私は之迄医学に対しては、随分思ひ切ってその欠陥を挙げたつもりだが、何しろ滔々たる今日の医学迷信を目覚めさせるには、今迄のやうなかき方では、まだまだ生温い感がするので、茲に一層赤裸々に実体を暴露してみようと思うのである。何しろ神示の鏡に照らし実際を見る時、医学の迷蒙が如何に多くの人間を犠牲にしつつあるかは、到底想像もつかない程であって、到底我慢は出来ないのみか、人類の将来を思う時、慄然として肌に粟を生ずるのである。故に之を第三者が読む時、その余りの意想外な説に唖然として分りかけが出来ないであらうが、之が永遠不滅の真理である以上、心を潜めて熟読すれば、分らない筈はないと思うのである。
そこで先づ結論からかいてみるが、即ち医学は根本から間違ってゐる事と、薬は全部毒である事との此二点であって、その証拠として若し医薬で病気が治るものなら、人間は祖先以来今日迄用いた薬の量はどの位に上るか分らない程であるから、疾の昔に病人はなくなってゐる筈である。又個人にしても罹病するや、早速医師に診て貰うのが常識となってをり、手後れなどは滅多にあらう筈はなく、而も昔からの有名な薬や、近頃のやうに次々出て来る新薬にしても、効能顕著なりと医師も推奨してゐる位だから、病気はドシドシ治り、病人は減るばかりで、医師も売薬業者も失業者となり、病院もガラ空きとなって、閉鎖の止むなきに至る筈である。
処が事実はその反対であるとしたら、斯んな理屈に合はない話はないではないか。斯んな分り切った事でさへ気がつかず、相変らず盲蛇的に進んでゐるのであるから、何と評していいか言葉はない。之も全く医学迷信の虜となってゐるからである。それ処か当事者は反対に医学の進歩を誇称し、偶々子供騙し的手術の成功や、一寸した療法の新発見でもあると、鬼の首でもとったやうに有頂天となり、大袈裟に発表すると共に、新聞やラヂオなども特ダネ的に扱うのだから、何も知らない大衆は丸呑みにして了い、益々深みに嵌り込むのである。処が事実は皮肉にも病人は益々増へるばかりで、人々は病気の不安に脅えつつあるのが現在である。
では此様な医学の根本的盲点は何処にあるかというと、之こそ問題の核心であって、即ち医療を受けるや一時苦痛が治まるので、之で治ると思うのであるが、此考え方は大変な間違いであって、実は治ったやうにみえてもそれは一時的で、日の経つに従いその殆んどは持病か慢性か再発かの何れかになり、根治する者は先づないといってよからう。然し偶には本当に治る者もあるにはあるが、それは医薬の為ではなく、人間本来の自然良能によるのである。
それを知らない医師は、医療で治ったものと錯覚するのであるが、実は医療の妨害に対し自然良能の方が勝ったまでであるから、最初から医療を受けずに放ってをけば、自然良能は完全に発揮され、一層順調に而も速かに治るのである。そればかりか自然治癒であれば、薬毒も入れず反って減る以上、それだけ健康は増す訳である。といっても勿論根治とはならない。
何故なれば今日の人間悉くは、先天性及び後天性薬毒(生まれてから入れた薬)を驚く程多量に保有してゐるからで、全部除去するには普通人でも恐らく数十年はかかるであらう。然し自然治癒なら発病の都度軽く済むやうになるから、寧ろ喜ぶべきである。そうして之で気の付いた事は、それ程多量な薬毒があり乍ら、尚生きてゐるという人体は、如何に強靭に造られてゐるかであって、此点造物主に大いに感謝していいと思うのである。
以上によってみても、世の中に薬が無くなれば同時に病もなくなり、百歳以上生きらるる事は断言するのである。而も死の直前までピンピン働けるから不安はなく、安心立命者となるのは当然である。故に今日の如く百歳以下で死ぬのは、悉く薬毒の為であるから、薬程恐ろしいものはなく、寧ろ戦争以上といっても過言ではあるまい。従って此事を知っただけでも、一歩幸福の門に入ったのであって、之こそ人類救済の第一歩であらねばならないのである。それがどうだ、此様な医学を礼讃し信頼し、不幸を作ってゐるのであるから、その無智迷蒙驚くの外あるまい。
以上私は思うが儘をかいたので、随分極端な暴論と思うかも知れないが、之が真理である以上、やがて目覚むる時の来るのは必然であって、その時の歓喜たるや筆舌には現はせないと思う。世間よく惚れりゃ菊石(アバタ)も笑窪(エクボ)に見えるというのと同様、医学に惚れ込んで盲目になってゐる現代人としては、絶世の美人ともいうべき私の説が目に入らないのは無理もないのである。
然し浄霊によって不治といはれた難病が治り、目醒めた人々が医学迷信当時を省みて、残念がる心境はよく分るのである。従って当事者は之に目覚め、私の説を実行するに於ては、その時から病人は減り始め、遂には病なき世界実現となるのは何等疑う処はないのである。
故に若し私の説に些かでも誤りがありとすれば、怪しからん人間として、当然社会から葬り去られるべきは勿論であるから、そんな自殺的行為をする筈はないのみか、此事たるや人智や学問の産物ではなく、最高神の啓示である以上、私は胸を張り、正々堂々と天下に豪語するのであって、之が世界全般に知れ渡るとしたら、その結果人類の最大悩みである病は解消し、茲に文明は百八十度の転換となり、人類待望の光明世界実現は期して待つべきである。
(昭和二十九年二月十五日)