世の中の人をみんな天国にあげてやって、それで地獄に行くのなら行ってもよい。”という人間が『相応の理』によって集まるところがどのようなところか想像してみてください。そんな風に言ってくれる人間が10人集まった家庭、1000人集まった町村、十万人集まった都市、一億人集まった国家を想像してみてください。自分が“あなたの為なら自分は地獄落ちても構わない”と言えばですね、あなたの周囲の10人、100人、1000人のみんなが“友よあなたの為なら私は喜んで地獄に堕ちよう”、“馬鹿を言うな、あなたが地獄に落ちて私が幸せになれるわけがないではないか”、“あなたの幸せの為なら千の労力も厭わない”みたいな声で満ち溢れるわけですね。そしてその周囲の人のために自分が何か一つ奉仕をすれば、それが十にも百にも千にもなって返ってくるわけです。なんでかっていうとそういう人たちによって形成される家庭であり、都市であり、国家だからです。そんな人間が集まったところを何と言うかというと、天国と言わざるを得ないですよね。似た者同士があつまるという『相応の理』によってそれが実現されるのです、それが動かすことのできない神律なんですよね。
逆にですね、“自分はどうしても、天国に救われたい”という人がどのような霊界に行くのか想像することは簡単で、そのような人たちで形成される家庭、都市、国家を考えてみたらいいんですよ。やっぱりちょっと寂しい霊界になりそうですよね。そうやって考えていくと、自分の死後、どのような霊界に行くのかを想像するのはものすごく簡単で、自分を十人集めた家庭、千人集めた町村、十万人集めた都市、一億人集めた国家みたいなものを考えればいい。
なので霊層界の項目で、命をお金に変換する医療業界や薬品業界、嘘を伝えるメディア関係者や、腐敗した政治家が天国に行けるわけない、ものすごいヒドイ地獄に行くだろうと言いましたが、何も悪を裁きたい気持ちや怒りからそのようなことを言っているわけではなくて、ちゃんとした理屈があるんですよ。だってそのような人々が集められてつくられる家庭、都市、国家は地獄そのものでしょう。気持ち悪い程醜悪で愛がなく暗い霊界ですよ。そんなところは地獄以外ナニモノでもないでしょう。
御論文の“裁く勿れ”にも以下の様にありますね。
『そうして私からみれば、世の中の人の殆んどは甘ちゃんばかりといっていい。世界的英雄にしても、日本の偉方にしても、甚だお気の毒だが、お人好しの坊っちゃんと思っている。その中でも最も甘ちゃんは悪人である。面白いのは彼の踊る宗教の北村教祖は、人の顔さえ見りゃ蛆虫というが、言い方は野卑だが、本当だと私は思っている。』
悪人は蛆虫というんですね。これはですね、現界は善人と悪人が混ぜこぜになってるんですよ。それで、善人が下支えになって一生懸命頑張ってこの世界を支えているんですね。頑張って頑張って世のため人のために善人がコツコツ積み上げていってるんですよ。地味な仕事をコツコツと。一番は第一次産業の農業、水産業等です。次に第二次産業と、世界の根幹を支えるために多くの人が汗水たらしてこの世界を支えてるんですよね。それでですね自分のことを何だか選ばれたなんかだと勘違いしたバカ共がですね、善人が築き上げた成果物に蛆のようによってかかって貪り食っとるというわけです。ちなみに、勘違いしてつけあがったバカ共を大量生産しているのが今の学校教育です。単純に知識を与えて人格形成をする場ではなくなっています。人間に序列をつけて優生学的な価値観を植え付ける場になっているんです。それで話は戻りますが、この蛆虫君たちは貪り食ってるだけならいいですが、しょうもないワクチンばら撒いたり、資本にものをいわせてイジメたり、税金かけまくって事業が回らないようにしたり、詐欺のようなことを仕掛けてお金を巻き上げたりとか無茶苦茶してるんですよね。穀潰しの上に、毒を分泌して散布するんですから最悪ですよ。クソを煮詰めたクソですよ。人相的に天国的な政治家さん少ないですよね。なんであんなに汚らしいんだろうと、いつも不思議に思っちゃう。大物と言われる人ほどそうですよね。決まり文句の言い訳が“清濁併せて飲まないと政治家は出来ない”というやつですが、清と濁の比率がオカシイ気がしてならないです。
そういうわけでですね、最後は愚痴っぽくなっちゃいましたが、相応の理というものがちゃんと理解出来たらですね、世の中のいろんなことを見る視点が変わると思います。一歩、見真実に近づけるんじゃないかと思うんですよね。