御 教 え 集 第四号

十一月一日

(お  伺) 
信者、本山あやめ(五十四歳)産婆を致して居りますが、本年九月十日より御浄化戴き、腰より膝まで浮腫にて動けなくなりました。続いて御浄霊させて戴いて居りますが、十月二十日頃より段々発作が起き、その激痛の為、身をもだへ水を欲しがります。食欲、便通共に御座いますが、二、三日前より排尿が少なく、局部的の痛みが起きます。御浄霊致しますと、痛みが移動致します。夜分には蛇が「とぐろ」を巻いた様な様子の発作を起して苦しみます。只今では資格者が泊り込みで、夜中でも発作が起きますと御浄霊させて戴く様に致して居ります。尚、本人は御屏風観音様を御奉斎させて戴いて居ります。御神体も拝受致して居りますが、家が無く只今は田舎の古寺に住つて居りますが、其処も立退きを強請されて居りますので、御奉斎が出来ない状態で御座います。御垂示の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
そうすると、御軸は何処に置いてあるんですか。

(お  伺)
「教導所でお預り致して居ります」

〔御  垂  示〕
やつぱり薬毒ですね。

(お  伺)
「二十年前、慢性腎臓になり、医学で固めて居ります」

〔御  垂  示〕
そこに、やつぱり蛇が憑つた様ですね。やつぱり毒があるから蛇が憑るんだからね。薬毒を無くすれば良いんでね。腎臓が相当固まつているんですね。痛いのは薬の為ですからね。手術はした事ないですね。

(お  伺)
「御座いません。激痛が点々と移動致し、お静まりと言いますと、静まります」 

〔御  垂  示〕
蛇ですね。私の本に書いてある。それを、どんどん追いかけて行つて、お静まりと言うと、静まる。之も少し気長にやつたら良いです。痛みは、段々追いかけて行つて、段々気がつかない位に迄に追いかけてやると良い。そのうちに、又痛みますから又追いかける。そのうちに段々薄くなりますからね。

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(お  伺) 
昭和廿四年十二月入信の信者、植田ナカ(五十九歳)同年九月初め、右足を蟻の巣に踏入れた為、そこに小いさい傷が出来、それが二、三日するうちにキリキリと痛み出したので御浄霊を戴きました処、痛みは益々ひどくなる許りで、遂に歩行も出来なくなりましたが、十二月頃から小康を得、杖に縋つて歩く事が出来る様になりましたので、早速教修を戴く光栄に浴しました。傷口は依然として残り毎日相当量の排膿がありました。翌廿五年二月頃より、全身が浮腫み始め、次第にひどくなり、五月頃には口中特に舌が痺れ、火傷の様な痛みを感じ、遂には顔面迄痺れ、同時に手足の第二関節迄ローソクの様に白くなり、感覚がなくなつて了いました。此頃ふと邪神にやられ、病院にも一寸行き、手当てを受けましたが、排尿は益々悪く、為に全身は浮腫み心臓の動悸も激しくなりましたので、再び御浄霊を戴くうちに、十二月頃足の傷はやつと治りましたが最近又、右足に傷口が出来、痛みも以前と同じ様な状態となつて参りました。二十年前胃潰瘍、腎臓炎、肋膜腹膜、膀胱、盲腸、肺炎を一時に患い、生命の危険を感じた事も御座いました。注射の名は解りませんが、二本以上打つと生命の保証は出来ないと言う注射を、主人と同意の上毎日二本宛一ケ月続けて打ちました。やつと生命は取止め、一年病床に就き全快致しましたが、以後右の足が常に腫れています。私の家は、昔お寺の屋敷跡で庭の隅には先祖の墓と無縁仏の墓がありますが、本年八月家の墓を山の墓地に移した時に、その無縁仏の墓も一所に移し、仏壇には「諸霊位」として祀つてあります。因に御屏風観音様は二十四年四月、御神体は二十六年五月御奉斎させて戴いて居ります。右御開示の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
之は、この薬毒ですよ。二本づつ一ケ月続けた――と言うこの薬で、今そう言う風になつて出るんです。それで蟻の巣を踏みつけて傷がついたと言う、あの為じやないんです。針の先でも同じなんです。そう言う薬毒は、何処か一寸した刺戟で、そこに寄つて来て出ようと言うんです。それで、最初のは出て、今度は残つているのが出ようとしているんです。もう少しの辛抱です。痛みと言うのは、全部薬ですからね。だから、人間薬を止(ヤ)めれば、痛みは無くなる――苦痛はね。人類から薬を無くすれば、痛みと言うのは無くなるんです。薬が痛みをつくつているんです。大変な世の中ですね。だから、薬の恐ろしい事が本当に分れば、それで人間は大体救われた訳です。それから、霊が憑るのも――やつぱり霊が曇つているから悪霊が憑るんで、曇りと言う原因は殆んど薬毒ですね。あとは罪ですからね。罪を犯すと言う事は、薬毒で血が濁り、霊が曇ると言う事ですね。結局人間の身体から薬を抜けば、悪人も無くなるんですね。然し悪人も今迄は必要だつたんです。血を濁らせて、悪人をつくつて――やつぱり必要だつたからです。だから、観音さんは薬師如来になつて、薬を飲ませたんですからね。やつぱり仕組なんです。

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(お  伺) 
昨年九月、結核再発以来絶対安静にて専ら灸療法にて薬は殆んど服用せずに治療して居りましたが、はかばかしくないので、本年に入りマイシン二本とパス三十日間服用致しましたが、益々衰弱し、一時は食事もろくに入らず苦しんで居りました処、三月末より本教の浄霊を戴き、五月中旬には大変元気にさせて戴きました。六月廿三日には御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。妻は結婚前、昭和二十四年の暮に入信させて戴いて居りましたが、私が分らなかつた為、一時お道から遠ざかつて居たのですが、私の入信により、改めて信仰させて戴く事になりました。御屏風観音様を御奉斎した翌日、再び御浄化を戴き痰が多量に出ましたが、その後お蔭様にて漸次楽にして戴き、痰も少量となり、七月中旬よりぼつぼつ起きる事が出来る様になりましたが、動くと呼吸が苦しくなるので、戸外散歩は出来ず、室内丈けをぼつぼつ動いて居りました。九月上旬より咽喉が痛くなり、声がかすれて来ましたが、御浄霊により、間もなく痛みは取れました。現在二、三日咳が続くと咽喉が痛くなり、咳が少なくなると痛みは取れます。只今の所、常時床に就いて居りまして、咳をすると呼吸困難になります。食事は毎食茶碗で山盛一杯は入りますが、余り美味しく頂けません。毎日妻に浄霊を受けて居りますが、先生にして戴くと其日及び翌日は非常に元気が出ます。因に私の家では、最初私が肋膜炎で病状はかばかしくない時に、実兄が戦地より帰り、胆石病らしい病名不明の病気に罹り、私の病気は治りましたが、兄は手術をし原因が分らず、以後持病となり苦しんで居りましたが、家を分ける事になつて、兄が現在私の住んで居る家を出て行きましたら、兄の持病は次第に治り、只今では元気になつて居りますが、私が発病しました。父は二十六年前腹膜炎で死亡、弟は十二年前肋膜炎にて死亡して居ります。位牌は御教え通りに御祀りさせて戴いて居ります。私の浄化は、何か家にも関係がある様にも考えられますが、御垂示の程御願い申上げます。尚、只今は浄霊箇所として後頭部、頸部、延髄、肩、心臓(前後)、腎臓、鼠蹊部を主として居ります。

〔御  垂  示〕
之は、浄霊を少し見当違いをしている。だから治りが悪い。之は割合に治りが悪い方じやないですね――旨く急所に当れば、相当早く良くなつていきますからね。普通息苦しいと言うのはよくありますがね。肋間神経痛じやないんだが、肋間に毒が固まつている。そう言うのは押してみて、一番痛い所を――大抵横腹が多いですが――そこを浄霊すれば、息苦しいのは、非常に良く治ります。それから、こゝ(頸部淋巴腺)です。之が大抵の原因ですね。熱、息苦しい――咳ですね。そこがどつちか熱いですね。固まりがあります。この人も、そこをやつて御覧なさい。そうすると、ずつと良くなる。霊的も幾らかありますね。肋膜で死んだこの人が、救われたくて憑るんですがね。悪い意味じやない。だから、自然に段々救われていきますからね。弟は十二年前――之ですね。父は二十六年前――之は関係ありません。方々を浄霊してますがね。こう言う――動悸や息切れは、心臓が悪いんじやないんだからね。他に原因がある。こう言う処(咽喉)が悪くてドキドキするのがありますからね。今言つた様にしてやれば治りますよ。

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【御  教  え】
今度京都に行つたのは、大体主な目的は、美術館に就いて色々参考になる点がありますから。それで京都に行つた訳ですからね。で、京都に大徳寺だとか東福寺だとか行つて見ましたが、多少参考になりましたが、何しろあゝ言う処は、仏教芸術ですからね。仏教芸術と言うより、お寺芸術ですからね。お経だとかね。東福寺なんかは、宋時代に偉いお坊さんが書いたお経ですが、之は美術館向きにはならないですね。それから、東福寺は兆殿司があそこの寺に居て書いた、兆殿司のものが大部分でしたが、可成り上手(ウマ)いけれども、大した事はない。今度すつかり分りましたがね。それから大徳寺の本尊ですね。其宝物を何していたが――真珠庵と言う――そう言うものが一番ある寺です。末寺ですが、それを見ましたが、大したものはないですね。大徳寺なんか、一寸如何わしいものが多いです。やつぱり、本物は傷(イタ)んだりするから、仕舞つてあるだろうと思う。だから、出してあるのは、如何わしいのがチヨイチヨイるんです。一寸普通に見ては分りませんがね。例えて見れば、巨勢金岡の書いた観音さんがあるが、私の処にもあるが、私の処のは本物です。同じ様な絵ですが、私の方が古いですからね。大徳寺の方は、時代が新しいです。同じ様には書いてありますが、品格と味がないです。そんな様なものです。その他にも二三ありました。それで良いんだろうと思いますね。そう、良い物を始終一般に見せると言うのは、傷(イタ)んだりしますからね。面白い事には、本尊ですが――坊さんが、お釈迦さんだと言うんです。之は観音さんだと言つても、いゝやお釈迦さんだと言う。禅宗ですからお釈迦さんは祀らないのが本当です。禅宗は達磨ですから反対になるんです。達磨と観音さんは祀つても良いんですが、お釈迦さんは祀らないんです。あそこは観音さんを祀つてあるので成る程と思いました。京都の博物館は、支那陶器の一寸良いものがありました。絵も二、三私が見たいと思うものがありました。それから大阪の博物館も、又行つたんですが、銅器の良いものが出てました。館長になつている人が、色々説明して呉れましたが、大いに得る所があつた訳ですね。そんな訳で、大体京都に於る美術的なものは今度で大体分つた訳です。今度私が造る美術館に就いても、参考にはなりました。処で近頃、古い美術ですが、非常に世の中の人が関心を持ち始め、流行みたいになつて来ましたが――何処に行つてそう言う美術なんて見ても――仮に、京都にしても、仏教的な仏画だとか、立派なものがありますが、あれじや一般人が見ても興味がない訳ですね。お釈迦さん、観音さん、文珠菩薩。藤原時代だとか、天平だとか言つても、余程研究してないと分らないです。美的に、あゝ美しいなと言うのは、分らないと思います。感心しないです。処が、日本では古美術です。古美術と言うと、京都ではお寺ですね。あゝ言う処になつている。然し、私が造る美術館はそう言う意味ではない。京都を歩いても、光琳とか宗達とか殆んどお目にかゝ  事は出来ないですね。京都で盛んに活躍した芸術家ですからね。そう言うものは殆んど京都に無いせいもあるでしようが。殆んど見る事が出来ない。仏画以外としては、狩野派ですね。探慶、雅信だとかです。そう言う人達の絵は、余り価値がない。と言うのは、狩野派の絵と言うのは、支那人から習つたんですからね。支那の宋、元時代のものをお手本として習つたんですから、支那以上のものは出てないんです。処が、琳派ですね。光琳と言うのは、勿論支那にもないし日本独特のものですね。こう言うものを、大いに見せなければならない。それから陶器と言つても博物館にも立派な素晴らしいものがありますが、全部支那のです。日本だつて素晴らしいのがあります。仁清、乾山と言うのは、それはもう支那に決して負けない様なものですね。あとは、尾張の瀬戸の系統ですね。黄瀬戸とか、織部とか――そう言うので、中々良いものがある。そう言つた日本で出来た日本美術の良いものは、殆んど目に触れる事がないですね。僅に東京の博物館にある丈だそうですね。そう言う良い物を、今度出来た美術館に並べる心算りですがね。そう言う良い物は、何処にあるかと言う事は、殆んど決つている様なものですね。だから、それを上手く聞き出して、承諾を得れば良い訳です。それも、旨くやりつつあるから、日本の何処にもない様な美術品を並べられると思います。随分問題になると思いますがね。

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帰り掛けに、駅々で信者さんが見送つてましたが、誰も言う事は、今年は自然栽培は、非常に成績が良いと言うんですね。相当増収になつていて、非常に喜んで居ましたがね。と言うのは、段々肥料が抜けて来ますからね。何処でしたか、今年で三年目ですが、反当り二、三俵増えたと言う事を言つてましたが、それで丁度当り前ですね。三年経てば三割位増えるんですね。五年経てば五割位増えるんですね。今年の成績が良かつたら、大々的に自然栽培の宣伝をやろうと思う。処が一般の場合は、今年は馬鹿に悪いですね。静岡県の何とか言う村は、四割の減収で、六割しか穫れないんですね。その原因はイモチ病とウンカと言う事になつている。こう言う話を聞きましたが――農民は肥料をやり過ぎるから、肥料を少なくしなければならないと言う説が、農民間に出ているそうですが、それは幾分判つた方ですね。だから、その方面は之から大いに面白いと思うんですがね。

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それからもう一つは、B・C・G問題ですね。之は大騒ぎをやつてますが、それに就いて非常に良いお蔭話を聞いたので、今度の「栄光」に出して、之を厚生大臣に送つてやろうと思つてますがね。

(御論文「⇒B・C・G問題」のあとの御教え)【註  栄光一三○号】

つまり今迄は、結核が疑わしいのにB・C・Gをやると、発病しないと言うのですね。処でそれは、疑わしいと言うのは、要するに浄化が起つているか、起り掛けているんです。それをB・C・Gで固めるから、一年なり半年なり固まり、小康を得ている。と言うのは、B・C・Gは一回ではいけない。と言うのは結局、本当に固まりつこないんですからね。何時か溶けるに違いないから、B・C・Gを打つた人は結局何時かは結核患者になつて了います。そんな訳で、今迄固まつた人も霊界のお浄化が強くなつたから、固まらなくなつた。固まらないで溶けるからです。そうなる訳だから、之から色んな固め療法が駄目になつて来ます。結局薬じや駄目だと言う事になる。それからこつちの舞台になる。大分近寄りつゝある。それから、農作物の方で非常に虫がわく。毎年増産と言つて色んな方法をやつていますが――農地改良だとか、交換分合だとかやつていますが、増えないですね。増えないで、虫害が非常に多くなつて来た。と言うのは霊界が変つて来たからです。霊界が夜の間は浄化力が弱いですから、医療も一時効くんです。処が霊界が段々明るくなるに連れて、そう言つた間違つた事は、段々駄目になつて来る。つまり浄化力と言うのは、浄めの力ですね。そう言う汚ごれたものは、浄めの力が弱くなる。逆になるので、虫がわくと言うんです。綺麗なものは益々綺麗になり、汚たないものは益々汚たなくなる。そう言う訳ですから、時日が経つに従つて、益々今迄のやり方は結果が悪くなると言うんで、いずれは気がつかざるを得なくなるんですね。ですから我々がやつている事は、その準備行為みたいなものですね。先で、愈々目が醒めてから、本当のものを見出すと言う、その準備の様なものですね。けれども、一ぺんに来る訳じやない。少しづつ来る訳です。昨日も、汽車の窓からの話ですが、県の方や農会の方で注目して来たと言う事を言つてました。医学の方よりも大分早く分ると思う。之が分つたら、今迄肥料をやつていたのが、堆肥丈けで良いと言うので大問題ですね。食糧問題なんか一挙に解決しますからね。そうなると、医学の方と違つて早いです。それ丈け解つた丈けでもメシヤ教と言うのは、本当の「救世」だと言うですよ。それで、段々段々そういつた解きが早くなるんですね。全て、ものは坂から落ちる様なものですね。最初落ち始めは緩慢ですが、勢いがつくと、段々早くなると言う、こう言う事は解り出すと早い。だから大いに楽しみと言う訳ですね。それから「文明の創造」の中で、種痘の事が肝腎ですから、種痘の事を精しく書きました。今日注射が之丈け発達したのは、結局種痘の為なんです。こゝにやつた丈で、天然痘が逃れられる。有難いと言うので、それによつて注射と言うのは段々流行る様になつたんですね。この前も――古い――「明日の医術」かに書いてますが、今度はあれよりずつと精しく書きましたからね。あの時代は危ぶなくて、そう深く書けなかつたですが、今は時代が違つたから、充分書けるから、良く解ると思います。

(御論文「⇒種痘」のあとの御教)

之は以前に一ぺん出した事があるお蔭話です。やつぱりこう言うのは、皆専門家に見せる為に、丁度挿入するのに良いですからね。それで入れた訳です。

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余り、病気の事許りだから、少し変つたのを――これを読まないうちにさつきの――禅宗とバラモン教の事を言いましたので、それを書いてます。

(御論文「⇒仏教に於る大乗小乗」のあとの御教)

この大燈国師の有名な看読真詮(カンキンボ)という巻物がある。後醍醐天皇が非常な信者で、大燈国師に絶対的にしていた。で、後醍醐天皇をお助けしようとして看読真詮(カンキンボ)という――随分長い巻物です――後醍醐天皇を助けて戴きたいという意味で書いて、仏様にお願いした訳ですね。之は有名なもので大燈国師の看読真詮(カンキンボ)と言つて大変なものです。容易に見せないんですが、特別に見せて呉れたんですがね。中々、書体も力強い書体です。見ていると、迫力が――まあ、身の引締まる思いがすると言うが、そんな様な具合で、私も感心した。之は余談ですが、後醍醐天皇が、あゝいつた不幸な目に遭つて、結局位を捨てなければならないと言うのは、この影響がある。大体、禅はバラモンから来るんです。名誉とか、天皇とか言う位は、信仰に徹底すれば無くしなければならない。取つて了わなければならない。だから、一生懸命になればなる程、天皇の位に止どまる事が出来なくなる。天皇の中で後醍醐天皇なんか一番不幸な人でしよう。それは、信仰の影響ですね。それに違いないですね。

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十一月五日

(お  伺) 
今年一月風邪を引き発熱し、トリアノン注射五本許りで熱は下がりました。其後ずつと食が進まず、段々痩せて血色が無くなつて来ましたが、何処にも苦痛を感じませんので、仕事は相変らず農事を続けて居りました。余り長くかゝるので、今年七月初めて医診を受けました処、左肩胛骨の下に拳大に腫れ、奥底に大豆位のぐりぐりがありました。注射器で探つて見ましたら、血液が溜つている事が分り、之は肉腫らしいから、一日も早く手術して取除いた方が良いとの事に、早速七月末手術致しました。肉を取つた其奥に袋になつて、中に血液が溜つていたそうです。其の後又、十五日目位に其の横が少し腫れたので二回目の手術を受けました処、血管が二ケ所許り静脈瘤の様に「こぶ」になつていたそうです。其の後十五日許りで退院しましたが体の調子は悪く睡眠も出来ずに居ります内に、又横に腫れて来ましたが、今度は医師も手術して呉れず「肉腫はそう言うもので、中々それで治つた人はないのだから」と言つて、見離されました。其の後お道の事を知り御浄霊を一ケ月半許り戴いて居ります。よく熟睡出来る様になり、食欲も出て血色も少し出て、元気も大変良くなり、少し肥つて参り、勝手仕事もぼつぼつ出来る様になりましたが、最近の状態では、又少し腫れが目立つ様になり「ぐりぐり」も一つ出来ましたので心配して居ります。御浄霊は何処を主に致したら宜敷いでしようか。尚、御浄霊を戴く様になつてから、主人が十月初め入信、現在本人も入信の御願いを済しました。御神体は御奉斎致して居りません。

〔御  垂  示〕
中々之で治つた人はない――治つた人がなかつたら、最初からやらなかつたら良いですね。之は医学による被害者ですね。風邪を引いて発熱と言うのは、腫れる為に熱が出たんですね、良い熱です。それを注射五本許り――で冷まして了つた。固りは前から固まつていた。それが溶け様としたのを溶かさない様にしちやつたんです。そこで、食が進まなくなり、出ようとするのを止(ト)めたから、血色が悪くなつた。それから、肩胛骨――之は結構なんです。もつと腫れて、膿が出たらそれで治つたんです。何時も言う通り、腫れ様と言う時それを切ると、そこから出ないで他にいくんです。ぐりぐりが腫れて来て、そこから溶けるんですね。未だぐりぐりが残つていて、腫れた丈け取つたんですね。取つて未だ後に残つているから、それは他から出る事になる。それから、之は肉腫ではないんですよ。血液――毒血の固りですよ。肉腫と言うのは、血液とは関係ありません。読んで字の通り、肉の腫れる固りの様なものですね。之は肉腫らしいから――肉腫と言うが、之は全然分らないからです。血の固りです。毒血がそこに寄つて来たんです。十五日位で、其毒が又腫れて――一所に腫れ様と言うのを手術したから他所に行つた。針で突いた位でも、そこに寄らないですよ。いけないですね。「こぶ」の様と言うのは、血の固りですよ。自然に毒血が出ようと言うのを、色んな事をして止(ト)めたから、変テコな事になつた。実際お医者に金を使つて悪くして、下手すると命迄なくなつて了うんだから、実際馬鹿を通り越して可哀相な位です。肉腫はそう言うもので――それなら最初からやらない方が良い。治る見込みがないものをやると言うのは、罪悪ですよ。罪悪と言つた処で、お医者さんはそうしなければ「メシ」を食つていけないから仕方がないですが、要するに医学そのものが罪悪ですね。罪悪を行わせる様な方法を作つたその医学なるものが、罪悪の根元と言うんですね。心配――心配じやない。あべこべです。馬鹿に喜んで、お祝いして良い。ぐりぐりは沢山出来て、うんと腫れた方が良い。それで体の毒血が出て、あとは健康になります。実に、人間の体は良く出来てます。それをあべこべに考えているんです。神様の御心持としてわね。浄霊は腫れた処ですよ。浄霊をすれば、膿が減り毒血が減りますから少なくて済む。小いさいものなら、少なくて済むが――こう言うものは、腫れて膿がすつかり出ます。結構です。だから、成る丈け運動をした方が良い。運動をすると早く腫れて、早く出ますからね。苦痛がなければ、不断の通りにした方が良い。安静にすると、治りがずつと遅くなります。

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(お  伺) 
信者北沢文治の長男邦男(一歳八ケ月)は十月三十日頃より風邪気味にて身体全部に赤発疹が出来、親達は「ハシカ」ではないかと思つて居りましたが、三十一日朝頃より、余り泣かず唯口で呼吸をし、起きようともせず寝ていますので、何うした事かと心配になり、十一月一日支部に連れて来ました。その時は相当に熱もあり、鼻汁が出て、お乳も飲み悪(ニク)い様でありました。浄霊を戴いて帰つてから、大変濃い鼻汁が沢山出る様になりました。翌日支部に連れて来た時は、全然熱はなく、相変らず言葉も出ず、泣く事もなく眠つて居る様な状態で、時々空(ウツロ)な目で見開きする程度にて首のまわり、後頭部、腎臓部など良く御浄霊致しましたが何等変化なく、昨日はお乳も飲みそうにもせず、たゞうとうと眠つて居る許りです。一昨日頃迄は、多少の下痢もありましたが、それもなく不絶放屁して居ります。父親は二十二年二月入信致し、光明如来様を御奉斎させて戴いて居ります。初めの頃は、教導師補の御資格を戴き、布教に努力致して居りましたが、父母弟妹が非常な反対なので、御用も思わしく出来ず、今は長男であり乍ら別居致して居り、ゴム裏、草履製造業を営んで居ります。母親は二十五年十一月入信致しました。丁度、昨年母親が肋膜の御浄化を戴き、御浄霊にて健康にさせて戴きましたが、その発病日と子供の発病の日と同日であつたとの事です。右は、何か霊的の関係が御座いましようか。又御浄霊は何処を主にさせて戴きましたら宜敷いでしようか。

〔御  垂  示〕
やつぱり祖霊ですね。之は、祖霊が早く神様の事――御神業を一生懸命にやつて貰いたくてしようがない。だから、御用も思わしく出来ず――と言う之ですね。之で、祖霊が非常に困つちやつた。母親が入信したのは結構だが、唯入信した丈けでは駄目だ。最初母親を信仰に入れたい為にこうして、今度は父親も母親も、一生懸命に信仰させたい為のお気附けです。よく、それを心から解つてお詫びするんです。そうしないと、之は或は死ぬかも知れないですよ。祖霊さんは、こんな事じや駄目だと思つて、一人亡くしたらば目が醒めるだろうと言う様にして――之は危ぶない処です。だからお父さんもお母さんも、一刻も早く目が醒めて、よくお詫びして、之から一生懸命に神様の事をさせて戴くからお許しを戴きたいと言う事を、神様にお詫びして、それから祖霊さんにもそう言う風にする。そうすると、直き治ります。それで、早くそうしないと、霊界に居る祖霊が救われないんですからね。段々最後が来るに従つて、祖霊さんは気が気じやないですよ。

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【御  教  え】
昨夜、福井県の方の信者で、相当古いらしい信者なんですが、何でもそこに来る、やつぱり信者らしいんですが、最近龍神が憑つて、色々邪魔したりすると見え、浄霊すると、龍神だか何だか知らないが――精神病的に暴れたんじやないかと思いますが、それを十五人の人間が抑えつけて、無理に腕力でやつたとみえて、怪我したらしいのです。それはそれとして、「憑つている龍神と今闘つている。だからそれを屈服させるべく御守護願いたい」と、頼んで来た。運転手の米谷君から私に手紙の依頼をして来たんです。それで米谷に、こう言う風にしろと教えてやつた。之はあり得る事で、心得て置かなければならない。それは「先は――暴れた人間に憑いた龍神は邪神だ。之をやつつけなければならないと思つた。私の神力で――お力でやつつけて貰いたいと言う意味なんですが、それは逆で、あなた方皆んな――十何人かの信者皆んなに邪神が憑つている。暴れると言う龍神は、神様なんだ。手紙には、何うしても勝たなければならないと言う事を書いてあるが、勝たなければならないと思う気持は、それは邪神なんです。だから、あつちに行つたら、負けなさいと言え」と言つた。負ければ、先が良い気持になる。負かそうとするから、先が怒つて来る。負かそうと言う気持そのものが、全然メシヤ教ではない。昔から言う通り、負けるが勝です。負けなければならない。勝とうとする気持が、全然メシヤ教の気持とはあべこべになつている。それは、行者か何かがやる事です。縦(ヨシン)ば邪神でも、負ければ良い。  然し、私は悪に負けてはいけないと言う事を言いますが、悪に負けないと言う事と、邪神に負けないと言う事は違うんですよ。それで私は話したんですが、善とか悪とか言う事は、その道理ですね。理窟にはずれている事は、悪ですから負けてはいけない。邪神と言うのはそうではない。唯、邪魔すると言うんだから、そう言う邪魔する人間は、無抵抗にして収めて了えば良いんだから、そんな善悪なんて考える事は勿体ないから、相手によつては――事情によつては、負ける方が良いんですよ。第一、日本の戦争が、日本が負ける気になつたから、あれで収まつた。降参したからね。若し降参しないで、未だやつていたら、未だ未だ何んな犠牲をはらつたか分らない。実は降参の仕方が遅かつた。もつと、半年も早く降参していたら何んなに良かつたか分らない。負けるが勝ですね。フイリツピンを攻めた時、マツカーサーが逃げたですね。その時私は、マツカーサーと言うのは偉い人だと褒めましたがね。と言うのは、マツカーサーは逃げるから偉い。日本の軍隊は逃げないからいけない。戦(イクサ)は逃げれば勝つんです。徳川家康は逃げ逃げ天下を取つた。一旦負けても、あとを勝てば良い。私は今迄も、最初は負けろと言うんです。で、何時かは勝ちますね。最初から勝とうとするからいけない。この人達は信仰が間違つているから、神様がこの人達をいじめたんです。警察問題になつて、今調べられてますが、之は邪神が信者に憑つたんです。そうして、懲りさせたんですね――神様がね。だから、結局龍神の方に神様が、反つて憑つた。そう言う訳です。猶もう一つは、霊憑りは、不断から言う通り、霊憑りはやつてはいけないんです。唯、或る場合に祖霊や何かが出て、警告を与えると言うのは良いんですが、霊憑りを全然いけないと言うのではないが、それを心得て置かなければならない。然し、霊憑りは面白いので、皆んなやりたがるんですよ。それで、如何なる場合にも常識的に考えれば分るんですね。若しか、精神病なんかにしろ、暴れたりすると、それこそ病院に入れちやうと良い。何故なれば、それでないと教えに瑕をつけますからね。その為に普通の――他の人の浄霊が出来なくなるし、手間をとつて他の患者の邪魔になるからね。ですから結果に於てマイナスになる訳ですね。だから、そう言う場合には臨機応変に処して、暴れたりする事のない様にすると良い。こつちの御神業の邪魔する場合には、然るべき処置をとると良い。今の話は、目茶苦茶に――浄霊一方でやろうと言うのだが――若しも――憑つている精神病者の霊は、浄霊でやつても、そう言う浄霊は、余程こつちの霊力がないと抑える事は出来悪(ニク)い。普通なら浄霊でも治りますが、余程強いのがありますから、そう言うのは、こつちで適当に処置をとる。そう言つた判断が、その人の智慧正覚ですからね。ですから、そう言う点も大いに勉強する。それには私の書いた本を出来る丈け読むと良い。ちやんと書いてありますからね。読み方が足りないと判断を間違えるんですね。ですから、そう言う事も、良く言つてやりましたがね。

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それから今度、地方の講演に――今度は九州の方ですがね。あつちの方面に行く人や、それから西の方、山陰、山陽でしようが――あつちの方にもいくが、私の講演の代りに、原稿を書いて貰いたいと言うので、昨日書きましたが、それを読ませます。

(御論文「⇒舌に代えて」)【註  栄光一三○号】

之は、善と悪に就いて書いたんですがね。之は最も根本的問題です。それを書いてあるんです。つまり悪は必要だと言う事ですね。悪は大変な大きな功績をしていると言う事ですね。こう言う事は、質問される事があるんです。私なんか、よく質問されました。何故、神様は悪を作つて、悪人を作つて、悪い事をさせて、罰をあてる。人間をひどい目にあわせると言うのは、神様の愛と言うのと異うではないか。一体何う言う訳だと言う事を、よく聞かれたものです。その解答とも言うべきものです。

(御論文「⇒善と悪」)

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(御論文「⇒B・C・G問題」「B・C・Gの猛毒」のあとの御教え)【註  栄光一三○号】

之は、今度「栄光」新聞に出して、厚生大臣に送つてやろうと思つている。つまり、霊界の浄化が強くなつているから、B・C・Gが今迄固まつたのが、固らなくなつたんですね。この子供なんか信者だから固らない訳ですね。だから忽ちこう言う悪影響が来たんです。ですから、段々薬が固らなくなるから、今迄なんともなかつたのが悪化する事になるから、嫌でも薬毒と言う事が分つて来る訳ですね。そうなつてから、愈々こつちの出る幕になるんですがね。もう大して長い事はないから楽しみですね。だから、何うしても医学の誤まりはお医者さん自身が分つて来なければいけないんです。そこではじめて、メシヤ教があんな変つた事を言つているが、之だなと言う事が分る。処がお医者さんによつては、私の方の出版物を見ていると見えて、チヨクチヨク私の方の説を取入れている点が見えるんですね。注意していると、大分そう言う事があります。

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十一月八日

(お  伺) 
大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎の家(家族七人の内、祖母、父、母が入信)三男晃三(満九歳)は生来智能低く、今でも涎を垂らして居ります。赤子の時より御浄霊にて育ち、薬毒は御座いません。三週間前より風邪気味の処、或る夜半発熱し顔面蒼白、呼吸困難の症状となり、父母が御浄霊致しますと共に御神前に御守護御願い致し、危機をお救い戴きましたが、その後は譫言を申し、突然起き上る等致しましたが先生に御出張願い祝詞、善言讃詞を奏げ御浄霊を戴きましてから、段々と正気に返つた様でしたが、少量の鼻血が出た丈けで、目ヤニもその頃より止りました。熱は三十八、九度を前後致し、常に額が痛い痛いと泣いて訴えます。食欲は余り無く、駄菓子を間食致します。最近は昼間は下熱し、夜半になりますと高熱を出し、額、咽喉、腹部、耳等が痛いと、連続的に訴えます。そうして御霊光を貼れ、ゴム輪で頭を締めて呉れと大騒ぎをし、母が殆んど夜通しに御浄霊をさせられますが、充分落着いて出来ない始末です。先生に泊つて戴いた晩は大した騒ぎもなく済みます。大小便は普通にあり、発熱時は喀痰がよくあります。霊的に疑わしい点は、光線を非常に嫌い。昼間も雨戸を閉めさせ、お守を見せますと、駄々をこねて嫌がります。又発病一週間位前、何時もは余り行かない前の家(霊友会支部長宅)の祭壇の御供物を貰つて食べた事があります。祖父は八年前に丹毒で死亡致しました。右、原因と御浄霊の箇所に就き御垂示御願い申上げます。尚、晃三の名は明主様より戴きました。

〔御  垂  示〕
薬毒は御座いません――御座いません事はないよ。之は霊的ですね。赤ん坊が憑つているんですね。それで、赤ん坊が相当な薬毒で死んだんです。それで、その憑つている赤ん坊が、段々浄化が起つて来て、その毒が、今出ているんです。非常に結構です。或る時期迄こんな様な具合で、段々良くなります。そうすると頭も余程良くなります。顔面蒼白――之は霊が浮いて来たんですからね。涎を――と言うのは、之は赤ん坊の霊ですからね。こう言う浄化が起つたと言う事は、大変結構なんです。浄霊は頭――前頭部と後頭部から延髄――その辺を良くやつてやると良い。それから人によるが、こゝ(頸部淋巴腺)をみて、腫れていたら、そこをやれば良い。

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(お  伺) 
一家中入信致し、光明如来様も御奉斎させて戴いて居ります。山本久雄(四歳)は、本年の七月三十一日右側急性腎臓炎にて、動くのも不可能となり、激痛を訴えましたが、御浄霊により楽にさせて戴きました。この頃は、右側の体を持ち上げ、横に少しなれる様になりました。初めての御浄化を戴きました頃から四十日程は両足を開き、屈曲した儘で伸ばす事すら出来ませんでした。それが、九月初め頃より、左側腰の横が腫れて、後相当量の排膿を見ましてより、左右両足共少しづつ伸ばせる様になりました。この頃に至つては自由に屈曲は致しますが、足を伸ばした時は、両足が約三十度位開き、ピツタリと揃えて伸ばす迄にはなりません。昨今の体の症状は腎臓部(右側)に膿が溜つている様で柔らかく腫れて、皮膚は普通で、化膿して外へ出る様にも見えず、中々引きません。そうして右側腰骨の上に固い毒結が骨の様になつてをります。それが、起き上る事を邪魔しているのでしようか、それとも其の腫れている膿か水膿かゞ、痛くなる為に動く事を不可にしているので御座いましようか。この様な病人は、治癒迄相当の時日を要するのでしようか。御浄霊箇所は特に天庭、肩部、頸部、鼠蹊部横より腎臓部で、仰けに寝た儘である為背部よりの御浄霊は出来ません。御浄霊の不備な点を御教示願います。尚、この子は平常でも頭を左右に振り、浄化が盛んな時は一日中休みなく振り、見ている方で眩暈がする位です。御浄霊により、この頃は振らなくなりましたが、之は何の憑霊で御座いましようか。尚、当家には大銀杏の木がありましたが、昨年のジエーン台風で中途より折れ、半分が未だ其儘で御座います。之と関聯性があるので御座いましようか。御垂示の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
背部の浄霊は出来ますがね。手を入れて、離さなくても、ぴつたりくつついた儘で、力を入れない様にすれば結構出来るんですがね。そうしなければ駄目です。之は後だからね。台風で折られたのは、別に怨む訳はないからね。憑く場合もありますが、それは大した事はない。こつちでジエーン台風を作つたんじやないから、ジエーン台風にお尻をもつていくのが本当ですからね。之は何ですね。相当腎臓に固まつていたのが溶けたんです。溶けて来たんで、やつぱり動くと痛いんですからね。屈曲した儘で――之は腰ですね。尾骨(ビテイコツ)ですね。之は少しづつ治つていきますからね。そう長くはかゝりませんよ。之は後の方をやらないから、それで長くかゝるんだから、手を突つ込んでそうして力を入れないで、霊を入れるんですから、何でもないですよ。今度の浄霊は、先と違つてそれが出来るんですから、大したものです。右側の腎臓――之は溶けているんですから非常に結構です。それから、首を振るのは、筋(肩の附根)が吊つているんだからね。

(お  伺)
「一日中、大きく振つているので御座います」

〔御  垂  示〕
霊だね。細かいのは吊つているんですが、大きく振るのは霊ですね。動物霊ですね。もう治つたでしよう。

(お  伺)
「今は僅かで御座います」

〔御  垂  示〕
それで解決ついたんです。銀杏とは関係ないですね。振るのは、小さい時からですか。

(お  伺)
「生れつきで御座いますが、御浄化を戴いてから特に激しくなりました」

〔御  垂  示〕
解決ついたから、良いです。もう少しで、ちやんと歩ける様になりますよ。

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(お  伺) 
上古(ジヨウコ)武史(十一歳)は、鼻出血が縁で入信致し、大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎、毎月お祭りさせて戴いて居ります。当時は毎日の様に鼻血が出て居りましたのが、御浄霊の当日から出なくなりました。其後約二カ月後に、二時間に亘り出血を見ました。爾後は半年に一回位づつ一、二時間出ます。本年に入つてから三回出ました。それで、毎回一升乃至二升の出血(胃液と共に)を見るので御座いますが、出る際は右とか左とか定つて居らず、出血の前兆とでも申しますか、必ず一週間位前から鼻づまりが致し、出血が終る時は足先迄痺れると止まります。尚先月より、今迄鼻血の出なかつた祖母(八十三歳)も、三回鼻血を見ました。祖母の方は左の鼻から出ます(右は出ません)。本月三日から、毎日三十分乃至一時間に亘つて出ますが祖母の方は、孫武史と違つて前兆並びに止血する際の変調はありません。二人共鼻血の色は普通の血の色で御座います。孫の方は止血後二、三時間青冷めて居ります。一日経つと全快致します。この原因と御浄霊箇所御垂示の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
面白い苗字だね。何う言う風に出て来るんですか。

(お  伺)
「仰けに寝て居りますと、咽喉に入つていく様で御座いますが、それが又、出て参ります」

〔御  垂  示〕
鼻血に毒があるんだね。薬毒の古い奴です。之は良いですね。之がないと脳膜炎になります。之は、鼻から出ない分丈け――鼻から出切らないで、下にいつて足先迄流れていくんですね。右は出ません――今に右からも出ますよ。変調はありません――少ないからだね。この血は、頭の中にある。前頭部ですね。出る丈け出れば治つて了いますから、之は大変結構ですよ。おばあさんも、やつぱり浄化が起つて溶けて出て来たんだから、之も結構です。寿命が伸びますからね。

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(お  伺) 
梶  悟(カジサトル)(昭和二十四年十月入信。二十六歳)昨年十二月頃より咳が多く出る様になり、脈が百以上打つ様になりました。現在の状態は、午前中は寒く、午後は微熱が出て咳が多く最近は声がかれて参りました。非常に貧血をして居り、痰は出悪(ニク)く、肩が凝り、胸がつまる様で、胃部に力が無く、常にソワソワ致して落着きが御座いません。今年八月頃より恐怖症になり、常に家人の外出を嫌い、その都度脈の数が数えられない位に早く打ちます。脈搏の結滞、浮腫みは見られません。御浄霊は一日三回戴いて居ります。薬は大嫌いで八年前に肋骨カリエスで、右側下部の骨を、長さ二寸位に二本切除致しましたが、大して薬を飲んで居りません。長男で御座いますが、別世帯に致して御神体、御屏風観音様共に御奉斎させて戴いて居ります。両親は一向宗で、入信致して居りません。御垂示の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
之も、面白い名前だね。大して薬を飲んで居りません――と言うが、飲まなくても、この時の消毒薬が大変だ。飲薬より消毒薬の方が、ずつと恐ろしいですからね。之は肋骨を切つた時の、この消毒薬の中毒です。それが固まつたのが、昨年十二月より――ですね。脈が早いのは、咳が出る為ですからね。声がかれると言うのは、其痰に――消毒薬が痰になつたんですからね。それが刺戟して声がかれるんです。胸がつまる――この薬毒の固りが溶けるんです。溶けて圧迫するからです。胸に何かあると、非常に恐怖感が起るものなんです。ですから臆病な人とか、非常に神経質な人とかは、胸を押すと痛いですよ。大して薬を飲んで居りませんでも――相当飲んでいるんですよ。それから、一向宗で――之も悪いですね。つまり、治りが遅い訳ですね。だけど。無理に入れ様とするのはいけないから、放つたらかして置くと良い。今言つた通り、手術した処、そこを中心に周囲を浄霊する。それで、段々治つていきます。その代り、相当長くかゝりますよ。

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(お  伺) 
加藤千代(五十五歳)と申す信者で御座います。昭和廿五年十二月受講中、脳溢血的症状で倒れ数日間人事不省となりましたが、御守護戴き回復させて戴きました。本年七月再浄化戴き、隔日位に御浄霊させて戴いて居ります。(他の日は家族が致して居ります)現在迄余り変化なく、当人も家族も多少焦燥の気味で御座います。症状は不絶頭が重く、折々眩暈があり、稀に吐気があり、記憶力は非常に減退して居ります。七歳の頃、角膜炎の手術二回、この折全身麻酔をし、現在は弟さんの家にて養生中で、そこには御神体奉斎され御屏風観音様もお祀りさせて戴き、日中の気分の良い時は、努めて御神書を拝読させて戴いて居ります。何かと不平勝ちで御座いまして、無い命を救われたと言う感謝の念の乏しかつた事をお詫び申上げます。最近稍々改心致し、不平は無くなつて参りました。御浄霊の重点及び、信仰上改心致すべき点を御教の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
七月再浄化で、三月位しか経たないですね。それで焦燥なんて、余つ程言つてやると良い。中風的症状で、三月や四月で、良いとか悪いとか言うのでは、問題にならないですね。之は普通打遣らかして置くと何十年も治りつこないんですからね。一年や二年は、何にも焦らずに任かせて置くと言う心持ちでないと駄目ですね。病気は――凡ゆる病気は、焦ると言うのが――執着ですからね。何時も言う通り、そうすると治らなくなる。反つて、治そう治そうと言うと、それが逆になりますから、治らなくなる。こう言う事は、家の人に良く言つてやると良い。だから、死ぬまい死ぬまいとすると、反つて死ぬ。そんな事を考えないと、生きる。この間も言つたが、逆効果になるからね。浄霊の重点や信仰上改心する点と言うのは、御神書読んでいるでしよう――結構ですよ。頭ですね。頭に毒が非常にありますから、頭を主にしてやると良い。それから、こゝ(頸部淋巴腺)ですね。それで、少しづつ治つていく訳ですよ。

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(お  伺) 
酒井康祐(五十歳)二十二年六月頃より背中がつゝぱり、激痛を感じ、鍼、灸等をやつているうちに、同年十二月、より以上に悪化し、首より下が全身不随となり入院(東大)致しました。病名は脊髄炎後胎症と言われ、ペニシリン注射三カ月、サルバルサン(三号)二十本、電気マツサージ等の治療を致し、又検査の為脊髄より四回水を取つて居ります。入院後三カ月程して、体は段々動く様になり、八カ月目に退院し、その後は殆んど医薬を用いて居りません。現在は仕事を致して居りますが、発病当時と同じ様に背、胸に痛みを感じ腰、足が突つ張り、主に左が悪く、又大、小便の出が悪く背中、腎臓、足等を強く指圧しても痛みは感じません。尿毒の為と存じますが、体は肥満して居ります。一カ月前より、御浄霊をさせて戴いて居りますが痛みは段々強くなつて来て居ります。右、病気の原因並びに御浄霊の箇所を御教示御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
脊髄炎後胎症と言うのは、おかしいな。之は、薬毒が背中に固まつているんです。それから、腎臓が圧迫しているから、之は、腎臓を主に、背中の痛い処、そこをやれば、きつと治ります。痛んで来れば結構ですよ。浄化が起つたんだからね。相当痛むでしようが、よくそれを言い聞かせて、痛むと言う事は、治る作用だと言う事を納得させる様に説明してやつて、そう言つた事を書いた私の本を読ませる様にすると良い。

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(お  伺) 
当年七十歳(本年九月入信)、廿三歳の時花柳病を患い、両横痃が出た事があり、其の時生卵を食べました処、引つ込んで了いました。其の後鼻の具合が悪く、頭も悪く首も廻らぬ様になり、薬も飲みましたが効果なく、或人より、若い女の人の頭の皿の骨を黒焼きにして飲むと良く効くと教えられ、内証で焼場の人に頼み頭の皿を三個貰い、三週間に飲みました処、今から考えますと、固まつたのか治つて了いました。又淋病も患い、種々薬も飲みましたが根治せず、七十歳の今日迄、排尿時に痛みを感じ、小便の出が悪い時もありま  した。尚、之迄に心臓病及び腎臓病を患つた事もあり、痔も何時も悪く、昨年の九月より小便が全然出ぬ様になり、毎日医師に管で取つて貰つて居りましたが、今年七月より自分で尿道口より管を差込み、毎日十回位取つて居りました。九月入信させて戴き、近頃は日に五、六回管で取つて居ります。小便が溜ると苦しく、幾らきばつても出ず、膿が二、三滴出るのみで御座います。管を差込みますと、最初膿が出て、次に小便が出て、後から又膿が出ます。小便が溜れば苦しくて我慢が出来ず、管を差込んで出す時も、出した後も激痛甚だしく、尚痔の方も、この頃は浄化戴き、腰も痛みます。御浄霊は戴いて居りますが、管を差込まずに出る様になるもので御座いましようか。如何に致しますれば宜敷う御座いましようか。御浄霊の重点に就き御教示賜りたく御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
生卵位で、引つ込むとは――おかしいね。毎日十回位――之は厄介だね。之は理由は簡単なものなんです。今迄色々――花柳病や――色々やりましたが、今迄体に入れた薬ですね。こう言う人は沢山あります。私などもありましたが、段々薬が下に垂れて、下がつて来る。この人は、膿が下つていつて尿道の周囲に溜るんですね。それで、尿道が小いさくなつて圧迫するから、無理して出すと言う事になる。それから痔も、膿が下つて、肛門に溜るんですから、つまり之はみんな薬毒ですね。梅毒とか淋毒と言うのは、大したものではない。そう恐いものではない。薬毒が恐い。それを治そうとする薬毒が恐い。膿が始終下に下つていつて溜る。浄霊すると、段々溶けて来ますからね。それから、小便する時に膿が垂れると言う事は、減つているんですからね。根気ですね。やつていると、痔も起らなくなる。痔でも尿道でも、自分で浄霊すると良いですよ。未だ、入信して間もないが、そう言う様にして根良くやつて御覧なさい。自然に出る様になります。そうすると、楽しみになつて、段々出良くなりますから、非常に希望が出ますよ。こう言うのこそ、何にも心配がなくて、むしろ楽しみなものです。凡ゆる下(シモ)の病気ですね。婦人にしろ――男女共――痔ですね。腰が痛い。足が重いと言うのはみんな、前の薬が段々下に下つていくんですからね。だから、理窟は簡単なものです。その苦痛の処丈けをやつていけば、自然々々に減つていくものです。

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(お  伺) 
杉田哲子(十五歳)九月十二日発熱、頭及び首が痛み下痢があり、二人の医師が心臓病と診断し見離され、其後今日も臥床出来ず、座り続けて居ります。寝ますと胸部が苦しく、家族の者に交替で身体全体を撫でさせ困らせます。御浄霊は日に二回させて戴いて居ります。御浄霊の箇所を御垂示の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
名前が良くないね。頭及び頸が痛み――この浄化ですね。こう言うのは、きつと之(頸部淋巴腺)ですね。之をやると、割合治りが良いです。下痢――結構です。之は頭の毒が溶けて。下痢になるんだから、非常に結構です。

(お  伺)
「膝から下、手の甲が浮腫んで居ります」

〔御  垂  示〕
それは薬毒ですよ。薬毒が垂れていつて、浮腫んでいる。それから、手が浮腫むのは、大抵注射です。注射が溶けると、手が浮腫みますからね。之は、その箇所を浄霊すれば何でもないです。割合早く治ります。寝ますと胸部が苦しい――と言うのは、こゝ(胸部)です。肺が圧迫されるから苦しいんです。こう(左下)寝ると苦しいと言うのは、こつち(右側)に毒があるから苦しい。こつち(右下)に寝ると苦しいと言うのは、こつち(左側)に毒があるからです。之は、胸をやつてやると良い。治りますがね。大した事はない。薬毒ですから、今言つた様にやれば治ります。

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(お  伺) 
私は五十一歳で三男五女の母です。三十四歳の十月に、一カ月程腎盂炎を病んだ事があります。高熱が出ましたので、注射をしたり冷したり致しました。其後はずつと健康で過して参りましたが、時々肩の凝りはありました。処が二十五年五月の中頃に、右の頬骨が腫れて来ました。之は虫歯の為だと思いその儘にして置きました。家人が、捨てゝ置いてはいけないと言うので、痛みませんでしたが歯科医に診て貰い、注射をして抜き取りました。処が十月十日になつても、腫れも引かず、十月十二日に大阪大学病院に行つて診察を受け、レントゲンを撮りました結果、骨腫かも知れないから手術しては何うかとの事でしたが、私は手術が嫌ですから、遂にその儘二十六年の三月迄過して参りました。其間二回も神様に御願する様に勧められましたがついウカウカと過し、四月二日に入信させて戴きました。其後お参りをと思つて居りましたが、長女がお産をしますので、手伝の為浄霊が後れ、六月十九日から毎日、近くの信者の方に浄霊をお願いして居ります。御浄霊を戴くに従つて段々腫れがひどくなつて、鼻柱より高く腫れ上り、何うなる事かと心配しましたが、八月六日に熱の浄化を戴きました。十月の初めから食欲が減り、十月二十六日に又発熱致し、その都度腎盂炎を病んだ処が痛みます。熱は二回共三十九度程ありました。三十日、明主様に御面会させて戴き、三十一日から又浄化を戴きまして、目ヤニはずつと出て居りましたが、五日には口と鼻から、少し血の固りが出て来ました。気分もずつと良くなり、食欲も出て参りました。支部には、月に一度位しかお参り致して居りません。尚、ひどく腫れて居ります。御浄霊によつてお救い戴けますもので御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は、捨てゝ置けば良いんだ。非常に良いんだがね。骨腫かも――骨が腫れるんですかね。鼻柱より高く――結構ですね。之は結構ですよ。どんなに腫れても良い。腫れる程良いんですからね。そのうちに赤くブヨブヨになつて、血膿が出て、それで治つて跡は何にもなりません。

(お  伺) 
「本人も本日御礼に参つて居ります」

〔御  垂  示〕
結構です。もつと腫れると良い。もう長い事はない。もう少し経つと、小いさい穴が開いて出ます。少し湿る様な事はないですか。決して心配はないから大丈夫です。もう直きですよ。それから腎盂炎の処が固めてあるから、少し痛みますが、腎盂炎なんて何でもないです。足は、歩くのに何ともないでしよう。それじや、腎盂炎も何でもないです。

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(お  伺) 
妻前田こずえ(五十三歳)昭和十八年以来御浄霊を戴いて居りますが、十三年来の中風が段々と重くなり、最近は歩行も不自由になり痩せて参りましたが、何分にも下(シモ)の方の不始末で困り居ります。以前御伺い申上げましてから、前後頭部と延髄に重点を置いて御浄霊させて戴いて居りますが、之は一家中の悪因縁を背負つて呉れて居るものと存じ、大切にして居りますが、下(シモ)の不始末の為に粗相があつては申訳ないと思い当人の御守様は大光明如来様の御神前に置き、掛けさせて居りませんが、之でお許しが戴けますでしようか。又、妻に此の様な事がありますのは、未だ私の信仰の度合が薄い故で御座いましようか。御浄化のうちと心得て宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
いけないですね。飛んでもない間違いです。そんなに汚ごす事はないじやないですか。大小便でしよう。お守をそんなに下迄やる事はない。お守は掛けなければいけない。掛ける為に戴くんですからね。紐がついていると言うのは、掛ける為なんです。それでなければ御守護戴けないですよ。よく、勿体ないと言つて掛けない人があるが、之程間違つている事はない。お守は湯に入る時丈けはずして、あとは絶対にはずしてはいけない。お守ですから、一時も離してはいけない。よく、怪我したりする時は、きつとお守が原因ですね。この人もそれですね。根本問題は、お守をはずしている事ですね。固まりが溶けて来たんですが、こんな事はない訳ですがね。悪因縁を背負つても、やはり神様に、それを取つて戴くんだからね。もつと治らなければならない筈ですがね、今言つた様に、お守を掛けさせる事と、それからお守を汚ごす様なら、神様が汚ごさない様にして呉れます。それから、浄霊に力が入り過ぎるんだね。こう言う人は、そういつた肝腎な事を考え違いしている。浄霊の力を入れてますね。力を出来る丈け抜く事と、お守と、頭を始終やつてやれば、もつと良くなります。それから、首の横の両方を見て御覧なさい。固りがありますから、それを良く溶かす。それから、尾骨(ビテイコツ)を良く溶かす。それを主にしてやつて御覧なさい。もつと良くなつて来ます。

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【御  教  え】
之は、今度――つい最近松井さん、鈴木さん、アザブ伸さんと鹿島秀月さんと九州地方に宣伝旅行に行つた時に、つまり私の原稿を欲しいと言うので、非常に懇願するから、それで書いたものです。

(御論文「⇒舌に代えて」)【註  栄光一三○号】

それから、之は「文明の創造」の宗教篇の一節ですけれど、今迄善悪に就いて、本当に説いた者はなかつたんです。勿論、悪はいけない。善でなくてはいけないと言う事は分り切つた話ですが、然し、いけないいけないと言い乍ら、悪があるんですからね。若し、この世の中は神様が造り、神様が経綸しているものなら、悪にも何か意味がなくてはならない。けれども、悪の為に人間が、今の今迄悩んで来たかは、分り切つた話ですが、そうすると、善と悪との関係ですね。何故悪があつたか神様は、善をしろしろと言うし、神は愛だと言い乍ら、悪人は相変らず蔓延(ハビコ)つて、何時の時代でも戦争の恐怖は絶えない。そう言つた事を、根本的に分らなければならない。それを分る様に書いた文なんです。

(御論文「⇒善と悪」)

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「文明の創造」も大体、医学、宗教は書き上つたんです。之から天国篇を書こうと思つてますがね。天国篇は、一番興味があるんですがね。天国――まあ、五六七の世の凡ゆる機構ですね。それを書いてある。政治、経済、教育、宗教、芸術――基礎になる様な事柄の、新しいやり方ですね。それを書いてある。唯、それを扱う人間に悪があると、何んなものでも旨くいかない。それで、先ずみんなが本当に神を知つて、善になれば――なつた人許りで経営したら、非常に旨くいく様な組織を書いてある。もう少し経つと、五六七の世の原稿が出来た丈けづつ順に読みますから、それを楽しみにして居て貰いたい。

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それから、つい二、三日前の、地方の便りですが、こんな事があつた。今度、秋田県の或る村でウンカが非常にわいて困つていた。そこに或る人が来て、それは、肥料をやり過ぎるんだ。肥料をもつと少なくしろと言うので、少なくしたらそれから良くなつた。その人にお礼の意味で、家を造つて、そこに住まわせると言う、美談としてあつたが、多分其の人は、私の書いた本を見て言つただろうと思うが、肥料を減らした丈けでも良くなつたんだから――全然やらなかつたらとは考えないんですね。処が肥料を全然やらないと言う事は出来ない。その点は遺憾ですが、之も肥料の害と言う事の肥料迷信者が、少し許り分つた訳ですね。それで、もう一つ、今度の発表で六千六十六万石と言うんですから、平年作より五百万石位は少ないですね。然し、今年は台風もなかつたんですから、何時もより良く穫れなければならない。去年でさえ、台風があんなにあつても六千四百万石穫れましたからね。そこで、考え直さなければならない。考え直しているが、良い考えが出て来ない――根本が違うからね。「下手の考え休むに似たり」でね。そこで、こつちは、今度大々的に肥料の迷信の目醒ましをやりますがね。その成績が今月一杯に来るでしよう。今年はこつちは、自然栽培の成績は、何処もかも良いです。之を材料にして大いに目醒まし運動をやろうと思う。ひどい処になると、静岡県の何とか言う処は、平年作の四割減で、六割しか穫れない。何かと言うと、虫害――ウンカとイモチ病ですね。之を大いに目を醒まさないと、段々減りますよ。来年はウンと減りますよ。と言うのは何かと言うと、霊界が変つて来たからです。丁度、段々薬で固められなくなる様なもので、肥料の働きが逆になつて来ますからね。之も、今に精しく説きますが、逆になつて来ますから――肥料の効果は反対になるから、益々出来なくなると言う事になつて、恐るべきものですね。今年でさえ、輸入米三百七十万トンとしても大変なものです。金にして千五百億を下らないでしよう。そんな様な具合ですから、愈々――大いに之を知らせなければならない時期になつたんですね。

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十一月十一日

(お  伺) 
昭和十九年一月、娘達に奨められる儘に、何となく講習を受けましたものゝ、生来の無信仰者(電気技師で、何事も科学的に理解する為)で、お守様もおかけ致さず居りますうち、昭和二十四年二月風邪にかゝり、咳が一週間程続き、突然左の耳がジーンと鳴り出し、耳鼻科医師の言によれば、O氏管の入口並びに、深部に数箇の鼻茸が出来て居るのが原因と診断され、病名は「急性中耳加答児」とつけられました。早速鼻茸は手術により除去し、O氏管通風を行いましたものゝ耳鳴りは一向止まず、次第に耳が塞がつた感が強くなり頭が重くなり始めましたので、各処の専門医の治療を受けましたが効果なく、病名もマチマチにて判定せず、最近での専門医の意見によれば「内耳の一部分が硬化症ならん」とて、之に対する治療法に関しては適当な方法なしとの事で、耳は過去三年間鳴り続け、塞がつた感じと頭重が続いて居ります。然るに昨年の暮より本年春にかけて頭重も激しくなり、心臓部に刺戟性の痛みを感じ、時としては歩行も困難になる様になりました。内科医の言によれば「内耳硬化が脳神経を刺戟して生じた一種の神経性の心臓疾患で、一時的のもので時期が来れば治るだろう」とて、本年初夏頃迄に葡萄糖、ビタミンの注射を約三十本位致しました処、耳鳴り、頭重は治りませんが、胸部の痛みは治りました。折から、熱心なる本教信奉者として、日頃余り共鳴致しかねて居りました娘の奨めで、御浄霊を戴く気持になり、七月上旬より教会に通い始めましたが、耳鳴りは大した変化も見られぬうちに、八月上旬自宅に於て、脳貧血症状を起し倒れましたので、爾後出張御浄霊を戴く事になり約一カ月、九月中旬迄戴きましたが、其の間三度大きな脳貧血的発作で倒れ、苦しみました(気分が悪くなり頭重と共に頭がクラクラとし目が廻り倒れて了います)日々頭重と眩暈が不絶起りそうな不安に迫られ乍ら、九月中旬迄続きましたが、御浄霊の効果に疑いを生じ、一時御浄霊を休んで居りました処、十月上旬復々大きな発作で倒れ、医者の診断によれば「身体全体から言えば神経衰弱であり、部分的に言えば脳神経から来た脳貧血で、原因は耳であるから、耳が治れば頭重及び眩暈も治るが、耳は治るか何うか判らぬ」「神経衰弱を治す為に転地でもしたら良くなるだらう」と、寔に心細い答にて、転地をするにも日々の頭重と眩暈の発作を考えれば、身体を動かす事も恐ろしくて、それも出来ず。この上は何うしても光明如来様にお縋り致すより他はないと感じ、信仰心も以前よりは多少起りましたので、再度御浄霊を戴く事になり、新しいお守様も拝受致し今日迄御浄霊を戴いて参りましたが、御守護により其の後は倒れる様な大きな発作は起りませんが、それでも始終頭重と耳鳴りとがあり、眩暈が起るのではないかと言う恐怖感があり、胸も時々痛み、足もズキズキ痛み時折り背中数カ所に痛みを感じて居り、気分の良い時は、一日に僅かの時間です。然し御浄霊を戴きますと楽にして戴けます。耳は聞えなくなつても、頭重と眩暈さえ取れて呉れたらと願つて居りますが、この症状はお救い戴けるもので御座いましようか。原因は単なる薬毒の浄化作用で御座いましようか。或いは何か霊的原因が御座いましようか。尚、既往症と致しましては、約二十五年前胃痙攣で苦しみ、モルヒネ注射十本程致しました。又約二十年前脳溢血症状で倒れ、氷冷二カ月後、軽度の中風症状の為指圧、鍼灸、電気、光線等凡ゆる民間療法をやり、大した効果なき儘仕事を休み、毎日ブラブラと釣等をして居りますうちに、何時の間にか良くなりました。この七年間仕事を休みました。右延髄部に二回腫物が出来ましたが、切開手術で治しました。慢性胃腸病の為、消化剤は沢山服用致しました。尚、祖母渡井ふく(昭和二十三年十二月四日帰幽致して居ります)生前無信仰の為、骨壺と共にお守様を埋葬致しました事を謹しみてお詫び申上げます。

〔御  垂  示〕
耳鳴りは一向に止らず――あゝ、見当が違つているからですね。之は医者の手術が拵えたものですね。時期が来ると治るだろう――と言うのは、お医者の無い国みたいだね。お医者は何の為にあるのかね。之は、何でもない病気なんですがね。O氏管通風――之は悪いんですよ。O氏管通風と言うのは、鼻の穴に管を入れるがね。耳鳴りは見当違いです。延髄です。態々病気をつくつちやつた。鼻茸を手術で除去――除去したのは差し支えないが、その時消毒薬を使うから、それが原因となる。その時打遣らかして置けば治つたが、態々一層輪をかけて作つたんですね。もつと作つたら命が無くなつてます。オデキが二度出来たと言うのは、こゝ(延髄)に固まつている。頭重と言うのは、消毒薬中毒が頭に滲みて重くなつたんだからね。内耳硬化――こんなものは出鱈目だね。胸が痛いのは、肋間神経が少しある。今迄飲んだ薬がすつかり固まつているんです。之は浄霊をやれば治ります。鼻茸――O氏管――之は大した事はない。脳貧血――こう言う人は、こゝ(後頭部)にあつて、之(咽喉)にあります。毒の固りがね。然し、普通の脳貧血でなく、こゝ(咽喉)の浄化熱が起ると、この熱がこゝ(前頭部)に来て眩暈が起ります。之(咽喉)と、之(延髄)だから、之をすつかり浄霊すれば治りますよ。何でもない。転地をしたら――よく転地と言う事を言いますが、あれは滑稽なんです。転地とか、空気の良い処とか、色んな処に行きますが、そう言う処は病気はない様だが、やつぱり、そう言う処にも、病気がありますよ。まあ、一生懸命に神様にお縋りして浄霊して貰うんです。それから、御神書――神様の本を、出来る丈け読みなさい。そうすると請合つてすつかり治ります。延髄部に二回――切開手術――この時の消毒薬が滲みてますからね。之が大変な原因になつてます。それから、霊的関係は全然ありませんからね。その懸念は要りません。

(お  伺)
「脳貧血を起すと、祖母のお守様を骨壺に入れた事を申訳ないと申します」 

〔御  垂  示〕
それは、神憑りでですか。

(お  伺)
「脳貧血を起し、苦しくなつて来ると、そう申します」

〔御  垂  示〕
最初、講習ですか、した時に――無理に奨めたんでしよう。

(お  伺)
「章子さんがお道にたずさわつて居り、戴けば良いと言う事で――」

〔御  垂  示〕
本人の気持でないでしよう。無理は決していけないですね。無理に押しつけたりするのは、何故いけないかと言うと、神様を冒涜する事になる。神様は――人間が、どうかお助け下さいと言うのが、本当で、それは神様の扱いですが、兎に角神様を侮辱する事になる。だから大変な御無礼になる。之は章子さんが、よくお詫びするんです。それで、もう出来ちやつたのはしようがないから、お詫びして、今後そう言う事はないように。

(お  伺)
「父がお守様を掘り出してと言うので御座いますが――」

〔御  垂  示〕
焼いたんでしよう。

(お  伺)
「焼いて居りません」

〔御  垂  示〕
気になるなら掘つて出したら良い。それでも差し支えない。出したら、よく包んで、浄い処にあげて置けば良いです。それから、病気は霊的じやありません。病気は、お医者で作つた病気です。

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(お  伺) 
昭和二十四年六月光明如来様を御奉斎、千手観音様もお祀りさせて戴き、家族七人入信致して居ります。昭和三年に神奈川県高座郡大和町に移転しましてより出産致しました子供は、いずれも三歳位より耳が遠くなり、現在長男(十八歳)三女(十四歳)四女(四歳)がそれで御座います。今日迄医療は施して居りません。指圧致しましても苦痛はなく、最近になり更に遠くなつた様に感じられます。当地は現在町でありますが、当時は広い松林を開拓して建築した処で御座いますが、右御浄化と関係が御座いましようか。又今後何の様に致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
別に、他の人が切つたんだから、それが祟ると言う事は、おかしいですがね。中には居所がないので憑らないとは限りませんがね。然し、そう言うのは浄霊すれば、直きに良くなります。そう深刻なものではないからね。やはり他の因縁ですね。私の処の子供も、二人共耳が遠いんです。男の子ですがね。最初は丸つきり聞えなかつたが、私が始終浄霊する様になつてから、半分か半分以上聞える様になつた。普通はそう不自由はしない。然し普通の人の様にはいかないが、年々良くなつている。だから、浄霊で或る程度良くなります。私の長男の方は、良く解つている。人を助ける為に川に飛び込んで、その為に溺死して、その時に耳を傷めて、それが生れ変つて来た。気長に浄霊しなさい。それで耳の――耳下ですね。之に固りがあります。それから、延髄ですね。そこに必ず固りがありますから、それを溶かす。そうすると、少なく共半分以上治ります。それに現在は霊界の浄化が起つているから、治ります。

(お  伺)
「三歳位迄は不自由でなかつたそうです」

〔御  垂  示〕
それじや、すつかり治ります。中途からならね。

(お  伺)
「先祖の関係は御座いましようか」

〔御  垂  示〕
無いとは言えませんがね。

(お  伺)
「松山の木龍と関係が御座いませんでしようか」

〔御  垂  示〕
無いでしよう。その事は、書いてないじやないですか。他の人が切つたんでしよう。

(お  伺)
「左様で御座います」

〔御  垂  示〕
それなら無いですね。そんな事では、人間が堪りませんよ。

(お  伺)
「然し、命じて切らせたので御座います」

〔御  垂  示〕
それはいけない。それじや危ぶない。それは、大いに関係があります。切らしたとか、切つたとか言えば、先方が怨んだり、憑くのは、関係が――理窟がありますからね。こつちがやつてないと理窟がないから、浄霊で良いが、この人が命じたとしたら危ぶない。それだね。よく光明如来様にお願いして、この霊を救つて戴きたいと、そうお願いして、この家に松はあるんですか。

(お  伺)
「御座いません」

〔御  垂  示〕
松を植えなさい。二本植えるんですね。

(お  伺)
「男松、女松でしようか」

〔御  垂  示〕
それはどちらでも構わない。それが夫婦であるか、ないか分らないからね。そうして置いて、光明如来様にお願いして、松に移る様にお願いすると良い。くつついて居るから、直ぐには移らないが、段々浄化されて、或る時期が来たら移ります。命令したとしたら、それに違いないですね。

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(お  伺) 
過日お伺い申上げました本山あやめ(四十三歳)で御座いますが、御守護により大変楽にさせて戴きました。現在は尿は普通に出て居り乍ら、浮腫みが依然として引きません。蛇の祟りだと御垂示を戴きまして、本人に聞きました処、五年前に兎を食べに来た青大将を半殺しにして、枯草にて焼き、ブツ切りにして鶏に食べさせたそうで御座います。本人は今更乍ら後悔致して居ります。発作は、夜も昼も二、三回位起きます。発作が起きますと、非常に苦しみ、胴は締めつけられる様で、浮腫みが固くなります。足の方も固くなり針で刺される様な苦しみで御座います。発作の状態は蛇が焼かれて苦しむのと同様で、浮腫みの処より油の様なものが出ます。又手足の筋が吊り上り、息苦しくなり、二目と見られません。右の様な状態で御座いますが食欲は健康者以上で御座います。何卒御垂示賜り度御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
蛇だから締めるんだね。蛇の祟りですね。之は祖霊かも知れないな。だから、よく光明如来様にお願いして、こゝ(前頭部)を中心に全体をやれば良い。そうしているうちに、自然々々に蛇も承知して、蛇が救われて来ますからね。そこで、光明如来様にお願いする場合に、蛇の霊を救つて、早く人間に生れ変つて来る様にと言つてお願いする。それが、蛇が一番喜ぶんです。蛇が殺されても、人間に生れ変る様にと言うと喜びます。私も箱根に居る時分に、ちよいちよい出て来るんで、殺したんですが、直ぐ人間に生れ変る様にと言うんです。すると喜ぶんです。喜ぶと言うのは――直ぐに憑つて来ますからね。気持が良くなる。

(お  伺)
「夜中にお腹が空くので御座いますが――」

〔御  垂  示〕
それは、蛇が食うんだ。

(お  伺)
「光明如来様は教会にお預りして居り、お寺の様な処で、お祀りする様な処がなく、そこも出て行く様に言われて居ります」

〔御  垂  示〕
立退き命令か。行き所がないのかね。

(お  伺)
「東京に何かあるそうです。本人はお縋りして居りますが、村では評判になつて居り、医者にかけないで、そんな事していると、注目して居ります」

〔御  垂  示〕
それじや、悪いな。村人の霊が邪魔するんです。

(お  伺)
「汽車に乗れる様にして、それから親戚の所へでも」

〔御  垂  示〕
それが良いですね。然し、少しづつ良くなつているんですか。

(お  伺)
「はい。お蔭様で――浮腫みはありますが、食欲は――」

〔御  垂  示〕
それは浮腫みが極く軽いんです。固まらないからね。そう言う方針にしたら良いでしよう。そう言うのは、やつぱり村の人の霊が非常に邪魔するから離れないと駄目です。と言うのは、あんなものにかゝつて迷信だ。医者にもかけないで、けしからん。と、邪魔するからね。死にでもすると、そうら見ろ、言わない事じやないと言う。それも、やつぱり邪神がやつている。若しか、あんまり邪魔するんなら、医者にかける様にするか。

(お  伺)
「本人は――この儘死んでも、医者にはかゝらないと、本人が親戚に納得させているので御座います」

〔御  垂  示〕
それじや可哀相だから、今言つた様にしたら良いでしよう。

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(お  伺) 
信徒、岡田洋一(十一歳)十一月七日より頭痛を訴え、一回の御浄霊後、全身発熱、頭痛は一層激しくなり、軽い咳を伴い右胸部、下腹部に激痛を加え、頭部以外は、御浄霊をすると直ぐ痛みは無くなりますが、痛みの箇所が胃部、胸部、横隔膜等へ転々と移動し、頭痛以外は、短時間にて楽になります。頭の中心は、御浄霊六回にて熱も三十七度程となりましたが、尚軽痛が残つて居ります。浄化発生より三昼夜にて、衰弱度強く両眼充血し、黄色の目ヤニが出始めました。時折り憑霊現象の様な言葉を発しますが、意識は判然として居ります。憑霊現象の様な時は、腹に長い虫が居て、祝詞奏上の時は苦しんで暴れ、善言讃詞奏上の時は静かに聞いて居り、非常に楽になつた。又咽喉に居た虫は、知らない男の人が取つて呉れて楽になつた、等申しました。食欲は普通の半分程度にて、眠つた時口の中でブツブツ言つて居ります。家族全部入信し大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴いて居ります。

〔御  垂  示〕
之は、最初脳膜炎だつたですね。軽い脳膜炎ですね。之もやつぱり蛇の霊が憑いてます。痛みが移動しますからね――霊はね。蛇の霊は割合弱いですよ。どんじんいきますからね。追つかけていつてやると、段々弱つて来る。脳膜炎の方は峠を越したから、もう良いですよ。両眼充血し、と言うのは、峠を越した状態です。毒が溶けて出て来たんです。善言讃詞奏上の時は――之は良く祝詞の何を現わしている。天津祝詞――あれは浄め方が強いですから、そこで苦しい。善言讃詞の方はずつと柔らかい働きをするからで、それが良く現われてますね。咽喉の虫――と言うのは、他の虫ですね。蛇の子かも知れないがね。男の人と言うのは、神様です。之は大した事はないです。段々良くなりますからね。心配要りません。

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【御  教  え】
之は、この間、地方宣伝の為に松井さん、鈴木さん、アザブ伸、鹿島秀月さん達が、四人行つたその時に私に原稿を書いて呉れと言うので、そこで、書いた原稿です。

(御論文「⇒舌に代えて」)【註  栄光一三○号】

善悪の事を、よく言いますがね。之はあんまり説いた人はないし、それから、中々説けないですよ。けれども誰でも、何の為に悪と言うのはあるんだと言う――神様の事が分る程、そう言う疑いが起るんです。で、悪と言うのは、大変な大きな役目をしたんです――今迄はね。それと、将来悪と言うのは、何う言う事になるかと言う、その関係ですね。それを、出来る丈け分り易く書いたんです。

(御論文「⇒善と悪」)

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十一月十五日

(お  伺) 
私の家にて現在世話をして居ります教師山下暉弘(五十二歳)は、十三歳の時右眼の手術をしてより、三回右眼の手術をし、十九歳の時に脳を患い医師の治療で治り、二十九歳の時に米俵を抱える機勢(ハズミ)に、腸にひゞが入つたとかにて、腸の手術をしてより腰の痛みを覚える様になり、本教を知る迄は腰を木の棒にて家族の者に叩かせて居りました。三十五歳の時に肺炎の様な状態となり、売薬で治りました。四十二歳の時に盲腸を患い、其時は夢のお告げで、鰯の腸を煮て一日食し、治りました。四十八歳の五月に入信し、十一月より一家中疥癬の御浄化を戴き、翌年九月に良くなりましたので、御本部に御礼詣りに上り、その時より痔出血をする様になり、それから三年間ボツボツ出血して居りましたが本年三、四、五月は毎日五回位出血する様になり、六月には貧血状態にて倒れましたので、家へ引き取り御浄霊を致して居りました処、出血も止り血色も少し出て参り元気を取戻し、十月十五日には御本部に御参拝に上りました。帰つてより又御浄化を戴き、一カ月程前より家に帰して居りましたが、十月二十一日より又世話して居ります。少量の出血をしてをり、生来の色白の肌が血色なき為に蒼白となり、食欲旺盛で、痩せは致しませんが、足がふらつき起きた瞬間など視界がみんな黄色になると言つて居ります。頭もぽーつとして居り二、三日前より尿量が減り、顔が浮腫んで居ります。入信前迄は凡ゆる薬を飲んだと言つて居ります。如何致しましたら御救い戴けましようか。尚山下さんの奥さんは先夫二名に死別致して居ります為、五日程前に其の二名の位牌を作り、山下家の仏壇にお祀り致しました。それより山下さんの頭がボヤけ、顔が浮腫んで来た様に思われますが、亡夫位牌との関係が御座いましようか。

〔御  垂  示〕
腸にひゞが入るなんて――丸で瀬戸物みたいだな。目の手術をした――この為に脳を患つているんですね。そんなこんなで、薬は相当入つている。それが腸に溜つて、米俵をかつぐ機勢(ハズミ)にその薬毒の固まりが――浄化が起きたんですね。それで、腰も続いて浄化が起つた。売薬もやつぱり悪いですからね。痔出血は頭の血ですからね。之はみんな毒血が出た訳だけれども――誰が浄霊しているんですか。何処か――急所がはずれているんじやないかな。固まりがあるんですか。

(お  伺)
「以前はありました。現在一日三回位致して居りますが、腎臓をやると非常に暖かくなり、目も見える様になり、腰のふらつきも良くなります」

〔御  垂  示〕
それじや、今は腎臓ですね。それで、良く治る訳ですがね。熱は無いんですか。

(お  伺)
「平熱で御座います」

〔御  垂  示〕
腎臓に固りがあるんですか。

(お  伺)
「多少御座います」

〔御  垂  示〕
押して痛い程じやないんですね。

(お  伺)
「左様で御座います」

〔御  垂  示〕
腹は。

(お  伺)
「柔かい様で御座います」

〔御  垂  示〕
もう直き治るでしよう。別に大した事はない。腎臓と背中――それで良いです。亡夫位牌との関係――無い事はありませんがね。そう言う場合には、この人に憑つて、霊が浄霊して貰いたいんです。之は、そう長くはないですね。どんどん解決します。

………………………………………………………………

(お  伺) 
藤田佳子(十五歳)昨年四月入信致しました。只今禿頭病にて頭髪全部脱落して了い、この状態が三、四カ月続いて居ります。本人は三、四歳頃より少しづつの同病があり電気治療、医療其の他を、昨年入信迄続けて居りました為、其の浄化作用と存じますが、この儘御浄霊を続けさせて戴きましたら、毛は生えて来るもので御座いましようか。尚本人の父は、先月御資格をお願いして、熱心に御用させて戴いて居ります。御浄霊箇所を御垂示御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
頭髪全部――之は困るな。禿頭病と言うのは治ります。色んな――電気かけたり、薬を塗つたりした為に治らなくしてあるんだから、それ丈け手間がかゝるんですね。そんな事をしてなければ、割合早く治るんです。気長にやれば治ります。頭に毛が生える様に神様がつくつてあるんだから――生えないと言うのは、薬毒が――親の毒だか、本人の毒だか――兎に角、毒が固まつている。草の生える様な処に肥料ぶつかけた様なものですね。だから、それが取れるに従つて生えて来ますからね。相当に色んなもので攻めてあるから、時日はかゝります。と言つても、そう長い事はないですね。充分に見ても、一、二年かゝる積りでやつたら、まあ――治りますね。やる処は、頭全体ですね。それから首の廻りと、大体それで良いです。

………………………………………………………………

(お  伺) 
池田修二(三十歳)昭和十六年左湿性肋膜炎に罹り、二年後左肺浸潤を患いカルシウム注射、漢方薬、縞蛇二十匹をやり、更にセフアランチン数本を注射し、一時小康を得ましたが、二十二年(四年後)に再発致しました。同年三月入信させて戴き、数回の御浄霊で元気にさせて戴きましたが、其の後疥癬、急性腎臓炎の御浄化を戴き、本年三月頃より衰弱が加わり、食事は茶碗に軽く二杯、一日二食にて時々吐気を催し、唾の様な苦い液体が出ます。雨の日や寒い日は起きる事が出来ません。午後になりますと三十八、九度の発熱があり、常に上半身に微熱がありますが、御浄霊を戴きますと下熱し気分が良くなります。夕刻一キロ位ゆつくり歩いて居りますが、僅かな坂でも相当に息苦しく感じます。痰は相当多量に出て、毎日軽い下痢が御座います。又黄色の小便が多量に出て居ります。発熱時は非常に肩から腎臓の固い処が痛みます。現在三、四日置きに教師の方に御浄霊戴き、自分でも致して居ります。御浄霊の急所を御教えの程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
之は順調です。色んな――この為に治るものを治さないで置いてあるんですね。之で固めて、浄化が起つて、今度は薬毒の浄化も加わつた訳です。それから熱が出ると、やつぱり食欲が減つて体力が消耗するから、相当衰弱は致し方ないですね。時々吐気――と言うのは薬ですね。結構です。唾の様な苦い――之も薬毒です。之は、元肋膜をやつた時の、その水――湿性肋膜だからね――それが固まつているんだから、それで肺浸潤をすれば治るんだけれども、肺浸潤も止(ト)めちやつたからね。それで治るんだがね。浄霊の箇所は、肋膜の箇所で良い。こうやつてみると、固りがありますよ。背中と横腹の間――胸ですね。そこを押してみて、痛い処があつたら――グリグリがあつたら――そこを浄霊すれば良い。私も始終やつてますが、五十年位前に肋膜をやつて、今もやつてますが、大分溶けて来て、非常に具合が良くなつている。之はやつて居れば治るから、ちつとも心配要らない。痰になつて出るんですから、何も心配する事はありませんよ。それから胸です。胸を押すと痛いですからね。私なんかも、やつぱり痛いです。自分でやつてますが、段々具合が良くなつて来る。今迄に覚えない位気持が良いです。尤も五十年ですからね。五十年経つても、薬毒と言うのは固まつたきりで、溶けないですからね。

………………………………………………………………

(お  伺) 
大橋健次(二十六歳)昨年九月頃より左奥歯の附近が腫れ上り、痛みに耐えかね医者に診せた処親不知歯が生えた為だと言いますので、抜きました処が段々腫れ上り、激痛の為医師に通いビタミン注射其の他の注射数十本致しましたが、何の変化もなく、御嶽教の祈祷師に見て貰つた処、之は大変なお障りがあるから、お縋りすれば簡単に治ると言われ、四十日程縋つて居りましたが、何の変化もなく、其の後浜松の専門医に診て貰いザルコームと診断され入院致しました。ラヂウム治療を二十日程続けましたが、ラヂウム治療の痛みに耐えかね退院致し、本年三月お道のお話をお聞きし、御浄霊を戴き、御守護により大変楽にさせて戴きましたが、六月頃より又化膿し始め、口中は物凄く腫れ上り顔半面二カ所に、丁度瓢箪型の様に腫れ、口は開かず流動物丈けを摂つて居ります。御浄霊を戴きますと、血と膿の様なものが流れる様に出ます。常に沢山出て居ります。十月頃から、左半身特に足の方が痛み、中々腫れて居ります。本人は一心にお縋り致して居りますが、家族は未だ入信致して居りません。尚、御屏風観音様は御奉斎させて戴いて居りますが、御神体は未だで御座います。御浄霊は、患部及び腎臓で宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は本当に危ぶない処でしたね。最初、左奥歯の附近――之は打遣らかして置けば、こんなに腫れて、それで治つちやつたんです。親不知歯が生え――と言うのは、之は要するに見込み違いですね。親不知歯が生えたと言つても、そんなに痛むものではないです。激痛と言うのは、他の原因です。こゝ(歯)から毒が出ようとする。下歯の痛みは、之(頸部淋巴腺)がこう(下歯に向い)いく。上歯のは頭の毒がいく。段々腫れ上り――見当違いだからね。ビタミン――之が悪いな。御嶽教で何の変化もない――やつぱり、一種の詐欺ですね。神様詐欺と言う奴ですね。私は――ひどい言い方かも知れないが――治ると言つて、そうして色んな事をして治らないと言うのは――悪意ではないが、結局一種の詐欺ですね。ラヂウム治療の痛みに耐えかね――と言うんだから、之もやつぱり詐欺ですね。痛みが減るなら良いが、余計痛むんだからね。つまり、元からあつた毒と薬毒ですね。それが、こゝから血膿になつて出るんですから、大変結構です。常に沢山――結構です。之は、出る丈け出れば治つちやうんだからね。特に足が痛みます――それは、足の方迄流れるんです。之は浄霊すれば順々に治つていきます。之はひどい様に見えて、割合楽な病気です。大分原料が沢山あるから、それが出るのに時日がかゝる――と言うんです。患部と、足の悪い処は、足と――そう言う処を浄霊すればそれで良いです。

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【御  教  え】
霊憑りと言うのは、私は始終注意して居ますが、最初は非常に興味があるものでね。私なんかも最初は随分やりましたがね。結局、之は弊害があるんですね。私は霊憑りをやつて懲りた事がある。それから、やらなくなつた。それは、或る青年ですが――大本時代ですが、その男は――店に使つていた――その時分は商人でしたから、店で使つていた店員なんです。それが、大本教で熱心になり、それで――大本教は鎮魂帰神と言つて、こう言う恰好で、指の先から霊を出す。浄霊と同じ意味ですがね。それをやつている内に、色んな霊が憑る様になつた。憑ると面白いから随分やつた。そのうちに遂々精神病になつて、鉄道線路に行つて轢かれて死んじやつた。それで、私は神憑りと言うのは、危険なものだ。すべきでない、と。それで、私は止(ヤ)めちやつた。そう言う事が、あと一二件――頭のおかしくなつたのがありましたが、それは治りましたがね。そんな訳だから、霊憑りと言うのは、余程危険なものですね。処が良い場合もある。それで私は、霊的研究を段々していくうちに、良い――悪い、色んな事が解つて来ましたから、それで、良いのと悪いのとの区別が判る様な知識ですね。霊的知識――それを得られゝば、そう危険はないんですが、それ迄には相当な修業と経験が要るんですよ。ですから、一般には非常に難かしいのと、それから霊界が昔と違つて来ているので、今はそんな事をしなくても、人を救う事が出来るんですから、全然霊憑りに触れないで、霊憑りはいけないものだと、決めてやるのが一番安全であると共に、霊憑りに触れる人はやつぱり発展しないんです。神様が嫌うんです。だから、霊憑りに重きを置かない人は発展するんですね。本当のやり方です。この間も書いた通り、バラモンから出たものですからね。現在、西洋で霊憑りを使つてやりますが、之は科学的なものだから大した事はないが、日本の行者とか、日蓮宗とか、精神病が出るんですね。本当のものじやないからね。そう言う意味を精しく書いて、新聞か雑誌に出そうと思つているが、之は、今の神憑りに対する根本的の事と、それから大体知つて置くべき丈けの事を書いてありますからね。

(御論文「⇒霊憑りに就いて」のあとの御教え)【註  栄光一三三号】

之に就いて、書き足りない点があるんですがね。霊視能力と言うのがありますね。人間は――霊の見える人ですね。始終見える人は狐が憑いているんですね。だから危ぶないですね。肝腎な事を正守護神が知らせ様とする場合に、一寸――パツと見せるんですね。之は本当です。それから、光が見えるのがあるが、之は差し支えない。よく、人間の姿ですね――そう言うのが見えるのは――始終見えてはいけないですね。必要な時に一寸見える。それで、神様は――本当の神様は実に簡単なものです。無駄がないんですね。ですから、人間も本当に信仰が徹底して来ると、そう言う風になるべきものですね。それは、他愛ない――普通は幾ら喋つても、面白くても、唸つても良いですが、肝腎な事は、急所々々に触れる。それが神様のやり方です。よく――女に多いですが、のべつまくなくベラベラ喋るのがありますが、之は狐が喋るんです。何を喋つたか解らない様な――それがよくありますがね。まくし立てゝ、人に喋らせないですね。話でも、人に話させない様にするのは狐霊と思つて良い。話は聞かなければならないですね。だから昔から「話上手に聞き上手」と言うのがありますからね。然し、聞く丈けで――感心したり、解つたなと思うと、案外解らない。そこで、一番良いのは、人の話を良く聞いて、隙が出来たら、こつちの話をする。それからもう一つ受け答えですね。受け答えが満足に出来る人は、外国人には案外多いですが、日本人には割合無いですね。受け答え――返事が急所をはずれる人が多いです。聞こうと思う処にぶつからないで――それは聞き手のまずい場合もありますが――私なんか、何か聞いたり話したりしても、それに対する受け答えが満足な事は滅多にないですね。それで、その人が頭が良いか悪いか一番分りますね。男には割合多いが――女の方には寔に申訳ないが――非常に少ない。

それから、話術――術ではないが、話したり聞いたりする処置ですね。之は大いに勉強しなければならない。と言うのは、間(マ)ですね。間(マ)が非常に肝腎な事です。先方で――話なら話を聞く事がありますが、中には間髪を入れずに聞く事があるし、それから順々と言う事があるし、その――一つの調子ですね。まあ、芸術みたいなものですね。之は大いに勉強するんですね。何処迄も簡単明瞭に言う。それから、急所を掴むんですね。ですから、相手の様子ですね。興が乗つて、耳をそばだてゝ来るか、或いは大して――先が聞きたくない――興が乗らない時は止して了う。それで、趣味とか聞きたい事を洞察して了う。こう言う煩悶があると言うのだから、こう言う解答をする。この人には、こう言う喋り方なら解るだろうとか、インテリならインテリ――普通人なら普通にと、立て別けなければならない。之は、大変な芸術なんです。そこで、環境、空気、一人対一人、二、三人と話す時に、多勢に言う場合、土地の習慣或いは、一つの色がありますね。九州の地方の人と北海道の人は違いますね。九州は、昔から古い人が居て――中々、九州魂と言うのがありますからね。

それから、北海道と言うのは、移民ですからね。移民と言うのはおかしいが、地つきの人と言うのが少ない。地つきと言うのはアイヌですが、皆んなこつちから渡つた人ですからね。そう言う人は、色がありますからね。東北の人、上方の人、江戸つ子――皆んな違いますからね。それに対する、色んな言い方――やり方がある訳だからね。そうなると難かしくなるが、そんなに難かしく考えなくても――そんなのがある訳ですね。

それから、物事を難かしく考えてもいけないし、単純に考えてもいけないですね。何うしてかと言うと、考え過ぎて結果が悪い事があるんですね。だから、出来る丈け単純にですね。私なんかも難かしくなる事があるが、極く単純に考える。そうして、あとは神様に任かせるんですね。だから始終気が楽です。人間は、気が楽だと良い考えが浮ぶんです。気が楽でないと、良い考えが浮ぶ余地がないんです。ですから、始終頭の中を空つぽにして置くと、良い考えが浮び易いです。

それから、良い考えと言うのは、正守護神がヒントを与えるんです。神様は、人間に直接と言う事はない。正守護神に知らせて、それから来る。処が、頭に一杯あると、知らせても――アンテナが、働きが悪いんです。だから、良い考えが浮ばない。と言うのは、そう言う訳ですね。之は、一種のインスピレーシヨンみたいなものですが――始終、ゆつたりした気持でね。処が、色々な心配事や、気にかゝる事があると、そうはいかない。処が、やり様によつて、そうではない。私は、昔はよく気になる事が、色々あると、他の事は頭に入らない。処が、段々信仰に入つて、そう言う事は、神様にお任かせして了うと言うと、忘れちやう。之は、そう言う癖をつけちやうんです。一種の修業ですね、よく他の人が、色々な心配事を言うが、私は笑つているので、喫驚りして了う。普通の人では、それが出来ませんよ。それに就いて書いてある。

(御論文「⇒お任かせする」のあとの御教え)【註  栄光一三一号】

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それから、之は関聯した話ですけれども――嘘ですね。日本人の特徴の様に思いますが、日本人は実に嘘を吐くんです。嘘を吐くのが、意識的に嘘を吐くんじやない。嘘を吐くのが習慣になつている。自分で、嘘吐くのが分らない。それ程に、嘘が身についているんですね。色々、人の話を聞いていると、本当に正直に言うのは、恐らく無いと言つても良いですね。必ず嘘があるんです。その嘘が――本人は嘘と思わないで、本当だと思つている。その場合に私が、この点が嘘で、之が本当だと言うと――それでも解らない人がありますね。そうすると、こう言う場合に、之が本当で之が嘘だと言うと、成る程と言う。簡単な事を、態々嘘を言つてやゝこしくする。之は、偉い人に多いですね。何か問題が起る。すると――正直にすると簡単に解決する。それを、やゝこしくしている。私に、こう言う事を言つた人がある。この場合にこう言つた方が良いですよと言うが、嘘なんです。その御忠告の通りにやつて見ると、成績が悪いんです。何か、そこに――スラスラいかないんです。それで、私は思つた通りにやる様にした。思つた通りにずばつとやる。すると、良い。正直が一番良いですね。正直にしていると、何も頭に残らないから――気か咎めないから良い考えが浮ぶ。嘘の執着ですね。だから、嘘か本当かゞ、自分ではつきり分れば、そこではつきり標準が出来る。頭の居所が上になるんですね。特に信者は、正守護神から色んな事がある場合に、頭を空つぽにすると言うのは、嘘を吐かないんですね。又、自分に不純な心がなければ――誠意があれば、幾ら本当の事を言つても、一向差し支えないんですからね。よく――以前なんか、家内なんかゞ私に、そんな事を言つちやいけませんよと言うんです。然し、私は何でも有りの儘に言うんです。すると、案外先方は好感を持つんですね。私なんか、随分ひどい事を言う事があります。今はそうでもありませんが、以前の――駈け出し時分にですね。はつきり言うんです。すると、先方が怒りそうなものだが、怒らないで笑い出したりします。この点アメリカは非常に正直だと思いますね。映画を見ても、言葉が書いてあるが、あれを見ると、実に正直で、日本人には見られない様ですね。だから、アメリカの社会が明瞭だと言うのは、そう言う事ですね。尤も、日本人は封建時代から抑えつけられていたから、はつきり言うと誤解されるからで、之は政治の為ですね。以前は、全て曲げなければならない。最初の、「明日の医術」「天国の福音」――「明日の医術」なんか、随分曲げて書いてある。ぼやかして書いてある。徹底しないと言うが、徹底して書けないですね。「天国の福音」になると、余程違つている。この頃になると思いきつて書くから、徹底してますがね。でも未だ、お医者や何かに気兼ねして書いている。今度の「文明の創造」なんかは、全然そんな事なく思つた通りに書いてある。世界を相手にするので、やゝこしい書き方の必要もないし、それじや徹底しないからね。それから、言論の自由から言うと、何ら差し支えないからね。どうせ今に出るから、見ると良く分りますがね。

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十一月十八日

(お  伺) 
沢田敬哉(二十六歳)六年前肋膜にて入院、三カ月後医師の診断の結果、異状なく会社に復職、一年半後に脊髄カリエスと  なり灸、鍼にて大分楽になり、二カ月間休んだ丈けで、一年六カ月勤務して居りますうちに、右腎臓部が腫れて痛みが激しくなり、又鍼、灸に頼りましたが効果なく、一カ月後に多量の血尿が出ましたので医師に診せた処、腎臓結核と診断され摘出手術を致しましたが、その傷は今も塞がらずにをります。其後膀胱結核、副睾丸結核(片方摘出)腹膜等になり、昨年十二月左腎臓部が腫れ上り、切開して膿を取り、今年五月退院し、現在軽微な腰痛と右切開部より少量づつ膿が出て居ます。発病時より最近迄、多量の服薬と注射(主に葡萄糖、カルシウム、ビタミン、ペニシリン七、八十本、マイシン二十本、パス七百グラム等)を致しました。現在体重は五十一キロ、平熱で食欲はあります。只今の処は御浄霊を戴いて居りますが、十二月に入信を希望して居る者で御座いますが御救い戴けましようか、御浄霊の急所を御垂示の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
之はどうも、余りいじくり過ぎちやつたんで、確実な事は言えませんがね。まあ、御浄霊して、それこそ無理をしない様に、普通でやつていくんですね。別にいけないとも言えないし、請合う事も出来ない状態ですね。今迄の経路を話して見ますと、最初肋膜の時に固めたんですからね。それ迄に、水が下つて脊髄に固まつたんです。それを、脊髄カリエスと、こう間違えて――鍼、灸でしよう――又固めたんですね。それから腎臓部に肋膜の水が下つて固まつた。そこに浄化が起つたんだから、打遣らかして置くと良かつた。腎臓から滲みて小便になつて出ちやう。効果がない――と言うのは、浄化が強かつた。固まらなかつた。一カ月後に多量の――と言うのはそれが溶けて小便になつて出るので、非常に良かつた。それを――之は放つたらかして置くと、みんな治つたんですがね。医者が、みんな拵えたんですね。気の毒なものですね。傷は今も塞がらず――塞がらない方が良いんです。出る丈け出た方がね。之は、消毒薬中毒ですね。その為に容易に塞がらないんです。副睾丸結核――それは、腎臓摘出の時の消毒薬ですね。それが滲みて、下つていつた。之は、よく生きてますね。右を摘出したので、左の方に毒が寄つて来たんですね。何にもならない。結局両方取らなければならないが、両方取つては命が無いから、しようがないですね。どうも、しようがない。一番恐ろしいですね。自然に出ると言う事を医学は知らないんですね。何も取らなくても良い。自然と言う事を全然無視してますね。小量づつ出ているから非常に結構なんです。平熱で食欲があるから生きている様なものですね。一週間に二回位にね。気長にやつていると、何うやら生きて居る丈けには治るでしよう。之は何うとも――請合うとか、色々な事は言えませんね。と言うのは、薬を何の位やつているか、切開手術を何う言う風にしているかでね。私がやつた訳ではないから分らない。

(お  伺)
「入信は差し支えないので御座いましようか」

〔御  垂  示〕
結構ですよ。差し支え――なんて。どつちにしろ、入信しなければ駄目ですよ。入信したら、少し生きるかも知れないが、入信しなかつたら数年ですよ。だから、偶に――浄霊を一週間に二度位で良いと言うのは、入信しての話ですよ。入信してなかつたら、一週間に二回でも駄目ですよ。

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(お  伺) 
昭和二十三、四年と二回右頸部淋巴腺が腫れ、二度手術を受けました。処が昨年舌癌との事で又手術をし、其の後十四回程レントゲンをかけましたが、又首が腫れ、本年二月と七月前後五回に亘り手術を致しました。度々手術を致しても思わしくなく困つて居りました処、知人からお道のお話をお聞きし、本年七月私と二人入信し浄霊を戴きまして今日に至つて居ります。八月から又、耳下腺及び顎下淋巴腺大小四箇腫れて参り首が締めつけられる様な圧迫感を覚えます。手術の折、右唾液腺を切除したとの事で、夜分など、口の中が火傷した時の様にヒリヒリ致します。今の処、身体の苦痛は余り御座いません。お蔭様で御浄霊を戴きましてよりは、食物の味が判る様になつて参りました。続けて御浄霊を戴いて居りますれば、御救い戴けますで御座いましようか。子供四人の内長男、三男は耳が聞えません。深い因縁に因る事と存じますが、御教の程御願い申上げます。

〔御  垂  示〕
之(頸部淋巴腺)だ。こゝに消毒薬が滲み込んで、下にいつた。丸で、悪くする様に悪くするようにやつているんですよ。之も犠牲者ですね。淋巴腺が腫れても、打遣らかして置けば、良い具合に腫れて出て良くなるんですがね。何時も言う通り、こゝを手術したら、もうそれで寄らなくなる。お隣りに腫れて来る。舌癌の時の手術――さつき言つた通り、こゝ(頸部淋巴腺)のが、下に滲みていつてと言うのです。レントゲンで固まらない程浄化が強かつたのだから良かつたですね。前後五回――之は何回でもやります。五回どころか、十回でもなる。又腫れて来ますからね。之は大丈夫です。治ります。それ丈けのものです。医者が薬で作つたんだから、浄霊して居れば――薬が無くなればそれで治つて来ます。折角拵えた病気を、こつちが取つてあげる。それから、耳が聞えないのは、大抵こゝ(頸部淋巴腺)に固まりがある。こゝに腫れる血統があるんだな。こゝを取ると全部治るか、何うか分らないが、大抵治りますよ。それから延髄ですね。

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(お  伺) 
御子柴泰広(四十歳)心臓喘息の為、五年前に入信(約十五年前発病、エフエドリンを多量に使用)徐々に快方に向わせて戴きましたが、九月末より頭部、脊髄に高熱の浄化を戴き、痛みは無く常に朦朧として居り、十月末頃より腎盂炎の様に頭、頸筋、手先に、ぐつしよりと一日数回発汗あり、腎盂の御浄霊により発汗は止り熱も下りましたが、頭がはつきりせず、脈搏は百十位常にありまして、体躯中調べても、熱は左の肩胛骨の処に少々あるのみにて、他には見あたりません。食事は一日二回、軽く二杯づつで衰弱がひどく中々回復致しません。最近、近親者より医診を奨められて居りますが、本人は真剣にお縋り致し居り、医診を好みませんが、御浄霊により御救い戴けましようか。又今後何の様にさせて戴きましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は順調にいつてますがね。食欲が少ない為に衰弱している。熱が出て発汗した――と言うのは非常に結構ですがね。エフエドリンを多量に使用した――この薬毒ですからね。だから、エフエドリンが出る迄――こう言う事が、チヨイチヨイあります。その積りでやらなければならない。それから、肩胛骨に熱があると言うから、そこを浄霊するんですね。未だ――喘息が治るには、何うしても二、三年かゝりますよ。長い喘息はね。この人のは、十五年の喘息ですから、二カ月や半年で治る筈がない。気長に、出来る丈け食欲の出る様にして、衰弱しない様にすれば治ります。食欲がないのは熱の為ですから、肩胛骨の処から熱が出るから、そこを良く浄霊してやる。それから、医者を奨められてますが、いけないと言えば、医療妨害になるから、いけないとは言えないが、本を読ませるんですね。御神書をね。特に病気の処を。そうして、本人に心から解らせるんですね。

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(お  伺) 
重森小二(三十四歳)右半身不自由にて、六月より御浄霊を戴いて居りますが、七日に一度位手足が引き吊り、紫色に変り、シヤツクリをして、意識不明になり、最近では十分か五分で元に戻り、あとはケロリとして居りますが、顔は少し腫れます。口はきけませんが、朝夕仏前にてお経を奏げます。又君が代等を歌い、又子供の名を時々呼びます。医診では、脳ケツセンと言われました。病人の妻は九月に入信させて戴きました。現在足を引きづり乍ら歩ける様になりましたが、其の他は変化ありません。病人はよく肥り、血色も良く、本人並びに家族も一生懸命に御願い致して居ります。御浄霊は何処をさせて戴きましたら宜敷いでしようか。又、霊的に何か関係が御座いましようか。

〔御  垂  示〕
ケロリとして――死霊が憑るんですね。今はお経じや駄目なんです。お経じや効き目がないんです。霊的関係――じやない。霊的ですよ――病気はね。七日に一度――之は、死んだ病人が、そう言う状態で死んだんです。それが、あの世に行つて浮ばれない。それで頼つて来るんで、この人に憑る。癲癇ですね。之は、光明如来様をお祀りしてないですか。

(お  伺)
「未だで御座います」

  〔御  垂  示〕
之が第一ですね。それと、御屏風観音さんは未だですか。

(お  伺)
「未だで御座います」

〔御  垂  示〕
それが根本だから、それをやらなければならない。それをやらなくても治りますが、ずつと暇がかゝる。それをやると、ずつと早く治る。何分の一かになる。死霊が救われないんだから、出来る丈け本を読ませるんです。神様の本をね。

(お  伺)
「本も読めない様な状態で御座いますが――」

〔御  垂  示〕
それじや、奥さんか何かゞ読んで聞かせる。結局治りますがね。大したものではない。この霊を救つてやれば良いんですからね。仏教ですか。仏様はありますね。何宗ですか。

(お  伺)
「門徒で御座います」

〔御  垂  示〕
今言つた様にしてやりなさい。

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(お  伺) 
柏木薫(二十七歳)昭和二十四年十月肺の御浄化を戴き、お道によつて治して戴き、夫婦にて入信させて戴きました。今年四月頃より再度御浄化を戴き、咳がひどく八月十九日より私方(支部)に泊り、御浄霊をさせて戴いて居ります。来た当時は、非常に痩せ、又よく眠たがり、暇があれば眠つて居ります。現在は少し肥つた様で、咳は多少少なくなり痰がよく出る様になりました。左を下にして寝ると咳が激しく眠れません。何かすると、呼吸が激しくなります。私方へ来る前、皆に奨められレントゲンを撮りましたが、左肺は全部、右肺は半分悪くなつていると言われたそうです。又、耳も聞え兼ねる様になり、呼吸激しく入浴や散歩も好みません。光明如来様、御屏風観音様はお祀りさせて戴いて居ります。六年程前、初めの妻と折り合い悪く別れ、間もなく再婚致し二人の子供がありましたが、当人が支部に来た頃亡くなり、子供の死因が不明にて行者(島根県)にみて貰つた処、先妻の呪にて病人に対し、地方でよくある「午の刻参り」がしてあり、稲荷の裏の木に人の形を彫り、六寸釘が七本打込んであつたそうです。病人は島根県にて、現在滋賀県の支部へ来て居り、本人は子供の死を知りません。何の様に御浄霊致しましたら宜敷いでしようか。又この悪縁を何うすれば宜敷いでしようか。

〔御  垂  示〕
之は、霊的は少しありますが、あんまりありません。肋間神経痛ですね。肋間に毒がありますから、少し良く浄霊してやれば大した事はない。左を下にして寝ると――と言うのは、右のこゝ(横腹)に毒があるんです。息が激しく――と言うのも之です。右の横腹を押して御覧なさい。痛い所があります。その浄化です。こう(左を下に寝る)すると、垂れて来て肺を圧迫するんで、それで咳が出て息苦しかつたりするんですね。耳が聞え兼ねる――之も、耳の方に来ているんだから、こう言うのは治ります。入浴、散歩を好まない――息苦しくなるから好まない。

それから、こんな呪をされる事がありますが、神様の御守護があれば何でもないですよ。呪と言う事が間違つているんですからね。然し、呪と言うのは、効かない事はないですよ。中々効きますよ。あれは、怨の霊ですからね。効くけれども、こつちに神様の御守護がある以上、障りはありませんよ。然し、こつちが信仰する神様の力がないと、或る程度やられますが、メシヤ教の神様は何でもありませんからね。そんなものは寄り附けもしません。ですから、今言つた――胸から横腹にあるから、それを浄霊してやれば良い。力を入れないで、痛い処か熱い処がありますから、それをやると、段々治つていきます。

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(お  伺) 
山口いち(二十八歳)昭和十九年入信後嫁入り致し、四年間程御面会も戴きませんでした。一昨年女児を産みましたが、子供はメレナで死亡し、本人は産後が悪く四十日間床に就いて居りましたが、母親や近所の信者さんが御浄霊させて戴き全快致しました。本年又姙娠致し、至極丈夫でしたが本月五六日頃より少々脚に浮腫みが来、九日にお産致しましたが、極く軽く済み、下り物は少しもありませんでしたが、直ぐに脚がひどく浮腫んで(主に左足)翌日に紅く膨れ上り、痛み激しく、その翌日は「火ブクレ」の様になり、忽ちくづれて方々が、赤、黒、白等に色どられ、丁度火傷のくづれの様になり、その傷口から水が沢山出て居ります。医師も原因不明と言い、ペニシリンを打つて帰りました。産婆も初めてだとの事です。私は四日目に迎えに来られて出張致し「之は霊的でしよう」と申しますと、産婦は、自分の枕元に髯ボーボーの老人が立ちスーツと脚の方に廻つて、悪い方の足を持上げる様にしたそうです。近所の老人に聞きますと、その家は三代目で、先々代がつぶれ屋敷を買つて建てたものだが、前の家の隅に堀立小屋を作り、一人の老人が住んで居り、脚が悪く杖に縋つて歩いていたが、何時の間にか何処かへ行つて了つたとの話です。多分癩病だつたのではないかと思われます。三回程御浄霊をさせて頂きますと大変楽になりました。右は癩病になつて了つたのでしようか。それ共、一時的で直き治して頂けますものでしようか。尚、その家の娘も嫁入りしてお産しますと、急に頭髪が抜けて一時はツルツルになりましたが、放つて置いて、近頃は生えて参りました。

〔御  垂  示〕
之は、入信後四年間御無沙汰したと言う事の為に、御守護がなかつたんですね。それで、メレナで死んだと言う事が、そう言う訳ですね。四十日間――之もそうだ。御浄霊で治つた――之は結構だ。脚に浮腫み――之は姙娠腎ですから何でもないですがね。軽く済み、下り物がなかつたのがいけない。之がおかしいですね。普通、うんと下りなければならないが、下りない為に、足が浮腫んだんですね。古血ですね。翌日は紅く――と言うのは、古血が出なかつた為に、足にいつた。出ないと言う事が少しおかしいんですがね。之が、或いはじいさんですね。じいさんの霊が憑つたかも知れない。と言うのは、お産をしたあとは、非常に霊が憑り易い。貧血する為にね。だから、産後おかしくなるのがありますが、その為です。出るべき血が出なかつたので足に来た。色どられ――丁度癩病の様だね。じいさんの霊も障つてますがね。足の方から――之は救われたいんだね。之は心配ないです。何でもない。癩病になりつこないから心配ない。癩病なんて、そう言う事でなるものではない。癩病の霊が憑るとそうなる事がありますが、一時的なもので、長くなるものではないから心配ない。こゝは光明如来様は未だでしようね。

(お  伺)
「未だで御座います」

〔御  垂  示〕
光明如来様をお祀りして、屏風観音さんもそうですが、じいさんですね。この霊を救つてやるんです。光明如来様をお祀りする事と、お嫁さんが出来る丈け、御神書を読む事ですね。それで良いですね。それで、時々月に一ぺん位は中教会――支部に行かなければならない。それで、出来たら一年に一回か二回は本部に――此処に来なければいけない。大した事はない。他人の霊ですからね。すつかり解決つきます。

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【御  教  え】
霊憑りの為に、時々問題を起したり、色々あるんですよ。霊憑りと言うのを、全然いけないと言う訳にはいかないけれども、先ず九割迄はいけないのが多いですね。だから、それに就いて、一体霊憑りと言うのは何う言うものかと言う事を、良く知る事ですね。霊憑りでも、邪霊と本当に正しいのと両方ありますからね。その関係なんかを、はつきり知つて置けば安心ですから、それに就いて精しく書いたものです。

(御論文「⇒霊憑りに就いて」のあとの御教え)【註  栄光一三三号】

之に書き忘れたが、正守護神が人間に何か知らせる場合に、狐霊を使つてやる事があると言うのは、狐霊は人間に喋つたりする事が、非常に上手いので、そう言う場合に正守護神が狐霊を使うと狐霊が憑つて色々喋るが、処が正守護神の命じた儘を言えば良いが、狐は――何しろ狐ですから、地金が出るんですよ。それで、余計な事を喋る。そう言うのをみると、狐霊だか本当の正守護神だか分らない事がある。之は狐だから本当にしちやいけないと思う事もあるし、之は正守護神だから本当だと思う事もある。だから、喋る言葉によつて、正しいか正しくないかを判断する。そして正しい処丈けを取れば、正守護神の思う通りになる。その見別けが難かしい――とも言えるし、常識的な判断をすれば、そう難かしくない。それをはつきり見極めるのが審神と言う。審神と言うのはそう難かしくないです。言う事が正しいか、正しくないかを判断するんですね。正しいか正しくないかを判断するにも意味がある。小乗か大乗かですね。小乗で良くてもいけない。大乗から見て正しいと言う事が、本当の正しさですから、その見別けですね。その点を、解る様に何時も書いているんですよ。大乗と小乗もね。ですから、何処迄も、信仰は大乗と小乗を基本として考えていくと間違いないですね。処が、一寸聞くと、小乗の方が本当の様に思えるんです。正しい様にね。

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(御論文「⇒算盤と能率」のあとの御教え)

今ので大体分つただろうが、一番――人間が何かやる場合に肝腎なのは、急所を知る事です。鉄砲玉みたいに――敵を倒すのに一発で――だから、一発で敵にぶつかる様にする。そう旨くはいかないだろうが、それを、あんまり無駄玉を打ち過ぎるんですね。私はつい二、三日前に――鉱山をやつてますが――山に行つたんです。それで始めて分つたんですが、行つて良かつたと思つたね。何だか行つてみたくてしようがなかつたので行つたが、神様に行かされたんですね。やつぱり、全体から見て、全然見当違いをやつている。無駄玉やつている。一カ所丈けは、今月の月初めに急所をやる方法を指図したので、それはその通り準備してましたが未だ々々素晴らしい急所があつたんですが、それは全然無頓着だつた。尤も、そこの許可を受けたのは十日程前だから、後廻しにして居た。私は、許可を受けたらその日にやる主義ですね。それで、そう言う素晴らしい処を発見した訳です。段々――考え乍ら帰つて来ると一刻も早くやらなければならない。帰つた晩に――十三日の晩に帰つて来たが、以前の坑道精しく調べて帰れ、と言う電報を打つた。十四日の朝電報を打つたが、調べて昨日かえつて来た。私の思つた通りで、直ぐに行つて、こう言う風にしろと言つた処が、二十一日迄待つて頂きたいと言う。私は丁度映画があつたので、聞きつぱなしであつたが、映画を見て帰る途中、電話をかけて、あした行けと言つた。それで、二十一日迄に私が行つた通りにして帰れと、すつかり指図したんです。そう言う事が、世間並のやり方と異る私の能率的な事です。私が昨夜言つたので、今朝行つたんです。そうすると十八、十九、二十、二十一――四日間節約した訳ですね。之が、今言う能率ですね。私のやる仕事ですね。だから、そう言う点が、見込みがついて良いと言う事になると、一刻も早くやるんですね。そうかと言つて、急(アセ)つてはいけない。急らないで、物の無駄がなく、急所々々をやつていくんですね。十三日に行つた時に、一番の山の急所を発見したんです。だから、発見した以上は一刻も早く手をつけると言うやり方ですから、旨くいくのは当り前なんです。そう言う事が普通の人は、割合のんきなんです。今の論文と言うのは、そう言う意味なんですね。

私は、随分仕事を沢山しますが、一々細かい話は出来ないんですがね。普通の人が十日もかゝる様な事が、大抵一日でやつて了いますがね。一昨日、昨日も、東京に行きましたが、美術の事ですがね。二日間で素晴らしい事をやりましたがね。普通の人も或る程度真似は出来るんです。何でも彼でも、急所を見附けるんです。浄霊でもそうですね。それで、急所を見附けるとそこをやる。一つの主義としてね。癖としてね。そうすると、案外早くいくんです。然し、無理にやつてはいけない。何うして明主様はやらないんだらうと思う様な事がありますよ。それは、急所が来ないんです。それ迄は、のんきにして置いて、急所と時期が来たら疾風迅雷、素晴らしく早い、だから殆んど失敗しないですね。

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十一月二十一日

【御  教  え】
今日は病気の質問がないですから、早速論文の方を読ませます。神憑り――霊憑りですね。あれが時々――やはり弊害があるんです。で、そうかと言つて、絶対に止(ヤ)める訳にもいかないですね。あの為に良い事もあるんですから――そこの見別けですね。之が出来れば結構なんです。従つて、それに就いて、何う言うのが本当で、何う言うのが嘘だ。と言う事を、出来る丈け解り易く書いたんです。それを読ませます。それで、面白い話があるんですが、先月私が京都に行つた時、京都の或る婦人が霊憑りになつた。神憑りになつたんですね。それが、京都附近の神社――大抵産土さんですが、神さん一人々々が来られた。四十幾柱と言うんですがね。それで、今度私があつちに行くに就いて、色んな頼みですね。つまり、頼みと言つた処で、別に大して変つた事ではなくて、まあ――御守護して貰いたいとかね。私に感謝して貰いたいと言う――その様な意味ですが、兎に角面白いと思いますね。と言う事と、私が旅行なら旅行する時、人間許りでなく、附近の神様が喜こんで、皆んな集まつて来るんですよ。そう言う事は、はつきり解るんですよ。今日はその原稿を持つて来ないから、今度の「栄光」に出す積りですが、二回か三回になるでしよう。

(御論文「⇒霊憑りに就いて」)  【註  栄光一三三号】

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B・C・G問題ですけれども、あれに就いて二、三日前の「時事新報」に面白い記事が出ていたので、それを添えて書いてあります。

(「⇒B・C・G問題」のあとの御教え)

こう言う事は、ちよいちよいあるんですがね。何うも、こう言う事は医学は気に掛けないですね。医学なんかに始終捉われていると、頭が変になるんですね。普通の判断がつかないんですね。つまり、小いさい事で之丈の大きい事を抹殺して了うんですね。まあ、精神異状とも――やつぱり一つの迷信ですね。つまり、根本は迷信なんです。だから、迷信者が迷信でない者を見れば、迷信に見えるんですね。そう言う風に考えれば良く解るんだがね。それに就いて、無神迷信と言うのを書いたんですがね。つまり、無神者の迷信ですね。之は丁度時局の問題に結びついたんで、良く解るだろうと思いますがね。

(御論文「⇒無神迷信」)  【註  栄光一三四号】

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之は算盤に就いては、以前に書いた事がありますが、もう一ぺん書いて見ようと思つて書いたんですが、何うも――信者許りでなく、日本人は算盤と能率ですね――之が、如何にも気がつかない点があるんですね。だから非常に無駄な事が多いんです。この間――四、五日前、私が山に行つたんですが、鉱山ですね。之は、群馬県の水上温泉の側です。それで、実地に坑道や何か見たんですが、こう言う事に対しても、急所をはずれているんですよ。要するに、急所をはずれていると言う事は、算盤にはずれていると言う事です。例えて見れば、山なら山全体を調べて見て、やつぱり急所があるんです。例えて見れば、一番鉱物がある処、その次にある処、その次にある処と。行つて見ると、二と三を一生懸命やつている。一と言うのを後廻しにしている。こう言う事は、何にでもあるね。何時も言う通り、浄霊でも急所があるから、そこを見破らなければならない。と言う事と同じで、私が行つて今度すつかり――急所をやる様に言いつけもしたけれども、やつぱり――頻にあつちに行きたかつたのは、神様が行かなければならないと言う訳でやられたんですが、そう言う様な具合で、算盤ですね。そうすると能率も上がるんですよ。無駄がないからね何事をやるのも、急所を見つけると言う事は、結局――大局から見るんですね。大乗ですね。之は、又違つた話ですが。先に株の相場を随分やつた事がある――若い時分にね。その時、こう言う事を言う。相場が上る――下ると言うが、一番間違いないのは大局から見るんです。処が、目先と言つて、目の前の事に捉われるんです。もう直き上るとか、もう直き下るとか――成る程、目先と言う事があるにはあるが、結局は、はずれて了う。全て大局から見ていくと、正確な判断がつくんですね。メシヤ教なんか。今日は大分大きくなつて来ましたが、小いさいうちから、大局で――世界人類を救うと言う之程大きい事はないんですからね。目標をそこに置いてますからね。だから間違いなく進んでいくんですね。処が大抵な人は、大局を忘れて――どうも――部分的に捉われるんですよ。それは、一寸良い様でも――結局に於いて旨くいかないんですね。よく、大乗と小乗と言う――さつきも読みましたがね。やつぱり大乗ですね。大乗でいくんですね。それを始終注意していると、楽に旨くいくんです。私なんか、仕事するんでも始終そうですね。今、何れが一番早くやるべき事かと、何れを一番主にして、力を入れるべき事かと、始終考えて、それ丈けをやつていくんです。そうするとそれ丈けで小いさい事も、よく自然に解決する事もあるんですよ。

(御論文「⇒算盤と能率」のあとの御教え)

で、こう言う事に就いて、一番思つているのは、時々裁判所に行きますが、恐らく――能率の上らないのは日本一だと思いますね。或いは、世界一だろうね。何しろ、始まりが十時半と言つているが、処が十時半に始まる事がない。先ず十一時ですね。でも、普通は十一時半になる事もある。十時半に始め様とすれば出来る。そうすると、十時半に始めると、午前中に二人位調べられる。十一時半となると、一人の證人で十二時半に迄かゝるから、二人の證人では出来ない事になる。證人を三人呼び出すと、二人は出来るが一人は午後になる。證人と言うのは、犯罪者ではないから、一度で済まして貰いたいですよ。一日掛りですからね。一日無駄されると言うのは、実に――人民を思わざるも甚だしいですね。そうして、調べ方も実に気の長いものですよ。裁判は――牛車に乗つている様な――源氏物語り時代――だから全く、あそこに行くと、おかしいですよ。今は源氏物語は流行(ハヤ)つているから良いが――そうして、色んな事は、弁護人が證人から聞いたりするが、之が、又、実に無駄な事なんです。事件に関係のあるものはない。見ていて、十のうちに一つか二つでしよう。あとは雑談に近いものです。何となれば関係のない事を言つたり、聞いたりしているんですからね。この間――名前は言いませんが、幹部の人で證人になつた人がある。弁護人が反対訊問で――こつち側の證人ですからね。こつち側が聞いて、喋るんですが、偶には検事が言う。処が弁護人が質問するのも急所に触れてない。休憩があつたから「あなた、急所はこゝだ。こゝ丈け言つてやれば良いんだ」と言つてやつたので、残りの答弁の時に、私の言つた通り言つたから、それで良かつたんですが、そんな様な具合で、大体今の日本人位――何と言うか――まあ、頭が悪いんですね。実に頭が悪いんです。急所が解らないらしいんですね。兎に角、その時の事なんかも、先方は私が金銭に関係したかしないかと言う事の狙いですからね。それに対して弁護人が言わせ様と言うんですからね。他の事は何にも要らない。金銭は他の者がやつている。明主様は教線の事丈けだ。と言えば良い。それを、一生懸命に無駄な事を言つている。だから私が――つい「寸鉄」を書きたくなるんですよ。  結局、寸鉄や歌ですね。歌だと、三十一文字で、兎に角百字も二百字も言う事を現わせるんですからね。歌、俳句をやるのは非常に良いと思いますね。歌、俳句を作ろうと思う時に、例えば季節なら季節を簡単に――俳句にしろ――五七五に表現する。と言う事は、急所ですからね。結局、急所を見附ける事になる。こう言う頭の癖をつけるんですね。良い事だと思いますね。趣味のない者はしようがないが、少しでも趣味のある者は、大いにやると良いと思う。だから、今の裁判でさえそんなですから、他の役所と言うのは、やつぱり相当無駄があるに違いないですね。だから、よくお役所式だとか言いますが、全く役人と言うのは、一寸仕事が違うんですね。だから、官営になつたのは、能率の上るのはないですからね。今の電力問題で、電力が足りないと言つているが、関東配電とか作つたからですね。昔、私立会社があつた時は、電力不足なんてなかつたですね。むしろ電力過剰の方が多かつた。やつぱり、人間は欲ですからね。欲で動いている。営利会社にすると、儲けたいから、一生懸命に――電気なら電気を――沢山作る様になるからね。それが役人になると、儲けると言う事がないから、要するに首さえ繋げば良いからね。仕方がないですよ。人間の弱点でね。

アメリカの発展は、第一番にキリストの為、第二番目に金儲けの国ですからね。今は戦争やつているが、昔は商人の国と言つていたからね。だから儲ければ良い。それからアメリカには、以前の日本の様に、封建的に階級が定まつていないから、腕次第と言う――豊臣時代の様な――金儲け、腕次第と言う――その根本にはキリスト教の影響があるが、そう言う点が、アメリカ発展の原因だと思いますね、トルーマン大統領だつて、元小間物雑貨商ですからね。だから、商人上りですね。そして又、アメリカの陸軍大臣にしろ、海軍大臣にしろ、軍人を用いない様にしている。日本は、士官学校上りの――何処迄も軍人上りですね。そう言うのを主脳者に置きましたが、あつちは、それを主脳者にしない不文律がありますね。面白いですね。戦(イクサ)をするにも――商人上りですから――算盤を取つていきますからね。だから、日本でも算盤を取つたら、こんなみじめな事は決してないんですね。戦争を十六年に始めて――支那、中国をやつつけて、蒋介石が危ぶなかつた時に、蒋介石が和睦を申込んで来ましたが、それを入れて、中支の良い加減な処を取つて、満洲は日本のものですからね。それ丈けで、戦争を止(ヤ)めて了えば、世界の輿論もそれ程ひどくならないで、あれ位仕方がないと、あと――日本にしても、何処迄も商業的に支那を開発すると言う様にいけば、蒋介石だつて喜びます。そうして行けば良かつたんですね。処が算盤を取らないからね。八紘一宇で、アジアを全部日本にしようと、算盤を取らず、無茶苦茶にやつたからね。尤も之は普通の理窟であつて、神様の方から言えば、全然違うんです。やはり日本は負けて、こうならなければならない。今言つたのは、絶対に真理とは言えないが、そう言う事も知つて置かなければならないと言う事です。

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十一月二十五日

(お  伺) 
本年六月より腸が悪く、医療を受けまして、直腸癌となり手術より方法がないとの事で入院の準備中に、お道の事を聞き十月一日より御浄霊を戴き、一時経過も良く血便も通じも出る様になり、二十一日に入信させて戴きました。十一月中頃より血便止り、通じも少なく、胸が苦しくなりました。霊的関係がありましようか。全快の有無、御浄霊の箇所御垂示下さいます様御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は霊的じやありません。薬毒ですよ。治りますよ。血便が出るんじや上等だ。直腸の側にオデキが出来ている。で、それが直腸を圧迫するんで、それで便通が悪いんですね。血便と言うのは、血膿が出るんですね。ですから之は、大して長くもかからないけれども、少し気長にやれば、すつかり治りますよ。直腸癌じやないですね。普通のオデキですよ。

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(お  伺) 
奥村秀子(十一才)発育悪く五、六才の体格であり、原因不明の症状で、耳は聞えても笑う許りで言語を発せず、常に舌をだらりと出し涎を出し、手は不自由で掴めません。御浄霊を戴くと舌を引込め涎も止ります。叔父に同様の症状で亡くなつた方があり、死後三年目に生れて居ります。その方との因縁があるのでしようか。何うしたら救われていくものでしようか。何卒御垂示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之ですね。この叔父さんの霊だね。之は、気長に浄霊して居れば治りますよ。十一――もう少し小さいと早く治るんだが、十一でも良いですね。学校の関係があるから急いでやらなければね。之は、ここに憑いている――前頭部を中心に頸の廻りに固りがありますから、そこを浄霊して、光明如来様をお祀りしたその座敷に寝かせる様にしたら良い。そうして、善言讃詞や御神書を聞かせる様にすると良い。そうすると、早く治ります。つまり、子供の病気を治すんじやなくて、霊の病気を治すと言うんですからね。結局は治りますが、霊の曇りが強いと、時日はかかりますが、大して長くはなりません。場合によると、案外早く治ります。そんな具合でやつて御覧なさい。

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(お  伺) 
私の妹はる(十九才)は本年二月より中耳炎と言われ通院中、四月頃より体がふらつき転ぶ様になり、八月頃には目の前が急に暗くなる事一日数回に及びました処、医師は脳癌と言い手術するとの事に家に帰り、九月より御浄霊戴き、御蔭様で当時の浮腫と首筋の腫れは治り、現在は延髄が浄化して動かせない様な状態で、未だふらつき、歩く時には中心がとれず、自然に早く歩き、酒に酔つた様な状態です。発病と共に種々の注射もやつて居りますが、霊的と思われます点も御座いますが、如何致しましたら宜敷いもので御座いましようか。  祖霊中に癲癇で死亡、頭と胴とが離れ々々になつて川に流れた者もあり、又祖母には一男六女あり、男子は癲癇で死亡、其嫁は産後死亡、六女は他に嫁し行先不明となり、従つて養女として今の私の母が参り、父は酒飲みでよく暴れましたが、腹膜を起し、血を吐き死亡して居ります。尚、私の夫も戦病死して居り、現在は女のみで御座います。御屏風観音様は御奉斎させて戴いて居ります。

〔御  垂  示〕
脳癌で手術――おかしいですね。医学の方は、脳癌になると死ぬとしてあるがね。脳癌になれば割合に早く死ぬんですね。それで恐れているんですがね。随分厄介な家ですね。之は、霊的ではないらしいですね。癲癇とは違うな。やつぱり、ここに毒がある――後頭部から延髄にかけて固りがありますよ。ここを浄霊すれば治りますね。延髄が浄化して――之ですね。ここに固りが未だ残つているんだ。それを浄霊すれば、それで治りますよ。大したものではない。

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(お  伺) 
室伏寿郎(昭和二十五年十一月二十九日入信。四十四才)御神体は、御屏風観音様は御奉斎させて戴いて居ります。病歴としては――

一、十八才の時、柔道にて右肺部乾性肋膜。

二、二十三才の時、中耳炎手術。

三、二十四才の時、蓄膿症手術。

四、三十三才の時、鼠蹊腺部切開手術。

五、三十九才の時、右肺部湿性肋膜にて一カ年療養。

六、四十二才の時、右肺に空洞(直経三センチ)あるを以て、病院にて加療。

七、四十三才の時、国鉄を休職、自宅にて療養。

この間洋薬、漢方薬等相当に使用して居ります。特に三十二才に渡支以来、帰国迄八年間征露丸を常用して居りました。四十二才の時肺を患い、一年間毎月二回程気胸を致して居りました。昨年十一月入信させて戴き罪多き一家では御座いますが、御守護を戴きまして、十二月中旬頃から床を離れ教会に通える様になり、御浄霊を戴き大して休む事もなく、明主様の御参詣も毎旬させて戴き、教会の座談会にも出席させて戴きました。九月初めより喀痰の量も多く、食事も進まなくなり、臥床する日の方が多くなりました。十月上旬より、浄化も強いので、御浄霊は二日置き位にさせて戴いてをります。特に咽喉部に痛みを感じ、食欲もなく体の衰弱が目に見えて参りました。現在食事はお粥一杯位、其他パン小量、水は欲しくても単独では飲めず、パンに浸してとる程度で御座います。下痢は少量では御座いますが、一日四、五回程度で御座います。尚、両足及び左手の甲に少し浮腫みを感じて居ります。霊的としては――長兄(六十才)は屋根より落ち屋根鋏にて咽喉をつき即死、四兄(三十五才)五兄(四十二才)共に肺結核にて死亡して居ります。薬毒も多く霊的にも深い因縁をもつて居りますが、執着はなく全てはお任せ致して居りますが、御浄霊の上に特に注意すべき点を御教示賜り度く御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
随分この人は――まあ、然し医学を頼つたら、こう言う事になる訳ですね。罪多き一家――じやない。薬多き一家だ。屋根鋏と言うのは――

(お  伺)
「大きな鋏で御座います」

〔御  垂  示〕
あれが、屋根鋏ですか。屋根を切る鋏かと――之は、霊的はありませんね。之は、医療的ですね。湿性肋膜――之が相当固まつているな。まあ薬毒ですね。それで唯、薬毒が浄化が強いからね。やつぱり、痰になつて出たり、微熱も出るし、それで食欲不振なんです。痰に薬毒があるから、咽喉が荒れる。それで痛んで、あんまり食えない。衰弱ですね――衰弱さえ旨く堪えられれば、之は治るに定まつてますが、だからこう言うのは難かしいんです。浄霊すると、益々浄化しますしね。そうかと言つて、打遣らかして置くと、色々苦痛があるからね。之は、臨機応変にやる。一番肝腎な事は、急所を見附けてやる。一番痛むなり――苦痛ですね。之は一、二、三、四と急所がありますから、一の急所を発見してやる。それから二の急所をやる。こう言う風に、順序良くやると旨くいきます。それを、一をやらずに二、三をやるから、馬鹿に苦しくなる。

(お  伺)
「全てを明主様にお任せする心境になつて居ります」

〔御  垂  示〕
その心境が結構じやないですか。ここ(頸部淋巴腺)をやつてますか。ここに熱があるでしよう。ここですね。之が溶けて咽喉にいくんです。どつちかに固りがあつて、熱があるんです。

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【御  教  え】
この間、東京に行つた処が、ピカソ展を高島屋でやつていると言うので――態々、見に行く積りもなかつたが、そう言う話なので、序でなので見に行つたが、その批評をここに書いてある。この間、マチスは――話丈けだつたか、之は、恐らく私の様な見方をした者はないだろうと思いますね。

(御論文「⇒ピカソ展を観て」のあとの御教え)  【註  栄光一三五号】

今読んだ通りですね。マチスにしろピカソにしろ、皆んな一ぺんは見なくてはいけないと言う訳で、ヤンヤと押掛けて、あれで相当入場料を取るんだから、デパートなんか儲けたろうと思いますがね。そんな事は、どつちでも良いが――あれを観ても、解る人はありつこないんです。私が解らないんだからね。それが、ああして大騒ぎをされていると言うのは、批判力がないからです。人が良いと言うから良いと言うので、何故世界的名声を博したかと言うと、こう言う訳です。アメリカの富豪が美術館を造つたり、自分の家に並べたいと思つても、東洋美術は殆んど無いんですよ。だから近頃、アメリカ人なんかでも、随分熱心に、買おうと思つて、代る代る来てますがね。併し、本当に良いものは中々買えない。又日本人は売らない様にしてますからね。そう言う点は、日本人は国家思想が強くある。そこで一等品――一級品は手に入らない。それから支那の方も、以前はあつたけれども、イギリスの富豪――デビツトとかホツプレスとか言う金持ちが、殆んど買つちやつた。アメリカでも、ボストンの博物館あたりが、前から買つちやつてある。それで、アメリカの金持ちが手に入れる事が出来ない。そこで、ヨーロツパの絵ですね。ああ言うのも――同じ白人ですからね。そこで目を着けたのが、新しい――生きている人で、見渡した所フランスあたりが、一番偉い画家が居る。それでその絵に目を着けた。マチス、ピカソだとかね。ああいつた人達が――段々世の中の絵の傾向が変つて来て、後期印象派だとか立体派、後世派だとか出て来て、新しく何か画いていつた。で、その結果遂々行過ぎちやつた。その親玉がピカソですよ。丁度ブランコと同じで、こつちに来ているのに、今あつちの端にいるのがピカソですね。そうすると、アメリカの富豪が変つている処――変つている為に、他の金持ちが持つている絵と違いますからね。他の金持ちが持つている絵は旧式だ。駄目だ。こつちが新しいものだ。素晴らしいものだと思つちやつた。然しアメリカの富豪だつて目が利かないんです。美術眼なんかない。すると、他の富豪が、あいつがああ言う物を持つていると言うので、段々せり合つていつた。今一番高いですね。だから、ピカソの絵は、あんなに高いから良い物に違いないとなつた。それが、日本に来て、フランスやアメリカで大騒ぎをやつているから、世界的の大名人だ。見ずんばある可からず。と言う様になつた。要するに、そう言う様に拵え上げちやつたんですね。私は本当の白紙になつて、冷静に批判したんです。見ると、何もないんです。絵としては、唯人を驚かす様な――唯、奇ですね。奇によつてアツと言わせると言うんです。あれが絵としてやられたら堪らないですよ。一番良いのは――あの絵を飾つて見て御覧なさい。ああ良いと思う人は、恐らくないですね。丁度、銀座通りあたりに行つて、若い女が歩いてます――毒々しい化粧をして、派手な衣粧をしている――派手な恰好をしていると、皆んな見るでしよう。美人じやないんですがね。見る丈けは見ますよ。有名になつた音楽家とかははゝあ偉いんだなと思う。だから、そんなものは或る時期が過ぎると、ガタツと落つこちます。ピカソを私の様に見る人や、言う人は恐らく無いですよ。然し、それが本当なんだから仕方がないですね。まあ、之が他の事にも共通しているんですよ。今、大学教授の――良い博士と言う――お医者さんですね。大変な腕前を持つていて、大抵な病気は治して了うと、思いますよね。処が、本当の値打は、我々の方では分つてますからね。それと丁度同じ様なものですね。この間なんか、ユナイテツドのニユース映画ですが、英国の皇帝が手術をするので、有名な博士が自動車に乗つて、降りる処が写つてましたが、丸で神様の様に扱われてましたね。皇帝の手術をするんですからね。我々から見ると、からつきし問題にならないがね。丁度、ピカソの絵もそんな様なものだろうと思いますね。

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それから、B・C・G問題ですね。之も一寸面白い事が新聞に出てましたから、それに就いて――

(御論文「⇒B・C・G問題」のあとの御教え)  【註  栄光一三五号】

つまり、こう言う事も、浄化が強くなつた為なんですよ。で、この浄化が強くなるのは、段々一般になつて来ますが、今の処は教団の中が大分盛んな様ですがね。之が、いずれ一般になつて来ますね。その現われとして、今年はハシカが例年より三倍だと言う事ですね。それから、赤痢が今頃になると、毎年無くなるんですが、今年は大分増えつつありますね。そんな様な具合で、伝染病と言うのは、一番浄化が強いんですからして、まあ伝染病の増えると言う事が著しい現われと思うんですがね。そんな様な具合で、今のB・C・Gもやはり浄化が強い為に、こんな事になるんですね。こんな事が方々にあるんですが、それを無理に抑えてB・C・Gは無害だと言う事を、強調している医者や団体があるんですがね。今の処は、勝つてそんな事を言つてますが、之もぐずぐずしているうちに、有害の方が勝つ様になるだろうと思います。それから、時事問題が多いけれども、お役人の犯罪ですね。不正事件――之が今大いに問題になつているんで、それに就いて一寸書いて見た。

(御論文「⇒無神迷信」)  〔註  栄光一三四号〕

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今度、面白い報告があつたんですがね。狐の霊ですね。つまり、狐霊が薬毒を教えたんですよ。ですから、人間よりも――今の現代科学者よりも、狐霊の方がずつと偉いですね。

(御論文「⇒狐霊でさえ薬毒の害を知つている」のあとの御教え)

之は、狐霊許りじやないんですが、その人を殺そうとする場合に――他の祖霊でも同じですが、無暗に薬を飲ませ様とする。だから、薬と言う――ああ言う邪霊の良い道具なんです。こう言う事が解つたら大変な事になりますがね。学校教育を受けて、立派なお医者さんになつた処が、実は狐霊の仕事を手伝つていると言う訳です。それが進歩した科学と言うんですから、実際何が何だか解らない様になる。

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それから、先月私が京都に行つた時、あの辺の神社の神様――四十幾柱と言う神様が憑つて来て明主様にこうこう言う事をお願いしたいとか、お礼をしたいとか――そんな様な、それぞれの頼みで――之は本当のものなんです。之は霊界の事だから気が附かないけれども、仮に私が何処かに行く時は、信者が騒ぐどころでない。霊界で神様が騒ぐ方がずつと多い。その辺の神様がお蔭を戴こうと集まつて来る。中には軽い気持でやつて来たりして――驚いて、それから一生懸命お手伝いをすると言う神様も沢山ある。だから、そういつた――霊界に対する仕事の方がずつと多い位ですね。その記録が精しく書いてあるんですが二、三回位に、それを聞かせる事が出来るでしよう。

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十一月二十八日

(お  伺) 
辰巳芳子(昭和二十三年二月入信。二十七才)昭和二十二年十二月より左肺浸潤の為御浄霊を戴き、大学へ通学出来る程に良くなりました。然るに本年四月頃より咳(息を吸う時ヒユーと音が致します)が続いたり良くなつたりを繰返し、八月頃からは咳が頻繁となり、御浄霊を毎日戴いて居ります。医診では、右肺浸潤で熱は夕方六度七分から七度位の程度であり、痰は極く薄いのが出てをります。咳はヒユーヒユー言うのは無くなりましたが、未だに頻繁で特に夜激しく御座います。御浄霊の急所、並びに一日の回数に就き御教示戴き度く御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
之は何でもないですがね。肋間に毒があるんです。肋骨の間にね。胸から横腹にかけてね。押すと痛いですからね――直きに分ります。それから出るんですね。肺浸潤と言うのは、非常に良いんですよ。あんな結構なものはないですよ。こう言う処の毒が溶けて、痰になつて出るんですからね。この人は、薄い痰だから直き治りますが、浄霊に力が入るからですよ。力を抜けば、こう言う処なんか、どんどん溶けますがね。それから、ここをやつたら良い――顎の下ですね。そこに必ず熱がありますよ。

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(お  伺) 
当年六才の男子、昨年七月玩具のラツパにハンダにて取附けてありました金具(長さ八分位、廻り六分位の円筒の物)之を口の中に入れて弄んでいるうちに、誤まつて呑込み、其刹那は非常に苦しみ顔色は真赤になりましたが、寸時にして収まり、家人も余り気に留めず、検便もせず過し、其後は非常に寒冒に罹り易く、其都度高熱を出し呼吸が荒く、食欲は減退致し度々嘔吐を催し、医診の結果は、甲は小児結核と診断し乙は肋膜と言い、種々に診断が異う為、最後にレントゲン写真の結果、左肺最下部に右の金具がある事が分り医師の言うには、此器物を吸込み、器管を通り現在肺臓内にある故、左肋骨最下部一本を切取り摘出手術以外に方法なしとの事でしたが、子供の母親は四年前入信して居り、手術する事を嫌い、是非御道にて御救いを戴きたいと熱心にお縋り致して居ります。尤もレントゲン写真は、田舎の事とて医者自身が自信を持てず、目下東京の専門透視家の鑑定を依頼中との事で御座います。今迄物を嚥下する場合、御飯一粒すら気管へ移行の時は咳により吐出されますのに、かかるブリキ製の危険物が果して肺に入るもので御座いましようか。万一医者の言う通りでも、御浄霊にて御救い戴けますもので御座いましようか。

〔御  垂  示〕
肺に入つたと言うのは嘘ですよ。こんな物が肺に入る訳がない。第一肺に入ると言うと、息道の方から吸込まなければならない。食道からで入る訳がない。入つて腸に行つてないから、横つちよの方に止まつている。大して心配ないです。暫くすると、少しずつ少しずつ溶けて来ます。人間の熱は大したものです。よく、ガラスを食べたり、釘を食べたりするでしよう――見せ物でね。何でも食べるでしよう。あれと同じ理窟ですよ。之は、段々――金でも溶けて来る。それで小さくなつて来ます。或る時期になると軟かくなつて、便になつて出ます。放つたらかして置くと良い。唯、浄霊するんです。金物が軟らかくなる。金物の霊ですね。人間の体に異物が入ると――器物なんかは――こう(浄霊)すると、霊が薄くなる。稀薄になる。それで、体の金と言うのが、しなびたり、溶けたりするものです。人間の体は良く出来ている。体の熱と言うのは大変なものなんですよ。体温でならば、何度と言うが、腹の中の熱と言うのは大したものです。つまり、熱の霊ですね。体の方は大した事はないが、霊の方は大したものです。之(浄霊)だつてそうですよ。百度か二百度はあるでしよう。  私のなんかは千度位ある。霊ですからね。私がやると、熱い熱いと言いますが、霊も――力があるとそうなるんです。人間の体も、そう言う事があります。で、金の霊の方が溶けるから、体の方が溶けて減つていくんです。心配しないで、そこの――左の肺の下ですね。在る場所を浄霊して――それで良いです。やつぱり咳が出たり色々する事はあるでしようが、それは別に――之の為許りじやないです。然し幾らか、此金が溶けた為もあるでしようが――其為の浄化と思い易いんですね。

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(お  伺) 
二十七才の男、二十四年の暮より、急に声がかれ食物が通らなくなり、医診では喉頭結核と言われ、それ迄胸は、何の自覚症状もなかつたのですが、レントゲンの結果両肺が相当に進んでいるとの事で、医療を加えてをりましたが、余り良くないので、二十五年九月より二十六年四月迄約七カ月入院致し、ストレプトマイシン五十本、他にチビオン六ケ月服用致しましたが、右肺が癒着しているから肋骨五本切らなくてはいけないと言われ、手術が厭で退院致し、専ら食餌療法を行つて居ります。自分では今の処、何の苦痛もなく少し位の仕事が出来ますが、血沈も多くレントゲンも完全でないので、勤める事も出来ませんので、御浄霊で治したいと申して居ります。チビオンが大変腎臓を侵すとの事で御座いますが、之を浄霊させて戴いて宜敷いもので御座いましようか。

〔御  垂  示〕
浄霊させて戴いて――宜敷いでしようかと言うのは変ですね。だつて浄霊しなかつたら、絶対に治りませんよ。他に治す方法はないんですからね。させて戴いて――良いも悪いもない――治りたければ、すれば良い。あの世に行きたければ、止すと。この人は大した事はないですね。唯、薬毒ですね。薬毒を入れなかつたら簡単に治るものですがね。浄霊すると薬毒の浄化作用が起りますから、それを、予め承知してやれば良いですね。それに、未だ体が衰弱してないから、体を掃除する間は大した事はないから、普通の浄霊で良い訳ですね。

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(お  伺) 
十才の男子。四才の時急性胃腸と脳膜炎を起し、医者にて絶望状態を救われましたが、同年九月より、引きつける様になり後天性癲癇と言われ、月一回必ず、夜明け前に発作を起し、症状は、強度に引きつけ尿を漏らします。発作後は無意識に頭痛を訴えます。学校の成績は悪く、いたずらつ子で家人を困らせて居ります。その家には、別に霊的に関係のある様な死に方を致しては居ない様に思われます。祖母は熱心な天理教信者であります。家人が言いますには、お腹の具合が悪い時には、必ず発作を起し易いとの事で御座います。右は如何なる原因で御座いましようか。霊的でなく脳膜炎を固める事によつても、この様な症状を起すもので御座いましようか。御救い戴きますには如何致しましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
之は霊的じやありませんよ。脳膜炎を固めてあるんです。それで、前頭部ですね。ここに固まつている。それで、癲癇の様な症状が起るんですね。強度に引きつける――之は前頭部の中の――脳が、非常に神経を使う機能になつてますから――それから、尿を漏します――小便を催すとか言うのは前頭部に神経があるんですから、ここに浄化が起る為に、そう言つた神経が鈍くなる――ぼーつとして鈍くなる。それで、尿を漏らす。発作中に無意識に――ここに浄化が起るから――強く起るので無意識になる。それが溶ける為です。学校の成績――無論悪いですね。今、天理教じや治りませんね。それ丈ですからね。前頭部の中を浄霊すると、すつかり治ります。之も、力を絶対入れちやいけません。之は、良くなると、目ヤニや洟が出ますから、そうしたら、しめたものです。それから痰が出る事もあります。そんな――排泄物で治つて来ます。それから、お腹の具合が悪い時は発作を――之は、お腹と頭は続いてますから、ここに浄化が起る時は、お腹も浄化する。だから、ここ(頭部)を浄霊すると、お腹がグーグーと鳴る事があります。天地になつてますからね。

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(お  伺) 
二十四才の男子。昨年一月に下腹部の苦痛と尿の濁りに、驚いて医者にかかり、尿道炎との事でペニシリン十本、ダイアジン三十本を注射しましたが何の効果なく、八月には睾丸結核で、右を手術にて取り去りましたが変化なく、他の医師に診て貰いました処、右腎臓結核故、至急手術せよと言われ、十二月手術しましたが、猶はつきりせず、今年一月には両肺浸潤と言われ、以後気胸を左肺に行つて参りましたが、三月頃より猛烈に尿道が痛み、全く不眠状態となりましたので、又ペニシリン四十本を打ち、レントゲンで焼き固めて参りましたが、依然として痛みは取れず、九月には医者も全快不能と言い、死を待つ許りでしたが、十一月に御道を知り、九死に一生を念じつつ御浄霊を戴きました処、十日目頃より猛烈な下痢の御浄化を戴き、激痛は殆んど無くなりました。然し、尿は二十分に一回づつ御座いますが、完全なる体になるとは思われませんが、今後如何なる方法をさせて戴きましたら宜敷う御座いましようか。

〔御  垂  示〕
全快不能と――之がおかしいんですね。全快不能にしたんですからね――御自分がね。放つたらかして置けば、ちやんと治つちやうのを、一生懸命に病気保存法をやつた訳ですね。実に――之をどうしても知らしてやらないと、人間は可哀想ですよ。如何なる方法つて、つまり浄霊ですね。之は、睾丸結核なんて、之は間違いらしいね。と言うのは、手術にて方法なく――と言うんですからね。若し、それが病気の原因なら良くならなければならない。それが、変化なく――と言うんだから、誤診だつた訳ですね。右腎臓結核――之も誤診ですね。と言うのは、手術をしても、猶はつきりせず――と言うんだからね。両肺浸潤――之は本当でしよう。肺浸潤と言うのは、さつきも言つた通り結構なものですから、放つたらかして置くと良い。之は薬毒ですよ。小便に薬毒が混じつて尿道を荒らす、そこに小便がしみますから、それで痛む。痛みは取れず――見当が違いますからね。全快不能――実に罪悪ですね。之は何でもないのを、段々やつて命迄奪うんですからね。実に大変な、恐るべきものですね。この人のは、大した病気はないんです。之は、医者がつくつたんです。つくつたと言うのは、レントゲン――薬毒が一番ですね。未だ、年も若いしするから、まあ――仕事が出来る位に迄は治るでしよう。然し、その間浄化がありますから――然し若いから大した事はないです。咳だとか下痢だとか、それから濃い小便だとか、そんな程度ですから。そう悲観する事はありませんね。実際、お医者が散々壊したのをこつちで修繕するんだからね。うんと金を使つて壊して貰うんだから、之程愚かな、悲惨な話はないですね。

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(お  伺) 
小島武左衛門(六十二才)昭和十八年頃物を持上げる途端に下腹が何となく力が抜けた様な感じが致しました。其時から左太股鼠蹊部の少し上の処に小さな膨れが出ました。脱腸と気附き、脱腸帯を使用し今日に至りましたが、膨れは段々大きくなりました。然し痛みは少しもありません。仰臥すれば引込みます。八月頃子供が、脱腸は色が変る様であれば生命に関わると、学校の先生に聞き、念の為に病院へ行き、診断を受けました処、医師にも同じ事を言われました。尚、この老年になつて脱腸とは珍らしい事だ。手術すれば治るが、又出るかも知れない、との事でした。万一出つ放しになれば、時を移さず手術しなければ、生命に関わると言われました。私と妻と長男及びその嫁が入信させて戴いて居ります。御屏風観音様は廿三年、御神体は廿五年十月に御奉斎させて戴いて居ります。御浄霊(約三カ月)は、教会の先生及び家でも毎晩戴いて居ります。脱腸には何等変化御座いません。農家の関係上、少しは力仕事も致しますが差支えないもので御座いましようか。又御浄霊の急所に就き御垂示御願い申し上げます。

〔御  垂  示〕
然し、脱腸と言うのは、年寄りによくありますよ。赤ん坊と年寄りに多いですね。こう言うのは腹膜に毒が溜つて、圧迫するんですからね。子供のうちのは――鼠蹊部に穴が開いている――人間はね。穴が大きいのは腸が出る。年取つたのは穴が開いていると言う事はないから、圧迫です。圧迫されるから、どうしても軟らかい処に出るんですね。それから、色が変る様であれば生命に――こんな事はないですね。他の訳ですね。腸は――腹が疵して脱出するのは、命に関わりますが、皮の中で疵しても、まあ――命に関わる事はないですね。心配しなくても良いです。お腹に固りがありますから、浄霊して取ると良い。それから、帯を固く締めてはいけない。固く締めると、どうしても腸を圧迫して、出るから――帯は固く締めてはいけない。それから、腎臓の後も大事ですから背中から尾骨(ビテイコツ)の方をやる。それから、之も力を絶対に抜く様にしてやる。之は心配した事はないですよ。然し、相当長くかかるな。年取ると、幾らか、そういつた――緊張力が弱つてますからね。でも、段々治るから、今言つた様にしてやつて御覧なさい。

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〔御  教  え〕

(御論文「⇒無神迷信」のあとの御教え)【註  栄光一三四号】

もう少し書く積りなんですがね。それは、先にも少し――一寸、書いた事がありますがね。人の目を誤魔化し得ても、自分の目を誤魔化し得ないと言う事を――先に、書いた積りですがね。だから、誰も知らないと思つても、自分丈は知つているんです。処が、自分と言うのは、霊線によつて神様に繋がつてますから、何かあると、自分が知つている事は、取締りの方に直ぐ知れちやうんです。つまり、閻魔の浄玻璃の鏡の様なものですね。そこで、審きと言うか、浄化と言うか――起るので、その点を知らせれば良いんです。だから今の文化と言うのは、実に安直なもので、ああ言う――相当社会的にも偉い人達が、殆んど悪い事をしてない者はない位ですからね。それで今――此処に役人の人が居たら――何ですけれどもね――官吏と言う――役人と言うのは、実に信仰が嫌いなんです。ですから、役人で信仰に入ると言うのは非常に少ないんです。少ないから、役人で信仰に入るのは――非常に偉い人ですね。そんな様な具合ですから、無神者と言うのは役人、新聞屋とかジヤーナリストですね。だから、そう言う人は、どうしても隠し事をしたがる。そういつた、社会を指導する様な、社会の上に立つ様な人が、そう言う事をするから、どうしても一般は真似する。それを我々は打破るんですから中々大変な事です。之は人間業ではないから――神様がやつているから出来る様なものの、それを解らせると言う事です。そうでなければ、幾らでも出て来る訳ですね。だから、始終政府では官紀粛正だとか、色々やつてますが、一時的なもので――今大分喧ましくなつたから、当分の間気をつけ様、今にほとぼりが冷めたら――今の処はその積りでやり給え、と言う様な具合でね。だから、何時迄経つても、後々と出る。医学の対症療法みたいなものです。痛い処は、注射で取る。熱い処は氷で冷ますと言う――つまり、表面に出た処をやると言う――それが、今の文化ですからね。我々の方は、外に出たものは大して問題にしないが、出るべき元ですね。それをギユツとやつつけるんです。処が、こつちの方は目に見えない仕事で、向うの方は目に見える仕事だから――警察や法律で抑えつけるから、はつきり効果がある様に思われる。処が、我々の方は、その何倍、何十倍の効果があるが、目に見えない効果だからね。丁度、浄霊でやるのを医者の機械でやる様なものですね。

お蔭話に出てますが、最初は手を振つてやれば――治るものかと、失望したとあるが、処が翌る日になると大分良いので、変だと言う事になる。それと、ちつとも異わないですね。之が唯物教育の結果です。つまり唯物思想が悪の根本になる訳です。そこで、この間も、悪が今迄必要だつたと言う論文を書きましたが、それと同じ様に、みんなカチカチの唯物思想になつたと言う事も、之は今迄は必要だつたんです。それでなかつたら唯物文化は発達しないんですから、その為に発達したが、その代り余計な――あつてはいけない物があるから、救世教はそれを取ると言う仕事なんです。之は、良い物を拵え様とする場合に、ゴミとかカスとか、色んな汚たない物が出来るんだから、それを未だ取り切れないで、汚たない――削つた粉だとか、色んな物があるんですね。あるのがそれで良いとしているのが、今の文化です。苦しみ乍ら、それに気がつかないでいる。そこで我々の方は、出来上つた物はとつて置いて、汚たない物は掃除していく――しなければならないと言うんです。処が、使い途になるのは少なくて、カスの方がずつと多いんです。だから厄介ですが、神様がやられているんだからね。いずれはちやんと掃除が出来ますがね。その掃除と言うのは――段々、掃除されるべく、神様の力が強くなりますからね。それが、つまり火素が増えるんですね。霊界が違つて来るから、結局に於て、浄化がどんどん強くなりますからね。今信仰に入つている信者ですね。信者も随分浄化が強くなつているが、信者だから浄霊で解決がついてますが、一般――世の中に浄化が強く来る様になると、之は大変です。幾分そう言う傾向が見えて来ましたがね。今迄は寒くなると赤痢が無くなるが、今年は寒くなつても赤痢が出るんですね。ああ言うのは、浄化が強くなつたんですね。一番始末が悪いのは薬毒ですが――狐が薬毒を知つているんです。それで、人間に教えているのがありますからね。 

(「⇒狐霊でさえ薬毒の害を知つている」)

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それから、B・C・G問題に就いて、この間新聞に出ていた或る村の事が一寸面白いと思うのでそれに書き添えたのと一緒に新聞に出して、この間のも、之も厚生大臣に送つてやろうと思つてますがね。

(「⇒B・C・G問題」)  【註  栄光一三五号】

(教四号  昭和二十六年十二月十五日)