著述編

自観叢書

順序

“神は順序なり”といふ事が昔から謂はれてゐるが之は全くそうであると思ふ。何事に於てもそれが滑らかに運ばないといふ原因は、全く順序が紊れているからで、特に人事に於てそうである。支那の諺に「夫婦別あり、老幼序あり」といふが全く至言である。近来社...
自観叢書

借金

私が中年頃から二十余年間は、実に借金との苦闘史時代といってもよからう。忘れもしない私が三十五六才の時大失敗をして、借金と縁を結んでしまった。然しそれから何とかして借金と手を切らうと焦ってはみたが、焦れば焦る程反って借金を殖やすといふ結果にな...
自観叢書

正直と嘘

正直にする方がいいか嘘をつく方がいいかといへば、正直にする方がいいといふ事は余りにも明かである。然し乍ら世の中の事はそう単純ではないから正直でなければならない場合もあり、嘘をつかねばならない場合もある。此区別の判り得る人が偉いとか利巧とかい...
自観叢書

馬鹿正直

斯ういふ事があった。私は廿五才の時に世帯を持ったが、その時親戚の中に苦労人が居た。その人の曰く。「お前のような馬鹿正直の人間は世の中へ出た処で成功しっこない。何故なら、今の世の中で成功する奴は嘘をうまく吐き、三角流でなくては駄目だ。」と散々...
自観叢書

人が恐ろしい

今日、私の仕事をみる人がよくいふ言葉に、先生は実に大胆で何をやっても構想が大きいと驚いてゐるが、全くそうであらう。全人類を救ひ病貧争絶無の世界を造り、現世を天国化するといふのであるから、先づ普通人から見たら誇大妄想以外の何物でもあるまい。否...
自観叢書

はしがき

私は日本流に数えて今年六十八歳となるが今日迄凡ゆる世の中の辛酸は嘗め尽したつもりである。恐らく私ほど異色ある波瀾重畳の境遇を経たものはあまりあるまい。或時は高い山の上に乗せられたかと思ふや、忽ちにして谷底へ突落され、そうかと思うと又高い山の...
自観叢書

黄泉比良坂の戦

此標題に就て、時々訊ねられるから概略解説してみよう。之は勿論古事記にあるものでそれを如実に私が体験した経緯をかくのである。今から恰度二十年位前、或日青山から明治神宮参道から神宮の入口に向って二三丁行った処の恰度参道ダラダラ坂の三分の二位の地...
自観叢書

霊写真

私は曩にかいた如く、昭和三年二月の四日の節分の日、それまで従事してゐた仕事を全部放擲し信仰生活に入った記念日でもある。勿論神示によって私の使命を覚り、幾多の奇蹟によって確信を得たからで、全身全霊を打込まざるを得ない事になったからである。此時...
自観叢書

入信後の神懸り

私は入信後、出来るだけ信仰の知識を得ようとして、間さえあれば大本教の出版物の読破に努めた。当時大本教では教祖出口直子刀自の書かれたお筆先を、唯一の聖典としてゐたので、一般信者は勿論私としても専心読み耽った事はいふまでもない。元来お筆先といふ...
自観叢書

本教救ひの特異性

本教の使命は地獄で苦しんでゐる人達を、天国へ救ふので、それによって社会を天国化そうとするのである。此意味に於て、人を天国へ救ふには、先づ自分が天国に上って天国人となり、大衆を救ひ上げるのである。つまり地獄から天国へ梯子をかけて、手を延して一...