斯ういふ事があった。私は廿五才の時に世帯を持ったが、その時親戚の中に苦労人が居た。その人の曰く。「お前のような馬鹿正直の人間は世の中へ出た処で成功しっこない。何故なら、今の世の中で成功する奴は嘘をうまく吐き、三角流でなくては駄目だ。」と散々言はれたので、私も成程と思ひ、独立してから一生懸命嘘を巧くつくように努めてみたがどうもうまくゆかない。そればかりではない。常に心の中は苦しくてならない。
其結果『俺といふ人間は嘘は駄目だ。成功しなくてもいいから本来の正直流でやらう。』と決心し正直流で押し通した。処が之は意外実にうまくゆく、気持がいい、人が信用する、といふ三拍子揃ってトントン拍子に発展し、終に一文なし同様の小商人から十年位経た頃、当時としては異数の成功者と言はれた程で、十数万円の資産家になったのである。それから今日迄正直流で押し通して来た。之も若い人の参考になると思ふからかいたのである。
(自観叢書五 昭和二十四年八月三十日)