九分九厘と一厘

此論文は文明の創造中の一節である。

前項に述べた如く、戦争の原因は人間に内在する悪そのものであって、此悪なるものの本質は何であるかというと、曩にもかいた如く動物霊の意欲の表われであって、其行為が動物的であるに見ても明かである。動物とは勿論獣類が主で、次が鳥類、稀には虫類もあり、魚族もあるが、何れも人間の体欲を司る必要から、神が其様に人間を造られたもので、所謂必要悪である。処が此動物霊は霊線によって、邪神界の頭目に連繋しているので、其頭目の思うまま自由自在に操られているのである。そうして邪神界にも階級があって、人間個々の霊的階級に相応し憑依するので、上級から下級に至る迄差別があり、之も正神界のそれと同様の組織になっている。此様な訳で、人類は原始時代から今日に到る迄、善と悪が相対峙しつつ、現在迄何万何十万年に亘って来たのであるが、勿論其期間邪神の力の方が強い為、兎もすれば正神の方が圧迫され勝ちであったが、結局に於て悪の方が敗北し、善の方が勝ったのは歴史がよく證明している。それは若し邪神の方が勝ったとしたら、世界は崩壊され、今日見るが如き世界は、あり得なかった筈であるからで、それというのも今日迄は時が悪に或程度味方していたので、つまり夜の世界であったからである。勿論夜は暗黒そのもので、悪を制御する光が足りない以上、止むを得なかったのである。右の如く之迄の世界は悪でも目的を達せられ、相当期間持続されたので、之を見た人間は悪で成功する方が早道と錯覚して了うと共に、其追随者も出来るという訳で、滔々として一般が悪に感染し、処世の常識とさえなって了ったのである。

之は歴史をみれば判る如く、悪によって一時は成功したように見えても、何れは必ず失敗するが、それに大部分は無頓着であったのである。従って歴史とは悪による成功と、悪による失敗との交互連続の記録でしかないと言えよう。右のように夜の時代は悪の力が強い為、其犠牲となった善者も少なくなかった。特にそれが宗教家に多く、最大な犠牲者としては、彼のキリストであった。私と雖も若し其時代に生れたとしたら、如何なる苦難に遭ったかも分らないが、いつも言う通り今や夜が終り、黎明期に一歩入った現在であるから軽く済み、予定通りの進展を遂げつつあるのである。

処で茲に注意すべきは、邪神の計画や行動といっても、戦争や暴力のみではない。凡ゆる分野に亘って、いとも綿密にして遠大なる計画の下に進んで来た事である。其中で最も成功したものとしては唯物科学であって、此唯物科学こそ、彼等の最大なる武器であって、之によって全人類に素晴しい恩恵を与えたと共に之を利用して信頼させ、最後には絶対権を握ろうとするのが彼の計画であって、其狙いは何と言っても、人間の生命を左右する事である。その意味から進歩させたものが現代医学である以上、徹頭徹尾物質的方法によって、病気を治そうとし、外面的には、如何にも治りそうに見えるが、内実は決してそうでないに拘わらず、彼等の智能は頗る巧妙に凡ゆる手段を尽して努力しているのである。勿論、方法としては機械、光線、新薬、手術等であり、又病理も微に入り細に渉って理論付けているが、此真相を看破し得た者は今迄に一人もなかったのである。此意味によって、例えば病気に罹り其病原を質問しても御座なり的で、適確な説明は出来ないで、曖昧極まる答弁をしている。又病気に対して其見込を訊いてもだろう的で、断定は出来ない。よしんば断定しても、十中八、九は齟齬(ソゴ)するので、之は医家も常に経験する処であろう。

次は食糧問題であるが、之と医学と同様殆んど科学的論拠によって作られた、彼の化学肥料である。之も最初は一時的効果を見せられたので、人間は瞞されて了い、今日の如く各民族に行渡ったのであろうが、之は別の項目で詳説する。

次は戦争であるが、之も曩に述べた如く其時代の手腕ある野心家が、多くの人命を犠牲にして、覇者たらんと企てたものであるが、之等も一時的成功の夢を贏ち得るに過ぎず、最後は必ず失敗し、歴史上の語り草に残るのみである。

以上大体悪に就ての検討をしてみたが、之によってみても、神は唯物文化の清算をされ給う時期が来た事は明白であって、邪神の目的通りにならんとする其一歩手前に来た現在、神は私を通じて真相を明かにさせ給うのである。之を深く考えれば其深遠微妙なる大神策は、実に端倪すべからざるものがある。茲で別の意味からみれば、神の力は十全であり、邪神の力は九分九厘であるから、神の方が一厘勝っており、此一厘の力を以て掌を反すので、此力こそ如意宝珠であるから、私が常にいう如く、現代文化は九分九厘迄で切替えとなり、其時がキリストの言われた世の終りであるという訳である。従って、此時こそ霊界に於ては仰天動地の一大異変が起るのは必然で、此事を信じ得る人にして、永遠なる幸福者となるのである。

そうして、彼の計画の唯一のものが現代科学であるから、医学の革命も当然起るであろう。それに代るべきものとしては、本教の浄霊法である。というのは、幾人もの博士が手古摺(テコズ)って、死に垂(ナンナ)んとした病人が医学のイの字も知らない普通人が、数日の修行によって治し得る力を与えられるにみても多くを言う必要はあるまい。従って此力を以てすれば、何十世紀も掛かって積み重ねた現代文化の誤れる点を解消するのも、敢えて難事ではないであろう。

茲に至って、夜の帳(トバリ)は切って落され、赫々たる太陽が現われるので、其黎明期こそ今である。キリストの言われた信ずる者は幸いなりとしたら、信ぜざる者は、滅亡の運命となるより致し方ないであろう。

(栄光百三十八号 昭和二十七年一月九日)