恐るべき科学迷信

現代はヤレ科学、ソレ科学と、何でも彼んでも科学でなければ夜も日も明けない有様で、全く人間科学の奴隷である。としたらそれでいいものであらうか。科学のみで凡ては解決されるであらうか。科学の力によって平和幸福な良い世の中が出来るものであらうか等々を考える時、どうも納得のゆかない点が多々ある事である。第一人間の最大欲求である幸福にしても、科学のみで得られるであらうかを考えてみるまでもなく、事実は寧ろ逆でさへあり、科学が進歩すればする程、反って不幸は増大するかのやうに思はれる。

という訳で思い出されるのは宗教であるが、之とても余り期待が出来ないのは、現在の世の中を見ても分る通り、幸福な人よりも不幸な人の方がどの位多いか知れないに見て明かである。というやうに、人間は一生涯かかっても幸福などは痴人の夢で、先づ諦めるより外はない。そこで大多数は苦楽繩の如きその日その日を只漠然と暮してゐるにすぎないのである。そこでどうしても、科学以上、宗教以上の新しくして偉大な救いの力が生まれなければどうしやうもあるまい。

茲で飜って今日の世界を見る時、その素晴しさは全く驚異的であり、之も全く科学の進歩の御蔭であって、此趨勢を以て進めば、科学によって人類の幸福は益々増進するとし、科学に絶対の期待をかけてゐるのが現在である。従って今日新聞、雑誌、ラヂオ等にしても、科学の二字が入らなければ人々は絶対信じやうとしない。昔平家に非ざれば人に非ずといった時代と同様、科学に非ざれば文化に非ずとして、科学は殆んど神格化された観がする。処が之に対して私は科学の大部分は迷信なりというのであるから、何人も私の頭脳を疑うかも知れないが、之を最後まで読めば成程と肯かざるを得ないであらう。

以上の如く科学信者になりきってゐる現代人は、科学で解決出来ないものはないと信じきってゐる結果、科学で解決出来るものと出来ないものとの区別が判らないまま進んでゐるのであるから、実に恐ろしいといえよう。その為生じた破綻にも一向気付かず、現在の如く何も彼も行詰りとなり、混迷の中に藻掻いてゐるのであるから困ったものである。そこで私は科学では解決不可能なものを取上げてみよう。即ち、健康、道徳、芸術、恋愛、幸福、先づザット斯んなものであらう。

健康 之に就いて私は常に、人間は科学で造られたものではないから、科学での解決は見当違いであるとしてゐるから、茲では略す事とする。

道徳 之こそ精神面である以上、科学とは何等関係はない。つまり科学的見方でいへば、道徳とは無形な観念の産物である以上、形である法にさへ触れなければいいとする考へ方の為道義地に堕ち、今回の如き汚職事件などが発生したのであらう。

芸術 之も説明の要はない程明らかで、芸術と科学とは何等繋がりがないのは誰も知る通りである。然し間接的には多少役立ってはゐるが、それも僅かで問題とはならない。

恋愛 之だけは最も科学と縁がない。男が女を愛し、女が男を愛するのは、神代からの宿命であって、科学と雖もどうしやうもない。

幸福 之が最重要問題であるから詳しく記いてみよう。成程科学は幸福の一条件とはなってゐるが全部ではない。つまり補助的効果にすぎないのであって、それを幸福全部と思った処に欠陥があったのである。それは言う迄もなく科学に幻惑された結果、科学さへ進歩させれば幸福も伴うと思ったのである。処が事実は意外にも幸福はそれに伴はない処か、寧ろ不幸の方が増大するかとさへ思はれるのである。例えば産業の発達によって人間は余りに機械化し、生活の楽しみは奪はれ、只生きんが為に働くという洵に味気ない人生に追込まれて了った。

而も職業によっては生命の危険にさへ晒される機会が多く、搗て加えて病気の脅威、経済難、生活苦、戦争の恐怖等々は勿論、最近に到って驚くべき事態の発生である。それは彼の水素爆弾である。之が如何に人類の度胆を抜いたかは知らるる通りで、今や世界を挙げて戦慄の渦中にあり、破滅の恐怖に脅えてゐる。之等を見る時最早科学の進歩は極点に達した観がある。斯うなっては地球の捩子(ネジ)を逆に捲きたくなる位である。

以上によって科学文明は、何といっても最後の段階に来た事で、前途暗澹たるものであり、勿論此儘で済む筈もないから、茲に私が常に唱えてゐる世界的大転換の幕が切って落された事が分るであらう。之を私からみれば当然来るべきものが来ただけの事で、何等不思議はないのである。

言はば旧文明と新文明との交替であって、此大経綸の担当者として選ばれたのが私である以上、此危機を脱せんとするには、速かに我救世教に入信する事であり、それ以外に方法のない事は断言するのである。そうして之こそ本教のモットーである病貧争絶無の世界であって、原爆も水爆も何等恐るるに足りない不安なき地上天国であり、此世界の住民となるこそ真の幸福者であり、神の大愛に浴したのである。

(昭和二十九年四月十五日)