御 教 え 集 第六号

一月一日

【御  教  え】
今日はお天気が良し、暖かで――結構なお正月と言うんでしよう。つまり、気候や天気と言うものは、人間の心が写るんだから、まあ――何ですね――世界大戦も、この分じや当分大丈夫だろうと言う安心感が――今年は、講和にもなるし、人間の心がそれ丈――安心感が陽気に写つたと言つて良いですね。それから一寸、時局のことをお話しますけれどもね。大体、朝鮮問題にしろ、凡る問題にしろ、米国とソ連との争いですね。争いと言つた処で、ソ連の方が喧嘩ふつかけて、米国の方が相手にならざるを得ないと言うのが実際ですね。処が、最初北鮮軍が、えらい勢でやるのはやつた。或程度成功したけれども、結局アメリカの力ですね――力に押しまくられて、段々段々手も足も出なくなつた。と言う訳なんで、又根本から言うと、一つの大きな希望と言うよりか、試しにやつて見ると言う――米国が何の位力があるか、或いは自分達の方が――中共の方が、何の位力が出せるかと言う事を、ソ連が試しているんですね。試したと言つて――あわ良くば、大いに世界制覇をやろうと言う様な――そこ迄は中々いきそうもないから――之以上やつたら、自分達の方が損だから――駄目になるから、その辺で妥協するんじやないか――つまり、この辺でグジヤグジヤにして了おうと言う様な考えで、停戦――休戦交渉と言うものは始めたんです。それで、ソ連の方の腹の底の底は、出来る丈アメリカの力を弱らせ様と言う――要するに消耗戦術ですね。その方策が一貫している訳なんです。ですからピタツと平和にして了つては駄目なんです。だから、朝鮮問題にしろ、只々引延ばしに引延ばして、すつかり平和の握手もしないで、そうかと言つて、戦争で闘う様にもしないと言う――旨くアメリカを操つて――そうして中東ですね。あの辺も、今中々ゴテゴテしてます。大分フランスなんか景気が良いですが、あれも相当アメリカの援助の為なんです。それからイラン、イラクですね。あの辺なんかも――あれは英国ですね。英国の力を弱らせる為です。それからエジプトとか――そう言うのは、一筋の脈があつて、操つているんですが、そんなこんなで段々アメリカの力を弱らせて――そんな様な意味からは、成功してますね。アメリカがヨーロツパ統一軍を作る為――整備する為の金も大変なものです。それからイラン、イラク、エジプトの問題も、その為にアメリカが直接、何うと言う事はないが、あの為に英国が非常に打撃を受けている。英国が打撃を受ける為、英国が非常に財政逼迫すると、何うしてもアメリカが助けなければならない。英国のチヤーチルが、トルーマンと会議をしますが、結局は金なんです。金を、一つ貸して貰いたい――融通して貰いたい。こう言う訳なんです。それは、結局アメリカの財政に間接に響くんです。そう言う風にして、段々アメリカを弱らせると言う根本を考えていけば、之からの世界の動きと言うのは分るんです。そうしてソ連の腹の底は、充分弱らせに弱らして、それから一挙にやろうと言う計画です。ですから、一方で弱らせる方法を採つて、一方で戦備を段々充実する。飛行機の数なんか、余程出来ているらしい。それから、ソ連の何とか言う素晴らしい爆撃機ですね。あれはアメリカより性能が上なんですからね。アメリカも、今飛行機が随分やられてます。B29は駄目になつちやつたですからね。それ以上のものをアメリカで拵えてますね。そんな様な具合ですから、今後の世界を見れば、今言つた様な事を頭に入れて見れば、大体は解る訳です。それも之も、五六七の世の前の、一つの――世界を片附けて、清算するんですね。その大きな現われなんです。我々の方は大して問題にはする必要はないんです。まあ――参考に知つて置く位で良いですね。

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それから、今お話しようと思うのは、大体今年には変りないが、今年から特に、信者の人は、方針と言つては変だが、今迄知つては居乍ら、どうも実行し得ない点ですね。その二、三の事を、今年の座右の銘とでもして聞いて貰いたい。何時も言う通り伊都能売ですね。伊都能売の働きにならなければいけない。と言う事は、つまり大乗と小乗――大乗が緯で、小乗が経ですからね。それを結んだ真中が伊都能売だと、始終言つてますが、処がどうしても、大乗になつたり小乗になつたり、片つ方にずれちやうんですね。結ばない。結べないんですね。そう言う人が沢山ある。之が根本なんですよ。メシヤ教の意味と言うのは。そこにあるんです。今迄の宗教は、みんな――経か緯かなんです。どつちかです。結んだものは一つもない。結んだ宗教はないんですからね。之は宗教に限らず、みんなそうです。今の米・ソの問題もそうです。ソ連は経で、アメリカが緯で、之はいずれは結ぶんですが、今は結ばないで、両方が極端な考えでやつてますから、その為に多くの人類が犠牲にならなければならない。そう言う訳なんです。で、経と緯を結ばないと極端に行つちやうんです。その点がいけないんです。それに就いて――今朝も「おぞうに」を食べる時、モチがブツブツで、装(ヨソ)うと一つのおモチが、五つにも六つにも分離している。纒まつていない。何故かと言うと、明主様が良く舂いたのはお嫌いだから、成る丈ザクザクした方が良いと言うので、舂かな過ぎちやつた。だから私は言つたんです。このおモチは明日からお茶漬けに食べると言つた。みんな分離して了うんですからね。お茶漬けに丁度良いんですよ。之も極端なんですよ。私は、あんまり良く舂かないのを好きですからね。そうするのを、あんまり極端にやつちやつた。それから、明主様は歯がお悪いから、薄い方が良いと言うので、こんなに薄くしちやつた。だから余計ザクザクです。お前達もそうかと言つたら、いいえ違います。見た処――自分達は、こんなに厚いのを食べている。舂き直しましようか、と言うから、元日早々舂く奴が――と言つた。明日から、お前達の食べるモチを食べさせて呉れと言つた。つまり、之が極端なんです。で、之がやはり伊都能売でないんですね。だから、凡ての問題について、やはり経緯結ぶ――丁度真中ですね。それに行かなければならないですね。処が世の中の事を見ると、何うしても結びの処にいかないんです。この間も、ラジオの政治問題ですね。自由党、民主党、社会党のね。その幹部の人が、みんな、自分の党に就いての披露や何か喋りましたが、之を良く見ると、やはりどつちかなんです。丁度良い処になつてないですね。大体、資本主義とか社会主義とか言う事が、違うんですからね。資本主義でもいけなければ、社会主義でもいけない。又どつちもなくてはいけない。そこの――何でもない様な事で、一寸難かしいんですが、難かしいと言う事は、今迄偏つた事の癖がついてますからね――人間は、そこで、両方混ぜると言う事が、非常に難かしく考えるんです。実は易しいんです。ですから、私は何時でも、お菜を食べる時に、甘いか辛いか――どつちか多いんです。そこで、何時も教えるんですがね。甘からず辛からず――中位の味が良いんだ。中々難かしいですねと言う。いや難かしくないんだ。私などから言えば、非常に易しいんだ。良く言うですね。どうも、実に陽気が悪い。何故と言つて、寒い様な暖かい様な――どつちにして良いか解らない、と。然しそれが一番良いんじやないか。つまり、そう言う――今迄の人間の思想ですね。或いは習慣とか、凡てそう言うものに、皆んな慣れないから、どつちかに偏つちやうんですね。ですから、信仰も片つ方は馬鹿に窮窟な、真直な信仰ですね。大変良い様ですけれども、そうかと言つて、片つ方は馬鹿に融通がきいて楽そうで、どうも――あれで信仰は良いものかしら、あれで信者かしらなんて言う人がありますから、やつぱり両方偏るんです。そこの旨い調和ですね。そう言う風な一つの修業ですね。今迄の修業と言うのは、恐ろしく骨の折れる、苦しいのが修業と思つているが、之はそうでない。却つて楽になる修業ですね。やり良くなる修業ですね。そう言う事は、一番肝腎な事として、その修業をやられたいと思うんですね。

それから、凡ての信仰的の考え方ですけれども、やつぱり今と同じ様に、自分も良し人も良し、人も良し自分も良し、と言うのでなければいけないですね。よく、戦争時分なんかも、滅私奉公なんて言いましたが、あれはいけない。極端ですね。滅私と言うのは、自分を滅すと言うんだからね。自分が無くなつちや、奉公なんか出来ない。然しあれは、私を滅すると言う――私利私欲を無くすると言うんでしようが、之もやはり極端です。だから、伊都能売式に言えば、人も良し自分も良し――之でなければ続くものではない。自分丈は犠牲になつて人は良い、と言う事はいけないし、人を押しつぶしても自分が良く、と言う事もいけないですね。両方が良くなければならない。そんな旨い事が出来るかと言うが、出来るんです。むしろ、自分が良ければ人も良い、と言うのが出来安いんです。今迄は知らなかつたんですね。大本教のお筆先にこう言う事があつた「人良かれの信心でないと、神の気持にかなわぬぞ」人良かれ――之は旨い言葉ですね。それから「今の世は、自分さえ良ければ人は何うでも良いと言うむごい心になり居るから――」とある。ですから、大本教では「我良し信心」と言うのがありますね。之は勿論いけないですね。私の信仰雑話にある通り、自分が幸福になりたければ、人を幸福にする。何処迄も愛ですね。他人を幸福にすると言う――之が欠けていてはいけない。之が伊都能売になる。自分を捨てて人許り良くすると言うのも極端で、自分さえ良ければ人をぶつつぶしても良いと言う――之も極端です。

それから――今日はお説教じみた事が多いですけれど、邪神ですね――邪神が中々活躍しているんですよ。この間も言つた通り、邪神と言うものは、信者を一番目掛けている。処が信者は、自分は神様の御守護があるから――邪神は信者でない者に憑いて、そうして邪魔すると――こう言う風に思い勝ちなんです。そう言う事はあるにはありますが、処がそう言う邪神は、極く力の弱い邪神なんです。邪神の方のへつぽこですね。処が邪神の方で、力――腕のある奴は、信者に憑るんです。之が怖いんです。それで――憑つても、決して悪い意味じやない。信者ですから、間違つた事や悪い事を考える事はしない。「之が良い。こうするのがお道の為になる」と思わせると言う――之が怖いんです。そうすると、之が教団の為になると、その人が思つてやるが、それが知らず識らず、教団のお邪魔になつたり、不利益になつたりする事が良くある。ですから、邪神を気をつけるのは自分ですよ。自分のやり方は、邪神にやられているんじやないかと、審神(サニワ)するんですね。そいつは大いに必要です。ですから、そう言う場合に、よく――こうした方が良いか、ああした方が良いかと迷う時があるが、そう言う時は大乗で見ていくんですね。教団全体から見て何うかと、処がどうも――人間と言うものは、自分達の会なら会を盛大にしようと言うんですがね。それは大いに結構ですがね。その位の自信を――優越心がなくてはいけないですが、その為に他の教会なら教会に影響させて、自分が良くなろうと言う――この点がいけない。ですから、自分の会も良くし――他の会も良くなると言う様な意味から言えば結構ですが、そう言う時に、一寸自分を審神(サニワ)するんですね。自己批判ですね。難かしい事はない。直き解る。そう言う時を狙つて邪神がよくやりますからね。だから、その点を改心するんですね。

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そう言う話はその位にしておいて、昨日箱根に行つて美術館を見て来たんですが――おかしいんですよ。私が『今日箱根に行こう』と言い出すと、直ぐに曇つて来て雨が降つて来た。どうしても箱根に行く時には雨が降るんですよ。之は何時も言う通り、箱根は火ですからね。火は水によつて火力を増すんですから――そこで、非常に結構な事です。それが、余りにはつきりしている訳ですね。この事は、私の身体でもそうなんです。私は、今でも湯に入りますが――入ると、私はぬる好きですから――相当ぬるいんです。普通の人より、喫驚りする位ぬるいです。そうして出てからどうしても、裸で一時間居なければ熱くてしようがない。着物を着られない。何故かと言うと、私の腹の中に、光の玉ですね。つまり火の玉です。之がやつぱり身体全体に光がありますから、湯に入ると、その水分によつて熱を増すんですよ。それで熱くなるんですね。それと同じ様に、つまり箱根は、要するに水力が無くちやいけない。大いに火力を強める為ですね。それで雨が降る。こう言う訳なんです。美術館も、大体骨組み丈は出来て、あとは壁を塗れば出来る位のものですがね。何しろ、ああ言う建築は割合簡単ですからね。始末は良いです。色んなややこしい事がないですからね。で行つて中を見て驚いたのは、案外広いんですよ。そう沢山陳列出来ないかと思つていた処が、どうしてどうして中々品物が沢山陳列出来るんです。ですから、すつかり陳列したら、無論日本一ですね。皆んな喫驚りする訳ですね。で、堂々たるものです。私はあんなに立派になろうとは思わなかつたですね。中に入つて見ると、個人――個人て、教団ですけれども、一寸政府とか市とか――そう言うもので建てた建築みたいに思われるんです。実に堂々たるものです。それで、部屋の取り方や何かですね。そう――非難したり、欠点がないんですね。丁度良い位です。そんな訳で、私も非常に満足したんですが、今度は――建築は良くても、肝腎な、中身ですね。之が良くなくちやいけない。中身も、やはり神様がやつて居られるから、非常に旨く行く。素晴らしい物が並べられるんです。之は、中々――買い切つて陳列すると大変な金ですから、それは出来ないけれども、つまり偉い――元の財閥とか、それから華族とか――そう言う人達があつて、皆んな有名な品物ですから――売ると、直ぐ税金に関わつたり、信用に関わるんですね。あそこの家は、あれを売る様じや、もう駄目だと、信用に関わるから、売ると言う事も出来ない。そうかと言つて、金は欲しくてしようがないと言う家が沢山あるんです。そこで私は、売らないで、幾分金を出すんですね。そこで、損料を支払つて、美術館が出来たら、借りると言う様にすると、非常に具合が良いんですよ。で、今そう言う様な話を進めていますがね。そうすれば、先方も出品するんですからね。何にも差障りないんです。それも、設備の悪い怪しげな家では、名誉に関わるから具合が悪いが、こつちは聊かもひけ目はないから、むしろ喜んで応じるだろうと思います。それから京都、奈良のお寺でも、財政に困つている。そうかと言つて、寺の物を売る訳にもいかないで困つている。そう言う処も、相当なお礼をして借りると言う事も、割合旨くいきそうなんです。ですから、そう言う様な具合にして普通見られない様な品物を出来る丈陳列する積りです。出来上つたら、日本中の評判になると思つてます。今年の教団の大きな仕事の、最初の現われとしては美術館ですね。之はいずれ熱海に出来る。もつと、ずつと素晴らしいものです。箱根はその一つの見本の様な――試験的の様な意味で造つたんですが、それでさえ、今言つた様な具合ですからね。いずれ熱海に出来るのは、之は世界的なんですね。外国にも無い様なのを造ろうと思つてます。然し、之は中々大変な金ですからね。愈々となる前に、神様が何とかするだろうと思つてますがね。然し、こう言う事も、之は普通じやそんな事は言えないですね。大変な金を、その時神様が何とかするだろうと、そんなノンキな事を言つて居られない。処が、そう言う点は安心なもので、必要のある時は神様がちやんと、金の入る様にして呉れますから――そんな訳で熱海の方も、出来る様な――敷地ですね。敷地なんかが、皆さんは始終行つて見られているでしようけれども、中々規模が大きいんですからね。非常に暇がかかるんですよ。人から見ると早い早いと言いますが、私から見ると、中々暇がかかる。仮りに、今やつているのは「ツツジ」の山ですが、植木屋が急いで「ツツジ」を植えちやつたんですが、見ると、どうも山の形が気に入らない。それでしようがないから、抜いて一時仮植えして、山の形を直そうと、今拵えにかかつてます。そんな様な具合で、思つた様にやるのは何だ彼だ――色んな、思いもつかない様な手間がかかる。処が、それが段々出来て来るんです。熱海の方の敷地丈出来る様になるのに、かれこれ今年一杯はかかるんじやないかと思いますね。早くて八月あたりですね。それから、桜の山を作るんですが、之は来年以後になるでしよう。今年では、未だ手をつけられない様です。幸いそう言つた、その方の土地は約束は出来てますからね。今の桜の山も「ツツジ」の山よりずつと大きいんです。何倍と言う大きさです。規模も、今でも大きいですが、神様は中々大きいんです。それから、大きい――色々計画されるんです。実に、微妙と言うか面白いと言うか、それは何う言う訳かと言うと、隣なら隣の地所を買つて呉れと言つて来るんですよ。そうすると、それが手に入ると、成る程良い形になると言う様な――そう言う事が始終ある。ですから、先ず敷地があらかた出来て、最初メシヤ会館が、それから展望台と、それから祭典の時や何かの準備する処ですね――役員なんかがね。そう言う処を、展望台の後に造ろうと思つている。展望台に、一番最初私の住居を拵える積りでしたが、私の住居を拵える処は、別に良い処が見つかりましたから、祭典の準備をする処にと思つている。そんな具合で、会館と展望台は一ぺんに出来ちやうと思う。展望台の方は造作ないですからね。唯、ガラスの半円形の物を造る丈ですからね。それが一段落して、美術館の方になる。そんなこんなで、早くて来年の暮あたりになるが、それ迄に敷地を充分準備して置こうと思つている。まあ、そう言つた様な、今年の仕事の概略です。

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その他に、この間も言つた通り「結核の信仰療法」と言う本ですが、之は今迄の本と違つて徹底的のものなんです。今迄私が、医学や健康に関して色々書きましたが、之は思い切つて書けなかつたですね。どうしても――あんまり刺戟して、面倒な問題なんか起つちやいけないと思つて、或る程度緩和して書いたんですけれども、そんな事を言つちや居られなくなつて来たですね。結核なんて言うのは、年々増えていくんですからね。之は打遣らかして置けなくなつた。そこで明らさまに、私の思つた通りに、本当に書いたんです。何しろ、結核はお医者が作つている――増やしていると言う事ですから――何と言うか、お医者に対する――医学に対する挑戦ですね。原子爆弾をぶつつける訳ですね。それで、出来上つたら、日本中の大学、医師会、病院、療養所、それから著名なお医者さんとか――そう言う処に、みんな配ろうと思つている。今迄は、成る可く刺戟を避けて、信者を主にしていたが、今度は敵の本陣に向つて爆弾をぶつつけ様と言うんで、きつと相当なセンセーシヨンを起すと思いますね。何の程度かは、今迄やつた人は居ないから分りませんが、相当な問題になると思いますね。そうなると、結局止むを得ず闘う様な事になるんですね。唯、先方は何と出て来るか、一寸予想は出来ませんが、じつとしては居られないですね。例えば、病院なら病院でも、お医者許りでない、他の人も居ますからね。それから、政府ですね。厚生省、国会連中とか、各新聞社――今迄、恐らくこんな事をやつた人は無いんですからね。けれども、之はそうしなければならないんですからね。この為に何うなろうと言う事は考える必要はないんです。真理は真理ですからね。どつちが良いか――お前達のやつている事は、こう言う訳のものだと言う事を、そこにはつきり暴露するんです。まあ――之も大きな仕事だと思うんです。今年の内に――もう大体――この二、三月頃出版する事になるでしよう。見ものだと思うんですね。話はその位にして置いて――今日は春だから、原稿は読まない積りですけれども、お笑い草に寸鉄丈を――

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一月二日

【御  教  え】
お正月ですから、今日は話丈にしようと思います。今年は去年と違つて、何だか穏かな――あんまり心配になる様な事がない様な気分がする様です。まあ――誰も、そう言う様な感じがする様ですけれども、第一そう言う気分がすると言う事は――時局の為です。朝鮮問題が大分穏か――と言うか、大分ねぼけて来た様です。処が、元日にスターリンが突如として、日本に、大変友誼的と言つた様なメツセージを寄越したのですがね。一寸不思議に思いますけれども、良く考えてみると、別に不思議はないんですよ。と言うのは、スターリン先生も、考えたんですね。どうも、今迄の様な相手を刺戟する様な極端なやり方は、どうもまずい。仕事がやり悪(ニク)いから、今度は方針を変えてやろうと言う様な考えだろうと思うんです。今迄、相手を怖がらせる様な――恐怖外交と言いますかね――外交と言うより、恐怖政策と言いますかね――そう言う様な事を大いにやつたんですが、或る程度はそれで旨くいつた点もあるんですが、それが為に方々から嫌われ者になつて、怖がつて従う位なもので、どうも面白くないと言う訳ですね。それで、急に変える訳にもいかないからして、ぼつぼつそう言う様な、懐柔的な――そう言つた外交を取るんじやないかと――こう思われるんです。それで、朝鮮問題ですが、あれも別に、平和の考えなんて全然ないんですね。唯、アメリカの方の攻撃が――武器が優秀で、非常に損害が大きいんですよ、あの儘やつたら、飛んでもない事になる。早く攻撃の矛先を鈍らせなければならないと言うんで、休戦問題と言うのは起つたんです。あれで、講和になると言うんじや面白くない。唯、引つ張る訳ですね。だから、徹頭徹尾引つ張り政策です。そうしているうちに、内容を充実して、ソ連の方でも軍備を出来る丈充実させて、連合国の方に隙があれば、猛然とやろうと言う考えに違いない。大体、共産主義と言うのは、闘わないのが主義なんですから――全然闘わない訳ではなくて、出来る丈闘いは避けて、結核の様なもので、段々相手に滲込んで、蝕(ムシバ)む様にして敵を弱らせ様と言うのが建前なんです。そこで、スターリンの大方針としては、アメリカの力を弱らせると言う、之なんです。だから、朝鮮問題が解決すると、軍隊を引上げて――アメリカの方は軍隊を弱らせる事はないから、それではいけない。だからすつかり協約が出来て軍隊を引上げると言う事は、中共の方はやらないだろうと思いますね。何か彼か、相当まだ、アメリカの――対中共的の軍隊を駐屯して防禦をやる。何時攻撃しても――されても良い様な――そう言う体勢をやる。すると、アメリカもその為に、色んな費用ですね――それから又、日本に対する援助とかで、相当金を使わなければならない。色んな準備をしなければならないと言う事であるし、それから今中央アジヤですね。あの辺なんかも、大分今年は相当モジヤモジヤが起りそうな様な形勢がありますね。結局フランスあたりを、アメリカが援助する――こう言う事もアメリカの負担になりますからね。それからイラン、イラク、エジプト――ああ言う方面も英国に直接心配をさせているんです。処でそんなこんなで、英国も非常に金が要るんですね。到底英国の財政が追つつかないので、チヤーチルが出掛ける事になりましたがね。トルーマンに会つて、結局金の問題なんです。追つつかないから金を借して呉れと言う事なんです。結局金の問題なんです。それから、ヨーロツパの方でも、ヨーロツパ統一軍ですね。それから、今年の見込みではユーゴーですね。チトー政権ですね。あれを、どうしても、ソ聯が軍を進めて、チトー打倒の戦争を起すだろうと言う、専らのヨーロツパ方面の見方ですがね。それと、もう一つはドイツですね。西と東の――あれも中々――ドイツ統一の様な――ドイツの国民は頻にやつてますが、そう容易にいくものでなくて、東のドイツですね――あれを相当ソ聯が操つてますから、之も何時面倒な事が起るか分らないので、それを怖れて、フランスなんか、戦備に汲々たる有り様です。そう言う事が結局アメリカの負担になつて来る。あつちつつき、こつちつつき――で、アメリカの消耗ですね。そう言う方策を取るに違いないです。だから、今年はそんな様な――アメリカの力を弱らせると言う――色々な計画でやる。と、こう見て間違ないと思いますね。今年は、平和にもならず戦争にもならぬ、と言う中途半端――そんな様に推移していくんだろうと思います。日本も再軍備とか、色んな事を言つてますが、之もどうせ、ソ連の方で平和と言う事にはしつこないんですから、結局今言つた様なグズグズ的ですね。そう言う風にやつていくでしようから、日本の再軍備なんかも、警察予備隊ですね――あれを増やすと言うのは、武器を相当貯えると言う位な処だろうと思いますね。まあ、警察予備隊が今七万五千ですが、あれを倍位にするんじやないかと思います。十五万位にね。大いにやつたら、日本の財政が負担出来ないですから、追つつく位とすれば、せめて倍位ですね。倍と言つても、今年の内には出来ないですから、チビチビやつて、来年位にはやつと倍になる位な処でしよう。そんな様な具合でいくんです。

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戦争関係はそう言う風ですが、まだその他に、神様の方では大変な――神様の方と言うのではなく――霊界ですね。霊界では大変な事になつているんですがね。之が現われかけるんですね。之ははつきり言えないですね。言うと、又そいつに色々尾をつけたり、具体的に作つたりして、とんでもない宣伝になつて、随分迷惑するんですから、之は漠然と言つて置かなければならないけれども、兎に角今年の秋ですね。秋に、或る変る事があるんですよ。秋は、大した何じやないですが――それで、来年の暮は大変ですよね。それ丈心においておけば良いんですがね。今迄はやつぱり、霊界が昼間になるのが、未だ未だ――そう目に現われる程にはなつていないんですが、今年の秋から相当――変だなと言う事はあるんですよ。もう一寸はつきり言えば、この秋あたりから、変つた病気が出て来るんですよ――今迄にない様なね。結局に於いて、医学の方じや全然解らないんですから、手も足も出ない。浄霊なら何でもなく治る。と言う様な病気が出て来ますから――その前に、「⇒文明の創造」ですね。あれが出来ますから、あれを英文に訳して世界中に配ります。配つてから世界的にはつきり、色んな事が出て来るんですよ。聖書にある「普く天国の福音を述べ伝えらるべし。然る後末期到る」――之なんです。「⇒文明の創造」と言うのは、天国の福音なんですよ。あれを世界中に配つて――然る後末期到る。と言うのだから、大制裁が来る。あの著述も、三分の二か、もう少し出来ましたがね。今、科学篇が出来て、宗教篇が出来て、今天国篇と言う処です。天国篇と言うのは、五六七の世の状態ですね。それを、今書いてます。それは、もう今月か来月に出来上る。それから仕上げをして、日本版の印刷物をして、それから飜訳をする。この秋あたりが、外国に発送位出来る予定ですからね。そうして、世界中に配つて――すると、来年の春あたりには世界中に配れる訳ですね。それからが本当に世界の大転換が起る訳ですね。

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それから一昨日――大晦日の日に――私は箱根に行つて、美術館を見て来ましたがね。思つたより早く果(ハカ)が行つて、そうして出来具合も、私が予想したよりずつと良い――非常に立派です。堂々たるものです。丁度――中に入つてみると、お役所か――政府か市かで作つた様に感じられるんですね。立派なものです。で、今の具合でいくと、大体予定通りには出来ます。予定と言うのは五月一杯に出来る積りです。そうして、家が立派で、中身が伴わなければしようがないんです。中身の方も、色々――私が昔から買溜めた――それから又、信者さんの献納の品物が色々ありますが、やはり本当に――一級品ですね。国宝級の様な物は、お寺とか、昔の財閥ですね。大名――旧華族ですね。そう言う処にあるんです。そう言うのは、何は何処にあると言う様に世間に知れ渡つてますからね。それを、先で売る訳にもいかないですが、そのくせ、非常に財政に苦しんでます。それを売ると信用に関わるんですね。あそこの家は、あれを売る様じや、もう駄目だ。となる。それから又、値段も非常に高いですからね。そうかと言つて、秘蔵していると言うのも勿体無いからして、どうしてもそれを生かさなければならない。そこで、非常に金に困つているんで、幾らかお礼ですね――そう言つた物を出す――まあ貸すんですね。それが、案外旨くいきそうなんです。それからお寺の方は、無論――京都、奈良あたりのお寺は非常に困つているんですからね。大徳寺あたりでも――この間京都に行つた時も見ましたが――障子は破れて、雨は漏るし、実に涙が出そうな様な状態ですね。ですから、そう言う処の宝物にしろ、相当――お礼と言うものをやれば、喜んで貸す訳です。そう言うものや何かの一級品ですね。そう言うのを、相当陳列出来るだろうと思います。ですから、日本一の美術館にはなります。之は間違ないですね。その為に、随分見物人は来るだろうと思います。外国にも知れますしね。箱根はほんの――最初小規模に見本的にやろうと思つたんですが、中々思つたより立派な存在になるだろうと思います。で、いずれは熱海の方ですが、熱海はもつとずつと立派な――之は世界的のですね。外国から日本に、その美術館を観に来ると言うお客も来るだろうと言う位の計画ですからね。まあ――見らるる通り、何か私の方で計画をすると、案外スラスラと旨くいくんです。美術館も去年の春あたりから計画したんです。それ迄は私はそう言う考えはなかつたんですが、やはり神様の方から――時期が来ると、ヒヨツと――それからやり始めると、スラスラいつちやう。之は兎に角、人間がやつているのと違う事は良く分るんです。実に、面白い様にいくんです。だから、考えて見ると、実に早いですよ。箱根でも熱海でも、未だやり始めてから幾年にもならないですからね。四、五年ですからね。それでも、あんなにどんどんいつちやうんですからね。それで、箱根の方も、信者さんには勿論ですが――一般にも公開する積りなんです。私が、何時も論文なんかに出している通り、美術思想を養うと言う事が一つ。それから、美術家ですね。美術家が参考品が無くて困つている。見る処がないんです。そう言う意味で――つまり美術家を養成すると言う訳が一つですね。それからもう一つは外人ですね。外人が日本美術を見ようとしても無いですからね。で、そう言つた様な気持を満足させると言う事――それらの点が――主なる点ですが、最近の新聞にも出てましたが、今度アメリカで、日本美術を大々的に展覧会して貰いたい。ロツクフエラー財団ですかね。そんな事を言つて来ているんですがね。無論もう少し経つと、日本でも――之は内々話があつたんで、大分準備しているんで、素晴らしい展覧会が出るだろうと思いますね。兎に角アメリカは、日本のそう言つた美術とか、或いは芸能とか――非常に注目している。昨日も猿之助が年始に来たんですが、去年の元日に私の処に来た処が去年一年中馬鹿に良かつたと言うんです。色々順調に行つて、良い事があつた。今年も、是非元日にお伺いさして戴きたいと、夫婦で来たんです。その時の話で、アメリカで――之は新聞にも出てましたがね――二、三日前にね。是非歌舞伎に来て呉れ。座員は五十人で、費用は一人百万円かかる。ですから、五十人で五千万円かかるんですね。又、向うでは、歌舞伎の相当渋いものを興味を持つている様ですが、大体踊りですね。今日本で、本当に踊れると言うのは猿之助より他に無いですからね。鏡獅子なんて言うと、外国で一番持囃やされるものですからね。他に踊れる者は無いんです。是非行けと、私は油をかけて置きましたが、多分そうなるだろうと思います。それで、色んな話から、私の美術館が――非常に、ああ言つた世界でも評判になつている。早く観たいと言つていた。美術館を造ると共に、芸能も大いに奨励したいと思つている。メシヤ会館が出来ると、舞台を――劇場ではないが、劇場的に舞台を作る積りです。普通の劇と言うと、興行になり、中々面倒なんです。そこで音楽、舞踊ですね。之は、ずつと喧ましい規則がないらしいから、音楽と舞踊――それを出来る様な設備にしようと思つている。と言うのは、私はああ言つた芸能ですね――そう言うものも、もつと良いものにしたいと言う事ですね。この間猿之助が、こう言う話をしましたが、アメリカの或る婦人ですが、どうも昔の古い――そう言つた美術には、非常に秀れた物があるが、新しい――近代に至つては、そう言う物はないのは何う言つた訳だろう、と言つていたそうですが――猿之助が、芸術と言うのは、何時の時代でも、地から湧いた様にあるんだが、昔の人は、そう言うのを発揮する力があつたが、今の人はそれがない。それで、その答弁が面白い、と言つていたそうです。それで私が、そう言う事はあるにはあるが、もつと適切な事は、経済問題だ。つまり、古い時代に良い物が出たと言うのは、生活に困らない――食うものに困らないから良い物が出来た。世界で一番良い物がと言うのは、支那ですね。支那の唐、宋ですね。唐には非常に良い物が出来た。支那陶器と言うのは、北宋、南宋ですね。時代にすると、今から九百年乃至千年前――八百年九百年前ですね。その時分に一番良い物が出来た。何故かと言うと、王様が、陶器の良い物を作れと言うんで、殆んど一生涯生活の面倒を見て作らせた。一つの皿を作るにも、五枚とか十枚作るんです。そうして、そのうちの一番良い物を一枚取つて、後は壊す。だから、支那では、その壊した破片が一杯あるんです。私も持つてますがね。そう言う様ですから、宋時代は実に良い物が出来た。実に人間業と思えない様な良い物が出来てますね。支那はそうですが、日本は何うかと言うと――日本も、大名とか将軍が奨励したんですね。足利義政、義満ですね。あの人なんか、画家なんかに扶持をやつて画かしたんですね。東山水墨画と言つてね。墨絵ですがね。良い物が出来たんですよ。その中で一番良いのは、狩野派で――狩野雪舟ですね。アメリカ人が日本の――狩野派で買うのは雪舟ですからね。と言うのは、結局、足利将軍がああ言う物を作つたと言つても良い。それから啓書記、周文ですね。それから相阿彌、芸阿彌、能阿彌――あとは殆んど切れちやつたですね。それから桃山時代に宗達、光悦――この二人の名人が出たですね。之は、秀吉がそう言つた――それを奨励した為で、それから、徳川期に入つてから、徳川時代の大名が色々良い物を作らせた。それから陶器とか絵画の非常に良い物を作つた。それから、鎌倉時代には、寺で――その頃寺は裕福でしたからね。仏教が日本を風靡してましたからね。それで仏像とか作つて、その時彫刻家の良いのが出た。運慶なんてのは、その時分で一番なんです。そう見て来ると、美術の良い物が出来るのは、結局経済問題なんです。蒔絵でも、加賀の御小屋蒔絵と言つて、庭に一軒家を作つて、一生涯コツコツ拵えた。御小屋蒔絵と言う素晴らしい物が出来た。私も御小屋蒔絵は少しありますがね。今、良い物が出来ないと言う事は、経済問題なんです。何しろ食つていかなければならないですからね。それには金をとらなければならない。と言うんで、もつと考え様と思つても、画き上げて金にし様と思つても、食う事が出来ないから結局出来ない。日本でも、最近迄横浜の原富太郎ですね。あの人は、そう言つた意味で、美術院と言うのを作つた時、大観、春草、観山、武山の四人に、一年に一人一万円づつやつたものです。一年一万円だと楽に食つて行かれたですね。それで良い物が出来たのを、お礼として――お礼と言うんじやないが、そう言つた傑作を一つ寄越せば良い。それで良い物が出来たので、日本の画家が皆んな真似して、絵画と言うのは、あの時以来一大革命されたんですね。そう言う様な、結局経済問題なんです。猿之助の話で、松竹なんか、営利ですから儲けなければならない。お客が沢山入つて、儲ける。それつきりだから、色々工夫したり、良い物をやろうと思つても、暇がない。みんなお座成りになつて了う、と言う事を嘆いていましたが――我々がそう言う方面迄やれるかやれないか分らないが、若しやれたら、音楽家にしろ――地上天国と言うのは、そう言つたものが主になるんですから、大いに盛んにしなければならないんですね。  メシヤ教の趣旨と言うのは、大体――宗教と言うのは、教がついていれば、しようがないが、メシヤ教の一部なんです。宗教と、その他に、凡ゆる――政治、経済、文化――みんな含まれている。だから、病気を治すと言うのは、人間生命で、医学の方ですね。自然栽培と言うのは農業の方です。それから教育ですね。良い人間にしなければならない。悪人を無くしなければならない――色んな部門があるんです。で、五六七の世と言うのは、芸術が中心なんです。それから、いずれは運動ですね――スポーツですね。ああ言う方面もやろうと思つている。それ迄手が伸びないんです。信者でスポーツをやると言う事になれば、みんなレコードを破りますからね。そう言つた事は、方法があります。然し、中々仕事が大きいですから。ボツボツやつているんです。今の処は美術館ですね。それを急速に造らなければならないと言うのです。

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それから昨日話したんですが――昨日と今日との話は大分違うんですが、一つ丈の事を話して置きます。何時も言う通り、大乗と小乗ですね。大乗にあらず小乗にあらず、経と緯ですね。その真中が伊都能売です。それで、もう伊都能売にならなければならないんです。つまり、結ばなければならないんですね。処が、どうも極端になり易いんですよ。人間は――何しろ今迄の人間は、私が何時も書く通り緯と経ですからね。東洋文明の経と、西洋文明の緯が基本になつてますから、人間が皆んな経か緯か、どつちかになつている。この間も、政治家の偉い人のラジオ座談会がありましたが、やつぱり右か左になつている。あれは、左が経で右が緯ですからね。丁度真中が伊都能売になるんですからね。そこで、経緯を結ぶ――それはメシヤ教がやるんですからね。ですから、その信者が、経と緯をやる人でなければならないんですから――経と緯を結ぶと言う事は、大いにそれに中心を置かなければならないですね。ですから、今年は経緯を結ぶと言う頭でやらなければならない。之は解り切つた話で、つまり極端に行つちやいけないんですね。処が今迄の宗教は経の方が多かつたですね。何しろ、美術館なんか造つた宗教はないですからね。あれは経だからね。又経(キヨウ)と言う字が経(タテ)ですからね。それで、今迄そう言う風になつていたからしようがないんで、そう言つた様な――経緯を極端に走らないで、丁度良い――中位ですね。中位と言うのがあるんです。やつぱり気候と同じ事ですね。熱からず寒からずと言う――それが本当です。丁度お彼岸がそうなつてます。彼岸と言つて、彼方の岸ですね。仏教で言うと、極楽浄土なんですよ。あれは良く現わしている。熱からず寒からず――そう言つた様に、凡てをやつていく。そうして、どつちを主にする、と言うと大乗を主にしなければならないですね。何しろ――小乗が大乗の中にあるんですからね。小乗の中に大乗はないんですからね。ですから、大乗が主になつている。経緯――十は、長さは緯の方が長いのが本当ですがね。即ち、緯が大乗で経が小乗ですから、緯が経よりも少し長いのです。緯の働きが経よりも大きいのです。然し、それじや恰好が悪いから十の字にして、経緯同じにして置きます。月と言う字が大乗です。日は小乗になる。月の中に日があるんです。月の下をチヨン切ると日でしよう。日の中に月は入つてない。やつぱり、字の意味にも、そう含まれている。それから明の字も月が大きくて、日は入つてますね。その代り、先に行く程拡がつている。働きは月の方が上なんです。そう言つた様な意味で、凡てを企図していくと間違ないんで、ちやんと神様の思召しに適つていくんですね。そう言う風に、どつちにも偏らないで行くと、どんどん発展していくんです。よく、私は自動車の運転に例えますが、右に行つても左に行つてもぶつかるから、真直行くんです。だから、信仰の方も、この様にやつていくと、ドンドン発展していく。話はその位にして置いて、春らしい寸鉄を――

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一月三日

【御  教  え】
正月丈は、原稿なしにして話丈にし様と思つて、昨日も一昨日も、別に決まらない話で、思いついた儘を話しました。今日も思いついた儘のお話をし様と思つてます。何だか今年のお正月は明るい程にはいかなくても、何かのんびりした様な気分が――国民一般もしている様で、尤も去年の正月なんかは、朝鮮問題が酣(タケナワ)なんで、それらの為に非常に何か不気味な感じがしてましたがね。今年は、あの問題が大分緩和されたんで、それで、何かゆつたりした様な気分がする訳ですね。処が朝鮮問題も、実に――決まりがつきそうになると、又駄目になつちやつたり――見物人としたら、非常にじれつたい様に思うんですが、あれは共産軍――中共ですね――中共の計画であるし、その奥にはソ連が糸を引いていると言う訳で、講和にしてはいけないんです。大体、休戦の話がこんなに長引くと言うのは、恐らく今迄に例がなかつただろうと思いますね。で、アメリカの方で――休戦になつたらとか、停戦になつて軍隊を引上げるとか、色んな事を言つてますが、つまり軍隊をアメリカの方で引上げてはまずいんですよ。つまり、共産軍の方は、その根本が、アメリカに対する消耗戦術ですからね。軍隊を何時迄も駐屯して置けば、それ丈の莫大な費用を使わなければならないから――引上げては、そう言う意味が無くなりますから、出来る丈引止めて置かなければならない。と言つて、戦争をやるとすると、今の処アメリカの優秀な武器の為に、非常に損害が多いですから、闘うのは損だし、決まりをつけて軍隊を引上げては何にもならないと言うんで、巧妙に引止め戦術をやつている訳ですね。この頃アメリカの方でも気がついて来た様ですが、最初はアメリカの方も、兎に角全面的に講和にならない迄も、或る程度戦争を終結させられると言う考えがあつたらしいですね。だからアメリカの有名な人で、十二月二十七日迄には必ず、約束が出来ると言う様な事を断言してましたが、中々そんな訳にいかないんで、今もつてグズグズしてますからね。そんな訳で、根本はアメリカを弱らせると言う目的なんですからして、そう言う風に考えると、大体解ると思うんです。次に東南アジアですね――あの辺が大分両方で戦備をしている様ですが、もう少し経つと、必ず又衝突が起るでしよう。それに対してアメリカがフランスを非常に援助してますからね。ですから、之もグズグズしていると、戦争が起るでしよう。それから、今ヨーロツパで一番恐がつているのはユーゴーですね。ユーゴーのチトー政権ですね。あれをスターリンは非常に憎んでいるんですからね。どうしてもチトーをやつつけなければならない。然し未だソ聯の軍備が充実してないから、ソ連の方で痛し痒しですね。余程前からそう言う状態であつたんですが、今ヨーロツパの形勢は、今年はチトーをやるだろうと言う様な説が非常にある様ですから、相当危険と見なければならないですね。それからあとは、ドイツですね。西と東ですね。之が、若し大戦争が始まるとすれば、東ドイツですね――あれが発火点になるだろうと言う観測がありますが、兎に角東西ドイツの問題も中々難かしいらしいですね。下手すると、朝鮮の南北の争いみたいにならないとは限らないと言う訳で、早晩兎に角無事には済まないですね。何かゴタゴタが起るだろうと――そんな様な具合ですが、根本と言うのは、やはりアメリカを弱らせる――出来る丈消耗させると言うソ連の計画です。それが、兎に角ソ連の思う通りに行きつつあるんですね。と言うのは、何しろ今ヨーロツパで統一軍を編成してますが、あれなんかに非常に金がかかるんですね。ヨーロツパの――英国、フランス、イタリヤあたりにしろ、殆んど金がないですね。みんなアメリカから金を借りたり、材料を供給されたりしてます。そうして漸く少しづつ、軍備をしている様で、全然アメリカの負担になつてますね。ですからして、今度チヤーチルがアメリカに行つてトルーマンに会いますが、結局英国は金が無くなつちやつたんですね。一年位前には相当あつたんですがね。最近になつて急に英国は金が無くなつちやつたんですね。之に就いて、あんまり人に言わないけれども、日本人が気のつかなければならない事は、英国が非常に疲弊している訳ですね。何だと言うと、食糧問題にしろ、今もつて、一週間に卵一箇だとか、牛肉は足りないし、バターは足りないし、丁度日本の戦争中の様な状態ですね。ですから、今日の日本に較べると、日本の方がずつと食糧事情なんか良いですね。金さえ出せば、何んな美味しい物でも食べられると言う状態ですが、英国はそんな事は出来ないですね。厳重なんですね。尤も国民性にも因るんですがね。疲弊生活ですね。だから、負けた日本の方が楽で、勝つた英国の方が疲弊生活ですね。チヤーチルなんか、演説して警告してますがね。英国が何であんなになつたかと言う事は、あれは社会主義の為なんです。労働党なんか随分続きましたがね。私は先から、社会主義はいけないと言つている。と言うのは、社会主義と言うのは、一般大衆に対しては、そう苦しむ者はないし、大変良いんですが、その代り優勝劣敗があんまりないですから――大いに活動して欲望を満足させ様としても、或る程度制限されているから、そう言つた欲望が無くなるんですね――国民がね。自由競争と言うのが制限されているんです。だから、あんまり活動しない――働かない者が得なんです。どつちかと言うと、怠け者の天国と言うんです。だから英国は貧乏を救う――救貧施設と言うのが非常に出来てますよ。大いに働いても、それ程面白くないから、そう言つた欲望がずつと減るんですね。そこにいつたら、アメリカは――丁度日本の豊臣時代の様なもので――腕のある奴は出世が出来ると言うので、大いに活気づいて、国家が生き生きして来る。社会主義と言うのは、そう言つた――あんまり、一般的に公平にし過ぎるんですね。結局不公平なんですね。で、私が前にも言つた、公平が不公平で、不公平が公平だ。結果はそうなるんです。働く奴は出世する。怠ける奴は駄目だ。それが公平なんです。処が、社会主義から言うと、不公平になるんですね。要するに行過ぎなんですよ。余りに片つ方に行過ぎるんですね。社会主義と言うのは行過ぎなんですよ。アメリカの資本主義も行過ぎ様とするのを、兎に角アメリカ人は中々利口ですから、旨く労働政策なんか採つて、行過ぎない様にしているんですが、あれは中々巧妙にやつている。処が英国の方は、資本主義の反対の行過ぎが殆んどなんです。先のアトリーと言う人は、何もない様な平和な時は良いが、今日の様な脅威な――ソ連なんて言うものがある時は駄目なんです。物質なんか非常に不足してますね。日本からも輸出して、それでポンドが増えて困つてます。日本が一寸――緬羊なんか、努力すると日本の方が英国より勝つちやつたですね。ですから、英国で一番恐がつているのは緬羊ですが、日本の政策を考えている様です。と言うのは、あんまり骨折つて働いても、つまらないと言うので、沈滞して了うんですね。日本なんか、社会主義をやつていないので、兎も角も活気があるんですよ。大いに腕を振うと言うんで、唯日本は税金で押えられるんで――大分何ですが、未だ英国よりずつと良いでしよう。そんな様な訳で、政治にしろ、何にしろ極端に走るんでいけない。共産主義にしろ――あれも社会主義より、もつと極端にいつてますがね。共産主義と言うのは、一ぺんに、ひつくり返つちやいますよ。そんな様な具合で、極端に走ると言う事は伊都能売でないからです。それで私は、大乗にあらず小乗にあらず、経と緯を結ばなければならない。経と緯を結んだ真中が伊都能売だと言う事になるので、伊都能売式にならなければならないと言う事を常に言つてますが、処が、今迄の世界と言うのは、経と緯と両方に偏つていたんですね。そこで、それを結ぶと――結んでから初めて五六七の世になるんですからね。五六七と言うのは、経緯結んだ形ですね。一切がそうなるんだからして、兎に角宗教でもそうならなければならない。宗教と言うのは思想的なものですからね。だから精神がそうならなければならない。私は「文明の創造」を書いてますが、そう言つた思想ですね――何々思想――それは伊都能売思想ですね。両方に偏らない、極端にいかない――そう言う一つの思想を段々世界の人類に教える様な方法を取るんですがね。

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それから、私が今やつている仕事は、六年目毎に変つていくんです。最初私が始めたのは昭和三年ですが、その前から――三年から急激にやつた訳じやなくて、その前から段々――大本教信者なんかで、色々研究したりやつてましたが、そのうちに、私が、昭和二年の十二月――之は私の本に書いてありますが――神憑りになつて、色んな事が分つたんですね。それから、他にも色んな奇蹟があつて、愈々決心して始めたのが、昭和三年の節分からです。そうして、色んな不思議な事が沢山あつて、昭和九年迄六年間、神様の修行と言う様な訳ですね。そうして、病気を治す事や何か、やつと出来る様になつて、九年に麹町に民間治療の店を開いて、それから六年経つた昭和十五年の十一月に止(ヤ)めて、それから翌年の十六年から、今度は――未だ宗教的には出来ないけれども――その時分には喧ましかつたから――半宗教、半治療ですかね。病気治し――そう言う様な事をやつて、二十二年ですね――そこで、本当の看板をかけて、宗教と言う様になつた訳ですね。二十一年が六年になる。それで、二十一年から地上天国ですね――箱根、熱海に始めたんです。終戦が二十年ですから、終戦後直ぐに、色んな計画の下に着手した訳ですね。そうすると、今年が丁度、又六年目になるんです。今年は非常に変る訳なんです。で、そのうちの一つは、美術館ですけれどもね。美術館は大晦日の日に行つて見たが、思つたより立派に出来ました。堂々たるものですね。建物から言つても、恐らく日本一でしよう。中身も日本一にする積りですがね。そんな訳で、あれが出来ると、先ず社会の注目を大いに引くだろうと思います。で、中に陳列する物も、色んな――私が準備した物だとか、信者さんが献納した物だとか――それから又、高級――優等の逸品物ですね。そう言う物は、財閥とか旧大名ですね――そう言う処に中々立派な物があるので、そう言うのは、先方で中々売らないですけれども、金に困つているんです。あそこの家じや、あれを売る様ではもう駄目だ。と言う信用ですね――そう言う点もあるし、税務署がおつかないしと言う訳で、中々手放す事が出来ない。そうかと言つて、金には苦しんでいる。そこで私は考えて、或る程度のお礼をして、それを借りると言う様な意味を話すと、大分それで――先方は喜んで応じる風があるんですよ。ですから、その点に於いて非常に、普通見られない様な物を出品出来ると思つてます。それから後は、古い仏教美術の様な物ですね。之は京都奈良あたりのお寺は、みんな財政に苦しんでますから、之は殆んど威張つて――借用料を出して借りる事が出来るんですから――こう言う物の良い物が出るだろうと思つてます。建物と中身と、日本一は充分間違ないですね。それから、或る点に於いては、世界一かも知れないですね。と言うのは、アメリカあたりなんかが――この間のサンフランシスコであつた展覧会で、非常に刺戟されて、是非今年――二十七年にやつて貰いたいと言う――最近申込んで来ましたがね。ロツクフエラー財団ですかね、日本も大乗り気になつて今準備している様です。今度はサンフランシスコの時と違つて、もつとずつと良い物を出す予定らしいです。サンフランシスコの時は良い物を出さなかつたですね。あの時話しましたが、進駐軍の注意があつて、あの時フイリツピンが喧ましかつたので、あの時にダレスさんなんかが、今日本は賠償は出来ない。だから他の事で、賠償をする様にしなければいけない――そう言つた話があつたので、フイリツピンは、金銭以外とすれば、美術品でも良いと言うので、押えられる様な事があつたので、最初の予定と違つて、一段落ちた――そう言う物を出したんです。この間、その展覧会を見ましたが、成る程そう言う様になつてます。一級品を避けている。処が今度は、そう言う心配がないので、一級品を出す様子ですがね。そう言う様で、日本美術に関心を持つて来る傾向なんです。ヨーロツパあたりでもそうですがね。日本の古美術の権威として、矢代と言う人があるんです――この人は今度ヨーロツパに招ばれて英国、フランス、イタリヤと――日本美術の講義をして来ようと言うので、もう直き出発する様です。そんな様な訳でアメリカ、ヨーロツパの人達が、非常に日本美術に関心を持つて来た。ですから、今度箱根に造る美術館も、外人の方に知らせたら非常に観に来るだろうと思つてます。大体日本美術を主にして、支那美術を附録位にしてます。支那美術の方はアメリカ、ヨーロツパでも集めてありますから――支那美術は、それより以上には、こつちは出来ません。日本美術は、先方に――本物はないですね。殆んど贋物ですね。本物は極く僅かしかないです。そんな訳で、箱根の美術館丈でも、世界的といかなくても、相当注目を引きますね。いずれ熱海に建てるのは、世界一と言うのを目標にしてます。それは、大変なものですが、今の箱根ですね――箱根丈でも、相当注目を引かせる様になると思います。

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正月早々お説教的な事は言いたくないですけれど――よく、邪神々々と言つてますが、邪神が一番目掛けているのは、信者なんです。それで、大きな問題ではないんですが、時々小さい問題が、教団の中にあるんです。処が、信者さんの場合は、邪神にやられても、世間の人がやられる様なのとは違う。世間の人は、本当に悪い事をするが、そうではない。信者さんが邪神にやられると、良い事と思つている事が、結果が悪いんです。それを注意しなければならない。信者さんは、之が教団の為だと一生懸命やる。それが、実は反対の結果になると言う事がよくある。この間九州で起つた問題は、一軒の家で、そこの娘さんか何かが病気で死んだんですが、それで、医者にかからなかつたとか言う問題ですが、それは誰がそうしたかと言うと、そこの家の長男ですが、病人は二十幾つかの娘で、その兄貴ですね。地方の新聞に投書したらしい。今迄そう言う問題を見ますと、必ず青年が問題を起すんです。起すんでなく、問題にするんですね。例えて見れば、その家の親が死ぬとか、兄妹が死ぬとかする場合に、不断から――浄霊している時から反対しているんです。そんなインチキ宗教で、病気を治すなんてけしからんと言う。今学校で教育を受けた者なら、そう考えるのもしようがないです。唯物教育によつてそう言う思想になつているから、偶々家の誰かが信仰で病気を治そうとすると、反対ではないが、憤激的になるんですね。そんな様な具合ですから、病気も治り悪(ニク)いんです。その想念が邪魔していますからね。ですから何時も言う通り、一家の内で非常に反対する人があつたら、触れない方が良い――止(ヤ)めるんですね。その霊が邪魔するんです。だから結果が悪いんですね。すると、そうれ見た事か、俺が言つた通りだ、じや問題にしてやろうと言う事になる。法律的な事はないんですがね。地方新聞なんかに、よく出る様ですが、そこで一家の内に非常に反対する人がある場合――そう言うのは見合わせる。病人は頼りますから、――中々それを振り切ると言う訳には出来ない。そこの処を旨くやるんですね。成るべく、そう言うのは避けると言う方針にした方が良いですね。問題の起るのは皆んなそうですね。それから、偶には妻君なり娘とか息子とか言う場合、本人が縋つて来るから、やつてやる様なものの、親父が反対する場合に、死にでもすると、それを問題にしたがるんです。非常に面倒ですから、兎に角反対者のある場合――一軒の家でね。注意して成るべく避けると言う方針を取つた方が良いですね。問題を起すと言うのが一番面白くないんですからね。幾ら一生懸命やつても、逆になりますからね。そう言う場合に、大乗的に見れば良いですね。そう言う病人に限つて、面白くないです。病人は縋つて来るから、何とかして助けてやろうとするが、家の人が反対するので、何となく気持が悪い。それで、引つ込みがつかなくなつて、パツと死んじやう。私なんかも、昔あつたんですがね。そう言うのは避けるんです。薄情な様でも、パツと振り切るんです。それが、大局から言うと教団の為になる。それで、結果においてスラスラいつて、有利ですね。ですから、何時も神様の事は算盤を取らなければならないと言うのは、そう言う訳です。何うしても、大乗は小悪を伴うんです。大愛でいつても、少しの悪はどうも止むを得ない。ですから、多く助け様と思つて、利他愛でやつた処で、少しは――随分、情無いと思う様な人もありますが、大局から見て有利の方をやつていくより仕方がない。それでないと、却つて神様の御神意に適わない事になる。だから、神様は人類全部を助けるとは言われない。助かる者と滅びる者と出来ると言うんです。それが、最後の審判ですよ。最後の救いではないんです。審判と言うのは、やはり――罪(ツミ)人は罰せられると言う訳です。ですから、そこの点が非常に難かしいんです。そこで、どうしても大乗的にいかなければならない。小乗だと、あんなに縋つて気の毒だとなる。それに、ひかされている。それは小乗になる。だから、今言う反対者に遭つた場合は注意すると言う事丈心得て置くんですね。大分長くなつたので、話はその位にして、寸鉄を――

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一月五日

【御  教  え】
今日は割に新しい信者さんが多いようですから、そう言つた話をしようと思つてます――メシヤ教と言うのは、単に宗教とは言えないんですね。宗教よりも、ずつと大きなものです。つまり、宗教はメシヤ教の一部にある訳ですね。だから、今迄の宗教でも、こう言う風に、病気を良く治すとか、病理を説くと言う事はなかつたですね。それは、仏教でもキリスト教でも、何う言う訳で病気が起るとか、或いは何うすれば治るとか言う説明は、バイブルにもお経にもないですよ。それから農作物も、無肥料にする方が良く出来る、つまり自然栽培ですね――ああ言う事を説いた宗教家もなかつたですね。それから美術館を造るなどと言うのは、全然之もなかつたですね。そう言う様な具合に、宗教と言うものは、先ず心を治すんですね。心の教えですね。そこで、結局お説教が主でそれによつて精神的に救つて、良い世の中を作ると言うのが根本だつたんです。ですから病気でも、病気を治す事は出来ないが、病気は治らないでも苦しみ乍ら心で諦めろと説いたんですね。キリスト教でも、御自分の方で病院を作り乍らやつているんですから、甚だ不徹底極まるものです。私の方では、そんな諦めろと言う様な事は言わないで、反つて諦めるなと言うんですね。その為に、他の宗教では、疑ぐつてはいけない、信じろ。と言うんですが、私の方では、大いに疑がえ、信づるな。と言うんですから大変な違いです。その違い差ですね。それを先ず、一番認識しなければいけないです。そうして、キリスト教でも仏教でも、今に天国の世の中が来る。極楽浄土が来ると言つているんですが、私の方では、もう来た。来るんでなく、来た。俺の方で造るんだと言うんですから、その違い差も又大変なものです。ですから、色々な事を喋る許りでないですね。実行するんです。どんな病気でも治し、米の増産もするし、凡ゆる文化の間違いを指摘して、本当の文化と言うものは、こう言うものだという事を教えるという――一口に言えば、本当の救いですね――宗教じやない。宗教は救いの一部ですね。そこで、その力強さ――力の大きさですね。その違い差と言うのは大変なものです。処が、それを――成る程それに違いないと信じさせるのが、中々大変なんです。信仰に入つた人は、迷わずにずつとやつていれば、段々解つて来ますから良いんですけれども偶には迷う人もない事はないんですね。やはり、色んな世間の噂とか、インテリ的の偉い人が、迷信だとかインチキ宗教だとか迷わせる様な事を言いますからね。と言うのは、今迄こう言う様な宗教と言うのは、出た事がないんですからね。だから、之を本当に解る迄には相当時間もかゝるし、努力も要るんですね。で、或る程度迄解つて了えば、もう盤石の様に固くなりますが、それ迄ですね。それ迄は知る方も必要だし――然し、こつちの方は理窟許りでない。事実に現わすんですからその力と言うのは大変なものです。 そう言う訳で、発展も今迄の宗教では例がないですね。私自身が、何時も驚いているんですがね。宗教法人として届けを出して、公にやる様になつたのが、二十二年の八月ですからね。その年に、前に民間治療的にやつていたので、将来宗教的にやると言う卵が少し出来た。始めた時分にはその当時二、三百人ですかね――信者とでも言う人はね。それが、未だ四年何カ月しか経つていなくて、目に見える事でも――箱根とか熱海とか、ああ言つた経営を見れば――私も驚いている位です。この間――大晦日の日に、今やりかけている箱根の美術館を見に行つた処、中々良く出来ている。設計は私がしたんですが、私でも、こんなに立派な物になろうとは、一寸想像もしなかつたんです。堂々たるものです。そうして元日の日に熱海の地上天国に行つた。あそこも又、半分許り梅が植つたり「ツツジ」の山が植つてますが、つい三年か四年のうちに、実に喫驚りする程出来たんですね。実に人間業じやないです。何も信仰のない人が見ても、人間業とは思えない。そうして、今度は又、石垣の大きいのが出来ましたが、石垣丈で日本一だろうと思います。あんなに石垣の多いものはないですね。その石が山の一カ所から出るんですからね。買つたら大変なものだろうと思います。石丈で、一千万円以上だろうと思います。運ぶ丈で大変です。それが、あそこの山から出るんですからね。幾らでも出るんです。恐らく、熱海中探しても、あんなに出るのはないですよ。実に不思議です。未だ未だ、発表しない事で、神様からのお知らせも沢山ありますから、段々時日の経つに従つて現われて来ますから、楽しみにしていて貰いたいと思います。そんな様な具合で、今年は箱根の美術館が五月一杯にはやつちやう積りですからね。それで六月は開館式が出来るだろうと思いますがね。それで、一般にも見せる様にする積りです。信者さんは、参拝の日に、午前九時から十一時迄二時間――信者さんが見るとして、それから一般は、毎日午後一時から四時迄と――そう言う風にしようと思つている。それから特種な人ですね。専門家とか本当に研究するとか、美術家が参考に見たいとか研究したいとか、色んな特種な人が居ますが、そう言うのは、参拝日以外の午前中九時から十二時迄――そう言う風にしようと思つている。そこで、一般の人は入場料も取る事にしようと思つている。それでないと、メチヤメチヤに来て、ゆつくり見る事が出来ませんからね。色々な品物なんかも、大体日本一ですね。日本一と言う様な物を、色々と陳列する事になつてます。之も、やはり神様が旨くやつて呉れるんです。お寺の宝物とか財閥や旧大名の良い物なんかも、お礼金の様なもので、相当貸すと言う様な話も、大分出来つつあります。どうしても、日本でも見られないと言う様な物も沢山ありますから、そこで、時々陳列変えします。そこで、そう言う事に趣味がある人は、一々面倒だから、信者にならなければならない――形式丈ですがね。信者になる人が沢山あります。形式でも、信者になれば、神様に結びますから、それで良いです。その代り、信者さんは、何時でも見られますからね。ちよいちよいキツプを買つたり、面倒臭い――そう言う事がなくなりますからね。熱海の方はずつと先ですが、箱根丈でも、先ず相当評判になるだろうと思います。日本許りでなく、外国にも相当認められる事になつて、日本に観光に行くと言う、そのプログラムの中の一つの項目になるだろうと思います。日本で、本当に日本美術を見ようと思う処はないんですからね。何時も言う通り、博物館にしろ、仏教美術丈は、博物館は大したものですが、あとは大したものじやないんですからね。他にある個人のなんかは、問題にならないです。そうして見ると、本当に日本美術を見たいとしたら、今度の箱根の美術館に行くよりないです。だから、日本に来た限りの観光外人は、全部来るでしよう。然も、箱根ですからね。箱根に行くのは決つてますからね。どんな観光外人でも、日光と箱根には必ず来ます。箱根に来れば、美術館を観るとなります。外人の来るのも大変なものです。だから英語も出来る。美術趣味のある人を、神様がいづれ連れて来るでしよう。

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美術館の事はその位にして、「結核信仰療法」と言う本を今書いてますが、今迄は本当に書かなかつたんです。どうも、あまり明らかに書くと、医学が形なしになりますからね。面倒臭い事や、問題なんかが起る懸念もなきにしもあらずで、加減していたが、段々調べて見ると、そう言う事がないと言う事も分つたし、それから、何しろ今医学がやつている事は、結核を増やしているので、之は一日も早く知らして、何とかしなくてはしようがないと思つて、今度は、はつきり書いてあります。それで、信者向きでなく――この間出したのは「結核の革命的療法」――之は信者さん向きだつた。今度は一般向きに書く。医科大学、病院、新聞社――そう言う方面にばらまこうと思います。そうして先ず、一ぺん読ませ様と思う。喫驚りしますからね。そうしたら、中には考える者も出来て来るに違いないと思う。その中の一つの項目丈を、今読ませます。

(御論文「⇒医学が結核を作る」)

つまり結核問題の急所なんですね。医学は結核患者を作つているんですからね――今言つた通り――今読んだ通り、誰でも風邪を引きますから、風邪を引けば咳、痰が出るに決つている。痰と言うものは、身体の毒が溶けて、一旦肺に入るんです。打遣らかして置けば肺に入つた痰が出るんです。だから、それが出ないで固まつているんです。結核と言うのは、実に旨く作つているんです。本人は希望を失い、悲惨な運命になるんですから、そう言う不幸な人間を医学が作つているんですから、之程恐ろしい事はないんです。それを、誰も知らないどころか、あべこべなんです。政府も一生懸命支持しているので、到底見て居られない。だから、先ず之を現代人に教えると言うのが、最大の救いですね。未だ、色々――結核菌や何かに就いてもありますが、時間がないからね。唯、一寸面白い事を――奇蹟と言いますが、奇蹟にも二色あるんです。それを、ここに書いてあります。

(御論文「⇒奇蹟と宗教」のあとの御教え)

結局、奇蹟と言うものは、人間の利益になる事ですね。それが、幸福になるとか、得をするとか――それが奇蹟なんです。あと――不思議な事をして見せるのは魔術なんですね。それを、よく混同するんです。一寸不思議な事をして見せると、直ぐ有難がつて頭を下げるんですが、そう言う時によく考えて――こう言う事を人に見せて、どれ丈人が救われるかと言う事を考えるんです。そうすると、一つの見世物的になります。それではいけない。宗教を看板にするなら、それに救われなければならない。よく、神霊会でやりますが、こう言うのもそれですね。救われなければならないんです。霊があると言う事が分つても、自分の病気が治らなければしようがないですね。その区別も良く知つて置かなければならないですね。又、その区別を、良く説明してやらなければならないですね。話はそれ丈にして置きましよう。

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一月六日

【御  教  え】
話をする前に一寸、今車の中で気のついた事があるので――余り、滅多に話をしない事を――一寸為になる話と思うので、その話を先にしますが――私はよく映画を見ますが、その時に――アメリカ映画ですね。その言葉が字幕に書いてありますね。あの言葉が、実に洗煉されているんですよ。日本人の言う言葉よりね。何時も、私は感心するんですが、それを考えて見ると、日本人の言葉が寔に洗煉されていないんですね。だから、信仰者として人に話をする場合も、洗煉された言葉を使う様に心掛けるんです。之は或る程度実現出来るんです。と言うのは、洗煉されると言いますと、急所を言うんですね。余り無駄とか、ずれた事は言わないんです。実際に事実に良く合つている事柄の表現を、上手く言い現わすと言う事ですね。之が法なんです。法に適うとか、法があるとか言うのは、言い換えれば道なんです。道にはずれない様に、道に合う様にと言うのは、それなんです。之は、ひとり言葉丈ではない。挙動から態度、考え方、行う事が、みんなそれにはずれない様にいくんですね。例えて言えば、人の家に行つて格子を開けて、玄関に上つて挨拶をし、それから部屋に座つて、そこの家によつて――相手によつて、座り方も話の仕方も、やはり違わなければいけない。話でも、招ばれた場合の態度と話もあるし、それから先方に、こつちの都合で行つて話をするのと、それから話の内容ですね。先方に対する言い方から、受け入れさせ方――そう言う事もやはり法があつて、出鱈目ではいけないですね。一番困る事は、自分の言いたい事を言つて、先方に喋らせない人がありますが、之が最もいけないですね。話上手より聞き上手――で、相手の話を充分聞いてやつて、それに応じてこつちが話をする。そうすると、先方は気持良く、話合える。それから多勢の話の場合に、人が話をしている時に、口を入れる――ひどいのになると、大きな声で、先方の話を打消す様にするんですね。その代表的なものが、日本の議会ですよ。喋つていると、打消す様にする。それから、地位のある人の会合ですね。大きな声で、喋つている人の話を打消す――ああ言うのは悪いですね。そう言うのは、歩き方にも態度にも、一切法があり道がある。そうして道も――相手によつて色々違わなければならない。女は女に、年寄りは年寄りに、インテリはインテリらしく、平凡な人は平凡に、と合わしていく。合つていく――之が応身の働きです。そう言う事がちやんと――そう理想的にはいきませんがね――中々ね。幾分でもそう言う風に、合つていくと、その人の運命に非常に良くなつていく。人に好かれないとか、人が賛成しないと言うのは、相手の罪許りではなく、こつちにもあるんですよ。一番ひどい――いけないのは、嘘を吐(ツ)く事でしようね。嘘を吐(ツ)くのも、悪意でなく一時的に嘘を吐(ツ)くのがあります。一時的に嘘を吐(ツ)くと、相手が喜んだり感心したりしますからね。つい大袈裟に言つたり、大掛りに言つたりする。そうすると、あいつがああ言うんだから、実際はこの位だろうと割引きされる。私なんか、割引きしますよ。だから、偶々本当言つても、割引きされちやつて、つまらないですよ。嘘を吐(ツ)かないんですね。あの人がああ言うんだから本当だ。と、その信用が大変なものです。どうも、人が信用しないとブツブツ言う人がありますが、一人よがりだから、人でなく、自分に何処かやり方にいけない処があるので、それを省みて発見しなければならないですね。こんな事は、大して問題にする事もない――つまらない様な事である様で、肝腎な事ですね。それから、愛嬌ですね。空お世辞なんか言うが、あれもいけないですね。信用に関わるんです。あいつはああ言うが、腹の中は何うだか解らない、となる。一つの臭味がつきますね。正直に言う事は、少しは先方を非難する様な事でも、良くとられるものです。私なんかも、随分ひどい事を言う事がありますよ。然しどつちかと言うと、先方を気持良くさせたいと言う気持で言うから、滑稽に言う。それで、先方がああと言つて反省する。そう言う事になると、難かしくなりますが、結局相手を気持良くさせると言う事が肝腎ですね。だから多勢の場合は、中には厭な事や変な事を言つて一座を白けさせる人がありますが、ああ言うのは、極くいけないですね。人に快感を与える。つまり、態とらしくない――又正直に言うと良いものなんです。こう言う話は滅多に話をしないことですからね。一つのお説教的な事ですがね。然し、或る事によつて気がついたんです。こう言う話も一ぺん話して良いと思つてお話するんです。

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それから一、二、三は――正月になつてからの日の事ですがね。教師とか――そう言う資格者が多い話ですが――五、六、七は割合新しい人が多いと言うので、その意味のお話をしようと思つてます。メシヤ教と言うのは、本当言うと宗教じやないんです。宗教じや、ないんでなくて、宗教はメシヤ教の一部になつてますね。と言うのは、今迄の宗教と言うのは、教えですね。宗の字と言うのは、つまり祖先とか先祖とか、又その家の総領とか、つまり中心とか、よく宗家とか宗匠とか言う様な意味で、兎に角古い、大きな、支配者的なものですね。そんな様な具合の、その教えですね。それが宗教ですからね。教えだからして、どうしてもお説教になるんです。仏教でも、キリスト教でも、大体お説教が中心になつている。お説教が主になつている。唯、メシヤ教は病気を治す。病気を治すと言うと、今言う教えじやないんだからね。之は救いなんだからね。それから自然栽培で食糧問題を解決する。それから、美術を奨励する為に、美術館を造る。未だ色々あります。今「⇒文明の創造」と言う本を書いてますが、その最後の天国篇と言うのは、一部は今度の新聞に出しましたがね。政治に対して――政治と言うより、むしろ国際関係ですね。国際関係は政治に関聯してますがね。今度は経済、教育、社会組織、労働問題――そう言う風に、段々書いていくんです。従つて宗教と言うものは、メシヤ教の一部なんです。それを綜合したものを纒めて一つにすれば、良い世界が作れる。つまり五六七の世界を作る、本当の文明を作る。そこで「文明の創造」と言う本を書いた。それで、唯――根本は人間の健康なんですから、現在は人間の病気許りでなく、世界全体が病人になつている。共産主義と言う事は、あれは思想の病気ですね。精神病じやない。精神的病気ですね。その精神的病気の為に、考え方がとり違つた。健康な考え方じやない。病的考え方ですね。思想が間違つていると言う事は、要するに思想の病気なんです。それから、不景気だ。金詰りだ。物資が足りない。米が足りない、と言う事は、つまり農業の病気なんだからね。それから金詰りと言う事は、経済界の病気なんですね。そうして凡ゆる病気は、結局人間が中心になつてやつているんだから、人間の心と肉体が健全――健康なら、そのやる事が、やはり本当の事になるんですね。病人がやつている仕事だからして、結局何でも病気になつちやうんですね。だから何より彼より、人間の病気を無くすると言う事が根本ですから、それで神様が、病気を治し健康にする、と言う事を主にしている。だから、ああ言う問題は個人々々が健康になれば、それで解決して了います。凡ゆる悩みでも不幸でも、結局人間の病気が根本です。そこで、病気に一番重きを置いているんです。色々、病気もありますが、差し当つて日本ですね。手近な日本としては結核問題ですね。之が一番厄介な病気です。厄介許りでなく、段々増えていく。で、色々新聞、ラジオで言つてますが、近頃結核が減つたと言つてますが、あれは減つたんじやなくて、外に出たものを、内に押込めたんですね。内攻させたんですね。だから、結核は外に出た丈良いんです。内攻させると悪いんです。そう言う事は、今読ませますが「結核の信仰療法」と言う本を作つて――今迄は信者さん丈に読ませると言う様な意味でしたが。今度はそう言う事では追つつかないから、社会的に――医科大学とか政府の大臣連とか国会議員、新聞社、各大病院、結核を扱つている療養所とか――そう言う方面にばらまこうと思つている。それで彼等に対して原子爆弾ですね。それをぶつつけ様と――こう言う訳ですね。この原子爆弾は生命には危険がないから安心ですけれどもね。今迄思い切つて書けなかつたけれども、何か問題でも起りそうな点があつたので、成るべくぼかして、柔らかに書いたんです。だから、先の「明日の医術」だとか「天国の福音」だとか、ああ言うものは、思い切つて書いてない。処がそんな事を言つて居られなくなつたのと、言論の自由になつたので、思い切つて書いても、別に問題が起らないと言う事が分りましたので、今度は思い切つて――思い切つてと言つた処で、別に大袈裟に書く訳じやないんですが、つまり有りの儘に書いて、それを今言つた様に、最初に全国的に読ませる積りですが、新聞広告なんかもして、呼び覚ます。呼びかけるんじやなくて、呼び覚まそうと思つている。だから、相当センセーシヨンを起すだらうと思つてます。何う言う風に出るか、そいつは分りません。之は一般人も見ますからね。相当な反響がない筈はないと思います。それを今、序文とその次を読ませます。之で、私の言いたい――思つている通りを書いてありますから、可成り思い切つて書いてます。

(御論文「⇒序文」「⇒医学が結核を作る」)

今読んだ通り、お医者が結核を作つていると言う事を根本的に書いたんです。之を、お医者さんが読んだら、相当喫驚りするだろうと思います。それで、アメリカなんかが結核が減つたと喜んでいるが、あれがやつぱり浄化停止で、結核丈を起さない様にしたから、その浄化が他の処に出た。だから近頃米国なんかでは、悪性の色んな病気が出て来た――この後に書いてありますがね。一つ一つ研究して苦しんでいる様ですがね。之を見れば解る訳ですね。時間がないけれども、一寸参考になる事だから――

(御論文「⇒奇蹟と宗教」)

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一月七日

【御  教  え】
五、六、七は比較的新しい人が多いそうですから、その様に――適当したお話をしようと思つてます。メシヤ教信者になつて、一番知つて置かなければならない事は、メシヤ教と言うから、一寸宗教の様に思いますけれども、本当から言うと、宗教丈とも言えないんです。宗教より、もつと大きいものなんです。宗教はあるにはありますが、それはメシヤ教の一部なんで、メシヤ教の本来の仕事と言うものは、世界の文化革命ですね。素晴らしく大きいんです。文明の革命ですね。そこで今「文明の創造」と言うのを書いているんです。今迄の文明――之は本当の文明ではないので、要するに間に合わせ文明ですね。本当の文明と言うものは、こんなものじやない。もつとずつと違うんです。で、それを人類に教えて、救う訳なんです。どんな文明か、今迄の文明とは何処が違うか。之は「文明の創造」の方に色々書きますが、一番あなた方の解り良い事は、病気治しですね。之丈をみても違うんですね。今迄ですと、薬だとか機械だとか――それで病気を治そうとして一生懸命になつて――金はうんと使う、それで病気は治らないで、段々悪くなる。処がメシヤ教の方は、こう(御浄霊)やつた丈で、段々治つちやうんですから、その違い差で――そうした事丈でも大変なものです。ひとり病気治し丈でなく、凡ゆるものがそう言う風になつている。現在の世界をみても――一番世界中に脅威を与えているの、はアメリカとソ連との覇を争うと言つては、一寸変ですが――要するに軋轢しているんですね。こう言うのも、本当の文明と言う事が解れば、何でもない事ですね。例えて見れば、間違つた事は許されない。必ず失敗すると言う事を、人間が自覚するんですね。そうすると、人の国を侵略するとか――朝鮮問題にしろ、他国の人民を苦しめると言う事は、全然やつてはつまらない事になりますね。そんな事すれば自分も失敗し、苦しむと言う事が、はつきり解つちやう。だから、そう言う事をやらない。そうすると良い世界になるんですからね。今迄はそう言う事がはつきり解らなかつた。だから、色んな――昔からの英雄だとか豪傑だとか、歴史に出てますが、ナポレオンだとか、ヒツトラー、カイゼルとか色んな人がありますが、あれで成功すると思つたんですね。処が、それがはつきり解らなかつた。そう言う事をはつきり解らせる様にする事ですね。そうして、それが成功すれば、世界中の人間が解るんですからね。そんな馬鹿々々しい――自分で自分の首を締める様な、そんなつまらない事は止そう――そう言う事になる。丁度薬と言う毒を飲んで、病気を治そう――健康にしようとして、それが逆に病気が増えたり、病気が悪化したりするんですね。それを一生懸命にやつている。それと同じ事です。それから、米を作るのも、肥料なんて言うあんなものを、金を出したり、色々して――つまり増産なんて言うのは、全然出来ない。減産位ですね。今年なんかも、三百万石も減産しているんですからね。そう言う馬鹿気た事を、知らないで一生懸命やつているんですから、見ちや居られないんです。処が、今度十年計画ですかね――農林省が先立ちになつて、大変な金ですがね、何千億だか――十カ年で大変な金です。そうして、一カ年三百万石増産すると言う計画を立てて、愈々実行する様ですが、三百万石なんて、増産の出来ない事は請合いますよ。ことによると三百万石減産になるかも知れない。そいつを、農地改良だとか、あの手この手でやるんですけれども、そうしてやれば増産になると思う――その無智ですね。そう言う事が解らないんだから、実に、やはり見ちや居られないですね――子供が何かやつているみたいでね。それから、さつき言つた戦争と言い、病気と言い、農業と言い、実に一生懸命に不幸を作る様な――そう言う事をやつているんですね。だから、今の人類の迷妄を一日も早く目醒めさして、本当の事を教えなければならない。と、こう思つているんです。そこで宗教と言うのは、昔からありますが、到底之程の人類の間違を、宗教なんかで、それを救い、解らせると言う事は不可能なんですよ。こう言う事をする勿れとか、こう言う事をしちやいかんと言う位で、到底今日の人間が承知する訳がないんですからね。余程実際を見せて、科学的にも哲学的にも、徹底していかなければならない。どうせ目が覚めない。そこで、著々としてやつているんですがね。然し、私がやつていると言つても、その奥には神様がやつているんですからね。素晴らしい神様がやつているんですからね。無論成功するには決つてますが、然し、中々大仕事なんです。それはこんな大仕事は人類始つて以来ないんですからね。良く解つているでしようがね。そうして五六七の世ですね――それがつまり出来るんですね。之は出来るに決つているんです。ちやんと、そう言う風に昔から神様が経綸してあるんですからね。で、物質文明を之迄進歩させる為に、色んな間違や、善悪の闘争をさせてあつたんですからね。兎に角神様の経綸は深いものなんです。人間は本当に踊らされている様なものですね。そう言う事が根本なんで、今お話したのは、非常に大きな事ですがね。で、現在の世界の情勢も、大体知つて置かなければならないですけれども、中々ソ連の方は、深い。そこから見るとアメリカの方が、何と言うか、浅いと言うんでなく、善人的ですね。片つ方は悪人的ですから、食えないですね。だから、朝鮮の休戦問題にしろ、彼等も時を稼いでいるんですから、良い加減に、纒まらない様に引延ばしているんですね。処が、アメリカの方は、善人ですから――アメリカの有名な人が、十二月二十七日迄に必ず、条約が結べると言う様な事を言いましたが、あれらを見ても、講和になると思つているんです。処がソ連の方は、そんな生易しい事じやないんです。何処迄も延ばして――第一、休戦になるとすると、両方で軍隊を引上げると言う事になりますね。引上げちや、何にもならないんですよ。連合軍の軍隊を、あそこに引止めて消耗させ様と言うんですからね。先から言う通り、消耗戦術なんですからね。朝鮮だつて、一つの消耗の一部として、何処迄もグズグズしている訳なんですね。ドンドンやつちや、今の処武器の点に於ても、アメリカに敵(カナ)わない。そこで中共もやつて見たが散々やられて、どうしても勝てそうもないし、非常に損害も多いですから、そんな事じやたまらんと言う訳で、蛇の生殺しにしようと――そうしているんですからね。今は、大分アメリカが気がついて来たんですが、暫くの間はアメリカも乗つかつちやつたんですね。そうしておいて、今中央アジヤに事を起そうとして、頻に準備してますね。あれも一つの消耗戦術の一つなんです。ヨーロツパ――それからユーゴーですね。チトー政権もやるでしよう。イラン、イラクですね。イランの石油問題なんかも、極く奥の方には共産党が線を引いているんですよ。で、結局英国を苦しめると言うと、結局間接的には米国を弱らせる事になりますからね。そんな訳で、当分今言つたアメリカを弱らせると言う計画の元に、グズグズ――世界中をつつく訳なんですね。一番面白いのは、スターリンが元日に、日本に大変好意を持つたメツセージを出しましたが、あれは魂胆があるんです。何処が魂胆かと言うと、日本は之から軍備をしようと言うんです。再軍備を緩和させ様と言う狙いなんですよ。この間のうちから、大山郁夫に対して、平和賞を寄越したり、頻に此頃、日本に好意を持つている。そうして、丸で以前と打つて変つた態度を見せてますが、あれは本当に日本を助けると言う様な、そんな様な意味はないんです。つまり、日本の再軍備を出来る丈緩和して、アメリカに接近しない様に、少しでもそれを減らす――是非再軍備するとなると、アメリカの援助ですからね。そこで、ソ連の方が恐い目をしていると、日本も――一生懸命軍備しなければならない。そいつを、ニコニコ顔だと、日本も相当油断しますからね。そう言う処を狙つている。唯それ丈のもので、別に何にも、腹の中は良いんじやないですからね。それは、日本でも解つているでしようから、それに乗る様な事はないでしようが、この間旨い事を言つた人がある。幾ら口で旨い事を言つても、日本の捕虜三十万人から、未だ帰らない。之は何うして呉れる。先ず、それから解決して呉れなければ駄目だ。と言つてますが、あれは旨い――急所を言つたと思つてますがね。

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今年はメシヤ教の方では、美術館は著々として進捗してますがね。無論、六月迄には出来そうです。あれが又、一つの社会的に非常に評判になる。評判になつて、どうだと言いますと、やはり教団の発展に対して、非常に良い影響があると思いますね。と言うのは今迄インテリとか、そう言つた様なのは、何だメシヤ教なんて、良い加減な新興宗教の――旨い事を言つて瞞まくらかして、金をうんと上げさせたりなんかして、今迄の宗教的な事になるのだ。と位にしか見て居なかつたんです。今度美術館が出来ますと、断然日本一ですからね。之は、普通の宗教と違う。大したものだと見方が違つて来ますからね。そんな気振りがある様です。そこで、愈々出来てみると、之は今迄蔑視していた在来の宗教的でない。之は、余程見直さなければならないと言う様な事になりますね。それと、もう一つは、一般にも見せますからね。やはり、名目は維持費とか、色んな名目はあるでしようが、入場料を取つて一般に見せると言う様な事をする積りです。もう一つは、外国人が日本に来れば、箱根は必ず来ますからね。熱海に来ない外国人でも、箱根は必ず来ますから――日光と箱根は来ますから――そこで、箱根に来れば美術館を観なければならないと言う事になります。私は、箱根の美術館と言うものは、外国にもセンセーシヨンを起すだらうと思います。日本に行つたら、必ずあの美術館を観るべしと言う様にする積りでもあるし、その確信もあります。そこで、日本に行つたら、先ず第一に箱根の美術館を観る。それから日光の東照宮を見るとか、或いは京都にと――その位認められる様にする積りです。外国人が観る位にすれば、日本人は無条件で有難がりますからね。それで、時々陳列変えしようと思つてます。この間京都であつた琳派の――あんな様な事をしようと思つてます。すると時々来なければならない。面倒臭いから――信徒なら何時でも観られるから、信者の籍丈でも置いておいた方が良いと言う事になる。それで良いんですよ。形でも信者になれば、霊的には信者になるんですからね。段々解つて来ます。最初から理解するとか、そんな事は要らない。美術館の為に信者になると言う――そう言う様な信者も沢山出来ると思います。日本人は、ああ言う方面に注意を持つているのは割合多いですよ。然も、近頃美術と言うものに、識者が大変関心を持つて来ましたからね。然も、東洋美術と言うものは、特に関心を持つてますね。そう言つた様な――誰が見ても、成る程と言う様に出来上る積りですからね。特に又、インテリですね。そのうちの文士だとか、作家だとか――そう言う人達が非常に、今ああ言うものに趣味を持つて来たですね。暮なんかも、少しでも見たいと言うので、申込みがあつたが、私の方が都合があつたので、春に延ばしました。著名な人達でも――大仏次郎とか川端康成とか志賀直哉とか高見順とか、野村胡堂とか――そんな人が、未だ――色々見たがつて居るんですがね。私は、いづれ美術館が出来れば、一ぺんに見せるからと、止(ト)めてあるんです。そうかと言つて、ああ言う人達が来ると、やつぱり――骨董品なんか出すと言つても、面倒臭いんです。それに、御馳走なんかしてやらなければならないからね。それでこつちも、成るべく美術館が出来てから見せる様にしてます。そんな様な訳で、非常にああ言う方面に趣味を持つている人は、非常に多いですよ。それから、吉川英治なんか――あの人は有名ですがね。それから梅原龍三郎ですね。あの人も見たがつているんですがね。それで、美術館が出来ると、ああ言う人達の間にも、非常に親しくなりますね。それで、ああ言う人達が解ると言う事は、非常に力があるんですよ。やつぱり、何だ彼だ、筆で書きますからね。ああ言う人達が褒めると言うと、それじや相当なものだ、と言う事になるんですよ。ですから、徳川夢声なんか、非常に良く宣伝しているんですよ。あれは、殆んど準信者となつているんですがね。そう言うのは、信者になると、又都合が悪いんですよ。遂々あれでやられちやつたとなる。そんな事で、美術館も中々大きな役をすると思つてます。いづれ熱海に出来るのは――之も大変ですがね。箱根丈でも、今言つた様な働きをすると思つてますね。

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それから、結核問題ですけれどもね――之も、どうしても、もうあまりにひどいので、早く世の中の人に知らせなければ、しようがないんですね。今年は、どうしても思い切つてやろうと思つているんです。思い切つてと言う事は、医学の革命ですね。それには、今度「結核の信仰療法」と言う本ですが――それを、信者向きでなく、一般人向きに書いて、新聞にもウンと広告しようと思つている。それから、各大学ですね。病院、療養所、それから政府の各大臣から国会議員から新聞社――そう言う方面に配ろうと思つてます。で、今迄、私はこう言う事を書くにも、余程加減してあつた。何か面倒な問題が起るといけないからね。然し、今日は言論の自由になつたので、そんな事はないから、そこで本当の事を書く積りです。粗方(アラカタ)出来てますが、そのうちの、「医学が結核を作る」と言う原稿を――之が骨子ですがね――今読ませます。

(御論文「⇒医学が結核を作る」)

今読んだ通り可成り徹底して書いてありますからね。どう言う反響が起るか、一寸見逃す事は出来ないと思います。処で、今結核の為に、各地に療養所を作るとか、ベツドを作るとか大騒ぎをやつてますが、あれが、今結核増産の方法なんで、大変なものです。結核を減産し様と言うんじやなくて、増産する。米を増産し様と思つて減産する。あべこべなものです。次も一寸面白いので――

(御論文「⇒頭を新しくせよ」)

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一月十五日

(お  伺) 
淋巴の機能と血液及び毒素との関係に就き御教えを御願い申し上げます。心臓と肝臓と言う様な密接な関係がある様に想像されますが――

〔御  垂  示〕
心臓と肝臓と言う様な関係とは違いますがね。つまり、頭脳とか特に使うから神経が集中するでしよう。淋巴腺と言うのは、毒素の集まり場所なんです。つまりハキ溜めなんです。風邪を引くと熱が出るでしよう。横から前の方は痰になつて出る。と言つて、ここから直ぐ出るんじやないですよ。一旦肺に行つて、それから痰になつて出るんです。つまり、毒素が一時的溜る器官ですね。それから――出て了えば良いですがここに出ない様に色んな事をして固めますね。それが瘰癧です。瘰癧と言うと、固く引つ込む様になりますね。あれは、人間が作つたんです。だから、実に風邪と言うのは結構なものなんです。風邪を引くと熱が出て、痰や洟が出るでしよう。そうすると、人間は何時も健康で居られるんです。それを、固めるから、しつこくて――肺の中に固める――それで結核を作つているんですね。あれは、実に旨く結核を作つてますよ。あれは、余程研究しなければね。医学が病気を作る研究は、実に進歩してます。ですから、その犠牲になつた人間は、実に可哀相なものですよ。

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(お  伺) 
大島一子(二十六才)は昭和二十三年九月肺門淋巴腺と診断され、漢方薬のみにて約半年程で治り、昭和二十五年三月結婚。四月に発病し、肺浸潤と診断され、実家に帰りパス二箱を使用致しましたが効果なく、五月国立病院に入院。ストレプトマイシン四十本及び毎月三回づつ飲薬を使用、大分経過が良い様に思われましたが、七月末レントゲン検診の結果、空洞があり手術しなければならないとの事でしたが家族は御浄霊の有難さを知る様になり、手術を断り退院し、八月下旬より御浄霊戴く様になりました。其後は咳嗽と軽い下痢位にて、十二月頃より頻繁な咳嗽(特に夜間に多く)次第に食欲が減り、最近では殆ど食欲なく衰弱を増して参りました。御浄霊は頭部、頸部、延髄、肩、背部、腎臓、右足附根を致してをります。今後何処を主として御浄霊させて戴きましたら宜敷う御座いましようか。尚、幼少の頃に肺炎を固めた事が御座います。御神体は御奉斎させて戴いております。

〔御  垂  示〕
半年程で治り――と言うのは、固めたんですね。之は幾らか見当違をやつているんだな。随分方々やつてますが、之は急所が解つていないんです。本人でも解りますがね。大体頸の廻りですがね。ここ(頸部淋巴腺)をやつてますか。

(お  伺)
「致してをります」

〔御  垂  示〕
何処かに固りがあるでしよう。その一番固まつている処――一番熱いですね。熱がありますね――その熱い処が一番浄化が起つているんだから、それで其処が良くなると、他が浄化が起つて来るから、それを間違えない様にする。ここだと思つていると、そこが良くなつて来ると、何ぞ知らんこつちに起つて来る。一番熱い処と一番固い処ですね。そこが急所だからね。熱が減ると、食欲が出て来る。この人は肩が固いでしよう。多分そうでしよう。急所は、ここと肩と延髄の左か右かどつちかですね。他に大した処はありませんよ。そうして急所を見附ければ、何でもありません。そこの急所をやれば順々に良くなります。急所が一つはずれているね。その毒と言うのは――幼少の頃肺炎で固めた。それからパス二箱。ストレプトマイシン四十本。飲薬――それです。その毒が中々出切らないんです。だから、今言つた様な具合にしてやれば、治らない事はないですよ。何しろ熱と咳を早く取つてやらなければね。すると、食欲が出るから、衰弱がずつと軽くなる。こう言う肺病なんかは、急所を見附けるのが一番です。何うかすると、頭のこう云う処(真上)にある事があるからね。急所を見附ければ、割合簡単なものです。肺門淋巴腺なんて言うのは、こう言う処の毒が溶けて――肺の上の方から入つて出るんですからね。打遣らかして置けば、とうに治つている。一生懸命に結核に作りかけたんですがね。実際、現代の人間は可哀相なものですよ。

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【御  教  え】
今度、農業特集号を――この次か、その次あたりの「栄光」の号に発行する積りですがね。そうして大々的に宣伝しようと思つている。第三者でも解る様に書いた積りですがね。実際、今の肺病製造と同じ様に、糞や硫安をかけて、態々出来なくしたんですからね。実に――野蕃人を教育するより、もつと骨が折れます。野蕃人は、最初から解らないんだからやり易いが、今の人間は、迷信に固まつているんだから、それをほどいて、新しいのを入れるんだから、非常な骨なんです。

(御論文「⇒農業の大革命、五カ年にして米の五割増産は確実(一)」)  【註  栄光  一四一号】

之は、今迄に色々言つた事で、初めて読む人に解らせるべく――基本的なんです。  次のは、今迄あんまり言わない事がありますからね。

(御論文「⇒農業の大革命(二)」)【註  栄光一四一号】

大体、理窟は之で解るだろうと思つてますがね。あとは各地からの報告ですね。やつぱり、段々旨くいつてますが、本当に四、五年続けた人のはないんです。大抵は二、三年位ですね。それでも、年々良くなると言う事は、はつきり解りますからね。充分信じられる訳ですね。今、終いにも書いてある通り、科学々々と言うが、世間で言つている科学は、今言つた通りビツコの科学ですからね。本当の科学じやないからね。半分の科学だから、科学であつていて旨くいかない。逆効果になるからね。病気と同じですね。自然栽培と言うのは、今迄の世間の科学とは違いますよ。世間の科学の方が、ずつと幼稚です。こつちの方が進歩した科学です。向うの科学は、迷信科学ですね。それを心から解れば良いんですね。この間新聞に出てましたけれども、茨城県でしたかね――或る農村で客土をすると、非常に成績が良い。で、今年から全村に客土すると言う事が書いてありましたが、あれを見ても、良く解るんです。つまり、客土と言うのは新しい土ですからね。肥料のない土ですからね。新しい土を入れると増産になると言うんですから。それ丈でも解るんですよ。何しろ肥料迷信にかかつているからね。つまり、新しい土を入れないと、土の養分が減つた為に穫れないんだから、新しい土なら肥料分があるからと言う考えなんですから、実に――迷信と言うのは恐ろしいものなんですよ。それで結局、人間の病気と同じ様に、肥料は――人間が薬と思つて毒を飲むのと同じ様なもので、農業の方も、肥料――つまり作物に対して、栄養分と言う様に思つて、実は毒を呉れてやつて、そうして栄養を無くすると言う逆効果ですね。丁度同じ様なものです。

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今書いているのは「結核信仰療法」と言う本ですけれども、之は、色々な広告をして一般人に読ませるんで、信者向きじやないんですがね。それに対して、一寸参考になる事がありますから読ませます。

(御論文「⇒黴菌の発生」)

学校の講義みたいですがね。やつぱり、現代の人間を解らせるには、学問的、科学的に説かなければ信じないですからね。

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次も一寸面白い――この間も話しましたけれどもね。文章にすると、又面白い点が出ましたので読ませます。

(御論文「⇒速度の芸術とピカソに就いて」)【註  栄光一四○号】

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一月十六日

今日は六ずくめです。十六日で、質問事項が六名六項。参拝者が三百六十六名。六でもないじやなくて、六でもあるんだから良いがね。

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(お  伺) 
山元儀三郎(昭和二十五年八月入信、四十七才)は二十四年暮より心臓の動悸激しく、不眠の為医師の治療を受けましたがはつきりせず、二十五年七月御浄霊を戴く様になりましたが、余り変化なく一時御浄霊を中止致し、田舎にて静養し、動悸が収まりましたので家に帰り、御浄霊を戴く様になり、不眠は殆ど良くなり、心臓の動悸もなくなりましたが、本年に入り、又以前の状態の様になり、一月三、四日には心臓を圧迫する様な痙攣の発作があり、頭の状態は皮膚と肉とが離れて引吊つた様な感じで、後頭部、延髄は入信当時は冷たかつたのが、暖くなりました。足は常に浮いた様な感じが致し、皮膚は弾力性がなく、常に恐怖を感じ、喜怒哀楽の感鈍く、食欲も余りありません。以前に睡眠剤を服用致して居ります。御浄霊の箇所を御教えの程御願い申し上げます。尚、御神体は御奉斎致して居りません。

〔御  垂  示〕
之は死霊ですね。死霊が浮ばれない訳ですね。それで、この人にくつつくんだから、之は光明如来様を一日も早くお祀りしなければ駄目ですね。大体それ丈ですよ。死霊を救つてやらなければならない。ですから、光明如来様をお祀りする事と、御神書を出来る丈読む事と――それ丈で治りますよ。

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(お  伺) 
四十才になる婦人。お産後の子宮出血が因で、今日に至るも治らず、御浄霊を戴き、二カ月位の間一時止りましたが、今度は寒気がして咳が激しく、痰も出、衰弱致しますので、教会にて二カ月程御浄霊を戴き、大変楽にさせて戴きましたが、其後はつきりせず衰弱も加わつて居ります。主人及び親戚一同は御浄霊を嫌い、医薬療法を奨める為、家庭の不満は去らず、主人は光明如来様を破る等致し、御浄霊を戴く為に、逃げ隠れして伺う状態で御座います。結婚当時から、心にもない義理的の結婚を養父から奨められた為、結婚後毎日の様に不満を抱き、病気も婦人科の手術、灸療法を行つたり致し、今度は黄疸又は肺浸潤の為に気胸療法六回、マイシン十五本致しましたが、一向に良くならず、二十四年一月に入信、御浄霊を時々戴きました処、体は肥つて参りましたが、病状はつきり致しません。主人は、御浄霊を止(ヤ)めて医者に行く様に厳しく申しますが、如何致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之はどうも感心しませんね。之は、こうしろと言う事は言えませんがね。若し私が、この人の親だつたら離婚しますよ。離婚しろとは言えません――それでは、甚だ誤解を受けますから、私としては、そう言う風に考えますね。之は、全然霊的に合つていないんですよ。ですから、夫婦である間は仕合せになれませんね。

それから、こう言う反対のある場合は治らないんですよ。何時も言う通り、その霊が邪魔してね。霊の邪魔と言うのは実に恐ろしいもので、その一家に居ると、絶えずその霊が働きますから、その邪魔によつて浄霊の力があんまり強くないんですよ。弱りますからね。ですから、之は浄霊している教師は、本当は止(ヤ)めた方が良いです。そうして時期を待つんですね。処が本人が中々止められないから――それに、縋つて来るでしよう。そうしたら、本人に穏かに――結局離れる様にした方が本当は良いですね。それでないと、こう言うのは、霊的に喰違つているんだから、仕合せになれないし、信仰にも入れないんですね。従つて、幸福にはなれないと言う訳になる。之は、つまり結婚が間違つているんですね。こうなると、恋愛結婚は良いと言う事になりますが、恋愛結婚でも見合結婚でも、結局同じ事ですが、之はその人が霊に曇りが沢山ありますから、旨くいけないんだから、それ丈の苦しみをして、霊がそれ丈浄まるんですから、浄化ですよ。病気でない浄化ですね。それは、それ丈の苦悩なんですから、一番良い事は、信仰をして神様にお願いして、御主人を刺戟しない様にして時期を待つんですね。そうすると、その人に御守護が段々加わると、自然に離れられるか、さもなければ御主人に信仰心が起つて、円満になるか、どつちかですからね。その辛抱が出来なければ、離れるより仕方がないですね。それは、その人の気持ですね。その道理丈を説いて、あとは本人の自由意志と――それよりしようがないですね。

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(お  伺) 
私の弟(内臓外科医)の長女本田幸子(三才)何時とはなく、片方の眼のみにて物を見る様になり医診の結果「脳膜神経膠  腫」と言う稀病で、原因不明で予防法、治療法は共になく、早くて半年、遅くも五カ年内に脳髄と肝臓を犯され、必ず一命を取られる恐ろしい病気で、この儘放つて置けば、眼球突出し、臭気甚だしく、看護に耐えられぬとの事に、右眼は摘出手術、軽症の左眼はラジウムを挿入致しました。手術後は順調でありましたので退院し、自宅より毎日通院しレントゲン療法を施してをります。至極元気で左程苦痛も訴えず、両眼帯の為手探りで遊んでをります。医者には絶対に治らないと見離されましたが、本人の親は、光明如来様をお祀りすればお救い願えますでしようかとの事で御座います。尚、御浄霊の方法を御教えの程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
惜しいな。之は治るんですがね。別に大した病気じやないですよ――我々から言えばね。之は、眼の裏に膿が一杯溜るんです。目が飛出ると言うのは、押すんです。早くて半年――そんな事はありません。之は間違つている。目が悪くなつて肝臓を何うすると言う事はありませんよ。目は直接肝臓に何うと言う関係はありません。若しそんな事言うと、目の手術した人は皆肝臓が悪くなる筈だ。放つて置けば臭気甚だしく――之は上等ですね。膿が出るんですからね。右眼は手術したと言うのだからしようがないが、左眼にラジウムを挿入したと言うのは、困りますね。ラジウムは組織を破壊するんですからね。組織を殺すんですからね。こんな事してなければ訳なく治るんですが、唯問題はラジウムですね。それからレントゲンは膿を固めるんですからね。この為に非常に長くはかゝるでしようが、治るには治ります。唯レントゲンが弱いとか、ラジウムが弱いとかすれば、それ丈早く治るでしようがね。実に困るんですよ。お医者の手をかけた丈は遅いんですからね。けれどもラジウム、レントゲンをかけ乍ら浄霊しては何にもならないから、それ丈は止(ヤ)める。それで、一週間か二週間位試してみて、それで膿が出て来ればしめたものです。膿が出て来れば溶けて来たんだから、請合つて治ります。

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(お  伺) 
倉地一(四十三才)六才の頃右眼に打撲傷をし、約一カ年翳んで居りました事が御座います。二十六年十一月二十五日夜籾摺の時、俄かに目が翳み、目薬をさしても思わしくなく、町の眼科医の診察では視神経と言われ、二、三日通い、はつきりしないので岡崎市立病院へ行き、左眼黒底翳、右眼白底翳と言われ、十日程通い、毎日両眼に眼球注射しましたが、何の変化もなく、名古屋大学病院で診断の結果、網膜炎と言われ、入院を奨められ、岡崎市立病院へ入院し、毎日眼球注射及び油薬を腕、胸、股に摺込みました。手術して牛の脳を股に入れよと言われましたが、手術直前に御道を知り、早速退院致しました。この時は両眼に三十四本の眼球注射をうち、両眼共に失明状態となり、十二月に妻と共に入信させて戴き、御浄霊を戴く様になつてより、寝汗が出、気分も大変軽くなりました、両眼には余り変化がありませんが、多少充血し、一間程近づけば、黒くぼーつと見え、言葉を聞いて、人と思う位の状態で御座います。御神体は未だ御奉斎致しておりませんが、今後如何様に進ませて戴きましたら宜敷いでしようか。又御浄霊の箇所を御教えの程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
視神経障害とか、視神経麻痺とか言うんですがね。視神経と言うのは――病名じやないですね。網膜炎と底翳は大変な間違ですね。網膜炎は眼球の外面ですからね。底翳と言うのは、裏面ですからね。医者の診断はそんなものです。解らないと言えば良いんですが、解らないと言うと値打が下ると思うんですね。あれが困る。要するに不正直なんですね。人間の命を預かる者が、正直でないと言うのは甚だ困るんですね。  股に摺込み――之は水銀軟膏ですね。黴毒の疑いがある。之も、別に難かしいのじやないんですよ。之は、最初打撲傷受けましたね。この時内出血してあつた。それが固まつたんです。そこで、一旦見えるに差支えなかつたんですね。それが、浄化が起つて内出血が溶けて、眼の裏に溜つた訳ですね。それで見えなくなつた。こんなのは、放つたらかして置けば、もう治つているんですよ。お医者に行つて、一生懸命に悪くして貰つたんですね。悪くされたんですね。ですから之は、底翳には違いないです――裏に溜つているんだからね。然し、普通の底翳とは違う。内出血が溶けたものですからね。だから之は、放つて置けば段々出て来て、目ヤニになつて治つたんですが、良い塩梅にお医者さんに悪くされたんですね。眼球注射と言うのは悪いんですよ。大体、常識で考えても分るんですよ。目の玉に直接入れるのは悪いんですからね。ですから、目の玉に注射して、治るのは一人もありませんよ。実に、医学と言う代物は困つたものです。

それから、油と言う――水銀なんかをこするが、之は大した事はないが、勿論、良くはないですね。気長にやれば治りますが。眼球注射と言うものは、段々目ヤニになつて出ますからね。その代り何年か経つて出るんですがね。それから、どうしても光明如来様をお祀りしなければなりませんね。そうして、その部屋に寝なければいけませんね。こう言うのは、僅かづつ治つて来ます。黒くぼーつと見えると言うのは、幾らか効き目があつたんですね。気長に、今言つた様にやると、段々少しづつでも見えると、希望が出て来ますからね。まあ――結構でしたけれどもね。

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(お  伺) 
伊藤義雄(十八才)胃下垂の為二年間服薬注射を致し、段々衰弱し、昨年夏頃より御浄霊戴き、大変気分が良くなり、入信させて戴きました。其後父も入信させて戴き、以後自宅で父の御浄霊を戴いて居りました。本年元旦に教会に参拝致し、午後から下腹から寒気がして気持が悪くなり、其夜から熱が出て、食欲なく、胃が痛み、四時間程苦しみました。毎日下痢し、お腹も数回痛み、元気なく、何となく疲れ易くなりました。御浄霊の箇所を御教示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は結構ですよ。熱が出たと言う事は、薬毒の固まりが溶け始めたんだから、浄化熱ですね。それから、胃が痛み――痛みもやはり薬毒が溶ける苦痛ですね。その為に食欲がないんだからね。毎日下痢――之は結構ですよ。この為に毒が出るんだからね。疲れる――之はしようがないですよ。食欲がなく、下痢するんだから、少し位疲れます。この位我慢しなさい。浄霊は背中の方に固まりがありますから、それを溶かす。一旦服んだ薬は、仰けに寝るから背中に溜りますから、それを溶かす。前にも固い処がありますから、それをとる。胃下垂と言うのは、薬の飲み過ぎなんですからね。何時も言う通り、薬を飲み過ぎて、薬が垂れて来るんですからね。こんなものは何でもないですよ。それから、こう言う人はお茶漬を食べると良いんですよ。お香こをきざんで、それでお茶漬する。鮭でお茶漬ですね。そう言う風なものが割に良いんですよ。つまり胃下垂と言うのは、消化の良い物とか、良く噛んだりすると駄目なんですから、胃の悪い人は、お茶漬を食うんですね。それ丈で治ります。胃下垂なんかは、お茶漬で百発百中です。

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(お  伺) 
山田なつ(四十五才)二十四才の時裁縫中に側の物差を取ろうとして右手を伸ばした処、物差は取れず、左手が突張つて其の儘意識不明となり、三日目に恢復と共に左半身不随になり、自由が利かず親戚の医師に治療を受け、又民間療法、電気療法も致し、良いと言う事は何でも致し、既成宗教も信仰しましたが、何等変りはなく、歩行困難、言葉はもつれ、涎も出て、不自由な日を送つております。御浄霊は毎日戴いておりますが、変りありません。尚御浄霊を戴きますと、左胸部(乳の上)左肩の部より両手先、特に左手先等激痛を感じます。之は霊的で御座いましようか。又御浄霊の箇所を御教えの程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は、薬毒の――つまり中風ですね。丁度、物差を取る時に中風が起つたんです。若い時分だから、割に命に関わらなかつたんですね。之は、そんなに質(タチ)の悪い方じやないです。舌は未だもつれてますか。

(お  伺)
「未だもつれております」

〔御  垂  示〕
ここ(頸部淋巴腺)に固まりがありますから、ここの固まりを溶かすのが一番です。之が元ですよ。それから、あとは歩けるんですか。

(お  伺)
「歩けます」

〔御  垂  示〕
手は動かせるんですか。

(お  伺)
「動かせますが、しつかり握れません」

〔御  垂  示〕
そうすると、手を握つてみて、痛い処か痺れた処がありますから、それを浄霊してやる。それから、舌のもつれは、ここ(頸部)です。それから、頭脳の程度は――

(お  伺)
「普通で御座います」

〔御  垂  示〕
ぼんやりしてませんね。軽いんですよ。もう一息で治りますよ。今言つた通りにしてやればね。

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【御  教  え】
今度、農業特輯号を出しますけれどもね。多分この次辺りの「栄光」だろうと思いますがね。それで、論文ですね。あれは、この前読んだと思いますが、その次に――この前は早過ぎたので、報告が来てからと言う事を言つて置きましたがね。あれから、大分報告が来て、もう大体恰好がつきますから――で、この前の論文の、次の論文ですがね。報告を見てからのです。それを読ませます。

(御論文「⇒農業の大革命  (二)」)【註  栄光一四一号】

私が以前神様から知らされたのは、最初出来た時は五、六粒しかなかつた。それが段々、人間が増えるに従つて粒が増えて来たのですね。今日の粒と言うと、平均百二、三十粒ですがね。それでも、今から千年位前は、生り方がもつと少なかつたんです。この半分位かも分らないですね。五十粒か六十粒かも分らない。そんな訳で、人間が増えるに従つて、生り方が増えていくんですよ。ですから、今の人口としては、もつと粒が多くならなければならない。多く生ろうとしても、肥料で止(ト)めてあるから生れない。粒が余計になるから、増産になる訳です。それで、粒が増産になると共に、穂に穂が出るんです。分蘖は根から出るんですが、穂から穂が出るんですから、幾らでも生るんですよ。今も読んだ通りね。凡て、そう言う事は、神様がやられているんですからね。人間許り増えて、食物が生らないなんて――そんな気の利かないものじやない。人間が気が利かない為に、切角神様が気の利く様にしてやつても、旨くいかない様なものなんです。で、無肥料栽培と言うのは、大変な効果があるんです。無肥料栽培でやつていくうちに解るんですが、今度の無肥料栽培の座談会にそんな事がありました。皆が不思議不思議と言つているが、不思議でも何でもない。当り前の事なんです。で、地球上の色んな事が変つていくんです。こう言う事も人間が知ると、非常に良いんですがね。今年は暖冬異変と言つて、冬暖かいですね。段々年限が経つに従つて地球上の気候が段々平均していくんです。寒い処と暖かい処――その差が著しくないんですね。平になつていく。之は色んな原因があるんですがね。人間が増えて――人間と言うのは非常に暖かくするんですね。北海道なんか、昔からみると非常に暖かくなつてますね。それからシベリヤなんかも、昔は住めなかつたが、今は都会なんか出来ている。それからラジオですね――気候を緩和している。ここにラジオの機械を据えると聞えるでしよう。そうすると、ここに人間の声が一杯あるんです。そうすると、霊界が違つている。言霊界と言うのは、霊界の浅い処ですね。深い処は想念界ですね。言葉が――形が現われるんですからね。形が現われる世界は、一段下るんですね。それで、一番高級の世界は、神霊界――神様の世界。だから、そう言う理窟が解れば、色んな事は大体判断がつく訳です。処が、今は科学教育を受けてますからね。そんな事は全然知らないから、今年は不思議だとか、暖冬異変だとか、色んな事を言つてますがね。

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それから、お米の事はこの位にしておいて、この間も言つた通り結核問題の本を書いて――之は単行本にして、之も方々にばらまこうと思つてますがね。今度は、表面的に、思い切つて、世界的にやろうと思つてね。先ず最初は、日本の大学とか学界、大病院、結核療養所――そう言う方面に読ませ様と思つて――送ろうと思つて、まあ――原子爆弾ですね。それをぶつける訳です。どの位驚くかは、一寸見当がつきませんが、けれども素通りする事はないですね。それは心の何処かに止まりますからね。最初から解らせると言う事は中々難かしいから、先ず一発放つておいて、度肝を抜いておいて、それから第二発第三発の手をやる積りです。大体書上つたんですが、之は「結論」ですが、今読ませます。

(御論文「⇒結核信仰療法  結論」)

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この間ピカソに就いて「栄光」に出しましたがね。それから、その後ざつと話もしましたが、それを今度文章に書いた処が、中々面白い点があるんです。

(御論文「⇒速度の芸術とピカソに就いて」)  【註  栄光一四○号】

ピカソや何かの色んな批評がありますけれども、あのピカソの絵が、解つたと言う様な、或いは解る様な書方をしてあるんですよ。あれは、私は自己欺瞞だと思つている。解る筈がないんですよ。若し解るとしたら、その人の頭が何うかしている。自分の見た儘、聞いた儘を書くのが本当です。どうも、日本人は――人があんなに言うから、何処か良い処があるだろう。悪い処はあるが、それは書かないで、良い処丈を書こうと――そう言う処がありますね。私は思い切つて書いたんです。何事もそうですがね。之は、絵ばかりではなく、凡ゆるものがそうですね。と言うのは、日本人の教育が間違つた教育を受けているので、ものを見破る事が出来ないですね。本当の事を教わつてないからです。そこで、要するに眼が――眼識が低い訳ですね。だから私は、そう言う意味から信者の人にも、本当の事を知らして――要するに本当の教育をしたいと、そう思つているんです。ですからああ言う美術品も眼の利いた人は解る。一般の人間は解らない。画家なんかもそうですよ。俺の芸術は、一般の人に解つてたまるか。解る人は解る。それで良いんだ。と、その考えが間違つているんです。之は画家丈でなく、一般の芸能人にもありますがね。それが案外逆なんです。私は映画を見る度に、そう言う感じがするんです。処が、映画で見る感じと言うのは、今の感じとは、又違うんです。と言うのは、映画の方が行過ぎになつてますね。それで、過ぎたるは及ばざるが如し、となる。特に日本の映画は、客を軽蔑しているんです。実際に有り得べからざる事ですね。私は、一番嫌だと思う事は、ピストルの射合いしますね。すると、主人公には決して当らないです。どうでもよい人間には、弾が当りますね。処が西洋映画は実に自然なんです。どんな偉い人でも、弾が当つて死んでいく。あれ丈日本映画は感覚を殺しているんです。大体、日本映画の狙いは若い者ですね、映画を見るのは若い者ですから、唯面白ければ良いと言うのでね。若い者でも――映画を見たての極く低級なのはそうですが、見慣れた者はそうではない。チヤンバラですね。二十人も三十人も相手にして闘つているでしよう。実際にあんな事が出来る訳がないですよ。私は、馬鹿々々しくて見て居られない。どうかすると、刀を持たないで二、三人をどうかして、切り抜けますがね。あんな事がある訳がない。それから陰に隠れて鉄砲射ちますが当らないですね。当らなければ当らないで、納得のいく場面を作れば良いんですが、実に安直なんです。観客が低い様に言つているが、御自分の方が低いんです。処が、イタリヤ映画で「自転車泥棒」と言うのがありますが、あれなんかは、費用も――殆んど一人の人間の芸みたいですね。だから、あの位金のかからない映画はないですよ。監督の腕ですね。それで、グングン引きつけて――あの位観客を軽蔑しない映画はないですね。実に真面目な作品ですね。そう言う事があり乍ら、どうも日本のプロデユーサーや監督は、人を小馬鹿にしているんですね。然し、私がそう色んな事を言つているそんな暇はないから、我慢してますがね。

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一月十七日

(お  伺) 
笠井末男。昭和二十四年十二月精神分裂症にて入院し、電撃療法を行い一度は収まりましたが、翌年再発し再入院致し、頭が変でありましたが電撃療法は致しませず、自然に任せて居りました処、稍快方に向いましたが、赤痢を併発し衰弱が甚だしくなり、自宅に帰り、本教を知り、昨年五月より御浄霊を戴いております。八月頃には精神異常が甚だしくなりましたが、最近は応答も大分普通に出来る迄にさせて戴きました。現在は左足に苦痛を覚え、体の動きは中風の様で御座います。又左足は右足よりずつと肉のつき方が少なく、筋肉も締つておりません。食事は少しづつ絶えず欲しがり、特に魚が好きで、その食べ方は犬猫の様だと申しております。御神体はお祀りさせて戴く迄に信仰が進んで居りませんが、御屏風観音様はお祀りさせて戴いております。霊的と思われますが、無理の様でも御神体をお祀りさせて戴きませんと、お救い戴けないもので御座いましようか。

〔御  垂  示〕
精神病は、少しけわしい時は、歩けなくなつたりしますが、あれは麻痺する注射をうつんでね。筋肉が締つてない――足を使わないと痩せて来ます。之は猫の霊が憑つているんだな。絶対に御神体をお祀りしなければ駄目です。精神病的なものは、御神体が一番肝腎なんです。ですから、それをやらないで浄霊許りしていても駄目ですよ。今言つた通りですね。

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(お  伺) 
前田美智子(四才)は生後二カ月頃旅行中急に発熱、脳症との事で、熱は二週間程続きました。其後医師にかかり、自然に頭が肥つて参り、脳水症と言われ、六カ月医療を続けましたが治らず、発病一年を経て本教を知り、御浄霊を戴き、母親も入信して御浄霊を戴いておりますが、頭は少しも小さくなりません。知能は普通より遅れ、体も弱く足も立たず、現在は床に就いております。今日では、頭は大きく可成り固まつております。之は霊的で御座いましようか。又如何致しましたら宜敷いでしようか。尚仏壇は親の方のみで、お祀り致しておりません。御神体もお祀り致しておりません。御浄霊は何処を主に致しましたら宜敷いでしようか。

〔御  垂  示〕
之は、浄霊許りじやない。ちやんとお祀りしなければ駄目です。それから、第一仏壇もお祀りしなければ駄目です。之は霊的ですよ。水死人の霊で、水の中に落ちるとか飛込むとかして、水を飲み乍ら逆(サカサマ)になつて死んじやつた。それで、頭の方に水がうんと溜つて膨れちやつた。それが憑いているんですよ。ですからこう言うのこそ、浄霊許りでは絶対治りませんよ。霊的で治していかなければね。先ず、仏様を作る事と、御神体をお祀りする事と、それをやらなければ救われないんだから、手放すかどつちかです。中途半端じや駄目です。

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(お  伺) 
古川益雄(昨年七月入信。二十七才)十六才の時に運動中に癲癇症状で倒れ、以来一年に一回位二、三年倒れ、それを気に致しており、頭は痛くぼんやりし体はだるく、神経衰弱と診断され、腎臓病にもなり、一夏はのぼせるので氷枕をし通した事もあり、カラシの腰湯も半年位続け、種々服薬手当を致し今日に至つております。仕事不能になつてから二年になります。入信後御浄霊を戴いておりますが、大した変化は御座いませんが、幾分返事をする様になつて参りました。昨年九月より就床し、最近食事が減り、朝一杯位しか食べず、奨めても頭が痛いと言つて食べません。食後胸が苦しく、呼吸も苦しく、息もいきむ状態で、のぼせる様な症状も一日に何回となく起ります。又一つ事を何時迄も考え込んで居ります。山羊の乳が好きで、長く飲用し、睡眠剤も幾らか使用しております。両親も入信し、御屏風観音様は御奉斎させて戴いておりますが。御神体は未だで御座います。祖父は神経衰弱気味にて変死しており、その親も同じ状態で亡くなつております。祖父の位牌はお祀りしてありますが、後のは個人としてはお祀りしておりません。原因並びに御浄霊の箇所の御教示を御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
皆御神体を奉斎してない人許りですね。之は、霊的と体的と両方ですね。それから、薬毒も相当入つてますね。薬毒と霊的ですね。のぼせると言うのは、頭に毒があつて、そこに浄化が起るんですから、頭を良く浄霊する。腰湯――こんな様な事は何にもならないんですからね。反つて悪い。頭に毒がうんとあるから、頭をうんとやるんですね。一番は頭ですね。それで、頭に毒がうんとある為に、霊も憑り易いんです。それからここに祀つて貰いたい祖霊も居ますから、やはり、正当に祖霊を祀つてやらなければいけないですね。祖父丈ではいけませんね。そうして御神体をお祀りする。それが根本ですよ。そうすれば必ず治りますよ。それから、家の人なんか良く御神書を読んで聞かせる様にするんですね。そうすれば必ず治りますよ。

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(お  伺) 
川上キノ(昭和二十一年入信。五十七才)二十六年七月畑の草取りの最中に急に右眼に痛みを覚え、床に就きました。右半面が激しく痛み、信者さんに御浄霊を戴き、その時の状態は黒目の中央に膿結らしい物があり、肩、頸筋、頭部に相当の熱があり、次第に黒目は全部真白になり排膿を始め、其後小指の頭位の膿結が黒目の辺りより御浄霊中に飛出しました。更に目の玉の周囲がザクロの様に腫れ、黒目の処が大豆位の大きさに突出し、二回に亘る毒血の排泄により、眼球は凹み、ザクロの様な腫れもすつかり取れました。現在は、黒目に雲がかかつた様になり、電燈の明りも判りません。中教会にて御浄霊を戴いてより左眼も段々見えなくなり、両眼共に見えない状態で御座います。御浄霊は約六カ月戴いておりますが、只今の処変化は御座いません。尚左眼は御浄霊を戴きつつ多少痛みがあるのみにて段々見えなくなりました。既往症としては、二十才頃大腸カタルで注射一本と服薬を致しております。又本家は潰れ屋敷となつており、本家に眼を患つて亡くなつた者が居るとの事で御座いますが、その関係が御座いましようか。御屏風観音様はお祀りさせて戴いておりますが、御神体は家族の者が解らない為に、未だ御奉斎致しておりません。尚、御浄霊の急所御垂示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
御神体は未だ――やつぱり、どうもね。御神体を祀つてその部屋に寝なければいけないですね。之は、霊的もありますが、やつぱり霊、体と両方ですね。こう言う人は頸の廻りを見て御覧なさい。必ず固まりがありますから、そこを溶かさなければならない。それから肩――その辺に固まりがありますから、それを溶かす。家族が反対するんだからしようがないが、それは、ゆつくりで良いです。それから後(延髄)ですね。ここに固まりがありますから、それを良く溶かす。治りますがね。そんな難かしいものじやない。それから頭ですね。こう言う処(延髄)の毒が頭に行つて、そうして目に行つて固まるんですよ。

(お  伺)
「最初、黒目は飛出ておりましたが、殆ど低くなつた様で御座います」

〔御  垂  示〕
反対に凹んだ訳ですか。今黒くはあるんですか。

(お  伺)
「黒くはなつておりますが、その前が膜が被つた様になつております」

〔御  垂  示〕
目の玉が取れる場合があるんですがね。そんな事はないですか。

(お  伺)
「取れた様では御座いません」

〔御  垂  示〕
それは取れた様な気がしますね。それでなければ凹む訳はないんだ。膿で後から押されて、目の玉が取れる場合があるんだ。膿で一杯被つたその儘出たんですよ。だから、膿の固まりみたいに見える。それは目の玉ですよ。片つ方丈ですね――この方は望みないですね。片つ方は治りますね――頭の毒を取ればね。けれども、之は相当長くかかりますね。何年もかかりますね。ですから、反対があつたりすると、一寸――それ程丹誠にして、結局骨折り損のくたびれ儲けになるかも知れないが――之は止(ヤ)めた方がいいかも知れないですね。幾ら人間を救うと言つても、十人が十人全部救う事は出来ないんですよ。十人の内に二人や三人は救われない人が出来るんですよ。致し方ないですね。だから悉く救おうとしても、救えない場合には、先ず止(ヤ)めるよりないですね。そう言うのはどうしても、霊になつて救うと言うより仕方がないです。肉体では救われないと言う訳ですね。

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(お  伺) 
山口信子(昭和二十六年三月入信。二十三才)昨年一月十四日喀血し医療を受け、ストレプトマイシン(米国製)五本、日パス九グラム、テイビオン百錠、漢方薬一カ月服用、気胸五、六回にて入らず、絶対安静を致し食欲は進まなくなりました。以前学徒動員中脚気を毎年夏季連続発病し、ビタミン注射百本、頭痛にてノーシンを多量に服用致しております。大腿部、鼠蹊部主に全身の御浄化を戴いてより咳、痰激しく、現在は咽喉が痛み、呼吸困難、心臓が苦しく、歩行も出来兼ね、食欲は一日二回(一回に軽く一膳)程度で御座います。尚、父は肺結核で死亡、三男は戦死、姉も肺炎と脳膜炎合併症にて死亡致しております。母は入信させて戴いており、御屏風観音様を御奉斎させて戴いておりますが、兄夫婦が解らない為に御神体は御奉斎させて戴けない状態で御座います。霊的に関係が御座いましようか。尚御浄霊の重点を御教示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は霊的に関係ありませんよ。薬毒ですよ。之丈入れたら堪らないですね。よく生きている位なものです。まあ――若いから、絶望と言う事は言えないが、先ず然し、難かしい方が多いですね。それで、こんなに薬を飲んで、色んな手当をして、良くなかつたら目が醒めそうなものだが、それでも反対するんだからね。実に――この迷信と言うのは、大変なものですよ。食欲次第ですね。どうせ、浄化で段々薬毒が取れていきますからね。唯、咳や痰が出ると、是非熱もあるし、衰弱が増しますからね。食欲が少し足りないね。こう言うのは、出来る丈菜食をする様にするんだね。そうして、菜食をさせて二、三週間やつてみて良い方に向えばいいし、それでグズグズしている様では之も駄目ですね。まあ要領良く逃げるんですね。

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(お  伺) 
布施寿満子(三十七才)昨年十月、四十度程度の発熱が続き、左下腹部(卵巣部)に特に痛みを感じ、歩行にも支障ある様になり、医診では卵巣が癒着しているかも知れぬとの事で、御浄霊致しておりますうちに、痛みは烈しく吐気を催し、次第に下腹部より胃の近くに及び、腹部の表面は肌着が触れても痛みを覚え、この頃から発熱は殆んどなく、腹部のみが火の様に熱して参りました。十二月中頃より患部の痛みは軽減しましたが、体力は弱り食欲がなくなり、毎日四、五回御浄霊戴きますと、腹部の痛みは更に軽くなり、食欲も出て参りました。二十九、三十日には古血が少々出、本年三月頃より気分も軽く、腹部の張りも少し引いた様に感じられます。現在下痢を致しておりますが、大体左半身に御浄化が多い様で御座います。数年前医師の注意により、健康保持上掻爬手術を致しております。尚、私の家屋敷は、士族時代からの住家に現住致し居り、刀剣、火器の類も或程度伝わつており、三百数十年前の先祖が、戦場で池田小入斎父子に殉じ切腹しております。数代前二、三代に亘り男子が生れなかつた事も御座います。又、妻の肉親が四人結核で死亡しておりますが、霊的に関係が御座いましようか。弟に医者が多く、私と家族のみが入信させて戴いております。光明如来様、御屏風観音様は御奉斎させて戴いております。御浄霊は腰と鼠蹊腺部と腹部の固結を中心に致しておりますが、特に注意すべき点を御教示賜わり度く御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は霊的じやありませんね。やつぱり薬毒ですね。それから――順調ですよ。結構ですよ。もう少し経つと、ずつと良くなります。

(お  伺)
「刀剣類は如何致しましたら宜敷う御座いましようか。長押に三本大きな槍を掛けております」

〔御  垂  示〕
良いですよ。光明如来様はお祀りしてありますね。してあれば――そう言うのに霊が憑いている事もありますが、そう言うのも助かつて来ますからね。上に掛けてあるんですか、それはいけない。それは、光明如来様の部屋の床か、隅の方か――下の方なら良いですね。畳にじかではなく、一寸台をして、それに並べて置いておく。それに霊が憑いていれば、それが救われていきます。それで良いです。之は、順調ですからね。治りますよ。

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(お  伺) 
森本きくゑ(三十八才)昭和二十三年三月突然心臓の動悸が高く打ち、左半身が痺れ、舌が強張り、医診では神経衰弱が病原との事に医師を変えて色々手当をしましたが、日々悪化する許りで、医師は血の道からとも言い、病状は頭が悪く、肩、胸、腰と、全身の筋肉が強張り、痺れを感じ、時々寒気が増し又暑かつたり致します。又目を閉じますと、引込まれる感がし、目を開きますと、天井や建物が廻る様に思われ、体の置場もなく困り居ります時、昭和二十五年八月知人の奨めで御浄霊を戴く様になり、夜も良く休める様になり、同年十月入信させて戴きました。二十六年三月頃より耳が遠くなり、神経も手伝い十一月頃より、又元の病状の様な苦痛を感じます。御浄霊箇所を御垂示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は神経衰弱じやないよ。神経衰弱で痺れるなんて、ないですからね。舌が強張るなんて、ないよ。丸つきり出鱈目ですね。だから、本当言うとお医者さんに診せて、之は解らないと言うなら、偉いですよ――その正直さにおいてね、大体医学で解る訳がないんだからね。血の道――女だからそう言うんでしようね。之は、後頭部から延髄にかけて固まりがありますよ。霊も時々憑りますが、憑り切りではないです。やはり、元は薬毒ですよ。之も治りますよ。今に健康になりますね。だから、大体固まりですよ――後頭部から、この辺(延髄)ね。

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(お  伺) 
元川一美(二十五才)昭和二十三年九月務め先の会社にて健康診断の結果、肥厚性鼻炎、扁桃腺肥大症と言われ、切開手術を致し、其後頭に異状を覚え、圧迫感を催し、断食療養所にて十六日間断食を行いましたが全快に到らず、再び十六日間行いました処、益々神経過敏となり、自殺を二度迄思い立つ程の悲哀感に、医大で診て貰いましたが原因不明で少しも好くならず、困り居りました折に、お道を知らされ御浄霊を戴く様になり、一カ年にして、熱海瑞雲山に三カ月間の御奉仕に参加させて戴ける程になり、帰郷後全身御浄化を戴き、他人の話も聞くのが嫌になり、食物の味も解らず、全身は硬直、一人居を好みます。御浄霊箇所、霊的関係の御教示を御願い申し上げます。尚、光明如来様、御屏風観音様は御奉斎させて戴いております。又、母は入信致しておりますが、父は未だで御座います。

〔御  垂  示〕
頭に異常――切開手術の為だね。断食療法――断食は悪いんですがね。だから、私は何時も言うんです。日本人全部が断食したら、国力が弱つちやうんです。食う為に口もあり、腹も減るんです。こう言うのは、やつぱり昔のバラモンの行者のやり方ですね。之は、祖霊の一人が救われたい為に、この人に憑つているんです。他人の話も――之は、その霊が死ぬ時の状態です。こう言うのは、本人が憑るんじやなくて、祖霊の中の他の祖霊が、この人を助けてやろうと思つて居るんですから、結構ですよ。祖霊の内の難病人を助けてやる事になるんですからね。そうして、狙い処はお父さんを信仰に入れ様と言うんだな。之は正守護神がやつている。だから、出来る丈御神書を読むと良いな。本人が読めなければ、お母さんが読んでやるんです。そうしていくと、段々救われていきますから、そう長い事はない。それからお父さんには御神書を読む様にする。そう言う場合には御神書を――新聞とか雑誌を――お父さんの部屋に置いておいてやると良いんです。それで、一寸でも目が触れれば、結びますからね。之はどつちみち、そう長くはかからないから、今言つた様な具合にしてやるんですね。それから、之は――御奉仕する位だから、信仰に徹底しているが、そうなつてから、よくこう言う事があります。そう言うのは祖霊が――自分が憑つたり、正守護神に引張られて憑つたりするんですから、そう言うのを救つてやると言う事は、非常に功徳になるんです。

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(お  伺) 
平田三郎(四十六才。潜水業)一昨年七月より視力が段々なくなり、痛みますが目ヤニ等は全然出ず、九月に京大に入院診察の結果黴毒の疑があり、脊髄液を三回取り検査の結果、黴毒ではなく網膜炎との事でオーレオマイシン注射十八回、服用二瓶、胃が痛む為途中で止(ヤ)め、六○六号三本、代用約六十本射ちましたが、入院中日増しに視力がなくなり、十一月末に退院致しました。退院後灸療法をしたり「生長の家」の信仰にも入りましたが何等の変化もなく、昨年四月妻と共に入信させて戴きました。其後教会にて御浄霊を戴き、妻より毎日御浄霊を戴いておりますが、変化御座いません。私は平田家の婿養子で、現在子供が五人あり、二人病死しております。両親は千葉県に在住。私達は築港作業の為に兵庫県美方郡浜坂町に寄寓しております。先祖の位牌を別に作り、御屏風観音様を御奉斎させて戴いております。視力の程度は新聞紙、雑誌等は全然読めません。晴天の日は、太陽の光は強くて見悪(ニク)く。曇つた日、月夜は楽で御座います。入信させて戴きました当時より、視力は少し落ちた様に思われます。左延髄が少し高く、左頸筋に微熱が御座います。之は霊的で御座いましようか。尚、御浄霊の箇所を御教え賜わり度く御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
見えなければ網膜炎に決つている。丁度、疥癬が出来て、之は皮膚病と言うのと同じだ。解らなかつたら、薬をやらなければ良いんですがね。黴毒でないと言うのなら、射つのはおかしいですね――六○六号は黴毒の薬じやないですかね。退院――之は結構だ。之は霊的ですね。こう言うのは蛇の霊が多いんですがね。蛇を殺した霊ですね。それか、或いは盲で死んだ霊ですね。どつちかですね。ですから之は、頭を良く浄霊して、そうして霊を救つてやるんですがね。無論御神書は読んで聞かした方が良いです。それから、頸筋に固まりがありますから、それをよく取る。治るんですがね。唯、脊髄液を取るのが悪いんですよ。あれを取つたのは、非常に長くかかりますね。オーレオマイシン――之も障つてますね。六○六号之もいけないね。代用と言うのは、六○六号の代用ですかね。之もいけないですね。六○六号の為に盲になるのがありますよ。六○六号の中毒は、盲と精神病ですね。処が、それで旨く口実がつくんですよ。六○六号を射つのは黴毒の為だと言うんですが、目が悪くなつたり、精神病になるのは、黴毒だと言う事になるんですね。旨く口実はつくんです。今言つた様にして気長にやると、少しづつ良くなります。

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(お  伺) 
沢田さき(昭和二十三年三月入信。四十一才)六月頃より咳が激しく、九月頃より胸部重く心臓が高ぶり、廿四年三月教会にお詣りさせて戴き、一週間程右半身が不自由になり、又一週間後には左半身が不自由となり、同時に右は治り、左も一週間程で治り、以後体がだるく心臓が高ぶります。十月には激しい咳と鼻汁が三カ月余り出ました。廿五年三月頃三合位喀血し、少し楽になり、仕事も出来る様になりましたが、八月頃より急に重くなり、教会にて御浄霊戴き、十日程で良くなり、仕事も出来る様になりました。廿六年四月喀血し稍々楽になりましたが、五月頃より声が出なくなり、五月末京都で明主様に御面会戴きましてより、全く出なくなりました。六月半頃より、御浄霊戴き、田植も出来る様になりました。九月十日頃より再び胸が悪く心臓が高ぶり、全身が浮腫み、足が重く、下腹が膨ります。十二年前に母親が鳥小屋で蛇を殺してより急病になり、伏している事が出来ず。舌をベロベロ出し、水を欲しがり、目が座り、附根附近が痛み苦しみ、一カ月程にて死亡。父親も廿五年三月頃より、体がだるくフラフラしており、現在は寝た儘で御座います。父親、母親、私の御浄  化は、霊的関係が御座いましようか。又御浄霊の箇所御教示の程御願い申し上げます。尚御神体、御屏風観音様は廿四年三月御奉斎させて戴いております。

〔御  垂  示〕
之は蛇が憑つたんですね。之は、霊的と薬毒と両方ですね。喀血だとか、鼻汁が出たと言うのは、蛇が未だ入つているな。併し、治るには治りますよ。もう一息だね。ですから、少し良くなつたら、出来る丈人助けをするんですね。浄霊して人の病気を治すと――そうするとずつと早く治りますよ。それによつて、蛇も救われていきますからね。そう気にする必要はないです。

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(お  伺) 
井関勇吉(五十九才)昭和十五年夏頃大変に疲労を覚え、医診の結果糖尿病との事で、毎日インシユリン、葡萄糖の注射をし、内服薬も用い、食事は糖分は控目に、魚肉類を多く摂る様にしておりました。昭和十六年バセドウ氏病を併発し、疲労感が一層加わり、十九年九月頃一時小康を得ましたが、十二月に面疔及び鼻梁軟骨炎を併発し、約三カ月床に就き、インシユリンの代用薬ミニグリン、インペリン等の注射をうち、手術は致しませんでしたが鼻、眼の縁から排膿し、漸次快復に向いました。二十三年秋頃から眼が充血し、視力減退し、医診の結果腎臓病併発の為眼底出血し失明の直前で、同時に糖尿病も悪化し、放置すれば生命が危険との事で入院し、毎食前にインシュリン、ビタミンC、ニツサリジン等注射及び服薬し、一週二回眼球の注射等を三カ月続けました。他に漢方薬、ニハトコ、木サゝギ、トウモロコシ等も一カ月程服薬致しましたが、思わしくありませんでした。二十五年五月本教の福音を承り、御浄霊を戴き、七月に退院し、一切の医薬を廃し御浄霊にお縋りする様になりましてより、身動きも出来なかつたお腹の膨れも、段々と引き、楽になり、殆ど盲目に近かつた視力も稍々恢復し、少しづつ読み書も出来る迄になりましたので、廿五年秋から廿六年秋迄公務の為に身心を使い、それ迄戴いて居りました会長先生及び支部長先生の御浄霊も怠り勝ちとなり、又々悪化し御浄化が激しくなつて参りました。其間指導者の方々より、先生方の御浄霊は出来得る限り多く戴き、又御高恩にお報い奉るべく人々をお救いする様にとお話戴き乍ら、忙しさや我事に追われ、御報恩も意に任せず、御浄霊も偶に戴く程度にて、寔に申訳なく心より御詫び申し上げて居ります。今日では頭から足の指先迄腫れ上り、腹部は太鼓の様で、副睾丸は握り拳三つ程の大きさに腫れ、横臥する事も出来ません。昨年末より咳を頻に致し、濃い痰が出る様になり、体を動かしますと咳が出て、腹部に力が入り、膨満と咳の圧迫の為にか、副睾丸が痛み、呼吸が困難になります。一月七日代人にて御参拝させて戴きましたが、代人出立の日御守護戴き下痢を致し、同時に副睾丸は段々小さくなり、咳激しく、痰も多量に出させて戴き、大分楽にさせて戴きました。尚、下痢は未だ激しく続いておりますが、三日前より異常な眠気を催しております。現在最も苦しいのは、腹部膨満の為胸部圧迫  され、胸元が息苦しい状態で御座います。尿量は非常に少なくなつております。御浄霊は一日四、五回戴いております。尚、今回も代人にて御参拝させて戴いております。光明如来様、御屏風観音様は御奉斎させて戴き、只管お縋りさせて戴いておりますが、御浄霊の急所御教示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は、急所は――命を救われた事を忘れた事が急所です。大体この人は命が無かつたんです。之は非常な薬毒ですよ。医学の犠牲者ですね。気の毒なものですね。そうして、折角務めが出来る迄に治つたら、直ぐに神様の為に働かなければならない。命は神様に戴いたんですからね。だから、私有物じやない。助かつてからの命は神有物なんです。処が自分勝手にしたから御守護が離れたんです。だから、こう言う事になるのは当り前です。だから、そこを自覚しなければならない。神様から戴くと言う事は、神様の御用をしろと言つて戴くんですから、そう言うのは神様以外の事は出来ないんです。こう言うのは沢山あるんです。処が、それを私有物にして、折角戴いた命を勝手に使つて――一旦神様から戴いた命を、会社か何かに使つては、人が助かりません。そうでなく――神様は、命をやるから御神業に使えと言つて下さつたんです。それを忘れた。この点は指導者も責任があります。それは言つたでしよう。併し、言い方が足りなかつた。断乎として言えば――他の事をしては命は無い。神様以外の事はいけないと、断乎として言うんです。それで言う事を聞かなければ、突つ離す。だから、浄霊も良いですが、腹の中から――間違つていた。今度治つたら人助けをさせて戴く。だから、もう一ぺん命を戴きたいとお願いするんですね。それで、神様が聞届けられたら、助かりますが、神様がもう駄目だ――中々神様は、そう言う処は厳しいですからね。もう駄目だ。お前は霊界に行つて働けと言われたら、もう仕方がないですがね。

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【御  教  え】
この間言つた通り、農業特輯号を出しますがね。以前に読んだ「農業の大革命、五カ年にして米の五割増産は確実」と言うのと他に、今度方々からの報告を見た結果の感想を書いてありますから、それを今読ませます。

(御論文「⇒農業の大革命  (二)」)【註  栄光一四一号】

今年は、今読んだそれと、その次に――この間も言つた通り「結核の信仰療法」と言う本を出す積りです。結核の方は原子爆弾みたいなもので、思い切つて医学の間違つている点を暴露したんですからね。之は大体書終つて、結論迄出来たんです。結論は一寸面白いから、今読ませます。

(御論文「⇒結核信仰療法  結論」)

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それから、この間ピカソの絵に就いて「栄光」に出しましたがね。肝腎な事を言つてないんで、それを書きましたからね。

(御論文「⇒速度の芸術とピカソに就いて」)【註  栄光一四○号】

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一月二十五日

(お  伺) 
西本文子(三十五歳)の姑(六十二歳)は昨年二月頃より胃が悪く、内仕事は悪い乍らもボツボツ致しておりましたが、段々痛みを感ずる様になり、食欲も無くなりましたので、四月に病院に行き、レントゲンの結果少し胃癌の模様があるとの事で、手術したら一カ月で治ると言われましたが、老年の事故断り、一カ月薬と注射を続けましたが、少しも快方に向わず、漢方薬も併用致しておりました。別の医師に胃下垂と言われ、一カ月治療を受けましたが、一向に良くならず、胃専門医に診て貰い胃潰瘍と診断され、胃の口が爛れているとの事で、注射と薬を飲み通院致しておりました、胃の右側に梅の実大の固結があり、痛みは取れず苦痛は益々増す許りで御座いました。八月二十四日には多量の喀血があり、血の固りも多量に出、それからはすつかり衰弱し起きる事も出来なくなり、近所の医師に来て貰い、又々注射と薬の御厄介になりました。此頃知人からお道のお話を聞きましたので、十月一日から御浄霊を戴く様になり、一カ月半過ぎました頃から時々下痢の御浄化を戴き、大変楽にさせて戴きました。十二月中旬から一週間程日に四回の下痢を致し、益々食欲は無くなり、糊の様なお粥を戴いても、胸がムカムカ致し、受附けない時も御座いますので、流動食を主にしております。胃と肝臓の右下に固結が板張りの様になつており、軽く押しても痛みを感じます。食事は日に牛乳三合、鶏のスープ少しと、糊の様なお粥を少し戴く程度で御座います。時々吐気を催し、口中にスツパイ液が出ます。便通は三日に一度位で、固く大変難儀を致します。又脳も悪く、耳も次第に遠くなつております。尚、姑は三人兄弟ですが、姉は十一歳の時水に落ちて変死し、姑の次男は三歳の時脳膜炎となり、現在三十歳になつておりますが、外に出たがるので、二カ月前より脳病院に入れてあります。又私の長女は一昨年(七歳)脳膜炎で死亡致しております。右と何か関係が御座いましようか。尚御浄霊の急所に就き御教えの程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は霊的に関係ありません。薬毒ですよ。お医者さんに作つて貰つた病気ですから、薬が出る丈出れば治るんですが、之が大変なんでね。時々吐気――スツパイ液――之は胃の中に、やつぱり薬毒が溜つているんです。それから、一旦滲みたのが、胃に戻つて来てますね。それから便通は、たんとあつてはおかしいです。少ないのが当り前です。流動物ですからね。難儀をする――一週間や二週間は便が出なくても何でもないんですから、安心して――自然に出るのを待つて居れば良いんです。何時かは出て来ます。食欲がなくて、流動物なら出ないのが当り前です。之は、薬毒病ですから、気長に――下痢や血が出るのは結構ですから、そうしてやつて居れば、段々良くなつて来ますよ。

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(お  伺) 
石崎アツ子(三十八歳)十三年前に石崎家に嫁入りし、それ迄非常に元気でありましたが、(唯、十八年前姙娠腹膜炎とかで手術した事が御座います)石崎家に参りましてより、年中眩暈がしたり頭痛がしたり、子宮が悪いと言う有様で、薬を飲み注射をし、又鍼灸を、知らぬ事とは言い乍ら沢山の薬毒を注いで居ります。昭和二十五年八月体がきつく、食欲なく又体が冷くなり、医診では別に悪い所はないとの事で御座います。死の一歩手前迄来た感じが致しておりましたが、教会にて御浄霊を戴く様になり大分調子が良くなり、八月二十八日入信させて戴きました。其頃狐霊が出、以前お参りした事のある近所の稲荷さんの眷属で、殺す目的で憑つている事を知りました。先生方の御浄霊で、この狐霊は一応解決がつきましたので、二十六年五月には熱海にお参りさせて戴き、其後すつかり健康を恢復した様に思われましたが、最近またまた頭が痛かつたり、背中が痛かつたり、又息切れ、動悸がひどく、苦しむ日が多くなり、一月十八日夜教会の座談会の終り頃に、呼吸が苦しく、背中や頭が痛み出し、先生の御浄霊を戴いているうちに狐霊が出て「殺す迄は幾ら苦しくても頑張る」と言つておりました。長男は八年前二歳の時心臓麻痺で、石崎家の父は七年前六十六歳の時腹膜炎で死亡しております。父の兄弟も概ね若死しております。母は後妻で、十五年前四十九歳の時脳貧血で死亡し、実家の方では母は精神病で自殺、弟二人妹一人結核で若死しております。又父在世中十数年間古物商を営んでおり、其時買つた道具類の中に稲荷が三体(西條稲荷、祐徳稲荷、正一位稲荷)棚の上に放つてありましたが、入信後軒下に粗末乍らお祀りしてあります。右御垂示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之がおかしいですね――悪い処がないならば苦しい筈がない。悪い処が解らないと言えば正直で良いです。悪い処がない処じやない。体がきつく――悪い処がなければ、そうなる筈がないじやないですかね。余りにインチキ過ぎるんです。もう少し旨くやつたら良い。処が、それに人間が瞞されるんですからね。実に、今の人間の頭と言うのは、何うかしている。実際、本当の迷信ですね。その迷信が、こつちを迷信と言うんだからね。脳貧血――じやないですね。脳貧血は絶対に死ぬものじやないですね。随分色んな事があるんですね。之も薬毒病ですよ。それから、狐霊が憑くと言う事は、霊が曇つているから霊が憑くんです。曇りのない霊には憑けないんですね。そこで、霊が曇つていると言う事は、薬毒で霊が曇るんですからね。結局、薬毒で狐が憑く様にしたんですからね。ですから薬毒さえ取れば良いんです。息が苦しく――と言うのは、背中にある薬毒が溶けかかつたんです。それから、背中や頭が痛み――と言うのは、この辺(延髄)にある薬毒に浄化が起つたんです。結構なんで心配しなくても良い。それがあるから、狐霊が憑くんです。その薬毒を取つちやえば、狐霊も憑けない。狐霊が殺すと言うが、そんな事が出来る訳がない。神様がなかつたら何うか知らないがね。之はお祀りしてあるんですね。大丈夫ですよ。こんな事して、からかうんですよ。ですから、心配しないで、良く光明如来様にお願いして――そうすれば段々良くなりますからね。それから、頭と背中を主に御浄霊するんですがね。押せば解るんですがね。誰が浄霊しているんですか。

(お  伺)
「小倉支部の花田と申します者で御座います」

〔御  垂  示〕
ね。それから道具屋していて、お稲荷さんを三つ買つていて、棚に上げていた――ああ言う事は大した事はないんですよ。前からお祀りしているんじやないからね。道具屋ですからお宮も買うでしようからね。それを怨むと言う事は、狐の方が悪いんだから、一寸はあるでしようが、兎に角理窟に合つていれば良いんです。人間が悪いのならだがね。だから、蛇が害をするのを殺しても、何でもないんです。蛇が何にも害をしないのを、人間が殺すと、相当やられますよ――之は、人間の方が悪いからね。そう言う理窟を考えるんです。そう言う霊的の事はちやんと理窟が立つているもので、理由さえあれば決して心配要らない。

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(お  伺) 
小林裏子(三十七歳)元来丈夫でありましたが、三カ月前より急に一日六、七回、多い時は十回位物凄い下痢の御浄化で、すつかり衰弱して立つ事も出来なくなりました。去る四日に、危険な状態を中教会の御神前にて御守護御願い申し上げ、御救い戴きました。其の後下痢は止まり食欲も出て参りましたが、少しも肥らず、咳が盛んになり、痰も相当出、熱は三十九度前後で、脈搏は九十五、六で欠滞があり、呼吸困難で、体中が痛み腰が立ちません。御浄霊は頭、咽喉、肩、臍の廻り、鼠蹊部、肩胛骨、胃の裏、腎臓を御浄霊させて戴いておりますが、特に肩と胸を致します時は、呼吸激しく苦しそうで御座います。御浄霊の急所を御教え御願い申し上げます。今迄に飲みました薬はドクダミ位との事で御座います。尚、店の入口(道路中)に古井戸が塞がつており、昔庚申塚があつた所に家が三軒建てられ、その左端が本人の家となつております。何か霊的関係が御座いましようか。主人は世話人としてお道に尽させて戴いております、御神体は御奉斎させて戴いております。

〔御  垂  示〕
ドクダミ位――が大変なんだ。ドクダミは、ドクダメ(毒溜め)だね。古井戸――誰かが塞げたんでしようから、こう言うのは塞げた人に祟るべきですよ。唯、祟るんじやなくて、助けて貰いたいとお願いする場合がありますからね。ですから、そう言うのは祀つてやるとか、何とかしなければならない事情が出て来ますから、そうすれば、唯言霊で神様にお願いすれば良いんです。一々手数かけて祀る程の謂(イワレ)がないんですからね。昔から自分の家にあつた池とか井戸を埋めるんじやないからね。そう言う点も区別して考えるんですね。この人はドクダミ中毒ですよ。 それから急所が解らないらしいですがね。下痢は止つたから、下の方の毒が出たが、今は咳と痰ですね。それは上の方ですね。大体下の方は下痢になつて、上の方は痰になつて出るものなんですがね。然しそうはつきりは言えないですよ。それは下の方から痰が出る事もありますからね。大体はそうなつている。それで、急所をみるのは何でもないんです。体を撫でてみて、一番熱い処がそうです。脈搏は、九十や百は何でもないですね。呼吸困難は肋骨ですね。肋骨の何処かに毒が固まつているんです。それが呼吸困難です。身体中ドクダミの毒が固まつているんですね。腰が立たないのは、尾骨(ビテイコツ)ですね。そう言う処をやれば良いです。大抵、こう言うのは、ここ(頸部淋巴腺)が多いんです。こんなに方々やつてもしようがない。急所を一カ所か二カ所ですよ。病人は女だから、あんまり裸にしてやるのも困るから、自分で体に触つてみて、押して痛い処ですね。無論、そう言う処は固まりがありますから、それから熱い処ですね。それが急所ですから、それをやれば順調に治りますよ。浄化が強くなつてますから、可成り方々痛かつたり、色々ありますが、それは、少し我慢しているんですね。そうすれば、段々良くなつて来ますからね。苦しい――そこが溶けて来て、肺に入ろうとする場合に、肺膜が厚いとか、毒が濃いから、引張る為に息切れする。こう言うのは、浄霊する人の力が足りないから――霊力がないから、そうなるんです。何時も言う通り、この山ですね。ここ迄(山の頂上)いく力はある。だから息苦しい。之を越す力がない。だから息苦しい。霊力が足りないんですね。やつぱり、手に力が入るんだな。力を抜くと、霊力がずつと出ます。今言つた様にしてやれば、順調に治つていきます。それから、若し龍神に関係があるとすれば、夢で知らせるとか、或いは人が言つて来るとか、助けてやらなければならない事情が現われて来ますから、そうしたら――祀る事は滅多にないけれども、愈々といえば、近くに瓶(カメ)か何か埋けて、替りにしても良いですが――だから光明如来様に、そういつたものが迷つているとしたならば早く人間に生れ変る様に御守護御願いするんです。大抵それで良い訳です。

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【御  教  え】
之はよくある話ですけれども、霊界に行つて天国を見せて貰つて、それから助かると言うそれが非常にはつきりしているので、今読ませます。

(「⇒生命の継ぎ足し」のあとの御教え)【註  栄光一四二号】

之は、この人の寿命が来ていたんですよ。つまり、この日に死ぬ事になつていたんですね。それですから、死ぬ型で済まして戴いたんですね。だから、題を「生命の継ぎ足し」としたんです。この人の命は神様から継ぎ足して戴いたんです。こう言う人は、よく私事をすると、パツと死んじやう事があるんです。継ぎ足して戴いたのは、神様の事をしなければならないんです。その為に継ぎ足して下さつたんですからね。私有財産じやないからね。この中に――何をお念じして良いか解らない様な――とありますが、おかしいんですよ。その時明主様をお念じすれば、もつと早く助かつたんですね。周章てたんですが、周章てても、周章てる程明主様にお願いすると言う気持が起らなくちやしようがないです。

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この間、静岡県内に、地方の宣伝班ですね。出掛ける時に、やつぱり私の話の代りに、何か書いて呉れと言うんで、急いで書いたんですが、それを今読ませます。

(御論文「⇒舌に代えて」)

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農業特集号は三十日に出来ますからね。来月から、大いに宣伝しようと思つている。先づ、各大臣から国会議員、各新聞社、農事試験場、農会――そう言つた様な、農業に関係のある諸団体や、地方の篤農家だとか――そう言う方面に配る訳です。まあ、配る丈で約一万位になるかも知れません。そうすると、相当反響があると思いますね。今迄夢にも思はない話ですからね。何としても喫驚りするだろうと思いますね。で、各所から集まつたお蔭話ですけれどもね。中々凡ゆる面に亘つて――量の増える事や質の良い事ですね。地方の或る処なんかでは、農業品評会に出してあるのが一等で色んな褒美を沢山貰つた。それで総代になつて答辞を読んだとか、そんな事があつたりして――それ等は質ですね。そうかと思うと、一般は非常に被害があつて、品評会に出す事が出来ないので、品評会に出すのはメシヤ教の信者丈なので、それじや話にならないので、取止めになつたと言うのもある。神様は、中々如才なく凡ゆる結果を現わしてあるんですね。随分――そういつた実例が、今以て毎日来てますが、紙面に限りがあるから、何時もの八頁では足りないから、もう二頁足して出す事になりましたがね。何としても農業問題ですね。食糧問題――之を解決しなければしようがないですね。今年なんか、硫安は相場が千円と言うんですね。去年で、一番高い時が八百五十円でしたが、大抵普通七百円台でしたがね。それが今年は千円で、まだ上がると言うんですからね。どうしても千百円になるだろうと言つてます。それも良いが、それを買つて態々穫れなくするんですからね。馬鹿と言う言葉じや、ぴつたりしないですが、それ以上の言葉がないですからね。馬鹿の馬鹿と言うよりないですね。全く見ては居られないですね。どうして人間が無智蒙昧になつたかと思つてね。全く文化的野蕃人ですね。だから、どうしても知らせなければならない。それで段々方々からの実例を読んでみても、私が最初から言つている説とぴつたりしてますね。全部綜合した結論を言うと、先ず最初の年――一年目は、大抵一割減産ですね。それから、平年作と言うのと、一割位増えるのもあります。そのうちで一番多いのは、平年作ですね。ですから、肥料代と手数代丈儲かるんですね。それが一番多いですね。それで、減産と増えるのと同じ位ですがね。一年目は平年作と見て良い。唯、一年目でも、虫害と風水害のある処は非常に少ないです。他の有肥の方が多いです。だから、平年作でも、有利な訳ですね。それから、二年目になると、平均五分か一割増える。それから三年目になると一割以上、二割位増える。極く悪いので平年作の一寸良いのですね。無論、肥料代の節約と虫害、風水害の少ない丈は得ですね。それから、普通作――平年作でも、他はずつと――二割も三割も落ちているんです。ですから、それ丈増えていると言つても良いですね。大体二割位増えるのが普通ですね。処が、今迄正確に四年五年なんてのはないんです。中には、三年で五割も六割も増えると言うのがありますがね。そう言うのを綜合してみると、五年にして五割と言うのは間違ない数字ですね。唯、越後の報告で、四年で平年作から一寸増えた位の報告が二人かあつたが、之は調べなければならない。小川さん知つているかね。調べて下さい。そんな馬鹿な事はない。肥料をやり過ぎて、肥料が抜けるのに暇がかかつたか。それから、堆肥と言つて、越後地方じやオワイを薄めて堆肥にかけている。だから、以前越後の方で、成績が上らないので聞いてみると、堆肥と言つても、堆肥許りじやない。薄い糞尿をかけている。それかも知れないから、良く調べて貰いたい。

「土の部分が薄く、直ぐ下が石になつておりまして――」

根伸びがないんだね。

「左様で御座います。土の部分が薄いから、肥(コヤシ)を沢山やつて穫ると言う様に致して居ります」

それで解つた。客土すると良いね。何か原因がなければならないと思つたがね。そんな訳ですから、農業特集号が出たら、出来る丈配付して貰いたい事と、それから本当に堆肥のみで五割増産すると言う事は、確信を以て宣伝して貰いたいと思う。それから、こういうのがあつたです。年々非常に良く出来ていたが――一年も少し増えて、二年も少し穫れて、三年目は一層良く穫れた。最初から良いので、今年はうんと穫れると思つた。それで、土用中に堆肥をうんとした方が良いと思つて、枯草をうんと入れた。それで、良いのは良いが枯草を土用中に入れたのがいけなかつたと言うのが、本人も解つて、書いてあつたが、堆肥中毒にかかつていた。本当言うと、堆肥も要らない位なものです。土許りで良いんです。稲作は、気候が寒い処は、暖める為に藁を切つてやる。処が、中には藁を五、六寸に切つてやつてある。之じやしようがないですよ。だから私の言うのは、精々一分か二分位です。それを土に切り混ぜると、早く腐つて、満遍なく行きますからね。だから、長いとちよつとしかいかない。それに根伸びが悪い。それを、長いと思つて、今度は二、三寸にしてやつたが、それじやしようがない。そうしていくと、どんどん増産になるんです。五割増産と言うのは、私は内端(ウチワ)に言つているんですよ。本当言うと、十割は大丈夫ですよ。或いはもつと行くかも知れない。今度の報告に、穂に穂が出ると言うのがありますが、之は本当なんです。自然栽培にすると、そうなるんです。今度も書いて置きましたが、今一茎に平均百二、三十粒ですね。上等で二百粒ですが、之が、穂に穂が出ると、三百乃至五百粒ですね。そうすると、三倍ですね。之は大丈夫です。そうすると、今の六千万石としても、一億八千万石か、或いはもつと増えるかも知れない。神様は――人口が増える丈づつは、生るのが増えるんです。最近、四国の愛媛県ですかね。鶏が一日に十二個卵を生んだのがあつた。その鶏は、一カ月一日三箇平均は生んでいるんですからね。それを、大いに増やす手段を考えていると、ラジオでも言うし、新聞にも出てましたが、何う言う訳で、そうなるかと言うとね。今にそうなるんです。今迄に一番生んだのは、一日に一つですね。一年に三百六十箇――之が最高でしたが、今に一日三箇生む様になる之が最初の示唆ですよ。時々、度外れな作物が出来ますが、之は神様が、こうなると言う事を示してある。今の耕地面積で、一億になつても二億になつても平気なんです。産児制限なんか必要はないんです。それを知らないから――算盤の計算ですから、そう言う事も心配するんですがそう言う事も今度書きましたがね。何の位解るか、何の位反響があるかと言う事は、面白い試験だと思つてます。

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一月二十六日

(お  伺) 
本年二十七歳の女、昨年十二月左手人差指に 疽(ヒョウソ)の御浄化を戴き、余りの激痛苦に御霊紙を戴き、四日間教会にて御浄霊戴き、御守護の御願いを致しましてより、漸次快方に向いました。一月になり第一関節より爪諸共に取れて了いました。この場合は何処を御浄霊致しますれば宜敷いでしようか。又指先は正常になり、爪も元通りにさせて戴けますもので御座いましようか、

〔御  垂  示〕
元通りになりますよ。爪なんか直きに生えて来ますからね。人間の体は良く出来てますよ。 疽(ヒョウソ)の素は、ここ(頸部淋巴腺)ですよ。指をやつても大した効果はない。ここをやると直き治る。みんな気がつかないが、良く覚えて置くと良い。先に私は言つた事があるがね。ここ(頸部淋巴腺)ですからね。ここをやると、痛みなんか直き取れますよ。ここ(指)をやつても、中々取れない。この人は知らなかつたのかね。面白い様に治りますよ。それから、治つていても、ここをやると爪なんかも早く生えますからね。

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(お  伺) 
松本岩吉(昨年七月入信。六十歳)家族五人入信、光明如来様を御奉斎させて戴いております。昨年六月半頃より、口中(上顎少し奥)が爛れた様になり、右頬下頸部に五分位の固まりが出来、医診では癌だから早速手術をと奨められ迷つて居りました処、お道を知り早速入信させて戴き、先生方の御浄霊により、大変楽に、頭も以前に増して気持良くなりました。時折り鼻血或いは脱血等あり、最近は口中は別に変化ありませんが、食事の際熱い物は一寸しみる程度で、食欲に関係なく、仕事も楽に致しております。右頬下の固まりが次第に大きくなり、時々痛み又首も曲らない事も御座いますが、御浄霊により其都度楽にさせて戴いております。右の固まりは、普通の腫物より固い様に思われます。入信前は二、三度風邪で休む程度にて、余り病気はしておりません。酒は大変好きで御座います。又青年時代に、家の鶏を相当数殺して食べた事があり、過日「霊的病気」の御論文を拝聴させて戴き、間違を知り、出来得る限りの御用をさせて戴くべく、日々励んで居ります。今後如何致しましたら、早くお救い戴けましようか。御垂示御願い申し上げます

〔御  垂  示〕
之は癌じやありませんよ。癌もよくありますが、頬に出来る癌がありますが、私は治した事がありますがね。処が、之をお医者は癌だと言う。次第に大きくなり――之は大変良いんですよ。之は癌じやない証拠です。癌は、余程暇がかかると大きくもなりますがね。癌は痛みはありません。之は、もう少し経つと、腫れて膿が出ます。大変結構で、心配要りません。固まり――顎の固まりの為です。頸部――之を、医者は癌と言うんだな。今言う様に、膿ですから、そこを浄霊して居れば良い。そうすると、段々穴があいて膿が出て治ると言う順序ですからね。霊的じやありません。口中――やつぱり、そこに薬毒が固まつているんですから、之も、浄霊で気長にやつて居ればすつかり治りますよ。然しこいつは、治つてもよく爛れますがね。之はしようがない。私なんか、今以て舌の根の方なんか痛いですね。よくあります。それは、昔――若い時分――五十年位前に、飲薬をやりましたからね。沃度加里と言うのを二、三年やつたが、粘膜からしみて出て来るんですからね。

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(お  伺) 
庄司つや子(二十三歳)二十三年五月頃より、左手関節部に猛烈な苦痛と熱を生じ、一カ月後に右手関節部に同様の症状があり、次いで一カ月後に右の足首にも苦痛と熱を生じ、温泉療法及び薬草等多量に使用致し、高熱及び苦痛は取れましたが、同時に手首、足首の屈伸が出来なくなり、又左手首内側を手術した結果、小指の自由が利かなくなりました。二十六年二月入信。御浄霊を戴き、手首の屈伸は大変楽になりましたが、足首の屈伸は大した変化は御座いません。原因及び御浄霊の個所御教示の程御願い申し上げます。御屏風観音様は御祀り致しておりますが、御神体は未だで御座います。又家族の者は余り理解しておりません。

〔御  垂  示〕
予防注射か何かの薬ですね。屈伸が出来なく――そこから出ようと言うのを、そこを止めちやつたからですね。小指――手術したからだ。之は、今言つた通り、注射ですよ。その薬毒が、こう云う処(手首)とか、足にあるんですね。それを打遣らかして置けば、腫れて、膿が出て治るんですが。それを温泉療法、薬草をしたから――出ない様にした。それで――もつと溜るべき毒があつたが、固めたから出悪(ニク)いから、毒の方は他に出口を見附けた。それが、手首及び足首ですね。そいつを、薬草を多量に飲んだから、そこに出る勢が無くなつて固まつた。其処に持つていつて、手首内側を手術なんかしたから、余計その為に、小指の自由が利かなくなつた。だから、最初から何もしなかつたら、何も病気なんか起らなかつた。色々して、それを固めて――金を使つて痛い思いをして、暇をつぶしてやるんですからね。メシヤ教に入つたから良いが、入らなかつたら、色んな事をして段々悪くする。実に恐ろしいですね。その点は野蕃人の方が余程偉いですよ――そんな事しないからね。文明国の人間位頭の悪いものはないですよ。それを解らせるのが一番の救いなんですからね。

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(お  伺) 
竹上クニ(十六歳)三、四歳の頃手探りで遊んでいる事から眼が不自由なのに気附き、医診では生来、視力が弱いのだから近視、乱視と異なり眼鏡矯正は出来ないが、成人して体が確かりして来るに従つて良くなる。それ迄待つよりないと言われ、治療は全然致しませず放任の儘今日に至りましたが、視力は依然として弱く、時には殆んど見えない事もあり、就職も思うに任せぬ状態で御座います。眼以外には、体は丈夫で、体格も普通で今日迄余り病気した事は御座いません。家族三人入信。光明如来様、御屏風観音様は御奉斎させて戴いております。この眼は霊的で御座いましようか。又如何致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は霊的らしいですね。前の世で、つまり死ぬ時に盲で死んだか、或いは死ぬ時に目をやられて死んだかですね。ぶんなぐられたりして――撲殺で目をやられたかですね。兎に角何かで目をやられて死んだ霊ですね。それが霊界で治りきらないうちに生れ変つて来た。之は治らない事はない。治るんですがね。唯、こう言うのは長くかかるんでね。それから、よく――ぶんなぐられたりしていると、後頭部をやられて見えなくなつている事があるからね。大抵、前をやられて見えなくなると言う事はないですね。後ですね。それで、後が普通じやないですよ。固まりがある事がある。それを浄霊して取るんですね。そうすると、普通になるかどうだか解らないが、不自由がない程度には治りますよ。それで、光明如来様をお祀りしてある部屋に寝かせる様にする。何時入信したんですか。

(お  伺)
「二十四年かと存じます。母親は二十二年の暮に――」

〔御  垂  示〕
少しは良くなつていなければならないがね。

(お  伺)
「務めに出ておりまして、住込みの為に御浄霊も充分出来ませず、今度、務めを止めて帰る様になつております」

〔御  垂  示〕
結構ですね。そうして、良く浄霊してやつたら良いですね。

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(お  伺) 
三輪武男(三十二歳)ソ連に三年間抑留され、栄養失調と神経衰弱で復員、食養生により快復するにつれて、体が浮腫み、神経衰弱が募つて参り、二十五年五月私(母)が入信。本人を導きましたが及ばず、精神病院に三カ月入院、インシユリンを三十本射ち、大した変化なく退院。間もなく結核と診断され、昨年一月より十カ月間、日赤に入院、却つて神経衰弱がひどくなりました。十一月には父も入信させて戴きました。本人も入信させて戴きたく思つておりますが、入信式の日になると、どうしても出掛け様と致しませんので、放つており、今では寝たり起たりしており、時にはじつと考え込んだり、一人笑いをしたり、呼んでも答えず、火鉢に線香を立てたりする事もあります。最近父親には素直に御浄霊を戴く事も御座います。光明如来様を御奉斎させて戴くべく御願い致しております。今後如何致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は、精神病ですね。精神病でも――無論霊が憑つているんですが、之は質(タチ)の良い霊です。之は戦友か何かの霊だな。戦友の霊で、その霊に動物霊が憑いている。こう言うのは、大抵二重ですね。動物霊だと暴れたり踊つたりするんですが、之は人間の霊も憑いているので、割合に静かになつているんですね。之は治りますよ。インシユリン三十本と言うのは、極く悪いですね。然し、ソ連に居る時に、もうおかしかつたのだな。之は大体頸の廻りに固まりがあります。主に延髄にありますから、そこを浄霊してやつて、御神書を出来る丈聞かせるんです。そうして気長にやつて居れば、段々良くなります。光明如来様を早くお迎えして、その部屋に寝かせる様にする。そうして、良くお願いする。それ丈で、段々良くなつて来ますよ。

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(お  伺) 
三品繁夫(四十歳)養父は製糸業でしたが昭和二十一年八月胃癌にて死亡。私の応召中に養母、妻、女児と、共に目の御浄化にて、二十一年妻が入信し教導師補の御資格を戴いて御用をさせて戴いて居りました。次いで母、女児が入信。御屏風観音様、光明如来様を御奉斎させて戴きました。二十四年九月シベリヤより帰り、二十五年三月入信。七月に男子出生しましたが、二十六年七月無熱脳膜炎で死亡致しました。私は小刀鍛冶職で、昨年十月鉄の小切れが飛んで来て、右眼左側の縁に当り、少量の出血があり、初めはボーツと目が翳む程度でしたが、三日目より頭、目が痛み出し、眼球は赤く充血し、御浄霊により多量の涙が出ましたが、全然見えなくなりました。御浄霊は支部、中教会、別院で戴き、特に頭を主に戴いております。約一カ月の後、頭及び目の痛みはなくなりましたが、依然として見えません。現在は妻に戴いており、毎日仕事を致しております。薄赤く充血し、瞳の部分が白くなり、御浄霊の時天津祝詞を奏上致しますと、ボロボロ涙が出ますが、無言ですと出ません。霊的に何か御座いましようか。又子供の死と関係が御座いましようか。御浄霊の急所御垂示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
無熱脳膜炎――之は何か間違つているんですね。熱のない脳膜炎と言うのは絶対にないんですからね。之は、やつぱり霊と両方ですね。体丈なら、疵が治ると治つちやいますがね。縁に当つた丈で見えなくなると言う事はない訳ですね。小切れが飛ぶなんて事は、霊がやる事がありますからね。目を潰そうと思つてね。まあ、そう言う意味ですね。それで、霊はやつぱり急所を知つてますからね。之は、眼球はどうなつているんですか。

(お  伺)
「黒目の処は、瞳の部分が白くなつております」

〔御  垂  示〕
之も治りますね。大体、白くなつている目は、治りますよ。そこに毒があるんだから、溶かせば良いんだからね。それから、充血――之は浄化が起るんだから、もう少し辛抱して、出来る丈浄霊してあげるんですね。それで治りますよ。無論――光明如来様をお祀りしてあるんだから、大丈夫ですよ。唯、長くかかる丈のものだからね。

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(お  伺) 
佐吉政恵(二十八歳)七年前、姙娠四カ月の時原子爆弾に遭い、家の下敷きとなりましたが助かり、無事出産し、実家に帰つて子供を養育し、一年四カ月目に亡夫の両親の元に渡し離婚致し、その後市内の洋裁店に務め、職場の先生より求婚されましたが、その人が「とう病」の家系らしいと言うので、それを苦にして退職し別の処に務めましたが、一カ月も過す事が出来ず、家に帰ろうとして駅に出ると、訳もなく恐怖感に襲われ、汽車に乗る事も出来ず、近くの祈祷所でみて貰うと、その先生より、執着の為に「ゲドウ」をつけられているから、落してあげるとの事で、祈祷して貰い駅に出ると、今度は白シヤツに白ズボンの男が目にちらつき、身に危険を感じ、どうしても汽車に乗れず、次の駅迄走り、思い切つて飛び乗り、目的駅に着きましたが、又もや四、五人の男の姿が前後に現われ、家に帰れないので知人に送つて貰いました。一週間後に非常な恐怖に襲われ、その先生より貰つた衣類に執着がつけられていると言うので、全部焼捨て煙で自分の体を燻したり、或時は何者かが大勢押寄せて来て、皆殺しにするから、皆んな外に出て呉れ、刃物は全部隠して呉れと言つたり致します。又色々の神様にもお参りしましたが、段々重くなり二十四年四月精神病院に入院させました。二十五年母親が入信。その後主人、息子も入信、信者数名を導き、光明如来様をお迎え致すべく御願い致しております。病院では、婦長さんがお道を理解し、御神書も拝読し、薬等は一切使用致しておりません。唯、以前電気治療を四十回位かけております。現在では、会話は殆んど平常と変りませんが、時折り着物や夜具を破るそうです。尚「ゲドウ」とは犬神だと言う者もあり、「とう病」とは家の中に水瓶の様な物に蛇を沢山飼つており、一種の信仰の様なもので、それを祀る家人が他人の持物等に執着を持つた場合に、知らぬ間にその物が無くなつたり腐敗したり、当人が精神病の様になつたりすると言われておりますが、霊的に如何なもので御座いましようか。又、こう言う人をお導き致しますには、如何致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は、やつぱり狐なんですよ。之は狐がよくやる奴なんですよ。恐怖感を与えるんですね。そうして、襲つたりする人間を見せるんですね。この通りなんですよ――狐が驚かすやり方はね。そうして段々やつて、本当の精神病に――この時は精神病になりかけなんですがね。私の本に――何時か書いた事がありますがね。石川と言う男でね――之は聞えるんですよ。「石川、今お前を殺しに表に来ている」と言うんです。石川と言う男は、それで震えているんですよ。之は聞えるんですよ。それから、黒いものなんかが襲つて来る事がありますね。之は段々少しづつ良くなります。こう言うのは、急には良くなりません。犬神――蛇――とか、そう言うものじやないですね。この人は、やつぱり後頭部の方に固まりがありますから、そこを浄霊してやるんですね。婦長が理解していると言うんだから、御神書を本人に聞かせるんです。そうすると――御神書を聞かせると言うのは、霊に聞かせると言う事もあるし、その人の曇りが取れていくので、邪霊は段々萎縮していくと言う事があるんです。そうして気長にやつてやれば段々治つていきます。然し、相当に長くかかります。まあ五、六年と見て良いですね。大丈夫と言う迄には、どうしても十年位かかりますね。精神病が早いと、割合治るのは早いんですがね。之は、相当固まつていますからね。

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【御  教  え】
龍神と、よく言いますが、今度のお蔭話に、龍神はあると言う事がはつきり解るんで、今読ませます。

(「⇒龍神はある?」のあとの御教え)

ここで知つて置かなければならない事は、龍神が居る井戸とか池とか、埋められた場合、その近くに綺麗な水のある処があつても、勝手に其処に移る事が出来ないんです。やはり、霊界では――家宅侵入みたいなものでね。家宅侵入より、もつと喧ましい位ですね。つまり許されなければ、勝手に移る事が出来ないんです。一方に井戸が埋められて、一方に綺麗な井戸があつたら、其処に移つたら良さそうなものだが、その位霊界は几帳面なものです。そこで人間が、移つて戴きたいと言えば、移つて差支えない事になつている。と言うのは、位は人間の方が龍神より上なんですからね。力は龍神があるが、位は人間が上なんです。生物では人間が一番上なんです。そこで、人間が移つても良いと言えば移れるんです。今の龍神なんかは、早くそうして貰いたく、早く知らせるべく、娘さんをそうしていたんですね。そこで、気が附いて、移る事が出来る様になつたので、非常に喜んで、是非自分の姿を見せて、この通り自分が今迄願つていた事が実現した。龍神と言う事を、唯口で言つても誰も正面(マトモ)に信じないですからね。そこで、この通り自分は龍神で、お蔭でこうして移れたと言う事を見せたいんですよ。そこで、その姿を見せたんですね。之は非常に良いですね。之が「栄光」新聞に出れば、読んだ人は一層信ずる事になりますからね。大変良い働きをした訳ですね。

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それから、もう一つお蔭話がありますが、よくある事ですけれども、一旦霊界に行つて、又生返ると言う人が時々あるものですが、それがはつきり書いてありますからね。今読ませますけれども、人間の寿命と言うのは、大体決つているんですからね。それより長く伸びると言う事は、命を継ぎ足して戴けるんですね。それが信仰の得なんです。だから、実に信仰と言うのは素晴らしいものです。他の宗教にも、ない事はないが、極く弱かつた。誰も彼もと、はつきりとはいかなかつた。それが為には、難行苦行したり、色々お祈りするとかですが、メシヤ教は簡単に、そう言う素晴らしい命を継ぎ足し――それをして戴ける。汽車の中でそう言う事があつたんですからね。実にメシヤ教の神様の力のある事と、御守護の強い事が良く解るんです。

(「⇒生命の継ぎ足し」のあとの御教え)【註  栄光一四二号】

つまり、この人は、この時が寿命だつたんですね。ですから、一旦死んで、新たに神様が命を下さつた。こう言う事で助かつた人は、後の命は、全然神様の御用をさせられるべき人なんです。そこで、私有財産みたいに自分勝手に使つたら、お取上げになります。そう言う風に命を戴いて、相変らず金儲けだとかして、命をお取上げになつた人がありますよ。

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それから、この間地方の宣伝旅行ですね。例の松井さん、鈴木さん、アザブさん、鹿島秀月さんですね。そう言う人達が行つた時に、やつぱり私に何か書いて呉れと言うので、書いたんです。それを読ませます。

(御論文「⇒舌に代えて」)

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農業特集号は今月の三十日に出来ますからね。農事試験場とか農業会――そう言うものは直接本部から送りますから、其他の地方の篤農家とか、村長――そう言う様な人は、信者さんが配つたり、知らせたりする事は非常に良いと思うんです。色々、自然農法の成績に就ての報告は、方々から来ましたがね。未だ色々です。それで、本当に五年以上経つて、実際に五割増産を見せたいんですが、そうすると、未だ二、三年伸びなければならない。未だ漸く、実際の報告は三年位迄しかないんです。でも、私が前から言つている通りの成績にはなつてますから、之で、五年経てば五割増産と言う事は想像がつくんです。で、色々――未だ未だだけれども、平均してみて、肥料なしで平年作ですね――最初一年目がね。二年目位から少し増えていくんです。尤も、成績が悪いのは一年目に一割位減産のもあります。しかし、これは少ないですね。平年作が多いですね。そうすると、肥料をやらない丈は儲かりますね。二年目は少し増えますね。三年目になると一、二割は増えますね。多いのは三、四割増えてますが、大体一、二割が多いですね。そうすると、四年が三、四割、五年が五割と言う様な具合ですね。だから、幾ら大きな声して五年で五割と威張つても良いですね。こう言うのがあつたんです。越後で、四年目で平年作なんです。そういうのが二つあつたんです。他にはなかつたですね。越後丈です。それで昨日、あつちの――小川さんに聞いて見た処、解つたんです。そこの水田は、下が岩盤なんです。土の層が薄いんですね。そこで根張りの時に、下に行かない。その為に、昔から肥料を非常に多くやつた。土が少ないから肥料を目茶苦茶にやつた。ですから、肥料が多い為と、土が少ない為と、下が岩盤の為に、思う様に増えなかつたと言う事が分つた。そこで、私は客土をしろと云つた。そうすると土も厚くなるからね。そうする、と言つて帰りましたがね。今年は、大分農林省の方で、客土を奨励してますが、客土と言うのは、肥料のない土でしよう。無肥料の土を山から取つて来てやると増産になるんですからね。千葉県ですかね――山から取つて来てやると、非常に穫れたんです。客土は、千葉県が一番にやるらしいですがね。そのうちに段々穫れなくなつて来た。すると、農民は何う言う解釈をするかと言うと、土が古くなると、養分を吸いとられて、それで穫れなくなる。肥料と言う事を全然勘定に入れませんからね。そう言う考え方が非常な異いですね。間違の最もひどい訳ですね。それからもう一つ面白いのは、私は連作しろと言つてます。処が、或る処では連作はいけない。連作するなら七、八年経つてからやれ。其処は茄子の名産地で、七、八年経つてから、そこに植えると言うんですね。処が連作をやつたんです。すると、非常に良く穫れたんです。そんな訳で、あべこべあべこべをやつていた。私の方の説と言うのは、理窟に合つているんですからね。連作をすると、その土が作物に合う様になつていくんですからね。時間がなくなつたから、寸鉄を読ませます。

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一月二十七日

(お  伺) 
長井ハルエ(未入信。六十一歳)昭和二十四年子宮癌で入院、手遅れとの事で手術せずラジウム十回、レントゲン二十回、入院六十五日間にペニシリン百三十本、ホルモン二十本を注射し、退院後約一カ年間にヴイタミン注射約二百本射ち、何事もなく過して参り、昨年十一月末突然左足全体が浮腫み、十二月半頃右足も同様になり、今日では平常の二倍以上になりました。医診では、癌細胞の圧迫により血行を妨げており、癌再発の徴候が見え、治療法なしと見離されましたが、昨年秋道路上にて本教御浄霊の御力を知らされた事を思い出し、昨日迄に十回致しました処二、三日前より両足の内外数カ所に赤いボツボツが出来、非常に痒みが出て参り、左右の鼠蹊部淋巴腺は固く張つております。御浄霊の重点御教え賜り度く御願い申し上げます。尚本人の下腹部はレントゲンの為に薄黒く焼けております。食欲、尿量其他は健康時と変りありません。子宮癌と診断される迄は多少の下り物はありましたが、臭気は少しも無かつたそうで御座います。現在下り物は御座いません。

〔御  垂  示〕
浄霊の急所も何もないですね。之は薬毒ですからね。子宮癌なんか、最初に浄霊すれば何でもなく治るんですがね。治さない様に一生懸命に、之丈の手数をかけた。つまり、何と言つていいか――丁度、月一割位の高利の金を借りた様なものですね。最初、僅かの借金を払う為に、そんな事を――一寸苦しみを我慢して払えば良いものを、極く高いものを借りるから大きくなるんです。子宮癌なんて、僅かなものなんです。後に入れたものが大変なものです。だから之は、一番余計やつたのはヴイタミン注射ですね。ですから、その注射を射つた処を主にして、体の薬が方々に固まりますからね。注射を射つと一旦全身的に行くものです。それが、段々浄化されて一カ所に集まる。それを打遣らかして置くと、小さくなる。それが、神経を使う処に固まり易い。それから、あとは首の廻り肩――そう言う処ですね。それから、足が肥つたのは、薬毒が溶けて来て、足に固まつたんですから、之は気長にやれば、段々減つていきます。要するに、折角入れた薬を取る方法ですからね。厄介な話です。それから、下腹部をレントゲンで焼いて、中を固めたんですが、どうせ――子宮癌なんてのは、月経の固まり位なものですよ――五十以上の子宮癌なんてね。それを、最初御浄霊すれば下に出て治つたんですが、それを一生懸命にレントゲンやラジウムで固めたんですね。要するに出さない様にした訳ですね。随分、医学というものは、厄介なものですよ。ラジウム十回、レントゲン二十回と言うんですから――それで固めたんですね。ラジウムは固めるんじやない――組織を破壊するんですが、レントゲンは固めるんです。又、レントゲンと言う奴は、良く固まるんですよ。だから、この位の病気が、レントゲンをかけると、この位(小さく)になります。その代りコチコチになりますね。だから、それを溶かして、出さなければならないんだからね。相当かかりますよ。六十越しては、浄化力が弱いから、気長にやるんですね。治らない事はありませんがね。治る理窟はあるんですが、唯固まり方がひどいから、年を取つて浄化力が薄いから、そこで、暇がかかると言う丈ですね。そう言う意味で、気長にやられたら良いでしよう。だからこう言うのは、そう頻繁にやらなくても、一週間に二回位で良いですよ。

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(お  伺) 
大石数雄(未入信。四十一歳)昭和十五年六月、左耳乳子突起病にて手術、十八年十月精神分裂症となり、県立精神病院に入院。電気、注射療法により二カ月にて快方に向いましたが、二十五年八月再発、同年大本教に入信、御神体奉斎しましたが、父が反対で御神体を焼捨て、再度御神体を奉斎、又も先祖の位牌と共に焼捨て、位牌はお寺で戒名を戴き祀りましたが、之も焼捨て、この時父は病院に入院、二カ月で退院十一月発病、再入院。二十六年五月退院後も経過悪しく、八月に入り御浄霊させて戴いており、十二月に奉仕隊に参加させて戴きましてより温和しくなりました。家には先祖代々の宝物として龍玉が二つありましたが、新家に一つ譲りました。大きさは直径三寸五分位で、新家のは一廻り小さく、今は床の間の吊棚に祀つてあります。御屏風観音様をお迎え致し度く思つておりますが、仏壇の方が下座になりますが、如何致しましたら宜敷いでしようか。又、この龍玉は二つ一緒に祀つた方が宜敷いでしようか。又父の病気は霊的関係が御座いましようか。

〔御  垂  示〕
大石数雄――大石良雄じやないね。下座になります――之は構わないですよ――下位になつてもね。一緒に――無論二つ一緒に祀つた方が良いですね。之は、夫婦の者ですからね。一つ一つ別にすると、夫婦別れしている様なものだからね。やはり人間と同じで、夫婦は一緒の方が良いですからね。霊的関係もありませんがね。まあ、済んだ事はそれで良いですからね。未だ光明如来様をお祀りしてない様ですね。之も、時日だから、急にやらうとしてもね――

(お  伺)
「何かお祀り致しますと、皆破きます。お家ではお祀り致したく居ります」 

〔御  垂  示〕
誰が信者になつてますか。

(お  伺)
「息子が救われ、信者になつて居ります」

〔御  垂  示〕
お母さんは――

(お  伺)
「未だで御座いますが、段々に致したいと申して居ります」

〔御  垂  示〕
急がない方が良いですよ。息子さんが信仰して居れば、それで良いですからね。時節を待てば、神様も御祖霊さんも、良い様にして呉れますからね。ちやんと、無理がなく、お父さんが祀りたい、或いはお父さんが信仰に入ると言う段取りになりますから、それ迄待つよりないですね。焼いたと言う事も意味がありますよ。

(お  伺)
「出雲様に入るから御先祖は要らない。出雲様に入信して呉れと言いますが、出雲に何か霊的関係が御座いましようか」

〔御  垂  示〕
元、素盞嗚尊とか大国主命の家来の御魂ですよ。その因縁で、何か執着があるんですよ。素盞嗚尊は、メシヤ教で働いてますからね。だから、いずれ入りますよ。待つんですね。そう言う事は無理はいけませんからね。神様にお任せしていると言うと、案外無理がなく信仰に入るものです。

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(お  伺) 
伊藤安子(信者)昨年八月頃より「つわり」の症状で、十一月頃迄続き、毎月少量の下り物(出血)があり、お腹は順調に大きくなり、今月になり産婦人科医に診て貰いました処、姙娠でなく、子宮には異状なしと言われましたが、本人としては、長男の時よりは、六カ月目としては稍々お腹が小さく、胎動らしきものを感じますが、医師には神経と言われ、御浄霊に参りました。お腹の大きさは、五カ月位ありますが、胎児らしきものはなく、左卵巣附近に異状が認められます。然し本人は、長男の時より稍々弱いそうですが、腸の動くのと異い、胎動の様な動きだそうで御座います。何か霊的の原因が御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は、産婆さんに見せたんですか。

(お  伺)
「産婆では御座いません。側にある産婦人科病院に――」

〔御  垂  示〕
産婆さんに見せた方がいいな――年を取つたのにね。お医者より確かですよ。お医者では、妙な事を言いますからね。妙な考えを何しますからね。やつぱり、実地経験をした人が良い。そうして本当の姙娠でない――要するに疑似姙娠ならば、浄霊すれば直き治りますよ。

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(お  伺) 
小柳治男(昨年八月入信。二十七歳)入信以前より淋病的症状が少しあり、十月末より血尿の混入した排尿を致し、その度毎に尿道に激痛を感じ、激しい時は十分置位、良い時で一時間置で御座います。昼夜同じで、特に朝起きた時は激しいそうです。血尿は十二月上旬に止りましたが、排尿は依然として近く出ており、尿道の激痛は未だ変りありません。御浄霊は頭、延髄、腎臓、鼠蹊部、膀胱、内股から尿道にかけて致しております。食欲は普通で御座います。霊的と思われます事も度々御座いますが、御浄霊の急所が違つておりますのでしようか。尚、本人の知人が或祈祷師に見て貰つた処、祖先の霊が無数に来て居るとか、又十三代前の祖先で、女遊びをして女を沢山苦しめた人がある為、下の方の病気になつていると言い、その神様は庚申塚とか言い、日蓮様に御願いして祓つてあげると言つたそうですが、やはり狐霊の類で御座いましようか。又国常サチジの尊と言う邪神も憑いていて苦しめているとの事で御座います。本人は非常に感謝し、熱心で御座います。右御垂示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
急所が違つているんですね。祖先の霊が無数に来ていても、尿道許り狙う事はありませんよ。十三代前なんて、そんな古いのは、こんな事はありませんよ。若しあるとしても、一代か精々二代前位ですね。そんな事をやる場合に、こんな様な症状は出させないものですね。国常サチジの尊――ありませんね。国常立尊ならあるが、サチジなんて無いですね。之は霊的じやありませんよ。之は淋病でもないですね。尿道にオデキが出来ているんですよ。それが痛むんですね。その刺戟によつて、始終小便が出たいんですね。血尿は、そのオデキから血が溢れたものですね。何でもないんですよ。之は、尿道専門にやれば良いんです。そう言うのは、みんな上の薬毒が垂れていつて、尿道にオデキが出来る。しつこいオデキなんですね。そこを目掛けて溜る。ですから、そこの――尿道を根気良くやる。そうすると治りますよ。

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【御  教  え】
之は、お蔭話ですけれども、一旦霊界に行つて、天国を見せて貰つたんですが、良い塩梅に神様から命を貰つたんですね。つまり命の継ぎ足しと言うんです。人間の寿命と言うのは、生れ乍らに決つているんです。幾つの時死ぬと言う事がね。そう言う時には、一旦死ぬ型をするんです。そうして、継ぎ足しを戴くんですね。之は、良く解るんです。入信すると、そう言う事がよくあるんですね。命の継ぎ足しに、極く軽いのと重いのがある。極く軽いのは夢で見るのですがね。あれは、命の継ぎ足しを夢で済ませるんです。極く重いのは、之ですね。息が止まつたり、冷くなつたりして――この人は汽車の中であつた。非常に面白く、正確にいつてますからね。

(「⇒生命の継ぎ足し)のあとの御教え」【註  栄光一四二号】

こう言う風に助かつた人は、それからの命は神様から戴いたんですね。それを私有財産的に使つてはいけないんですね。やつぱり、そう言う因縁のある人で、神様が生かされて使われるんですから、素直にそうやれば、未だ随分長生きが出来るんです。よくそう言うのがありますよ。女にはありませんが、男にはよく命を貰つてから欲張つて、銭儲けをして、結局死んじやいますがね。

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それから、龍神と言う事を、よく書いてもあるし、言つてもいるんですが、龍神を見る人も偶々ありますけれども、このお蔭話は如何にもはつきり見せた訳ですね。

(「⇒龍神はある?」のあとの御教え)

之は、実にはつきりしているんですが、それで龍神が憑ると、一番は足が歩けなくなります。この娘さんも、両足がブラブラになつていたのは、そう言う訳です。その代り、龍神が離れると、段々歩ける様になります。之もはつきりしているんです。そう言う訳で、龍神が、古井戸に埋められて、住めないと言う時、新しい井戸に移るのは訳ないが、霊界の方は、だらしのない事や、融通の利く事ではないんです。だから、実に几帳面なんです――霊界と言うものはね。つまり新しい井戸に移つて戴きたいと――お移り下さいと言えば、その言霊によつて、直ぐに移る事は出来るんですね。こう言う点は非常に几帳面ですね。そこにいくと、現界は実にだらしがないですよ。だらしがないと言つて、自由なんですよ。人間程自由なものはないですよ。霊界では、位の高い人の側には寄れないものなんですよ。昔の大名ではないが、何間か離れなければ、側に行けない。現界では、人間はどんな偉い人でも側に行けるんですが、中々霊界はそうは行けない処に異いさがあるんですがね。けれども、今日の現界と言うのは、そういつた自由が過ぎているんですね。余りに無差別的になつているんです。それも深い意味があるんですがね。夜の世界であつた為に、最高の神様が隠れていたんですね。つまり、火の系統の神様が隠れていたんですね。そこで、それ程はつきりしなかつたんですね。はつきりしないのと、最高の神様が隠れられていた為に人間との差別が、たんとない訳ですね。それでこうなつた。だから、昼間の世界になるとその点もあるからして、段々と人間も正確になるんですがね。そうかと言つて、今迄の信仰の様に、馬鹿馬鹿しく窮屈ですね――あれもいけないです。やはり、自由であると共に、きちつと凡て几帳面にやる。そう言う様な意味ですね。今迄の信仰に就て、少し、批判的に書いてみたんですがね。

(御論文「信仰と生活」)

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この間、地方の宣伝班ですね――松井さん、鈴木さん、アザブさん、鹿島秀月さんですね。静岡県の方に二、三カ所行かれた様ですが、その時に、何か私に書いて貰いたいと言うんで書いた。それを読ませます。

(御論文「⇒舌に代えて」)

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特集号は三十日に出来ます。だから、農村に関係のある人は、出来る丈読ませて貰いたいですね。各大臣、国会議員、全国の主な新聞社、農事試験場、農科大学、農会――そう言う方面に皆配る積りですが、篤農家とか村長と言う人には、信者さんから読ませる様に、配つて貰う様にして貰いたいと思つている。部数もずつと多く拵えて、それから農業の報告――お蔭話ですね。それが非常に多いですから、二頁増やしたんです。之を一通り読めば、相当考えざるを得ないと思うし、第一随分変つた、意外な説ですからね。変だとは思うけれども、段々読めば、実際の実験報告が沢山出ているからして、考えざるを得ないですね。第一弾――原子爆弾ですね。農業原子爆弾を一発放つたと言う訳ですね。それで、沢山報告があつて、締切つてからも、あと未だ来てますが、全部を通算して見ると、やつぱり予定の通りですね。成績が、段々肥毒が無くなるに従つて増えるのは、はつきりしているんです。だから、五カ年にして五割増産と言う事は、決して間違ないですね。兎に角今年あたりは、硫安なんか非常に高くなつた。今年は千円ですね。農民は実に困つている。去年は七百円か八百円でしたがね。未だ上がる傾向がある。千百円台になると言つているが。その為に非常に困つているんですがね。処がそれが増産にならない様な、やつぱり病気に対する薬と同じ様な手段なんだから大変な問題です。そこで、色々あるけれども、大抵今年あたりは一番報告が多いですが、それを平均して見ると、一年目二年目位の処は、大抵平年作ですね、それで、極く成績が悪いのは一割減産ですね。一番多いのは平年作ですね。平年作と言つても、今年は病虫害、風水害があるが、その被害がないから、結局増産になつてます。そこで、三年目になると大抵増えてます。唯多い少ないがありますが、普通一割、二割。多いのは三割、四割も増えてます。大体三年目一、二割と言う処でしようね。本当に腰を入れてやつてから、皆んな二、三年位なものです。五年と言うのは殆んどないですね。偶々四年と言うのが、越後に二人あつた。それが、平年作より一寸良いと言うんです。然し、そんな馬鹿な事はないと言うので、あつちの――小川さんに聞いて見ると、下が岩盤になつていて、土の層が浅く、根が伸びないので、そう言う土地の為に特に肥料を余計やらなければならないと言うので、特にやつていたそうです。そこで、私は客土しろと言つたんです。客土すると、土の層も増えるしするからね。それでいて、減りもしないんですね。平年作よりも一寸良いですね。何か原因があると思つて聞いて見ると、そう言う訳で分つたんです。それ以外に四年目と言うのは、大抵ないですね。大抵三年目です。本当は、もう一、二年経つて、来年か再来年あたりにしたいんですが、何しろ現状を見ると、今年は減産ですからね。去年は六千四百万石でしたが、今年は六千万石とか言うので、三百万石から減つている。其処にもつていつて、肥料が高くなつているから、じつとして見て居られない。そこで早く特集号を出すと言う事になつたんです。今迄の成績を見ても、増産になると言う事は解るんです。そんな様な具合で、今迄の実験で、もう確実に自然栽培でもつて、食糧問題を救えると言う事が分つたので、今年からうんと腰を入れてやる積りなんです。その積りで信者さんもやつて貰いたいと思うんです。それ丈で少なくても日本人を救う力は大変なものだと思いますね。勿論病気の方も段々、今迄は遠慮してやつた傾(カタムキ)がありますが、今年あたりから、大いに表面的に活動しようと思つている。と言うのは「結核信仰療法」と言うのを書いてますが、今月一杯あたりで出来ますが、その二つ丈を信ずる人が、増えれば増える丈、日本は良くなるに決つているんですから、大変な救いですね。時間が来ましたから――

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【お  断  り】 本冊子は、明主様の御校閲を戴いて居りませんので、骨董品等に関する  作者名及び金額に速記洩れ或いは誤りあるやも知れませんので、予め御了  承下さいませ。精しくお知りになりたい方は事務所に御申越し下さい。尚、其の他御不審の点が御座いましたら、事務所迄御申越し下さい。

(教六号  昭和二十七年二月二十五日)