明主様

自観叢書

大本教脱退の理由

之はよく聞かれるから、簡単ながら弁明する事にする。確か昭和二、三年頃だったと思うが、出口先生の実母が病気危篤の際、先生を枕元へ呼び言はれた事は、「私は若い頃、有栖川熾仁親王の国学の先生が私の父であった。その縁で、宮様が京都へ御滞在の折、私は...
自観叢書

麹町時代

前項の如く、私は昭和三年から昭和九年迄六年間、霊的研究と相俟って、神霊療法による病気治療の確信を得る迄に至ったので、之を引提げて世に問ふべく決意した。そこで、其頃の東京市の成可中心を選ばうとして、麹町平河町に、ピッタリ条件の叶った貸家があっ...
自観叢書

大森時代

愈よ全身全霊を打込み、神の命のまま進む事となった。何しろ神の意図が半分、自己意識が半分というような訳で、普通人より心強い気もするが、普通人より心細い気もする。勿論それ程の経済的余裕もなく、先づ数ケ月維持する位の程度しかなく、確実な収入の見込...
自観叢書

入信以後

それから私は、信仰に関してどこまでも深く究めなければならない、という覚悟を以て大本教に関する書籍、特にお筆先は繰返し、繰返し熟読したものである。尤も大本教に於てもお筆先を唯一の聖典として、拝読を奨励したからでもある。処がお筆先というものは、...
自観叢書

入信の動機

私の若い頃は不正を憎む心が旺盛で困る事がある。特に政治家の不正や、指導階級の悪徳ぶり等を、新聞や雑誌でみたり、人から聞かされたりすると、憤激が起ってどうにも仕様がない事がある。全く信仰上からいえば厄介な小乗的人間であった。此様な性格が私をし...
自観叢書

入信以前の私

私が信仰生活に入ったのは、前述の如く、大正九年夏三十九才の時であった。私の性格と入信の原因に就て述べてみるが、それまで私といふものは無神論者のカンカンで、神も仏もそんなものはある筈がない。そういふ見えざるものを信ずるのは迷信以外の何物でもな...
自観叢書

はしがき

之は私の自舒伝である。最初わが半生の記と名づけたのであるが「光への道」の方が感じがいいのでそう名づけたのである。私の前半生は洵に平凡で世間ありふれた経歴で、面白くないから書かない事にしたのである。それが三十八歳の時私は運命の一大転換に逢着し...
自観叢書

序文

著者須江孝雄氏は信者に非ずして信者なりという立場の人である。その須江氏が私を客観的にみての批判である処に反って面白いと思ふのである。而も宗教的方面に於る氏の該博なる知識と、それに加えて隠れたる第三者的立場にある某有力なる宗教学者の援助もあっ...
自観叢書

序文

抑々、凡ゆる文化の向上は、破壊と建設を繰返しつつ進歩し、発展しつつ今日に到った事は何人も知る所である。破壊と建設にも大中小千差万別ある事も亦事実である。吾等が常に唱える地上天国の建設とは最も大いなる創造であって、空前の偉業であるといえよう。...
自観叢書

大本信者時代の私

私が大本教に入信してから数年の間は、実に信仰は小乗的で、固苦しい極端な程禁欲的であった。何しろ衣服などは絹物はいけない、木綿でなくては着るべからずといふのであるから推して知るべきである。言霊学上絹物とは着ぬ物であり、木綿は気がモメン、家庭が...