狂信

私が大本教へ入信後聞いた話であるが、大本教発祥の頃例のお筆先が信仰の中心であった為、お筆先の一字一句も見逃さないで、それを直訳的に実行した連中があったから堪らない。その結果実に笑ふにも笑えない喜劇が生まれたのである。

其頃大本教の本元綾部の町の出来事で、斯ういう面白い事があった。それは真昼間提灯をつけて、往来の真中を大手をふって威風堂々と数人が練り歩いたのである。車や自動車が来ても決して除けない。そこで町民も非常に困って勧告をしたが、いっかな言ふ事をきかない。彼等に言はせると、「お筆先通りをやってゐるのだ。神様の思召しや。」と頑としてゐる、という嘘のような本当の事があった。そのお筆先といふのは斯う書いてある。「今の世は闇の世であるから、提灯がなければ危うて歩けんぞよ。」とあり、又「大本の道は真中の道であるから、端を通るようの事では、神のきかいに叶はんぞよ。」といふ事を文字通り実行した訳である。

(自観叢書五 昭和二十四年八月三十日)