昭和二十七年七月御教え
七月五日
【御 教 え】
何時も美術館のお話をしますが、未だ霊的の話をしてないか窟ら今からします。神様の根本の目的は、神仙郷の霊界――之が特別に霊界が光つている訳です。そこで普通の人が美術館を観に来るとすると浄められるのです。浄められるという事は、神様に反対する色んな霊や何かはみんな副守護神ですから、その先生の力が強いから其人が神様を信じない様に思わせるのです。その副守護神の先生を弱らせるのです。それが一番なのです。弱らせるには、光の中に入ると弱りますから、そこで信仰の話を聞かせたら解る訳です。ですから信仰に反対する人をよくみると、解らないわけではない――解つていて解らない。腹の底は解つている。で、どうも好かない、面白くない――というよりか、何んとなくそういう気分がするのです。理窟は解つているのです。確かに御蔭や何かを見せられるのですから信じなければならない。信じていても入る気がしないというのは、副守護神が邪魔しているのです。それを弱らせなければならない。それには聖地の土を踏ませるのです。そうすると副守護神の先生が弱りますから、神様の方に入るという事になる。処で副守護神の先生がのさばつているのは偉い人達に多いのです。処が偉い人達が解るという事が一番肝腎なのです。ですから偉い人達がどうしても来なければならない様な方法をとる。という事が美術館になる訳です。だから、此間――三十日、一日にも中々相当に名のある人達――インテリ――そういつた人達が大勢来てました。二日で約百人近く来ました。斯ういう事をしなければそういう人達はそれ丈の数が来る事は絶対にないです。そこで神様は旨い事をやられるのです。そうしてそれと共に曇りが幾分でも取れますから、つまり頭も良くなるのです。今の人達は――無論病気も多いですが、特に頭が悪いのです。頭が悪いという事に就いて一寸書いてみたのです。近頃非常に事故があるのです。之は新聞によく出ていますが、事故の原因というのは矢張り頭が悪い為です。それを一寸書いてみた。
(御論文「⇒事故の原因」)【註 栄光一六五号】
もう一つ薬の害を書いたのです。
(御論文「⇒救世の警鐘」)【註 栄光一六五号】
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此間も言つた通り、最近「私物語」という本を書始めたのですが、之は今迄書かなかつた様な色んな興味のある話がありますから、それを想い出した儘書いた。之は無信仰時代の一節ですが、少し書けたから読ませてみます。
(御論文「⇒私物語 無信仰時代」)
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之も一寸面白いものです。
(御論文「⇒アレヨアレヨ」)【註 栄光一六六号】
美術館が出来たのが早過ぎるので皆驚いて居るのです。未だ斯んなに出来様とは思わないとか、中々そう容易に出来るものではないのだからと思つた、とか――。処が拝見して喫驚して――之は未信者の人に多いのですが、信者の人達もやつぱりそういう風に思われるだろうと思います。之は私自身が――それ程でもないが、そういう風に思うのです。数えてみると、宗教法人になつたのが二十二年の八月ですから、来月で丁度満五カ年になる訳です。それで、法人になつた当時は信者と看做(ミナ)してよい人は千人とはなかつた――何百人位です。それが斯ういう風に急速に発展したのです。然もその間に随分いじめられたのです。之は皆知つている通り、翌年の二十三年十一月には脱税問題で、教団に関係したものはみんな家宅捜査され、色々な面倒臭い事が沢山あつて、一時は随分困つたのです。漸く其問題も片附きかけた一昨年の五月には、之も皆知つている通り静岡の警察や刑務所に引張られた事件ですが、之は脱税問題よりかもつと大きな問題で、一時随分打撃を受けました。その間に――一昨々年になりますか――夏にC・I・Dが突然やつて来て、方々家宅捜査をしたり――隠匿物資、金塊を隠してあるというのでレーダーで観山亭の廻りをやつてみたり、根太を上げて、縁の下が怪しいと縁の下を掘つたり――そんな事があつた。之は一日か二日だつたが、それから新聞は盛んに悪口を言うし、相当いじめられました。だから、そういう事がなければもつと発展したのです。もつと早くなつている。そんなに色んな事をされ乍らも斯んなに早く斯ういつた地上天国の模型が出来るし、熱海の方も著々と出来つつありますから、その早さは恐らく例がない位です。だからそれを思つてみても、神様は如何に素晴しい力を振われているかという事が分る。今も読んだ通り、霊界の方ではドンドン経綸が進んでいるのです。之は段々現われて来るのです。その現われ方が段々早さを増して来る訳です。増して来ると共に、大きさも増す訳です。だから愈々面白くなつて来る訳です。それからどうせ霊界では邪神と正神の闘いですが、段々邪神の方が弱つて来るからして、こつちをいじめるとかそういう力が弱つて来るからそこでやり良くなるという事になる。もう――去年、一昨年からみると、現在の社会の見る目が非常に異つて来てます。之は皆そういう事を感じるでしようが、まあ――新聞にしろ、先には悪い事を面白がつて書いたのですが、今は真面目に有りの儘を書く様になつた。そんな訳で、此間有志やそういう人達が来ても、大体そういう人達は喜んで来て、非常に満足して気持良く帰つた。あとの色んな批評は之からもチヨイチヨイあるでしようが、長与善郎さんなんかも、感想を述べて行きました。そんな様な工合に社会の見る目が異つた丈でも、如何に変つたかという事が分る。それから之から外国の方にも、美術館として大分知れるだろうと思います。有名なウォーナー博士――日本の奈良や京都の爆撃を押えつけた人ですが、あの人が今月半(ナカバ)か下旬に来る事になつてます。もう一人アメリカの偉い人が来る事になつてますが、あの人達が見れば国に帰つて大いに宣伝するだろうと思います。そんな様な訳で、神様はドンドンそういつた風に腕を振つているのです。そんな様な工合ですからして、非常に面白くはなつて来たのです。美術館は出来ましたが、廻りの色んな事が色々ありますから、それがすつかり出来たら相当――日本に来た世界中の偉い人達は大抵来るだろうと思います。さつきラジオで聞いたのですが、アメリカの人は夏になるとヨーロツパに皆旅行に行く事に殆ど決まつて、ヨーロツパの方の色んな宿屋の申込が受け切れないそうです。先ず此夏使う金の予想は日本の金にして千八百億というのです。処が未だ東洋の方は到底そんな訳にはいかないのです。東洋と言つても、先ず日本です。そうすると日本の色々な設備――道路も無論あるのですが、斯ういう箱根美術館なら箱根美術館が出来るという事は、一つの有力なものにもなるという事は確かです。ですから国家的意味からも大変な働きになる訳です。之は、此間の博物館の連中や何かがそれは大いに認めて非常に讃美してました。自分達も斯ういう事をやりたいのだが、お役人では全然駄目です。斯ういつた――個人的に斯ういう事をやつて呉れるという事は自分達も有難いという事を頻りに言つてました。そういう様な訳です。
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それから美術に就いて――之はいずれ小冊子にして美術館に来た人達にやろうと思つてますが、それを書始めたのです。之は品物や何かに就いて、一つの予備知識として知つて置く必要がある。之は書始めですが、書けた丈を読ませます。
(御論文「⇒東洋美術雑観」)【註 栄光一六六号】
越州窯というのは一番古いのです。支那の室に入ると直ぐ右側に大きな壺があります。あれが越州窯の一番良いのです。あれは世界に一つしかありません。英国、米国にありますが、もつと小さい物です。あれ丈の大きさで、あれ丈の良い作というのは絶対に世界に無いのです。あれがつまり青磁の始りなのです。
均窯――之も、真中に大きな皿があつて、両側に水盤がありますが、此事です。二色のはつきりした物を出したのです。
梅瓶――之に就いては今博物館で展覧会をしてますが、今月の十日迄あります。其処に出品の二つが世界一です。アメリカのロスアンゼルスで支那陶器の展覧会があつて、日本から十五点出しましたが、此十五点の中で此二つが一番良いのです。
白定窯――之も世界に無いです。真白な水指と徳利がありますが、水指の方は一寸形の変つたのは岩崎にありますが、徳利は日本には無いです。外国にも無いです。外国の物が、今度のロスアンゼルスの展覧会で何百と出たでしようが、矢張り日本の十五点というのが断然抜いているのです。あつちの新聞や雑誌に出たのも、日本の事が三分の二位出ていたそうです。だから此処にある支那陶器丈でも、数は敵(カナ)わないが、質から言つたら英国、米国に勝つてます。之を分つて、そうして一つ々々見ると面白いのです。まあ来る度に気長に見ていると段々分つて来ます。
それから、南蛮屏風という信長の時代に出来た物ですが、博物館の人が来て、明治三十八年から探しているのですが、何処に行つても所在が分らない。此処に来て分つて実に有難いと嬉しがつて褒めてました。之と同じ物を細川さんが持つているのです。それが日本一とされていたのです。去年サンフランシスコの展覧会に出しましたが、よく見ると下書きがチヨイチヨイあるのです。どうも可笑しいと思つたら、こちらのが元だというのです。之を真似た物に違いない。こちらのが本物で細川さんのがその写しという事が分つた。私の方のは非常に綺麗なのです。細川さんのは大分やつれている。それを聞いて私も非常に嬉しかつたのです。
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七月六日
【御 教 え】
美術館に就いて、霊的の意味があるのでそれをお話します。神様の話を聞いて解らないのは、やつぱり副守護神が邪魔しているのです。だから本当に解らない人は少いのです。解つていて分らない人が多いのです。立派に御蔭を見せられ乍ら、何んだか信仰に入る気持がしないという人がよくありますが、それはそういつた副守護神が邪魔しているのです。それでそういう時には――新聞になんか出て、悪い理窟を作る。例えてみれば九つの良い事があつても、一つの何かそんな――人から悪口を聞かされるとか新聞とか雑誌に出ているとか、それをみて九つの方を抹殺して了うのです。その一つを抹殺して了うというのは副守護神が囁くのです。で、現に目に見えて、信ずる気になれないというのがよくあります。そういう訳だから副守護神の力が弱れば良いのです。力を弱らせれば良い。それには此処――聖地の土を踏めば良い。此処に来れば良い。処が偉い人とかインテリのカチカチはてんで寄附きもしないです。処が美術館が出来ると之はそういう連中が美術を好きですから、どうしても来なければならない。此処に来れば、霊界が光つてますから、そこで副守護神が弱るのです。だから此処に来さえすれば良い。観に来れば結構なのです。だから、無論信者さんは奨めるでしようが、そういう霊的の意味もあるという事を心得て居れば尚更言葉にも力がある訳です。それからもう一つは今の人は非常に頭が悪いのです。上つ側は良いのですが芯が悪い。此間も言つた通り「上面(ウワベ)利巧の芯(シン)馬鹿」ですから非常に頭が悪い。それは頭に曇があるからです。此処に来ればそういう頭の曇も余程減ります。それから斯ういう事もある。家に帰つたり、他に行つたりした時、何うかすると箱根を想い出すのです。美術館は良かつたな――と想い出すと、霊はこつちに来るのです。そうすると霊線は伝わりますから、そこでやつぱり浄められる――斯ういう事になる。だから信者さんなんかでも――信者さんは一番私を想うのですが、そうするとそれ丈浄まる。向上して行くのです。そんな訳で今の人の頭の悪さに就いて書いてみたのです。今非常に交通事故があるのです。近頃は鉱山の事故があります。あれはやつぱり頭の悪いせいです。それを書いたのです。
(御論文「⇒事故の原因」)【註 栄光一六五号】
もう一つ薬毒の事を書いてあるのです。
(御論文「⇒救世の警鐘」)【註 栄光一六五号】
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今度、農業特輯号――といつた処で、以前の様な編輯の仕方ではないのです。半特輯号といつた処の物を出す様にしました。之は、其後に来た報告を土台にして作つたのです。最近来た中に――佐渡の島で県の農会で質の一等賞貰つて色んな褒美を貰つているのです。量も一等なのです。之も素晴しい成績です。それを一番先に出しました。それから昨日来た報告では、蚕も今度一等賞貰つたとかいう礼状が来ましたが、それも桑を無肥料でやるとそういう風になるのです。之は輸出品ですから、無肥料で養蚕すれば今迄の品質よりずつと良くなりますから、この国家の利益は大変なものです。それから近頃は硫安が非常に売れなくなつた。ですから滞貨が非常にあるのです。製造も大分減らす話です。何んでも、売高が去年より四割位減つたという事ですから、余程減つてます。原因は何処にあるかというと、農林大臣の広川さん――あの人が去年あたりから硫安はあんまり使うなと言つているのです。去年の特輯号もあの人に送りましたし、今年の特輯号も送りました。それを見て大分感じたとみえます。だから之丈でも特輯号は大変な効果があつたという事になります。之は大変良い事ですから益々馬力をかけてやらなければならないと思うのです。今年あたりは肥毒が余程減つてますから、此秋の成績は余程良いだろうと思います。そうしたら又特輯号を出してドンドンやります。一万何千か方々に配つたのですが、中には変つた処があつて十四、五枚返して来たのがあります。何も、返さなくても――鼻紙にしても取つて置いても良いじやないですか――。つまり返すという気持が可笑しいのです。癪に障るのでしよう。肥料の取引でもやつている処かも知れないが、そうすれば商売にも関係しますから――あれは一つの反感でしよう。そんな工合で、何んだ彼んだと段々解つて来るに違いないと思うから、大いに張合がある訳です。斯ういうものを一寸書いてみたのです。
(御論文「⇒薬屋さんには御気の毒」)【註 栄光一六五号】
之は一寸面白いものです。
(御論文「⇒アレヨアレヨ」)【註 栄光一六六号】
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今「私物語」という本を書いて居るのですが、未だ無信仰時代の事で面白い事が幾らかありますから、それを書いてみたのです。
(御論文「⇒私物語 無信仰時代」)
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美術館は大分評判が良いそうです。昨日もアメリカ人か何か来て、非常に褒めて行つたそうです。品物を一つ一つ説明すると中々面白いのですが、美術館の大体の説明書という様な物を作ろうと思つて書き始めたのです。いずれ絵葉書とそれに説明書をつけて、見物に来た人にやろうかと思つているのです。段々美術に就いての鑑識を養う意味から、特に信者さんなんか必要ですから、兎に角世界的に美術というものに関心を持たれて来ているから――今にお茶とか花とかそういうものが盛んになつて、美術も非常に盛んになる時代が来ますから、その場合にそういつた知識が豊富にあると、その先覚者という訳ですから、特に信者さんなんかは良く覚える様にすると良い。之は少し専門的ですから面白くないが、之を知つて見ると又見るのに余計力が入ります。
(御論文「⇒東洋美術雑観」)【註 栄光一六六号】
あんまり専門的になつてますが、此処にある支那陶器丈ではやつぱり日本で一番です。只、之丈蒐まつてますが、去年の五月迄は支那陶器というのは未だ知らなかつたのです。もつと精しく書いたら書けますが――。その代り去年からは支那陶器のある処には何処にでも行きました。東京にも行きました。一品でもある処には行きました。それから支那陶器に関した本も集めました。普通なら十年二十年はかかるでしよう。それを私は一年ですから馬鹿に早いのです。之は、将来外人を誘致するには非常に力があります。英・米に行きますと支那陶器というのは殆ど美術の代表みたいになつている。だから今度もロスアンゼルスで支那陶器の展覧会をやりましたが――二、三日前にその図録が来ましたが随分数があります。日本で十五点出しましたが、十五点が断然良いのです。品数としては二、三百ありましたが、十五点を向うの新聞、雑誌に書いたそうですが、記事の三分の二は日本に関する物だそうです。それで、世界一というのがあるのです。そんな様な訳で、何しろ英・米で蒐めたのは明治以来です。処が明の時代のを蒐めたのが多いのです。日本は天平時代から来ているのです。唐時代の物が其時代から入つて来ているのです。それから藤原時代。足利時代が一番多く入つてます。そんな訳で伝世と言つて綺麗なのです。処が英・米に行つているのは土中物と言つて土に埋まつていた物ですから、艶がなくて色もずつと変つているのです。だから日本の支那陶器は断然良いです。今度の十五点で支那陶器は日本という位の評判が出て来たそうです。そんな様な工合で日本には中々良い物があるのです。それは未だ未だ随分あります。その内の極く良い物を私が選んだ訳です。然し支那陶器なんて全然知らなかつたのですから、知らない最初は見当附けるのに骨を折りました。然しやつぱり霊感でいきます――見ていると自然に感じます。それで、割合に外れないのです。だから皆驚いてました。何うして斯んなのが手に入つたか、とね。色んな原因がありますが、やつぱり神様がやつているという事が良く分るのです。やつぱり霊界で、先祖が持つて居た様なのが、大いに手柄をして救つて貰いたいというのでやつたものに違いない。そんな訳ですから特に必要な物はちやんと蒐まる。それから種類は実に良く蒐まる。支那陶器は、見た丈でも種類は実に余計ある。それで、みんな一流、二流の物です。(図録を御示しになられ)之が白鶴美術館にある世界一なのです。之を私が欲しいと思つて随分交渉したが全然駄目です。此位の大きさの壺で、良い物です。之が世界一なのです。ですから此本のトツプに出してあるのです。之は代表的な物です。美術館に牡丹のがありますが、あれと同じ質(タチ)なのです。牡丹も中々良い物ですが、あれ位の物は外国にも日本にもあります。之は一つなのです。此十五点ですが、今博物館で展覧会をしてます。十日迄ありますから行つて見ると良いです。今のアンダーソンという四千年前に出来たのが之です。之と同じ物が一つあるでしよう。之は外国にありますが、日本には殆ど無いです。斯ういう工合に沢山ありますが、此中で良い物というと日本の物です。だから日本は大したものです。
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七月七日
【御 教 え】
美術館に就いて、今迄話しなかつたが之を霊的に言うと、今の偉い人達は宗教というものに触れるのを嫌う人が多いのです。兎に角触れ様としないのです。処が美術館が出来たので、それはもう見たいでしようから、どうしても来ない訳にいかないというので段々来る事になります。そうすると、此処の霊界は非常に光が強くなつてますから、此処の土を踏んだ丈で余程浄まる訳です。そうすると今後信仰の話――メシヤ教の話を聞かされても、今迄嫌つて居た人達が余程そういう点が薄くなる訳です。でそれに美術館は非常な評判なのです。ですから見たいという人は沢山出来つつあるのです。で、一旦見た人は忘れられないです。忘れられないとすると、始終想い出したりすると霊が――やつぱり霊線に依つてこつちに来るのです。ですから知らず識らず浄められて来るのです。で、信仰なんかは特にそうですが、やつぱり偉い人が解らなければいけないのです。先ず――善男善女と言えば良いですが、言い方によつては愚夫愚婦と呼ぶ。そういう人達が数多く解つても、それは解らないよりか良いが効果が薄い。どうしても社会の指導階級――そういう人達が解らなければ本当に社会全般を救うという力が薄い。ですからどうしても指導階級――そういう人達が解らなければ本当の救いは出来ないのです。それには、そういう人達を解らせる一つの手段として、神様は美術館を造られたのです。だから此処の土を踏む――此処の霊界に接近するという事としては、美術館が一番効果がある訳です。そういう意味に於て非常に必要なものです。で、神様はそういう計画ですからトントン拍子に早く旨く行つたのです。之は、斯んなに早く之丈のものが出来るという事は世界に例がないのです。支那陶器丈でも、或いは世界一かも知れないです。そんなに蒐まつたという事は、とても人間業ではないです。此点に於て神様は非常な活躍をされた訳です。で、見た印象というものが其人の霊に非常に影響するのです。で、美術館にある品物を私は一々見たり楽しんだりしますが、私の霊気が入るのです。御守みたいなものです。それを見て想い出したりした人は、やつぱり霊気に依つて浄まつて来ます。だから目に見えない処のものによつて非常な力がある訳です。
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それから近頃事故が非常に多いです。交通事故は無論の事ですが、鉱山なんかも多いです。よく落盤するとか――此間なんかは地下水が急に出て来て――岩手県の松尾鉱山です。あれは相当――十何人か死んだそうです。それだとか、色んな事故がある。それから殺傷沙汰です。つまらない事で人を殺したりという、そういう事が非常に多いです。之は何ういう原因かというと、我々の方では霊的に見るから良く分るのですが、世の中では知らないから、注意を与えている丈――警戒を与えている丈という有様です。それに就いて、その原因を書いてみたのです。
(御論文「⇒事故の原因」)【註 栄光一六五号】
薬の問題がもう一つあります。
(御論文「⇒救世の警鐘」)【註 栄光一六五号】
(御論文「⇒薬屋さんには御気の毒」)【註 栄光一六五号】
処があつちの方では結核の新薬とか何んとか言つて、薬の新しいのをドンドン作つているのですから、よくも逆になつているのです。今度のヒドラジットの薬なんかも、どうも効果が怪しいようで色んな説が出てます。之は何ういう訳かというと、アメリカには非常に効くのです。ですからあの通り日本にも来て、そう思つてやつたのですが、どうも日本ではアメリカで効いた様に効かない。之は原因があるのです。日本の方が霊界の浄化が強くなつている。というのは光の元がこつちですから、日本の霊界は光が強くなつているから――どうせ効く薬という奴は浄化停止ですから、そこで浄化停止がアメリカの様に出来ない。アメリカの方は固まる方の力が多いですから、アメリカで効いたのが日本ではそう効かないという理窟になります。ですから、そんな事を何んだ彼んだと言つている内に段々効かなくなつて、又あれが駄目になるのは知れ切つているのです。アメリカの方だつてやつぱり浄化が強くなりますから、時の問題です。結局終いには薬の方を非常に強くしなければならない。つまり毒分を強くするのです。そうして、浄化を極力停止させる。ヒドラジットなんかそれです。此間なんかも、あれを使つて三人死にました。今度は、浄化停止の逆作用が非常に強くなつて、浄化停止――そんな事は間に合わなくて、死ぬ方が早くなる。それで段々医学と薬に疑問を起して来るという時代が来ます。そうなつたら愈々こつちの舞台になりますが、それ迄に幾らか未だ暇がありますが、そういう事を知つて見ると、いろんな事が良く分ります。それからさつきの事故の原因や、直きに人を殺したりするのも薬毒が頭に上るのだから、簡単に分るのです。
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それから今「私物語」というのを書いているのですが、之は出来る丈興味のある話の中に教えも含んでいるのです。一駒丈出来たのを読ませます。
(御論文「⇒私物語 無信仰時代」)
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よく来る人が、此処の美術館は非常に評判になつていると言うのです。昨日の読売に谷川徹三さんの一日一題ですか、そういう記事がありましたが、あれは非常に良く書いてある。流石に哲学者丈あつて、言う事が非常に公平で、非常に信用の出来る見方です。大変な広告になると思います。普通の広告より効果があります。広告の方は手前ミソですから、見る人がそういう頭で見るからどうも刺戟がないが、ああいう人が書くのは非常に信用があるから非常に良い事だと思う。芸術新潮という本は非常に信用があるそうです――近頃の雑誌ですが、その新潮社の依頼で、丁度今徳川夢声さんが来て、之から午後美術館を見て今夜中に記事を出すのだそうです。あの人の活動振りも大したものです。今斯う言つて来たのです。あなたは文化デパートだと言つたら、上手い表現だと言つてました。喋る、書く――随分単行本も発行してます。よく送つて来ます。そしてラジオも新聞も雑誌――何んだ彼んだと、あの位仕事をする人はないです。夢声さんは私に向つて或程度は先生に共通していると言つてましたから、私も色んな事――色んな仕事をしますが、私は宗教的デパート的ですと言つて置きました。あの人は社会的にやつている。その色んな事をドンドン片附けていく処に共通している処もあるにはあります。そんな訳で、新潮なんかに出る記事も相当効果があると思います。此間来たフランス人レモン・カルティユと言う人で、フランスの雑誌のパリ・マツチ――之も中々有力な雑誌です。之にも出る筈ですから、外国にも相当知れると思います。今月の末にはウォーナー博士も来る事になつてます。あの人もああいう方面では、アメリカとしての権威です。外国に知れるのは大いに良いのです。日本に来た外人で箱根に来ない人はないし、箱根に来て美術館を知つている以上は見ない人は無いのです。その点から言つても非常に良いです。で、色々――文化人とか或いは文部省、法務庁、文化財保護委員会、博物館――ああいう方面の人達も非常に賛意を表して居るのです。兎に角国家的に見て最も不足しているものを私の方で造つたのですから、双手を上げて賛成しているのです。ですから私は表彰しても良いと言つているのです。実際国家として表彰しても良い位なのです。で、時期も非常に良いです。時期と言い、場所と言い、やり方と言い、実に旨くやられるのです。それは神様がやられるのです。私はそういう心で思つても、スラスラ出来るものではないから、流石に神様は上手(ウマ)くされると、斯う思つているのです。そんな様な訳ですから、メシヤ教というものの信用も大いに高まると思うのです。で、一番面白いのは、どうせ新宗教がそんな生意気に美術館を拵えた処で大したものではない。どうせ古臭い宗教的な物でも出すのだ位にしか思つて居なかつたのですが、実際に見ると吃驚したのです。全然宗教の臭いはないし、美術館として本当に世間に無い様なものを造つたのですから、只本当に驚く他ないという状態です。で、美術館に就いてパンフレットを作つて、来た人にやろうと思つて書き始めたのです。之はあんまり専門的では面白くないので、普通――批判的な様な工合に書いたのです。大体之で解るだろうと思います。之は一部ですが、之から段々書く訳です。
(御論文「⇒東洋美術雑観」)【註 栄光一六六号】
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七月十五日
【御 教 え】
美術館や色んな事で「文明の創造」を書始めていたのが遅れたので、早く拵えて了おうと思つて又書始めたのです。根本的の事を書いたのです。つまり今迄は本当の文明ではない。本当の文明というのは斯ういうものだという事を書くのです。根本というのはつまり悪です。その悪を無くする。他の色んな文化は素晴しいものです。処がそれを悪に利用するからいけないのです。之を善に利用すれば大したものです。原子爆弾でも、あれを人殺しに使うから恐しいものなのです。あれを動力や何かの原(モト)に使えば結構なものです。原子爆弾を動力に使えば、石炭だとか油は無くて済むのです。何しろ豆粒位のもので自動車や飛行機を動かせるのです。つまり、悪を無くすればそれ丈で地上天国は出来るのです。今みんな困つているのは、人間の悪の為に困つているのです。だからその一番怖いのは戦争、病気。それから今の共産党の運動も、それから泥棒だとか、変な様な事で人殺しをするという様な事の因(モト)は、みんな悪です。で、悪でも、直接――火焔瓶を投げたり、まあ、破壊運動をするのは、之は分り切つた悪です。又泥棒したり色んな事の悪は分つているのですが、そういう事よりも、悪を善と思つてそうして悪を行う事、之が一番恐しい。やる方は善と思つて一生懸命やるのですから――。その内の親玉が、何時も言う通り医学です。「医は仁術なり」と言つて、非常に良い仁術と思つているのです。医学によつて病気を作り、それを悪化させて生命迄奪つて了うのです。之程恐ろしい悪はない。之程深刻な悪はない。この悪を人間から除けば悪は無くなつて来るのです。色んな誤つた思想だとか、破壊的な事とか――みんな病気です。精神的病気です。何時か、日本人は全部精神病だと説きましたが、つまり精神病にも種類があるのです。精神病らしいのは分るから病院に入れるとかするが、精神病らしくないのが一番怖いのです。で、病気の因(モト)というと、今度「栄光」に出しましたが、薬なのです。薬で血を濁すのです。濁すと、濁つた血が頭に行く。だから頭が悪くなる。頭が悪くなると、物事の判断力が正確でなくなる。どうも、実に判断が間違うのです。だから、今一番の何は――例えてみれば、政治家とか代議士とか言うと、普通の人よりか偉い人となつてますが、確かに偉くなくてはあれ丈の出世が出来ないのですが、その偉い人が、何かの時に――会議だとか協議する時、つまらない問題で毎日々々相談し議論し合つている。まあ、我々からみると五分位で分る事を幾日も何回もやつている。ですから議会が延期々々で延びるのです。今度の延期は四回か五回でした――。というのは判断力が悪いのです。どんな問題でも結論は一つです。一番良いやり方というのは一つしかないのです。それが、頭が悪い為に見附からないのです。というのは因は薬毒です。ですから、此間も言つた通り「上面(ウワベ)利巧の芯(シン)馬鹿」だというのはそういう訳です。だからどうしても薬というものを全廃する――無くなれば、頭はずつと良くなります。頭は良くなるし、伝染病というのが無くなります。あの黴菌というのは薬毒から湧くのです。黴菌でも、良い黴菌もあるし悪い黴菌もあります。良い黴菌というのは必要ですが、悪い黴菌というのは薬毒から湧くのです。それを知らない。発見出来ない。そういう訳だから、兎に角少くとも、もう少し人間の頭を良くしなければならない。教育も肝腎ですが、教育はどつちかというと上面を利巧にする事です。まあ物識になる事です。ですから、物識になれば判断力は良くなる訳ですが、処が芯の方が頭の活動力が悪いから、肝腎な物事の判断をするそういつた頭脳が働かない訳です。要するに頭脳の中心が働かないで廻り丈が働いて了う。処が薬というものを又馬鹿に信じているのです。新聞にも出てますが、今度出来たヒドラジットなんか、大した物の様に思つて飲みたがつてますが、態々悪くする――肺病を治さないものです。薬というのは全部麻薬です。一時良くするのです。丁度頭の悪い人が麻薬を注射すると、頭がはつきりして来る。だから小説を書くにしても、あれが流行つている。急ぎの原稿を書くのに、あれをやると馬鹿に良く書ける。それで中毒になる。それは麻薬丈ではない。一切の薬がそうです。食慾がないので、薬を飲むと一時増えたりして良い様に思えるのです。だから次々に飲んで、結局それが癖になつて段々中毒症状になる。然し、直ぐに大いに効くのは麻薬として取締つているが緩慢に効くのは分らない。発見出来ない。だから急速に効くのは麻薬として排斥するが、緩慢に効くのは良いとして奨励するのですから、この無智なやり方頭の悪さです。又それに慣れ切つているのです。それを教え様、解らせ様と思つて我々は骨を折つているのです。そういつた麻薬を、麻薬でないと思つている迷信です。それを言うと、こつちの方を迷信という。その位頭が悪いのです。だから現代人と言えば、少くとも脳病です。今「文明の創造」の根本を書いて居るので、その最初の書始めです。
(御論文「⇒文明の創造 天国篇」)(「⇒天国建設と悪の追放」)【註 栄光一六九号】
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次はあんまり固いのは止(ヤ)めまして、今度は信仰とは関係ない様なものですが、興味的に映画の事に就いて書始めてみたのです。その前に一つ――。
(御論文「⇒私物語 無信仰時代」)
つまり之は神様がそんな事をしてはいかん、止(ヨ)せという、そういう何です。今考えてみると良く分るのです。
(御論文「⇒私と映画」)
未だ、之から相当書くのですが、書けた丈を読ませました。話の序(ツイデ)ですから、映画の一番悪い点を言うと、チヤンバラです。今は時代劇が流行つてますが、ヤクザ位の人間が武士(サムライ)を十人以上も相手にして闘うのですが、そうして斬られないのです。それこそ、国定忠次とか子分の日光の円蔵位の処がやるのですが、武士(サムライ)の方が負けるのです。あんなのは馬鹿々々しいです。アメリカなんかは、ピストルなんか射つと死にますが、日本のは中々死なないのです。それは、スターが死なないのは仕方がない。死んではそれでお終いだから――。処が下つ端が、日本のは死なない。見ていると実に馬鹿々々しいです。それ迄面白がつていたのが、そういう場面でガッカリして見る気がしない。だから観客愚弄映画といつて、観客を甘く見過ぎるのです。観客は甘いと――子供とか若い者を中心としている。之は前の大映の所長で永田――あの人なんかの話が、大体映画の観客の目標とするのは二十才前後、精々二十五才迄を目標とする。という事を言つてましたが、それが悪いのです。そういう映画は、当る時は当りますが、やつぱり――深刻な何処迄も事実と余り離れない様な映画の方が受けるのです。盆とか正月映画は別ですが、不断から正月映画の方が多く作つているのです。いずれ気が附きますが、気の附き方が遅いのです。それ迄観客はいい犠牲になつているのです。その点に於ては、イタリア映画が最も良かつたです。イタリア映画位金がかからない映画はないです。よくも貧乏臭い物を作つてますが、それでいて観客を惹附けてます。日本映画は割合金がかかつていて、中途でガッカリするのが実に多いです。アメリカも最近その点に気が附いて来たのか、馬鹿々々しいテーマはないです。実に深刻なものになつた。アメリカで馬鹿々々しいのは西部劇ですが、然しピストルを射つて死ぬのです。之は日本のより良いと思う。それから、日本のもう一つの馬鹿々々しいのは、殺されてから死骸が直ぐ無くなつて了うのです。アメリカ映画の方は殺されて、五人も六人も転がつているのです。その方が実感が出ます。日本のは、やられてもやられても斬られに行く奴が減らないのです。という事になると、死んだ奴が起上つて又やるのでしよう――。実に観客を愚弄している。そんな訳ですから、斯ういう事を書いて、映画のああいつた関係者に配ろうと思つてます。
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七月十六日
【御 教 え】
今迄結核問題の方が、美術館や何かで、「文明の創造」も書きかけになつていたが、やつと暇が出来たので――暇が出来たというより、気持がゆつたりしたので又書始めたのです。それに就いて書き方を幾らか変えてやろうと思つて、序文の最初の――先ず基礎的という様な、そういつたものを二、三書いてみたので、一寸読ませます。
(御論文「⇒文明の創造 序文」「⇒文明の創造」)(「⇒天国建設と悪の追放」)【註 栄光一六九号】
未だ仕上げが出来ていないから、幾らか分り悪(ニク)いでしようが、大体の意味は分つたと思います。之は誰でもですが、悪というのは何故あるのかという疑問ですが、斯ういう質問をされた事がある。神は愛だ、慈悲だ、と。それなら、罪を裁く――罪を裁くといえば、人間が苦しむのですから、神様の慈悲だとしたら、最初から悪を作らないで、罰を与えたり苦しめたりしなければ良いではないか。それでは、神の慈悲という事が、何ういうものか解らない。という事を時々質問した人がありますが、それは全くそうです。で、私は言つてやつたのです。私は悪を作つた神様でないから、何ういう訳で作つたか分らない。その神様に聞いてみるより仕方がないと言つて逃げたのです。そういう訳で悪は何ういう訳であるかという事が分らないのです。それを分らせる為に最初は必要であつた。要するに必要悪です。今迄は悪があつた為に物質文化が発達したのです。若し悪が無かつたら、人間は未だ々々――智恵も之程にならず、もつとボーツとしたものであつたでしよう。仮りに、戦争が恐ろしいから、負けたら大変だと色々工夫してやる。そうすると一方の方で、悪人は大いに世界を自由にしようとします。最近で言えば、ヒットラーの様に――色々工夫している。それから泥棒があるから、泥棒を掴まえ様という訳で、警察と智恵較べをするのです。現に、今の破壊活動防止法案は共産党の方を何んとかしてやつつけ様。武器をどうして作ろうか、手に入れ様かとする。此間ピストルを何百か押えられましたが――。それから火炎瓶、竹ヤリ――之は原始的ですが、色々工夫している。そうすると政府の方では、破防法を作つたり色々な巣窟を探つたりしてやつている。之は智恵較べです。結局悪人と善人の智恵較べが凡ゆる面に出て来るのです。つまりそれに依つて人間は段々智恵が進むのです。それから今読んだ通り、色んな物質文化を発達させるには、神様があるという事を――つまり有神論では、神様が何んとかして呉れるという気になるから、どうも発達しないです。神様は無いから、何うしても人間の力で工夫して行かなければならないという事になるから、必要悪だつたのです。処がここ迄来れば、必要悪でなくて不必要悪で、反つて障碍物になる。そこで悪を打切りにして、之丈進んだ物質文化を利用して地上天国を造る。その時期が来たのです。時期が来た以上その根本が分つていなければならない。神様はそれを知らされたのです。そこで斯ういう文章を書いて世界中の人に知らせる。つまり之は天国の福音という訳です。キリストが言つた様に、「普く天国の福音は伝えられるべし、然る後末期至る」です。これから、先を説いていきますが、悪というものは打切りにする。何うして無くする――その打切りの順序を之から書くのです。そうして悪というものは無くなる。無くなるという事は、刑罰で無くなすのでなく、悪はつまらないという事になる。悪なんかやつても仕様がない。善の方が徳だという事になるのです。そういう事になるという事は立派な理由があるのです。それは之から段々説いていきますから分る訳です。そういう話は此位にして置いて――。結局、世界人類にその根本を分らせるという事が、之からの私の仕事です。
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それから、之は美術に就いてですが、いずれ美術館に来た人に絵葉書なんか――今拵えてますが之は売りますから、それに附けてやるが、一般の人にやれば解りますから――つまり簡単な美術に就いて、専門的でなく普通人として知つて置かなければならないという範囲で書く積りですが、その最初の処を一寸読ませます。
(御論文「⇒東洋美術雑感」)【註 栄光一六六号】
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之は、あんまり宗教と関係ない事ですが、斯ういう事も少しは良いだろうと思つて――。
(御論文「⇒私と映画」)
映画の歴史みたいになつたが、映画の最初の事も知つて置いても無駄ではないと思つて――。兎に角その当時と今との進歩の大きい事――然し其時分も、兎に角無声映画時代の弁士の上手(ウマ)い、下手(マヅ)いが非常に興味があつた。今の徳川夢声君は弁士の方はあんまり上手くない――それ程ではない。弁士として一番の親玉はやつぱり染井三郎、生駒雷遊、滝田天嶺――そういう人達で、むしろ夢声さんは弁士を止(ヤ)めて今の様になつてから非常に名をあげて、一種の芸風が出来たのです。だから夢声さんにとつては、映画説明が無くなつたという事が、反つて出世の動機になつたのです。
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七月十七日
【御 教 え】
美術館も何時の間にか出来たので、「文明の創造」は先に大体出来てましたが、又悪い処は直して完全なものにしようと思つて書始めたのです。それに就いて、書けた分を少し今読ませてみます。
(御論文「⇒文明の創造 序文」「⇒文明の創造」)(「⇒天国建設と悪の追放」)【註 栄光一六九号】
つまりミロクの世というのは悪が無くなる事です。そうすれば、之丈の文化で素晴しい世界が出来るのです。然し悪が綺麗に無くなる訳ではないが、善の方が多くなる。今迄は悪の方が九分で善の方は一分であつたのが、あべこべになる。今度は善が九分で悪は一分になる。結局神様の目的は、今言つた様に悪を徹底的に減らす事です。追放する事です。で、今読んだ様に悪を善と信じてやるのが一番恐ろしい。それで、善と信じて悪を行つているその一番大きいものが医学です。ですから、医学というのは、遠慮無く言えば悪魔が作つたものです。然しそれは悪が必要だつたのです。その悪によつて人間の寿命を縮め、病気という苦しみを与えていたのです。それで人間は一生懸命それを逃(ノ)がれ様として、そうして文化が発達した。ですから戦争も病気も、文化を発達させる為の必要物だつた。だから今迄はそれで良いが、然し限度があつて――時期があつて、愈々その時期が、悪不必要の時期となつたのです。それを愈々神様がやられるのです。それは神様の経綸は中々深く素晴しいもので、それは未だはつきりは言えないが、確かにそうなるという事を信じて居ればそれで良い訳です。一番分り易く言うと、之程交通が便利になる――。無線によつて遠くと交通をしたり遠くと話合つたり、色々そういう事が、人間が不精になつて何事も面倒臭い、だから手数をかけないで色々思い通りにしたいという欲望は身体が弱つたからそういう事になる。最初の人間が造られた時みたいに丈夫だつたら、そういう欲望というのは余り起らないです。それには医学という間違つたものを拵えて人間を弱らせて、今日の様な物質文化を作られたのです。処がそれ丈では本当に神様の御目的である地上天国は出来つこないですから、そこで或る程度迄行つたらそれを打切りにしてそうして健康は、元の健康にすると共に文化は素晴しく発達した文化を人間が自由にする。それで良い世界を造る。つまり理想の実現です。そういう訳です。だから観音様は薬師如来になつたのです。薬師如来になつてお釈迦さんの薬草彙本(イホン)を説いたのです。それで、薬を飲ませて――それは人間を弱らす為に薬を飲ませた。それが根本で、それを知れば分るのです。そこで愈々、そういつた人間を弱らせる方法は止(ヨ)さなければならないという仕事は、つまり私がやるのです。中々、皆迷信にかかつてますから、それを壊さなければならないので骨が折れるけれども、根本を知つてみれば別に不思議はないのです。それが今迄、根本理論が隠されていたのです。ですから何事も時期です。時期によつてちやんと良い工合になつていく。何しろ世界を支配している神様がやられているのですからそつはないです。それで今迄解らない事――何うして斯んな戦争によつて人間を苦しめるのだとか、病気というそういう苦しいものを拵えて置き乍ら――その前に医学というものを作つて置き乍ら、何んで――というそういう疑問が起るのです。信者の人でもそういう疑問を持つ人は沢山あります。それは斯ういう訳だと、神様は知らせる為に、私に教えるのです。というのは、人類から戦争や病気を無くすというその根本原因、それを知らせられる訳です。ですから結局に於て悪魔です。若し悪が無くなつたとすれば、仮りに泥棒も無くなるし、又第一健康法なんか大分変る。
之は昔神様から知らされてますが、窓なんかずつと大きくなつて風が入る様になる。戸締りなんか要らない。汽車や電車に乗つても用心する必要はないし、それから一々、契約書とか色んな難しい書類を書いて判をベタベタ捺す必要はないし、金銭の取引も実に簡単です。それから之を書いて了つたら、病気以外の事も書きます。経済上の事でも、元値が幾らで利益が幾らという事を、ちやんとみな公表しますから、掛け引きは要らなくなる。色んな事に就いて実に明るく簡単になる。そこで何うしても人間は――勤める人も一日では何うしても多過ぎるから半日になる。半日になつてお昼で家に帰るのです。弁当も要らない。それで午後は自分のしたい事、楽しみをする事になる。今の人間は食う為に働くのですから、朝から晩迄働かなくてはいけない。そういう風に神様が人間を造つたのではない。ですから働くという事は楽しむ為に働く。幸福な良い生活、歓喜の生活をする為に働くというものですから丸で違うのです。そうしてそんな食う為に働くと、一日中朝から晩迄汗水たらして働くという事は、無駄な――余計な事をしているから、それ丈働かなければならない。例えば戦争です。戦争というものがあるから何うしても軍備をしなければならない。それには金や物資が要るから働かなければならない。それから悪人が居るから色々苦しめられる――そういう物を防止する機関が要る。それから病気を作る事も善と信ずる悪です。病人が出来たり色んな事でそれに必要な物資だとか色々な事も、人間が働いて作らなければならない。そういう事で悪に対して、悪というものの為に人間が働かされ苦しめられている事は大変なものです。悪が無くなつたら、世の中は実に面白い世の中になります。自殺する者はなくなります。そうして皆長生きする。百以上は楽なものです。つまり自然に死んで、病気でという事はなくなります。早死とかは病気の為に死ぬのです。それに就いて面白い事がある。現代の画家ですが、絵は私は好きですが――。今名人はいないです。今迄は何時の時代にも必ず素晴しい名人があつたのです。明治から大正にはよくあつた。処が今はないのです。今名人とされているのは、古径とか靭彦、青邨が一番とされてますが、処がああいう人達の絵は、何うしても買う気にならない。何故買う気にならないかというと、絵が病人の絵なのです。ですから出力なんてないのです。病人です。というのは、少し画家が有名になつて来ると身体を非常に大事にする。大事にするから、屁をひつてもお医者にかかる。お医者にかかれば身体を弱らせることになる。今度美術館が出来た時にも、安田靭彦先生――私の子供が弟子になつてますが、一般に見せる前に招んだのですが、行きたいが身体が丈夫でないから気持の良い時に行くから、何時行くという事のお約束は出来ない。斯う言うのです。その位弱いのです。だからここ迄行くと医学というものはもう打切りにしなければならない。段々芸術家なんかは名人が居なくなる。俳優がそうです。俳優の有名なのが実になくなつているでしよう。それも同じ原因です。俳優が少し有名になると身体を大事にする。それに、おまけに松竹なんか其点は非常に――少し身体が弱いというと、松竹の方で医者を招ばせるのです。何んとか博士、何んとか博士と、それは医学を信用するからそういう事になるのです。それは先に私は経験があります。小腸で私が招ばれたのです。で、薬を飲んではいかん、医者にかかつてはいかんと言うと、それは困る。会社から一日一回宛何んとか博士が来るから診せない訳にいかないと言うから、薬丈にしなさい。注射をされると言うから、それも何んとか止(ヤ)めなさいと言つて、治してやりました。その後麹町で近所に居たのですが、多摩川に越した為に悪くなつて、医者にかかつて死にました。そんな様な工合で名人がないという事です。今、猿之助は大体薬が嫌いだという事になつている。それから私がよく言つてやつたのです。それに信者になつてますから、之は大丈夫です。一番危ぶないのは吉右衛門です。けれども余程丈夫なのです。医者に掛つていながら兎も角生きているという事は――。音羽家一門は駄目です。随分奨めたのですが病気が一旦治つて、教修を奨めると、その時分は大先生だつたが、大先生直かでなければ嫌だというので、結局駄目だつたのです。斯ういう話をすると切りがないから――。そういう訳で、悪の追放が根本なのです。それを段々説いていきます。
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それから之はあんまり信仰には関係ないが、私は映画が好きですから――明主様は何うしてあんなに好きなのかと思うでしようから、映画に対して今迄の私の経路を一つ位書いても無駄ではないと思つて――。
(御論文「⇒私と映画」)
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七月二十五日
【御 教 え】
私は始終邪神と闘つているのです。だから一日と雖も何んにもなくて、せいせいするという日はありません。それからそれへと問題が起つて来るのです。ですから始終闘いです。冷い戦争と言いますが、まあ冷い戦争です。武器を持たない戦争です。それを始終やつている。ですから今でも裁判の三つや四つしているのですが、みんな悪との闘いです。邪神の方では、兎に角私が怖いので、あらん限りの事をやつているのです。ですから昔なら、キリストみたいに磔(ハリツケ)にならない迄も、遠島位はされた訳です。その点は今は有難い御時世になつてます。兎に角昔の様なひどい事はしないですから、余程楽に闘つて居られるのです。宗教というものはそういう風な運命がつきまとつているものです。反つて力のある宗教程余計そういう事をされる事があるのです。お釈迦さん丈は割合に無事だつたのですが、あの人は皇太子という位があつたので、社会が非常に見方を違えたのだろうと思います。お釈迦さん以外としては殆ど迫害されない宗教家は居なかつたです。だからして今迄悪い意味ばかりで考えてましたが、何か――つまり抑えつけると段々力を増すのです。無事で何んにもないと、さつぱり力は増さないのです。やつぱり神様は良い工合に――。考えてみると丁度一年置きになつてます。今年なんかは極く僅かですが、でも一つの句切になつた様な、多少の影響があるでしよう。あとは一昨年――二十五年。それから一年間をおいて二十三年です。そんな様な工合に一年置きです。ですからギユウギユウ押す――押すとこつちははね返る。力が増すのです。そういう風にギユウギユウやられていながら教団の方はドンドン発展して行く。今度は美術館も出来たのですから、その神様のやり方は中々面白いと思うのです。「文明の創造」も書きかけてますが、それに就いて悪という物は必要だつたという事を書いたのです。
(御論文「⇒天国建設と悪の追放」)【註 栄光一六九号】
それから昨年の事件に就いて、一つ言いたい事は、何うして起つたかという事は、之は教団を乗取ろうとする陰謀の一団があつた。陰謀の一団というと大袈裟だが、陰謀者があつた。之が中々智恵があつて、おまけに私は疥癬で何んにも出来なかつた。それで任かせきりであつた為に、その隙に乗じて教団乗取策を講じて、それには私と渋井さんを先づ追出すという事が一番の狙いであつた。それで、当局を巧妙な手段で動かしたという事は、悪智恵という――凄いものがある。到頭当局を動かして、その当時は、メシヤ教になつた当時で、メシヤ教というのは大変にけしからんものだ。之を調べたら何かあるに違いない。それに到頭乗つて了つて、それでこいつを大袈裟にやつてみようと、あゝいつた大袈裟にやつたのです。
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七月二十六日
【御 教 え】
「文明の創造」ですが、やつと暇が出来たので書始めたのです。最初の方も大分書変えた処がありますから、ずーつと読ませます。
(御論文「⇒文明の創造 序文」「地上天国、真と偽」)
(「⇒天国建設と悪の追放」)【註 栄光一六九号】
今迄宗教でも哲学でも色々説いたが、悪に就いてはあんまり説かなかつた。軽く説いてある。私は悪に就いて未だ々々色んな方面から説くのですが、之が分らなくては、本当の事は分らないです。ですから現在の医学というものも、之は悪の現われです。之は必要悪です。之は医学が使つている薬が、之が又よい材料です。薬で人間を弱らせるのです。寿命を縮める。之が必要だつたというのは、人間が原始時代の毛むくじやらな、不味い――食物でない様な物を食つて、始終裸で、やつと藁で作つた物を着て、穴でも掘つて住んでいる。それが、身体が健康だと平気でそれをやつている。そこで何うしても身体を弱らせなければならない。弱らせる為に薬を飲ませたのです。薬を飲ませるとそういう生活は出来なくなりますから、何か雨風を防ぐ家だとか、食物でも美味い物を調理するとか智恵をしぼる。それから原始時代に色々闘うが、闘うには色々しなければならない。武器を作つたり――尤もその前に猛獣と闘つているが、その次に人間と闘つたという事で、段々智識が進んで来た。で、神様が人間を最初造つた時に、智識の方を先に造られなかつた。後廻しだつた。で、智識を造る為に人間を或る程度弱らせなければならなかつた。それで薬が良い様に思わせた。人間はずつと最初は。病は浄化作用という事は知らなかつた。そういう為に薬を使つていたのです。観音様が薬師如来に化現したのはそういう為です。今観音様が薬は毒だ、薬は毒だというのは矛盾してますが、それは時期です。時の関係でそういう事になる。今は熱いから一重物を着ているが、之が冬になると温い綿入れや火にあたつたりする。そういうもので、神様の時期は何万年目に変る、何千万年目に変らせるという位のものですが、それでも神様からみると一瞬のものです。人間の目から何万年というが、神様の目では一秒かも知れない。もつと短いかも知れない。之が永遠の世界です。処が人間の寿命というものは長くて僅か百年位ですから、何うしても考え方が短く考える。ですから文化を発達させる為に争い、薬で弱らせるという、そういう手段をとつたのです。それでそうなつたのです。之からは――これ以上やると行過ぎ的になつて了う。そこで、こゝらで止(ト)めて了おうと――止めるには本当の事を知らせなければ止められないから、私が本当の事を皆に知らせて止める。そこで悪の闘争を止めて、それで人間の智識もこゝ迄来れば、闘争で智識を進めるという必要が無くなつたのです。やはり智識は進めて行きますが、今度は闘争でない方法で進め様と思う。それはミロクの世になつてもドンドン発明発見は出来ます。今迄の発明発見とは違う――今迄の発明発見は、つまり戦争――人殺しの仕事です。出来る丈短い時間で、出来る丈多くの人間の命を取ろう、殺して了おう、それを防ごうという智識を使つた。今度はミロクの世になるとそういう智識でなくて、何うすれば人間が楽しめるか、何うすれば気持が良くなるか、何うすれば寿命が延びるか、という良い事の発明発見です。そういうことを言つても一寸信じられないですが――今迄にそういう事がなかつたから――経験がない為に夢の様にしか思えないのですが、処がそれは神様ははつきりしているのです。そういう事も之から段々説いて行く積りです。世界の人類に、今迄分らなかつた本当の事を知らせる事です。之が聖書の天国の福音なのです。それからが〈その前にもありますが〉世界の大転換――霊界では非常な大転換が起つているのですが、現界の方にも段々そういう事が現われて来るのです。それが、人間の目に一番分り易いのは、やつぱり病気です。此頃伝染病なんか非常に増えて来ました。赤痢だとか日本脳炎とか、あゝいうものは非常な勢で増えて来ました。それから結核が非常に増えて来ましたが、今迄は一時抑えの新薬で抑えて来ましたが、之が新薬で抑えられない程の浄化になつたら、片つ端から肺病になつて了う。今肺病の原料を作つてますが――ヒドラジットなんか素晴しいものです。然しそうなつてからは皆メシヤ教に頭を下げて来るのです。もうそう長くないです。大分近寄つて来てます。之が一番分るのは、あなた方が浄霊しても段々効くでしよう。去年より今年、先月より今月と、ずつと早く治つて来る。之は霊界で火素が増えて来た為です。つまり、火素が増えて来たという事は浄化が強くなつたのです。もう一息すると、てんてこ舞する。それも、こつちではない、世の中がです。こつちは愈々落着いてよい。今迄はこつちから奨めに――助けに行つたのが、今度は先方で助けて貰いたいと頼みに来る。それ迄の辛抱をして貰いたいです。その位にして置きます。
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七月二十七日
【御 教 え】
お医者が病気を作るという事は始終言つてますが、之は凡ゆる方面がそうなつてます。そういつた様な間違つた事、そういう事のその根本は悪です。ですから何うしても悪というものを、つまり無くしなければならない訳です。で、この悪というものは色んな方面に現われてますが、今悪の根本を書いたのですが、世の中の色んな人間の苦しみというものは凡そその因(モト)は悪です。あんまり悪が多過ぎる為に、割合人間は気易くなる。処が良く考えてみると兎に角薬が色々な病気を作るという事は立派な悪です。処が斯ういうものは、やつている人が善と信じて悪を行うのですから、之が始末が悪いのです。人をやつつけたり、泥棒したり暴力を振つたりするのは、之は実際分り切つた悪ですが、斯ういつた善と信じて行う悪が一番恐ろしいのです。医学は善と信じて行う悪ですし、今の役人は善の仮面を被つて悪を行う。要するに法律を悪用してやるのです。ですから法律の目的は善なのですから、つまり善を悪に利用するのです。そういう悪です。政治でも、破防法案――之は悪を善が取締るという訳ですが、然し之も大いに反対がありました。何んだというと、反対の方にも悪いのと良いのとあります。共産主義の方の活動の方は之は悪の方であるし、又善の方は、治安維持法みたいに官憲の方で悪用して、罪なき人民を苦しめるという事があつては困るという反対です。ですから反対の方にも善悪があるのです。というのは、昔治安維持法なんかで、大いに悪に利用するという事を人民は大いに経験させられている為にスラスラと行かなかつた。そういう事は何かというと、みんな悪です。若し悪というものが無かつたら世の中は簡単な良い世の中になります。やれ食い物が足りない。不景気だとか、働いても働いても食えないという事は、その根本はみんな悪です。肥料によつて米が穫れないという事も、之はつまり悪を善と信じてやつている訳です。それを分らせ様と思つて我々は骨を折つているのです。そうして色んな――税金が高いとか何んとか言う。政府で、金の要る――歳出なんかでも、悪による歳出の方がずつと多いのです。大体、今伝染病が非常に流行る。それを防止する為に――一人赤痢が出るとかいつても、それに対する係が何人要るか分らないし、で、其為に自動車で行くとか消毒するとか、色んな事を言つて大変なものです。ですから結核が増えるというと、療養所を作らなければならない。ベツトを作り、色んな施設から予防とか色んな事をする。之は何んだというと、元は悪を善と信じてやつている結果ですから、やつぱり因は悪です。そういつた――警察制度とか裁判所、社会施設――そういう色んな――数えあげたら切りがないが、不幸な人間が出来る。社会事業とか未亡人問題だとか色々あります。それ相応の結果苦しみが出る。そういう――戦争の結果は、その因は悪です。人の国を占領するとか掠奪するとか、そういつた悪が因で出来たものです。悪に依る人間の被害と苦しみは細かく勘定したら大変なものです。若し悪というものが半分に減り三分の一に減るとしたら、税金だつてそれ相当に減ります。だから悪を無くするという事は何うしても宗教でなければならないのです。悪というのは心の問題ですから、心の問題を解決するには、之はやはり信仰より他にないのです。之は、理窟はそうだが、只力のない処の信仰、お説教の様なものでは――それは無いよりはましだが、とても悪の方が力が強くてそれをやつつける事は到底出来ない。だから色々な機関や組織は旨く出来ているのですが、それを悪が利用するから、何うしても悪というものを減らす――全然無くすという事より他にないのです。処がそれに気が附きそうなものだが、案外そういう事に気が附かない。気が附かない筈です。その、気が附くべき人の中にやつぱり悪があるから、やつぱり都合が悪い。それで悪というものは仕様がないと諦めているのです。諦めているというのは何かというと、凡ゆる宗教が諦めている。で、今迄は何うしても善の方が悪に敵(カナ)わない。そういう事を之から書いて行こうと思つて、最初の処を一寸書いて置いた。
(御論文「⇒天国建設と悪の追放」)【註 栄光一六九号】
今読んだ通り、今迄は悪が必要だつたのです。ですから私が、此の主なる働きと言いますか、それを長い間に神様から見せられたのです。ですから、私は若い時分から凡ゆる病気をしたのです。それは数えあげたら――身体中の病気をしてます。病院にも三度入院しましたし、覚悟をして遺言迄したのが、やつぱり三度位あります。そうして最後に歯ですが、之は未だにすつかり治つていません。今もつて浄霊してますが、今年で三十七年になります。三十七年前に入れた薬の、その為に頭は悪くなるし、今喋るにもはつきり喋れないのは、入歯の関係ですが、入歯を歯医者に診せると、何うしても抜かなければならないと言うのです。私は抜かない積りで浄霊していると、段々抜かなくて済む様になつて来ている。もう少しすると、抜かずに入歯出来る様になる。此処の歯医者ですが女中に言うのです。明主様は――もうとうにお入れにならなければならないが――。反つて此頃は工合が良いですと言うと、不思議だなと言つている。そんな様な工合で、歯がグラグラになつていた。私の歯は薬毒が入つているので、それでグラグラしたのです。その薬毒が取れるとグツと締つて治ると思つているのです。此頃はグツと締つて来てますから、もう一息です。そんな様な工合に薬毒の経験――病院に行つて全身麻酔で手術した事もあります。其時分には注射は余り無かつたですから、注射丈はしなかつたですが、凡ゆる事をみんなやりました。そうして今度は薬毒の害を知つて、更に神様は司法制度――警察や裁判所、そういう悪を段々見せられた。豚箱やそういう事も散々経験しました。それから刑務所に行つて、そういう方面の悪は実に良く分つた。然し、斯ういう悪は私は割に少い方で、一番酷い目に遭つたのはキリストです。キリストなんかは、まるで――あの時代はそうなつていたか知らないが、ユダの讒言に依つて、あの時の王様がキリストを陰謀の親方と思つて、そうして磔にしたのです。日本の宗教家でも沢山あります。ですから私が何百年前に斯ういう事をやれば、遠島は無論です。八丈ケ島辺りに――。で、明治近くなつてから、天理教の教祖は警察や牢屋に入つたのが十六回です。懲役――そんな様なものが四回ありました。一番長かつたのが確か半年だつたと思う。其時分には信仰の自由はないし、目茶苦茶です。今では之で余程良いです。以前ですと、未だ罪の決らない内に美術館なんて、とてもそんな事は出来ない。そんな様な工合で、神様は色んな経験をさせられた。去年も刑務所に行つた時に、直ぐ隣が、塀一つですが、懲役人が鍬を持つて労役をやつてましたが、懲役とは斯んなものかと、神様はこゝまで見せられるのかと、つくづく見せられました。そんな様な工合で、色んな見学をさせられました。で、結局に於て悪です。其悪の内で一番深刻なのは薬です。処が何ういう訳で薬というものが出来、飲ます様になつたのかというと、此薬を飲ませたのは観音様です。観音様が薬師如来になつて薬を飲む様にしたのです。というのは人間が原始時代には非常に――獣みたいな人間だつた。獣と闘うのですから獰猛だつた。人間の進化の最初は、獣との闘いです。それを防禦する為の闘いが最初で、これで人間は余程智恵というものが出て来た。神様が拵えられた最初の人間はボーッとしたものですが、段々智恵を磨くのです。そうして地上天国を造るのです。それには何うしても悪を作つて善と闘わすという手段をとつたのです。獣との闘いが済んだら、今度は人間との闘いです。之は歴史にもありますが、野蛮人同志の闘いです。よく映画にもありますが、我々も何千年何万年前はそうだつたのです。それには何うしても悪人というものを作らなければならない。善人だつたらそうはしないから、文化も発達しないし智恵も発達しないのです。それからもう一つは、争闘させて或る程度人間の智恵が出来ると、今度は人間を弱らせなければならない。弱らせると非常に智恵が発達するのです。というのは人間が健康ですと、何処に行くのにも駈出しても歩いても平気ですから、交通なんてあんまり関心を持たない。人間が弱つて来ると、とてもやり切れない、楽をして遠くに行くという様になる。それから今読んだ様に、戦争を作るというのは何うしても野心家――何んなに悪い事をしても、何んなに多勢の人間を殺しても、そこを掌握するという様な野心です。だからしてそれをこつちが防ぐ為に大いに智恵を振つて、そういう方法をとらなければならない。そこで色々な立派な発明も出来るし、智恵もドンドン進むのです。その結果原子爆弾の様な――それは発明としたら、今でも一番素晴しいものです。ですからそういつた英雄という者も必要なのです。で、人間がそれではあんまり可哀想だし、それでは反つて悪の世界になるから、それで宗教というものを拵えた。それで、それをそれではいかんと因果応報の理由なんか説いて、或る程度悪の膨大を制限する――そういう人が宗教家というのです。こゝ迄人智が発達し、こゝ迄色んな物質文化が発達すると、之以上になると今度はあぶなくなる。人類の破壞になりますから、こゝらで止(ヤ)めて、今迄の物質文化を良い方に使う。そうして神様の最後の目的である理想世界――地上天国を造るというその時期になつたのです。そこで今迄の色んな間違つた事を分らせ、そうしてそれを無くさなければならない。ですから病気は薬毒だ、間違つていると言つた処で、斯うして(御浄霊)治す。それを見せなければ人間は信じませんから、斯ういう治す力を私に与えて、医学や薬の誤を知らせるという意味で、それが根本の意味です。それからもう一つは、今言う悪というものは、之からその説明をやるのですが。之は心に働いている悪というのは簡単です。之は信者は良く知つてますから、そう精しく説明する必要はないが、つまり人間に憑依している副守護神――動物霊がやるのだから、そこで悪を制限するには動物霊を弱める。動物霊を弱めるには霊の曇の多い少い――曇が多ければ、動物霊は根本的の悪のものですから悪をさせる。動物霊を或る程度抑えるには光です。光とは魂の光です。それには曇を取らなければならない。だから悪の因というのは、結局霊の病気になる。つまり体の病気が毒血で、霊の病気が曇です。ですから曇をとるという事になる。浄霊するという事は、肉体の病気ばかりでなくて、霊の病気も一緒に取つて呉れる。浄める訳です。ですから浄霊という。霊が浄まると副守護神が弱りますから――副守護神ばかりでなく、臨時に憑く霊もありますから、憑いても弱るから、その霊は悪い事をしない。そういう事になる。そういう風に人間が曇が取れて動物霊の力が弱ると、悪人が無くなつたという事になる。そうすると今でもミロクの世になつて了う。それが根本です。理窟から言つても良く分るのです。決して難しい事でも何んでもない。では、斯んな簡単な理窟が何うして分らないかというと、その人の霊が曇つているからです。副守護神が邪魔するからです。之は御蔭話によく書いてあるが、よく解つているのだ。分つていながら何うしても信仰に入れないというのがよくある。分つているというのは、其人の本霊が分つている。処が、分つていて何んだ彼んださゝやく様に思わせる。それが副守護神です。だからそういう点で、始終浄霊していると良く分る。そういう様な意味を之から段々普通の人にも分る様に書いていく積りです。ですから結局肉体の病気と心の病気と両方治す。そうすると、心の病気を治すと、悪が無くなるから世の中が良くなるに決つている。そう難しい事はない。分つてみれば簡単なのです。話はその位にして――。
(教十二号 昭和二十七年八月十五日)