神様が発展の調節

之は信者は誰しも思う事であるが、メシヤ教位素晴しい宗教はあるまい。之程進歩した医学でも治らない重難病が、片ッ端から治ってゆき、又色々の有難い奇蹟が続々顕われ、全く一家全部が救われて、天国となるので、今迄之程偉大な宗教は、見た事も聞いた事もないので、どうかして一人でも多くの人に分らせ、自分のように安心立命の境地にしてやりたいというのが、誰もが痛切に思っている事であろう。

中には余り思い過ぎて凝乎として居られず、随分熱心に親戚、知人、友人等に勧めるが、仲々オイソレと信じようとする人が少ないので、之は俺の説き方が悪いのか、それとも神様の思召に叶わないのか、自分に罪穢が多過ぎる為ではないかなどと、気を揉む人も随分あるようである。又支部長などで、どうも思うように発展しないのは、何処かに原因があるに違いないから、それを知りたいと考え、喘ぐ人もあるのをよく耳にするが、之も無理はないが、それに就て私の経験をかいてみよう。

私が最初此仕事を始めた時には、宗教ではなく民間療法であったから、今でさえ医学の間違いや薬は毒だ等と言っても誰も本当にする処か、頭脳を疑われる位だから、况してや其頃としてはウッカリ医療に就ての非難めいた事を言うと、直ぐ警察から喚び出されるので危くて仕方がない。其様な凡ゆる困難の中を、兎も角切り抜けて来たのであって、それが今日の発展の土台となったのであるから、よく考えてみれば、如何なる職業でも三年や五年で一人前になるのは滅多にない。どんな職業でも先づ十年以上掛かるのは通例で、世間を見ればよく分る筈であるにも拘わらず、本教信者となるや、一年も経たない内に、立派な先生となり、相当の収入も得らるるので、恐らく此様な素晴しいお蔭はないであろう。それらもよく考えてみるべきである。

そうして本教は地上天国を造るのであるから、何よりも先づ自分一家が天国にならなければならない。それには先づ自分自身の心が天国になる事で、心の天国とは心に苦悩のない状態である。という訳で焦るのも苦悩なら、思うようにならないと煩悶する悩みも地獄であるから、少なくとも苦悩から脱却する事である。それには感謝によって苦悩を打ち消すのが一番いい方法で、つまり心の中に地獄を作らない事である。それに就て心得べき事は従来の凡ゆる宗教は信仰の苦しみを可いとしている。中には態々苦しみを求める信仰さえある位で、世界的大宗教であるキリスト教ですら、歴史をみれば、殆んど苦難で開いている。そういう事が一般人の頭にあるので、本教信者になってもそれが附纒って離れ切らない。

右は全く今迄の世の中は、夜の世界即ち地獄世界であったから、仮令立派な信仰者となっても、地獄の苦しみから脱却出来なかったのである。処が愈々夜は終りを告げ、茲に昼の世界とならんとしている今であって、而も本教が指導者となって天国を造るのであるから前述の如くどこ迄も地獄を造らないよう、天国を心の中に築く事である。

(栄光百四十七号 昭和二十七年三月十二日)