御 教 え 集 第五号

十二月一日

(お  伺) 
赤川山一(十月下旬入信。五十一才)十年程前両足首関節に激痛を覚え、骨接ぎに行きましたが病名不明と言われ、医師にかかり関節炎と診断され、薬名不明の注射を四本打ち、大分良くなり仕事をして居りました。昭和二十四年十一月になり、右手の人差指の附根関節が猛烈に痛み、医者にかかり薬名不明の注射を約一週間続けて治りましたが、同年十二月に両足首が痛み出し医者に行きました。其後一カ年通い毎日ザルソブロカノンの注射を続け、同年大晦日より午前はキノフエン、午後はザルソ・ブロカノンを毎日二本宛、二十六年五月迄続けましたが、痛みは中々治らず、五月二十日より十日間温泉に行き、大体良くなりました。更に六月四日から、完全に治そうと思い東大附属病院に入院、四十五日間米国新薬コーチソン(二グラム)ビタミンC(八千ミリ)シンコルター(八CC)注射し大変良くなり、帰りには独りで楽に歩けると言う状態で退院しましたが、二週間後に再発、以前より非常に悪くなり、痛みは全身の関節に及び、床に就き全く起上る事も出来なくなりました。八月中旬頃お道のお話を聞き、信者さんに御浄霊を戴く様になりました。九月より信者さんの御紹介を戴き、横浜出張所の森久保先生に御願いして、御浄霊を戴く様になり、二十日間位で大変楽にさせて戴き、歩行も出来る様になり、銭湯にも行ける様にさせて戴きました。十月妻と共に入信させて戴き、十一月五日に光明如来様を御奉斎させて戴きました。現在は両足首の関節が痛み、歩行困難となり床に就いて居ります。長い間の苦しみに、果して元の様に治して戴けるものか、何うかと不安の気持が去らず、煩悶致して居ります。何卒御教示の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
こう言う人が沢山あるんですがね。何しろ多量に製造しているんだから困るね。骨接ぎに――この時放つたからして置けば良いんです。とうに良くなつてピンピンしている。之を元にして製造にかかつたんです。最初、色んな注射ですね。すると、一時そこの処丈は麻痺させて、痛みが取れて治つたと思つたが、身体の方の目的は、最初の時に――足首とかに痛みを生じたのは、溶ける為に固まつたんです。溶け始めたのと、もう一つは身体の毒が、始終そこに溜つている。それで、出口を求めて、腫れて出ようとした。それを注射で――つまり戸を閉めた様なもので――膿が、出所がないので他に出ようとする。それを又注射するから、増えた訳です。それが方々に固まつた訳ですね。だから、身体中動かなくなる様な材料が増えちやつたんですね。だけども、メシヤ教に入つて良かつたですよ。さもなければ命迄いきますよ。全然逆の事許りやつた。一種の――お医者は――自殺幇助だ。之は、治るに定まつているから、ちつとも心配ないです。浄霊する丈づつ減つていくから――結局は溶けて無くなるから、治るに定まつている。唯、沢山材料を入れているから、長くかかるでしようね。然し、割合治りが良いでしよう。全て、痛むのは治りが良いんですからね。浄化が強いんだからね。むしろ、安心して――楽しみにして良い。自分でもやつて良いですよ。出来る丈力を抜くんです。力が入ろうとするから、抜き々々やる。只抜く丈ではいけない。奥に――背中をやる時は、前の方に通る様にする。私は、こう言う風にやる時は、向うの壁を狙つてやる。そうすると――力が入るから、そうではいけない。力を抜いてする。一つの練習ですね。

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(お  伺) 
八才の女子、生後八カ月目に引附けを起し、其後三カ月に一回宛引附けを起し、四才からは春、秋と二回位起して居ります。引附けは、五日間位連続で、その度毎に口から泡の様な物を幾分出す様です。三才迄は水薬、散薬を服用(約二カ年)四才になり注射四、五本打ちました。其後何もして居りません。昨年近所の方の奨めにより霊友会に入りましたが「三代前にこの子供と同じ様な子供が生れ、その子を池の中に入れて殺した事がある。その為である」と言われました。然し、この三代前の事は私共には全然分りません。引き附けを起さない時は、一日中非常に水を欲します。又手に触れる物は、食物でも何んな物でも臭いを嗅ぐ癖を持つております。又引き附けの発作を起す前には、食事は幾らでも食べます。気性は荒く言葉は簡単な単語しか言えません。こちらからの問に対して返事は出来ませんが、自分からの要求は致します。十月にお道の事を聞き、横浜出張所に御浄霊を戴きに通い始めました。初めは御浄霊を非常に厭がりましたが、最近では大人しく戴く様になりました。十月末日御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。夫は未だ入信致して居りません。この子の引き附けは霊的関係が御座いましようか。又、御浄霊の箇所に就き御教示の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
霊的ですね。三代前に――池の中に――之は違な。池の中に入れて殺したとすれば、大いに水を飲まなければならない。すると、之が生まれ変つて来たり憑依して、反つて水を欲しがらない訳ですね。やつぱり龍神ですね。龍神は一番水を飲みたがるんですからね。だから普通の人でも、水を飲みたがる人がありますが、あれは皆んな龍神の生まれ変りか、憑依です。そう言う人の顔は角張つていたり、目が引つ込んでいたり、龍神的な顔をしてますからね。つまり、祖先の一員で、龍神に落ちている。それが憑つているんです。之は、救つてやれば人間に生まれ変つて来ますからね。之は是非救わなければならない。浄霊は、龍神はここに憑つてます――前頭部の中を中心にして、首の廻りに固まりがありますから、それをやる。然し、相当長くかかります――こう言うのはね。数年はかかると見なければならない。然し、結局は治るんだから、一生治らないよりは結構です。やはり、光明如来様をお祀りして、その部屋に寝かせて置いた方が早いです。

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【御  教  え】
この間、東京に行つてピカソの展覧会を見たんですが、その感想を書いて見ました。

(御論文「⇒ピカソ展を見て」のあとの御教え)【註  栄光一三五号】

今読んだ通りで、ピカソの絵なんかを、こう言う風にコキ下した人は、絶対にないと思いますがね。と言うのは、本当から言うと、今の人は解らないんです。未だ、美術を批判する丈の眼が出来てない。出来てないと言う事は、秀れた良い物を見る機会がないから――見ないからです。本当に良い物を見れば、頭が出来ちやうから、ピカソの絵なんか全然問題にならなくなるんです。ピカソが偉らくなつたと言うのは――偉らくなつた、と思われる様になつたと言うのは、訳があるんです。と言うのは、アメリカの金持が、東洋美術を手に入れ様と思つても、日本は売らないし、日本から買えば、贋物許りですから――イギリス、フランス、ドイツも少しありますね。そう言うのを買つたんです。金持は大いに威張つていたが、アメリカには、後々金持が出来ますからね。後から出来た金持は買う物がないんです。しようがないから、現代の美術家ですね――現代の偉い画家に目を附けた。フランスで一番偉いと言うのは、ピカソかルオーとかね。その人の絵を買おうとね。マチス、ピカソの方でも、絵が――油絵なんか段々変つて来て、印象派以来非常に変つて来たんですね。後期印象派に至つては、偉い――ゴツホとかゴーガンとか出て、良い物を拵えた。処が、あれでも駄目だ、もつと変つた新しい物を作らなければならないと言うので、段々新しく新しくで、結局行き過ぎたんですね。行き過ぎたのが、今ここに書いた轢死者や爆弾で殺された様な恰好になつたり、訳も分らない――丸で子供が書いた様な――あれなら変つてますしね。そうすると、アメリカの新しい金持は、旧式の絵――旧派ですね――持つている富豪に対して――どうだ、俺の方は御前達が持つてない新しいのを得たと、大いに誇つたんです。処が、マチス、ピカソの方は、そう言つた営業的な考えはないが、何かアツと言わせる様な新しい物を作ろうとして、あんな事になつた。それが金持の考えと一致した訳ですね。そこで、沢山買うんです。注文が沢山あるし――高くしちやつた。ピカソなんか非常に高いですね。大衆は変なもので、ピカソの絵はあんなに高いので、良いに違いない。良いか――と言うと、その良い悪いが解らない。良いんだ、値打があるんだ、とこう思つて――お経と同じです。お経が、解らないから有難がつて奏げるんです。お経が解つたら、有難がるのはずつと減る。何とか言うお経なんですが、飜訳して見ると、男女関係の事を書いてある。実に猥褻極まるものです。それを有難がるんですからね。結局人間はあんなものですね。だから、私は逆に、はつきり判る様に書いてますが、だからそう言つた意味に於ては有難がれないんですが、然し、有難がる、有難がれないと言う事じやなくて、こつちは人間を――人類を救うんですから、解る事が主ですから、お経や――バイブルもあんまり解らないですが、お経よりは良いです。解らない事と言うのも良いが、その為に迷いを生ずる。迷いを生ずるから、仏教でもキリスト教でも、派が沢山出来る。だから、人類を本当に救う事は出来ない。唯、何となく救われると言うので、徹底しないですね。尤も、力と言うものが不足していた点もあるから、今迄としてはあれで良いんです。こちらは、そう言う曖昧な点などは、はつきりさせると言うんで、之が今迄夜の時代であり、私は昼間の文明の根本をつくるんですね。之は、そうなるのが当然の話です。そんな様な訳ですから、絵にしてもそう言う解らない様な物が大騒ぎをやられると言うんで、それを見た日本の画家は真似始めた。実に面白いですね。だから、之は丁度ブランコと同じで、古いのは行過ぎた為、反動的にこう行つて、こう行つたのが、今の油絵ですから、それが軈て又、こう行くんですね。そうかと言うと、此の頃、源氏物語が流行つて来た。石川五右衛門だとか、之は反動の反動ですね。それで段々行詰まつて来て、今度は本当のものが生まれるんです。今迄の文明を見ると、皆んなそう言う系流を通つている訳ですね。それで、今度美術館が出来たら、今読んだ通り、西洋のはどうせ敵わないから、全然手を出さない様にしてますがね。

それからもう一つは、西洋のも美術的に見て、良ければ私は何とかしますが、本当に美術から言えば、どうしても東洋美術よりも下なんです。之はしようがないですね。ですから、アメリカ辺りでもイギリス辺りでも、マチス、ピカソの絵よりも、支那の宋時代の絵を、ずつと欲しがつて高く買います。何故なら価値があるんです。西洋の絵でも、何故いけないかと言うと、第一番の条件が欠けている。品位ですね。美術の最高のものは、品位ですね。人間でもそうです。偉いとか何とか言うが、結局品位ですね。高さですね。高さがなくちやいけないですね。高さと言う事は、つまり神様に近いんです。一番高いのは神様で、その次が人間で、その次が獣です。人間は、神と獣との間、と何時か書きましたが、西洋の絵は高さがないんです。この間、ピカソの絵を見て――ああ、どうも品格がある、と思えない。品格のある芸術は、天国的芸術です。それを観て、それに引上げられる。そうすると、精神的に天国に引上げられるんですね。それで、美術の価値がある。私が、西洋の美術が下だと言うと、何うかすると、何う言う訳ですかと言うから、品格がないと言うと、それでギヤフンと言うんです。ですから、私は美術館に並べる物を、東洋美術のうちの古いのも、新しいのも――それは問わず、名人その時代の名人の傑作品を並べる積りです。私の買つたのもあるし、そう言う物を持つている人の連絡も、大体ついた事になつてますからね。之は神様がやつているから、実に旨くいくんですから、愈々美術館が出来てみたら吃驚りするだろうと思います。何うしてこう言うものが集まつたかと言うよりも、何うしてこんな立派な物が、昔出来たかと思うものが沢山ありますね。今、私設美術館は殆んど見ましたがね。大阪、京都、東京でも、この間根津美術館、長尾美術館――ワカモトのね。毎年春、秋――長尾の方が二日間、根津の方が五日間ですがね。之はつまり、私設美術館は展覧会を一年に二回は開かなければならんと、つまり財団法人ですからね。財団法人はそう言う義務があるんですね。さもなければ――財産保護の税金をかからない様にすると言う丈に終りますからね。二つ共見ましたが、本当に遠慮なく言えば、殆んどゴミみたいなものです。根津美術館の一番良い物は、私の家の一番悪い物と、丁度同じ位なものです。それから、長尾美術館には、有名な藤の壺と言う――之は立派なものですがね。あとは、場末の道具屋でも――私の処に持つて来ても全然買いませんね――値段に拘らずね。実に驚いた。それから、何時も言う通り、博物館の美術品は実にひどすぎます。あれを外国人に見せるのは、実に情ない位ですね。ですから、今度私の方で並べる物は、こんな物が世の中にあるのだろうかと、驚くに違いないですね。外国の人が見たら腰抜かす位に驚きます。それで又、やつぱり、人間業でないんですからね。神様がやつているから、不思議にすごい物が手に入つて来るんです。ですから、奇蹟的に集まつて来るんですね。ですから、私の処に来るのは、割合値段も安いんです。大抵、財閥とか言う人達が、急に金が要つて、そう言うのがパツと来るんです。私は、今売れば随分儲かるんですがね――そう言う訳にもいかないからね。そう言う場合には、やはり神様がそう言う事を、大いにやられていると言う事が良く分る。そう言う話になると、つい油がのつちやつてね。

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十二月六日

(お  伺) 
田中ひで子(四才)教師の孫で御座いますが、先月二十八日より食欲が減退し、排泄も少なく、熱も普通より低く、特に足は冷たく、大変にむずかります。毎日御浄霊致して居りますが、余り変化がありません。此の子は普段より御浄霊を嫌い、特に此度の御浄化を戴きましてよりは、むずかつて浄霊を受けるのを大変厭がります。御浄霊の箇所及び浄霊を嫌う理由を御垂示御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
之は霊ですね。死霊が憑つているんですね。前頭部を主にして浄霊して、出来る丈――善言讃詞だとか御神書を読んで聞かせるんです。何か、死霊で要求があるんですね。或は、無縁かも知れないですね。祀つて貰いたい為にね。そうしてやつているうちに救われていくから、病気が治つていきます。之は浄化じやないですね。之で見るのが一番早いですね。熱が出るですね――之は浄化と思つて良い。霊でも熱が出ますが、全然熱が出ないのは憑霊と思つて間違いない。そうして、こう言う病人は光明如来様の前に寝かせる様にして、良くお願いするんです。

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(お  伺) 
吉岡正(三十四才)昭和二十三年八月より手足が絶えず痙攣し、医診では震腺麻痺との事で、ペニシリン其他の医療を二十五年十月迄入院して続け、終に全身硬直し寝た儘にて、身体を動かす事も出来なくなり、医者に見離され退院しました。二十六年四月より御浄霊を戴き、御守護により上半身は硬直が治り、眼玉も手も動く様になり、先月は初めて洗面器一杯程度の嘔吐があり、一時は腹が膨りましたが、現在では小さくなりました。然し未だ、足、腰は全然利かない状態で御座います。尚、食事は大食の方で御座います。霊的原因の有無、並に御浄霊の箇所を御教えの程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
震腺麻痺――麻痺じやない。震えるんだから、反対だ。之も死霊ですね。死んだ時の状態が出ているんです――痙攣とか麻痺とか言うのはね。それから、ペニシリン――医薬を飲んで、全身硬直と言う病気を作つた。之はお医者が拵えた病気です。まさか、礼言う訳にもいかないが――それで浄霊によつて、薬毒が減つたんで動いて来たんですね。之はもう一息ですよ。それで全身がすつかり動く様になつて、すつかり治りますよ。光明如来様は未だお祀りしないんですか。

(お  伺)
「本人は入信致して居りませんので――」

〔御  垂  示〕
早く入信して、光明如来様をお祀りして、徹底的にやらなければいけないですね。そうすれば治りますよ。病気は大して重いものではない。霊が主ですから、信仰が一番ですね。

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(お  伺) 
私の夫(警察官。二十五才)本年二月十八日風呂で卒倒し其後勤務先でも二回あり、二月二十五日より頭重、眩暈が伴い、身体がだるくなり医診を受けました。処が、心臓が少し弱つている丈  で、大した事はないとの事で、無理に出勤して居りました処、同月末日より一層ひどくなり床に就く様になりました。それからは、発作的に発熱、心臓の鼓動が激しくなり、意識が遠くなる様な状態が日に一、二度起る様になり、入院手当を受けました。発作は小康を得ましたので退院し、自宅で静養致して居ましたが一向治らず、肩も凝り、四月末再び発作が起る様になり、再度入院。其の後は起きられなくなり、食欲も減退して参りました。植物性神経失調症と言われ、発熱毎に水又は氷で冷し重曹、葡萄糖、テプロンの注射を用い、其他鎮痛剤、ブロム加里を毎日注射又は服用しました。五月にお道のお話を聞き、御浄霊を受け、五月十日私が入信致しましたが、医者を諦める事が出来ませんでした。六月末頃より足が冷たくなり始め、次いで頭も冷たく感じる様になり、極度に衰弱し、医者に見離され退院し、家で御浄霊を戴く様になり、体温が出て参り喜んで居りました処、周囲の反対、本人もはつきりお道が解らず、再び人の言う儘に鍼、医者に通い腰、肩等に注射三十本打ちましたが一向に良くならぬ為に、医療を捨てて御浄霊を戴く様になり、九月二十三日主人も入信致しました。十月初めには少し歩ける様にして戴き、同月六日より名古屋別院へ参り御浄霊を戴いて居ります。段々血色も出、食欲も普通人と変らず元気になつて参りましたが、未だ眩暈、頭重はすつきりせず、肩も凝り頭がぼつとして、常に夢見ている様な状態が、前より激しくなりました。之は霊的でしようか。私の婚約者であつた現在の夫の兄が、三年前川で心臓麻痺で死んで居り、祖父も卒中で死んで居ります。尚、お道の事を解らなかつた親も、最近少し解りかけて参り、反対は致しません。お屏風観音様をお祀り致し、光明如来様は戴いて居りますが、お祀りは未だで御座います。如何致しましたら、早くお救い戴けましようか。

〔御  垂  示〕
なーに、良い加減なものです。植物性神経なんて――何う言うものだ。神経に植物性と動物性とあると見えるね。之は何でもないんですよ。之は、頸の廻りから肩にかけて凝りがあります。固りがありますから、それを見て御覧なさい。それを溶かせば良いんです。唯、長くかかりますが、之はきつと治りますよ。処が、打遣らかして置けば、訳なく治るんですが、お医者に行つて色んな――氷で冷したり――氷で冷すのは悪いですね。固めるからね。重曹、葡萄糖――鎮痛剤――之が問題ですよ。之がここに凝りますからね。丁度、病気を増やして貰つたんですね。良かつたですよ――このお道を知らなかつたら、結局廃人みたいになるか命のどつちかですね。最初は脳貧血だつたんですね。脳貧血と言うのは、ここ(頸部)に固まりがあります。溶けて来ると――熱が出て溶けるんだから、そうなるとぼつとするんです。それから眩暈ですね。頭が重い、ぼつとするのは、ここ(頸部淋巴腺)を見て御覧なさい。熱があつて、固まりがある。元は頸の廻りですね。心臓にもある。それをやると、治りますよ。早く光明如来様をお祀りして、その前に寝る。それから御神書を、本人が読めなければ、側で読んでやる。それから、霊的じやありませんからね。之は、古い薬毒に新しい薬毒を足した。それが原因ですから、それを溶かせば良いんだから、一寸も心配要りません。こう言うのは沢山あるんですよ。名を附ければ、薬毒病と言うんでしようね――今、官吏公務員の汚職事件ですね。あれは役得病でしようね。

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(お  伺) 
鈴木五郎(二十八才)昭和二十年に一家全部入信、大光明如来様を御奉斎させて戴いて居ります。長男照雄(一才)は十一月四日頃から頭の浄化を戴き、三日間程高熱が続き其後も下らず、度々嘔気を催しますが吐きません。耳を掻き、毒血が出ると、幾らか大人しくなります。食欲は御座いません。右は祖霊の戒告で御座いましようか。又は普通の頭の御浄化で御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は、普通の頭の浄化ですね。頭に毒血がありますから、ですから嘔気もその為ですよ。頭を良く浄霊してあげれば――之は力が入るんだな。こう言うのは、力を抜けば、どんどん良くなるんですがね。それから、ここ(頸部)をやつてやる。ここに熱があると、前頭部に熱がある。そうすると嘔気を催す。食事は入るんですか。

(お  伺)
「少し入ります」

〔御  垂  示〕
お乳ですね。

(お  伺)
「摺り粉で御座います」

〔御  垂  示〕
何でも良いですからね――

(お  伺)
「母乳を摂らず、熱は少なくなつて居ります。ややこしい家庭で御座いまして――」

〔御  垂  示〕
然し、この状態では、頭に毒があるんですよ。だから、何でもないんですがね。どんどん治る訳だがね。もう一息です。力を抜いてやつて御覧なさい。

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(お  伺) 
私の父(六十一才)は十七年前の或る夜、就寝中急に危篤状態となり、医師が来ても診察させず、霊憑り状態となり、食塩水のみで一週間程過し、其後は平常になりましたが、翌年五十日程同様の霊憑りとなりました。其後六年程異状ありませんでしたが、昭和十六年頃より高野山にお参りして弘法大師のお姿を戴いて来てより、二十一日間家に居り、弘法大師が出入りするのが良く判る、この二十一日間に病気治しやお経の読み方を良く教えられた、と申します。其後病人を大勢集めて、良く治しました。又紛失物を当て、次第に熱中し、弘法大師、不動明王、千手観音様の御像をお祀りする様になりました。三、四年前より私共も父も、このお道に入信致しましたが、お守様は外して居ります。二十四年十二月頃又もや霊憑りとなり、大声で説教をし暴れましたが、毎月二十一日にお祀りする事にして収まりました。又本年十一月、三十八度余の熱が数日続き、熱が下りますと憑霊致し、苦しんで怒つたり暴れますので、私が謝りますと、「俺が勝つた」と言つて喜び、静まります。又、家族を集めて説教をし、恐多い事で御座いますが御屏風観音様を焼いて了いました。最近は弘法様より、不動様を拝み、弘法様の上に不動様が居られると申し、不動様(大日大照不動明王)を拝めと言います。現在、私も家族もお守様を外して集会所にお預け致してあります。又、父に対しては家中充分に心遣いして大事に致して居りますが、今後如何致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
お守様をはずして居ります――之はしようがない。それじや、入信したんじやない。形丈の入信です。第一番にお守を掛ける事ですね。それでなければ御守護戴けない。こう言う事があると言う事は、家中の人にも罪がある。こう言う事があると、苦しみますからね。苦しむと言うのは、罪穢れがあるからですね。それを減らさなければならない。減らす為には、お守をかけなければならない。それが第一番です。そうして、光明如来様をお祀りしてありますね。

(お  伺)
「未だで御座います」

〔御  垂  示〕
じや駄目です。未だ信仰に入つてないですね。光明如来様をお祀りし、お守を掛けなければ、救われつこないですよ。兎に角、それが根本ですよ。そうして、良くお願いするんですね。光明如来様をお祀りして、祝詞を奏げますね。善言讃詞とか――あれが、そこの一家を浄めるんですからね。之は、俗に神狂いと言つてね。宗教で狂いになるんですね。昔、神狂いと言つてね。それで、色んな出鱈目なんです。無論霊ですがね。こう言う霊は、人間の霊と動物霊と両方です。それで人間の方は、元光明如来様の熱心な信者かで、それに霊が憑つて、霊が色んな――からかつたり、いたずらするんです。之も、そこの家の霊界が浄まつて来ると、萎縮するんです。それには、今言つた様にしなければならない。それが根本です。

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(お  伺) 
川本鈴貴(四十才)妻も入信。家がバラツクの為、御神体が御奉斎出来ず、千手観音様をお迎えして居ります。二カ月前、先代より祀つている稲荷を、善言讃詞をお奏げした丈で、川に流しました。其後長男孝司(七才)が午後になると、熱が出て食欲が少なくなり、教会に通つて全快。今度は私がプレーナーで、左手小指を切断、直ぐ教会にかけつけ、血も止り痛みも楽にして戴きました。右の浄化と稲荷との関係が御座いましようか。後で御神書を拝読致し、稲荷の処置法が間違つている様で、気にかかつて居ります。光明如来様をお迎え致したいと念じて居りますが、それ迄稲荷は如何致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
面白い名前だな。之は間違つてますね。之は稲荷さんにやられたんですよ。怒つてね。だから、私は良く教えてあるんですがね。之は稲荷に対しては、良く教えてやると良い――教師の人がね。光明如来様をお祀りして、一年経つてから処置する。そうでないと、唯善言讃詞をお奏げした丈で、おまけに光明如来様をお掛けしてないで処分すると、怒つて仇しますよ。狐の方が理由があるからね。神様は理由があれば許されるんですよ。こう言うのは、一年以上お祀りして、光明如来様のお光で、狐が改心するんですね。それでお礼を言つて、元にお帰り願いたいと言うんで、狐は帰るんですよ。処が、狐と言つても――稲荷と言つても、今言つたのは、豊川稲荷とか伏見稲荷とか言う処から、御神体を貰つてやるやり方ですがね。中には野狐ですね。それから日蓮宗の行者が狐を祀れと言つてやつたのがある。日蓮宗の眷族の狐です。之も割合処置し易いんです。野狐を、祀れ々々と言つて祀るが、之は一寸難かしいんです。難かしいと言つても、結局は出来ますが、三年位ですね。光明如来様をお祀りして三年位経つてからだと、ちやんと出来ますが、あんまり早くすると、中には執着の強い奴は、何やかやと難かしいです。一番難かしいのは祖霊ですよ。祖霊が稲荷になつて守護していますからね。それは処分出来ません。それは、古くから――祖先代々祀つてあるのは、祖霊が狐になつて、そこを守護しているんだから、処置出来ない。之は庭にですね。部屋の中は面白くないが、然るべき処なら、部屋の中でも良いが、成る可く庭が良い。之は代々お祀りする。然し、その人一代信者になつてやつていると、狐が人間に生れ変つて来るから、その稲荷は、その人一代で良い訳ですね。良く光明如来様にお願いするんです。稲荷様が、今度人間に生れ変る様に、と言つてね。それで承知すると良いですね。今度、そう言う事を書きましよう。地上天国にかね。だから、簡単にやると仇しますよ。だから、しようがないから、狐にお詫びするんですね。やつぱり、稲荷様を簡単に、もう一ぺん祀つてやつた方が良いですね。祀つてやつて、よくお詫びして、それから一、二年経つて処分する。こうやつた方が良いですね。

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(お  伺) 
私の兄十次郎(三十二才)本年六月頃は、浄霊又は御神殿に行くのを嫌い、その節お伺い申上げ、祝詞を奏げて浄霊する様と御垂示を賜り、御浄霊を戴き御神殿に休ませて戴ける様になりました。現在は便所に行くにも心臓が苦しく一、二回休んで行く様な状態で御座います。左側延髄より頭にかけて痺れ、前頭部を針で刺す様に痛み、目の前が暗くなつて参りますが、動かねば何ともなく、又鳩尾の所に玉の様な物が出来ると大変苦しく、食物がつかえ、特に油気の多い物を食べると、心臓が苦しくなります。絶えず左乳の処がひどく脈を打ち、顔色悪く体は冷たい方です。兄は十八才の時に後頭部を強く打ち、兵隊の時、内地で心臓部に予防注射を打つた事もあり、二十一年八月、心臓性喘息で御浄霊戴き一カ月程で良くなり、其の後家族全部入信させて戴き、大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎。二十三年に疥癬の御浄化をやり、家中で兄が一番ひどく出来ましたが、十カ月程で全快させて戴きました。その頃、皇大神宮、熱田神宮を始め、家中の護本尊等を纏めて、お供物をし、善言讃詞をお奏げして、氏神へ収めました。その中に十年前、父が病気中お迎えした何神様か分らぬ物があり、稲荷さんではなかつたかと思われます。先祖代々の位牌も作り、面識のあるものは、別々にして古いのは焼きました。父親の父が胃病で死亡して居りますが、位牌は別になつておりません。兄弟の分は一つの位牌に二人の名前を書いて居ります。右は霊的関係の御浄化で御座いましようか。又御浄霊の急所を御垂示賜り度く御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
体は冷たい――之は霊だな。心臓が苦しいのは、この辺に薬毒が固つているんです。押して御覧なさい――左の肋骨ですね。痛い処がありますからね。それから熱い処があるですね。そこに薬毒があるんだから、それを溶かせば良い。そうすれば、心臓が苦しいのは治ります。延髄より頭にかけて痺れ――之はやつぱり薬毒ですね。之も浄霊すると治ります。玉の様な――之は霊ですね。やはり狐の霊ですよ。之は、稲荷の御神体や何かを処理した――その為らしいね。兄は――注射の薬毒が固まつているんです。延髄から、内出血もありますね。内出血が固まつている。それと薬毒と両方ですね。予防注射――それですね。心臓の息切れ――その為に喘息が起つたんですね。治りますよ。少し気長にやるとね。それでやはり、狐や――霊や――何かが憑ると言う事は、薬毒の為ですからね。それが溶けて来るに従つて、入れなくなる。之は大した狐じやないです。他には別に霊的関係はありませんよ。今言つた通りやると、日の経つに従つて良くなりますよ。

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(お  伺) 
中教師荒川弘光(二十四才)は、二十二年十二月開拓の途中にて発声不能となり、それ以来屡々大浄化を戴き、漸次発声出来る様になりました。本年十一月二十七日夜突然に猛烈にせき上げて参り、苦しみ始め、多量のヌラを吐きました。其時塊りの様なものが咽喉に詰りましたので、善言讃詞を奏上し、御霊紙を戴き、直ぐ楽にさせて戴きました。其後二回程ヌラ状の喀血を致し、御守護を戴きまして現在は全身浄化して居ります。食欲はどうやら二膳位は戴いて居ります。本人は幼少の折、肺炎や気管支炎をし十五、六才の頃腹膜や何かで鍼灸、指圧、電気等もやりました。右に就き御浄霊の箇所を御教示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
この人は、何か――蛇か何か飲んだんじやないかな。蛇を飲むとヌラになりますからね。背中に固りがある。背中を良くやつてやると良いですね。それから、熱のある処ですね――やる様にしてやると大した事はないです。

(お  伺)
「唾を飲むと、咽喉がとても痛みます」

〔御  垂  示〕
それは、ここ(咽喉)に固りがあります。

(お  伺)
「鳩尾の左に寄つた処に固りがあります」

〔御  垂  示〕
背中の方に固りがありますから、そこを良く浄霊してやる。

(お  伺)
「父、祖父が結核で死んで居り――」

〔御  垂  示〕
結核で亡くなつても、正面(マトモ)に受け取れないんですよ。何故と言つて、医学で――つまり殺すんですね。だから、結核と言うのは何でもない病気で、段々それを死ぬ様にしちやうんだから、要するに――医学による被害者ですからね。むしろ、打遣らかして置く様なら、亡くならないで済んだんですが、一生懸命に医薬をやればやる程死ぬんですから、結核なんか――結核で死ぬより、医療で死ぬと言うんですがね。どうも、はつきり言うと、そう言う事になつちやうんだからね。

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【御  教  え】
今度、自然農法の特輯号を出そうと思つてますがね。それで、論文丈を書いたんですが、未だお蔭話ですね――それが少ないんで、良く聞いて見ると、今月か、来月――春にならなければ、本当に無肥料栽培の成績ですね――それが無理だと言うんです。新聞に出す丈位集つたら、出す積りです。それで、之を全国的に、各農会とか新聞社、参衆両議院とか――そう言つた方面に配付しようと思つている。出来る丈早く、農業革命――それをやりたいと思う。今それが、日本としては重要問題ですからね。その論文ですね。之を一通り読めば解る筈ですがね。以前よりか、ずつと解る様に書けたと思うんです。

(御論文「⇒農業の大革命、五カ年にして米の五割増産は確実」

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それから、何時も言う通り、医薬が病気を作つている訳ですがね。その非常に良い例が、お蔭話として来たからして、説明を添えて出そうと思いますがね。

(「⇒医学が悲劇を作る」のあとの御教え)

よく心情を書いてありますね。全く、之を読んだら、何んな人でも目頭が熱くなりますよ。でも、之がつまり医学なるものの働き――と言うと変だけれども、お蔭でも変だが、こう言う事を、全然知らないんですからね。大変な世の中ですよ。だから、之を知らせなかつたら、あんまり人間が可哀相過ぎますよね。だから全く、私がこの事を人類に知らせなかつたら、本当に、何うなつたか分らないですね。

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十二月八日

(お  伺) 
丹久子(二十三才)六才の八月頃に皮膚病(白アザ)で医診を受けました処、この病気には薬はないと言われ、太陽燈及び紫外線を四、五カ月程致し、アザに薬名不明の注射を二カ月致しましたが治らず、其後病気は拡がり、右睫毛が全部白くなり、頭部右側四分程白アザで、毛は根本より一寸五分位白く、それより先は黒くなつております。現在患部に熱があり、フケが沢山出ます。午後になりますと、顔に熱が出て参ります。又肩、腰に熱がある様で御座います。御浄霊は入信(昭和二十六年四月)の時より信徒の方に戴いております。尚、家族の内本人のみ入信。御神体、御屏風観音様は御奉斎致して居りません。

〔御  垂  示〕
皮膚病と言うのは、霊的以外は薬毒ですがね。この白アザも薬毒ですよ。霊的のアザですね――あれは生まれつきです。それは一寸治りません。之は、親が飲んだ薬毒ですから、治るんですが――太陽燈、紫外線――之をやつてから固めてあるから、治り悪(ニク)くなるんですよ。それから、薬名不明の――之がやつぱり禍しますね。腕なら大した事はないが、患部をすると、やつぱり大変悪影響します。睫毛が白くなるのは、無論薬毒ですよ。之は気長にやれば治りますね。それで、光明如来様をお祀りして、その部屋に寝る様にして、良くお願いするとずつと良く治りますね。この年頃だから、早く治さなければ、売れ口の方に関係する。まあ、そう言う風にされた方が良いですね。

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(お  伺) 
進藤仲子(四十六才)十年前子宮外姙娠にて開腹手術を行いました。本年九月腹膜炎の症状となり、医診を受けました処、子宮筋腫並びに結核性腹膜炎で手術不可能と言われ、ペニシリン、ストレプトマイシン四十本を打つて見るより方法なしとの事で、不安になり、御浄霊でとお縋り致し今日に至つて居ります。尚、五年程前に一度お守様をお受け致しましたが、一時的で信仰より遠ざかつて居りましたが、九月に改めて入信致し御浄霊をさせて戴いて居ります。腹膜は、御守護戴き一カ月程で治りました。その後一カ月、十一月中旬より腹部が次第に腫れて参り、下旬には乳下から下腹部迄、指で押してもへこまぬ程に固く大きく腫れましたが、其頃から稍排除が始り、下痢と下り物が続き、腹部も柔らかくなりました。現在はガスを非常に出して居り、下痢と下り物は前程でない様で御座います。食欲はありますが、胸部の圧迫感の為一日三杯足らずです。苦痛は、胸と腹部の圧迫感、横腹の吊れる様な痛み、浮腫みの為の足のだるさ等で御座います。右に就き御浄霊の要点を御教示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は腎臓ですよ。腎臓萎縮ですね。だから、腎臓部に固まりがあるから、そこを精密に浄霊して、次はお腹ですね。そうすれば治る訳ですがね。それ丈のものですね。力を出来る丈抜いてやれば、腎臓も良く溶けますからね。

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(お  伺) 
娘幸子(二十九才)幼少より象皮病(主に手足)にて悩んで居ります。入信前は漢方薬「毒だみ」を二年位服用致し、又電気療法も一年致しましたが効果なく、三年以前より一週間に三回程御浄霊を戴いて居り、御蔭様で両手は大変柔かくなりましたが、最近両脚の方に御浄化戴き、皮膚が以前より黒く固くなり、ヒビ割れし、重く疲れる様になりました。クリームを脚全体にすり込むと幾分楽になります。ヒビ割れの場所に絆創膏を貼つて居りますが、今後御霊紙を貼らして戴きたいと思いますが、如何なもので御座いましようか。又御浄霊の箇所を御教示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
効果なく――こう言う事をして、治らない様にしているんですから、恐いですよ。クリーム――之はいけないですね。こうすると治らないですよ。今後御霊紙を――結構ですよ。如何なもので――まあ、治りたいと思つたら御霊紙を貼りなさい。クリーム、絆創膏――治らない許りか、余計悪くなります。薬毒が滲込んでね。クリームと言うが、薬毒が入つてます。クリーム中毒と言うのは恐ろしいものです。皮膚が青くなります。それで又、クリームをやらなければならないと言つて、やりますがね。薬毒です。

(お  伺)
「親の薬毒で御座いましようか」

〔御  垂  示〕
親の薬毒も本人の薬毒もあります。だから、やつぱり薬によるのではなく、その人によるんですね。割れるなんてのは、蛇か蝮蛇の毒かも知れませんね。あれは、よくそうなります。普通の薬ではないですね。蝮蛇か蛇ですね。まあ、気長にやれば段々少しづつ良くなります。

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(お  伺) 
橋並芳野(五十四才)二十年程前腰痛にて医診の結果子宮に毒結の固りがあると言われ、薬剤を二回程服用、人婦湯を服用し治りましたが、以後四、五回腰痛があり、人婦湯服用を続けて居りました処、本年四月腰痛の激痛の為医診を受けましたが、子宮癌との事で早速岡山医大にて手術の予定の処に、お道のお話を聞き、養子の佐一が入信し御浄霊を戴いて居りました。本人も六月八日入信致し、娘も九月に入信、御神体並びに御屏風観音様も御奉斎させて戴きました。七月頃より下腹部の激痛の御浄化戴き、背部と尾骨(ビテイコツ)の御浄霊にて楽にさせて戴き、尚本人は脳溢血症状にて、話中聞き取り悪(ニク)い点がありましたが、前後頭部、延髄の御浄霊により普通状態にならせて戴きました。下り物は八月に一回少量ありました。下腹部の痛みは今月迄続いて居ります。家族の者の、腹及び背部の御浄霊一時間程で一時楽になりますが、私(教師)が尾骨と背部を二十分位致しますと、痛みが取れますが、又痛みます。尚鳩尾より臍に固結があり、痛む時は固結の脈搏が非常に高くなります。御浄霊の箇所を御教示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
人婦湯――之は漢方薬だね。之は子宮癌じやありません。子宮癌は痛まないんです――本当の癌ならね。之はやはり毒血ですね。月経みたいなものです。やつぱり、薬毒も混じつてますからね。ですから気長にやつたら治りますね。癌は――少し痛みますが、強い痛みはないものなんです。痛みがあるものなら治り良いんですよ。治るものですからね。従つて、痛むもの程安心なんです。痛まないもの程治らない――と言う事はないが、治り悪(ニク)いんです。こう言う人なんか、割合に早く治る訳ですがね。之も出来る丈力を抜いて――箇所は痛い処丈で良いんです。そうして、下の方に溜つているから、上の方の毒が下りていくんです。ですから――頭から背中ですね。そう言う処を良く調べて、熱とか痛み――固りがあるから、それから溶けて下にいつて、腹に固るとかなんですね。

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(お  伺) 
重歳幸太郎(四十七才)八月に肺浸潤と診断され、マイシン四十本打ち、絶対安静をして居りましたが、お道のお話を聞かれると同時に医療を全廃し、只管お道に縋つて御浄霊戴いて居ります。本月二十四日頃より咳の御浄化で、連日一升余の痰の排泄もなくなりました。最近胸、咽喉、下腹に痛みを覚え、食欲はあり、体力旺盛ですが、咳の為不眠が多く漸次衰弱して居ります。御浄霊は全頭部、淋巴腺、背部等を主として致して居ります。従来の信仰として真言宗、不動様、最上稲荷等で、霊動は御座いません。家族は未入信。御神体、御屏風観音様は御奉斎致して居りません。既往症としては、昨年狭心症で医療を受け、大酒家の為、飲酒後の服薬、淋病等で可成り薬剤を用いて居ります。御浄霊の箇所の御教え賜り度く御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は薬毒ですね。薬毒の排泄ですね。咳があんまり出ると言うのは、浄霊する人が見当違いをやつている。之は、良く調べて見ると良いですよ。咳は方々から出るが、その時一番出る急所を見附けると良い。処が、的はずれだと、余計咳が出ます。そこの――治つた丈づつは平均浄化が起ります。だから、やつているうちに、段々咳が減つていくと言うのが本当です。だから、咳が余計出ると言うのは、見当違いだから、良く調べて見ると良い。咳が最も出るのは、ここ(頸部淋巴腺)ですね――大抵、ここか。延髄は咳は少ないです。之は水洟の方です。あとは肩ですね。背中も無論ありますよ。左の方がきつと多いです。それを浄霊するんですね。それで、その時に――大体触つて見て一番熱のある処が――そこから咳が出るんですから、そこを発見する。そうすれば、この人は治り良い質だから、治りますよ。急所さえ見附ければ割合早く咳は減つていきますからね。それが一番肝腎ですね。

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(お  伺) 
結婚前迄は順調に月経が御座いましたが、結婚後は半年に一回か、一年に一回少量しかありません。如何なる訳で御座いましようか。同家は主人も弟妹共「ワキガ」がありますのは、同家の因縁の為で御座いましようか。

〔御  垂  示〕
ワキガとは関係ありませんよ。然し、之はおかしいですね。結婚すると、反つて順調になるのが当り前ですがね。之は少し変ですね。然し、月経の不順と言うのは、下腹に固りがあつて、喇叭管の入口を圧迫するのと、あとは貧血ですね。その二つの理由です。そこで、下腹に固りがあるか何うか、それを見て、固りがあればそれを浄霊する。その固りは腎臓から出ているんですから腎臓を良く浄霊する。あとは貧血ですがね。この人は顔色は何うですか、悪いんですか。

(お  伺)
「至つて健康で、顔色も宜敷う御座います」

〔御  垂  示〕
下腹は――

(お  伺)
「見た事が御座いません」

〔御  垂  示〕
押して見て御覧なさい。或いは、本人に押さしても良いです。下腹ですよ。こんな筈はないですがね。

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(お  伺) 
赤羽義治(未入信)の飼牛が非常に涙をこぼしますので、目を開いて見ました処、黒玉の中に細い糸の様な一寸位の虫が居り、獣医に診せた処、早速針を入れて出そうとしたが、取れずに失明して白く腫れました。其後頼まれて御浄霊を致しました処五日程で黒玉が見え出しましたが、やはり虫はピンピンして居ます。其後御浄霊をしていると虫は見えなくなりました。之は霊的で御座いましようか。

〔御  垂  示〕
面白いね。之は随分変だね。虫はピンピンと言うんだからね。之は、霊的にも言えるけれども、何かの折に眼に入つた虫が、そこに喰いついて、段々育つていつた。そうして、つまり浄霊した為に、そう言う虫は皆毒を食うんだから、毒を食つて了つたので、それで弱つたと言うんで、別に大した事はないですよ。

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(お  伺) 
昭和十二年再婚し、実子千鶴子を養子縁組長女に入籍致しました。千鶴子は十九年に女学校を卒業致しましたが、神経衰弱となり、初めは、夜になると起きて私に何か言い、暴れて居りました。阪大の博士には精神分裂症と言われ、手術をする様に言われましたが致して居りません。カルモチン、ブロバリンを連日用いて居りました。二十四年六月に入信。八月に御屏風観音様、本年七月大光明如来様を御奉斎させて戴きました。主人は信仰に反対で、千鶴子の事で言い争いを致し、それより家へ帰りません。又私の弟妹が変死致して居りますが、霊的関係が御座いましようか。

〔御  垂  示〕
この、妹、弟――二人ですかね。之は関係がありますね。この霊が憑つているんですね。一寸普通と違いますがね。変死した時に、余程シヨツクを与えられたんですね。それで、霊界に行つてもはつきりしないんですよ。それが憑つたんですね。その霊を救わなければならない。第一番に、主人が反対と言う事では、本当に治る訳にはいきませんね。主人が信仰に入つて妻君が反対している場合は始末が良いんです。一家の主人が権を握つているから、一軒の家に病人があると言うのは、主人の責任であり、主人の勢力の中に出来た――何だからね。だから、先ず主人が信仰に入るよりしようがないですね。然し、入れ様と思つても入る訳じやないから、奥さんが一生懸命お願いして時節を待つんです。そうすると神様が、主人が入る様な段取りにして呉れます。それより仕方がないですね。苦しむと言うのは、主人にも罪があるんですからね。然し、無理に主人を信仰に入れると、逆効果になりますから、今言つた様にすれば良いです。

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(お  伺) 
田中省吾(四十二才)昭和六年五月満洲にて流行性脳脊髄膜炎で入院し、七年五月頃より松葉杖で歩行出来、九年春歩行も普通になりましたが、十七年頃より再発し、電気マツサージ、ペニシリン四十本致しましたが立つ事が出来ません。家業は写真屋で御座います。御浄霊を頼まれ、七十回程させて戴きましたが、大して変化も御座いません。本人も家族も信仰心が御座いません。一週間程前に近所から戴いたリンゴに「ウドンゲの花」が咲いておりました。三、四年前にもそう言う事があり、母が中風で直ぐ死んだそうで、大変心配して居りまして、天津祝詞と善言讃詞を奏上致しました。御浄霊の箇所及び「ウドンゲの花」に就き御教示賜り度御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
信仰心がない――之はいけませんね。こう言う考え方はね。七十回もやつて、信仰心が起らない様な人間なら止した方が良いですよ。之は、幾らやつても駄目ですよ。最初は誰も信仰心が無くても良いですがね。之丈行くうちには、神様の話もしたでしようが、之丈やつてもこう言うのは――そう言う事に無駄骨折るのは、神様に対して勿体ないですよ。だから止(ヤ)めた方が良いですよ。もう一つは、御神書――新聞とか雑誌とか――読まして、そうして信仰心の起らないのは、放つたらかして良いですよ。あれを読んで、少しも信仰心が起らないのは、要するに頭能が麻痺しているんだから――あれを読めば解る様に書いてあるんだから、そいつに心が動かない様だつたら駄目ですね。そうかと言つて、全然駄目ではない場合もある。時節がある。ああ之だなと言つて来る事がありますからね。読ませる丈は必要ですから、そこで、感じない様な人は、先ず放つたらかして置くと言う方が能率的ですよ。こんなに――七十回も行つてやると言う事は、能率的でない。無駄骨と言う訳ですから、反つて勿体無いですよ。

………………………………………………………………

(お  伺) 
上坂たか(三十九才)今年春頃より気分優れず全身だるく、食欲はなく衰弱の気味で御座いました。五月頃より下腹部が、固く大きく張つて参りましたが、一カ月程で、稍柔かくなり、今度は腹部全体が張り、腹膜の症状となりました。八月末には小さくなりましたが、食欲が出ず、時々腹痛を感じました。九月に入り、急に高熱が出て全身だるく、食欲なく骨と皮許りの状態となりました。未入信の親戚や知人の反対を押し切り御浄霊戴いて居ります。最近は食欲は感じますが、食べ様とするとお腹が一杯になり入りません。無理に食べますとお腹が痛んで苦しみます。御浄霊戴きますと止りますが、止(ヤ)めますと三、四時間は痛みます。腹部に大小三つの長めの固りがあり、移動したり消えたり致します。娘の頃から胃の背面、脊骨が五箇位外部に飛出し、痛みは感じませんが、時々ちぎる様なだるさと譬え様のない苦しみを覚えます。御浄霊は胃部の背面、飛出した脊柱、左腎臓部、頸部並びに耳下腺を主にさせて戴いて居ります。尚、一家全部入信し御神体、御屏風観音様を御奉斎させて戴いて居ります。御浄霊の箇所、腹部の固り、食欲を感じても食べられない事に就き御教示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之はお腹に固りがあるんですがね。動けば蛇ですけれどもね。蛇が悪い目的でやつているんですね。けれども、もう食べられなければならないんですがね。この位良くなればね。之はその辺に毒素が非常に余計あるんですよ。つまり、毒素があるんで、そう言つた邪霊が憑き易いんですからね。両方ですね。之は、背中も肝腎だけれども、やつぱり腹の方からもやらなければならないです。力が入るんじやないかな。力を抜くと非常に溶け易い。だから力を抜いてやつて御覧なさい。もう一息で治るんですがね。外部に飛出し――之は、あんまり関係しません。之は、こつちが治つてからで良いんです。時々ちぎる様な――之は、浄化が起るんだが――そう言う時にやつた方が良いですね。そうすると治りが早いんです。それから頭ですね。頭が食欲に関係する事があります。後頭部ですね。頭を試しにやつてみて――固りがあれば、それを溶かす。それから、熱い処ですね。そうすれば、もう一息で良くなる訳ですがね。

………………………………………………………………

(お  伺) 
五十三才の信者。昭和二十五年秋、腹部に湯呑大の固結が出来、本年春医師に「腸間膜何々」と言われ、切開手術の上大小二十一箇の固結を取りました。本年夏再び同じ所に大きい固結が出来、本年十一月入信し御浄霊を戴きましてより、激痛一回、小水が濁り、便秘がなくなり、腹部内でゴーゴーと言う音が聞える様になりました。働くと苦しく、歩行困難になります。尚、腹部に固結が発生した頃に、南方にて長男戦病死の公報がありました。之は如何なる原因で御座いましようか。

〔御  垂  示〕
便秘がなくなり――おかしいな。之は霊的と関係ありませんよ。お腹に、最初二十一箇の――之はつまり、やつぱり医者の方で言う結核性腹膜とか、そう言つた様なものですがね。膿の固りですよ。それを浄霊すると、一つ々々取れていきますが、手術で止(ト)めましたからね。止(ト)めると反動が起りますから、大きい固結と言うのはそれですよ。ゴーゴー――之は溶けた訳ですね。気長にやれば治らない事はありませんよ。之はやつぱり、元は薬毒ですよ。腎臓を良くやつてやるんですね。病気は簡単なものですね。

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(お  伺) 
谷本豊子(二十九才)腎臓病が悪化し、医師に見離され、御浄霊にて御守護戴き、入信致しました。お腹の御浄化で、段々張つて臨月位になり、心臓も苦しくなりましたが、動く事は出来ました。上下に汚物を沢山出し、お腹は普通になりましたが、三カ月程すると、再浄化戴き、前の半分位に張り、大変苦しく、足は全然立たなくなり、横にもなれず座つた儘です。下痢はして居りますが、出るのを感じません。膝に薄赤色の斑点が出来、破れそうになり、お腹の上部に水ぶくれが出来て、汁が少しづゝ出て居ります。お道の事は、母親丈少し解つて居りますが、父親及び家族全部は解つて居りません。御先祖は祀つて居りません。お祀りする様に話ましたが、その気持は御座いません。里に帰つて居りますが、嫁入先は全然解りません。御浄霊の箇所御垂示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は薬毒ですよ。薬毒が沢山あるんで、色んな形になるんですね。ですから、一番悪い処悪い処をやつて気長にやつていれば、段々治つて来ますよ。側の者が反対する丈は、治りが遅いけれども、之は仕方がありませんね。

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(お  伺) 
私の娘さい子(未入信。三十才)本年二月十七日無事二度目のお産を致しましたが、四日目に自分で便所に行こうとして二、三歩々きかけました時、急に眩暈を感じ、足に力が入らず、気が遠くなりかけ、其儘床に就きました。御浄霊を一週間戴きましたが、はかばかしく御座いません。私一人の入信の為、家族は反対で、米子病院に一週間通い電気及び注射等を致し、反つて悪化致しましたので、家で灸及び漢方薬等を致しましたが、同じ状態で御座います。九月より再び御浄霊を戴く様になりましたが、変化御座いません。頭部中央、後頭部が痛み、見た処は元気ですが、力が入りません。月経も産後五カ月目よりありましたが、不順で御座います。月経前三、四日は特に頭痛激しく起きている事が出来ません。対談や大声や物のキシム音等は大変堪えられません。食事は普通で御座います。御浄霊の箇所を御垂示の程御願い申し上げます。尚、私が娘を浄霊致しますと、その直後に私の目がタダレた様になります。然し、他の人の場合は左程ひどくは御座いません。之は如何なる訳で御座いましようか。

〔御  垂  示〕
便所に行こうとして――之はいかんな。産後は、絶対にこう言う軽はずみをしてはいけませんね。一週間は寝たつきりで、一週間経つてから座る位で、二週間経つてから歩くと、それで何ともないんです。之は、早く歩きすぎたんです。之は脳貧血ですよ。月経は五カ月目より――早過ぎたな。大声――之は脳貧血の特徴ですね。之は、別に大した事はない。やつぱり浄霊に力が入るんじやないかな。非常に効きが悪い様ですね。ここ(頸部淋巴腺)を大いにやらなければならないね。そんなものですね。ここをやつて御覧なさい。それで良いでしよう。

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(お  伺) 
馬場利美(本年四月入信。二十三才)昨年四月頃より右足第二関節炎になり、三カ月電気治療を受け、其後自宅にて注射を半年続けて居りますうちに、関節が段々曲らなくなり、何時も熱を持つ様になりました。本年三月より御浄霊を戴いて居りますが、一時は大分曲る様になりましたが、四十日位前より段々腫れ、激痛に足を動かす事も不可能となりました。一昨年当人の姉が、右足骨膜と肺結核にて死亡致して居りますが、霊的関係が御座いましようか。又御浄霊は何処をさせて戴きましたら宜敷いでしようか。

〔御  垂  示〕
之は、結構じやありませんか。之は――大分曲る様になつた――上つ側の毒が取れたから曲る様になつた。四十日位前より――と言うのは、芯が溶けて来たんだ。激痛――之は結構です。之は其処を浄霊していれば、どんどん腫れて、穴が開いて血膿が出て治ります。結構です。肺結核で――或いは、この――姉さんが憑つて起つたのかも知れないが、之は問題ではありません。やはり、この人は毒があるんだから、其処に寄つて行つたんだから、姉さんの霊が憑つていても、両方治す事になるから結構です。腫れて来れば何でもないんですよ。直きに治りますよ。

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(お  伺) 
西村延子(二十八才)昭和二十二年四月左乳、背に細かい水疱が出来、痛みましたが医者にかからず、油薬と粉末を少し用い、五月中旬頃跡形を残し膿が少し出て治り、それと前後して水を欲する様になり、六月の終りには一日五、六升位飲んで居りました。最初ビタミンBの不足とて一カ月注射を続けましたが、少しも良くならない為、他の医師にかかり入院し、尿崩症と言う病気で、脳下垂体後葉ホルモン不足に因る症状との事でしたが、原因不明で治療法なしとの事で、牛の脳下垂体のホルモンを注射、又山羊のホルモン注射を致しますと○・五CCで約七時間は平常となりますが、注射なしで居りますと一日七、八升、多い時は一斗近く飲みます。水を二時間以上飲まずに居りますと苦しく、口中は乾き、胸が焼け、頭痛がし、堪えられなくなります。夏は特に冷たい水を欲し、冬でも水の方が美味しく感じます。ひどい時は夜中でも一時間毎に水を飲み、激しい時は一度に三合程飲みますと、左の胸の辺りが冷たくなります。排尿の方も一時間半位に多量致します。それより三年灸、指圧、鍼を致しましたが、良くなりません。昨年夏に左肺浸潤と言われマイシン三本、パスを少し飲みましたが、嘔吐の為に止(ヤ)めました。本年七月お道のお話をお聞きし、八月にお守様を戴き毎日御浄霊を戴いて居りますが、あまり変化は御座いません。光明如来様、御屏風観音様は、未だ御奉斎致して居りません。尚、亡父(陸軍少佐で、急性腹膜炎にて三日の病で死亡)の石碑を二十五回忌に建て、三カ月程してより此の状態になりました。此の関係が御座いましようか。何の様に致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は、大霊的ですよ。之は龍神が憑つているんですよ。相当大きな奴が憑つているんです。之かも――亡父の石碑――亡父の霊かも知れませんね。何か、非常に執着を持つている。それで蛇になつちやつたんですね。それで――大きい蛇なんです。それで水を欲しがる。蛇と言うのは、非常に焼けるんです――体が熱くなるんですね。ですから、飲まなければ居られない。そこで、蛇と言うのは執着の罪ですからね。執着のそれを取つていくんですからね。やつぱり前頭部を良く浄霊して、それから御神書を出来る丈聞かしてやる。肺浸潤と言うのは、薬毒で作つたものですよ。お医者に拵えて貰つた。こんな事は問題ではないですがね。そうしてやるんですね。そうして龍神が救われるに従つて治つていく訳ですね。之は治りますよ。一番肝腎なのは、光明如来様をお祀りしなければ駄目だね。お祀りしてその部屋に寝る様にする。そうすると、ずつと早く治ります。

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【御  教  え】
今度、農業の特輯号を出そうと思つて――大宣伝をしようと思つているが、お蔭話が足りないので待つているんですが、農業に関係したお蔭話を出来る丈早く出す様にして貰いたいと思うんです。之はその論文です。之で、全部解る訳です。

(御論文「⇒農業の大革命、五カ年にして米の五割増産は確実」)

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十二月十一日

(お  伺) 
入信以前に子宮癌を手術し、入信後(九月一日)御伺い申し上げまして、御守護を戴き其後順調に参りました処、十一月末より出血多く、十二月初め御不浄にて拳大の毒血の固りが二箇出て、出血多く、御不浄内で倒れました。一時は危険状態でありましたが、御浄霊にて御守護戴き小康を得、出血は止まりました。現在は食欲は軽く一膳位のお粥を食べる位で、全身だるく特に手足がだるく、気力は衰え、手術致しました患部に拳大の固りが残つて居り、痛みは御座いません。御浄霊は何処をさせて戴きましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は大変結構ですね。この固りと言うのは子宮癌ですね――癌であつたかも知れないですね。お医者は、開けてみて其処を取らずに、そつとして置いてあるかも知れないが、之は――子宮癌と言うのは殆んど血の固りですから、之はそれでしよう。だから結構です。食欲がないのは、熱がある為ですよ。だから、そう長くは続かないです。それで、大体そう言つた固りが取れると、其処が綺麗になるからして、平均浄化が起つたんですね。だから、首とか肩とか背中とか――そう言う処から熱が出るんですから、そこを調べて、そこの熱が冷めれば――冷めます、大した事はない。

(お  伺)
「時々、記憶が、ぼつとした様になります」

〔御  垂  示〕
貧血の為です。血の固りが取れると、脱落した様になる。貧血した様になります。ここ(頸部淋巴腺)を見て御覧なさい。ここから熱が出ているかも知れない。非常に結構なものですからね。

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(お  伺) 
神取八郎(五十二才)昭和二十三年頃から、夜眠られず寝床を三カ所も変える状態で、医師より脳梅毒と言われ、色々と医療を受け、熱心に御嶽教を信仰して居りましたが、段々悪化して参りました。御浄霊を戴く様になり、良い方に向いましたので、主人は昭和二十四年二月入信させて戴きましたが、申訳ない事に三月末頃突然、御守様の「光」と「ゝ」とを鋏で切離して了いました。其後、病状悪化し、現在では食物を丸飲みにし、此方から持つて行かねば、食事を要求せず、一日中寝て、口の中で独言を言つて居ります。小便は自分で気がつかずにして了います。尚二十五、六年前に家の蔵の中に三升笊を伏せた程の青大将が居たのを殺して、近所の人に薬にする様にと与えた事が御座います。主人の父親は五、六年前に縊死して居ります。私の前夫は或る女行者と恋仲となり劇薬自殺を遂げて居ります。この時、前夫のみ死に、女行者は生残りました。右は霊的関係で御座いましようか。尚、御神体を御奉斎させて戴きます様準備中で御座います。

〔御  垂  示〕
何うして、こんな事したのかね。霊憑りだな。随分厄介だね。光明如来様をお祀りする様に準備していると言うんだから結構ですが、一日も早くお祀りする。それから主人はやつぱり霊が憑つているんですがね。鋏で――やつぱり霊にやられたんですね。丸飲み――青大将ですね。無論、此青大将は祖霊ですがね。三升笊――随分大きいんだな。青大将の霊を救つてやるんだから、光明如来様を祀つたら、その部屋に寝るんだね。あとは別に大した事はない。それですね。そうして出来る丈御神書を読む様にして、気長にやつていれば段々良くなります。何しろ、殺されると非常に怨みますから、しつこいですよ――霊の働きがね。だから、簡単にいかないですね。気長にやるより仕方がないですね。そして、少しでも暇があつたら、一人でも多く人助けをする。その徳によつて治りが早くなると言う訳ですね。

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(お  伺) 
満四才の女児、昨年七月疫痢の際、上乳歯が三本根本から折れました。それより上唇が腫れ、本年九月頃より、折れた歯の上方より外側に向つて尖つた歯が見え、可成り肉を破つております。毎朝上唇より膿が出ており、現在もう一本出かかつており、又奥歯下側二本目が内側に倒れ、新しい歯が外側に向つて出ております。上乳歯三本共歯根が残つております。御浄霊は毎日続けて居ります。薬毒の為で御座いましようか。前世の因縁に因るので御座いましようか。又自然に歯根が抜けましようか。両親は四年前入信。御神体、御屏風観音様は御奉斎させて戴いて居ります。

〔御  垂  示〕
之は、単に薬毒許りではないですね。一種の罪ですね。之は歯医者に行つて抜いて貰つた方が良いですよ。早いです。それは構いませんよ。歯を抜くとか入歯するとか言うのは、別に悪い事はない。けれども、こう言う歯が――口の中が順調にいかないと言う事は、やはり原因があるんだからね。だから、早く信仰に入つていればそんな事はないが、今となつちや歯医者の御厄介になるよりないから、そうした方が良いですね。

(お  伺)
「四つですが、麻酔等致しますが――」

〔御  垂  示〕
構いませんよ。ここ(歯部)丈やるんですからね。そんな事は何でもない。歯の注射は暫くすると、歯に出ちやうから別に心配する事はない。それから、麻痺の注射は余り害にはならないですよ。普通の薬毒と違つて一時的だからね。

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(お  伺) 
昨年一月入信の者で御座います。銃猟が趣味で、毎年冬の山野を歩くのを楽しみと致して居ります。十二月一日、三連発の猟銃の廻転が悪いので、実弾(散弾三百発入)をこめて、安全装置をして、「いろり」の側で調べて居りましたが、銃口を上にして一、二回下に突いて見ましたが、具合が悪いので、銃口に左の手をあて力を入れて下に突きました瞬間、弾が暴発して手の平をつらぬき、屋根裏をぶち抜き、飛び散りました。傷は手の平に一寸、手の甲は二寸程砕けて口を開けて、白い筋の様なものが飛出し、勿論骨は砕けたものと思われます。御浄霊を戴きまして経過は良くさせて戴いて居ります。今後の御浄霊に就き御垂示の程御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は驚いたな。信仰に入つていて、そんな殺生するなんて飛んでもない。だから、神様のお気附けですよ。まあ、何ですね――こう言う狩猟するのは、信仰止(ヤ)めてやるか、信仰に入つている以上は、絶対にやつちやいけないですね。やつぱり、こう言う殺生すると、必ず祟つて、碌な事はないですよ。之は、止(ヤ)めろと言う神様がされた事だから、非常に結構ですよ。良くお礼を言つて良い。それで、之を止(ヤ)めないと、今度はもう一層ひどいのになります。之でもか之でもかとなりますよ。之で止(ヤ)めて、良くお詫びして、之から出来る丈人を助けるんですね。そうして、その鳥を殺生した罪を、それによつて償つて貰う。そうするのが一番良いです。それから、御浄霊は自分でやつても良いですから、あとは良くお詫びするんだ。之からはもうしない。そう言う事は絶対にしないと言う事をお誓いするんです。それが根本ですよ、そうしないと、又何かありますよ、だから非常に結構です。

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【御  教  え】
農業特輯号ですね。あれを出して、そうして出来る丈日本中の農会とか新聞社ですね。国会議員だとか、そう言う方面に配ろうと思う。そして出来る丈早く目を醒まさせなかつたら、下手にまごつくと米が減産して来ます。丁度、薬毒と同じ様に、肥料毒と言う奴が、今後霊界が明るくなるに従つて、余計強く影響しますからね。何しろ早く知らせなければならない。その論文です。

(御論文「⇒農業の大革命、五カ年にして米の五割増産は確実」)

未だ、農業の方の――大体米ですが、成績の報告は充分集まりませんから、集まり次第、之は発行し様と思つている。何うしても春になるだろうと思いますね。

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次に汚職問題ので――此間のは「無神迷信」ですね。あれを、もう一層深い処を書いたものです。

(御論文「⇒悪は何故暴露するか」)  【註  栄光一三六号】

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それから、最近のお蔭話の中で、医療の為に随分ひどい目に遭つた経路が実に良く書いてある。之を読んでいると、実際涙がこぼれて来ますね。

(「⇒医学が悲劇を作る」のあとの御教え)

つまり、この人なんかは、最初は鼠蹊腺が腫れた丈ですね。何故鼠蹊腺が腫れたかと言うと、戦争に行く人は注射を受けますからね。この注射は、大抵ここ(頭部)に腫れる。前にうんと腫れた人がありましたが、それでも其処に穴が開いて膿が出て治ります。之もそれなんです。医学は解らないから、色々つついて、色んな病気を作つていつたんです。今読んだ様に、あつちもこつちも次々悪くなる。一家心中しなければならない様な事になつた。一体、こんな不仕合せな目に誰が遭わせたかと言うと、戦争は勿論ですが、現代医学がこんな目に遭わせた。それを誰も知らないで、良いと錯覚しているんですから、実に大問題です。こう言う人が、今何十万人あるか、分らないですね。だから先ず、之を救うと言う事が第一番ですね。

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それから、話は違うけれど、一昨日――日曜の日に、ラジオの放送討論会ですね。この間、朝日講堂で三日の日に、汚職官吏は何故後を絶たないかと言う様な題で――演説した人は、岡崎官房長官と阿部真之助、臘山政道――この三人が担任者になつて喋りましたが、色々な――根本は何うだ。何だ彼だ――色々な事を話合つて――質問も相当ありましたがね。それで、結局において、つまり道義の低下と言う結論になつたんですね。道義の低下――道義心の低下、それは何うすれば良いかと言うと、法律――法規をもつと厳重にしろとか、刑罰をきびしくしろと言う様な事を話合つて居たですね。処が、法規を厳重にしろなんて事は、今迄に幾度となくやつているんですからね。又、法規と言うのは、出した当座丈は馬鹿にきびしくても、段々時が経つに従つて、グラグラになつちやうですね。又、それを狙つて、又悪い事をする。それは、何よりも――熱海は忘年会の申込みは一つもないですね。東京の花柳界なんかも、昨今非常にさびしいのだそうですが、と言うのは何しろ、今は問題が喧ましくなつて煩いから、当分慎んで居た方が良い、と言うので行かなくなつたんですね。処が、ほとぼりの冷める迄は、行かない方が良いと言う訳で、ほとぼりが冷めれば、段々元の木阿彌になつちやう。だから、道義心の低下は何処に原因があると言う事は、全然――宗教とか神とかに結びつけるのは、一人もないですからね。だから問題なんです。さつき読んだ様に――この間の「⇒無神迷信」と今日の「⇒悪は何故暴露するか」と言う事を書いたんですがね。中々、こう言う事を読ましたつて――それでも、幾らかは――人によつては、之も理窟だなと言う人も、無論あるに違いないと思いますからね。出来る丈読ませ様と思つている。この論文なんかでも、最高裁判所、特審局、法務庁――そう言う処にも送る積りですがね。何しろ今言う犯罪と言い、医学と言い、農業と言い、実に間違つた事をやつているんですよ。それで世の中が悪いとか、何だ彼だ皆苦しんだりやつているんですが、実に我々から見れば滑稽な様な、可哀相な様な――悲喜劇ですね。至る所に悲喜劇が出ている。だから、之を救うには、何うしても宗教よりない。そうかと言つて、唯宗教でやれば良いかと言うと、恐らく他の宗教で本当にそれを解決する力のあるものは、恐らくないだろうと思うね。だから、何うしてもメシヤ教がやらなければならない。その為に神様が私に力を与えられ、色々な事を知らされるんですからね。結局解決はつくんですが、そこでつまり、神は在るかないか、神が在ると言う事を知らせれば良い。神が在ると言う事を知らせるには、神が在る事を見せれば良い。見せると言う宗教が何しろないからね。私の方では――「神を見せる宗教」と言うのを書いたんですがね。

(御論文「⇒神を見せる宗教」)  【註  栄光一三八号】

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十二月十五日

(お  伺) 
井上満之助(六十一才)去る九日突然腰が痛み、教師の浄霊を戴き治りましたが、シヤツクリが連続に出始め、四十度の高熱が出ましたので、浄霊を戴きましたが、熱は下らず、シヤツクリは稍軽くなりつつありましたが、五時間も続くので医者に診せた処肺炎と言われペニシリン一本打ち、熱は七度に下りましたが、依然としてシヤツクリは五日目にも止らず、私が昨晩浄霊を頼まれ、体を見ましたが別に熱の高い処もなく、横隔膜が痛いと言うので浄霊致しますと、一層激しくなります。頭と延髄を致しますと稍軽くなり、水が欲しくなり飲みますと、三十分程止りましたが、又始まり、それを繰返しております。シヤツクリは、他に御浄霊箇所、霊的原因が御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は霊的らしいですね。やつぱり、延髄附近と前頭部の中ですね。そこを気長にやつてやれば、段々軽くなりますよ。シヤツクリが幾日続くと死ぬとか言われるが、そんな事はないです。シヤツクリなんか命に関係はないからね。そう言う事を考えて、急(アセ)るんですよ。それを良く安心させて、気長にやると言う様にすると、案外早く治ります。

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(お  伺) 
二十年前より両足首に痛みを感じ五、六年前足首に根の無い「オデキ」が出来、ジユクジユクして余り膿も出ませんでした。梅毒ではないかと六○六号を十五本打ち、何の変化もなく、種々医者の手当を受けましたが、レノールと言い十人?に一人位しか治らないと言われました。四年前に右足の親指の次の指を三分の一程落して了い、同時に身動きが出来なくなり、其の後二十四年五月、一家入信御神体も御奉斎させて戴きました。御守護戴き動ける様になり、指先が崩れるのも止り、最近は少しの農事の手伝いも出来る様になりましたが、足の「オデキ」は、特に昨年の暮より毎日午後の三時から夜の九時迄、激痛を感じます。私の家の本家は、昔代官であり、門番の妻が手足、顔、露出部が崩れる病気となつた為、四代前の人が本家の命令によつて無理に追出したらしく、その時門番には二人の子供があり、一人を其処に捨て置き、病む妻と一人の子を連れて旅立ち、途中妻は死亡、門番は三島に流れ、今日は立派な米屋を致して居ります。捨て置かれた子供は、私の処より三里山奥に貰われ、其子供が、私の母親で御座います。母は三十才頃より、露出した部分に私の足の如き「オデキ」が出来、四十八才で死亡。長男も二十八才で同病にて倒れ、次男は船乗りで、やはり同病を苦に海中に投身死亡致して居ります。右は霊的関係が御座いましようか。又門番の妻(戒名不明)はお祀りすべきで御座いましようか。

〔御  垂  示〕
十人に一人――まあ、こう言つて置けば一番間違いないな――誰も分らないからね。之は珍しいですね。一寸、癩病みたいですけれども、之程ひどく痛むのなら癩病じやないです。やはり霊ですね。非常に強い怨みですね。けれども、治るには治りますがね。別に大した事じやないんですからね。やつぱり、気長にやれば治りますよ。それから、やつぱり自分でも浄霊すると良いですね。悪い処をね。力を出来る丈抜いてやれば、段々治つて行く訳ですがね。然かも痛むんですから治りは早いんですがね。治り良いんですね。痛むのなら、霊的にしろ体的にしろ、浄化だから、反つて始末が良いですよ。どうも、浄霊に力が入つているんだね。自分でやつた丈でも結構治りますよ。今言つた様に出来る丈力を抜いてやつて御覧なさい。

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(お  伺) 
昭和十八年肺浸潤にて医療を受け、昭和二十年秋に再発しマイシン二本注射しましたが効果なく気胸を致しました。其の時医師の不注意により肋膜が少々破れ、空気が洩れる為呼吸困難となり、大変苦しみました。其後はラジオドクターの放送を聞き乍ら安静療法を致し、半年余りカルシウム剤を服用致しました。昭和二十五年お道を知り、妻が入信、会長先生と妻の御浄霊により、一カ月位で大分呼吸も楽になりましたので、家業の八百屋の仕入れに自転車でかけ廻つて居りました。九月頃より又呼吸困難となり、其後三カ月程会長先生の御浄霊を戴き楽になり、私も入信。光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。本年五月喘息で、息苦しさ甚だしく、横にもなれず苦しみました。之も先生の御浄霊で楽にならせて戴きました。十月三十日名古屋別院にて明主様の御参拝を戴き、翌日より一層呼吸が苦しくなり寝ついて了いました。咳や痰が甚だしく出、体が段々衰弱して参り、先生の御浄霊を戴き、楽になりました。食物は魚、鳥、獣肉、サツカリン、ズルチン、合成酢、色粉等を入れた物を食べますと三、四時間後に、其物丈吐きます。最近は菜食に致して居りますが、何を食べても美味しく感じます。発病後少量乍ら十回程喀血し、血痰は毎日の様に出、朝夕は「ヌラ」の如きものを必ず吐きます。痰や唾は一日七、八合位出ます。右の息苦しいのは如何なる訳で御座いましようか。又御浄霊の箇処御垂示の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
空気が洩れ――ああ、之はひどいな。つまり、気胸の時に肋膜――空気が――之ですね、原因は之が未だ治らないんだな。之がいずれ――膜でも、段々治るんですが、こう言うのは非常に暇がかかるんですよ。だから少し良くなつて、八百屋さんか何かで――車引いて、之が悪かつたですね。膜が、薄く着いた位だつたのが、労働した為にはずれたんですね。元は医学に因る被害者だ。それで、未だ薬毒が沢山あります。それが、痰やヌラになつて、それから血痰や喀血になるんだから、それは出る丈出れば無くなるが、労働は暫らく出来ませんね。治つてから一年位は――ぶらぶらしているのは良いが、力を入れるのはね。手に力を入れるのが悪いですからね。手に力を入れると肋膜にひびきますから、そんな風にして、気長に段々良くして――身体が疵物だから、少しづつ起きて、慣らせる様にして、一年位ぶらぶらしているんですね。菜食にしたのは、結構ですね。こう言うのは魚鳥獣肉は絶対いけない。そんなものだね。ですから、今じつとして寝て居れば、息苦しくないんだから、じつとして少しづつ――段々身体を慣らしていく、そんな風で治りますよ。

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【御  教  え】
今度結核の本を作る。今出来ている「⇒結核の革命的療法」ですね――あれは大体信者向きになつてますから――それともう一つは、今迄思い切つて書かなかつたんです。と言うのは、本当に思い切つて書くと、医学を形なしに書く事になりますから――それで問題でも起すとか、何とかあつちやいけないから、ぼかして書いたんですね。処が、段々調べて見ると、徹底して書いても別に差支えないと言う様な事が分つたので、之を、出来たら少し継続的に、新聞広告なんか出して、日本中の医師会とか医科大学とか政府の要路者とか――そう言う者に配ろうと思つている。要するに原子爆弾ですね。そうでもしなかつたら、とても駄目ですから、それでそう言う本を作つたんですね。題は「⇒結核の信仰療法」です。それを書始めて――私の思う通り書いてありますからね。随分驚くだろうと思います。

(御論文「⇒序文」「⇒医学が結核を作る」)

各結核療養所や結核の病院に配付する積りですがね。之を読んだら、相当シヨツクを与えるだろうと思つてます。

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あんまり病気に関した事許りで、少し湿つぽくなる様な気がするから他の話をして見ますが、今の油絵ですがね、この間も、ピカソの――今度の「栄光」に出しましたがね。あの絵ですね。この間も書いた様に轢死の死骸か原子爆弾――とか書きましたがね。あれは然し、何う言う訳で、ああ言う風に絵を書くかと言う事は、誰も疑問起すんですが、それに就いて、私は説明して見ようと思う。大体、東洋の美術と西洋の美術――美術でない、芸術ですね。芸術は、根本的に反対になつているんです。と言うのは、仮に日本ですね。日本の芸術としても、音楽でも、舞踊でも、全て静ですね。静かです。西洋のは動なんです。動くんです。だから、仮に舞踊にしろ、あつちはダンス――激しく踊つている。処が日本のは舞踊ですね。静かに舞うんですね。ですから、日本のは舞ですね。西洋のは踊ですね。舞うと踊るの違いですね。それが、西洋でも動く方が多くなつて来た。ジヤズなんて言うのは、極端に動くんです。段々動くのが激しくなつて来たですね。この間も、映画で見ましたが、最近のジヤズはもつと動くんですね。丸で機械の様に細かく動くんです。音楽でも無論それと同じですね。洋楽は動ですね。動くんですね。日本の音楽は静かです。ですから、洋楽を聞くと、体が踊り出す様になりますね。日本の音楽を聞くと落着いて、静かになります。この違いが大変なものです。

そこで、今言う絵ですが、絵も日本画は、静かに物を見た感じを画く――表現する。処が西洋のは、成可く動くのを出そうとする。そこで私は「速度の芸術」と言うのを書いてますが、絵を画く人の感覚が、物を見た場合に、ある瞬間ですね。物を見たと言つても、静止しているものではない。ですからピカソの絵でも、みんな動いている――動いているのを見たんです。仮に人間が踊りをおどつている。或いは何かの動作をしている。非常に早い――それを瞬間に見るんですね。それが人間の官能にパツと来るんです。ですから、目が――二人分――四つあつたり、顔が――横の顔と前の顔がくつついて見たり、まあ訳が分らないですね。あれは、その人にパツと来た、それを画く。私はこの春、日本の梅原龍三郎氏ですね――あの人が私は一番好きなんです。あの人のカーネーシヨンを画いた額を買いましたが――美術館に飾る積りですが――中々良く画いてある。まあ、梅原氏の傑作です。花は普通より大きく画いてあり、ぼやぼやしてある。実に、カーネーシヨンの様に画いてない。私は何うも分らないが、それを画かした人からカーネーシヨンと聞いた。成る程そう言えばそうも見える。何う言う訳で画いたかと言うと、梅原先生がカーネーシヨンを一寸見たその瞬間を画いたんだそうで、梅原先生がそう言われた、と言うんです。そう言う風で、刹那的に画くんです。それは、今言う通り動くのを画くんです。動くのをと言うよりか、動く物体の感覚ですね。それを画く。ですからああ言う妙チキリンな――家なんか画くと、丸で地震見たいに画く。片つ方に人間の顔があると、片つ方に家とか木がある。遠近なんかない。パツと見てヒヨツと画いた。それを現わした。ですから、動的絵画ですね。そう言うと分るんですね。その最も早い処を画いたのがピカソですよ。ですから速度の芸術と言うんです。非常に早いですね。一秒の何分の一ですね。人間が走るのを見て、その時に目玉が印象に残りますからね――目玉丈画いちやいますよ。ですから、見る人は災難ですよ。幾何学的に、線許り画いてあるのがありますが、あれはそうです。仮に汽車なり自動車なりが走つてますが、あれは、スーツと行くと線許りですからね。形と言うのはないですからね。そう言う風に画きますがね。それを読めば、幾らか解るだろうと思うがね。どうも――精神病者を説明する様な事でね。

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(御論文「⇒絶対力」のあとの御教え)

之に就いて一寸面白いのは、今度ダレス国務次官補ですね。今来てますが――あの人が昨日、講演した中に、世界平和を確保するに就いては、東洋に於ては日本、西洋に於てはアメリカだと、之が両方共手をつないでやる事が一番必要な問題だ。こう言う事を言つている。私が前から言つている、経の中心は日本であり、緯の中心がアメリカである、と言う――だから、どうしても、日本とアメリカは結ばなければならない。結ぶ時期が来ると、前から言いましたが、今度ダレスさんの言葉が、丁度それと同じなんですね。要するに、それが具体的に一歩実現に入つた、と言う様に思われるんですよ。その経緯、結ぶんですね。結ぶその極く種の中心ですね。それが私がやる仕事なんですよ。それは何時も言う通り、伊都能売ですね。バツチの形ですけれどもね。その意味が解れば、メシヤ教と言うものの根本が解る訳ですね。それで、今言う通り、経緯が結んで力が出るんです。力の文字や言霊の説明をしたんですが、今迄は経緯を結んでなかつた。それで、力が出なかつた。釈尊にしろキリストにしろね。キリストなんかは、奇蹟によつて病気を治したと、バイブルに書いてますが、それはあつたに違いないが、キリスト御自分丈で、弟子は出来なかつたですね。と言うのは力が小いさかつたんですね。処がメシヤ教の方は、私の弟子がキリスト位の事をやつているんですからね。そうすると、力の大きさと言うのは、全然比較にならないんですからね。何故そう言う力が出て来たかと言うと、経緯が本当に結ばれて来たんですね。それで本当の力が出るんですから、結局力なんですよ。じや神様の方丈に力があるかと言うと、邪神の方にも力があるんです。邪神は九分九厘、神様は一厘とね。九分九厘の力を持つている。だから、色んな――何しろ邪神に負けるんですよ。だから、教祖が現れた時は、相当な力を持つているから、その宗教も拡がつたんですね。然し、段々衰えて来て――仏教にしろキリスト教にしろ――殆んど力がなくなつた、と言うのは邪神の方が、力が勝(マサ)つた為に、段々抑えつけられたんですね。然し、抑えつけ切りにはならないですね。一厘は神様が勝(マサ)つているからね。九分九厘迄抑えつけられたんですね。それが今なんです。そこで一番分るのは、相当大きな宗教になると、病院を拵えてますね。天理教なんかも拵えてますね。あれは、神の力が駄目だと言う事を表現してますね。処がメシヤ教は、病院を作るどころではない、病院を無くし様と言うんですからね。さつきの論文なんか、露骨に医学を無くし様と言うんですからね。それは何かと言うと、力ですよ。若し力が無かつたら、そんな突拍子もない事を言える訳がないですからね。

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十二月十八日

(お  伺) 
連れ子をして柴家に再婚し、其末子(飯田朋子二十九歳)は昭和二十年の暮頃より、失恋の結果神経衰弱となり、悪化して二十二年春頃より完全に精神病となり、二十四年九月武蔵野精神病院に入院、各種療法、電気治療を三十六回程繰返しました。又仏の因縁とて霊友会に入会し、一心に供養致しました。それより次第に快方に向い、本人の希望により退院を申出ました所、未だ完全な治療を施してないので、完全に治癒していない。兎に角ベストを尽すべきだ、とて強いられる儘に手術をし、其経過香しくなく、「九分九厘は治癒したが、後の一厘が治癒しない。然し、現代医学の最善を尽したので、之も止むを得ない」と言われ、手術前より悪化した儘、本年一月退院し今日に至つて居ります。去月十日にお道の事を聞き、早速御浄霊を御願い致しました。御浄霊前は常識外れの事許り致して居りました。私の浄霊は厭がりましたが、支部長先生の御浄霊は大人しく戴き、最近では大変落着いて参り、熟睡出来る様になり、顔の艶も良くなり、目玉も上りぎみで白眼勝ちでありましたが、少し下つて黒眼勝ちとなり、声も大変静かになつて参りました。電気療法や手術を致して居りますが、今後何の様に致しましたら宜敷いでしようか。尚何処を主に浄霊致しましたら宜敷う御座いましようか。主人は頑固で信仰を嫌い、近所の家を借りて、其処に出張戴き御浄霊を戴いて居ります。尚、朋子が退院後間もなく、霊友会で戴いた物(仏壇中央に貼る物)をはがして破り棄てた後は、「位牌が見えなくなつた」と言つて、仏壇内の物を全部払い落し、ボロや自分の脱ぎ捨てた物等を押込んだり致します。何か先祖関係、霊的関係が御座いましようか。

〔御  垂  示〕
位牌は何うしたんですか。霊友会では、位牌を片附けますがね。霊友会じや、位牌は撤去しますよ。位牌は、昔からある黒いのに金で書いたのですね。

(お  伺) 
「そこ迄いつて居りません」

〔御  垂  示〕
やつぱり――仏壇屋で拵えているでしよう――金で字を書いた、黒く塗つた――あれを使わなければならない。白い紙や白木は四十九日迄なんです。それ以後はちやんと金文字にしなければいけないんです。それを、早速拵えてやりなさい。こう言うのは、祖先がちやんとしたのを拵えて貰いたくて憑るんですからね。それから精神病と言うのは、眠る様になつたら必ず治るものです。眠れる様にするには頸、延髄――大抵右ですが、左の場合もありますから――固りを溶かせば眠れる様になります。眠れる様になれば、必ず正気になるんです。大分いじつて壊してますから、普通になるのは四、五年ですね。こう言うのは、病院や何かでいじくつてあるのと、相当長いので、長くかかりますが――精神病で、一週間か十日のなら治つて了いますがね。こう言うのは、相当壊れてますから、そう言う意味で気長にやるよりしようがない。然し、結局は治ります。年限で治るに違いない。それから前頭部、頸――前頭部の中ですね。何しろ、頸の廻りと、熱い処がありますからね。そこを主にしてやるんです。そうすれば、必ず治りますよ。

(お  伺)
「主人が反対なので、外で御浄霊してますが、その儘で宜敷いので御座いますか」

〔御  垂  示〕
仕方がないです。

(お  伺)
「祖霊で御座いましようか」

〔御  垂  示〕
色々なものがあります。狐もありますしね。それから、祖霊の中でも順繰りに憑ります。それから――人間の様な、獣の様なものがあります。之は、人間が狐になり切らない――半分の奴が――色んなものがあります。主人公が入信すれば、早く治りますが、そうかと言つて無理に入れる訳にはいかない。先に治してね――そうすると、自分の方から入りたくなりますよ。やつぱり、主人公が入信しないと言うのも、訳があるんですからね。

(お  伺)
「霊友会に入つて居りましても宜敷いので――」

〔御  垂  示〕
悪くつてもしようがない。そう言うのは、神様にお任かせして時日を待つんですよ。そうするとそのうちに祖先が働きますから――祖先が主人をやりますから――何うしても、急(アセ)つてはいけないですね。

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【御  教  え】
今度、結核問題――之に就いて、今迄も「⇒革命的療法」なんて出しましたが、今迄は徹底して書かなかつたんです。何故と言つて、徹底して書くと、全然医学と言うものを、丸でこき下して了うので、何かうるさい問題でも起ると、と加減していた。あんまり、間違つた事で皆なが苦しんでいるので、そんな事を言つて居られない。それからもう一つは、良く調べて見ると、そう言う風に論じても法規には触れないそうですから、そこで今度は、私は思い切つて、言いたい丈は書いてますからね。之を、出来たら連続的に新聞広告して、各大学の医学部――之は日本中ですよ。病院から著名な医者とか――結核に関したね。そこに配付しようと思つている。まあ、原子爆弾ですね。之が本当のものなんです。今迄は之迄書けなかつた。だから今迄は――一寸靴の裏から掻く様な――そう言う点があつたがね。この本の名前は「⇒結核信仰療法」と言うんです。

(御論文「⇒序文」「⇒医学が結核を作る」「⇒結核は感染しない」)

可成り思いきつて――之が本当で、先の方が嘘だから、ちつとも恐れる事はない。幾らでも証拠をお目にかけますからね。之は、医学の犠牲になつた人の経路をお蔭話として書いてあるんですが、実に良く書いてある。全く之を読んだら、解るのも解るし、実際涙がこぼれる位です。

(「⇒医学が悲劇を作る」)

中々良く書いてあります。尤も実際ですからね。拵え事じや感動する様に書けません。今の一人丈――今の人のを読んだ丈でも、普通の頭ならピンと来るんですがね。

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この間ピカソの事に就いて書きましたがね。やつぱり、喫驚りしたと見えて――私が読んだのではなく、聞いたんですが、最近の中京の中部日本――あの新聞に出ていたが、メシヤ教の美術館の事を書いてあつて――ピカソを思いきつて、こき下したとか、何とか――そう言う事を書いてあつたそうですよ。喫驚りしたと思いますよ。けれども、本当だからしようがないね。では、何うしてあの奇怪な絵が流行るかと言うんですね。流行らした本元はピカソですがね。それを考えて見ると理屈はあるんです。あれは何う言うのかと言うと、根本的の理由がある。と言うのは、東洋――特に日本ですね。芸術上から言つて、東洋の方は静ですね。西洋は動なんです。仮に音楽としても、西洋音楽を聞くと、静かに落着いて居られないでしよう。どうしても踊り出すですね。つまり、動の芸術なんですからね。日本のはそうならない。静かに、ゆつたりと落着いて来る。だから。踊りでも日本のは舞踊ですね。舞踊でも、舞いですね。西洋のは踊りですからね。踊りも、段々西洋の方は動が進んで来て、極端になつて来たですね。今アメリカなんかで、ジヤズですが、最近のジヤズは実に早いですね。テンポがね。手足の動かし方が、丸で目にも止らない位です。西洋でも十七八世紀位の時は、長い箱みたいなものを着けて、着物を長くして、あんまりくつつき合わないで、手を両方――舞う様な具合で、実に静かです。最近に至つては、極端に迄なつたんです。徹頭徹尾西洋は動です。東洋は静です。処で、絵が今迄――東洋は勿論ですが、西洋の方でも静的だつたんですが、段々動的になつて来た。ピカソなんかも動なんです。動くのを画くんです。例えて見れば都会の色んな――交通機関とか、人間の動き方も、見た瞬間を画くんです。それから、人間が走る――或いは汽車や自動車がヒヨツと走る、その見た感覚を画くんです。それから、物体の方は動くんでなくて、自分が動くんです。すると、顔が二つに見えたりする。ヒヨツと見て、それを画くと横顔と前顔と――それから、半分前向きで、半分横向きと言うのがあります。つまり動を画くんです。動の速度ですね。速度を画く。そう思つて見れば、稍解るんですがね。そうでなかつたら、てんで解りつこない。それから、何か物体を画くのも、幾何学的に線許り画きますが、あれも、ヒヨツと見ますね――そうすると、目茶苦茶に線許りになる。それから、色んな色でも、着物を着た綺麗な娘さんでも、ヒヨツと見ると、色許りが神経に来るから、良い加減な色を画く。ですから、理屈はあるんです。唯、その理屈を――見る人間ですね。お前達もそう言う風に思え。つまり苦痛ですね。あれは、苦痛を押し売りする様なものです。御自分はそれで良いが、押しつけられた者は災難です。高い入場料払つてね。ピカソのそう言う物を、自分丈――一人よがりして押しつけるんですからね。それで、押しつけられているのを、褒める人間が沢山あるんですからね。ですから、私のあの評を見ると喫驚りして――一溜りもない事を言うんですがね。そこで見ても、現代人の美術観ですね。美術観と言うものは、非常に未だ幼稚なんですよ。そこで、この間もピカソの論に書いてあるんですがね。そんな芸術と言うものは、動くとか動かないとか、色んな事でなくて、見て楽しめるものですよ。見て愉快なものですね。 こう言う押し売り主義は他にもあるんですよ。ラジオでもそうです。大分押し売りがありますがね。何を押し売りするかと言うと、西洋音楽ですよ。西洋音楽の押し売りをやつてますがね。日本人が、西洋音楽の高い深い、高級な音楽を理解出来ると言うのは、極く少ないです。西洋音楽も良いですよ。昔からある名曲なんかは良いですよね。然し、ベートーベン、シユーベルトあたりでも、十の種目で、私等が興味を覚えるのは、二つか三つですよ。居眠りが出るのが多いですよ。それを、大衆が楽しめるのにすれば良いが、放送局でも、官僚的でね。西洋音楽でも、フアンに対して教育する様な態度です。こつちは、何も音楽家になる訳でもないしね。日曜の朝なんか、堀内敬三さんですかね、御丁寧にやつてますが、さつぱり面白くないです。こつちは、そんな、生れた――経歴とか――何も興味はないんです。楽しめば良いんですからね。あれが、やつぱり今言う押し売りですね。そこで、民間放送が出ると、周章てて番組を変えてますがね。民間放送は興味本位ですからね。押し売りの一番親玉がピカソの絵なんでね。今度の私の美術館ですね。それは、解つた人でも解らない人でも、それに魅力を感ずる。実に良い、楽しめる、と言うのを主にしてますからね。ですから、出来てから見ると分りますがね。私は、昨日箱根に行つて来ましたが、大分出来て来て、予想よりか良く出来てます。部屋の光線の取り具合から――完全とは言えませんが、小さいですからね。それに金もかけないしね。然し、先ず小規模のものとしては成功と思つている。だから、出来上つて世の中の人が見たら、相当唖然とするだらうと思います。来年の夏迄には出来る積りです。

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十二月二十一日

【御  教  え】
今度、結核問題に対して本を作つて、信者向きでなく、一般に――医学界に原子爆弾をぶつける――こう言う考えなんですがね。何しろ、あんまり馬鹿々々しい事をしているんで、到底黙まつちや居られない状態になつてますね。以前から、結核の間違いなんかを書いて、本を出したり色々したんですが、今迄は思い切つて書かなかつたんですね。どうも、何だか危ぶない様な気がしたんで余程緩和して書いたんです。けれども、段々調べて見ると、法律上からは別に引掛る様な点はないし、それと何時迄もはつきり言わない訳にはいかない様になつて来たんで、本当の事を、有りの儘書いたんです。そこで、之を――出来たら今度新聞広告を何回も出そうと思つている。それから、日本中の大学の医学部とか、医師会とか、大病院とか、肺病に関した病院、療養所、それから新聞社、主な官庁と――そう言う方面に配ろうと思つてます。一人でも多く読ませ様と思つてね。そう言う意味で書始めたんですが、未だ最初のうちですけれども、やはり英文に訳して、外国にもやろうと思つてますがね。世界に向つての原子爆弾ですね。本の名前は「⇒結核信仰療法」としたんです。

(御論文「⇒序文」「⇒医学が結核を作る」「⇒結核は感染しない」)

(文中に「某夫人とキッス――」とあり)

某夫人と言うのは、今の私の奥さんなんですよ。今はあんなに太つてますが、以前は結核で喀血して、血痰を出して、骨と皮になつていた。その前に私がやつてみて、伝染しないと言う事が分つた。何も――妻とキッスしても、差支えないですからね。  この位はつきりすれば、少しは解るだろうと思いますね。むしろ、大いに反感を持つたり、憤慨したりするかも知れませんがね。そうなれば、反つて面白いですよ。どうせ、間違つちやいないんだから――本当なんだから、解るのも早くなると言う訳ですからね。ですから、兎に角相当のセンセーシヨンを起すだろうと思います。そんな騒がしい事はしつこないんですが、どうしてもそこ迄しなければ、多くの人間を救う事は出来ないですからね。実に間違つた医学の為に結核を増やしているんですから、如何に沢山の人が悩み苦しんでいるかは、之は実に分り切つた事ですからね。それを、今救つてやる事が一番必要な訳ですね。何しろこつちは、本当の証拠を見せるんだから、何でもない訳だ。実際言うと、医学でも薄々は解つているんですよ。解つているけれども、何ですね――しようがないと言うか――丁度、他の事に例えて見ると、良く解るんですよ。今問題になつている官吏の汚職ですね、結局知れて刑務所に行くと言う事は解つているんですよ。けれども、金が欲しいとか酒が飲みたいとか女が欲しいとか言う――そいつが、我慢出来ない。そこで、あわ良くば、誤魔化し得ると言う訳ですね。ですから、結核療法なんかやつても、駄目――大して効果がないと言う事は解つてますが、それをやらなければ「メシ」が食えないし、そうかと言つて、自分達が作つていると言う事迄は解つていないんですね。浄化停止をすれば、苦痛が減るから、之で治ると思つている位なものですね。浄化停止をすれば、苦痛が減ると言うのは、未だ良い方で、学理上から言つて、そうなるべき事になつていると言うんです――案外多いんですよ。思つたよりは治らない――「先生、何う言う訳だろう」と患者が聞くと、「そんな訳はない。理屈から行くと治るんだから、あなたが何うかしている」と言う。私も経験があります――昔、歯が痛い時にね。歯の学士か何かです。一カ月位経つてから行つて、未だ痛い――そう言つたんです。すると「そんな事はない。確かに良くなつているんだ。それで痛むのは何うかしている。あなたの方が間違つている」こう言うんですからね。つまり痛みがあつても、学理上から言つたら、治つているんだ、と言うんです。随分変な理窟ですね。我々は事実を一番上にしているんですね。処が、そう言う人達は、事実より理窟を上にしている。よく、浄霊する時に、こんな――手を振つた位で治る訳がない。一体何う言う理窟になつているか、それを聞かして貰おうと言うのが、よくありますよ。理窟に捉われているんですね。理窟よりも事実ですね。病気だから良いが――御馳走する場合に、之は理窟から言つて美味いんだ、と言うが、食べて見ると不味い。それから、嫁を貰う場合に、あれは気立てが良い、器量が良い。だからあれを貰おうと言う――そう言つた人間の好き嫌いは理窟ではないですからね。之は言う必要はないが――感じですからね。あれは好きだ。好きだと言つてそんな美人ではない。それに、そう教育もない。あれと同じです。何でも理屈ずくめですね。それが、文明の弊害と言いますかね。そんな様な訳で、この論文なんかも、何処迄も事実で押していくんですがね。結局に於て、どんなに医者の方で文句言つた処で、事実には勝てないから、結局は先が負けるに決つてますがね。

(寄書「神は子供を愛しみ給う」)  【註  栄光  第一三九号】

段々、結核製造も――つまり準備が整つて来たんで、子供から製造にとりかかるんですね。今、日本でストレプトマイシンの製造なんか、非常に増えて来て、色んな――結核に関係した薬ですね。そう言う様なものも、輸出するんです。何処に輸出するかと言うとインド、ビルマ、マレー、そう言う方面に随分出るんです。そうして見ると、あつちの方も結核患者が非常に増えて来たんですね。邪神の計画通りですね。邪神と言うのは、人類を弱らせると言うのが手なんです。だから、西洋医学と言うのは、邪神が拵えたものなんです。之もいずれ発表しますがね。そこで、医学の間違いを私が発見したんで、邪神の方では大恐慌なんです。そこで、私がこう言う論文なんか書くと、それは邪魔するんです。この頃は大分邪神の方が力が減つて来ましたがね。兎に角邪神の方は益々手を拡げて、子供からとやつている。今の「⇒結核信仰療法」の方もそれなんです。やつぱり九分九厘と一厘の闘いなんです。一厘の一つの現われですね。

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あんまり結核の話許りも、気持の良い話ではないからね。この間、ピカソの批判はしましたが、あれについて、ああ言つた変な絵ですね。ピカソと言う人でも、別に精神病ではないんだから、何かああ言う絵を画くには理屈がなくてはならないですね。その理屈は何う言う訳かと言う事を話して見ようと思う。この根本は、西洋文明と東洋文明の異い差です。その為なんです。元々東洋文明は静なんです。西洋文明は動――動くんですね。そこで、之は芸術によく現われているんです。音楽にしろ、東洋の方は静ですから、実に静かですね。聞いていて、気が落着くんですね。西洋の方は動ですから、実に爽快で、身体が自然に踊る様になります。じつとしていない。踊る様になります。之が極端になつたのがジヤズです。之は動的の極致になつた訳ですね。ですから、あの位身体の動くのはないですね。最近のは、又もつと動く様ですね。この間映画で見ましたが、アメリカのジヤズなんて言うのは、音楽のリズムに合わして、踊るより――踊り方が細かいですね。一つのサーカス的の――芸みたいですね。あれは愈々動の極致になつて来たんですね。そこで、踊り――舞踊でも、日本の方は、舞うですね。静かに落着く様な訳ですがね。西洋の方は、今言つたジヤズ的になる。之は、静と動の異い差ですね。で、之は日本としても、今の文化の形体から言つても、その静か――静は守つている訳にはいかない。やはり或る程度動にならなければならない。服装から言つても、和服と言うのは静の服装ですから、之は活動の出来ない服装になつてますから、何処迄も――静かに歩くとか、立つたり座つたりする様に出来てますからね。西洋の服装と言うのは、動的で――活動的だから仕方がないですね。そこで、之からは静と動と偏らないものが出来ていくんですね。やはり一つの結びですよ。「結び」に就いても――この間ダレス国務次官補ですね――あの人が、この間――何処かで講演しましたが――その時に、之からは東洋の代表者としては日本だ。西洋の代表者としてはアメリカだ。だから、アメリカと日本を結んで、初めて平和的世界が出来るんだ。と言う様に信じている。と言う事を言われましたが、之は私が以前に言つた、東洋の経が日本で、西洋の緯がアメリカだ。いずれは結ばなければならない。と言うのと良く合つているんで、私は面白いと思つた。そんな訳で、今言う芸術もやはり結ぶ訳ですから、それで良いんですがね。その動ですね。動の極致になつた、いわゆるジヤズですね。それがピカソの絵なんです。と言うのはピカソの絵と言うのは動く処を画くんです。今迄の絵と言うのは、静止している処を画いている。だからはつきりしている。それを、動く処を画いてあるんで、その説明をすると、何うやら解る。例えて見れば、人間でも横を向いた処を画く。すると半分が正面で、半分が横でしよう。だから、かためて、鼻が二つある様になる。又或る時は、顔が重なり合う。それから建物、汽車や電車或いは自動車を見た場合に、こう(線の様に)なる。それを画いた。だから線許りで幾何学的に画く事になる。こつちに人間が居るかと思うと、あつちに家の壊れた様な物がある。処が、実際にそんな動くなら良いが、処がそこに矛盾がある。だからピカソ自身は良いとしても、それを見物する方は災難ですよ。そう言う考えを持つて見れば、或る程度解らない事はないですね。処が、絵にしろ凡ゆる美術と言うのは、人間を目によつて楽しませるんですから、あれを見て楽しい感じが起るなら良いんですよ。処があれを見て楽しいと思う人はないですよ。何う言う訳で、こう言うのを画くんだろうと考えますからね。考えて解るかと言うと、解らないんですからね。すると、楽しみより苦しみになる。誰も、金を出して苦しみに行く者はない。だから、私はピカソは見なかつたんです。この間東京に行つて、高島屋でやつていると言うので見たんですが、だからああ言う美術と言うのは無くなつて了うんです。要するに動が極端になつた迄なんですから、長く続くものではないんです。芸術にしろ、美術にしろ、楽しめなければならない。楽しんで、良い物でなくてはならない。それによつて慰さめを得るし、それによつて心が向上しなければならない。レベルが高くならなければならない。人間と言うのは、見るもの聞くものによつては、魂が高くなつたり低くなつたりするんですからね。今言う様に、低くなるもの許りですから、人間の魂が段々低くなつて、悪い事をしたりする様な事になる。そこで私は美術館を造つたりして、一つの宗教ですね。魂を救う一つの手段を考えるのです。

私は、博物館の考古学的なものは、一つの参考品としては良いが、美術としては人に見せるものではないですね。一昨日も東京に行つて――懇意にしているので、銀座に行つたが、博物館よりも大分出品して、大分見るべき物があつた。あれとても、一部は良いが、そうあんまり感心は出来ない。処がサンフランシスコの博物館で見せました物を見たのですが、仏教芸術が多過ぎたんです。ああ良いとは思いますが、何百年前、鎌倉時代の阿彌陀さんとかお釈迦さんとか――専門家が言つてましたが、そうした人で――博物館に関係した人でさえ、之は阿彌陀さんかお釈迦さんか解らずに、私に聞きました位、あの人達も未だ解つてない。だから、それを見て、聞く様じや本当じやない。むしろ、楽しみより苦しみですね。額に八の字を寄せて――そう言う事が、今多過ぎるんですよ。話は違うが、ラジオでもそうです。今度民間放送が出来るんで良いが、ラジオなんか、教育的なんですね。音楽なんかで一番解る。シユーベルトは、元――生れて何んな事をした。何時作曲した。そんな事は要らない。聞いて楽しければ良いんですからね。それを、西洋音楽を日本人に教育し様と言う考え方は――聞く人は災難なんです。朝の一時間は堀内敬三の音楽教育をされる。本人は良い気持になつてるが、こつちは甚だ迷惑です。美術館もそう言う処がある。そこで、私は成る程楽しめる。目から――理窟でなく、自然に知らず識らず楽しみ乍ら、魂を高めると言う方針でやる積りですからね。要するに、美術教育にしろ、一切の何にしろ、そう言う教育が本当です。今迄の教育は間違つているんです。つまり、子供なんかも、もつと愉快に面白く、人格が出来ると言う訳ですね。話は色んな方に行つたが、ピカソの意味ですね。そう言う事も知つて置くと良いんですね。それを真似して、日本なんかでやつてますがね。之もしようがないと思うんですがね。それでピカソがああ言う風になつたのは、大体アメリカの金持の影響もあるんです。成り金が、美術館を造つて、それを自慢にするんです。成り金がそう言う物を集め様と思つても、東洋の物は集まらない。他で皆んな買つちやつてある。そこで西洋の油絵を買おうと思つても、美術館が買つちやつたりして無いんです。そこで、何か驚く様な物がなくちやならないと言うので、今迄は油絵と言うのは、昔からの古い絵を見ると解りますが、段々駄目になつて、結局に於て色のある写真だと言う事になつて、行詰まつている処に、日本の光琳の影響を受けて、あつちが違つちやつた。写真とは反対の、印象派が出来て、後世、感覚派とか出来て、実際と離れた絵が出来て来た。実際と離れて、離れ過ぎちやつた訳ですね。それで、動きを画いて見ようと言うヤマですね。その考え方が、非常にアメリカの金持に合つちやつた。それで非常に高くやつたんです。そして、古い物を持つている者に、ヘンどんなものだと見せたんです。そこで、人々がピカソは、何万弗で買つたと――段々せり上げて――すると一般はどうかと言うと、ピカソの絵は一枚何万弗だ。それじや良いに決つていると言うんで有名になつた。それが日本に来て、日本は昔から、雷同性があるから、西洋であんなだから良いに決つていると、偉い人が無理に押しつけちやう。それで一般は、あの人がああ言うんだから、良いに違いないとなつたんですね。一つの流行心理と言いますかね。殆んどそれに従つているんですね。私が、この間言つて――ぼろくそに言つたのが、中部日本に出ていたそうです。私がピカソをぼろくそに言つたと言うのを、何と言いますか――変つているとでも言うんでしよう。書いた記事は見ませんが、驚いたと言う事は確かです。そんな訳で、何時かは私の言う事が、之が本当だと言う事が解る時期が来ますが、兎に角、私は本当のものを――本当の意味を書くんですから誰が何と言おうと、そんな事は眼中に置きません。

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十二月二十三日(明主様御聖誕祭)

【御  教  え】
私の年は、丁度今日で満六十九歳です。十二月生れだから、教え年にすると七十になるんですがね。近頃は満になつたので、六十代と言う訳です。それで、健康の方は年々良くなるんですね。何う言う訳かと言うと、私は昔――若い時分から薬をうんとやつたんです。此――薬毒を知る迄は殆んど薬づけと言つた様な具合だからね。それが相当なんですからね。それで、始終自分で浄霊している為に、年々それが減つていくので、健康を増していくんですね。そんな訳で、年を取るのが楽しみな様な位なんですよ。決して負け惜しみじやないんです。大いに長生きをして、仕事を出来る丈やろうと思つてますがね。今の予想でいくと百は大丈夫ですね。それから先は養生法で長生きしようと思つてますがね。養生法と言うのは、現代医学から言えば、不養生法になりますね――うんと粗食するんですからね。長生きしたかつたら、年を取つてから菜食するに限るんですね。之は私の本に書いてありますから、良く解つているでしようけれどもね。で、又仕事の方も、年を取るに連れて段々増えて来て、大きくなるんですから、世の中の人から言うと、逆になるんです。年を取つて隠居するとか、楽をするが、私の方は年をとるに従つて段々増えていくんです。そんな様な訳で之から又、ずつと仕事も大きくなり、面白くもなると思うんです。

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最近の全国の新聞なんかで、美術館の事なんかチヨイチヨイ出ている様ですね。段々注目をされて来るだろうと思つてますけれども――私も今年は、主なる美術館を見たんですが、余りに予期に反して貧弱過ぎるんです。最近鎌倉に出来たと言うので四、五日前に行つて見たんですが、之はお話にならないです。美術館と言う名前をつけるには惜しい位ですね。なんで、あんな馬鹿々々しい物を造つたかと思つている位で、建築の余りのお粗末と言い、中に陳列してあるものなんかは、てんで問題にならない。二品許り、絵と支那の古い――今戸焼みたいな陶器ですが、支那の黒薬りで――何とか言う陶器ですけれども、之はお話にならないですね。丁度――一部屋見るのに、一分間で沢山です。一寸、部屋の入口で、こうこう見れば、もう分る。私許りではない。誰でもそうです。美術品の内に入らない物許りです。東京の長尾美術館ですね。之は、美術館と言つた処で、個人の家の――洋間を抜いたのと、それから日本間ですね。四間許りで、持つている物を並べたんですが、之は長尾と言う――元「ワカモト」の主人がやつているんですが、之も、まあ――美術館と言う名はつけられないんで、まあ――私は少し古い物を持つてますから、お暇があつたらお出でになつて御覧下さい、と言う位の程度です。それから、東京の根津美術館と言う――之は相当有名ですけれども――陳列館が戦災で焼けて、今はバラツクみたいな処です。私は、この春と秋と、両方見たんですが――去年迄は見なかつたんですが――相当良い物がある様です。毎年違つた物を並べる様な――そう言う方針らしい。この秋なんかも行つて見ましたが、殆んど問題にならないですね。百並んでいる内に、どうやらと言う物は四つか五つ位なものです。後はてんで――それに書画なんかには、殆んど疵物が多いですね。ですから、之も問題にならないです。それから東京の大倉集古館ですね。あれも去年行つて見ましたけれども、品物を売りたいと言うので行つて見ましたが、さて買おうと言うのは幾らもないんです。あと東京の博物館ですが、博物館は私は何時も良く言わないんですが、博物館は仏教的なもので、之は大したものです。然し、それ以外の美術品は――あまり美術品としての値打は、極く乏しいと言う程度です。京都の博物館、大阪の天王寺美術館、兵庫の白鶴美術館――それらを見ましたがね。京都の博物館は、京都のお寺の良い物が相当あります。今の処仏教芸術ですね。仏教芸術は、縦ば外国人が来ても、満足出来る程度はあります。あとは、白鶴美術館の、支那の銅器と陶器ですね。之は立派な物があります。然し、日本美術――即ち、日本人が自慢で見せる様な日本美術は、寔に無いんです。  今度箱根に出来る美術館は日本美術を主にして、兎に角、成る程日本は、昔からこう言う良い物があつたのかと言う様な物を見せたいと思つて、そうして私は昭和十九年から――熱海に来てからそう言う様な意味で、少しは買つた物もあるんです。そして又、終戦後混乱状態になつたので、相当――日本製の良い物が安く手に入つたんです。神様は旨くそうやつて呉れたものですね。そんな訳で、私の方は広範囲にやろうと思うんです。それから、色々――財閥とか――そう言う方面を調べた結果、何処に何があると言う事は、極く名器名品になると、世間に解つている。で、内々先方の意向を色々探つた結果、出品をされる方も相当ある。売買と言うと、税務署が喧ましいんで、出品なら別に差支えないんです。そう言う物も相当出る積りですからね。何しろ、日本の物でも――絵画――絵画の中でも日本独特のものとしては、琳派ですね。光琳、宗達、光悦、乾山――その四人の者ですね。あとは、浮世絵ですね。浮世絵も、版画の方は外国にも相当行つてますが、肉筆は外国にも行つてないです。今迄見る機会もなかつたから、外人も買わなかつたんですが、私は肉筆を出そうと思つてます。版画より肉筆の方がずつと良いんです。それは――版画は印刷ですからね。肉筆の方が良いに決つているんです。又日本の古書ですね。狩野派――そう言うものは、結局支那がお師匠さんになつてますから、日本独特の物とは言えないが、そう言う物も出すには出します。あとは土佐派ですね。一名大和絵と言う――之も日本独特の物です。それから蒔絵ですね。之は世界にないんですからね。日本丈の物です。次に陶器ですね。陶器も、支那とは全然違う日本の特色の物を出そうと思つてます。あとは銅器ですがね。銅器は日本ではあんまり出来ない。今、日本の特色の物も幾らかはありますが――それから、書ですけれどもね――書は、一つの美術のうちに入ると思いますね。書と云うと、日本独特の物は、歌切れ――仮名物ですね。実に良い物があるんですね。近頃、アメリカの人で、日本の仮名に趣味を持つ人が、ぼつぼつ出ている。非常に高く売れるんです。日本の貫之とか道風とか西行とか、それから光悦ですね。ああ言う人の仮名書きですね。馬鹿に高く売れる。アメリカの人が買うんです。ですから、解つて来たんですね。それから、あとは坊さんの字ですね。坊さんにも上手い物がある。日本にも随分あります。然しそこにいくと支那の宋時代の古い書と絵ですね。之は日本よりは一段上です。絵なんか――宋絵と言つて、絵は悲しいかな日本の画家は敵わないですね。ですから、そう言う物も出す積りで居ます。支那の絵ですね。之は何処に何があると言う事は解つてますから、大体そう言う方面に話が出来てますから――アメリカの人なんか、宋時代の絵と言うと幾ら高くても買いたがるんです。それは又、実に上手いんですね。日本の画家は到底敵わないです。ああ云うものを、日本の画家に見せたいと思つている。日本の画家でも、それを真似して成功した人がありますがね。速水御舟と言う人ですね。あの人は宋元の、宋時代の彩色画ですね。それをお手本にしてやつたものですね。日本でも、御舟は実に高いですよ。御舟の一寸良い物になれば、五十万位しますからね。一寸傑作になれば百万位します。日本の新しい画家じや一番高いと言つても良いですね。お手本は支那の宋元にあつたんですからね。宋元の中でも、徽宗皇帝と言う天子で、天皇だけど非常な名人です。徽宗皇帝をお手本にしてます。それから大観あたりでも、宋時代の牧渓と言う人がありますね。馬遠、夏珪、梁楷――そう言う人のを、大いに見習つてます。丁度、大観、春草と言うのは、宋元と光琳ですね。あれに、現代の感覚を入れたと言う様なものでね。そんな訳で、私としては非常に多方面に、その時代の傑作ですね――そう言う物を並べる積りですから、之が世の中に知れたら、非常な評判になつて、見たがる人がうんと出るだろうと思います。又、それがやはり、宗教に対する一つの良い意味で、メシヤ教は――新しい宗教で、迷信的の踊る宗教だとか、爾光尊だとか――そんな様な迷信臭いものではない。一つの権威あるものだ。と言う様な感じを受けるだろうと思いますね。で、特に外国人ですね。外国人は大いに認めて、本国にも紹介するし、相当のシヨツクを与えるだろうと思つてます。将来外国に宣伝する上に於ても、一つの力になると思うんです。あまり、キリストやマホメツトはやらなかつたからね。

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それから、五六七の世に就いて、「文明の創造」の天国篇を書始めたですが、天国篇の最初の――大体基礎的の意味ですね。そう言う事を書いたんですが、今読ませます。

(御論文「⇒天国篇」)  【註  栄光  第一三七号】

之から、色々――経済、教育、芸術、社会機構ですね。そう言うものも、私が書いていく積りです。人類世界と言うのは、こうなるべきものだ。こうすべきものだ。こうすれば、戦争とか病気とか貧乏とか言う――色んなそう言う苦しい事はなくなると言う説明書ですね。で、之を、出来上つたら、英文に訳して世界中の主な識者ですね。そう言う方面に読ませるんです。要するに、新しい文明ですね。新しい文明の教育ですね。それをして、そうして成る程こう言うやり方は本当だと言う――昔から――西洋の学者の言う――つまりユートピヤ的な理想や、色々書いたのがあるにはある様ですが、つまり徹底しなかつたものを――今後は、はつきりと、こうだ。と言う様に書いていくんですね。私はあんまり見ないけれども、そう言う風に思われるんです。そうして、つまり、やる事が――設計書と言うのが、之が天国の福音なんです。聖書にある「天国の福音を普く述べ伝えらるべし」と言うのは、之なんですね。「然る後末期到る」と言うんですね。そうして、浄化力が強くなる。浄化力が強くなつて、一番現われるのは病気ですね。人類が、病気が起つて、どんどん死んじやうんです。そうすると、医学で治そうとして、一寸触ると、ころつと死んじやうと言うんです。注射したら、即座に死ぬ。つまり浄化力が強いから、固まつている時間がないから、医学じや駄目です。で、メシヤ教が言つたあれに違いないと言うので、わーつと来て、頭を下げるんです。そう単純に――直ぐにはいかないですが、結局そこにいくんです。そうして五六七の世が出来るんです。今読んだのは、世の中の――世界の組織ですね。その根本ですね――そう言うものを書いたんですがね。「文明の創造」と言う本は、天国の福音と――その「天国の福音を普く述べ伝えらるべし」と言つた処で、之は世界人類に知らせなければならない。それを信じないで亡びるのは、自業自得なんですからね。神様の方は、ちやんとやる丈の事はやつて、世界中に沢山、掴まる様に綱を出している。掴まらないのは、掴まらない者が悪いんだから、亡びるよりしようがないですね。そう言う根本は、意味があるんです。段々メシヤ教の動きと、世界的に浄化が段々強くなると言う事や何かも、それから色んな事がありますけれども、結局段々そこにいくと、大体解る訳ですね。

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十二月二十五日

(お  伺) 
藤川緑(三十四才)未入信の男子。戦争中大鳥島にて、鳩位の渡り鳥をなぶり殺しにして食べたそうですが、その後栄養失調となり復員し、医療にて一旦は回復しましたが、二カ年後に時々食物を吐き、栄養失調の様な状態になり、医療や鍼の治療を続けるうちに、昨年十二月より次第に視力が弱り、間もなく完全に失明、その後日蓮宗の人より、鳥が怨んでいると言われ、位牌を作つて供養して貰いましたら、食物は吐かなくなりましたが、眼は変りなく、本年四月母親が入信して、熱心に信仰するうちに、次第に本人の気持も動き、二カ月程前より母親の御浄霊を戴く様になりました。最近、食事の時に咽喉が詰る様な事があり、又右の手足に思う様に力が入らず、言葉もはつきり致しません。鳥霊の祟りとは本当で御座いましようか。若しそうで御座いましたら、それに対する処置と御浄霊の箇所を御垂示賜り度く謹んで御伺い申上げます。

〔御  垂  示〕
ははあ、之は鳥の霊ですね。之は、鳥に因るんですがね。こう言うのは、普通の鳥と違うんですよ。つまり人間が鳥になつた奴です。鳥の怨霊ですね。之は、始終浄霊して貰つて――特に前頭部ですね。ここに憑いているんですからね。之を良く浄霊して、あとは御神書ですね。それを良く読んで――光明如来様はお祀りしてますか。

(お  伺)
「未だで御座います」

〔御  垂  示〕
之は、お祀りしなければ駄目だ。絶対に駄目だ。お祀りして、鳥の霊が早く人間に生れ変つて来る様に御守護お願いしたい。とこう言つて、お願いするんです。そうすると、人間に生れ変る丈に執着が取れていくんです。そうすると、病気の方もすつかり治ります。大した厄介な事ではないです。位牌を作つたりして祀ると、反つて困るんです。人間扱いになるからね。仏様でなく、他の処に祀るならそれは構わないですがね。やつぱり、鳥は鳥の扱いにしなければね。

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(お  伺) 
増田しげ(三十四歳)六年前より心臓弁膜症にて注射、服薬等良いと言う事は何でも致しましたが、段々悪化する許りとなり、本年八月御浄霊を戴く様になりましてより、食事も美味しくなり、大変良くさせて戴き、腹部に下がり、下り物が致しました。九月には主人と二人入信させて戴きました。其後咳の御浄化を戴き、呼吸激しく、床に就いても上半身の圧迫感が強く、呼吸が苦しくなります。今後何処を御浄霊させて戴きましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
良いと思う事が悪い事です。之は見当違いをしているな。之は、心臓の廻りに毒があるんですからね。之は、胸から横腹――後ですね。押してみて、痛い処があるから――其処から出る。之は肋間神経痛ですよ。だから、急所さえやれば、訳なく治るんです。急所をはずれている。咳だから、咽喉と思つて、咽喉をやつているんじやないかな。自分で押して見るんです。そうすると良く分りますよ。そこを取つてやれば、ずんずん良くなりますからね。

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(お  伺) 
五歳の男子。生れつき両眼大きく、医師より「生長するに従つて視力が減退する」と言われ、生後八カ月の時、右眼を手術致し、其後右眼は全然視力なく、黒玉が白くなつております。左眼は相当に大きく出てをり、視力は強度の近眼位で御座います。種々の療法を始め信仰にも縋り、本月初め本教のお話を聞き、十八日に私(母)が入信させて戴きました。之は、霊的に何か関係が御座いましようか。又薬毒の為で御座いましようか。御浄霊の箇所を御教示下さいませ。

〔御  垂  示〕
大きくと言うのは、何う言う様に大きいのかな――目が大きいと言う事はないんだから、瞼が大きいのかな。黒玉が白く――之は、お医者が拵えたんだからね。手術しなければ、何でもないんだがね。手術した後白くなつていると言うのは、可成り薬毒が――消毒薬ですね。消毒薬が溜つて、それが固まつて白くしたんだから――之は治りますがね。之は眼に――眼球の裏の方に毒があるんですよ。それが圧迫しているんです。押されているんですね。気長にやれば治ります。溶けて来ますからね。元はこつち(延髄)ですからね。それを良く溶かしていくと、目ヤニになつて出ますから、それで段々治つていきます。唯、色んな事をやつた丈治りが悪いんですね。今迄、何にもしてなかつたら何でもないんですがね。未だ五歳だから――年が行かないから――治り良いから、今言つた様に気長にやれば良いです。浄霊は目の奥の方と、こつち(延髄)ですからそれを狙つてやれば治ります。それから、頸の廻りにも、毒の固りがありますから、そこを良く探してやれば良いですね。よく、人が良いと言う事は残らずやつたと言う事は、お蔭話に書いてありますがね。人が、良いと言つた事は、あべこべなんだからね。

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【御  教  え】

(御論文「⇒絶対力」のあとの御教え)【註  栄光第一三九号】

今日はクリスマスで、世界中が中々大騒ぎをしている――さつき、ローマのバチカン宮殿から、鐘の音だとか、音楽だとか、法王ですね――あの人の言葉や何かも、放送されましたがね。まあ――大変な訳のものですね。然し、キリストのやつた仕事は、二千年経つても、兎も角人類の魂の堕落を、或る程度喰い止めていた事は、確かなんですが、まあ――大いに誉称えても良いんですが、今読んだ様に力が足りなかつたんですね。だからと言つても、別に腕力や暴力じやないんですが――見えざる力ですね。それが足りなかつたと言う事は、時期がそこ迄行つてなかつたんです。で、其時期と言うのは、文化ですね。文化が、キリストの生れた時分は、幼稚なもので、とても今日の様な、国際的或いは世界的に迄なつていなかつた。だから、あの時分に天国や五六七の世を造ろうと思つたつて、まあ――造れたとしても、それは本当のものは出来なかつたんですね。物質文化が幼稚であつた為に、天国の様な結構な世界は出来なかつた。処が今はですね。今の物質文化を見れば――一言喋れば世界中、隅々迄聞こえるんですからね。立派に天国の条件が出来たんですね。それに対して、それを出来上らせる力ですね。その力が、今言つた様に、経緯結んだ力ですね。今読んだ通り、結びの力ですね。この結びの力が絶対力と言う訳ですね。キリストの十字架ですね――之もその事なんです。その予言ですね。それから、仏教の卍(マンジ)ですね―― (マンジ)も十字ですね。ですから、力という字は、 (ギャクマンジ)を略したものですね。 (ギャクマンジ)は結ぶと、鍵の手がある。鍵になつている。之は、ぐるぐる廻る形ですからね。今迄はこう(卍)言う (マンジ)になつている。世間では、本当の (マンジ)と言つているが、我々からは、逆 (マンジ)になる。仏教は月の教えですから、水になる。右進左退になる。本当は左進右退にならなければならない。之(卍)じやいけない。今迄は右進左退になつている。全く、良く出来ているんですよ――文字はね。ですから、文字と言霊で解釈すると、大抵な事は分るんです。神秘が分るんですね。そこで、今言つた様な力と言うのは、その結んだ力ですね。それを私が神様から与えられているんです。だから、お守を懐に入れると病気が治ると言う事は、それ丈発揮出来る力ですね。だから、昔からの事を、良く考えて見ると、実に良く出来ている。と共に、良く理窟に合つている訳ですね。それで、キリストは――再臨のキリストと言う事も、予言されてますがね。之は黄金の国ですね。つまり日本ですね。黄金の国に再臨すると言う事になつている。今言つているキリストは、イエスですね。イエスとキリストは違うんですがね。之は、以前も言つた事があるが、言霊で解釈すると分る。「キ」と言うのは、神と言う事です。「キ」と言う言霊は、霊体を結んである言霊なんです。「カミ」の言霊(タマ)返えしは「キ」になつている。神は火水ですからね。火と水が結んで「キ」になるんですからね。だから「キ」と言うのは、一番貴いんです。天皇の事を「キミ」と言うが、貴いんですね。貴いと言う字も、「キ」と読みますね。「リ」と言うのは、之は字で書くと、二つになるんですね。霊体と言う事なんです。霊体が経に働くと言う言霊で、言霊で言うと「リ」は「ル」で、渦巻く意味です。渦巻くと言う意味は、拡がると世界的になる。「ス」と言うのは、一人ですからね。それから、「ス」と言うのは、統べる――イロハで言うと、一番最後につく――神様が作つたんですね。「ト」は人と言うんです。ですから、キリストと言うのは、今言つた様な意味ですから、イエスとは違うんです。キリストはイエスが出る余程前に出ているんだから、再臨すると言うのは、その方が再臨すると言うんですね。イエスは、ヨセフとマリアの二人の間に出来た子供です。生霊に感じて身籠つたと言うのは作り事なんです。そんな馬鹿な事はないんです。ですから、今迄はキリストでもお釈迦さんでも、力がなかつたですね。要するに、両方結ばつたんじやないから――一方的だから力がない。そこで、キリストは成る程奇蹟をやられた――と言う事は聖書にありますけれども、今メシヤ教の信者がやつている奇蹟は、キリストと同じ位なものですよ。昨夜か、奇蹟座談会の報告がありましたが――読んで見ましたけれども――あれは生和会かのですが、丸で――皆んなの奇蹟が、丁度キリストがやつているのと同じですよ。そこに、やつぱり力の発揮が――キリスト一人だつたんだからね。弟子がそう言う奇蹟を行う者はなかつたんですからね。だから、メシヤ教と較べて見れば、その位の異い差があるんですね。今、力の話をしましたけれども、この力と言うのが、つまり一厘の力と言うんです。つまり、世界が、――凡ゆるものが行詰つて、九分九厘になつた。そこで、一厘の力ですね――力が現われて、そうして、大転換ですね。ひつくり返しちやう。この九分九厘と一厘と言うのを読ませます。

(御論文「⇒九分九厘と一厘」のあとの御教え)  【註  栄光第一三八号】

今書いた――つまり、本当の事をぶちまけて見れば、医学と言うのは、邪神が作つたものです。では、何故医学を作つたかと言うと、人間を弱らせるんです。それでヒヨロヒヨロにして、そうして最後の奥の手を出して、世界を制覇しようと言うのが、邪神の二千年前からの計画なんです。ですから、それで――さもさも進歩した様に見せて、之によつて人間の生命は、医学の進歩によつて解決されると言う様に、実に旨く瞞し込んじやつたんですね。ですから、治りそうに見えていて、結局治らないですね。健康にはならない。之は信者さんは良く知つているけれども、あれはつまり――一時的一寸――注射をするとか、色んな手当てをすると、一寸一時的に良いですからね。さもさも治る様に瞞しちやうんですね。瞞しちやうと言つても、普通の人ではない――お医者さんが瞞されたんですね。お医者さんが瞞されて、一般人が瞞されたんですね。それを見破つたのが私なのですからね。邪神の方にとつては、私と言う人間は大変なんです。そこで、色んな迫害や、色々妨害し様として――然し今度は、以前のキリストや何かの時代と違つて、今霊界の方が変りつつありますから、邪神の方の力が弱つて来て、結局往生するんです。邪神の力が弱つた丈、こつちが発展したんです。だから、発展するか発展しないかは、邪神の妨害が多いか少ないかに因るんですから、立派なものだ――メシヤ教は、と。病気が治る、と腹の中で分つていて、どうも入る気になれないと言うのは、邪神が抑えているんですね。その抑えが弱つて来ると、段々入つて来る様になる。やつぱり時期ですよ。一日々々霊界が違つて来ましたがね。霊界が明るくなるのが、段々早くなるんですね。ですから、いずれ一般人が色んな病気で二進も三進も行かなくなりますね。お医者さんが、手をつけると直ぐ死んじやうと言う事になる。今迄効いたと言う事は、固め療法ですからね。一時固まつたから良かつたが、段々浄化が強くなるから固らなくなつて、直ぐ溶けるからね。浄化が起るから、直ぐ熱が出たり、痛くなつたり、色々する。で、直ぐに薬が溶けると共に、今度は命が直ぐに解けちやう。そうなると、メシヤ教より他に救われるものはないから、と言うので大変なものです。もう長い事はないです。もう一息の辛抱です。大体、一生懸命宣伝したり、こつちで色んな事を言つたりして、じや入つて見ようと言うんじや本当じやないんです。先の方でお助け下さいとワンワン言つて来る様でなければならないし、こつちの方で、そう一ぺんに来ては困ると言う位でなければ本当じやないんです。こう色々説明して、そうして買つて貰うと言うんじや、甚だどうも――理窟に合わないんですからね。今、金が一匁三千円として、それを三十円位で売るんですからね。少し馬鹿々々しいんですが、そうするよりしようがないんですが、いずれは――他に行けば三千円するが――あそこは三十円だから、あそこに行こうと言う事になる。それが当り前なんです。

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話は違いますが、米の事ですけれども、私が、日本人が幾ら増え様と、それ丈は必ず穫れると言う事を言つていますが、人間があと一億になつても、二億になつても三億になつても平気なんですよ。日本丈で、充分食う丈は穫れるんです。何う言う訳かと言うと、一つの茎ですね。今の処は、普通良くいつて百五十粒位ですがね。処が人間が増えるに連れて、段々増えていくんです。二百粒三百粒になるんです。そうすれば、人間が幾ら増えても平気です。私が最初神様に知らされた時はお米が最初に穫れた時は五、六粒だつたそうです。五、六万年前よりは、粒がずつと増えているに違いないです。粒が増えるんですよ。それを、誰も知らない。そこで人口が増えると足りなくなる――現に足りなくなつてますが、足りなくなる様にする原因は肥料ですから、それを無くすれば、何でもないですよ。唯、今迄は凡て唯物的な考えですから、そうなるんです。だから、耕地を増やす必要もないし、産児制限の必要もないんです。こんなに楽に旨くいくと言うのは、実に結構なんです。大体、人間を造り、人間を増やしているのは、神様ですからね。だから、増えた丈の人間が食えないなんて、そんな気の利かない神様なんか在りやしない。人間は薬をやらないで、肥料を入れない物を食つていれば、年中ピンピンしているんです。それを態々地獄を作つているんですから神様の目から見ると――しようがないんです。然し、今迄は必要があつたんですが、そんな事が長く続く訳はないんですから、結局それを私が世界中に知らせるんだから、之からは段々そうなりますがね。

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十二月廿八日

(お  伺) 
本年二月風邪の御浄化を戴き、三月中旬より自宅で静養し稍々良くして戴き、布教させて戴きました。九月上旬より、非常に寒気を催し、咳が激しく、痰が多く、便通なく、十月より再び自宅で静養し現在に至つております。現在相当衰弱し、見た所は元気そうでありますが、足等は大分細つております。用便は一人で致しております。食欲はあつたりなかつたりで、ない時でも無理をすればお茶碗に半分位戴けます。肩、背中、胃の裏等御浄霊致しておりますと、発熱し譫言を言う事もありましたが、現在はあまり御座いません。十一月頃迄は大分寒気を覚えましたが、現在はあまり御座いませんが、腰部は常に痺れ、又息苦しく、あまり長話は出来ません。特に息苦しい時は鳩尾の固りが胸につつかける様になります。子供の時より胃が弱くワカモト、胃散、粉薬等服用し、又風邪の度に、咳止めを大分飲んでおり、二十四歳の時、痺れ脚気で七十五日間程医療を受けた事が御座います。現在は、頭部(脳天、後頭部)延髄部、肩、背中、胃の裏等や左腎臓部に熱があり、右箇所を御浄霊致して居りますが、宜敷う御座いましようか。又は、霊的で御座いましようか。尚、家族全部入信。御神体、御屏風観音様を御奉斎させて戴いております。

〔御  垂  示〕
之は霊的ではありませんよ。薬毒ですよ。薬的ですね。之は薬がうんとあります――この人の身体わね。だから気長に――根気良くやるんですがね。以前だと固まつていて、少しづつしか浄化が起らないから、誤魔化していられたが、今は、全身的になりますからね。何処と言う事はない。全身的に浄化が起つているんです。熱があるから食欲がない。食欲がないから便秘する。咳や痰が出ると言う訳ですからね。年が五十三だから、一ぺんに大きな浄化が来ないんですね。一ぺんにうんと苦しむ様な浄化だと短期間に治るが、それ丈の浄化力がないから、長くかかるんですね。それだけの事ですからね。唯、浄霊する場合に、急所を見つけるのが一番ですね。自分で身体を見ると、一番熱が起つている処があります。それが、一番の急所ですから、そこを浄霊する。自分でやる時も、力を抜かなければならないですよ。そうすれば治ります。別に難かしい事もない。それ丈ですね。

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【御  教  え】
今私は「⇒結核信仰療法」と言う本を書いてますが、それを早く書上げちやおうと思つて、他の原稿を書かないから、今日は大体、別に取り止めのない話丈にしようと思つてますがね。この結核の本も、今度は思い切つて書きましたからね。之は今度――各医科大学、医師会、病院、結核療養所と言う処に、只配ろうと思いますしね。之を見たら吃驚りするだろうと思いますね。俺達が結核を作つているんだと、ひどい事を言いやがる。何だ、こんな――岡田なんて新宗教の良い加減なインチキ的なものを拵えやがつて、我々をこんなに、こつぴどくやるなんて、けしからん奴だなんて――怒る人、憤慨する人、ははあ、成る程理窟は合つているな、良く之丈の事が分つたなと感心する人もある。処で、病院なんかで、病院中の評判になりますよね。すると、や、之は中々――成る程と思う処がある。そんな事は非科学的で、そんな事はない、と。ガヤガヤ論議があるでしようがね。それで良いんです。先づ、原子爆弾をぶつつける様なものですからね。今迄知らない事を知るんですからね。それで、中には患者で見るのもあるでしようね。けれども、段々読んでいく中に、こつちの言う事は事実を根拠としてありますからね。唯理窟丈じやないからね。そこにお蔭話を沢山つけてありますから、一寸、否定も出来ない訳ですね。で、之を第一弾として、反響を見ようと思つてますがね。何としても、医学の間違いですね。之を解らせなければしようがない。直きに、段々に解つて来ますからね。そうして、之丈を知つて置けば良いんですからね。そうして、今に浄化がもつと強くなれば一般人が――病人が沢山出来ますからね。それで、お医者が一寸触ると、ころつと死にますから、危ぶなくてしようがない。その時に、之なんだ、メシヤ教が変つた――変な事を言つたが、と。それじや、メシヤ教に頭を下げるよりしようがないと言う事になりますから、その一つの予告ですね。

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それから「⇒文明の創造」も大体三分の二以上は書けましたからね。もう一息だろうと思います。今天国篇と言つて地上天国の状態ですね――それを書いている。之は、今度の元旦号に、天国篇の一部を出しましたがね。この間、一ぺん読みましたがね。今度出したのは、国際上の事ですね。世界の大体の形ですね。それから段々、経済、教育、芸術――そう言う方面を書く積りです。ですから、もう直き出来上る積りです。それから、その仕上げをしなければならない。来春辺りは、何んなにしても書き上げる積りです。之も飜訳して世界中に配る訳です。

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それから、今年の思い出話と言いますかね――割合に今年は平凡だつたですね――教団もね。平凡と言う事は良い事なんですよ。色んな、変つた事があると言うと碌な事はないですからね。で、散花結実の実になる様な――実になつて、実が育つと言う形でしたね。それから、パツとはいかないけれども、じりじりと発展しつつある形です。来年辺りから、段々実が育つと言う事になるだらうと思います。で、何と言つても、今年の一番目立つ事は美術館ですね。美術館は、この間箱根に行つて見ましたけれども、もう外郭はすつかり出来て――案外早く進んでいる様です。そこで陳列するのが、不思議に色んな処から連絡が取れたり、割合安く手に入つたりするんです。ですから、道具屋が不思議だ不思議だと言つてます。最近手に入つたので銅の花活けですが、鎌倉初期時代に出来たものですが、奈良の法華寺ですかね。法華寺のお堂に飾つてあつたんですね。ですからお賽銭の疵が一杯ついている。長い間――何百年の間――お賽銭をぶつけたんですからね。然し見悪(ニク)い事はないんです。硬い金で、厚いですからね。反つて艶消しみたいになつて良いです。それが、彫刻なんか、実に素晴らしいものなんですね。私は日本の銅器としては初めて見ましたね。あれは非常に安いと思いますね。専門の道具屋に見せると、一番安く言うのが五十万円と言う。五十万円でもお辞儀して買う位です。ですから、之は有名なものですね。その贋物じやないが、それを写したものが随分出来てますがね。座つていてそんな掘出物するなんてね。そう言う様な事が良くある。一番私は有難いと思つているのは、終戦後――丁度二十年の暮からぼつぼつ買い始めた。その時分にはとても安かつたのと、何しろ世の中が混沌たる有様で、その後に財産税が来たので、旧華族とか財閥とか――そう言う人達が――おまけに進駐軍の方で財産管理をして――三井とか岩崎の生活費をすつかり書いて届けるんですからね。生活費なんか、月に何万円と決められているんですからね。何処の金が何万円入ると言う事になつて、それ以外に、土地でも――そう言つた財産は手をつけられない。そこで、ああ言つた人達が、小遣いにも困る。そこで背に腹は変えられないので、相当仕舞つてあつたのを出すと言う事になつた。相当良い物があつた。そうして、財産税の時に払えないので、差押えられると言うので、税金の為に売つたのも相当ある。そこで、私が――目の通らない様な、知らないものでも、感じ丈で買つたんですね。だから、随分安く、金の入る丈買つたものです。それが、今日は全然出ないんです。偶々そう言うのが出ると、殆んど贋物です。一昨日、仁清と言う人の鴨の置物で、之は綺麗に――色絵と言つてね。色々な色が使つてあつた。実際の鴨の様に綺麗なものですね。その焼物の置物で、それは、道具屋は東京で一流の道具屋です。本物の積りで、この間言つていたんです。仁清の鴨掛けをいずれお目にかけますと言つていたんです。見ると贋物なんです。それで、良く説明してやつた。仁清はもつと濃い色を使う。嘴がこんな不恰好じやない。それから、裏に仁清と銘がありますが――こんな物はない、と言つてやつた。驚きましたがね。先方で、百万円と言うんです。私は買うとしても三万円ですね。思召しがあつたら買つて呉れと言うんです。だから、君こう言う物を他のお得意に売つたら、信用に関わるから止した方が良いと言うと、いやそうですか、そうしましようと言つていた。今、随分贋物を持つて来ますからね。それで高いんです。何十万とする。処が、私が財産税等で買つた物は、安くつて本物なんです。ですから、どんな物でも三倍にはなつてますね。三倍から五倍、二十倍になつているのもあります。之は、神様が旨くやつて呉れた訳ですね。それで、第一値段に関らず、もう無いんですよ。全然売り物にないんです。と言うのは、近頃になつて皆んな――財閥や何かが、復活の兆が見えて来たですね。だから、むしろ先の方で、あわ良くば買おうと言う気になつて来た。それから知人や友人に売ると言うと、友達同志で買つちやう。道具屋の手を経ないですね。そう言う状態になつて来たから、今美術館を造つて、品物を集め様と思つても、先ず難かしいんですね。で、その当時買つた物は、絵なら光琳とか宗達、光悦、乾山――そう言うものは、私は好きですから、そう言う物を狙いましたがね。陶器では仁清、乾山、鍋島と言う――ああ言う物ですね。それから、仏画ですね。浮世絵、東山時代の墨絵ですね。そう言う物を多く狙いましたが、その狙いが皆んな当つているんですね。仏画なんか――曼陀羅と言う――細かくなつているのがありますが、その当時五、六万で買つたが、今は五十万位ですね。私は、何故買つたかと言うと、あんまり安いんで勿体無いんです。細かく画いてあつて、今画かしたら大変です。鎌倉時代ですがね。鎌倉の末で、足利時代、古いので藤原時代ですね。絵の具を使つて、金や色々使つて画いてあるが、それが五、六万ですからね。あんまり細かく画いてあるんで、勿体無くて買つたが、それが値打が出て来た。この間も、銀座の東洋美術で、仏画の展覧会があつた。之は博物館にも出したが、私は良く知つているので、一ぺん来て呉れと言うので、行つたんですが――その中で、一つ良いと思うのがあつた。阿彌陀さんの掛け物でね。之なら買つても良いと思つて、幾らだと言うと、八十万と言う。前で言うと、十万か二十万ですね――高くてね。それが八十万と言う、そんなに高くなつている。ですから、金儲けから言つても、随分――何て言うか、金儲け上手いと言いますかね。反つて、物と言うのは、儲け様と思うと儲からない。儲け様と思わないと儲かる。やつぱり逆ですね。だから――私は熱海の地所ですね。それをちよいちよい買いましたが、今皆んな相場が上つて、何処を売つても儲かりますがね。それが、不思議に皆んな安く買つた。今の地上天国なんか、一番最初は七千坪買つたんですが、七千坪が確か二十何万円ですがね。坪にして二十五円位なものでしたね。あれが、終戦の翌年でしたか、終戦の暮でしたがね――尤も、あそこは、見せに連れて行かれて、見て五分で決めたんですからね。ですから、あれは神様がしたんですね。之だ。と、直ぐ思つたんですからね。先でも吃驚りしたんですよ。その隣りが又非常に景色が良いんですよ。丁度展望台の出来る処ですがね。あそこは是非なければならない。売つて呉れと言うと、売つても良いと言う、三千坪位で、坪六十円でしたが、僅か半年足らずで、倍以上ですから、高くなつたと思つたんですが、それから美術館の出来る処を買つたが、確か九十円でしたがね。高いと思つて買つたんです。そんな様で、大体の中心は安く買つたんです。後は継足しで、部分々々ですから、坪数も少ないしね。今日では坪四千円位するでしようね。ですから、約十倍以上になつてますね。十倍から二十倍になつてます。又私が買つた処は、皆んな急所みたいになつている。今度駿豆鉄道がケーブルを作りますが、瑞泉郷の観山亭のある所で――市長を介して交渉しましたが、つつぱねて駄目でしたが、先で、私の方の端を通る様にして――端の方を通るので、いずれ先で言つて来るでしようが、つつぱね様と思つてね。之は先では非常に欲しがつているんですからね。売れば随分儲かるんです。之が三万坪ありますからね。又、不思議に馬鹿に安く手に入つた。そこで、いずれあそこは素晴らしい計画があるんですからね。それだとか、西山にも、温泉の湧いた地所がある。だから、熱海の或る有力者ですが、実際先生の持つている処は、実に不思議だ。何処でも、急所々々を持つなんて――市長なんかも驚いているんですよ。実に旨い処をお買いになつた。それが、幾つもそう言う処がありますからね。最近も神秘的に素晴らしい処が入りましたが、之はいづれ発表します。処が、みんな割合安く入るのでね。思つたよりかは旨くいくんですね。丸で、金儲けの話みたいになつたがね。一つ「結核は感染しない」と言うのを、昨日書いたんですが、この前読んだ「⇒結核の信仰療法」と言う――この前読んだ、次の項目のなんです。之は、この前読んだそうですが、終いの方が直つてますからね。

(御論文「⇒結核は感染しない」)

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それから、又美術館の話ですけれども、箱根の裏手の方ですね。萩の屋の後の方ですけれどもね。あそこに、今仮に入口がついてますが、一般の人にも見せ様と思うんです。之は信仰とは別の意味で、そうして入口を作つて、まあ――門を作つて、左手の方に切符売場と切符を改める処と、右手の以前井上さんが住んでいた処は事務所と休憩所を――沢山来ますからゴタゴタしますからね。美術館は落着いて見る処ですからね。動物園とは違いますからね。ですから、人を計つて見る様にし様と思います。値打は幾らあつても、そう高くは出来ない。安いと、群衆が来て、落着いて見ようと思う人の障りになるから、適当に定めます。そうして来年から――面会日は聞いているでしようが、五六七にしましたから、五六七の午前中丈は、信者さんが見える事にして、一般の入場者は午後の一時から四時迄ですね。そうして、特種の人ですね。特種の人と言うのは、本当の観賞家ですね。今は又、美術には大分関心を持つて来た。意外に思うのは、作家ですね。ああ言う人達の間に非常に流行つている。そうして、それが又、良い影響をしている。それは、ああ言つた人達は必ず妻君携帯です。先月も四、五人是非美術品を見たいと言う訳で――少し許り見せてやる積りだつたんです。そうすると、皆んな妻君携帯なんです。川端康成とか大仏次郎、広津和郎、高見順――皆んな妻君携帯なんです。昔はああ言う人達は、妻君は邪魔で、他の――妻君ならぬ婦人ですね――そう言うのを連れて歩いていた様ですがね。この頃は、全然違つている。何う言う訳かと言うと――ああ言う人達は書画骨董が好きで、それを買うんです。川端康成と言うのは、何でも彼でも買つちやう。それで始終借金だらけで、キユーキユー言つている。私は先日も掛け物を買つてやりました。借金で苦しんでいて、やりきれないと言うのでね。徳川夢声、吉川英治――皆んな好きです。ああ言う人達が、皆んなやつて来るんです。こつちは未だそんな準備もないから、来年美術館が出来るから、そうしたら充分見せるからと言つてあるんです。結局、ああ言う人達が美術を好む為に非常に品行方正になつた。反つて昔は、ああ言う人達は度外れだつたんです。理窟をつけては、可成り不道徳な事をしていたんです。反つて、社会の人間の方が不道徳で、ああ言う人達が清いんです。それも之も、美術品を愛好する為で、非常に良い事です。そう言う訳で、そう言う人達――又そう言うのが好きな人が沢山居ますからね。ゆつくり、観賞させる為に、五六七以外の日に、そう言うのを見せると言う計画ですがね。今年になつてから、そう言う方を調べて見て――大阪、京都、東京ですね。美術館、博物館を見ましたがね。意外に思つた。もう少し見るべき、どうやらした物と思つていたが、案外に貧弱なんです。それはお話にならないですね。ですから、今度箱根に出来た美術館丈でも、大変な評判になります。断然レベルが違いますから、本当に――乞食と大名位違うかと思う位ですね。で、博物館なんかと較べてずつと良い積りです。唯、仏教芸術ですね。之丈は敵わない。それ以外は負けない。然し、仏教芸術は負けても良いです。仏教芸術を本当に解る人はないでしよう。百人に一人もないです。私も、仏教芸術を随分見ましたが、この頃どうやら分つて来た。あれは、時代を知る丈でも大変です。仏教芸術が最初出来たのは、推古時代ですね。千三百年位前ですね。それから、奈良時代に発展したですね。天平――法隆寺ですね――あの時代が急激に発達した。藤原、鎌倉にいつてから、又発達した。それから、色々様式がありますね。支那の様式、朝鮮のもの、とね。大体、支那の六朝時代ですね。それから唐の時代ですね。あの時代に、秀れて良い物が出来た。又、同じ仏像でも、都会で出来た物と、田舎で出来た物は違うんです。都会と言つても――奈良で出来た物が一番良い物が出来た。あとは、鎌倉ですがね。そういつた――鎌倉から、桃山時代になると、もう駄目ですね。徳川時代になると、唯綺麗丈の物でちつとも面白味がない。それから都会以外で出来た物は、何処か武骨ですね。田舎で出来た物と都会で出来た物を見別けるのが、中々難かしいんです。絵なんかでも、あれは坊さんが画いたんですがね。それから営業的に――画いた物がありますが、一寸違うんですね。この間京都に行つたが、兆殿司が居た寺に、画いた物が沢山ありますが、こう言う人達は、絵としては旨いけれども、仏教的な味はあんまりないんです。そんな訳で、仏教の絵画にしろ、彫刻も中々難かしいんです。その中に、出来が良いのと悪いのとありますしね。名人の傑作と言うのもあります。ですから、そう言うのを一般人が見ても、美術としての価値はないですね。ですから、私は一般の人が理解出来るのを本位として集めてあります。あんまり知らない人でも、それを見て、一つの趣味が湧くだろうと思います。それから陳列場とかケースですね。ああ言う物も、何処でも無関心だつた。何処の博物館でも美術館でも、ガラスの箱に入れてある。あれじや、美術の意味はない。そう言う点も、私は心を用いて、その品物に調和させてやる積りですがね。博物館にしても、掛物を掛けても、壁はアンペラみたいな物を張つて、良い加減な物を塗つて、それに良い掛物を掛けるんですから、丸でぶち壊しですね。それから品物でも、唯、明治時代に出来た箱ですがね。縁でも、鉄で出来ている。それに塗料を塗つてある。実に非美術的なんですね。そう言う事も大いに違います。壁も――床の間の壁も、砂壁にして鴨居もつけて、天井もセメンを塗つたのでなく、木の天井にして、床の間と言う感じを出そうと思つている。品物にしろ、こう見て、目と品物の間隔ですね。位置と高さ――そう言うものにも注意しようと思う。今の博物館にしても、見上げる様ですよ。あれじやしようがない。お皿がありますね。裏を見たいと思いますね。それで、裏を見ようと思うと、縁の下に入る様になる。鉢ですね。鉢の中を見ようと思つて、背伸びしても見られない。実に、そう言う処が、非美術的で、非文化的なんです。そう言う処も、大いに改良して、一つの模範的な物を造ろうと思つている。それから、美術と言つても、色んな種類がありますからね。日本と支那、朝鮮ですけれども、私は日本を一番主にしてやる積りですがね。日本を主と言つても、第一は絵画ですけれども、絵画と言つた処で、大体狩野とか――日本画は狩野派が一番初めですからね。之は大体、支那の模倣ですからね。だから、日本独特の物ではない。随分、狩野派で良い絵があつた処で、支那と較べれば劣るんですね。ですから、日本独特の物としては、光琳派です。何が独特かと言うと、光琳は無線派と言つて線を使わない。支那は線を使う。線を使わないのを――有線を破つたんですね。一般も、それを鑑賞している。アメリカ人も、光琳派をと言うんです。その次に行つて、浮世絵でしようね。之も、西洋にないんですからね。支那にもないんです。支那に美人画はあるけれども、日本の様な独特な味はないんです。然かも、浮世絵と言うと、今迄は版画ですね。あれが、浮世絵の様に思つていたんですね。ですから西洋でも、版画が歓迎されていたですね。ボストンの美術館には、日本よりも良い物があるんです。私は、大体版画は好きでない。絵そのものは第二義的になつてますからね。ですから、私は浮世絵の肉筆を集めた。それが又、割合安いんですよ。外国も日本も、余り歓迎しないから安いんです。あれは、外人が見れば、気に入るんですが、以前から来た外人が、肉筆を見る機会がなかつた。町に出ているのが、みんな版画ですから、見る機会がなかつた。肉筆は個人の家に入つてますからね。私が、色々研究して見ると、浮世絵の肉筆と言うのは、素晴らしいものです。その優秀な物を集めましたが、今は、又目をつけられて高くなりましたが五、六年前には、只みたいなものですね。あとは、大和絵――土佐派ですね。之は支那とは違つたものです。そう言うものから、東山時代の、東山水墨と言つてね。之は墨絵ですが、之は支那から来たものです。この中で、傑出した名人は、狩野雪舟ですね。この人は上手い。之は、アメリカの人でも、雪舟の絵丈は買うんですね。日本人のでは、あとは敵わない。それから啓書記、周文と――之も上手いですね。そのあとに行つて相阿彌、芸阿彌、能阿彌とある。相阿彌と言うのが、一番上手いんですね。私も持つていますが、あとは見るべき日本画はないですね。近代に至つては、殆んど、之はと思う人はない。近来は栖鳳でしようね。社会じや速水御舟を珍重してますが、御舟は私は感心しないんですよ。何故感心しないかと言うと、宋時代の徽宗皇帝が画始めたので、純写生の――之を真似ているんです。それを知らないから、御舟独特の物と思つて、高くなつているんですがね。それで、私は模倣と言う事で、嫌だ。あとは現代人としては大観、春草でしようね。それから玉堂――その辺でしようね。あとはないですね。然し、そう言う者の傑作品は出す積りですがね。特に栖鳳の傑作品は、吃驚りする様な物を出す積りです。絵画はその位のもので――それ丈にして置きましよう。あと彫刻、陶器、蒔絵を話してないですが、之は又折々話しましよう。

  (教五号  昭和二十七年一月十五日)