明主様の御昇天について

明主様の御昇天については、現界的と言うか唯物的な側面から判断すると非常に迷われる方が多いと思うんですよね。無医薬でいけば120歳まで生きるのは余裕と言われてたではないかとか、90歳を過ぎたら隠居するんだと言われてたではないかとか、なぜ明主様ほどの方が不本意なかたちで帰幽されたのかというように思いがちである。更には、ここについて触れるのはタブーみたいな感じすらあります。しかしながら霊界的な側面から検討してみると全く違う解釈になってくる。やはり明主様は霊を主体に生きる現界人間のモデルケースとして完璧であった、そして後世の人々に人間の亡くなり方としての素晴らしい模範を示されたというような捉え方ができるわけです。

ここで改めておさらいすると現界的な価値観とは何かというと『生きるか死ぬか』ということになると思います。非常にサバイバル感覚にあふれる『DEAD OR ALIVE』な価値観ですよね。生命至上主義と言いますか、生命至上主義といっても現界的に有限な生命至上主義なんですよ。今生の生命に全集中すると言いますか、あらゆる資源と言うかリソースを今回限りの人生につぎ込むわけですね。なので死んだらそれで終わりなので、徹底的に延命しますね、意識が無くなろうが管をつないで薬剤をぶち込んで延命します。帰幽後の霊界生活のことを考慮に入れないので、徹底的に霊体を汚濁させるようなことを当たり前のように、常識の様に行います。また臓器などが使用できないようになると、臓器提供者から頂いた健康なものと交換したりしますね。臓器も提供者から任意で提供されたものならまだいいですが、臓器売買や人身売買で流通する臓器も結構多くてけっこうな世界的な問題となっていますね。つまり自分の臓器の為に他人を殺して、その人の臓器と入れ替えるような酷い輩が多いわけです。また今回限りの人生と思うので、不正な手段で金品を得ること等あたりまえで、ひどいのになるとここに享楽的なスパイスを加えようとドラッグに手を出したりします。

ところがですね、唯心的と言いますか、霊界的な価値観を主軸にしていくと『生きるか死ぬか』というのは結構二の次で、何が第一かというと『清まるか清まらないか』又は『浄化するか汚濁するか』又は『霊層界を昇るか落ちるか』という感覚なんですよ。生命至上主義というのも、現界的な有限生命至上主義ではなく、帰幽後の永遠の生命を含めた永遠生命至上主義なんですよね。そこが全然違う。なので現界の3か月か半年のために、いろんな薬剤や医療機器で無理くり延命させて、永遠の生命である霊体を徹底的に汚濁させて霊層界の地獄の底まで落ちるなんてことはナンセンスすぎて馬鹿らしくて仕方がないわけです。またしょうもないお金の稼ぎ方なんていうのも馬鹿らしいので、出来るだけ人から感謝されるカタチで金銭を得たいなと考えるわけですよね。明主様が『私は信者の感謝を食ってるんだ!』と言われてましたけど、イモのエピソードでね、そのような感覚になってくるわけです。

それで明主様の御昇天の話に戻ってくるわけですけど、明主様の場合は神人合一の境地に昭和25年でなられたわけで、高天原の統治権をもたれた最尊最貴の〇〇〇〇〇の御神霊と一緒になられました。霊層界の段階としては最上階の180階のさらにその上の181階に昇られた、これ以上の上はないというところまで昇られた。そして昭和元年から昭和30年の30年間で現界経綸の全てを完了された、それが地上天国ひな型の建設であったんですね。箱根熱海のひな型が種となって、ほかっておいても全世界に放射状に波動が広がっていって、勝手に全世界が天国になっていくんですから、ひな型の完成で完了とみなしてOKなわけです。なのでまとめると、霊層界の最高地位にまで昇られた、そして昭和元年からの30年で天国樹立という現界での仕事を完了された。なので、現界的に用がなくなったのでサッと霊界の方に御昇天されたというのが、霊的側面から解釈した明主様の御昇天なわけです。

なので、私なんかでも現界にあるうちは可能かなぎり霊体を清浄な状態にもっていくように努めてですね、出来るだけ血を汚さないように、他人から感謝されるように生きるというのが目標になってくるわけですね。そして神様から御用命いただいた使命をつつがなく終えて、霊層界を出来るだけ高い地位にもっていった暁にはですね、医療なんぞには一切関わらずサッと帰幽したいというのが本懐なわけです。それこそ臨終の際にはですね、生前お世話になった人たちを集めて『皆様本当にお世話になりました。ありがとうございます。それでは帰幽させていただきます。さようなら。』と言ってガクッといきたいんですよね。