日本美術とその将来 三、蒔絵

次に、美術工芸に就てかいてみるが、之も絵画と同様古人の優秀さは驚くべきものがある。先づ外国にない日本独特の工芸美術としては蒔絵である。因ってそれから書いてみよう。蒔絵は余程古くから発達したもので、天平時代既に立派な作品が出来てゐる。勿論その時代のものは仏教関係のものが多く、研出(トギダシ)蒔絵の経筥(キョウバコ)などが殆んどである。蒔絵が大に盛んになったのは鎌倉室町時代からで、次で足利期に及び桃山時代に至って大いに進歩発達し、名工も簇出したのである。就中五十嵐道甫、山本春正、古満休意、休伯、塩見政誠等は重なる名工であり。多くの名作を残してゐる。それ迄は研出蒔絵のみであったが、其頃から高蒔絵が制出されるようになったが、一方これに対し全然新しい図案と描法を以て一大センセーションを捲き起したものは、彼の本阿彌光悦及び尾形光琳である。彼等は鉛、青貝、金平、蒔絵等を巧みに応用し、前者の巧緻を極めた美々しきものに対し、之は亦自由奔放独特の図案は勿論、雅致横溢したものである。

次いで小川破笠の陶器を混入した新機軸的のものや、杣田重光の金銀の薄板と青貝等を主とした独特の作を出すあり、漆芸の進歩著るしいものがある。そうして桃山時代の飛躍の後を受けて徳川期に入るや、各大名が競ふて大作名作を制作させたので、名工輩出すると共に、彼の百万石の大々名加賀の前田氏の如きは御小屋と称し、庭園の一部に仕事場を作り、名工を招聘し、材料も手間も御入用構はずで一生涯捨扶持をやった事によって、如何に絢爛優秀なる作品を生むに至ったかは、今尚博物館初め各所に残ってゐるものにみてもよく判るのである。全く日本が世界に誇る一大芸術国である事も認識され得やう。

近代に至っては梶川彦兵衛、同文龍斎、中山胡民等の名工等が明治に入るや簇出し始めたのである。蒔絵も他の美術と等しく幕末から明治初年の衰退期を経て一躍全盛期に突入した。柴田是真、白山松哉、小川松民、池田泰真、川之辺一朝、赤塚自得、植松抱民、同抱美、船橋舟眠、迎田秋悦、都築幸哉、由木尾雪雄等が重なるものである。

茲に特筆すべきは白山松哉である。恐らく彼は古今を通じての第一人者であって、彼の右に出づる者は一人もないといっても過言ではなからう。彼こそ漆芸界に於る大名人である。彼の作品を見る時私は頭が下るのである。勿論最初の帝室技芸員でありながら、彼の逸話として伝えらるる処は、大正時代彼は一日の手間賃四円五拾銭と決め、それ以上は決してとらないといふ事で、実に無欲恬淡、ただ芸術にのみ生きたといふ、彼こそは真の意味の芸術家であるといえよう。実に敬慕すべき巨匠ではあった。

(自観叢書五 昭和二十四年八月三十日)