今更頭を新しくせよなどといった処で、此言葉はもう言い尽され、古くなっているが、私の今言わんとするそれは、チト違うのである。先づ私から見た現代人の新しさは、本当の新しさとは言えない。先づ新しがる新しさ、新し振りである。どうみても古い物を新しい衣で包んでいるようにしか思えない。というのは今日進歩したと言われる医学でさえ実に古い。
之は常に唱えているから信者は充分知っているが、其他農業にしろ、政治、経済、教育、芸術、労働問題等にしてもそうである。何も彼も古すぎて黴が生えているとしか思えない。といったら私の頭脳を疑うかも知れないが、そう思う観念が既に古い頭の為である。
之を現在最も判り易い例を挙げてみれば、彼の民主主義である。之なども民主主義の衣の袖から鎧や刀がチラチラ隙いて見える。而も此刀が兎もすれば人権を傷つけるから危い話だ。そうかと思うと口に男女同権を唱え乍ら、一寸癪に障ったり、酔払ったりすると、嬶の横面位殴り兼ねない亭主も、中々あるらしい。又金銭で女性の貞操を蹂躪する事など当り前のように思っている輩もある。
以上のように社会は上から下まで、道義の頽廃は勿論、役人の汚職、殺人、強盗、詐欺など毎日の新聞に出ていない事はない位である。又スト流行りで、ヤレ停電、石炭不足、交通杜絶等々、何だ彼んだと社会を脅かしている。之なども全く文明の衣を着せた野蛮人の集合体としか思えない。
此様に見てくると、凡てが古くて黴が生えて腐敗し、埃で埋まっているといってもよく、手がつけられない有様だ。之等一切の原因を考えてみると、全く唯物思想一点張の結果であるのは言う迄もないが、此思想こそもう古いものであるが、仲々之に気の附く人が少いので、態々地獄文明を作って、其中で喘いでいるのであるから、どうしても本当の新しい文明教育をしなければならないので、私はそれを信条として進んでいるのである。
そこで私が言う新しい思想とは、現代思想とは寧ろ反対である位だが、此の思想こそ今後の時代に於ける指導原理であるが、現代人の古い頭では不可解で、容易に信ずる事は出来難い。殊に知識人程そういう傾向があるから吾々が言いたい事は、立派なものと思って、君等が懐へ蓄えている品物こそ、近き将来使いものにならなくなり、棄てる運命になる事を知らしたいのである。
(昭和二十七年一月七日)