今度又、本教宣伝部から講師として、九州地方へ派遣の松井、鈴木、アザブ、鹿島の四氏は、出張に際し私の原稿を是非貰いたいというので、書いたのが左記の論説で、之を掲載する事にした。
私は今日の講演会に就て、直接皆さんにお話したいのでありますが、何分私の現在は仕事が余りに多過ぎて、文字通り寸暇なく不可能でありますから、舌の代りに此原稿をかき、読ませる事にしたので、そのつもりで聴かれたいのであります。
茲で前以て断っておきたい事は、此話のあらましは、信者よりも未信者諸君を対象としたのであります。それで之からお話する数々は、まだ昔から何人も説いた事のない新しい説であって、少々桁外れと思う位であるから誰方もサゾ驚くでありましょう。だが充分心を落着けて玩味したならば暗夜に光明を得た如く心眼が開き、幸福の門の鍵を握るであろう事を、私は確信するのであります。
皆さん、今現在の文明世界を見て、どうお考えになりますか、言う迄もなく文化の進歩発達は驚異的である以上、大いに満足されなければならないに拘わらず、実際は何としてもそういう気にはなれないのであり、寧ろ今日の如く進歩する事すら恐ろしい感がする位なのはどうした訳でありましょうか。実に不思議と思うのであります。何故なれば文化の進歩の目的は、人類の幸福を増進させる事にあるからであります。処が現実は右の通り逆であるとしたら、其点に何か割切れない物があるに違いない。では其割切れない物とは何でありましょうか。それは之程進歩した今日でも人間には安心もなければ幸福もない、どんな人でも病気の苦しみ、経済難、戦争の恐怖等が附纏っていて、離れないのが現実であります。其様に進歩すればする程苦しみは益々深刻となり、其人間の数も増え、大規模になってゆくばかりであります。知らるる通り今や世界の二大分野としての、アメリカ側とソ聯側との対立であって、いつ何時第三次戦争が勃発するか分らない状勢にあります。而も今度戦争が始まったとしたら、恐ろしいアノ原子爆弾が飛び出すに決っているし、そうなったら万事お仕舞いです、恐らく世界は墓場となるか知れないのであります。何と戦慄すべき事ではないでしょうか。之が文化の進歩のお蔭としたら、之程の矛盾があるでありましょうか、此点深く考えなくてはなりますまい。之によってみても、現在は全く文明と幸福とは、離れ離れになっており、而も之に気の付く者が殆んどないとしたら、世界の前途は暗澹たるもので悲観の一途あるのみでありましょう、処が私は其根本原因を発見したのであります。それによって悲観処か、今は大楽観に転じているので、此様な有難い事を一人でも多くの人にお知らせしたい念願であります。夫に就て申したい事は、現在の文明は本当の文明ではなく片輪の文明であるという事であります。とすると誰しも意外に思うでしょうが、成程物質的には大いに進歩はしたが、精神的には少しも進歩していない、つまり、人体で言えば跛(チンバ)であります。右の脚だけ歩けて左の脚は歩けないのと同様で、例えば右の脚が物質文明としたら左の脚が精神文明であるから、此不具の左の脚も歩けるようにしなければならないのであります。処が精神の方は何しろ目に見えない相手だから科学では駄目で、ヤハリ見えない力に依るより外ないのであります。併し此見えない力は生憎(アイニク)世界中何処を探しても見当らないし、今迄とてもなかったのであります。論より證拠昔から教育や、道徳、宗教等が如何に骨を折っても或程度の効き目はあったが、根本的効果はなかったという事は現在の世の中がよく物語っているでありましょう。
処が其力が今度現われたのであります。それが我救世教であるというと知らない人は恐ろしい大法螺吹と思うでありましょうが、事実は飽く迄事実であって、私は其力を神様から与えられたのであります。然し此事は今初めて私が唱えるのではない。二千年以上も前に已にキリストも釈迦も立派に予言されております。では何故私が其様な大任を神様から荷わせられたかというと、前にも述べた如く現代文明は極度に行き詰まり、世界は滅亡の寸前に迄来ているからでキリストの言われた世の終りの姿であります。而も之は空理空論ではなく目前に迫っている現実であって、お互は今や世界的破局に直面しているといってもいいでしょう。
そうして私は今、文明の創造という本をかいております。此要旨は現在の文明は真の文明ではない魂のない空虚な文明であるから此文明に魂を入れて、苦しみを作っている文明を、喜びを作る文明に置き替えようとするのであります。此本当の文明を詳しく説いたもので謂わば、真文明の設計書ともいうべきものであります。出来上った上は英文に訳して全世界の各大学を始め、学界、新聞社、著名人等、出来るだけ広範囲に配布するつもりであります。之によって恐らく世界的一大センセーションを捲き起すでありましょう、そうして此説の根本は、人類から病気を無くし、貧乏を無くし、争いを無くすという本教のモットーである病・貧・争絶無の世界を造る、其方法を明示したものであります。勿論争いといっても個人と共に戦争もそうであり、之を無くす事こそ、全人類を救う最も根本条件でありましょう。言う迄もなく真の文明世界とは、何よりも、人間生命の安全であります。処が現在生命を脅すものとしては、病気と戦争の二つであるから、此二つの問題を解決する以外、他の如何なる条件が具わっても無意味であります。処が私は此二大災厄を根本的に解決し得る方法と力を、私は神様から教えられ与えられたのであります。従って此様な素晴しい我メシヤ教の実体は、実は宗教ではないので、宗教を超越した処の大なる救いの業であって、全宗教をはじめ、一切を救う処の空前の大偉業であります。
今一つ言いたい事は、現在吾々の住んでいる此日本の現在であります。諸君も知らるる通り結核問題、食糧問題、経済問題等々、山積している難問題も本教の主旨に従えば、容易に解決されるのであります。勿論個人としても此地獄の世の中にあり乍ら、天国的生活者となり得るのであります。処が之程な結構なメシヤ教でも、何や彼や誤解をされたり、迫害されたりしているが、之も御存知の如く昔から宗教に迫害は附物で、本教などは寧ろ軽い方でありましょう。最後に申したい事は、右のような私の言う事に些かでも疑いを持つ人があるとしたら、百聞は一見に如かずで、思い切って接してみる事で、生れ変ったような歓喜の生活者となる事は、太鼓判を捺しても間違いはありません。恐らく世の中に幸福の嫌いな人は一人もありますまいから、幸福の欲しい人は、遠慮なくドシドシお出で下さいとお勧めする次第であります。
(栄光百三十号 昭和二十六年十一月十四日)