舌に代えて

今回本教宣伝班が山陽地方へ布教旅行に就て、私の原稿が欲しいというのでかいてやったのが、左の論文であって、茲に掲げる事としたのである。

私はメシヤ教々主岡田茂吉であります。実は皆さんに直接お話したいのでありますが、そういう訳には参らないので、残念乍ら原稿にして読ませますから、その御心算(オツモリ)で聴いて貰いたいのであります。

抑々我メシヤ教は、名は宗教でありますが、単なる宗教ではなく、宗教はメシヤ教の一部なのであります。というと大言壮語のようでありますが、決してそうではなく厳たる事実であって、之を具体的に言えば病貧争絶無の世界、即ち此世に天国を造るという一大事業であります。そうして読んで字の如く、病を無くし、貧乏を無くし、争いを無くすというのであるから、丸で夢のような話でどんな人でも其儘信ずる事は出来ないでありましょう。

茲で先づ人間誰もが共通している欲望でありますが、言う迄もなく幸福の二字でありましょう。恐らく精神病者でない限りどんなに欲のない人間でも、幸福は要らないという人は一人もありますまい、昔から宗教も、学問も、政治も、教育も、芸術も何も彼も其目的とする処は、人類の幸福にあるのは余りに分り切った話でありましょう。処がです、之程進歩した文化時代になったにも拘わらず、果して予期した通りに幸福を得られたでありましょうか、仮に今人間の一人々々に訊いてみても分る通り、俺は幸福だという人が、唯の一人でもあるでしょうか、実に危いものであります。

皆さん、此事実に直面して考えてみて貰いたい事は、之程幸福追求の為、永い間一生懸命苦労して来た甲斐もなく、幸福処ではなく反対に不幸に取巻かれているのが今の人間の姿ではないでしょうか。事実一般は何時大戦争が始まるか分らないという不安、月給取りは斯う物価が高くてはやり切れない、商人は金詰りの苦しみ、農民は肥料代、虫害、風水害に悩み、其為我国は一カ年二千万石も不足し、輸入米の代金千数百億というのであるから大変で、其他一般的税金の苦しみは御承知の通りで、搗(カテ)て加えて一番厄介なのは病気の心配でありましょう。恐らく病気程恐ろしいものはありますまい。何しろ一つよりない大事な命取りになるからであります。右の如くザット記いただけでも此位で、何処を見ても不幸は山のようであって、幸福などは影も形も見えない有様ではありますまいか。

以上によって先づ考えなくてはならない事は、一体全体人間には幸福というものは、未来永劫得られないものでありましょうか。実に之程痛切な問題はないでありましょう。処が神様の御目的はチャンと決っているのであります。驚いてはいけません。愈々幸福に満ちた世界を御造りになる時期が来たのであります。そうして其構想たるや今迄の物質文化の面だけであった世界を、今度は精神文化の面をも急速に向上させ、両々相俟って愈々地上天国が出来るのであります。之に就て今一つの知らねばならない事は、今迄無神思想が蔓延(ハビコ)っていたので、之は物質文化を発達させんが為の或期間であったのが、之が打ち切りになって有神思想になるのであります。つまり無神有神の入れ換えになるのであります。そこで神様は先ず幸福世界にするには不幸を無くす事が第一で、不幸の最大原因は病気でありますから、人類から病気を絶滅し病なき世界にするのであって、之だけで目的は達せられるのであります。

茲で我メシヤ教の生れた理由をお話しなければなりませんが、前述の如く全人類待望の幸福な世界をお造りになる為に、主の神即ち別の御名エホバ、ゴット、ジュース、天帝、仏陀、天御中主神等で、大経綸をなされるので、其担当者として私という人間が選ばれたのであります。そうして先づメシヤ教という機関を造り、最後の救いを実行されるのであります。然し此事は昔から已に偉い聖者達が予言されてあります。彼のキリストの天国、釈尊のミロクの世、日蓮上人の義農の世、天理教々祖の甘露台の世、ユダヤ教のメシヤ降臨等々がそれで、之も世界に知れ渡っているのであります。してみれば此大事業も来るべき時が来たのであって、今初めて私が唱え出したものではありません。

そこで前申したような、病気を根絶する為、本教は病気治しに最も力を注いでいるのであります。博士から見離された病人でも、本教信者になれば、誰でも治す力を与えられるのであります。此力こそ主神から私を中継ぎとして、信者に伝達されるものであって、之によって病無き世界は必ず実現するのであります。皆さん、此様な大きな事を堂々と言う私は如何に確信があるかを想像して貰いたいのであります。若し之が少しでも偽りがあるとしたら、必ず暴露して大変な罪を作った事になり、世の中から葬り去られるのは必然でありますから、そんな馬鹿な事は真平御免であります。

以上によって大体お分りになったと思いますが、要するに本教は幸福世界を造る大事業であるとしたら、世界は個人の集合体である以上、先づ個人々々を幸福にする事が先でありますから、其通り本教信者になれば一日々々幸福となり、天国的家庭が作られるのであります。之こそ真の安心立命であります。そうして本教程奇蹟の多い宗教は、昔から類例がないとされております。奇蹟の多い宗教程価値も大きいので此点からみても分るでありましょう。まだ色々申したい事がありますが、余り長くなるから、今日は之だけにしておきます。左様奈良。

(栄光百四十八号 昭和二十七年三月十九日)