本教は龍神というものは、此世の中に確かに存在しているという事を以前から唱えているが、今の人は仲々信じられない。先ず昔蒙昧時代の産物位にしか思っていないが、之も無理はない。何しろ話だけで、目に見えないから致し方なかった。処が本教信者になると、まざまざと目に見せられるので、文句は言えなくなる。それも一人だけなら其人の潜在意識の為と想われるが、同時に幾人もの人の眼に映るのだから、どう否定のしようもないのである。左のお蔭話は其事が実にハッキリしているので、之を読んで尚疑う人があるとすれば、其人はどうにも救えない科学迷信者である。
龍神此眼で見たり
埼玉県 S・M
御明主様が何時も申されます霊界には龍神界が実在するとの御言葉通り、私外六名が絵にある如き龍神をまざまざと見せられた体験をここに御報告させて戴きます。
八月のある夕暮の事でした。以前より神経麻痺にて両足がブラブラになって悩んで居た、M(二三歳)さんより出張を頼まれ毎日出張して御浄霊をさせて戴いて居りましたが今一息という処で中々はかどりません。月並祭の時会長先生にお伺い致しますと「龍神に何か関係あるかも知れませんね」と申されましたので、早速Mさんに聞いてみますと「明治四三年の洪水の時に埋まってその儘になっている古井戸があります」との事なので、夕暮ではありましたが家人に案内させ其処を見せて戴きますと、現在の井戸より約二米程離れた処で、今では物置小屋の土台の下に成り相当不浄になって居りますので、綺麗に掃除をさせ、龍神に御無礼を御詫び申し上げ、新しい井戸に御移り下さいます様御願いして、新しい方の井戸に御供え物をして一緒に来た信者さんや家族の人々と祝詞を奏上しながら、フト井戸の中を見ますと、古井戸に面した隅の方に五寸位の銀色に光るものが浮いて参りました。私はこれはと思い、傍に居る人々に指で井戸の中を指差しました。全員祝詞奏上しながら見守って居りますと、それが段々大きくなり、一尺程に延び驚きました。丁度絵や彫刻でみます龍の顔ではありませんか、長い髭までも見える様になり、遂に胴体も現わしまして、龍神の姿は井戸一杯に延び泳いでいる様にみえ、水面は小波立ち、小さな波の音すら聞える様な気が致しました。
其状は恰も夜空に輝く天の川か、大海に朝日が昇る時の様に何と言うか、筆舌には現わし様が有りません。祝詞を三回奏上致し、龍神に只今迄の御無礼を御詫び申し上げ、娘の病気が早く全快する様御願い致しますと、スーッと姿は消えて元の真暗な井戸になりました。その頃は辺りもトップリと日が暮れて居りました。
家人が夕飯の用意が出来て居りますからとのこと故座敷に通り、膳に向いますと驚きました。膳にのっている海苔巻寿司が丁度蛇の胴切りにした様に見え、中の干瓢が骨の様に見え、海苔が蛇の鱗の様に見えます。これはいかん、此方の奴と赤いでんぶのついた握り寿司の方に箸を向けると蛇の切身の血の滴る様に見えますので、寿司の方は断念して胡瓜もみなら大丈夫とおもい一箸口に入れてみますと、口の中が生臭くなり、ナメクジでも噛む様に感じたのですぐ吐き出してしまいましたが、口中に残った臭が中々取れませんので、お茶を飲みますと其お茶も同様の感じがしますので、これも吐き出してしまいました。うどんも出たのですが全部蛇の子の様に見えてしまいました。之は私一人でなく皆そう見えるのでしょう。折角の御馳走を誰も手をつけるものはありません。仕方無く何も戴かずに帰途に就きましたが、途中生唾を吐き通しです。余り気持が悪いので氷水でも飲んではと思い氷屋に飛込み二杯程飲んでみましたが、やはり止りません。ほうほうの態で家に着き、大光明如来様に御守護御願い申し上げますと、さしも執念深い生唾も止りました。
「龍なんてそんなものは此世にあるものか」と一口に言う無神論の方には、此事実をなんとお思いになる事でしょう。私 一人ならいざ知らず、六人もの人がはっきりと見えたのです から事実は否定出来ません。ちなみにMさんの娘さんはそれから急に良くなり、只今では少しずつ歩ける様になりました。
(栄光百四十三号 昭和二十七年二月十三日)