御 教 え 集 第七号

【御  教  え】
今日のお天気は馬鹿に良くて、昨日の節分と何だか、こう――昨日は方々の神社仏閣で豆撒きをやつて、今日から立春で――丁度お天気の具合がそれを物語つている様な気がするんです。節分の話は毎年話しているから、今更言つた処でしようがないけれども、兎に角神様の方から言うと重大な日なんです。特に一年一年節分が重大になつて来る訳なんです。あんまり深い事は言えませんけれども、一番誰にも解る事は〈之は信者ですけれども〉つまり浄化が旺盛になつて来る。強くなつて来る。それが節分と六月十五日ですね。そう言う様な節々(フシブシ)ですね。節々に浄化が強くなると言う訳なんで、唯節分と六月十五日の異いさはあるんです。六月十五日の節(フシ)と言うのは、霊界が明るくなるんですね。火素が増える。それから節分の方は、そう言つたのでなく、神様のお働き――それが異つて来る。節分が、夜の世界の罪穢れが清算される。すると、六月十五日の方は明るくなると言う様な――そんな様なものですね。で、それが段々強くなつて行くんですがね。近頃は浄化が非常に強くなつて来た。信者の人で、浄化の強い人が随分――之は、信者の人も皆知つてますがね。中々、古い人でも、可成り強い浄化が起るんですね。で、信仰の固まつている人は、何んな強い浄化でも、それを逃れますけれども、少しフラフラしている人は、中々危ない事があります。けれども、結局は救われますけれどもね。偶には、子供や何かの身代りなんてのがありますから、余程しつかり信仰を握つて居なければ負けですね。ですから、今日を過ぎたら、面会の度に、最後に私が五分か十分位、皆を浄霊してやろうと思つてます。浄化の為に活動に影響するといけないですから、出来る丈そう言う事のない様に、やつて上げ様と思つてます。

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それから、御神業の方も――一昨年あの事件があつた時に、散花結実――この事を話もし、書いてもあげましたがね。去年あたりが、丁度花が散つて、実の中心ですね――実の芯がやつと、しつかり芽が出たと言う様な意味でしたが、今年から段々育つて行く形なんですね。育つていくと言う事は、要するに表面的の活動になる訳です。今度は、実ですからパツとはしないけれども、ジリジリ進んでいく訳ですね。それは、ちやんと御神業に現われて来ますから、良く分ります。それで今年は、先月の三十日に発行した「栄光」の農業特輯号――あれは一つの現われと見ても良いですね。大抵読んだでしようけれども、あれは農業界にとつては原子爆弾です。兎に角、今迄――有史以来無いですからね。随分驚くだろうと思います。唯驚く丈じやしようがないんで、そうかと言つて、成る程之は良いと言つて、大々的に実行すると言う事はありつこないです。唯、あれを見れば、ははあ之程に言う、又之程の実例があるんだから、全然根拠のないものじやない。若し之だつたら大したものだ。じや、少しやつて見ようか、と言う事で、まあ一割位試作をやると思う。まあ、試して見ようと言うんで、一部分、試作して見ようと言う百姓は、随分出来るだろうと思います。それで結構なんです。やつているうちに解りますからね。それで、今迄無肥料栽培に就て、非常に障碍があつたと言う事は農事試験場が、有肥と無肥と両方やつた処が、無肥の方が成績が悪いんです。それで、認められなかつた。処が良く調べて見ると、種を――有肥の種を使つた。そこに大変な間違があつたんですね。だから、有肥の種を無肥にすると、具合が悪いんです。丁度酒飲みが禁酒する様なものですから、やつぱり一時馬鹿みたいになつちやうんですね。丁度、今度――あれを出して置きましたが――ビルマ米が日本に来たら、丸で出来ないんですね。処で、何故出来ないかと言うと、ビルマでは無肥でやつている、日本に来て有肥になつた。それが悪い。私の方の信者ですが、無肥でやつた処が、非常に良く出来て――之は一昨年ですが――三倍ですかね。穂まで持つて来ましたがね。沢山生つております。之は素晴しいと言つた。処が世間では全然出来ないんです。丁度、今の理窟の全然あべこべですね。そう言う事で、種も肥毒があつちやいけないと言う事を、良く出してありますから、そう言う事も気がつくと思います。そんな訳で出来る丈早く、日本中を切替えしなければいけないと思います。主なる処――大臣とか国会議員、農事試験場、農会、農科大学、各村長――そう言うものに――約一万五千位配りましたが、一万五千と言つても一人が一枚読む訳じやない。一枚を五人も十人も読むからね。おまけに変つた事ですからね。相当な反響があるだろうと思います。そうかと言つて、直ぐ何うと言う事はないでしようが、之が第一期として一つガンと頭をやられた様なものですから、忘れる事はないです。そのうちに実際方面ですね――各農村で事実を見せると言う事で、あゝ之だなと言う事になるから、段々そう言つた一つの機運が起つて来る訳ですね。それから、こうしておいた為に、今後農村で自然栽培も、あんまり今迄の様に嘲笑したり、色々非難したりする事は、余程緩和されるだろうと思います。まあ、やり良くなる訳ですね。で、あれを飜訳して、司令部とかアメリカの方にも送ろうと思つている。

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それから今、私は「結核信仰療法」と言う本を書いて――あらかた出来上りましたが、之は単行本にして発行しようと思つている。新聞広告を連続してやろうと思う。それから、あとは各大臣、国会議員から医学方面――医科大学、大病院、結核療養所、それから著名なお医者だとか、医学に関した、色んな医学専門学校――そう言う処にも配付する積りです。今迄ああ言う本が出ても、そう言う方面は態と避ける様にして、出さなかつたんです。今度は表面的に――一寸教線的の様ですけれども――然し、何しろ一番肝腎な事は、お医者を解らせる事ですからね。お医者を解らせるのが根本ですからね。それで、愈々そう言う手段をとる事になつたんですね。之は無論飜訳して世界的に、ノーベル賞審査委員会から、外国の大学とか、そう言つた医学専門家方面にも送ろうと思つてます。之はむしろ日本より外国の方を主にしてやろうと思つてます。そうして結局、やつぱり――革命ですね。平和革命ですね。今迄の革命は皆危い革命でしたが、今度はそうではない。今迄とは反対の、暴動を起したり、そんなではない。至極平和な有難い革命です。面白いと思いますね。で、農業の方も肝腎だけれども、医学の方はもつとずつと肝腎なんです。医学の間違つた為に、人間が苦しむと言う方が、ずつと大きいですね。之は、信者の人は皆知つて居るから、そう精しく言う必要はない様ですけれども、何しろあまりに無智蒙昧と言いますか、ひど過ぎるんです。実に見ちや居られないです。だから之は、どうしても人類に解らせなければ本当の救いと言うものは出来ない訳ですね。近頃――去年あたりは結核が減つたなんて喜んでますけれども、減つたと言うのは、B・C・Gとか、ストレプトマイシンとか、やれオーレオマイシンだとか、色々新しい――ああ言う薬を用いますから、その為に浄化を停止したんです。浄化を停止した為に、一時、死亡だとか悪化を――一時喰止めたから――抑えたからね。それだから、一寸そう言つた死亡率とか患者とかが減つたんですが、けれどもそれで、ずつといく訳じやないんだから、結局又浄化が起つて、今度は先よりか悪性な結核か、さもなければ他の病気ですね。形を変えた病気ですね。形を変えた病気と言うのは、近頃アメリカで非常に起り出して来たですね。アメリカでは、今迄ない様な悪性な病気が大分起つて来ましたが、之は結核を喰止めた為です。それから英国あたりは、結核が非常に少ないけれども、浄化を極く弱らせた――消極的健康者ですね。フラフラ人形ですね。この間も、私は映画を見て、外国のニユース映画ですが、ボクシングですね。黒人と白人とやつたけれども、てんで――丸で、桁が違うですね。実にイギリス人の方が弱いですね。丸でヘトヘトです。黒人の何とか言う――有名な――あれは強いです。近頃ボクシングは、みんな黒人の方が強いですね。それから、他の重量上げとかマラソンとか、アメリカあたりでもインデアンの方がずつと強くなつて来た。ですから、文明国の人間の方は、唯病気を起らない様にする為に弱らせ、起らない様にしたんですから、そう言うヒヨロヒヨロな人間が段々増えちやつた。之は私が何時も書いているから解りますがね。従つて英国でも、国民の元気さが無くなつて来たですね。だから戦争とか、そう言つた事を怖れて、唯無抵抗主義になつた。あれは国民の元気が無くなつた――弱つた為です。その為に、イラン問題とか、エジプト問題ですね――あれが各地に起つて来て――結局は英国は植民地だつて無くなりますよ。それを、何うすると言う丈の元気が、もうないですね。そんな様な具合に、医学の為に段々弱らせていた。之ははつきり解つているんです。それが、結局主なものは薬毒ですけれども、之を何うしても、文明国の人間に解らせなければしようがないんです。それを解らせるとしたら、どうしても世界的にうんとやらなければならない。神様もそう言う御意志なんです。それは勿論成功しますけれども、色んな変化はあるだろうと思います。で、之は平和的の革命ですから、幾ら思い切つてやつた処で――別にそんな危険な事や、そう言う事はないんです。安心して良い。

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それからもう一つは、原子爆弾ですね。原子爆弾を逃れる事が出来るんです。唯、時期の問題です。けれども、もうそろそろそこに来つつあるんです。と言うのは、原子爆弾と言う物は、大体――原理と言うものは、光なんですからね。やはり火素なんです。で、原子爆弾の光と、我々の方は――私の方は霊子爆弾ですね。霊子爆弾の、之も光。どつちが強いか弱いかと言うと、無論霊子爆弾の方がずつと強いんですよ。だから、こつちの方の火素と――向うも火素ですけれども――こつちは霊の火素で、向うは体の火素です。だから、どうしてもこつちの方が勝つに決つている。こつちの火素が段々強くなりつつありますからね。もう原子爆弾には負けない丈に強くなつている筈なんです。で、長崎、広島の原子爆弾の時も、信者の人で助かつた人が沢山居るんです。随分、驚くべき奇蹟が、大分あるんですね。今、その当時の記録を集めてますけれども、それが集まつて、確実と言う事になれば、それをアメリカの方に――飜訳して――主なる処に送ろうと思つてます。そうすると、原子爆弾を逃がれると言う事になれば之は大変です。やつぱり、戦争を無くすと言う事が可能になるんですね。ですから、病貧争絶無の世界――病気は無論無くする事が出来ますし、それから貧乏は何と言つても、農産物が根本ですよ。まあ、人間食う物丈が足りれば、あとは贅沢なんですからね。生きている丈は、もう間違ないんですからね。だから、米の増産です。今度は争いですね。争いと言つた処で、人間同志の喧嘩や――そう言う事は知れたものですからね。その人が信仰にでも入れば、無論無くなりますからね。唯、一番厄介なのは、戦争ですよ。戦争のうちでも、最も厄介なのは原子爆弾ですね。そこで、原子爆弾ですね。そこで原子爆弾を免れる――そう言う物が出来れば――つまりそれ以上の発明ですね――それは、もう解決はつくんです。だから先ず、こつちの霊子爆弾ですね――それによつて原子爆弾を免れると言う事が、先ず病貧争絶無の世界を造ると言う最後の急所だろうと思うんです。之も段々神様の方でも、火素の力が強くなりますからね。ですから之も時の問題です。無論そう言う事が、向うの方で認識すれば、試験と言う事になります。実験と言う事になり、豚とかそう言つた獣に御守をぶら下げて置く。そうして実験してみれば分るんですからね。或いは人間となれば、死刑囚か何かですね。それを実験して見れば解るんですから、だから難かしい事はないんで、そうなつたら、中々面白くなると思います。それから、今年の仕事としては、大体今の農業と医学ですね。全般的医学の方は、未だ「文明の創造」が出来ないから、最初は結核問題丈を今年やる積りになつてます。

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それから、今出来つつある地上天国、特に箱根の美術館ですが、昨日も行つて見ましたけれども大体内部の基礎は出来てます。唯塗る丈ですが、塗るのは、今気候が悪いですから、もう少し暖かくなつてから――で、三月からならば塗る事は出来ますからね。それで、ああ言うのは、迦藍堂みたいなものですからね。三月一杯位で塗れますからね。あとは、品物を並べるケースですね。あれ丈ですから、予定の五月迄には、先ず間違なく出来ると思つて良いんです。それで、中々思つたより形や凡てが良く出来た様に見えます。それから、熱海の方の地上天国ですね。之は皆さん始終見ているから解るでしようが、大体地形は出来て、ちやんとなるには、もう半年位だろうと思いますね。そうすると、建築にかかる積りですけれども、最初メシヤ会館と展望台を一緒にやる積りで居るんですよ。すつかり設計は出来ているんですが――出来ていると言つても、私の頭の中ですから、未だ見せる訳にはいかないんです。で地形なんかも、非常に具合が良いんです。私は色々やつているうちに、実に神様は、よくもこう行届いて準備をされると思つてますね。で、今ツツジの山を拵えてますが、あれ丈出来た丈でも――今年の五月には花が咲きますから、壮観だろうと思います。会館も――敷地が、見らるる通り、随分大きく出来ましたがね――七、八分通りはね。建物は六百三十坪ですね。そこに附属を色々――事務室とか応接間とか、それから神床を、後の方に出つ張らせたりして、何だ彼だ――それから展望台とか――そんなで、七百坪と見なければならないですがね。それで、今年の夏あたりから、やり始める事になるだろうと思つてますがね。大体一年位で造つちやう予定です。来年の秋ですね。来年の秋に、開館式をやる様にしたいと思つてます。まあ、何しろ神様がやつているんですからね。別に難かしい事はないですね。やる気になつたらスラスラと行つちやうものですね。ですから、随分金なんか沢山要るでしようけれども、やつぱりそう言う金は、ちやんと出来ますからね。そう言う事は心配する事はない。箱根の美術館なんかも、去年やつと敷地や何かをやつて、一年前の事を考えると、実に早く出来たですね。で、中に並べる美術品も、之も不思議にちやんと、素晴しく並べられる物が集まる事になつてますからね。それで、良く考えて見ると、美術品ですね。美術館が、日本にも方々にありますが、日本の美術館と言うのは一つもないんです。みんな外国の美術館です。例えて見れば、博物館ですね。上野博物館、京都博物館と言いますが、先ず、仏教美術ですよ。仏教に関した物は、之は立派な物です。――大したものです。大体お寺とか、国宝とか御物とかは――そう言う物は、博物館なら集められる訳です。ですから仏教美術は博物館は立派なものです。京都の博物館は、同じ様なものですが、京都の博物館は寺院美術ですね。殆どお寺のもの許りです。それから個人のものでは、ブリヂストンの美術館の物は、油絵許りですからね。西洋の美術館ですね。それから、東京の根津美術館ですが、之は大体お茶の陶器ですね。茶器――あとは支那の陶器ですね。日本の美術としての――日本の蒔絵とか――そう言う物は、殆ど見るものがない。ですから之は、むしろ茶器美術館ですね。それから、大倉集古館ですね。あれも、今大してやつてないが、兎に角相当ありますけれども、支那の物許りです。支那美術館です。それからワカモトの長尾美術館は、この間見たけれども、知れたもので、論ずる価値はないですね。それから、京都の住友美術館も、支那の銅器許りですね。ですから、之も支那美術館ですね。それから大阪の白鶴ですね。之は、支那の陶器と銅器ですから、之も支那美術館ですね。この間行つた時、天王寺美術館を見ましたけれども、之も支那美術館です。それから、岡山の大原美術館――之は行つては見ないけれども、西洋の油絵が主ですね。やつぱり西洋美術館ですね。こう見て来ると、日本美術館はないですよ。日本人でいて、日本美術を見ようと思つても、見る処がない。実におかしな話です。そんな訳ですから、外人が日本に来て日本美術を見ようと思つても見る事が出来ない。日本美術では誰が上手い。日本美術じや光琳が、絵じや上手だ――良いと言つた処で、光琳は何処にあると言つても、光琳は何処にもない。博物館に富士の墨絵がありますが、私の処に持つて来ても買いませんよ。宗達が良いと言つて、博物館にしみつたれた墨絵がありますが、之も為様がない。日本中――見ようと思つても、見る処がないですからね。日本は蒔絵が良い。日本の特産だと言つて、博物館に行つても茶棚はありますが、他は見る物がないですね。日本陶器は良いと言つて、仁清と乾山。柿右衛門はあんまり感心しない。あれは、支那の模倣ですから、私はあんまり重きを置かない。日本陶器としては仁清、乾山、鍋島ですね。この三種類は、私の方で色々集めましたがね。あと瀬戸焼がありますが――唐津だとか、志野だとか、黄瀬戸とか――色んなのがありますが、之は何かと言うと、朝鮮の模倣ですからね。結局朝鮮に習つたんです。そうして見ると、日本独特のものは、絵では琳派ですね。光琳、宗達、乾山、抱一――琳派物。あとは大和絵ですね。土佐派です。狩野派とか――ああ言う物は、支那の絵画の模倣ですからね。陶器と言えば仁清と乾山、鍋島です。あとは蒔絵です。之丈が日本独特の美術です。この日本独特の美術を見る処がないんです。そう言う物を、今度出来る箱根の美術館は、之を主にして並んでますからね。そこで、日本人が一番驚くと思います。日本には、こんな名人が居たのか、こんな立派な物が出来たのかと、之は日本人が驚きます。そう云う点に於て随分評判になるだろうと思います。外国人なんか、それを知つたら見たがつて大変です。私が最初、それこそ、自分の気に入つた物を買うと、無茶苦茶にやつてましたが、神様がみんなそうしたので、今になつて見ると、実に良い物を安く買つたものだと思つて、今本当に感心しています。終戦後バタバタとやつたんですからね。そんな様な訳で、美術館も非常に期待して良いと思いますね。熱海にも美術館を造りますが、之はゆつくりとね。会館と展望台が出来て、一段落着いてからね。熱海の美術館は、之は世界的なものを造ろうと思つてね。機材も――建築――そう言つた施設も――そう言う物も、アメリカやイギリスに負けない物を造る積りです。今から考えてますけれどもね。そんな様な訳ですから、今年から非常に表面的に面白くなつて、まあ――大いに楽しみにしている訳です。話はこの位にして置いて、お笑い草に寸鉄丈を――。

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二月六日

(お  伺) 
堀川タキヨ(一昨年十二月入信。三十一才)昨年十月父も入信させて戴き、同時に大光明如来様を御奉斎させて戴きました。十七才の時一寸した熱より、歩行困難となり、其の後一年位のうちに両眼を失明致しました。最初は医療を受け、其の後祈祷師に頼みましたが良くなりません。御浄霊致しますと、最初からマバユク感じます。以前より霊動(龍神の如し)があり、口は切りません。物に縋つて二時間位歩行の練習を致しますと、左足の裏が熱くなり歩けなくなります。両足を前に伸ばして座りますと、左の方に倒れます。祖母は四十才過ぎより、リヨウマチで左足が曲らなくなり、本人も主に左足が悪い様で御座います。尚、本人が生れた時、祖母は両眼が失明し、二年後に死亡致しました。此の事と何か関係が御座いましようか。御教えの程御願い申し上げます。尚、御神体御奉斎の時、御供え致しましたミロクの餅が溶けて花の如く開きました。此の事も、何かの御知らせで御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は、やつぱり龍神さんですね。殺された――之は青大将ですね。その霊が祟つているんですよ。怒つているんです。それで、祟る訳ですね。ですから、この人は光明如来様をお祀りしてある部屋に休む様にして、出来る丈御神書を読んで聞かせる様にする。それから、後頭部の真中の方ですね。後頭部の処に固まりがありますから、それを良く浄霊する。それから前頭部――そこを浄霊する。それに、医者も大して荒つぽい事をしない様だから、之は治る訳ですね。可成り固まつているが、気長にやれば治る訳ですがね。別に何うと言う難かしい処はないですよ。今言つた様にして、気長にやつて御覧なさい。少しづつ治りますよ。それで、足の悪いのも、やつぱり龍神さんが憑つている為です。前頭部の中央ですからね。ここ(前頭部)を浄めるには、やつぱりここ(後頭部)が肝腎ですからね。

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(お  伺) 
高木友三郎(三十八才)妻の実家の分家は、昨年十一月入信させて戴きました。長男明(七才)は右扁桃腺部に大人の拳大の腫物が出来、一時は危険な状態を御守護戴きました。分家の主人(岡野三七一)は同村の小学校長で傍らに雑貨商を営んで居ります。一月十三日に光明如来様を御奉斎させて戴きました。其の後十七日夜、妻の御浄霊中に岡野三七一の先妻の霊が出て参りました。この先妻は私の妻の実姉(静代)で、子供五人を産みましたが、皆三才で腸疾患で死亡して居ります。霊は「分家の商売が御神意に添わぬ、(利潤の追求が過ぎる)点があるから是非商売を中止せよ。そして教職に専念して貰いたい。若し営業を止めぬ場合は、明(後妻の子)の命を取る」と申します。然し、分家は大体良心的な経営をしている様で御座います。又霊の言う通りに致しますと、世間への影響も面白くありませんので、色々説得致しますと、「明主様のお許しがあれば営業しても宜敷い」との事で御座います。右の霊の申す事は正しいので御座いましようか。又商業は如何致しましたら宜敷う御座いましようか。御教示の程を御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
私が許せば良いと言うんだから――私が許すから良いじやないかね。やつぱり、霊の性格ですよ。この人は、非常に小乗的の――まあ、律義者なんですね。ですから、この霊にはそう言う風に思われても、仕方がないんで――それで、校長さんと雑貨商と両方ですが、その儘にして置けば、若し雑貨商がいけないと言う訳だと、神様がちやんと無理がなく止(ヤ)められる様にして呉れますからね。ですから、急に何うこうと言う心配は要りませんから、そこを神様にお任かせして、ずつと今迄通りにやつて居れば良いですよ。

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(お  伺) 
浅野和子(未入信。五十六才)十二月十二日より御浄化を戴き二、三日置きに私(中教師、及川卯三生)が出張御浄霊をさせて戴いておりました。十二月一杯は不快感で寝たり起たりし、一月十四日に長男の結婚式で、色々心労乍らも無事済ませました。二十一日より御浄化が激しく床に就き、御浄霊致しますと黒茶色の物を約五合位吐き、それより毎日三合から五合位、御浄霊の度毎に十五、六回吐き、肥つて居りましたが見る見るうちに衰弱し、鳩尾部と少し下部に二つ、大きな固結がありましたが、現在は鳩尾部に少々ある程度で御座います。背面を御浄霊致しますと、吐きます。又食欲はなく、少量のお粥とクズ湯を少々戴く丈で御座います。胃には痛みがなく、臍の左側が時々痛みます。薬は使用して居りませんが、鍼と灸は相当致しております。又PL教団の別派暁教の補教師で三、四十名の信者を受持つておりますが、本教に一生懸命縋つております。右御垂示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は結構ですがね。この人は、つまり胃に小さい穴があいているんですよ。それで、少しづつ来ては溜つて、固まりが出来ていたのが、浄霊で溶けて来て、そうして吐くんですから、或る期間食欲がなくなつて――仕方がないんです。ですから、あんまり急に衰弱しない為に――そう言う時は浄霊を休んでいるんです。そうすると、幾らか食欲がつきますから、そうして食べて身体がしつかりしたら、又浄霊をする。と、気長にやつた方が楽にいきますね。ですから之は、大変結構なんですがやつぱり之は、昔――子供のうちか何かに、飲んだ薬が毒血になつて、背中に固まつているんです。ですから、背中を浄霊すると、溶けて出るんですから、本当は結構なんです。で、可成り衰弱しますが、割合大丈夫なものです。極く衰弱すると、むくみが来ますからね。それでも別に差支えないですよ。普通は、そうならないうちに済むものですがね。大分大きな固まりも、小さくなつたんですから、もう一息ですよ。それで、当分お粥みたいな物をやつて、あんまり固形的な物をやらないんですね。まあ、それ丈です。

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【御  教  え】
私は、一昨日箱根の美術館を見に行つたんですが、大分――もう出来て、大体塗る許りになつてますが、何しろ寒いですから、塗れないで、どうしても三月の声を聞かないと塗りにかかれないんです。三月過ぎるとどんどん出来るでしよう。だから、予定の五月には出来上る積りで、六月は予定通り開館式もやれると思います。美術館に就て、一寸面白い事もあるので、それを書いたんですが、今読せます。

(御論文「⇒私の美術修行」のあとの御教え)【註  栄光一四四号】

今読んだ様な訳で、色々な日本美術を並べる積りですが、大抵の人は、余り見た事がない様な物が多いと思います。と言うのは、日本美術を見たいと思つても、見る処がないんです。例えて言えば、成る程日本は琳派――光琳、宗達、乾山なんかが良いと言つた処で、それを見る事が出来ないですからね。博物館に行つても、殆ど無いんですからね。去年の秋、琳派展覧会があつたですが、あれを見た処で――宗達の屏風丈は立派な物がありましたが、他は寔に貧弱で――光琳、乾山――そんなものが二、三幅あつた位のもので、それも余り大した物じやないと言う訳でした。他の物にしろ、博物館に出ているのは、その画家の傑作でなくて――之はと言う物は殆どないですね、他に行つても、日本美術は全然ないんですよ。だから陶器類、漆器、銅器――日本での優秀品ですね。そう言うのは殆ど見る処はないんです。今度の箱根のは、そう言う物を相当並べますからね。見れば喫驚りするだろうと思います。日本人がこんな立派な物を作つたのかと言う事が解る。絵にしろ大体日本を主にして、支那を少し入れてありますが、之をすつかり見れば、ピカソなんかで驚く事はないんです。あれは、本当に良い物を見ないから、マチスやピカソあたりに喫驚りしているんです。本当に良い物を見たら、今度私はピカソの批評を書きましたが、ああ言わざるを得なくなるんです。そんな点で、外国人も日本の美術を非常に見たがつているんですよ。処がそう言う機関もないしね。どうも、今迄方々に散らばつていて――旧大名とか新しい華族にも少しありますが、財閥とか――そう言う倉庫に仕舞つてあつて、さつぱり――見ようと思つても見られないんです。処が終戦後みんな、相当にはき出したんですね。そう言うのを私が、其の時分ですから安く買いました。それから今迄も、売りたがつているのがあるんですよ。だけども、色んな――名誉だとか税金の関係で、手放す事が出来ない。そう言うのは話をして、旨く借りて並べる連絡も大体ついてますから――そこで、そう言う物を並べると、外国人なんかも、非常に喜ぶだろうと思います。今度――最近アメリカのロスアンゼルスで展覧会があるんですが、それは支那陶器の展覧会です。支那陶器――宋時代です。宋磁展覧会と言うのをやるんです。宋時代と言うと、今から千年前から八百年前ですね。約二百年続いたんです。その時は、支那では凡ゆる文化が最も絢爛たる時代ですが、丁度――日本で言うと、平安朝時代とでも言つて良いですね。年代も約同じですがね。その時代には非常に良い物が出来たんです。それですから、そう言う様なものを、アメリカ、イギリスあたりでは、非常に珍重されてね。宋磁展覧会をやるけれども、日本にああ言うもので良い物があるんですよ。そこで日本に是非と言つて、依頼して来たんですよ。で日本で、丁度十五点出す事になつて、この間発送しました。それは一級品許りですね。日本の何処に何がある何があると、向うで、ちやんと調べてあるんです。博物館とか言う――そう言う方面のみならず、個人の家にあるのも知つているんですよ。例えて言えば、東京の芝に晩翠軒と言う支那料理屋があるが、その親父さんが、好きで持つているんです。私も行つて見ましたが、牡丹の模様の花生けがあるんです。それが先方からちやんと指定してあるんですからね。井上常一と言うんですが、それはやつぱり宋時代です。黒模様の牡丹の花生けを、と言うんで、実に行届いたものです。そんな様な訳で、日本に支那陶器の出品勧誘が来るんですからね。ですから支那陶器は世界に、良く知れている。処が、日本の絵にしろ、陶器にしろ、未だ解らないんです。目に触れないんです。やつと写真版を見る位で――写真版じや解りませんからね。そう言う意味で、日本の美術を大いに紹介する必要があるんですね。私は、そう言う頭で集めてありますからね。成る程、確かに支那陶器は良いです。私も好きで少しは集めましたがね。処が日本の陶器も、中々独特で、支那陶器に負けない物があります。日本人は勿論ですが、外人も知らないんです。そんな様な教育をしたいと思つてます。美術館と言うより、美術教育館と言つた方が良いですね。ですから、随分評判になつて、客が沢山来るだろうと思います。その積りで、今設備してますがね。一日に何千人と来るだろうと思います。余程準備をしないと――それに、美術品を見るのに、押すな押すなじや、落着いて見られませんから――そこで、やつぱり人を計つて見せる――好きな人が良く見たら、半日かかつても見られませんよ。大して品数はないんですが、良い物ですからね。少し趣味のある者なら、離れられませんね。一品か二品でも、良い物があると、汽車に乗つて遠くにも行きますからね。東京の人が大阪に、大阪の人が東京に見に行く。それが、一品を見るのに行くんですよ。それが幾品もあるんですから、こたえられませんよ。ですから休憩所を作つて、相当大きな物を作つて、人を計ろうと思つている。二、三百人宛で、最初が済んだ頃行く。落着いた頃行く――そう言う様にね。箱根の方は見本ですけれども、いずれ熱海の方に造る。之はもつと大きな、世界的のものを造る積りです。箱根の今度の美術館でも、やはり世界的に違いないですよ。世界一ですよ。何故なら、日本の美術をそんなに並べられる処がないからね。もう、世界一に違いないです。美術館の話はその位にして――。

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未だ少し時間があるから、もう少し話を――熱海の地上天国も、大分敷地の方が進んで来ましたが、今ツツジの山を作つてますが、あれは植木屋が泡食つてツツジを植えちやつたんで――私が思うのと違うものですから、ツツジを抜いてやり直したんです。と言うのは、山がフツクリしなければいけない。割合に平面的になつちやつた。だから柔らか味がないものですから、今度フツクリとした処が、柔らか味が出て、私も満足しているんですが、それから今、晴々台と展望台を繋げる処をやつてます。あそこも、あれが出来ると非常に具合が良くなる。私は、あそこを悩んで居たんですが、あそこをやる時期になると、ヒヨツと解るんですが、そうすると、神様があそこの地形迄、旨く準備されていたと言う事が分るんです。と言うのは、展望台から晴々台に行くのに、雨でも降ると濡れなければならない。すると、どうしてもお祭りの時など役員が支度するとか、芸能人が支度すると言う処が必要なんです。それを会館の中に作る。と、最初はその積りで居ましたが――会館が小さくなりますからね。そこで、出来る丈広くすると、外に作らなければならない。で、展望台の円形の外に作る積りだつた。そうすると雨風の時に濡れたりして大変ですから、考えた末トンネルを作ると非常に良い。又トンネルを作るに良い地形になつてますからね。そうする事にした。卅何間ありますからね。約半町です。そうすると、雨にも濡れないで、人にも見られないで行けるんです。トンネルの入口も出口も見えなくしますからね。何時あつちに行つたか分らない位です。信者さんとは、全然違う道ですから、都合が良いです。そんな訳で、大体、建築する迄には、もう三月か四月で出来る訳ですから、そこで夏あたりから建築にかかれると思うんです。大体、今度は大きいですからね。会館が六百卅坪ですね。で、鉄筋コンクリートですから相当金もかかりますけれども、然し二階三階と言うんじやないですからね。一階ですからね。それに、中に別に造作は要らない。迦藍堂ですからね。まあ、椅子の数ですが、それは相当要るだろうと思います。椅子は五人か六人並んで、下にテレンプを張つて――まあ、長椅子ですね。それで二千人位入れるものにしたいと思つてます。建築家の方は、千五、六百と思つてますが、何とかすれば、二千人位入ります。で、様式は私が新しく考えたんです。之は未だ、今発表しない方が面白いと思います。伏せて置きます。いずれ図面も出来ますしね。之は、一寸世界にない様な様式の積りですからね。それから舞台も出来て、舞台の後がやつぱりこう言う様に御神前になる訳です。で、舞台も――劇場じやないですが――音楽、舞踊位出来る様な舞台を作る積りです。之は、将来又――先の色々考えがあるんです。それはいずれ発表しますけれども、そんな様な風で、色んな事は、大体私の頭に設計が出来てますからね。で、設計家の吉田五十八と言う人と、之から相談してやる積りです。そんな様な訳で、大体この夏か秋あたりに始める積りで、一カ年の予定です。来年の秋迄に造る積りです。展望台と一緒に造る積りです。展望台は簡単です。円形のガラスで、之を直線に合わせていくんです。上は真つ平な天井ですね。その後に、今言つた様な色んな――役員の支度部屋だとか、応接間だとか――そう言う物を作つて、二階に小さい展望台を作つて、其処を私の居間にしようと思つている。居間と言つた処で、私の休息所とか、支度部屋と言うのです。そうして熱海の美術館は、それから一段落着いて、ゆつくりやろうと思つている。熱海の美術館の方は、ずつと大きいですからね。箱根の五倍位にする積りですからね。之は本当の世界的のものですね。外国にないと言う位のものを造る積りです。ですから、その様式とか色々な設備とか言うものも、随分立派な物が出来る積りです。それから、未だ色んな計画もありますが、今のツツジの山ですね。あれも、出来るとアツと言うでしようけれどもね。その次には、あの五倍位の山を作る積りです。で、桜を千本位植えて。本当の一目千本です。奈良の一目千本は一目でなく、幾つ目ででも見なければならないが、こつちのは本当の一目千本です。之が出来たら随分驚きますがね。何だか、驚かせるのが道楽みたいなものだが――私は日本人よりも、外国人を驚かしたいですね。外国人が、その為に日本に観光に来ると言う様にしたいと思つている。何しろ――箱根と熱海の地上天国を見る。それで、帰り掛けに日光の御霊屋とか京都を見るとかなるでしよう。何だか大法螺吹いている様ですが、確信はあるんです。神様がやつているんで、何も心配要りませんよ。何時も言うんですが、実に大したものです。ちやんと、そう言う様にお膳立てしていくんですから楽なものです。今年から楽しみになつていくので、愈々具体的になつていきますからね。

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二月七日

(お  伺) 
矢島ヒサ(二十二年入信。十歳)二十一年九月、三尺の高さの処より落ちて、後頭部を強打失神致しました。一週間後より発熱し、その時薬名不明の注射をし、それより激しい引附けを絶えず繰返し、死の一歩前迄参りました時に、御浄霊を戴き救われましてより、めきめきと良くなりましたが、五カ月目頃より再浄化戴き、その状態は死の断末魔の様相で、全身冷く、紫色に硬直し、顔面は引吊り、正視出来ない様な状態で御座いましたが、御守護戴き最近は体も暖かくなり、血色良く、特に顔色は綺麗になり、体格も普通の子供より良い位で御座いますが、智能は二、三歳位の幼児と同じで御座います。家中入信させて戴いて居り、御屏風観音様は御祀りさせて戴いてをりますが、御神体は未だで御座います。薬毒の為で御座いましようか。又は、何か霊的関係が御座いましようか。御教示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は薬毒ではありませんね。薬毒でこう言う風にはならないですね。やつぱり、後頭部を強く打つて、その内出血が未だ固まつているんですから、智能的な機能が発育不能になつているんですね。ですから、後頭部を良く浄霊すれば良いんです――気長にね。そうすれば段々良くなる訳ですがね。丁度、やつぱり霊が憑つたと同じ様な症状になるんでしよう。で、御神体を御祀りしなければいけませんね。之が根本だからね。御屏風観音さん丈じやいけないですね。早速御神体を御祀りして、後頭部を浄霊すると治りますよ。二十二年に入信して居て、今以て御神体を御祀りしない様な事じやいけませんね。その心掛けが、やつぱり御守護戴けないのですね。やつぱり何処迄も、やる丈の事はやつて――そうしてやらなければ、御守護が薄いですよ。

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(お  伺) 
佐野登紀(十歳)三歳の時急に眼の玉が中央に寄り、手足が利かなくなり、医診では脳性小児麻痺との事で、治る見込なしと言われ、堀之内妙法寺の堂守に見て貰いました処、家の後で、一間許りの板屏を取除けて防空壕を掘りましたので、地神の怒りでなつたとかで、二十一日間お浄め(神棚に塩を上げ、良くお詫びして、その塩を使つた土地に撒く)する様に言われ、浄めて貰いました処二日目に元通りになりました。二十二年四月私(母)入信。同年七月(母は交通事故で足を怪我、即日死亡)頭痛激しく、御浄霊させて戴きましたが、初めての事で良く解らず、アスピリンを飲ませ、元気になつた様に見えましたが、翌朝より左足が利かなくなりました。その当時は非常に痛がり、足の附根より全部に痛みがあり、御浄霊させて戴きましたが、途中一年許り他の事も致しました。現在御浄霊させて戴いて居り、主人及び本人も入信。御神体もお迎えさせて戴いております。足首がグラグラで、冬は膝から下がとても冷え、常に足の裏特に指の附根附近は、甲もグニヤグニヤになり、最近一カ月頭(特に前頭部)の痛みを訴え、それが良くなりましてより、グニヤグニヤも大分しつかりして参り、特に親指の屈伸も少しづつ出来る様になりました。御浄化戴きますと両脚の長さが異り(悪い方が短く)そのうちに同じ長さにさせて戴けます。御浄霊の急所を御垂示御願い申し上げます。尚発病の同月末、次の子が帰幽致しましたが、住所が安定致しませんので、足掛け五年隣村のお寺に骨を預けて居ります。又頭部の骨が良く焼けなかつたので、灰捨場に灰を掛けて置きましたが、後日行つて見ますと、違う位置にころがつてをりました。家主の好意で、家主の空いている墓に頭丈入れて貰いましたが、土に還つている事と思われます。右の骨は如何致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
地神――よく地の神様と言いますがね。二日目に元通りになり――不思議なものだな。家主の墓に――之は早く処置しなければいけませんね。早く埋めた方が良いです。この頭と一緒に埋めなければいけませんね。頭丈――之はいけないですよ。ちやんとくつつけて、埋ける処は然るべく当然ですから、つまりバラバラはいけないですね。之は霊の障りもありますけれども――私の母、足を怪我して――死亡この霊が憑いたんですね。この子供の足の痛みですね。之は足の附根と膝の、主に裏の方が急所ですから、そこを良く浄霊してやる。そうして気長にやれば、すつかり治りますよ。之はもう一息で治るから良いですね。次の子――足掛け五年こいつはまずいな。早く、今言つた様に頭と一緒にして、成可く自分の墓に埋めた方が良いんですがね。どうしても不可能なら、家主の墓でも良いですがね。之は御祀りしてあるんですね。まあ、そんな具合ですから、別に心配要りませんよ。

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(お  伺) 
塚本捷之(二十四年十月入信。三十七歳)御屏風観音様、御神体を御奉斎させて戴き、教修会場に二回使つて戴き、家族全部入信させて戴きました。二十五年九月瑞雲郷の御奉仕隊に参加させて戴きました。昨年八月妻が女児を分娩。十年前に腎臓病を医薬にて固めてをります。姙娠中右横下腹及右足が引附け、お産中も産後も、右足が痺れて脚気の様に不自由で御座いましたが、現在は大変楽にさせて戴きました。其為か乳児は血色悪く、乳を良く飲む割に大きくなりません。昨年十二月に百日咳の御浄化にて、一時は息も絶えるかに見える程で御座いましたが、二週間位にて楽になり血色も少し良くなりました。生れた時より右の眼が腫れてをり、眼ヤニや涙が多く出てをりましたが、現在眼ヤニは少くなつてをります。右の眼の黒玉は一寸小さく瞳孔が丸い面とギザギザの面とが御座います。尚、物を見るらしい時には、大きくなつたり小さくなつたり致します。両眼共黒眼は下へ下へと降り、右眼は殆ど白玉となります。耳は良く聞えますが、現在五カ月になりますが、あやしても殆ど笑いません。曾祖父が四年前七十五歳にて死去致しましたが、右の眼は石の破片にて四十五歳の時より失明致してをりました。右は霊的で御座いましようか。又は毒素の為で御座いましようか。今後如何致しましたら御救い戴けましようか。御浄霊の急所御教えの程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
引附け――之は引吊りじやないのかね。薬毒も大分ありますがね。右の足が引吊るとか――そう言うのは、毒の固まりですよ。脚気の様に――之もその為です。子供が血色が悪く――之も薬毒ですよ。どうも、曾祖父――この霊が憑いている様ですね。四十五歳の時より失明――その当時にギザギザがなつた訳だね。まあ、霊的ですね。之は右眼ですね。眼と後頭部の真中の処を浄霊すれば治りますよ。それから、あやしても殆ど笑いません――良く見えないんじやないのかね。眼が良く見えないんですね。生れた許りだから、こう言うのは割合に治りの良いものです。

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(お  伺) 
亀谷常次郎(四十四歳)頭が重く人と語るのも嫌になり、物を持つ事も出来ない様になり、仕事も出来なくなり、医師に一カ月かかり、不明の注射を二十本程しましたが良くならず、鍼を約十回程頭に打込み、腰と足に灸をしました。其後少し楽になつてをりましたが、弟竹次が気違いになり、あちこちと迷つた揚句どうしても治らず、最後にお道の先生にお救い戴き、廿三年十月入信させて戴きました。翌年四月熱海本部に御参拝、帰宅後一層頭の御浄化を戴き、一カ月程にて元気にさせて戴きました。廿六年秋季大祭に御参拝帰宅後、又も頭の御浄化を戴き、今日に至るも苦しんでをります。症状は、頭が或る日は重く、或る日は頭中に何か詰込んだ様な苦しさもあり、その間は、毎日自分の頭の様ではなく、思う様に考えられず、尚時々身体全体が震えて、胸が詰る様になり、下腹に力なく震え上ります。何事も煩さくて出来ません。五、六歳の時に腸を患い、引附けを起し、母が長谷の観音様に、足が届く様になつたら、年一度祭日には参拝する様御願いしてあつて、毎年御詣りしてをりました。十九歳の時木材が頭に強く当り、口鼻より多量に出血した事があり、約一カ月位は頭中で脳がゴロゴロしている様に思いました。現在の職業(種苗園農業)が嫌になり、転業を考えてをります。会長先生の御浄霊を戴きますと楽になりますが、家に帰りますと又頭が変になります。私の母の父は気が狂つて亡くなり、養父は脳梅毒で死亡してをります。私の頭の御浄化は霊的で御座いましようか。主として何処を御浄霊戴きましたら宜敷いでしようか。御教示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は、無論薬毒ですよ。不明の注射二十本――之が大変禍してますね。それから、鍼――之が悪いですね。直接頭に注射するんだからね。この薬毒ですね。他の薬毒もありますがね。この症状は薬毒が頭に固まつた症状なんです。だから、こう言う風なんです。仕事が嫌になつたり、頭が――考え様と思う事が、考えられない。纏まりがつかなくて、それだから何をするのも嫌なんですね。之は治りますがね。やつぱり長くかかりますね。段々段々ですからね。後頭部に固まりがありますよ。それから頸の廻りと、兎に角出来る丈根気良く浄霊するんですね。自分でやると良いです。それで治りますよ。之は私の経験もあるが、昔の歯の薬毒が頭に行つてね。丁度こんな様なものです。だから自分で――発狂するか自殺するか、どつちかですからね。考え様と思つても考えられない。他の事を考える。痛んで、その薬毒が段々頭に上つて、そうして頭に固まつちやつた。

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(お  伺) 
村原政直(二十七歳)十歳の時父は三十九歳で生活苦の為頸動脈切断自殺、次男の弟は空襲で機銃弾にて左腎臓盲管で死亡。間もなく母が脳溢血から中風を患い、二十二年九月頃より御浄霊を戴いてをります。同年十一月私が入信させて戴き、翌年一月弟妹が入信、二月に母と其妹と嫁先の姉が入信させて戴き光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。母は御浄霊を戴き乍ら眠るが如く他界(二十三年十一月)致しました。翌年八月より妹が、以前頭部に打撲傷を受けたのが再発し、又肝臓の御浄化を戴き、本年に入つて又弟が心臓の御浄化で死亡(十月)妹も十一月に死亡致しました。二人共御浄化中何よりも水を欲しがり、吐く位飲まぬと収まらず、特に妹は死ぬ二日前に、何も思い残す事はないが水をバケツ一杯飲みたいと言つてをりました。考えて見ますと、入信以前に屋根に青大将が居たのを殺した事が御座います。弟妹の死は、何か霊的関係が御座いましようか。尚、親類は浄土宗の信者で、お道に反対で、会う度毎に信仰を止(ヤ)めよと迫ります。今後この儘で宜敷う御座いましようか。御教示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
吐く位――之は蛇の霊ですね。今の儘で良いんですがね。一生懸命信仰をして、人助けをしなければいけないですね。ここの家は、祖先以来の「メグリ」が沢山ありますからね。こう言うのは、もう一家断絶位の運命になつていたんですよ。それを助けられたんだからね。やつぱり入信したからと言つて、直ぐ全部罪穢れが無くなつてしまう訳じやないんだから、まあ――半分位はどうしても早く取れない訳ですね。それで、あと未だ不幸があつた訳です。然し、こんなもので不幸も打切りになつたらしいですね。それから、水を飲みたい――之は青大将を殺したそれがくつ憑いているんですよ。つまり居所がないからくつ憑いちやうんですよ。やはり祖先ですがね。そう言う場合もそこの家の「メグリ」が減つて浄まつて居れば、そう言うのが憑いたり、害をしようとしても、力が出せないんですがね。こつちにそれ丈弱味があるからね。それで、霊に自由になつちやうんですよ。まあ――一生懸命に人助けをする。そうして徳を積むんですね。そうすると段々良くなりますよ。こう言う家は沢山あるんですよ。

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【御  教  え】
二、三日前に箱根の美術館を見に行つて、その時感じた儘を書いてみたんですがね。今読ませます。

(御論文「⇒私の美術修行」のあとの御教え)【註  栄光一四四号】

今読んだ通り、日本美術と言うものは見られないんですよ。日本美術を見せる処は一つもないんです。それで、日本は世界の美術国であり、日本人は非常に美術に秀れていると言つても、出来た物を見られないとしたら、おかしな話です。ですから、外国人でも日本美術は知らないんですよ。見た事がないからね。少しは見るけれども、本当の良い物は殆ど見られないですね。唯、写真か図録で見る位です。処が写真も、天然色は極く少ないですからね。大抵普通の白黒写真ですから――やつぱり、美術品は色が判らなければ、面白くないんです。唯、形丈ではね。そうすると、仕方がないから――外国人なんか、支那美術を蒐集します。非常に趣味を持つている。ですから、この間サンフランシスコで、講和会議の時に展覧会した――あれは日本から百数十点出品しましたが、あれも私が後で、博物館で展示会がありましたので行つて見た処が、日本の仏教美術ですね。大体三分の二は仏教関係の物ですね。だから、外国人は日本の仏教――特に彫刻ですね。之は非常に驚いている。ですから、欲しがつて居ますよ。欲しがつて居るけれども、仏教美術の良い物は、皆お寺にあるんですよ。ですから、外人が見ようとしても、一軒々々お寺を尋ねる訳にもいかないし、お寺の本尊様になつているから見られないですね。他には、日本の陶器とか蒔絵は殆ど出なかつたですね。処で、日本の美術で特色ある物ですね。それは、絵では琳派ですね。光琳、宗達、乾山ですね。之は世界に誇るべき物なんです。処が、この間のサンフランシスコなんかは、琳派物なんか一つもないですね。陶器では仁清、乾山、鍋島です。で、日本画は琳派と、あとは土佐派ですね――大和絵ですね。それから浮世絵――それ丈が日本独特な物です。日本の古い物は狩野派が多いですが、それは支那の宋元時代の模倣ですからね。模倣と言うが、それにヒントを得て――まあそれを習つた様なものですから、日本画としては、さつき言つた琳派と大和絵と浮世絵ですね。陶器は、今言う仁清、乾山、鍋島。あとの陶器は、やはり支那、朝鮮の模倣なんです。あと日本に良い物がありますが――柿右衛門なんかも支那の色々な模倣ですね。ですから私は、柿右衛門は有名ですが余り重きを置いてないんです。あとは尾張物と言つて、茶器なんかに多いですが、尾張の唐津とか志野、織部、瀬戸ですね。そう言う尾張の陶器は中々良い物があります。特色がありますが、之は朝鮮から習つたんです。朝鮮の職人が来て教えて行つたんですからね。あと色々な物は、みんな支那から入つているんです。だから、日本の特色と言うと、今言う絵と陶器ですね。あとは蒔絵ですが、蒔絵は本当の、日本の一番の特色ですね。日本でなくちや無いんですからね。そう言う物なんかも殆ど出ないんですがね。よく、蒔絵はアメリカに行くと壊れちやうと言うが、漆器類は乾燥を一番嫌う。処がアメリカの空気と言うのは、特に乾燥している。特にシカゴ辺りが一番乾燥している。そこに行くと、皆駄目です。バラバラになつちやう。処が、それは出来が悪いからで、本当に出来が良い物は、絶対にそう言う事はないですね。そう言う良い物を出せば良いが、出品する人もアメリカは漆器が壊れると言う事を聞いて、本当の事を知らないで、出さないと言うのが多いですがね。今言つたのが日本的美術ですね。そう言う物を、箱根は主にして出す積りです。ですから、今度の箱根の美術館を見ると、日本人であり乍ら、日本でこんな良い物が出来たのかなと思う人が随分あると思います。外人なんか、大したものだ。日本美術は良いものだと言う事が解るだろうと思う。浮世絵なんかも、外国人が大騒ぎするのは版画ですが、版画はそう大した物はないですが、肉筆物を見る切つ掛けがないし、見ても僅かづつで、手に入れる事が出来ないから、外人は解らないから、版画が良いとしたんです。ですから浮世絵の版画は随分外国人が欲しがつて、良い物は高いですよ。版画の初版で良い物になると、一枚十万円、廿万円のがありますからね。肉筆物はその何分の一ですから、それで私は肉筆を集めた。安くて良い物ですからね。今は高くなつて来ましたがね。一流品を私は随分集めました。そう言う物を見せると、非常に驚くだろうと思います。で、今度なんかもロスアンゼルスで、支那の陶器の展覧会がありますがね。支那の宋時代の――宋磁器と言うのを主にしている。そうして日本にも依頼が来て、日本でも十五点出すが、ついこの間発送しましたが、支那の宋時代の陶器と言うのは大した物ですね。やはり、箱根に出しますがね。最高の物を出したいが、最高の物は出せない。最高の物はアメリカの美術館にあるんです。之は到底、支那にも日本にも無いんです。その次の物はありますがね。その次の物は、今度美術館に出しますがね。支那の一番美術の良い物が出来た時代は宋ですね。特に北宋の方が良いですね。ずつと古いのは唐ですがね。唐時代も可成り良い物が出来ましたが、何と言つても宋ですね。宋は今から九百何十年前ですね。約千年前ですね。千年から――宋時代と言うのは百八十年続いた。ですから、丁度日本の弘仁から藤原時代ですね。それが丁度合つている。日本でも、最初仏教美術ですが、仏教美術は推古から飛鳥、白鳳、天平――千二、三百年前が良い物が出来たですが、今見ても素晴しい物ですが、仏教美術ですからね。藤原時代に仏教美術もあつたが、それ以後色々な物が出来たですね。平安朝ですね。その時が、支那の宋時代に当りますからね。それで、よく日本と時代が合つているんです。それで日本が、足利時代になつて、義満、義政が非常に支那美術を尊重して、輸入したですね。それでその時に、色んな宋時代の良い物を輸入した。それが、今日本に残つているんです。そこで、アメリカでも数がないんで、今度の展覧会でも、日本に勧誘したんです。ですから支那陶器と言うのはアメリカ、イギリスでは非常に研究してあるんです。それは、支那陶器の学者と言うのは、向うにもチヨイチヨイあります。ですから、日本の、何の陶器は何処に何があると言う事はちやんと調査してある。今度、個人の物でも、何処の何と、ちやんと指定が来て、十五点送つたんですがね。支那陶器は知つているんですが、日本の物は知らないんです。今度は、相当成る程と思う様な物を出す積りですがね。それで、支那は宋時代には陶器許りでなく、凡ゆる文化が発展したですね。支那でも偉い坊さんですね。それも宋時代が一番出た。宋時代には色んな王様が、美術を奨励したんですね。その時に出来たのが大変良い物が出来た。今、支那で、それを作ろうとしても、全然駄目だそうです。全然分らないそうですね。土だとか、薬だとか、全然分らないそうです。支那は、その次に明の時代ですね。明と言うのは、相当長かつたんですがね。明の時代と言つても一番最初宣徳と言う年号ですが、その時相当良い物が出来たんです。宋時代のは無地物が殆どだつたですね。明の時代には、赤い物だとかですね。正徳、嘉靖、成化、万暦と――こう言う具合に良い物が出来たんです。その時一番良い物が出来たのは嘉靖ですね。嘉靖の赤い物は、日本の柿右衛門とか、伊万里とかで真似したものです。支那は近代になつては、康煕年間、乾隆――この時代になると、非常に巧(タクミ)になつてますがとても安つぽくて見られないですね。丁度日本では、向うの明時代が桃山時代になりますからね。桃山が高価な良い物が出来たのと良く似ているんです。藤原、鎌倉、それから桃山、それから元禄、それから明治と、之丈が良い物が出来てますね。日本は昭和になつてから、戦争もありましたが、ガタガタになつている。そんな訳で――学校の美術品の講座みたいですが――ですから箱根の美術館と言うものは、其点に於て世界一だと思つてます。兎に角日本美術を見せると言う処は無いんですからね。だから、知れたら随分見に来る人が、沢山あるだろうと思う。外人は箱根に来た以上は必ず見ると言う様になりますね。美術館の話はそれ位にして置きます。

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二月十五日

(お  伺) 
松永嘉一郎(昭和二十五年四月入信。四十八歳)昨年四月胃の御浄化を戴き、十二月二十六日小康を得、出勤出来る様になりましたが、一月四日再浄化を戴き、食欲が減り次第に衰弱の度が加わつて参りました。特に夜一時から二時頃迄毎晩胃部に激痛を覚え、耐え難い事も御座います。此様に毎晩定まつて痛むのは、何か霊的の原因が御座いましようか。一家入信させて戴き、御神体、御屏風観音様は御奉斎させて戴いてをります。生来至極健康で、昭和十八年四月胃潰瘍で大学病院に二週間入院し、手術すると言われ退院し、断食療法で全快致しました事が御座います。右御垂示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
この人は何の位薬をやつているんですか。

(お  伺)
「殆ど飲んで居りません様で御座います」

〔御  垂  示〕
薬を飲んでいなくて、胃潰瘍になるのは変ですね。胃潰瘍と言うのは薬で作るんですね。霊的と言う事は、ない事はないが、胃が痛むと言う事は滅多にないですね。子供のうちに飲んでいるんじやないですか。

(お  伺)
「精しくは存じませんのでー」

〔御  垂  示〕
必ず飲んでますよ。聞いて御覧なさい。背中を浄霊しているんでしよう。何でもなく治るんですがね。背中に固まりがありますね。

(お  伺)
「長崎県の信者で、専門の教師が居りません為に、信者さんが致してをります」 

〔御  垂  示〕
浄霊に力が入るんじやないかな。力を抜いてやれば、何でもなく治りますよ。之は確かに薬毒ですよ。子供のうちかに、必ず飲んでますよ。漢方薬かも知れませんね。

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(お  伺) 
石井さだ(七十歳)三年前の暮より正月にかけて、胃の御浄化を戴き、其後左乳(以前手術した個所)が「しこり」となり、痛みは殆どありませんが、「しこり」は日増に大きくなり、瘤立つて参りました。昨年五月十日中教会本部の一周年祭に御詣りさせて戴き、その「しこり」の個所から毒血が出始め、毎日朝夕二回御霊紙を戴き、御守護により野良仕事に障りなく働いてをりました。同年秋季大祭に御参拝させて戴き、其後左鼠蹊腺部より膝にかけて吊れ気味でした。此頃より「しこり」の部分が、内側に凹んで参り時々痛みを感じてをりました。十一月頃には左脇下にも一個所「しこり」が出来始め、次第に大きくなりました。又乳の方の「しこり」の中央部は、最初灰色でありましたのが、段々取れて凹みを帯びて参り、穴になつて参りまして、廻りの一部分は乾き始めました。足の方の御浄化は強くなり、床に就き切りとなり、寝起きも自由にならず、食欲不振となりました。本年二月には延髄より右耳下腺にかけて御浄化戴き、左足は伸縮が出来なくなりました。十二日夜悪寒を感じ、三十分位にて収まりましたが、翌日は前よりもひどい悪寒を感じ、足も疲れて痛み、又吐気を催し(黄色の水と白色のヌラ)相当量排泄致し御守護御願いさせて戴きました処、同時刻に楽にさせて戴きました。十四日午後より、又前と同じ症状で、足の痛みは強くなつて参りました。尚、この家の庭にある数十年の欅を切り倒しましたが、代りの木を植えておりませんが、之と関聯が御座いましようか。

〔御  垂  示〕
足も疲れて――吊れてだろうね。之は、木とは関係ありませんよ。之は薬毒ですよ。以前手術した個所――この手術の時の消毒薬ですよ。それが体の方々に固まつて、その痛みですからね。之は中々しつこいんですよ。ですから、その痛む処を其都度御浄霊して、そうして少しづつ少しづつ治つていくんです。原因はそれなんですからね。迷わずに、その通りに思つて根気良くやるんですね。そうすると少しづつ良くなる。一度手術した消毒薬と言うのは大変な害をするんですからね。

(お  伺)
「手術した処が排膿し、乳癌かと思われる様で御座いますが―」

〔御  垂  示〕
癌は膿は出ないんですから、薬毒ですよ。癌と言うのは、膿じやないんですよ。あれは別の物です。ですから膿の出るものなら安心なものです。気長にやれば大丈夫なものです。

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(お  伺)
田附健蔵(昭和二十三年入信。五十三歳)御神体、御写真、御屏風観音様を御奉斎させて戴いてをります。胃潰瘍にて再三御垂示戴いてをりますが、一昨年十月より特に御浄化激しく、現在に至る迄毎日痛み続けで、毎月平均三回位(一回の吐量一升から一升五合位)の異物を吐いてをります。色は白色膿の様なものと、濃い緑茶色のもので御座います。入信前の内服薬はゲンノショウコ約半年、正露玉五瓶位、消化剤、鎮痛剤等で、注射薬としてモヒ二、三本、六○六号十本、他にキニーネ数服、卅年前淋病にてケンゴール外一種の薬を三カ月服用致しました。又、軍隊の当時予防注射等を致してをります。現在の状態は、背部の痛みが、左胃の背部から腎臓部にかけて特に痛み、右側も時々痛みます。腎臓上部の痛みが特に激しい様で御座います。腹部は臍下より左横隔膜より鳩尾にかけて特に痛み、左横隔膜に特に激痛を訴えます。熱はなく、ある時でも微熱です。緑茶色より白色膿状の様な物を吐く場合特に激痛があります。入信以来現在迄に吐いた異物の量は相当になります。激痛の折は板の如く固くなり、絶えずヌラが上つて参ります。小水を致します時尿管が痛み、それが腎臓部に通じ横隔膜の処に痛んで参ります。小水は常に膿の様に濁つてをります。食欲は偏食勝ちで御座います。要求する物を偏食させても宜敷う御座いましようか。一昨年「浄力」の御守様を拝受致しましてより、特に御浄化強く、現在未だ「光明」の御守様は拝受致してをりません。妻も共に入信致し居り、二十四年頃出張所として御使い戴いてをりました。子供は一人も居りません。御浄霊は教会と離れている為に、他の教会の教師の方に御浄化の激しい時に戴いてをり、不断は妻がさせて戴いてをります。入信以来大小の痛みの切れ間が御座いませんが、御浄霊の急所がはずれている為で御座いましようか。御浄化の激しい場合に御浄霊致しますと、必ず一時痛みが激しくなります。痛みの激しい時に異物を吐きますと、一時楽になります為に、口中に指を入れて人工吐瀉致しますが、如何なもので御座いましようか。此為に御浄化を長引かせているのでは御座いませんでしようか。御霊紙は毎日戴いてをります。激痛の場合は一日に十数回御浄霊させて戴いてをりますが、それで宜敷いでしようか。不断は一日に二、三回程度で御座います。

〔御  垂  示〕
尿管が痛み――尿の中の薬毒が粘膜にしみる訳ですね。偏食をいけない様に思いますが、決してそんな事はないですよ。偏食は結構ですよ。医学の方でいけない様に言うんですが、本当言うと偏食が健康に良いんですよ。一番、偏食でいいのは鳥ですね。カナリヤなんか稗(ヒエ)許り食べている。偏食と言うのは、体が要求するんですからね。要求するのは、必要だから要求するんです。結構だから、偏食は大いにやりなさい。人間は偏食するのが健康になるんです。農作物がそうですね。一つ物を作つたら、段々穫れて来ます。それに対する土が、それを要求する精分が出来て来るんですから、うんと出来ます。御守は取替えると良いです。今の浄化は強いですから、本人に強く来ます。人工吐瀉――本当はいけないですね。無理に吐かせるのはね。でも、大して悪い事はないです。でも、そうやると、唯癖になつて、この次から吐き方が悪くなるんです。御浄霊――之は幾度やつても良いですよ。肺病丈は一寸何ですがね。他の病気は浄霊する程良いんです。

(お  伺)
「見て居られない程の激痛で、激しい時は一昼夜位続きます」

〔御  垂  示〕
そんな筈はないがね。誰が浄霊しているんですか。光明如来様は御祀りしてあるんですね。

(お  伺)
「大光明如来様を御奉斎させて戴いてをります」

〔御  垂  示〕
もう治らなければならないがおかしいね。無論薬毒ですがね。うんと薬毒があるんですよ。で、浄霊に力が入るんじやないかな。注意したでしようね。背中をやつているんですね。之は無論背中ですよ。

(お  伺)
「今度の御浄霊法は良く申してをります」

〔御  垂  示〕
未だ然し、力が入るんだ。さもなければ治らなければならない。もつと力を抜く様に言いなさい。そうして背中にあるから、そこをやる。そうして、力を入れなくて、向うに通る様にね。之は難かしいんですよ。力を入れなくて、それで向うに通すんですからね。それから偏食は結構だ。一つ物を食べるのは結構だ。

(お  伺)
「チヨコレートを食べ、その為に痛みが来たと思われます事が御座います」 

〔御  垂  示〕
それは、食物のせいじやない。薬毒が、其処に出て来るんですから、そんな事は問題ではないんです。何しろ、余程質(タチ)みの悪い薬が入つているんでね。

(お  伺)
「御浄化が激しくない時には普通食で宜敷いでしようか」

〔御  垂  示〕
良いですよ。こう言う人は良くありますよ。それで、漢方薬に多いですね。

(お  伺)
「最初は洗面器に六杯御座いました」

〔御  垂  示〕
大変なものですよ。或る峠迄行つて、越すと段々良くなりますが、この人は峠を未だ越してない。こう言う人は峠が幾つもあるんですよ。そう言う風にやれば、段々良くなりますよ。そう難かしいものじやない。

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【御  教  え】
二、三日前アメリカで――あつちの大学に入つている人ですが、勉強の傍わら大いに浄霊や宣伝をやつている学生ですね。其人から時々報告が来るんですが、二、三日前に来た報告によると、アメリカは結核が大変なんです。処が、日本の色々な報告を見ると、非常に結核は減つたと言つている。医学の報告によると、百人に六人の割合と言つてます。処が昨年の統計では、結核で死んだ方が、他の全部の死亡者の合計より多いと言うんです。大変なものです。それに就て私は、今度「結核信仰療法」に書きましたが、ストレプトマイシン、B・C・Gで一時抑えつけるから、一時止まるんです。それは結核が延期したんだから、いずれは悪性な結核が発生する。と書いてありますが、アメリカは丁度それになつているんですね。抑えつけていたが、それが抑え切れずに、一時に発生したんですね。日本はその次になりますね。数年のうちにそうなる。ですから「結核信仰療法」を飜訳してアメリカあたりにも、読む様な適当な方法をする積りです。之は可成り――結核療法は徹底して書いてあるんです。何にも遠慮しないで書いてあるんです。一寸でも向うから、突つ込んで来られない様に書いた積りです。私は随分この原稿には、特に念を入れて書き直したりして、やつと大体出来上つたんです。で、之は来月か再来月あたり出版して、之も先ず、医科大学とか大病院、結核療養所、勿論両院議員から各大臣――そう言う方面に配付する積りですがね。之は、農業特輯号なんかと違つて、もつとずつと驚く訳ですね。一度はやらなければならないですがね。もう、そう言う時期が来ましたからね。先ず第一歩として之をやるんです。之は一通り続けて読む積りですがね。結核と、医学に関して徹底的に書いてありますからね。今日は最初の方丈読ませます。

(御論文「⇒結核信仰療法  序文」「⇒医学が結核を作る」のあとの御教え)

やつぱり、マイシンや、ああ言う物を使うと、一時良くなるですね。一時良くなつても、結核菌は少しも変りないと言うんです。つまり表面に現われている浄化を止(ト)めた丈なんです。之は、医学でも知つているんです。一時苦痛丈を止(ト)めても、結核菌は依然として居るんですからね。そこの一寸した点ですが、解らないんですね。一種の迷信ですね。それを解らせれば良いんですがね。今度の本を見たら、どうしても解るんですね。で、結局根本は、お医者さんの頭を切替えなければならないですね。医学者ですね――この人達を解らせれば、みんな解決する。患者の方丈解らせても、到底追いつかないですね。やつぱり、製造する元をつかなければね。製造停止をやらなければ駄目ですね。之は一寸、病気に関係のない論文ですがね。

(御論文「⇒依頼心を去れ」のあとの御教え)【註  栄光一四五号】

之は物質的な借金の話ですが、宗教的に言うと霊的借金が大変なんです。みんな病気で苦しむとか、色んな災わいとか、金で苦しむとか、色々ありますが、それは霊的借金を返してる訳ですね。その苦しみなんです。だから、つまり今の人間は霊的の借金と物質的の借金と、両方で苦しんでいる訳ですね。つまりメシヤ教がやつている事は、先ず肝腎な根本である霊的借金を返す方法と、それから神様が借金を減らして下さるのですね。それでまあ、幸福になつて、地上天国が出来る訳なんです。処が、医学で借金を返そうとしても、医学の方では借金を返す力が全然ないんですから、そこで、無いのにある積りになつてるんですね。だから、実は借金取りの方を延期する訳ですね。延期するからして、利子が段々嵩んで来ると言う訳ですね。だから、今読んだ通り、医学と言うものは病気を治すと言うんでなく、苦痛緩和する、それの進歩したものだと言う訳ですね。つまり、借金を延ばす研究をしたもので、まあ――延ばすのが上手(ウマ)くなつたんですね。益々延ばすのが進歩して来て――延ばす丈は一時楽になるからね。昨今死亡率が減るとか、結核が減ると言うのは、そう言うのです。処が医学の方の借金を延ばすと、中々利子が高いんですよ。処が段々、神様の方は利子が高くなつて来る。そこで、今迄相当期間延ばす丈でも、延ばせなくなつた。今新しいストレプトマイシン、テラマイシンだとか、オーレオマイシンだとか、パスだとか色々ありますが、あれは借金を延ばす延期方法が進歩する訳ですね。段々借金を催促するのが強くなる。だから延期する方も新しいのを作つているんです。処が、借金を催促するのが、神様の方が激しくなると言うのは、霊界が明るくなると言う訳です。結局、延期が追いつかなくて破産する、と言うのが最後の審判なんです。それじや可哀相――可哀相じやない、人間も減らなければならない――破産者があるからね。だから神様はそれを解らせて、借金を帳消しにもするし、減らすにも自由自在の神様ですから、それを我々が助ける可く一生懸命になつていると言う訳ですね。ですから借金で考えていくと、一番解り易いんですよ。之は幾らかそれに関係のある論文ですがね。

(御論文「⇒社会事業と宗教事業」)【註  栄光一四六号】

それで、今度アメリカからの通信によると、アメリカでは現在カソリツク教ですね。あれが七割だそうですね。プロテスタントが三割――そんな割合だそうです。唯、始末の良い事は、アメリカ人は全部信仰心があるそうです。日本人と違つて、神がないと言う――そんな事はないそうですね。唯、アメリカ人の神様はキリストですが、唯そんな点は非常に始末が良いそうです。無神論はないんです。全部有神論ですからね。唯、カソリツクが勢力を得ている。カソリツクは非常に固いんです。カンカンです。で、カソリツクは立派な病院を作つているんです。まあ、医学一点張りでやつているんです。いずれ、之を崩さなければならないんですが、大変な仕事です。けれども、時期が来れば何でもないんですよ、みんな頭を下げますからね。唯、時期が相当間(アイダ)があります。それは神様の方じや予定してますからね。そんな様な状態で、宗教が病院を経営すると言う事は、良い事と思つているんですね。それで、こんな論文を書いたんですが――先にも書いた事がありますが、兎に角宗教で病院をやるとすれば、俺の方は神の力じや病気が治らないと言う事を表白しているので本当から言うとおかしなものです。その宗教じや病気が治らないと言う事を表白しているのでそこに気がつかないので、気がつかないと言う事は、気をつかせる人がなかつたんですね。気をつかせる人がなかつたと言う事は、宗教で病気を治すと言う事がなかつたからで、そう言う事を言えるのはメシヤ教以外に、まあ無いと言つても良いですね。

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二月十六日

今は珍しく質問がないので――。「⇒結核信仰療法」と言うのは、大体書上つたんですが、来月か再来月あたり出版する様になるだろうと思つてます。之は出来る丈読ませ様と思つて――何回も新聞広告もしますし、農業特輯号みたいに、ああ言う関係方面に配ろうと思つてますがね。で、何しろ出来る丈念を入れて書いたので手間がかかつたんですがね。徹底的に書きましたからね。随分思い切つて書きましたからね。突つ込まれない様に書いた積りですがね。ですから、随分ひどい事を書いてある様ですが、少しも嘘はない――理窟にはずれたと言う事はない。ですから、何うする事も出来ないです。それで、何しろ早く知らせなければ、追いつかないんですよ。二、三日前に、アメリカに行つている大学の特待生ですがね。日本の文部省で援助して、あつちに留学に行く大学生で、信者があるんですよ。それであつちに行つて、相当宣伝や浄霊をしているんですがね。その報告によると、去年アメリカでは結核の死亡者が一番だつた。全部の死亡を総計した数より、結核の方が多いんだそうです。で、私の説が良く裏書きしているんですね。色んな新しい薬で、つまり結核を抑えたんですね。だから発病を延期させたんですね。処が、それが或る程度迄いくと、抑えがきかないんで、一ぺんに今度は悪性になつて発病すると言う、それがアメリカの方に来た訳ですね。今度は日本に来る訳ですから、早くそれを知らせないと大変ですからね。それで急ぐ訳です。で、肺病の治つたお蔭話ですね。まあ、お蔭話が色々あるうちで、何と言つても結核が一番深刻ですよ。之を百例つけまして、そう言う事実の裏附けがあるんだから、何うする事も出来ないですね。丁度、項目が十出来て、それを順に読ませますからね。今日は最初の方丈少し読ませます。

(御論文「⇒結核信仰療法  序文」「⇒医学が結核を作る」「⇒結核は感染しない」のあとの御教え)

之を見たら、お医者さんも首をひねるだろうと思いますがね。之でまだ、もつと深く徹底して書いてありますからね。どうしても頭を下げさせなければ置かないと言う様に書いてあります。

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之は医学に関係のない事で少し――

(御論文「⇒依頼心を去れ」のあとの御教え)【註  栄光一四五号】

ここに書いてある通り、美術館も去年の今頃は未だ土を掘返して、石をぶち壊して、惨憺たるものだつたが、この間行つて見たら、あと塗れば良い位に出来てます。建築にかかつたのは十一月ですから、それから金を集めたんですがね。丁度今日迄に、何でも――現金は全部入つてませんが、二千六百万円位申込みがあるそうですね。丁度、美術館は楽に建てられるんですね。之から中の設備ですね。設備と言つても、大体ケースですね。陳列する箱ですがね。之は約百近く出来ますからね。大したものです。それから、あそこに橋を作るとかね。沢山来るだろうと思いますね。それは外人も多く来るだろうと思います。それと美術品を見るんですからね。押すな押すなじやしようがありませんからね。この間私は、東京の京橋に出来たブリヂストン美術館に行つて見ましたがね。之は油絵許りですが、場所が場所ですからね。押すな押すなで、見るのに大変なんです。油絵ならそれでも良いですが、こつちはそんな安つぽいのではない。見始めたら動けないだろうと思いますね――この間寸鉄に書いたが――やつぱり待合所を作つて、そうして人間を計つて順々に入れる、と言う様にしたいと思つてます。之から外人が沢山来ますが、兎に角日本人もそうですが、外人も箱根に来た以上全部見ます。いずれは世界中の評判になります。外国の新聞、雑誌の様なものにも広告もします。宣伝もします。日本に行つたら、どうしても見なければならないと言う様にします。そんな訳で、自動車の駐車場ですね。丁度良い処があつて、持主が登山電鉄ですが、今交渉してます。美術館の為に一日に千人以上は必ず増えるから、土地をその為に寄附しろと言つているんです。何でも、会社から寄附と言う訳にいかないから、出来る丈安くしてやろうと言う。そんな様な返事があつた様ですがね。それから、後の方の橋ですね。あれも掛け変えなければならない――改良してね。それも六月迄に――六月開館式にしたいと思つてますがね。それで、何故世界的に評判になるかと言うと、美術館としては世界一だと思いますね。絶対に世界一の条件があります。何故かと言うと、日本美術ですね。日本美術と言うのは、見たいと思つても見られないんですよ。日本人で、日本美術を見たいと思つても、見る処がない。この間の原稿に書いたけれどもね。仮りに日本に来て日本画を見たい。日本画は何う言う物かと思つて、見ようと思うと、日本画としては琳派物ですからね。琳派と浮世絵ですからね。あとは――支那の絵でも、墨絵だとか、彩色の花鳥物とか、宋元時代に立派な物がありますが、日本の絵としては琳派ですね。あとは浮世絵ですね。浮世絵で海外に行つたのは版画で、肉筆物で本当に良い物は見られないんです。博物館に行つても、光琳を見ようと思つても、光琳なんかありやしない。宗達を見ようと思つても、しみつたれた墨絵です。全然、博物館にもないんです。それから、日本の個人の美術館にしても無いんです。博物館は仏教美術ですね。之は立派なものです。あとは蒔絵の書棚位なもので、陶器も少しありますが、大したものじやない。良い物があると思うと、欠けた物ですよ。良く見て御覧なさい。疵物許りです。尤も予算が無かつたから、高い物を買う訳にいかない。そうかと言つて、贋物を買う訳にいかないし、だから良い物の疵物が博物館にあるんですね。別に悪口言う訳じやない、実際を言うんですがね。そんな訳で、戦争前には個人で出品した物も相当ありましたが、今は税金問題や何かで、引込めましたからね。博物館はどうも今は感心した物はないですね。仏教美術は、お寺が貸しますから良い物があるんですよ。ですから、お寺美術館ですね。仏像が良いと言つても、余程研究してないと解りませんよ。普通の人が見ても、何の時代で、何う言う趣味があると言う事は解らないですね。そうすると、博物館としては美術的の価値は殆どないんです。あとは、支那美術、西洋美術ですからね。大阪の白鶴美術館でも、支那の陶器と銅器ですからね。あと、ブリヂストン、大原と言つた処で、之は油絵ですからね。ですから、日本に居て、自分の国の美術を見ようと思つても見られないですね。外国でも、自分の美術を見ようと思つても見られないんです。一品か二品見るにも大変なものです。金持の倉にあるとかして、みんな秘密にしてますからね。本当に良い物は、見るのに大変ですね。今度箱根の美術館は、日本のを主にしてますからね。日本の物で日本人が見たいと思つている物が、相当沢山並んでますからね。出来たら大変ですね。外国に知れたら、日本美術を見るのは、箱根美術館よりないと言う訳で、うんと来ますよ。そんな様な訳で、日本美術をうんと鑑賞させ様と言うのが狙いですからね。一番驚くのは日本人ですね。俺の国にこんなのがあつたかと、今更乍ら驚きます。美術館なんかでも、日本の本当に良い物を見たいと思つても、見る機会がないから迷つているんですよ。日本画の画家も、西洋画の模倣ですね。あれは無理がないんですよ。日本画の良いお手本がないからね。そう言う点に於ても、大いに有難がるだろうと思います。それから、日本の陶器ですね。今拵えている陶芸家の陶器も、殆ど朝鮮の写(ウツシ)です。デパートに出ているのを見て御覧なさい。大抵支那、朝鮮の写です。日本の陶器を見る機会がないですからね。日本の陶器で良いのは、仁清の陶器です。日本の陶器では仁清と乾山と鍋島ですね。芸術的なものですね。あと九谷がありますが、芸術と言うより実用に近いですね。又、尾張がありますが、茶趣味ですから、一般には解りませんね。織部、志野、瀬戸とかありますが、渋い茶趣味を持つている。之とても朝鮮の物です。朝鮮の陶工が来て、尾張の瀬戸が始めになつている。又、日本の陶器の染めつけとかは、支那の明時代から教わつた。その一番偉いのが柿右衛門ですが、柿右衛門も支那の模倣なんです。鍋島焼は色丈は支那の模倣ですが、模様は日本的の物です。乾山も、光琳の弟で中々面白い物を作りますが、支那、オランダの模倣をして、あとで自分の物を作つた。最初から絶対に自分の物を作つたのは、仁清なんです。それで、私は仁清を目掛けて集めた。実に感覚が新しいですからね。丸で、今の人みたいです。それが三百年以上前の人ですからね。全く頭が下ります。そんな訳で、今度出来る美術館は本当の日本美術ですよ。支那の物も相当――之は良い物を多少は出しますがね。之は参考として出すので、狙い処は日本です。絵では光琳、宗達、乾山。陶器では仁清、乾山、鍋島――之丈の一番良い物を余計出してます。之丈で、相当腰を抜かすと思つてますがね。そう言つた意味だけれども、宗教的にも一つの刺戟を与えるだろうと思います。と言うのは、大抵の人は、メシヤ教なんて、美術館を、新興宗教がやるんだから大した事はない。幾ら教祖が好きだと言つても、そう解るものじやないから、或る程度そう言つた様な頭で見るに違いないと思うんですがね。そこで、そう言う者も見直すと思いますね。今迄個人の美術館を私は見ましたけれどもね。京都、大阪、東京ですね。見たけれども、そこで随分集めた人がありますがね。所謂目が本当に利かない為に、道具屋におつかぶされた者が相当あるんですよ。立派に見えても、本当に値打のないと言う物が随分あります。私の方はそう言うものがないからね。おつかぶされた物がないからね。そう言うのは、みんな値打物で、その当時の美術家の力作ですね――名人の傑作ですね。それを選つてあるから、一品と雖も首をかしげざるを得ないと言う物の積りですからね。それで、箱根の方は見本の積りだつたんです。こつちの狙い処は、熱海に立派な物を造る積りだつた。その見本にやつたのが、思つたよりか立派なものが出来た。出品物も去年あたり、京都や大阪――方々を見て調べた結果、之も案外碌なものはないんです。もつと良いものがあると思つたが、実に貧弱なのは予想外だつたですね。そうしてみると、私が集めて色々してあるのは大したものだと言う事が思われて来たんです。それと、もう一つは環境が良いですからね。位置がね。だから、それやこれやで、兎に角見物人が来るだろうと思う。で、一般人も見られる様に入場料ですね。今の処は二百円で見せる積りですがね。二百円も破天荒ですがね。精々、大抵一般は五十円位ですね――個人の美術館はね。で、臨時の高いもので百円位ですね。ピカソは別ですがね。あれは、最初三百円だつたが、あんまり高いと言うので百五十円になつたんですね。百五十円でも高いと思つてます。あれが百五十円なら、私の方は千円位あると思つている。そんな訳で、一般人は萩の家の後から――あそこに門をつけて――地勢も良く出来てます。こう言うのは、好きな人は幾度でも見たいですからね。何度も行くよりか、いつそ信者になつた方が、幾度でも見られると言うので、信者になる人がね。それで良いですね。信者になれば、神様の方で、段々何するから結構ですよ。そんな風な信者も相当出来ると思いますね。で、近頃美術館とか美術品は、一種の――世界的の流行になつてますね。大変良い事ですね。丁度神様のやられる事も、ちやんとそう言う機運に当嵌つていく訳ですね。話はその位にして置いて――。

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二月十七日

(お  伺) 
宮崎とく(五十四歳)昭和二十二年主人は肝臓を病み、其後腸捻転にて医師にかかり、手術後死亡致しました。其頃私は右下腹に固まりがある事に気づき、医診では心配する程ではないと言われ、其後大した変化もなく放つて置きました処、昨年九月頃より段々大きくなり、夜床に入り腹を撫で廻しますと、左に寄り右に寄り致します。其頃より御浄霊を戴いてをりますが、近頃は非常に大きくなり、大体右寄りで鳩尾辺りから肝臓の辺り迄一杯に腫れ上り、下腹一杯に丁度姙娠七カ月位に感じますが、午前中は非常に楽で御座いますが、夕方になりますと非常に張つて、食事も夜は一杯しか頂けません。夜床に入り、左を下に致しますと、左に寄ります。之は霊的で御座いましようか。又何処を主に御浄霊致しましたら宜敷う御座いましようか。家族、子供共に入信。光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴いてをります。

〔御  垂  示〕
之は卵巣ですね。卵巣水腫と言つて、卵巣に水が溜つて腫れるんです。之は、やつぱり腎臓が因(モト)ですから、良く腎臓を浄霊してあげると良い。然し、之は或る程度迄腫れますが――随分大きくなるものですよ。まあ、気がついて浄霊すれば、さう大きくならないで済みますがね。で、或る程度迄腫れると、その人の――やはり因は薬毒と尿毒ですからね。それが腫れる丈腫れると、少しづつ溶けて出て行きますからね――小便になつてね。質(タチ)によつて、非常に早く治るのと、さうでないのとありますからね。まあ、あんまり急がないで、気長にやる積りでやれば大した事はないんです。食欲は、その為に胃を圧迫されているから、小さく柔らかくなる迄は仕方がないんです。よくある病気ですよ。

………………………………………………………………

(お  伺) 
森西総一郎(昭和二十二年入信。三十二歳)二十三年六月長女総(サト)子が、一週間程の下痢が因(モト)で急性肺炎で死亡してより、教会へ御無沙汰致してをりますうちに、長男隆志(四歳)が二十四年一月浴場で引附け、以来毎日一寸した刺戟等にも体をピクつかせ、十日に一度位、少し熱が出ると引附けます。御道が良く解らず、約一年医療を受けましたが、病状は一進一退で御座いました。近所の信者さんに、今一度三日間の教修のお話を聞かれてはと言われ、今迄間違つていた事を御詫び申し上げ、御浄霊戴きましてより、段々ビクつく事もなくなり、引附ける回数も少くなり、御屏風観音様を御奉斎させて戴き、妻も入信。昨年六月疫痢の御浄化を戴きましたが、教会の先生の御浄霊により御救い戴きました。八月に光明如来様を御奉斎させて戴き、子供二人にも「小」の御守様を拝受させて戴きました。十二月頃より隆志の状態が以前より激しくなり、連日一寸した刺戟にも、又遊んで居ります時にも、急にバネで弾かれた様に体全体に痙攣を起し(以前は部分的で御座いました)目を離す事が出来なくなりました。現在、引附ける時は口から泡を吐き、両手で何か探る様な事を致したり、おびえる様な大きな声を出し、目を引吊り、何かじつとにらむ様な顔を致します。尚、其後は入浴を非常に嫌います。位牌は御先祖始め、諸々の霊位をお祀りさせて戴いてをります。父は神経痛を二十年程患い、死ぬ少し前に精神病で御座いました。兄は戦死、弟は自動車事故で死亡致してをります。以前に増して発作が激しくなりましたのは如何なる訳で御座いましようか。又今後如何致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は癲癇ですね。この癲癇はお父さんの神経痛じやないんですね。兄の戦死――之でもないな。弟――之でもないですね。之は他の霊ですね。つまり泡をふくと言うのは、水死の霊ですよ。水を飲んで死んだと言う奴ですがね。よくあるがね。之は、前頭部の中心――其処を浄霊すれば良い。そうして癲癇の起つた時には、善言讃詞を奏げてやつて、さうして頭の前頭部の中心をやる。さうして不断頸の廻りが、毒の固まりがありますから、それを良く浄霊して――之があるから頭が貧血する。血管を圧迫するからね。そうすると前頭部の方が貧血するから、それで霊が憑り易くなる。そうして一旦ひどくなるものですよ。峠があつてね。それが過ぎると、段々良くなる。早いのは一カ月か二カ月のがあります。遅いのは四、五年かゝるのがあります。結局は治りますがね。今言つた様に気長にやつて居れば、少しづつ良くなるものです。

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【御  教  え】
つい二、三日前アメリカに行つている信者の人で――之はあつちの、何とか大学と言うんですがね。そこに、つまり文部省の特待生と言いますかね――それの試験にパスして、そうしてアメリカの留学に行つているんですね。約一年許りになりますがね。それで、あつちで宣伝しているんです。その人の手紙の中に、今アメリカで非常に結核が増えたと言うんです。去年はアメリカで、結核の死亡者は他の病気――全部の総計よりも多いんだそうです。ですからまあ――アメリカでは結核が一番死亡者が多い訳ですね。之は、私は意外に思つたんです。と言うのは、アメリカは非常に結核が減つた。で、最近と言いますか、医学の方の統計によると、大体百人に六人の――その位の割になつたと、だからやつぱり、アメリカの様な方法をやれば、結核は減ると言うのが、日本の方の医学の方の理由になつているんです。で、日本の現在の結核の療法と言うのは、アメリカ式をやつている訳です。処が今言つた様な具合に急激に増えたらしいですね。と言うのは、私が不断称えているのが、良く合つているんですね。つまり薬で抑えつけているから、一時延びるんですよ。今度はそれが、反動時代になつて、薬毒の浄化も加わつて、猛烈な悪性結核が増えるんですね。丁度アメリカがそれになつている。だからいずれは、それに気がつくだろうとは思つてますがね。そこで早く気をつかせなければ、日本人は無論ですが、アメリカの人達も非常に可哀相ですからね。それを救つてあげたいと思つてね。それで、私は今「結核信仰療法」と言う本を書いているんですが、之は大体出来たんです。之は飜訳して、あつちにも沢山読ませる積りですがね。今、序文丈読ませますがね。この前も読みましたがね。今度はすつかり纒まりましたから、もう一ぺんね。

(御論文「⇒結核信仰療法  序文」)

それから、之は一寸面白いので、今読ませます。

(御論文「⇒依頼心を去れ」のあとの御教え)【栄光第一四五号】

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そんな訳で、箱根の美術館も着々として出来つゝありますがね。六月迄には充分出来る訳ですがね。そこで、今美術が非常に盛んになつて来ましたがね。美術館なんて言うのも方々に出来つつあり、外国でも非常に美術が流行つて来たですね。この美術なんかは、最も平和的なもので、之が世界的に国同志で交流する様になると、非常に良いと思うね。ですから、美術が流行るのとスポーツが流行ると言う事は、平和思想を大いに高める事と、それから国同志で仲が良くなると言う事に就て、非常に効果があると思う。で、そんな意味で益々美術思想、スポーツ思想――之が盛んになると思う。そこで、今度箱根に出来る美術館は、私は世界一と思つているんです。一寸不思議に思いますがね。然し、今美術館が方々にありますが、仮りに日本の美術品として、日本の美術品は余り無いんですよ。だから日本人が日本の美術を見たいと思つても、さて見られる処と言うのは無いんです。まあ、仮りに博物館としても、仏教美術は一番です。それは素晴しい物がありますね。非常に、お寺や皇室と関係がありますから、御物の仏像なんか随分立派な物があります。処が、仏教美術は普通の人が見ても中々解らないんです。大体、時代が解らないからね。何年位前に出来た物か。之は天平だとか、藤原だとか。如意輪観音とか薬師如来、帝釈天、毘沙門天だとか言つても解らないですね。そうすると、美術思想を養うと言う処迄は中々いかないですね、まあ歴史的、考古学的と言う様な意味ですからね。ですから、誰にも理解出来る様な美術ですね。それを見せる様にしなければいけないと思う。博物館を始め、あとの品々は――何時も言う通り――どうもレベルが低いんです。だから仮りに、日本人もそうですし、外国人が日本に来て、日本の美術を見たい。日本じや光琳と言う画家が大変偉い。光琳を是非見たいと思つた処で、見る処がないんですね。それから陶器類ですね。日本には仁清、乾山、柿右衛門とか、偉い陶芸家がある。是非見たいと言つた処でそれも見る処がないんです。日本で博物館以外の美術館と言えば、個人の美術館ですが、そう言うものでも――今度出来たブリヂストン美術館の様な具合に油絵か、或いは岡山の大原美術館は、西洋の絵はあるけれども、どうも日本の絵はないんです。それから、私は何時も褒める白鶴美術館でも、支那の陶器と銅器ですからね。日本のは全然ないんです。それから、京都の博物館と言えば京都のお寺の博物館ですからね。まあ、お寺美術館と言つても良いのです。立派な大きな仏像なんかがありますが――大したものですがね、それから東京の根津美術館、長尾美術館、大倉集古館にしろ、本当の日本美術と言うものは僅かなものです。それですからどうしても、日本の美術品を日本人も見られ、外国人にも見せると言うのが、是非なければならない。それが無いんですよ。私は先から、そこを狙つている。どうしても日本美術は――日本は世界の美術国だとか言つて威張つているが、じや品物を見ようと言うと、無いんです。ですから、アメリカ人でもイギリス人でも、日本美術と言うのは恐らく知らない位なものです。あつちの美術館と言うのは、殆ど支那美術ですね。支那美術と言つても、支那の陶器と銅器許りで、絵は殆ど無いんです。支那の絵は、やはり日本に沢山ある。又、アメリカにある日本の絵と言うのは殆ど贋物許りで、ひどいです。そんな訳で、日本人は今迄――良いか悪いか解らないが――国宝だとか言つて、日本の美術を海外に出さない様に政策を取つていたんです。之に就てもフランスあたりの相当な識者は、日本が国宝と言う制度を作るのは非常に間違つている、と言う事を言つてますがね。何だと言うと、国宝と言うのは、つまり外国に出さない――日本で占有する意味になるから、美術と言うと世界的に多くの人の目を楽しませるのが本当だと言うんですね。処が、己の国に保存して他国に出さない。世界の人に見せないと言う、一つの独占ですね。だから本当でないと言う話があるんですがね。そんな様な具合で、今迄日本は良い物を持ち乍ら、寔に――隠して見せない様にしていた。ですから、どうしても日本の美術を世界的に――世界の人達に見せる様な――そう言う機関を作らなければならないですね。それからもう一つは、日本の美術家と言うのは、近頃非常に堕落と言いますか、何と言いますか、兎に角日本画にしろ、油絵の真似するのが多くなつた。之は時代の風潮にもありますけれどもね。もう一つは、日本の美術を見る方法がないんです。日本でも、昔の名人のに色々な良い物があるんですが、それを見る事が出来ないからして――却つて油絵の方が余計に見られますからね。だからどうしても美術眼ですね。そう言つたものは、西洋の方に偏つている。ですから、そう言う人達に大いに日本の傑作品を見せなければならない。要するに眼識を養うんです。そうすると、日本は素晴しいと言うんで、それに真似しない迄も、大いにヒントを得て、変つていく訳ですね。処がそう言う機関がない為に、どうしても日本の本当の特色ですね。そう言うものが薄れていくんです。だからどうしてもそう言う日本の芸術家――美術家に大いに見せると言う方法をとらなければいけないと思う。私はそう言う積りで、美術館も日本美術を根本にして、東洋美術、支那、朝鮮――そう言う物を参考として置くと言う順立てにする積りですがね。恐らく、出来たらば非常に喜ぶだらうと思う。むしろ日本人が『俺の国の先祖はこんな立派な物を作つたのか。之は良いな。それじや大いに日本的なそう言つた良い物を作らなければならん』と言う意欲が、大いに起るだらうと思う。ですから、其為に外国人も、成る程日本は大した物がある、と言つて驚くだらうと思つてます。其様な訳で、本当に日本の美術を並べてある美術館は世界中に無いんです。勿論日本にさえ無いんですから、外国には尚更無いんです。そうして見ると、其意味に於て世界一だと思つてます。何も、規模とか――そう言うのでなく、日本の美術を集めたと言うので、世界一だと思つてます。世界の美術品を色々検討して見ますと、やつぱり美術は日本が一番なんです。仮りに仏像にしても、支那に出来た六朝仏と言つて、仏に関心を持つ人は六朝仏を一番貴んだ。それが日本に、欽明天皇時代に渡つて来て、それから推古ですね。最初は支那の真似をした。処が不思議な事に、やはり日本的の味を出している。推古から飛鳥、天平、弘仁。鎌倉時代になつて非常に――木彫ですね。最初は金銅仏と言つて、銅で作つて金のメツキをした。それが、藤原時代に木彫の相当良い物が出来た。それが鎌倉時代になつて俄然発達した。鎌倉時代の木彫を――私は近頃仏を研究してますが、素晴しい物です。ロダンなんか足下にも及ばない。之は世界に知られないですね。素晴しい物です。それは何処にあると言うとお寺ですね。京都、奈良、それから関東にもあります。不思議に、鎌倉で出来た物は京都、奈良にある。国宝になつてます。私は一度仏を見に行こうと思つてますがね。近頃はあつちの方のお寺に知合が出来たのでね。知合が出来たと言つた処で、仏の為にですがね。是非見に来て呉れと言う処がチヨイチヨイあるんです。いずれ行く積りですがね。それから日本の陶器ですが、陶器も支那には陶器は素晴しい物があります。私も感心しているんです。世界で、陶器は支那が一番ですがね。ロスアンゼルスで、支那の宋時代の展覧会をやるんですがね。宋時代と言うと、今から八百年前から千年前ですね。約二百年の間に、出来たものです。大したものです。私も好きで多少はあります。で、宋時代の展覧会を――やつぱり日本にも勧誘して、十五点日本から送る事になつて、この間発送しました。で、宋磁展覧会と言つて、アメリカとイギリス人が非常に好きですね。フランスはあんまり――フランスは朝鮮が好きですね。兎に角、支那の宋の物は大したものです。丸で、美術品を講義しているみたいだね。それで、支那の宋時代が、日本の平安朝時代になる訳ですね。で、平安朝時代にも良い物が出来ましたがね。それから、日本の鎌倉時代に彫刻の良い物が出来たのですがね。支那で言うと、明の時代に入りかけている。明の初期から中期に良い物が出来た。之は、全然宋時代とは違つてね。それで桃山時代になつて、明の次の康煕に入つて、まあ――相当に良い物が出来ましたがね。そう言つた、文化交流時代ですね。それが、支那と日本と大体符合が合つているんです。そんな様な具合で、日本は支那から学ぶと言い乍ら、日本独特の物を出した。日本人の一つの、美術に対する秀れた才能ですね。そう言うものがある。そう言つた美術品を見て、研究した結果やはり美術に於ては、日本人は世界一と言つて良いんですね。非常に秀れた天才ですね――それを持つている。之が本当に世界的に知られてないから、それをどうしても、私は知らせたいと思いますね。それには日本人が作つた良い物を見せる。それよりないですからね。箱根の美術館は小さいですからね。仏教美術迄は見せる訳にはいかないから、将来出来る熱海の大きいのは、仏教美術の良い物を――お寺にある国宝級の良い物を集めて、世界的の展覧会をやりたいと思つている。その為に外国の観光外客が、当(アテ)にして見に来ると言う迄にやつてみたいと思つている。兎に角、平和と言う事に対する――今言つた様な具合に、美術思想なんかを植えつけると言う事は、非常に良いんです。そんな事にも、非常に金が要りますがね。私は、その金を始終心配している。然し、今迄はどうやら、それ丈の金は集まるんです。箱根の美術館なんかも、始める時は殆ど余分な金はないんです。だからまあ、やつて、旨く出来るかどうか、実際おつかな喫驚りだつた。だけども、神様の方では非常に急がれる。だから他の方で調子が良くなつて、段々進んでいくので、之は良いだろうと思つて始めると――十一月に始めると、十一、十二、一月とスラスラとそれ丈の金は集まつた。現金は未だそれ丈ありませんが、申込み丈は大体ね。で、まあ――ホツと安心した訳です。それで信者丈見ると言うそんなものじや駄目ですから、誰でも一般的に見られる――そう言う風にしようと思う。丁度地勢がそう言う風になつている。萩の屋の後に門を作ると、教団の方に関係なく、美術館丈見られる。やつぱり神様は地形迄されている。それでまあ、入場料迄とる。二百円位ね。二百円と言うと、一寸高い様ですが、この間ブリヂストン美術館ですが、あれが五十円ですがね。あれが五十円だとすると、私の方は千円でも安い。品物を見れば解りますがね。油絵は、日本でも見られます。然し、西洋に行つても見られます。今度出来る箱根の美術館は、何処にも見られない物です。それが、一品か二品でなく、沢山あるんだから、どんなに喜ぶか解らないですね。文士連中でも――ああ言うのも非常に待つてます。作家連中でも、とても好きなんですよ。去年の暮あたりに川端康成、吉川英治、大仏次郎、高見順、武者小路実篤、徳川夢声の諸氏等、未だ未だ色々ありますが、来るのを止(ト)めてあるんです。美術館が出来たら一ぺんに見せるからとね。今、少しづつ見せてもしようがないからね。徳川夢声氏なんか、馬鹿に好きですよ。つい二、三日前に古九谷の良い物を買つたから、一ぺん見て下さいと言つてね。そう言う連中が、期待して待つているんです。だから、始めたら随分来るだろうと思います。本当に良く見れば、半日もかかりますからね、そこで始終来るより、面倒臭いから――一々入場料やつてね。いつそ信者になれば、見たい時に只で見られるからと、その為に信者になる人も随分あるだろうと思います。それで、信者になつても良いんです。何しろ神様と縁が繋がりますからね。結局段々信仰的な事も解るんです。大体あそこの空気を吸う丈でも良いんです。中々神様も抜け目なくやられます。そう言う様な訳で、着々として色々な設備も出来つつあります。まあ、美術館も大いに役をすると思つてます。もう少し読むものがありますからね。

(御論文「⇒社会事業と宗教事業」)【註  栄光一四六号】

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それから、今度又、松井、鈴木、百海、木原、アザブ、秀月の諸氏が山陰地方に宣伝旅行に行きますが、私に何か書いて呉れと言いますからね。急いで昨夜書いたんですが、それを読ませます。

(御論文「⇒舌に代えて」)

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二月二十五日

(お  伺) 
山川静子(昨年三月入信。六十七歳)昨年十二月十二日午前四時頃ふと目が覚めますと、何となく頭が変で、胸が重苦しく、嫌な気分が致し、便所に行こうと致しました処、立つて歩けず、這つて参りました。その儘床に入りましたが、腰から下が寒気も致しませんのにガクガク震えました。一時間程で平常に復しました。其の後本年一月二日及び二月五日、前回と殆ど同じ時刻に同じ症状となりました。其時は必ず三、四回吐気を伴いますが吐く事はなく、又必ず小用を催します。尚、本人の夫は昭和九年に脳溢血にて倒れ、昭和十七年再発死亡致しております。本人は、昭和四年頃突然耳が聞えなくなり、ストリキニーネを毎日一粒宛服用致し、聞える様になりましたが、一週間後に再び聞えなくなりました。其後服用は致してをりませんが、現在も殆ど聞えません。之は霊的で御座いましようか。又如何させて戴きましたら宜敷う御座いましようか。御神体は御祀りさせて戴いてをりますが、仏壇は旧家の為に非常に大きく、中央に大きな阿彌陀像があり、横に動かすのも困難と思われます。又本人が信仰していた関係もあり、未だ御屏風観音様をお迎え出来ない事情で御座います。右御教えの程御願申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は、光明如来様はお祀りしてあるんですね。仏壇は何処に――

(お  伺)
「次の間に御座います」

〔御  垂  示〕
本当の座敷に光明如来様を御祀りしてあるんですね。之は、祖霊が憑るんですよ。病気じやないですよ。それで、祖霊のうちで、何か気にかかる事があるんですね。それを頼みたいんです。之は信者ですね。仏壇は立派ですね。大きいんですか。

(お  伺)
「三尺の幅で、十三代前より御座います」

〔御  垂  示〕
御祀りすれば良いんだな。きつとそれをやつて貰いたいんでしよう。仏壇が大きければ、屏風観音様じや小いさいかも知れないから、そうすると、お掛軸の千手観音様をすれば良い。

(お  伺)
「阿彌陀像は木造で、厨子に入つてをりますがー」

〔御  垂  示〕
仏壇の中で厨子に入つているんですか。そうしたら、阿彌陀さんを向つて右の方に一寸ずらせば良いんだがね。それを、祖父が承知するかどうか――。

(お  伺)
「本人が入信して居りますのでー」

〔御  垂  示〕
じいさんは――。

(お  伺)
「亡くなつてをります。」

〔御  垂  示〕
それじや、何でもないな。ずらせば良いですね。

(お  伺)
「非常に大きいので御座いますが――」

〔御  垂  示〕
構わないです。ずらせば良いんです。それ丈です。

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【御  教  え】
「結核信仰療法」の、この前の次の処を読ませます。この間は、結核は伝染しないと言うのがありますが、之は、以前に度々読んだから、それは止めて、次に移りますがね。

(御論文「⇒毒素の解剖」「⇒天然痘」)

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それから、再軍備の問題が大分喧ましい様なので、それに就て書いてみたんですが、今読ませます。

(御論文「再軍備に就て」)

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どうも、薬毒や浄化の事が中々解り悪いんじやなくて、信じ悪(ニク)いんですね。解るのは解るが、信じ悪(ニク)いと言うのが、よくあるんです。出来る丈そこの処を解り易く書いてみたんですがね。

(御論文「⇒体内の入浴」)  【註  栄光一四七号】

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それから、之は何方も経験がある事ですけれども、信仰を人に奨めたり、色々しても中々解つて呉れない。それから、支部の人や何かでも、もつと発展しそうなものだが、発展しそうでしないと言う人なんか、よくあるんです。そこで急(アセ)つて、色々――落着いて居ないで、積極的にやり過ぎるんですね。之は、肝腎な事を忘れる訳なんです。それは、昔から色んな宗教や何かは、殆ど宗教の歴史と言えば、苦しみの歴史ですからね。特にキリスト教なんか、ひどいですがね。殉教者と言う言葉がある位でね。苦しみ抜いて、そこに植え附ける、とね。キリスト教なんか、よくありますがね。アフリカの蕃地なんかに、命掛けで行つて、其処に信仰を植附ける。まあ結構な事には違いないですがね。けれども、その為に非常な苦しみをして、結局犠牲になつちやうんですね。そう言う事が宗教を発展させると言う上に於て必要であると言う様な頭が誰にもあるんですよ。そこで、メシヤ教信者になつても、やはり苦心惨憺して、相当な苦しみをしなければならん。と言う為に無理をするんですね。無理をするから益々苦しくなる。それで、案外発展していかないんです。その点何だと言うと、今迄は夜の世界だつたんですから、夜の世界と言うのは、地獄の世界ですからね。そこで、信仰でも――つまり地獄的信仰ですね。この間の新聞にも出てましたが、立正交成会なんてね子供が死んだ。そうすると今度又、名前が悪いから、何年何月に死ぬと言う事で、嚇されて、それが恐ろしいんで、親子心中したと言う事になつてますが、実際は何うだか、あれ程じやないと思いますがね。と言うのは、当局の新宗教に対する疑いや、新聞のデマですね。ああ言う事は、私等は経験してますから、あれを丸飲みには出来ないんです。あれ程ではないと思います。然し、全然形はない事はないと思いますね。それの起りと言うのは、ラジオの社会の窓ですかね。あれから始まつたんですからね。けれども、あれは大体、日蓮宗から出ている霊友会から、又別れたんだそうですからね。処が、ああ言う信仰のやり方をみますと、やつぱり苦しみ信仰ですね。地獄的信仰のやり方ですね。それだから結局問題は起り易いんです。メシヤ教で問題――まあ、私の問題ですがね。新聞や何かの問題は二度ありましたがね。最初のは脱税問題ですね。その次のは贈賄問題ですね。脱税の時に、税金を軽くしようとして、そうして賄賂を使つた。そう言う疑いの問題です。ですから、宗教上の問題ではないんです。と言うのは、そう言つた地獄的の事はやらないですからね。そこで今話した様な、苦しんで発展させ様と言う事はいけないんです。メシヤ教では――それをいけないと言うのは、夜の世界の信仰ですからね。メシヤ教の方は昼の世界の信仰です。天国を造る宗教です。今迄の宗教で、天国を造ると言つた宗教はないんです。来ると言う事は言つたが、造ると言う事は言わなかつた。時期が早かつた。処が今度は愈々昼間になるんですから、今度は造るんですね。そうすると、天国を造るには先ず一番の元は御自分ですよ。自分が天国にならなければならない。けれども、自分の境遇や家庭を、急に天国にする事は出来ない。だから、その因(モト)である自分の心ですね。心を天国にする。そうすれば、一家が天国になり、一国が天国になり、世界が天国になるんですから、先ず何と言つても心を天国にする。そうすると、色々な事で苦しむと言う事は天国ではない。一番解り易い事は、病人なら病人を浄霊に行く。そうすると非常に愉快な楽しい家と、何だか気の向かないが、嫌々乍ら行く家と両方ありますね。そうすると、何だか気の向かないと言うのは地獄ですから、本当は避けられれば避けた方が良いんです。楽しいと言うのは、良いし、そう言う病人は治りが良いんです。発展するんです。けれども、全部が全部そう許りはいかないですがね。それでは丸で、我儘坊ちやんみたいでね。そう許りもいかないが、原則としてそこに重点を置く。神様もそれが思召しですがね。それが、天国的信仰と地獄的信仰です。そう言う事は、神様にお任せすると良い。何処迄も人間の力でやろうと言う事がいけない。処が今迄色んな――習慣やそう言う様な一つの思想を植附けられてあるので、ともすればそう言う心が起り易い。で、自分で目的を立てて、それを実現しようとして骨を折るんですが――それは人間は目的なしでやる事は出来ないから、良いですが――何処迄も進むから、そこで無理になる。無理になるから、そこで、逆結果になる。その点を良く心得て置けば、却つて楽に旨くいくんですね。私なんかは、最初はそうでなかつたが、その事が解つてから、そうやつてますが、少しやつてみて、思う様にいかないと、神様に任せて置く。忘れる様にする。そうすると、忘れた時分にヒヨツと旨くいく。と言う事がよくあるですね。信仰でも、地獄的信仰、天国的信仰と、こうあるんです。今迄の信仰は全部地獄的信仰です。で、メシヤ教で初めて天国的信仰と言う信仰が生れたんですね。その点の区別ですね。それをよく知らなければならないですね。だから、こんな楽な事はないんです。楽にやる程成績は良いんですからね。

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それから、今言論の自由と言う事を言つてますが、言論の自由は許されているが、言論の自由のない階級があるんです。言論の自由が一番ないのが、ジヤーナリストです。之はおかしいですね。兎に角新聞記者ですね。一寸あべこべの様に思うんですが、本当なんです。気の毒なものです。書きたいと思う事を書けないんです。曲げて書かなければならない。書きたいと言う事を書けば、之(首)ですからね。メシを食う為にはどうしても曲げて書かなければならない。言論の不自由ですね。之は新聞屋さんが読んだら、変な顔するだろうがね。

(御論文「⇒ジヤーナリストには言論の自由なし」)

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二月二十六日

(お  伺) 
古田五男の長男春明(五歳)生れた時より、目が青黒くどんより濁り、全然見えないとも思われませんでしたが、三歳頃よりは絵本等も目の側迄持つて来て、やつと赤白の見分けが、つく時とつかない時もある程で、殆ど見分け出来ません。其頃より目の玉の真中にチヨボチヨボが一杯出来、御浄霊を致しておりますと、真中で水腫れの様に白く腫れ上り、一皮むけば直ぐにでも見える様な感じが致しておりました。会長先生の御浄霊を戴き、中京別院にお詣りさせて戴き、少し良くなり、大きな物は二尺位先でもボンヤリ見える時もある様になりました。初めは伏せてでないと寝れず、太陽もまばゆくて見えず、始終下許り見て居りましたが、最近は大変良くなりました。御浄霊の方法及び今後如何させて戴きましたら宜敷いでしようか。又、霊的に関係が御座いましようか。私共夫婦は昭和二十一年七月入信させて戴き、光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴いてをります。尚、この目の時一回丈医診を受けましたが、薬は生れてから一回も入れておりません。右御垂示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は治りますよ。之は、目に毒が固まつているんですからね。之は大分溶けて出つつありますがね。大丈夫ちやんと治りますからね。安心して居て良いですよ。霊的もありますがね。霊的と言うよりか、罪穢れですね。祖先の誰かが人の目を晦ますとか、そう言つた様な目の怨みですね。その為に、その怨みの霊が、つまり膿になつて出るんですね。で、浄霊は目と後頭部の真中頃――そこを浄霊すれば良いんです。それから頸の廻りも、固まりがある処があるでしようから、そこをやると、それで良い訳ですね。

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(お  伺) 
伊藤兼行(三十八歳)二十五年二月精神異常となり、一家九人入信させて戴き、大光明如来様も御奉斎させて戴いておりますので、早速教会の先生に御浄霊を戴き大変良くなりましたが、御法難頃から親類の反対が激しく、本人が家を飛出したり、川に入つたり致し、弟迄も精神病院に九カ月入院し、ペニシリン四十本、其他を致しましたが、一向良くならず、身体全体に浮腫みが来ました。昨年五月末退院し、今日迄御浄霊を続けております。浮腫みも去り、食欲も普通となり、弟も今ではお縋り致しております。本人は昨今極めて無口で、倉庫(旧酒倉)に入りたがります。家族の者が御参拝に出ますと、落着きを失い、酒倉に入つていたり、縊死でもする様な様子になります。生来病弱で肺炎、盲腸炎、腎臓炎、十二指腸潰瘍、胃痙攣等を致してをります。入信以前に六○六号も致しております。入信後疥癬の御浄化を戴き、以来精神異常となる迄丈夫で働いてをりました。先日一信者に、酒倉の中の蛇だと言つて憑依し、今迄出来る丈邪魔していたが、どうしても邪魔する事が出来なくなつたと申したそうです。それから落着きも出て、夜も良く眠れる様になりました。只今でも時々酒倉に入りたがるので御座いますが、蛇と関係が御座いましようか。又御浄霊上の御注意戴きたく右御垂示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は蛇の霊ですよ。之は始終酒倉に居た蛇ですね。それで、酒倉に入りたがるんです。蛇が――殺された怨みですね。それですから、もう一息で治ります。大分蛇も弱つて来ましたからね。それですから、眠れる様になつた。精神病と言うのは、最初は暴れて、それから無口になるものです。それから治る順序になるんですがね。ですから、そう言う順序ですからね。それから、蛇と――六○六号ですね、之がいけない。六○六号をやると、大抵頭が変になりますからね。そうすると、医者は、黴毒の為だと言うんですが、そうではない。黴毒を治そうとする六○六号の為なんです。もう大分弱つて来ているから、もう一息です。浄霊は前頭部――ここに一番憑るから、ここですね。それから頸の廻りですね。頸の廻りに必ず固まりがあるから、頸の廻りと――それですつかり治りますよ。然し、相当年月はかかります。三年や五年かかると見なければならない。気がつくのは、もうじき気がつきますがね。それから又、気がついた様でも、又ヒヨツヒヨツと憑りますからね。それで、すつかり治るのは数年かかるものです。

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(お  伺) 
教師安田憲義(四十四歳)本年一月十日頃より全身的悪寒があり、肛門附近が奇形的に紅腫し二十三日肛門附近三個所、陰部二個所より、驚くべき多量の排膿があり、其悪臭は側の者が嘔吐する位で、其後続いて多量の排膿があり、高熱と食欲不振の為に相当衰弱し、二月になり右足の自由が利かなくなり、毎日午前三時頃無数の霊に頼られ、全身的痙攣をし、油汗を流し苦しみましたが、善言讃詞を奉誦させて戴き苦痛はなくなりました。其後小鼻を打ち、視力衰え危篤状態となり、二月十日御守護御願い致し、紐状の膿を排泄し楽にさせて戴きました。その時死亡の場合を考え医診を受けますと、敗血症と肛門周囲膿漏であると言われました。現在右足は多少動く様になり、排膿後は食欲は一杯半位頂き、視力は元通りになり、白色又は赤色のヌラ状の排膿が続き、排泄口は肉が盛り上つて参りました。三日前より左足裏に気味悪い熱さを感じます。右は痔瘻によるカリエスの膿の排泄で御座いましようか。御浄霊の個所及び今後如何させて戴きましたら宜敷う御座いましようか。尚、本人は八年前に入信し、光明如来様を御奉斎させて戴いてをります。

〔御  垂  示〕
肛門周囲――之は病名じやない。説明だな。周囲に違いないからね。痔瘻によるカリエスなんてありませんね。カリエスと痔瘻は違います。之は結構です。体中の毒が肛門の附近や下に集まつて来て出るんですから、之は上等ですよ。大変なお蔭だ。それに、峠はもう過ぎてますから、あとは日数の経つに従つて、段々良くなります。あと、食欲だとか、みんな熱の為ですからね。結構です。もう少し経つとずつと良くなります。それから痔瘻と言うのは、やつぱり頭の薬毒ですね。それが下りて来て肛門から排泄され様と言うんで、それを放つたらかして置くと、痔瘻なんかにならないんです。痔瘻はお医者が作つたんです。つまり切りますね。すると、お隣に腫れて来る。そうすると、又切らなければならない。すると、又お隣に腫れて来る。だから、終いに蜂の巣みたいになる。それに手術したあと、消毒薬をつけますからね。それが、又一つの因(モト)になつて来る。あれは医療が作つた病気ですからね。カリエスと言うのは、肛門からは膿が出ません。臀部とか股とか――そう言う処から出ます。

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(お  伺) 
教師可児正則の妻すみ子(三十三歳)入信前ノーシンを常服致し居りました。昭和二十二年卵巣膿腫で手術し、全快しない中に姙娠した為にツワリが強く、体の衰弱もあり堕胎手術を致しました。それから肋膜で二カ年療養しましたが、良くならず、人に奨められる儘に色々致し、人骨を煎じて二カ月程飲みました。注射はザルブロ、ビタミン数十本を射ち少し楽になりましたが、今度は主人が喘息にかかり、その時より再度御浄霊を戴く様になり御守護戴き主人は税務署を辞して御神業にお使い戴く様になりました。大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴き、初めて農耕の手伝を致し、不思議に働く事が出来ました。処が、首にグリグリが無数に出来、数回膿が出、今ではグリグリが沢山ある儘に口は塞がつております。昭和二十六年十月「大光明」の御守様を拝受致し、痔出血の御浄化を戴き、本年一月頃に左手に激痛が起り、皮膚は蝋細工の様な色となり、血色悪く、体はフラフラとなり、毎日御浄霊を致してをりますが、手の神経痛、腹部の痛み、腹の張り、胸の痛み、足の御浄化で、一進一退で御座いました。二月上旬より、痔の出血は止まり、通じも二回位で軽くなりました。二月十一日「大浄光」の御額を戴きますと、胃の御浄化で、咳が出、痰の様な唾の様なヌラや苦い水が沢山出ました。心臓が苦く床に就いております。現在は頭がガンとして胸が苦しく、胃が空の様な気が致し、口が苦しく足腰がだるくフラフラで、御浄霊を致しますと熱が出咳が出ますが、痰が切れないので苦しみます。食事は軽く一杯三度食べます。尿も良く出、便通も御座います。右御垂示の程御願ひ申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は薬毒の浄化ですからね。色んなものが色んな形で出て来るんですから、その間辛抱していれば、段々良くなりますよ。こう言うのは、段々何時とはなしに良くなりますから、辛抱して居れば良い。別に何うと言う病気じやない。入れたものが出る。それ丈の話です。それから痰が切れないのは、浄霊の見当違いをしている。だから、良く調べて見る。之は自分で体中触つて、調べてみる。熱があるから、そこから痰が出るから解ります。解らなければ、御主人に体を触つて貰へば良い。之も峠を過ぎてますから、もう一息です。

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(お  伺) 
伊東房子(廿一才)昨年八月一日お盆のお参りを済ましてより、毎日午前九時頃から一時間程鳥膚が立ち寒気を催しますので、御浄霊致しますと楽にはなりますが、同じ状態を繰返します。九月に入信させて戴き、其後大変楽になりました(其間食欲は余り御座いません)本年正月より衰弱が目に見えて参り二月には床に就き、最近は腰から下は特に痩せて歩行も困難で御座います。微熱は御座いますが、さしたる苦しみもなく、午前三時頃から咳と痰を催す程度にて、食事は毎回一杯位で御座います。曾て中耳炎にてペニシリン数本致してをります。叔父にあたる者三人程結核で死亡致しております。先日教会の先生より、長男として生れた叔父(二十一才で結核にて死亡)の位牌がない事を教えて戴き、早速御祀りする事に致しました。霊的の関係が御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は肺病で死んだ霊が憑つているんで、出来る丈御神書を読ませる。都合で側の者が読んで聞かせても良いんですがね。そうして霊を救うんです。それで治る訳です。丁度やつぱり――色々、歩けなくなつたりするのは、肺病で死んだ様に、体が色々になるんですね。だから、霊を早く救わなければならない。今言つた様にして、浄霊は前頭部の中心ですね。そこを浄霊する。それから、あとは胸から背中と――そう言う処を浄霊するんですね。それで段々良くなる訳ですがね。で、その状態を、この次あたりに又、質問に書いて来たら良いです。それによつて、又方法をします。

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(お  伺) 
米山伊左衛門(六十六才)昭和二十五年十二月頃より口中に痛みを感じ、医診を受け、血液検査の結果ワツセルマン及び沈降の強陽性の反応が現われ、二十六年七月迄に六○六号十本、ペニシリン二十二本を射ちましたが、極度の苦痛の為に流動食さえ咽喉を通らなくなり、体は衰弱し、夜も苦痛の為に眠れず、医師は之以上の注射は不可能であるとて、レントゲンに八回かかりましたが何等の効なく、衰弱は加わる許りで、遂には舌癌と言われました。以後も苦痛を紛らす為に、強度の睡眠剤を相当量服用致しました。其後遠縁の者よりお道の話を聞き、早速御浄霊を戴き、徐々に快方に向い、九月頃は痛みも取れ、家族と同じ食事を摂る様になり、自転車にて教会にも行ける様になりました。早速入信させて戴きまして、其直後より再び悪化し、現在口中は、左側頬内部と舌の一部が爛れ、外部には左側耳下に固結があります。顎は痺れ頭の左側、肩も左側が凝り、眼の縁が爛れております。食欲はありますが充分食べれません。辛うじて流動食に近い物を摂つており、体は痩せ衰えております。口から特有の悪臭あるヌラを止めどもなく出し、呂律が廻りません。御浄霊は教会から来て戴き、家にても致してをりますが、最近は余り変化が御座いません。尚、住宅裏側に六尺程の楠の古木がありましたのを昭和二十二年に伐倒しました。右御垂示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
沈降の強陽性――血沈じやないかな。レントゲン八回――之は医者に病気を拵えられたんですね。実際、災難ですね。之は医学の被害者ですよ。この人の状態は――之は霊的じやないですね。薬毒ですね。で、左が――ここら(左顔半面)一杯薬毒が寄つて来たんです。ですから、それが段々腫れて行つて、何処かに穴があいて出ますから、それで治るんですよ。だから、別に難かしい病気じやないです。浄霊は誰がしているんですか。

(お  伺)
「教会の先生と家でも戴いてをります。長引いて参りました為、龍神の関係かと思われましたので――」

〔御  垂  示〕
龍神じやないですよ。薬毒ですよ。痛みは結構ですね。赤い処はないですか。

(お  伺)
「中は赤くなつておりますが、外はありません」

〔御  垂  示〕
口はあきませんか。

(お  伺)
「時々あき、膿が出ております。」

〔御  垂  示〕
結構です。癌じやありませんよ。普通のオデキです。浄霊する人の霊力が弱いんだな。霊力が強いと、段々溶けて出ていきます。霊力が強いと、痛みはないんですよ。霊力を強くするには、力を入れない事ですよ。力を出来る丈抜く程霊力は強くなります。未だ、浄霊する人に力が入るんじやないかな。あべこべなんだからね。力を入れると霊力が弱くなる。それから、舌とか口の中の色んなオデキですね。あれは、薬を飲むでしよう。薬を飲む度に粘膜からしみるんです。それが溜つてオデキになるんですね。私なんか、奥の方が痛いんです。喋り方が変でしよう。之は、昔薬を飲んだ時分――四十年前ですね――飲んだ薬が粘膜にしみ込んだのが、時々ここに出て来て痛むんです。そんなに、薬は恐ろしいものです。だから、口の中の全部のオデキは、そう言う風に思つて決して間違いない。

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【御  教  え】
「結核信仰療法」の、この前の次を読ませます。

(御論文「⇒黴菌の発生」のあとの御教え)

之は、以前私は黴菌と言うのは大したものだと言いましたが、その説明です。黴菌と言うのは結果なんだから、結果の――黴菌が染(ウツ)るとか染(ウツ)らないとか、大騒ぎをやつているのが医学なんですからね。今の説は、黴菌は何処から何うやつて発生する、と言う事を説明したんです。浄霊ですね。こうやると、ここ(掌)から霊光が放射されますが、之は光の霊なんです。ですから、ピカピカ目に見える光は、光の体なんです。で、光の霊は今言う様に、目に見えないが、光の体より強いんです。光の体丈なら、レントゲンとか電気とかでやれば治る訳なんですがね。光の霊と体は、反対の働きをする。霊の方は毒素を溶かすんです。体の方は固めるんです。ですから、レントゲンとか太陽燈は、光の体ですから、毒素を固めるんです。レントゲンなんかかけると、豆粒の様にコチコチに固まるんですね。霊の方は溶かすんです。それで、之(浄霊)でやると、霊が行つて、霊の曇を溶かすんですね。溶かすと黴菌が発生しなくなるんです。霊の曇と言うのが黴菌の因(モト)ですからね。ですから、こう(浄霊)やる事は、黴菌を殺す事でなくて、黴菌の発生源をなくする事です。ですから、その点丈でも素晴らしい進歩をしている訳ですね。処が、医学の方では、薬毒で、むしろその曇を増やす様にしているものですね。薬毒の曇と言うのは、薬を作つて、薬から黴菌を発生する様にして――黴菌は医学が作つているんですね。そうして、その黴菌を殺そうとして一生懸命やつているんですから、恐らく、愚と言うか無智と言うか、例え様もないですね。そう言う事も説明して、いずれ目を覚まさせるんですがね。そこで、病気を無くす――病気を治すと言う事は、今言う曇を取る事よりない。曇を取るには、霊の光を放射するよりないんだからね。それを先づ解らせるのが一番ですね。そうすれば、医学と浄霊と、比較が根本的に違うんですね。根本的に違うと言うより、こつちの方は、病気の根本を治す。先の方は病気の根本でなくて、結果ですね。現われたものですね。丁度、同じ理窟ですよ――今、不幸な者が出来ると、それを社会事業――色んな救貧事業、慈善事業、養老院、孤児院だ。何だ彼んだ色んな、保険とか――健康保険とか、災害保険とか色々ありますが――そうしてやつてますが、丁度医学と同じです。あれは黴菌になつたのを殺しているんです。不幸な人間が出来ると言う事が因(モト)なんだから、即ち霊の曇ですね。それを取れば良いんだ。それに気がつかないのと、気がついていても不可能なんですね。だから、メシヤ教と言うのは凡ての因(モト)を解決しているんだから、因を解決すれば、病貧争絶無の世界が出来るんだから、理窟はそう難かしい事はないんです。今の、社会事業と宗教事業のは、今度の新聞に出しましたがね。この前に読んだですね。だから、浄霊に就ては、未だ信者に入らない人に対する説明ですね。今言つた様に説明してやれば、大体解ると思いますがね。

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それから、今再軍備問題が非常に喧ましい。それに就て一寸書いてみたいんですがね。

(御論文「再軍備に就て」)

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之は一寸面白い言い方なんですけれどもね。

(御論文「⇒ジアーナリストには言論の自由なし」)

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之は未だ一寸書足りないですが、非常に為になる事だから、良く聞いて――

(御論文「⇒神様が発展の調節」)【註  栄光一四七号】

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一昨日ですか、今度アメリカから帰つて来た人で、この人はサンフランシスコの講和記念の美術展覧会――あの仕事の中心になつていた人ですがね。あつちで色々の世話をやいて、品物なんかを選んだり、送つたりする事をやつて――繭山と言う人ですが、之は支那陶器では第一人者で、半分位骨董屋的な事をして、あとそう言つた様な貿易をしている。ですから殆ど、あつちの美術館なんかにある日本品は、その人が預かつているんです。それから、アメリカの人に色んな説明なんかを色々やつたんですが、この人も今度こつちの美術館の支那陶器を大いに手伝う事になつてますが、その人の話と――あつちの美術館のカタログとか、そう言う物を沢山持つて来て、私は一通り見ましたけれども、感心する物が無いですね。殆ど、日本品なんてのは贋物許りと言つても良いですね。本当の物は無いんです。随分ひどいです。で、アメリカの人も最近になつて、非常に変つて来たです。以前はアメリカ人なんて言うと、ケバケバしい、唯パツとしていれば良いと、それに贋物を作つて随分送つたんですが、最近随分変つて来て、サンフランシスコなんかでも、一カ月の会期で二十万人から来たんですからね。そんな訳で、大いに開発されて、大分評判が高くなつた訳ですね。そんな訳だから、非常に日本美術に憧がれて、是非今年もやつて呉れと言うんで、愈々日本でもやる様ですがね。サンフランシスコに出したのなんか博物館で見ましたが、一級品は殆どないんです。二級品三級品ですね。それでも、向うでは大変な騒ぎだそうですからね。それから、支那の絵なんかも、写真で見ましたが、之も古いのは殆どないですね。みんな現代画ですね。康煕、乾隆――二百年以前位からのですね。どうしても、支那の絵と言うと宋元ですから七、八百年前ですから、それは無いですね。良い塩梅にそれは日本には沢山あるんですからね。今度の美術館も――何しろ狭いから沢山は出せないが、出せる丈出しますがね。東洋美術としては、支那の陶器と銅器ですね。之は良い物がある。やつぱり美術館の一番良いのは、ニユーヨークの州の美術館ですがね。之は、良いと言うよりか、広く色々揃つているんですね。その次がボストン、ワシントン――それが主なものですね。ボストンは日本の絵画が多いですね。之は四、五十年前に岡倉天心と言う人が、顧問になつて、日本から入れました。大した物は行つてないですね。大体版画ですね――浮世絵ですね。その時分は、日本の古い物なんかを――幾らか手加減したのと、その時分はあんまり売物がなかつた為ですね。それで、日本の品物でアメリカに在る一番良いのは、ボストンの美術館にある。藤原時代に出来た平治物語と言う巻物です。三巻です。之は良い物ですが、三巻の中一巻がアメリカに行つた。富田幸次郎と言う有名な人ですが、この人があつちに頼まれて、今から三十年前――その当時十四万五千で売つたんですね。随分大したものですね。それを非常に大事にしているんです。美術館の部屋の真中の処に棚を作つて――よく、博物館なんかの巻物の様にして――不断は布(キレ)を被せて置く。何故かと言うと、光線が当ると、幾らか色が悪くなる。退色すると言う懸念でね。見たいと言うと、看守が一々来てまくつて見せる。見たら又かける。その位大切にしているんですね。それが日本の美術としては、アメリカでは最高の物ですね。処がそう言う様な物は、日本には――そう沢山はないが、相当あるんです。即ちそれよりもつと良いんで、伴大納言と言う人の画いた絵巻物があるんですがね。それよりも更に良いのには、天平時代に出来た因果経と言う、上に絵が画いてあり、下にお経が画いてある。之は巻物では一番良い物なんです。二百三十行とかいう行があるのですが、あんまり高いので分割したんです。分割して――五十四行宛に分割して、あとは二十、三十、十行宛位に分けたんです。天平時代ですから、千二百年前です。千二百年前に画いた絵が、今画いた様にはつきりしてます。緑青なんかはつきりして、不思議なものです。その位日本の美術品と言うのはアメリカで貴重にしていると言う話をした丈ですがね。時間がないから、話はその位にして置きます。

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二月二十七日

(お  伺) 
小島三十(ミトコ)(五十歳)三男功(イサヲ)(十三歳)昭和二十六年十二月末夜十時頃寝床より飛起き、手を振り目をむいて「恐い」と言い乍ら母親に抱きつき、苦しみましたので、直ぐに病院に連れて行き鎮静剤を射ち一応収まりましたが、正月過ぎてより咳が激しくなり、一月十七日市立病院にて、感冒との事でレントゲンの結果、胸中央縦にズツト白く現われ、縦隔肋膜炎と診断され、家で療養致しておりましたが、再び一月十九日小児科医長の診断で、直ちに入院をとの事で入院致しました。心臓附近の肋膜故水を取る事が出来ないとの事で利尿剤、エフエドリン、強心剤、マイシン等の注射を続けました。其頃よりお道の話を伺い、御浄霊を戴く様になりましたが、医者の手を切れませんでした。二月十日妻が入信させて戴き、先生方より御教え戴きましたが、薬を断切る事が出来ませんでした。二月十九日三回目のレントゲンの結果、水を取る為に胸部に注射針二カ所刺しましたが何も出ず、肉腫と言われ、阪大の癌研究所に入院しましたが、食欲はなく衰弱ひどく、苦痛も激しいので、ラジウム、レントゲン等の治療は無理と言われました。もう運命は決しているとの事に即日家に帰り大光明如来様に一心にお縋り致し、御浄霊を戴きましてより、食欲も出、大変楽にさせて戴きました。私は二月二十四日、功は二十五日入信。二十六日御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。只今の状態は、会長先生の御浄霊を戴きましてより御浄化強く、ひどい喘息の様にせき込みますが、中々痰が切れ悪(ニク)く、呼吸困難の発作が頻発します。尿量は多くなり、軟便五回程御座いました。食欲も少し衰え、食しますと後が御浄化強く苦しくなりますので、控えてをります。入院以来未だ横臥出来ず、坐つた儘の状態で御座います。御浄霊の個所御教示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
肉腫――誤診だね。少し見当違いをしているな。之は胸の――心臓の附近に毒の固まりがあるんですよ。大したものじやないですがね。毒の固まりが――旨く見当がつけば、ドンドン治るんですがね。少しはずれている。見当がつけば、咳も減つて来ます。之は直かに押してみて、こうやつてみて、一番暖かい処――熱のある処、そこをやれば良いんですよ。之は大したものじやないですよ。見当さえつけばドンドン良くなります。医学じや、こんな事が解りませんからね。良い加減な事を言つて、穴をあけて見たら肉腫だと言う。肉腫はこんな処に出来るものじやない。肉腫は肋骨に――骨のある処に出来るものじやない。だから私は、お医者さんに診断して貰うよりか、大工か鍛冶屋に診断して貰えと言う。何故かと言うと、医者は良い加減にやるから、素人がやるより危ぶない。

(お  伺) 
「最初に苦しんだのは、何う言う訳で御座いましようか」

〔御  垂  示〕
浄霊の時か、医者の時ですか。苦しみと言つても理由が違いますよ。医者の時か、浄霊してからの苦しみかです。

(お  伺) 
「浄霊の前ので――」

〔御  垂  示〕
それは、医者は苦しむ様にするからです。医者にかかれば苦しみます。

(お  伺) 
「霊的の事で――その場合は霊的で――」

〔御  垂  示〕
そうです。霊が来るんです。

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(お  伺) 
阿部ヒロ(四十八歳)幼少より腹痛にてクミチンキを十歳頃迄常用致し、二十四歳で結婚、二十五歳で女子を分娩。それより病弱にてアルバジル大瓶二本半位服用致し、家が薬種屋でありました為に、其他種々の薬を多量に服用し、ゲンノシヨウコも二、三年常薬として続けております。二、三年前頃より腰部に御浄化を戴き、一進一退で御座いましたが、昨年十月頃より激しくなり、本年に入り多量の痔出血があり血痰を出しております。最近は体に浮腫みがあり、全身苦しく、痰の出方も困難で御座います。食欲もなく一日に半杯位二回程度で、衰弱も加わつて参りました。夜は特に腹が張り眠れません。御神体、御屏風観音様は御奉斎させて戴いております。御浄霊の重点を御垂示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
アルバジルは悪いですよ。アルバジルで死ぬ人は随分ありますよ。ゲンノシヨウコも悪いな。然し、この人は良く生きてますね。余程生まれつき丈夫な人ですよ。之丈やつて、生きているんだからね。之は、浄霊の重点と言うのはないんですがね。つまり薬毒ですからね。身体全体ですがね。唯、ゲンノシヨウコ丈は、お腹ですよ。然しゲンノシヨウコの中毒と言うのは、しつこいものですよ。だから、問題は衰弱丈ですね。御浄霊する丈は薬が減つて行きますから、それ丈は良くなつていきますが、然し其為に食欲が減つたりするからね。どうしても衰弱するから、それを堪え切つていけば治ります。衰弱で負ければ、どうも危ぶないですがね。で、それは結局薬の分量にありますからね。だから、見当つかないですね。私が薬を飲ましたのなら解りますがね。おまけにゲンノシヨウコやアルバジルなんてのは、極く質(タチ)の悪い奴だからね。お腹が張るなんてのは、一旦薬が固まつたのが溶けて来るんですからね。まあ、小便の出が良いといいんですがね。お腹と腎臓――ここを良くして――それを主にしてやれば良いですね。そうすれば食欲が増えますから、衰弱が少なくなるから、まあ――一番良い訳ですね。

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(お  伺) 
和田フミ子(四十三歳)二十五年十一月発熱し腹に固まりが出来、延髄から後頭部に上つて、凝りが激しく、全然食事も入らない状態で御座いましたが、十二月に御救い戴き、夫婦共入信させて戴き、昨年十二月御屏風観音様をお祀りさせて戴きました。半年余り大変健康に暮させて戴きましたが、秋頃から横に寝ると咽頭部が詰る様で、頭に凝つていく気が致しました。二十六年十一月(前年発病と同日)血痰を五勺程吐き、それ以来毎日四十度近い発熱が現在も続いております。特に咽喉の廻りに最もある様に思われます。肋間、背部、腰が痛み、ねばい唾が引切りなしに出ます。大小便の排泄は少く便秘しております。御浄霊は毎日続けております。又、次男は四歳で、一週間程患い口から血の固まりを吐いて死にました。実父は腹膜炎、母は脳溢血で急死致しました。この事との霊的関係が御座いましようか。又何処を御浄霊させて戴きましたら宜敷いでしようか。尚、昨年十一月頃、町会より貰つて天井に貼つていたお稲荷さんのお札を元に返した事が御座いますが、右と関係御座いましようか。

〔御  垂  示〕
こう言う便秘は構わないです。どうしても――熱で乾くのと、食欲が減るから、便秘しても構わないです。誰が浄霊しているんですかね。見当違いだね。右と関係――之は関係はありませんよ。之は無論薬毒ですよ。こう言う人は、ここ(頸部淋巴腺)から熱が出ますからね。ここ(頸部)がどちらかが腫れてますから、之を良くやつて、その次は延髄のどつちかが腫れてますから、それをやつて、それで熱は減りますがね。若し減らなかつたら、浄霊に力が入るんだ。力を抜いて、そこをやれば、熱は段々減つて、それで治つていきます。大したものじやないですね。肋間、背部、腰――之は、其処をやれば割合に簡単に治つていきます。

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(お  伺) 
赤田修吉(御教え集第三号P29お伺)足がフラフラで歩行も不自由となり、視力が非常に弱り物が見え悪(ニク)くなりました。二十日程前に歩いた拍子に倒れ、その後全身浮腫み、全身がだるくなりました。祖父、父、母、当人共入信させて戴き、光明如来様は一昨年十月より階上床の間に御奉斎させて戴いております。祖父は三十年前より黒住教信者で、今でも階下に出雲大神、天照皇大神、秋葉神社の軸を掛け、祠には黒住教と塩竈神社の御神体をお祀りしてをります。未だ、黒住教に対する執着が取れず、月並祭にもお参り致して居ります。この事は霊的に関係が御座いましようか。又これ等の神様は如何に処分致しましたら宜敷いでしようか。又、昨年秋土蔵の中に家の主と思われる蛇が居たのを、父親が殺して川に流しましたが、その障りは御座いませんでしようか。曾祖父の兄弟で行方不明になつている者があり、祖父の妹が水死(子供と二人自殺)しております。或る本教信者で霊の見える方が、近所(他人)の亀吉の霊が頼つているからお祀りすれば良いと言われますが、未だ祀らずにありますが、やはり祀らねばならないもので御座いましようか。右の事は霊的関係が御座いましようか。

〔御  垂  示〕
蛇――大いに関係ありますね。之は悪いですね。近所(他人)――他人なら祀らなくても良いんですがね。頼つていると言つて――そうしたら、祝詞を奏げてやれば結構ですよ。そうして光明如来様に、救つて貰う様お願いすれば、それで良いです。之は霊的関係があるな。歩行――之は、蛇の霊が憑つているんですね。蛇の霊が憑ると足がフラフラになるんですよ。歩けなくなるのがあります。視力が弱るのも蛇ですね。之は、良く光明如来様にお願いして、早く――殺した蛇が人間に生まれ変つて来る様に、それをお願いすると良い。生まれ変ると言う事が、一番良いんですがね。そうすると、却つて蛇は有難くなるんですよ。殺されて却つて感謝する様になる。それを良くお願いするんですよ。それから、黒住教ですが、之はやつぱり祖父と言う人が自分から、メシヤ教信者になつて、黒住教の御神体を処分したいと言う気持になつてからでなければいけないですね。少しでも執着のある間は処分してはいけないですね。然し、こう言う事も障りになる事はあります。一家の中で、明るくなつたのに、一部分暗くなつているのでね。之も光明如来様にお願いすると良いですね。そうすると早く解決つくんです。二人の自殺――之も幾らか頼つている様ですね。全身の浮腫みなんてのは、この霊が――水死の霊が憑ると浮腫みますからね。やつぱり人間に霊が憑つても――一つでなく、二つも三つも憑る場合がありますからね。然し、之は仏様を祀つてあるんでしよう。

(お  伺)
「左様で御座います」

〔御  垂  示〕
之は救われたくて憑るんですからね。悪意で憑るのではないからね。

(お  伺)
「水死の方は祀つてないそうで御座います」

〔御  垂  示〕
それはいけないですね。早く祀らなければ――早く祀りなさい。そんな事で治る訳ですがね。黒住教の御神体は下に祀つてあるんでしよう。大した事はないですね。光明如来様は二階でしよう。それなら大した事はないですね。

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(お  伺) 
高柳龍子(三年前入信。三十七歳)昨年十二月四人目の出産を致し、御守護により安産でありましたのと、従来の習慣にて、其日より便所に通いました。翌日の御教えに産後の御注意を戴きましたので早速お伝え致しましたが、大して気にも止めない様子で御座いました。四日目に頭部に激痛を覚え、頭が割れる様で十日間続き軽くなりました。産後にも関わらず腹部が膨脹し尿量も少なく、遂に全身に浮腫みを生じ、血痰を激しく吐き呼吸困難を起す様になりました。二回目の呼吸困難があり、御浄霊戴き楽になりましたが、全身的浮腫は取れません。三回目に及び、全身浮腫は以前より甚だしく、特に腹部はパンパンに膨れ下りました。一月末大光明如来様を御奉斎させて戴きました。三カ月に及びますが、変化が御座いませんのは御浄霊の急所が違つているので御座いましようか。又霊的に関係が御座いましようか。尚、姑が入信後亡夫(金光教と禅宗の両方で祀つております)の慰霊の為に金光教会にお参り致しましても差支え御座いませんでしようか。

〔御  垂  示〕
之はいけないな。こんな習慣なんてありやしないですよ。之は、この人の習慣ですよ。尤も、人の道の信者はやりますが、之は嘘ですよ。こう言う事は以前から言つてありますがね。書いてありますがね。一週間は絶対便所に行つてはいけませんよ。頭が割れる様――言う事を聞かないからだ。金光教会に――差支えありませんよ。亡夫は信者だつたんだからね。或いは、未だ金光教に執着があるかも知れないからね。お詣りしても良し、しなくても良し、任意で良いですがね。之は霊的じやない。大して気に止めない――之は、その通りやらなかつたんですか。

(お  伺) 
「致して居りません様で御座います。前三回が非常に楽なお産を致しております為に――」

〔御  垂  示〕
その為です。そのお詫びですよ。それを本人が心からお詫びすれば、それで治りますよ。浄霊は結構だけれども、そのお咎ですよ。信者になつた以上――じやない、メシヤ教の浄霊で救つて貰つた以上――つまり私のやり方を言つて、その通りやらなかつたら救われつこないですね。だから、そのお詫びをするんです。頭に激痛――之は、祖霊さんが戒告したんです。それでも気がつかないんでお腹が膨張したりしたんです。それで治る訳ですがね。本人が心からお詫びしなければ駄目ですね。

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【御  教  え】
「⇒結核信仰療法」の、次を今日は読ませます。

(御論文「⇒医学が結核を作る」「⇒結核は感染しない」)

今の風邪の原因や何か、少し堅苦しく書いてありますから、解り悪いと思いますが、解り易い様にくだいて書いてあるんですがね。

(御論文「⇒体内の入浴」)【註  栄光一四七号】

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それから、再軍備の問題が大分喧ましく言われているので、一寸書いて見たんです。

(御論文「再軍備に就て」)

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この間、アメリカの美術館を視察して来た人の話を色々聞いたんです。此人は、講和会議の時にサンフランシスコの展覧会の時の係りの中心になつていた人です。之は繭山という人で、支那陶器専門の商人ですがね。この人はそう言う方面では有名な人で、信用出来る人です。その人があつちの美術館の、色々な写真や図録――そう言う物を持つて来たんです。すつかり見ましたが、どうもあんまり感心した物はないですね。支那陶器と――陶器ですね。それは相当良い物がありました。日本に無い様な良い物も若干ありました。だから、日本の美術なんて幾らもないです。偶々あれば殆ど贋物ですね。写真でも贋物が解るんですからね。私は聞いて見たんです。日本の美術品で一番良いのはなんですか――アメリカでね。之はニユーヨークの美術館ですかね。之がアメリカでは一番凡ゆる方面を揃えてあるんで良いんだそうです。で、ボストン美術館にある藤原時代の平治物語と言う巻物――三巻あるんですが、その内一巻丈――先の、岡倉天心が顧問になつて、日本の主に絵画の良い物を集めたんですがね。それでも、岡倉先生のは現代物が多くて、古い物はあんまり無いんです。その次の人が富田幸次郎で、今から三十年位前に、平治物語の三巻の中の一巻丈を売つたんです。その当時で十四万五千と言うんだから大したものです。それが、アメリカにある日本の美術品で一番良い物です。非常に貴重な物で、不断はそこに幕をかけてあるんです。それは少しでも光線が当ると、それ丈退色すると言う懸念からそうしたんです。それで其処に行つて、見たい人は一々頼むと、布(キレ)を取つて呉そて、見て了うと直ぐ元通り布で隠しちやう。と言う様な、それ程丁寧に扱つている訳ですね。今の平治物語は、日本では一番良い物じやないんです。日本で一番良い物は天平時代に出来たものですね。今のは、藤原時代ですから八百年位前ですね。天平に出来た因果経と言う巻物は、千二百年位経つているんですがね。で、因果経は今は切つたんです。お経が全部で二百三十何行かあるんですが、五十四行宛に三つ切つて、あとは十行、五行、三行位に切つた。之は、日本に於る絵巻物では最高の物です。その次が伴大納言と言う人の画いた絵巻物で、その時代の風俗を画いてある。之も良い物です。酒井家にあるので、三巻ある。その中の一巻を、頼んで出品して貰おうと思う。その次が、博物館で持つている地獄絵巻と言うのがありますが、之は、今のアメリカの平治物語の一部なんです。そうして、そんな様な具合で、日本の美術品を非常に憧がれている。この間のサンフランシスコの展覧会の時なんか、あれを見て非常に驚いちやつた。あんな良い物を、未だアメリカの人は見た事がないんですね。それで今年も是非ニユーヨークの美術館でと、多分今準備していると思いますがね。今ロスアンゼルスで支那陶器の展覧会をやつてますがそれが済んだら、日本の絵画をやるんです。処が、去年のサンフランシスコの展覧会のは、博物館で見ましたがね。一級品は殆どない。二級品か三級品ですからね。それですらアメリカの人は憧がれるんですからね。如何に日本美術に関心を持つているかと言う事が解るんですね。で、そんな訳で、この間も言つた通り、日本には日本美術と言う物は、見る機会がなかつたんですからね。見る機会がないと言う事は、終戦迄は、みんな良い物は――名品は財閥の土蔵の中、旧大名――そう言う倉の中に仕舞い込んであつて、見せないのを良いとしてあつた。だから偶々見せると言つても、自分達の好きな仲間とかに、自分が持つている物の中から、良い物を偶に見せる位なもので、一般人が見ようと思つても、到底見る事は出来ない。それが終戦になつて、ああ言う階級が没落したりそれにもつていつて、財産税や何かで、どうにもしようがなくなつて、ああ言うのを出した訳ですね。私は特殊な物丈は手に入れましたがね。そう言う訳で、今迄是非見たいと――聞いたり、目録等で見たりして知つた人が、見たいと思つても、中々見られなかつた。そう言う物を今度の箱根の美術館に相当並べますからね。みんな相当喜ぶだらうと思います。外人でも、日本美術はこんなに良い物かと言う事が解ると思います。この間のサンフランシスコの展覧会と言つても、仏教美術が多いんです。やつぱり一部の人しか解らないですから、一般には理解が出来ないですね。それから桃山時代の屏風なんか出ましたが、大分アメリカ人なんか大騒ぎをやりましたが、之もそう良い物じやないんです。名人の傑作と言う物じやないんです。光琳の屏風の白地のあつさりしたのがありましたが、之も大した事はない。あとは、日本の陶器や蒔絵なんかは殆ど見るべき物がなかつたです。そんな様な具合で、今度の箱根の美術館は――何しろ狭いからね。種類を多く並べられないので、いずれは熱海に大きいのを拵えますが、之なら沢山並べられると思います。だから、種類はたんとないが、良くも之丈集められたものだ、と言う丈の評判は得られると思うんです。未だ色々話たい事がありますが時間がなくなつたからね。

(教七号  昭和二十七年三月二十日)