御 教 え 集 第十八号

本冊子は、御参拝日における明主様の御教えを記録にとり、ここに「御教え集」として信徒の座右に呈せんとするものであります。

明主様の御神言の一語一語は、真善美全きミロクの御代への指針であり、この御教えを履み行う事によってこそ幸福者となり得るものと信ずるのであります。

信徒各位におかれましては、繰り返し拝読され、日々の施業に御精進あらん事を希う次第であります。

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昭和二十八年一月御教え

一月一日

元日は何時でも“今年は大いに意義のある年だ”とか、“発展する年だ”という様な事をよく言いますが、今私が言う“今年はよい年だ”という事は、御座成(オザナ)り的な事でなくて本当に今年は大きな意味があるのです。それは昭和二十年に終戦になりましたが、数字で解釈しますと「二十」という字は、文字でも数字でもそうですが非常に意味があるのです。これは「天地の結び」或いは「霊体の結び」という様な訳で、われわれの方で言う伊都能売です。ですから終戦になったという事は、霊体が結ぶという事になるのです。ですから大いに意味があります。今までにも昔から二十年という数字はたくさんありましたが、昭和というこの年号の文字につながる二十という事に、大いに意味があるのです。昭和の「昭」という文字は日偏に召すという字ですが、「召す」というのは神道の方で言う「しろしめす」という事です。「統一」とか「治める」という意味です。よく“天照大御神がこの土をしろしめし給う”という事があります。それから「和」というのは、大和(ヤマト)という意味ですが、「和」というのはやはり「世界」という大きな事の形です。ですから「日がしろしめす世界」という事です。そうするとその日というのは太陽です。日という字は、丸にチョンですが、この象形文字です。ですから日がしろしめす順序、段階として霊体が結ばれるというのが昭和二十年です。それでそういう意味から終戦になったのです。と同時に信教の自由という事になって、最初は観音教団ですが、とに角救世教として宗教的に活動ができるという事になったのです。神様の方の意味から言うとなかなか深いのです。それがだんだん進んで行って、昭和二十五、六、七というと、これはミロクですが、丁度二十五年の五月に私が引張られて今まで裁判が続いて、ようやく暮の二十四日、私の誕生日の翌日にああして済んだわけです。それに執行猶予という事になれば、もうおしまいになったのと同じ事なのだそうです。それに対してなにも拘束される様な事はないので、無罪と同じ結果になるわけです。そこで二十五、六、七のミロクがああして済んで、それは勿論経綸ですが、そうして今年が八ですから今年から開ける、ミロクの神業が開け始めるという事になるのですから、その意味において今年からは大変に結構な事になるのです。その初めですから、われわれにとっては今年は大変にいい年なのです。今日の歌でも分ったでしょうが、久しぶりで今日の元日は朗らかな気持で祝う事ができたのです。一昨年の元日は大してありませんが、その前から随分もやもやしていたのです。これは霊的にも大いに関係ありますが、ああいう大きな事件が起る前は非常に気持が悪いものです。やっぱり先方の霊が、霊と言っても普通の霊でなく黒雲みたいなものですが、それがとりまいているから気持が悪いのです。それで今日の元日はそういう点は少しもないので、晴れ晴れとした気持です。それで裁判の決まらないうちは非常に気持が悪いのです。普通の人と違う気持です。それは公判ですが、あの時は実に気持が悪いのです。これは地獄よりずっと悪いです。地獄の方がよほどよいのです。地獄はとても酷い所ですが、公平なのです。悪い事をしたそれに相当した罪ですが、現界の方はそうでなく不公平が第一番です。ですから地獄どころではありません。ああいう所を娑婆の地獄だと言いますが、とんでもない話です。霊界の地獄というのは、それは気持がよいものです。閻魔の庁と言って、罪は罪で閻魔の帳に書き止めてあって、いささかも不公平はありません。それで公判などで、自分はどうという事はなくて傍聴しているだけでも、実に気持が悪いのです。また何日に行ってその苦しみをしなければならないかと思うと、実に憂鬱になってしまいます。それが年中もやもやとひっかかっていたのです。しかしどうも仕方がないので我慢してましたが、それが無くなったという事は、私としては丁度雲が晴れたと同じ気持なのです。ですから今日の歌にも最初にそう書いてありますが、そういう様なわけで今年から非常に気持よくやれると共に、又仕事の工合も丁度そういった様な形になって来ました。

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概略を話してみますと、箱根の美術館は五月に浮世絵の展覧会を大々的にやろうと思ってます。というのは去年の夏の美術館が終る頃から、浮世絵のいい物がしきりにはいって来るのです。それから又そういう方面と非常に連絡がとれたりして、どうしても神様は浮世絵展覧会をやれという事がよく分るのです。ですから大体手にはいった品物と、外から借りる品物が集まってますから、それで去年の京都の浮世絵の展覧会よりもずっと上の展覧会ができます。二、三日前にもこういう事がありました。昔の或る成金で、一時は大成功者として今でもよく知られている人で、今では亡くなっていますが、その人が生きている時に、浮世絵のコレクションをつくろうと思って掛物を八十点集めたのです。それを二、三日前に五、六点見ましたが、すばらしいものです。それで外の所ではいやだが箱根美術館になら売ってもよいと言うのです。そして、べつに金には困らないので、お金は払いたい時に払いたいだけ払ってもらってもよい。それもいやなら美術館に陳列するならお貸しすると言うので、ばかにうまい話です。これだけでもちょっと人間業ではありません。間にはいった道具屋は信者ですが、不思議に思ってました。それから去年の京都の浮世絵展覧会の時に岩佐又兵衛(イワサマタベエ)の絵巻物が出てました。一つは「小栗判官」の伝記を画いた絵で、一つは「職人づくし」と言って昔からよくありますが、職人の生活を画いた巻物です。どっちも又兵衛の物としてはよい物ではありません。ところが去年の秋頃私の手にはいったのは「山中常盤」という十二巻の巻物です。それは又兵衛のうちでは最高の物です。もう一つは「堀江物語」という十二巻の物です。又兵衛としては「山中常盤」と「堀江物語」が最高の物としてあるのです。それが手にはいったのです。ですからそのうちの一つでも大変な物が、二つもはいるという事は実に不思議だと、その方の専門家は感心してました。この間藤懸という文学博士で、浮世絵では日本で一番で非常に研究している人ですが、その人も本当に驚いていたくらいです。そのために今新館を造ってます。萩の家の裏手の女の人の泊る所がありましたが、それを移動してその跡に別館として造ってます。それと本館の方の屏風のあった部屋と両方で丁度よいかと思います。それから場合によっては二回にわけてやろうかと思ってます。というのは巻物の十二巻というと随分長いので、場席をとるのです。それで昭和五年に「山中常盤」の巻物の展覧会を三越でやった事がありますが、何故三越でやったかというと、外ではその巻物を全部並べる場所がなくて三越でやったそうです。それで非常に評判になって、毎日列をつくってやっと見られたというくらいですから、よほど価値はある物です。ですからことによると、二回にわけるかも知れません。それで一回は一カ月くらいにします。ああいうものはあんまり長く陳列しておくと色が褪色する憂いがありますから、一カ月くらいが丁度いいのだそうです。ですから京都の浮世絵展覧会も約一カ月くらいでした。そういう様で、これは相当評判になるだろうと思ってます。美術館の方はそうです。

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それから熱海の方はみんな知っているでしょうが、今基礎工事をやりつつありますから、来月か再来月あたりからいよいよ建築の方に取りかかるという段取りになるかも知れません。それでいくら急いでも今年一ぱいはかかるだろうと思ってます。模型を造りましたが、最初の模型は気に入らないのでやり直したものが二、三日前からあそこに出てます。ただ塗りが間に合わないが、今日行ってみれば出来てます。とに角大体の外郭はもう変更はしないつもりです。模型どおりに造るつもりです。最初の模型は柱が太かったので、それをもっと細くして数を多くしたのでずっと荘厳味が出ました。これは何時も言うとおりル・コルビュジエという人がやり始めたコルビュジエ式です。それを研究して造つた図案です。ところが今までコルビュジエ式というのは、官庁とかデパート、アパート、会社、ホテルといった様な実用的なものにほとんど限られていた様なものです。最近のものではニューヨークの国際会館です。長方形のマッチ箱の様なものですが、それが代表的なものです。しかしこれは実用建築としては理想的と言ってもいいくらいに出来たものです。しかし宗教的建築は全然ありません。これは外国でも日本でもそうですが、どうも宗教的建築と言うと、古い物を模型にするという一つの型にはまっている様です。ですから東京でも築地の本願寺は鉄筋建築で随分金をかけてよく出来てますが、しかしあれもインドの寺院を模型としてます。それからあとは小さいものは方々に出来てますが、ほとんど昔からある神社形式と仏教の伽藍形式の様なもので、近代的感覚を表わしたものは全然ありません。それで私はごく近代も近代で、これ以上新しいものはないという様な考えで設計したのです。つまりコルビュジエ式を基本とした宗教建築で、これは全然夢にも思わない様式で、すくなくとも世界の建築界に向って異彩を放つだろうと思ってます。それでこの春コルビュジエという人が日本に来るそうですから、この人に模型なども見せようと思ってます。又先方も見たがるでしょう。この人は大分長く日本に居る予定だそうです。しかも建築する場所が都会などと違って、ああいう風景をとりいれての新しい宗教建築を造ったというので、全体的に一つの芸術品です。これこそ天然の美と人工の美をタイアップさせた本当に新しい試みと言いますか、世界的の新しい試みという意味のものです。ですから大いに楽しみだと思ってます。それと共に展望台にガラスの家も造りますが、これは大体会館と一緒くらいになるだろうと思ってます。これも世界にないものです。それはアメリカあたりで相当の山の上の小高い所にガラスの家というのがあります。そういう展望台式のものを写真で見ましたが、私の方のとは全然違います。そういった意味においても、おそらく世界にないと思ってます。そうしてだんだんに周囲の庭園も完成していきますから、とに角人々の目を引き、注目をあびるという事になるでしょう。それからこれはまだ間(マ)がありますが、今年の五、六月頃の花が咲いた時に、天然色映画に写して巡回する計画があります。これは毎日新聞社の主催で、アメリカの映画会社とも契約してしまったのです。おしむらくはもう一年おそいといいのです。そうするとメシヤ会館も出来上って非常にいいと思いますが、箱根の方があれだけ出来てますから、箱根の方の庭園から美術館も写しますから、一ぺんに世界にわかるという事になるわけです。

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それから「⇒アメリカを救う」の本も、日本文の方は出来上って今月から売りだす事になってます。英文の方は来月か再来月には出来るでしょう。それと共に樋口さんが近くハワイとアメリカに行く予定ですが、最初は多分ハワイのホノルルでしょう。それからアメリカはロスアンゼルスに本拠をかまえていよいよ外国の活動にうつるわけです。しかし外国と言いましてもアメリカあたりは本願寺とか天理教、生長の家という宗教団体で支部を何カ所もつくって信者も相当います。ところが私の方はそういうのとは全然違います。外の宗教は日本人の移民が目的になっているのです。だから外人はごく少ないのです。この頃はアメリカあたりで仏教信者が大分できつつある様ですがこれはキリスト教に満足しないで、何かを信仰したい、何かの宗教を研究したい、という人が、キリスト教ではおもしろくないという人が求めて、求めるとすればやはり仏教ですから、それを研究するかたわら……信ずるという人はごく少ないのですが……相当あるにはある様です。ところが私の方はそういった様な意味とは全然違って、本当に救世主(メシヤ)的の大救済なのです。そういう様に外国の、アメリカならアメリカ人を救うのが目的です。ですから将来あっちで「英文栄光」を発行しようと思ってます。それから「英文地上天国」というものを作ってあっちの人に大いに読ませ様という計画です。これは二十八年という数字と関係があるのです。さっきも言ったとおり霊体を結ぶという事は、霊が日本で体がアメリカです。それを結び、そうして開くという二十八の意味が、そういう計画にもなってます。それでアメリカで評判になるとか相当注目される様になればしめたものです。そうすると日本人が非常に早く救われるのです。若しも日本人がアメリカに行って“君の国では救世教という大した宗教が出来たが、あれはどういうものか”という質問をされますから、日本人でアメリカに行くには、少なくとも大体救世教の事を知っておかなければならないという様な事になるだろうと思います。そうして、アメリカで相当問題になれば、日本人を救うのに大いに力になるのです。それはどうせ神様がうまくやられますから、とに角今年から非常に発展するばかりか、いろんな方面が面白くなります。神様の計画はまだいろいろありますが、やっぱり時期ですから時期に応じてそれが出て来ます。又時期に応じてその都度お話をし、発表します。今年からはそのつもりで大いに楽しみにしてもらいたいと思います。

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一月二日

知ってのとおり、私の事件も暮の二十四日にようやく片付いたので、久しぶりに晴れ晴れしたお正月を迎えた様な気がしました。気持がいいのと、それからいろいろな御神業の模様も、丁度春になってこれからそういう工合になっていくのも時節のためです。裁判の事について暮の時に少し話をしましたが、まだもう一言話したいと思います。私は裁判について長い間非常に気持が悪かったのです。というのは、普通の裁判なら同じ気持が悪くても大した事はありませんが、私の裁判において一番気持の悪い事は、自分に気をとがめる様な事が少しでもあればいたし方ない、随分酷い目にあっても自分の罪次第いによっては我慢ができますが、何も悪い事をしなくて罪人扱いされるのですから、その気持の悪い事は大変なものです。ともすれば憤激が起ってしようがありません。何もしないのに大変な悪い事をした様に見られるのではないが、大体の形です。その気持の悪い事と、それから公判廷の空気をよく見ますと、その空気たるや実にいやです。よくああいう所を地獄と言いますが、地獄なら結構です。地獄よりずっと悪いのです。なんとなれば地獄は公平なのです。罪が重ければ酷くしますが、罪が軽ければ軽いでちゃんと合っていますが、こっちは罪の公平がないのです。一般の人はそうまでないでしょうが、私はそういう気持の悪さが長い間続いたという事は実にいやでした。それがいよいよ今年の正月からそういうものが無くなったので、丁度覆い被さった黒雲が晴れるという様な気持がします。しかし今度は神様の方から言うとそれが必要だったのです。これは一昨二十五年に散花結実という事を言いましたが、あれで花が散ったわけです。ですから検察庁の役目は、つまり低気圧の役目をしたわけです。それで花を散らして、その時分に迷ったり一時離れたりした人は、散った花びらなのです。それで暴風のあとは、泥に埋まって跡形もなくなるという様な人も、幾らかはないでもなかったのです。それからいよいよ実(ミ)の子供が出来て、だんだん育って来たわけです。ですからああいう事件後は一時は、花びらが無くなったからして非常にさみしい感じがしましたが、今度はだんだん実が育って来ますから、非常に堅実にじりじりと育って来たのです。それで実の形が大分わかる様になって来ました。それが経綸の上によく現われているのです。そのうちの二、三を話してみます。

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箱根の美術館は今別館を造ってます。これは四十坪ばかりですから、そんなに大きなものではありませんが、その代り全部が陳列場になりますから、かなり並べられるだけの大きさはあります。それでここで最初に、今年の五月から浮世絵展覧会をやろうと思ってます。これはどういう訳かと言うと、昨年の夏あたりから不思議に浮世絵のいい物が手にはいるのです。それで私は去年の十月に京都の浮世絵展覧会を見たところが、私の方で集まった物はそれよりずっといい物が数も非常に多く集まりました。ですから神様は浮世絵展覧会をやれという事です。そういう点は神様は実にうまく集めてくれるのです。ですから前に美術館にいろいろ並べた物も、こういう物が欲しいともなんとも思わないのに“ああこれで丁度いい”と思われる様に、自然に集まってくるのです。品物の質も数も丁度いいくらいに集まってくるのです。それで今言った様に集まった浮世絵のいい物は、京都の浮世絵展覧会よりかもっとずっと上ですから、それは見れば分りますが、相当注目をあびるだろうと思ってます。特におもしろいと思うのは、最近、大正時代の富豪、成金で、有名な人ですが、浮世絵の肉筆の相当大きな物のコレクションを八十点持っているのです。その人は浮世絵が好きで、又その時分の事ですから割合によく集まったのです。今はその息子さんが持っているのですが、箱根美術館にならば譲ってもいいし、もし買わなければ展覧会が始まったら出品しても宜しいと言うのです。それで金に不自由はしてないから、何時金を払ってもいいし、どちらでもいいと言うのですから、まるでおあつらえ向きなのです。これを四、五点見ましたが、それはすばらしい物です。よくもこういう物があると思うくらい立派なものです。ですからそれだけでも立派な展覧会を開くだけの価値があります。それらも実に不思議と言うくらいです。その外にもいろいろいい物が集まってます。それから春信(ハルノブ)の版画というのは非常に少ないのですが、浮世絵の版画としては春信が最初です。その前にもあるにはあったが、まだごく初めで版画としての面目を表わしてない物もあったのです。本当にいろいろな色を使って版画としての価値ある物にしたのは春信が元祖です。それでその版画というものは非常に少ないのです。ところがそれを見せられたが、私は今まで版画というものに全然興味を持ってなかったから、非常に高い様な気がするし、どうだか分らないから見せたところが世界一だと言うのです。大変な物です。それで私の方で買わなければアメリカに行く事になっていたのです。ロックフェラーが狙っているというので、是非私の方で買ってくれと、博物館からも文化財保護委員会からも頼まれているので、それならこれは確かな物に違いないと思って買いましたが、浮世絵の版画もそれからいろいろ研究してみると、やはり版画は版画としてのいいところがあり、価値があります。それを非常に褒めた人は藤懸文学博士で、この人は版画においては日本で一番の権威者とされているのです。会って聞いてみますと、実によく調査しているのです。その人の話によると、アメリカのボストン博物館には約六万枚の版画があるそうですから、実に大したものです。その外のアメリカの美術館、それからフランス、ドイツあたりにも数千枚はあるそうです。それで日本全部で七千枚くらいしかないのです。そうしてみると日本人が気が付かないうちにみんなボストン博物館あたりで買ってしまったのです。ですから数においては日本は世界の何番目なのです。ところがボストン博物館にある六万枚の版画中にも、今の春信だけの物はないそうです。ですからこれは世界一という事になるので、私も非常に気をよくしました。そういう物も出ますし、又そういう浮世絵の元祖では岩佐又兵衛(イワサマタベエ)ですが、この人の巻物で十二巻の物があります。「山中常盤」と言って、牛若丸と常盤御前の伝記を画いてあるのが十二巻です。それから「堀江物語」というのがありますが、これも十二巻です。この二つが奇蹟的に手にはいったのです。京都の浮世絵展覧会に又兵衛の巻物が二つ出てましたが、一つは「小栗判官」で一つは「職人づくし」です。ところが私の方の二つの物に比べると貧弱なものです。それは私の方の二つの方が断然上です。古くからあるので美術協会というのがありますが、その会長の秋山という人がこの間来ましたが、不思議だと言ってました。こんな有名な物が二つもここに集まるという事は、どう考えても分らないと言ってましたが、私は腹の中で『それは当り前の話で、こっちには神様がついているのだから』と思ってましたが、そんな訳でどっちも大変な物です。それで一巻でも随分長いので、これを陳列するには随分場所がいります。この「山中常盤」の十二巻を昭和五年に三越で展覧会をした事がありますが、三越より外に並べる場所がなかったそうです。その時は随分はいって、見物人が数珠つなぎだったそうです。なかなかよく出来てます。それで陳列場は、別館と本館の下の方の第一室の広い所、その二カ所でいいと思います。それでも全部並べきれない時は中途で陳列替えをしようかと思ってます。というのはああいうのはあんまり長く並べておくと、色物ですから褪色の憂いがありますから、一月くらいがいいでしょう。ですから京都の浮世絵展覧会も三月の予定だったのですが、一月くらいでした。ですから一月交替でやるかもしれません。そういう様ですばらしい展覧会ができるだろうと思ってます。それから美術館の方の外の陳列品も去年とはほとんど変った美術品を並べる事になるはずです。現代美術品はあんまり興味を持たれない様ですから、それはやめにするつもりです。それであそこには世界的の美術工芸と言うか、ギリシャ、ペルシャ、ローマ、中国の宋以前の古代の物、そういういろんな美術品ですが、これも去年あたりから不思議に手にはいるのです。それも研究してみますとなかなか面白いのです。ペルシャあたりの古い物にはなかなかいい物があります。それは大抵千年以上たってます。特に面白いのは、ギリシャで出来た経本ですが、羊の皮で出来ているのです。それにギリシャの文字で……書いたか印刷か分らないが……多分書いたのでしょうが、非常に巧(タクミ)に書いてあります。それを入れてある箱の様な物も非常に面白い物です。それからギリシャの石の彫刻だとか、ペルシャの焼物にもなかなか面白い物があります。そういうのも出すつもりです。それからインドの物です。そういう様な支那以外の異国的の物、東ヨーロッパ、中央アジアの異国骨董品というものを出すつもりです。それから支那の物も、今度銅器を出すつもりです。今度は去年とは凡ての点においてずっと違い、珍しい物が多いですから楽しみにして居ていいと思います。美術館の事はそのくらいです。

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それから熱海の地上天国もようやく建築の運びになりましたが、今基礎工事をやってます。これが出来てから、二、三月頃建築に着手する段取りになるわけです。それについておもしろい計画があります。それは毎日新聞社が主催になって、日本の新宗教を海外に紹介するという意味ですが、救世教、天理教、P・L教などの管長、教祖の話とか、いろいろな設備とかを天然色写真にとって世界的に紹介するという計画です。ですから熱海の地上天国、それから箱根の美術館、神仙郷の庭園を天然色写真にとって世界的に見せますから、とに角一ぺんに世界中に知れるだけは知れます。神様は急激に知れる様にするために、なかなかうまいやり方をすると思って感心しているわけです。それについて、両国の国技館が蔵前に出来たため、いらなくなったので、それを毎日新聞社が借りるのです。その最初の仕事として今言った事をやる計画ですが、これも非常におもしろいと思います。そう言っては悪いが、こういう映画をとるのに外の宗教ではあんまり材料がないと思うのです。天理教あたりは建物と図書館は立派なものがあります。しかし立派なものがあったところで、図書館は外国にあるのや、日本の国立図書館ほどにも完備してないと思います。ところでこっちの熱海、箱根での、この施設は外国にもありませんから、日本の新宗教にもこういう変ったすばらしいものができつつあるという事は、大いに日本の国の一つの誇りとしてもいいと思います。それでこれからこっちは梅が咲き、つつじが咲きますし、箱根も今にさつきが咲いたり桜が咲いたりするから、そういうものを咲いた都度写していくと、相当長尺物になります。それからメシヤ会館もこの暮あたりに外郭が出来ますから、それもあとから追加して写す予定になってます。そういう工合で、そういった面からも世界に知らせるだけの事はできるわけです。

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そうしてもう一つは、いよいよ近い中に樋口さんがハワイに行く事になりました。ハワイは勿論ホノルルですが、アメリカはロスアンゼルスに支部をつくる予定です。丁度「⇒アメリカを救う」の本の日本文だけはようやく出来ましたから、それを携えて行く事になります。英文の方は一、二カ月遅れますが、これはあとから送ればいいです。そういう様で、そういった面はアメリカで始まるわけです。それでいずれはあっちで「英文栄光」を発行するつもりです。それであっちで少し評判になろうものなら、日本と違って非常な早さで拡がりますから、そうなったらもうしめたものです。

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仕事の模様は大体今お話した様な工合ですが、それについて面白い事は、数字についてお話してみると、今年は二十八年ですが、この「二十」というのは「天地を結ぶ」という事です。つまり「王」という字みたいですが、二十は霊体を結ぶという事になります。ですから私は結婚の日取りを決める場合に二十何日と、二十を一番よく使います。これは霊体、陰陽、男女、それを結ぶというのですから、大抵私は二十一日を選びます。これは二人を結んでそれから始まるというわけです。それで二十というのも、これが不断の時の二十は別に大した事はないが、昭和二十年という事に大変な意味があるのです。昭和の「昭」の字は日偏に召すという字ですが、「召す」というのは「しろしめす」という事で、「統治する」とか「治める」という事です。これは昔から言いますが“天照大御神がこの国土をしろしめし給う”という事がありますが、そういう事です。それで「日」というのは「昼間の世界」という事です。丸にチョンを日の字に書いたので、つまり象形文字です。そういう様で「日がしろしめす」という事ですが、それで天照大御神がしろしめすという意味でもないが、昼間の世界で太陽神が統治するという意味になります。それで「和」(輪)というのは、「丸」で、「世界」という事です。ですから、字で解釈すると面白いのですが、今のところはあんまり言えませんが、いずれ話します。そういう様で、昼の世界になるについては霊体が結ばるという、つまり伊都能売です。それから五、六、七はミロクですが、それが済んで今年は二十八年ですから、いよいよ開くという事になります。この「八」という字も非常に意味があります。「八」は「富士山」になるのです。富士山の形は八の形になるのです。それで富士山を一名昔から「八スの山」と言うのです。「八が統(ス)べる」というわけです。それで「八」は「五三」ですから伊都能売にもなります。そういう様な訳で、これは日本の将来のあり方を表わしているのです。これはあんまり詳しく言うと、又一人よがりみたいになってしまいますからあんまりは言えませんが、そういう様でミロクが開けるという、それが二十八年からになります。それで丁度救世教の経綸も凡てそういう形になりつつあります。それがよく分ります。それで今年の栄光の正月号に「⇒世界夢物語」というのを書いておきましたが、あれは大体の漠とした見当ぐらいのところを書いてあるのです。それであれがいろいろに変化しますが、大体はあの線をいくのです。あれは中途までしか書いてありませんが、あの中途までは常識で考えてもあのくらいの事は分るわけですが、あれから先が非常に神秘なのです。これははっきり書く事はできませんが、ただこれだけは言ってもいいと思う事は、何時も言うとおり今度の御神業は破壊と建設です。つまり最後の審判とか天国というのは破壊と建設が同時に行われるという事を、私は前から言ってます。それで「世界夢物語」は、その破壊の順序を書いたのです。そうするとその破壊というものは建設の方と一緒になるのです。建設されただけは破壊されていくと言ってもいいのです。というのは建設というのは日が昇る事です。光が強くなる事です。それで強くなるだけは闇の方がそれだけ消えていくのです。そうすると今までの文化というのは闇の文化ですが、それが消えていくのです。そうするとその建設の雛形が箱根と熱海になります。箱根は霊界の方で熱海は現界の方になります。日は霊界、水は現界です。そうすると熱海のメシヤ会館は建設の第一歩になるのです。ですからメシヤ会館が出来るとそれが世界に写って、そうして世界にメシヤ会館が出来るわけです。それには今まであった汚たないものは取り払われて綺麗にされなければならない。という事になると、日本は今言う日の経綸になるからして、それだけ日の光が強くなると、だんだん世界的に汚たないものが消えていくのです。つまり黒の部分がだんだん薄くなって白が拡がっていくという事になります。そうすると、その拡がり方の順序が「世界夢物語」に書いてある順序になるわけです。だからメシヤ会館が出来ると、それから本当に目立って始まるのです。ですから私はまだ半年や一年の準備期間がいるという事を書いてありますが、メシヤ会館が丁度今年一ぱいで出来る予定ですから、時もそういう事になるわけです。ですからして世界がどうなっていくかという事は、こっちの建設の方を見ていれば分るわけです。そうすると今までの文化は破壊される方がずっと多いですから、そこでそれをキリストは「世の終り」と言ったわけです。そういう様に考えていくと、大体は見当がつきます。そうかと言って、これはあんまりはっきりと具体的に言う事はどうもおもしろくありません。建設の方はいい気持になりますが、破壊されて滅亡する方は、実にどうも悲観しなければならないから、そうすると“救世教というどうも厄介なものが出た”と恨んだりしますからそういう事があってはいけないから、そこでできるだけぼかして、救世教の信者だけが大体をよく知っているという事にしておかなければ工合が悪いのです。そういう訳で、いずれ京都の方も始まります。それで熱海が現界で、京都は何かと言いますと、京都もやはり現界ですが、こういう様に考えるといいです。熱海の方は西洋で京都の方は東洋という様にも考えていいです。それで地というものはアジアに一番表われているのです。アジアがかたまっているのです。それからヨーロッパが水になっているのです。それでアメリカは又一寸違いますが、そういう様な工合で世界的にいろいろな型ができているのです。ですからさっき言ったとおり二十の霊体という事は、これは何時も言うとおり、アメリカが体の中心で日本が霊の中心ですから、そこで二十年に終戦になったという事は霊体が結んだという事です。ですからアメリカと日本とは霊的には二十年に結んだのです。ですから二十年八月十五日に終戦になったという事はそういう意味が根本になってます。そこで今度アメリカを開拓し始めるという事は、それが小さく具体的に現われるわけです。そういう様な工合で神様の事は実に深く、いろいろな型によって始まっていくのです。それは私にはよく分ります。しかし時期によって、やはり発表できる場合とできない事があるのです。ですからその見当がつく救世教信者のおかげというものは、そういう点にも大いにあります。つまり先が分るのです。世の中はどうなるかという事も、五里霧中とは違いますから、こういう点に比べると外の宗教は全然たわいないくらいのものです。今時、何百年前何千年前の教義とかを有難がって説いているのですから……。しかしあんまりそれを言うと先が怒りますし、それでは悪いから、あんまり言えません。しかし今言った様な経綸と比べてみると、外の宗教は実に気の毒なくらいに思います。それでも、外の宗教もそういう事が分るには分りますが、やはり時の問題です。何時までも分らない事はありません。やはり神様が何かの形で分らせて救われます。ですからそういう経綸がいずれ起って来ますが、なにしろそういう事に対しても非常に大きな事ですから、むしろ私も、神様はどういう様にやるかと思って興味を持って見ているくらいです。

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一月三日

私は今年のお正月は久しぶりで朗らかです。というのは去年の正月も一昨年の正月もまだ裁判が決定してなかったので、それが始終胸にかたまりみたいになって、なんだか晴れ晴れしなかったのです。私もこの年になるまで苦しい事もいろいろありましたが、今度の裁判くらい気持の悪い事はありません。それは、どうせああいう事は誰でも気持が悪いのですが、私は特に普通の人より気持が悪かったのです。公判廷のそのいやらしさというのはとても我慢ができません。それは何かと言うと、私が悪い事があって気がとがめるのならば、どんな苦しい事でもこれは仕方がありません。よくああいう所を地獄だと言いますが、地獄というのはそんな苦しい所ではありません。何故と言うと地獄は公平無比で少しも事実とくい違いはありません。ですからごく悪い者はごく苦しみますが、そうでなく軽い者は軽いのです。ですから悪い事をした者は“もう仕方がない、オレが悪かったのだから”と思いますから、非常に苦しんでも気持がいい事になっているのです。地獄という所は公平ですから決して苦しいものではありません。一番苦しいのは不公平です。これは地獄よりずっと苦しいのです。せめて地獄くらいになったら大したものと思います。だから実にいやだったのです。気持が悪いのです。それがこの暮でやっと済んだので、このお正月はさっぱりした気持です。

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今年は二十八年ですが、「二十八」というのは数字から言っても大変いいのです。終戦になったのが昭和二十年ですが、この「二十」という数字は今までにも沢山ありましたが、特に良いという事は「昭和」という年号に対して、その文字に対しての二十というのが大変大きな意味になるのです。「昭」というのは日偏に召すという字ですが、この「召す」という事は「しろしめす」という意味になります。「しろしめす」という事は「統治する」という事です。よく何神様が世の中を統治遊ばされる、しろしめされる、と言います。天皇などの場合も、天皇がしろしめすと言いますが、そこで「日偏に召す」ですから、「日がしろしめす」という事になります。それは昼間がしろしめすという事です。それで昭和の時代に昼間がしろしめすという事です。それで「和」は「輪」で、「世界」ですから、昼間の世界という事です。それで「二」というのは「天地」で、「十」は「結ばる」という事です。それで霊体の結び、経緯の結びというわけです。ですから「二十」という数字は非常にいいのです。それから「十」は「経緯」です。それで十がもう一つ重なると井の字になりますが、この「井」の字がやはり二十と同じ意味になります。この「井」の字は「経綸」という事です。ですから姓名に、今井とか村井と井の字がつくのがよくありますが、そういった経綸の場合に井の字がよく使われているものなのです。そこで言霊から言っても、「井」の字と、片假名の「イ」もやはりそれと同じ意味です。この「イ」というのは「人」という事です。ですから「人」というのは霊と体ですから、やはりそういう意味になります。それで二十の五、六、七が済んで、つまりミロクが済んで今年から「八」で、いよいよ開くという意味です。ミロクの経綸が開くという意味ですから、今年から非常にいいわけです。それで又昼の世界がいよいよ開けるという時にもなるのです。そういう形になりつつあります。それでこの「八」という字を解釈してみると、「八」は「八百万(ヤオヨロズ)」とかと、そういう意味の事によく言われますが、「富士山」の形になるのです。富士山は八の字の形です。ですから富士山は一名「八スの山」と言うのです。「八ス」という事は「ハス」という事です。つまり仏教的に言うと、「八ス」は「蓮の花」になります。それで、蓮の花は蓮華台という事です。蓮華台というのは、一番貴い山です。よく仏像などが立ったり、あぐらをかいたりしているのに、下に蓮の花があります。観音様の絵などにも、蓮の花の上に立たれているのがよくありますが、そういう様で蓮という事は非常に貴い神仏が乗られるという意味なのです。ですから富士山には兄の花咲爺姫がお祀りしてあるという事は、兄の花咲爺姫は観音様ですから、富士山は観音様の蓮華台という事になります。そういう様ですから「八ス」という事は蓮華台が出来るという事にもなります。とに角一番強い意味は開くという事です。又「八」は「ハ」で、「ハ」というのは「発する」という事で、開けるから、今年からそういう形になっていくわけです。

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それについて霊的でなく体的の事の大体を話してみると、一番は熱海のメシヤ会館がいよいよ来月か再来月あたりから建築に取りかかるわけですが、今基礎工事をやってます。会館の模型を造りましたが、随分荘厳な形になると思ってます。何時も言うとおり、これはフランスのル・コルビュジエという人が始めた建築様式で、今日では世界的に一つの建築様式として風靡した様な形です。けれども直線的のごく単純なやり方で、アパート、官庁、会社といった様な、つまり実用向きの様式になってます。それで宗教的には今まで全然手を触れていません。今までの宗教建築と言えば、これはキリスト教でも仏教でも神道でもそうですが、何百何千年前の様式と同じ形をとっているのです。築地の本願寺も鉄筋でやり方は随分近代的ですが、あの形はインドの古い形式をとったものです。これはお釈迦様を祀るのだから当り前でしょう。本尊様が古い時代ですから……。しかし救世教は本尊様が新しいのだから建築も新しいというので、これも当り前かも知れません。ですからごく新しい様式での、この宗教建築というものはまだ世界にありません。コルビュジエという人はこの春何かの嘱託で日本に来る事になってます。そして二年いる予定だという事が新聞に出てましたが、会館を大いに見せて批評してもらおうと思ってます。そういう様なわけで形は非常に新しいのです。それでそういった直線的の建築で荘厳味を出そうというのですから、一寸無理な様ですが、出来たらわりあいに荘厳味が出るつもりです。それで入口から内部と凡て新しくしました。内部は劇場的になってはいけないと思って大いに注意しましたが、相当成功すると思ってます。それから展望台はメシヤ会館と一緒に出来る筈です。これはガラスの丸い家ですが、もう少したったら模型もこしらえて出します。これも世界にはないと思います。ガラスの展望台式の家はアメリカにもあって、私は写真で見た事がありますが全然違います。ですから私が今度やるのは世界に例がありません。そういう様に凡て新しい物を造るという事は、何時も言うとおり熱海は現界の型になります。従って新しい世界の型になるのです。それで熱海に出来るとそれが世界に写りますから、そこで世界も非常に変って来ます。

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それで栄光の新年号に「⇒世界夢物語」というのを出しましたが、読まれたでしょう。大体ああいう様になっていくわけです。それでいろいろの変化とか時の早い遅いはあります。それは要するに神様と悪魔の戦いですから、両方が千変万化の形をとりますが、大体はああいう形をとっていくのです。というのは東方の光が現われて、だんだん光が世界的に拡がって行きますから、朝鮮から中国、中央アジア、ヨーロッパと拡がっていきます。それでアメリカは別の意味で緯の国ですから、そこで経と緯を結ぶという事になります。それで二十年に終戦になったという事はその意味も含まれてます。ですから二十年に経と緯を結んだのです。十九年まではそうではなかったが、二十年で結ばれたのです。昭和二十年八月十五日に決まったのですが、そこでアメリカと日本を結ぶという事は、体の代表と霊の代表、緯の中心と経の中心が結ばれたという事で、それが二十年なのです。そこでアメリカと日本と結ばれなければならないというので、今度アメリカのロスアンゼルスに支部をつくる事になってます。その足がかりとしてハワイのホノルルにもつくるわけです。そうしてアメリカをだんだん開拓していくつもりです。丁度幸いにも「⇒アメリカを救う」という本も出来ましたから、あれを宣伝用として大いに使います。それで日本文だけは出来ましたが、英文は来月か再来月になりますから、最初は日本文だけであっちにいる日本人に分らせ様というわけです。英文に訳す人はとに角その方面では第一人者だそうで、大統領に見せる文章もその人が訳するそうですから、飜訳についてはよほど手腕のある人に違いありません。それであれを読んだら相当問題になるだろうと思います。問題になれば大いに売れますから、アメリカで大いに売れるだろうと思います。ですから非常に外貨獲得の一助にもなります。外貨獲得と言うと大きな話ですが、そればかりでなく、救世教の財政も楽になりますから大いに仕事が出来るだろうと思います。なにしろあっちは、いいとなると一ぺんにひろがるという国民性がありますから、その点においては非常におもしろいです。従って数も出ますし、アメリカで売れるという事になると、日本人はなおさら有難がって買います。無論ヨーロッパ方面にも売れるでしょう。神様の方は、取らぬ狸の皮算用ではないと思いますから、そういう様でだんだん世界的になっていきます。それから中国の方も紅卍字会がいずれ働く事になりますが、とに角中共政府がああやっていたのではそれが出来ないから、そこで神様はいい工合に地ならしを始めるわけです。そうしてちゃんと宗教宣伝のやりいい様な状態にお膳立てをするわけです。そうしたらこっちも中国に大いに宣伝して中国を救うという段取りになるわけです。  ですから「⇒世界夢物語」に書いてあるとおり、今度アイゼンハウアーがいずれ朝鮮に対して積極的に大攻撃をやるだろうと思いますが、それでも埒(ラチ)があかないのでどうしても満洲あたりに行って、その結果戦禍が中国全土に及ばざるを得ないという状態になります。神様は古い汚たないものを綺麗にしていろいろ地ならしをして、そうして新しい地上天国を造られるのですから、そういった変化が今年からボツボツ起って来ますから、そのつもりでそういう事を知っていて見ると一つの興味がある話です。しかし随分いろいろと悲惨な事があるのを興味本位に見るという事はけしからん話ですが、しかしこっちは建設の方ですし、それにべつに私がやるわけではなく、神様のやる事だから、お気の毒でもあるが、それでいいのだという意味にもなるわけです。そういう様なわけですから、建設が進むに従って破壊も進んでいくというわけです。ここのところに実に微妙な神様の経綸があるのが分ります。それが分らないで見ると、何がなんだか見当がつきません。つまり芝居なら筋書ですが、それを救世教信者は分っていて見るから、つまり芝居の役者でなく見物人、お客様の方です。しかし芝居でも悪役と善役とあります。どんな芝居でも、見れば分るとおり、善の役というのは悪役に苦しめられるものです。そうして散々苦しめられたあげく、最後に至って悪の方が成敗されて善の方が勝って、めでたしめでたし、というのが大体の筋です。やはり世界の芝居でも同じ様で、そういう様な脚本でつくられるわけです。神様が何万年も前につくられて、そういった筋によってやられるわけです。とに角大変に大きな芝居です。その大変に大きな芝居を見物できるのですから、今生まれて来て救世教信者になっている人は開闢以来ない芝居を見られるわけです。その代りだんだん明かるくなりますから、病気もうんと起って来て、それは恐怖時代が来ます。その時に戦争の方の芝居は見物人になってますが、その病気の時には大いに活動しなければなりません。しかし人を助けるのですから戦争の役よりかずっといいです。それにこっちは被害を被らないで、大いに喜ばれるといういい役をするわけです。この話はそのくらいにしておきます。

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箱根の美術館は今別館をこしらえ始めました。そうして今年の五月から浮世絵展覧会をやろうと思ってます。それで今度出来る別館というのは、陳列をする室は五間に八間の四十坪のものですから、かなり並べられます。それと本館の方の、前に下で屏風を並べてあった部屋がありますが、それだけの予定です。多分それでも並べきれないと思いますから、途中で陳列替えをするという事になるだろうと思ってます。それで並べる物は去年の夏頃から不思議に浮世絵のいい物が集まってくるのです。それまではそんなに考えなかったのですが、これは神様が浮世絵展覧会をやれという事と分りましたから、そういう計画を立てたのです。それで去年の京都の浮世絵展覧会の品物よりもずっと上の物です。これは今までに例がないでしょう。又不思議にすばらしい物がはいってくるのです。これは道具屋がみんな不思議に思ってます。つい最近、五、六日前の話ですが、浮世絵の肉筆の非常にいい物ですが、それは明治から大正にかけての有名な人で、その人が浮世絵が好きでコレクションをつくったのです、それはみんな立派な物ばかりです。それが八十幅あります。実に驚くべき話です。そのうちの四幅か五幅を見ましたが非常にいい物です。それで是非欲しいと言うと、先方では箱根美術館になら売ってもいいというのです。それに今金に困らない人で、売っても金は何時でもいい、そうでなければ出品して陳列してもいい、という様に実に条件がいいのです。それは八十幅はとても並べきれません。それにみんなわりに大きな掛物ばかりです。実にいい物で、よくもそういういい物が集まったと思ってますが、それが八十幅あります。これなどはとても人間業ではありません。とに角浮世絵の方では岩佐又兵衛(イワサマタベエ)が第一人者ですが、又兵衛の巻物では「山中常盤」という十二巻の巻物で、常盤御前と牛若丸の伝記です。伝記と言ったところで、事件の一番のクライマックスを画いてあるのですが、実によく画いてあります。やはり腕から言っても又兵衛が一番と言ってもいいくらいです。箱根美術館にあった浮世絵「湯女」は、私の感では又兵衛です。又兵衛以外にあれだけの物を画ける人はありません。それに又兵衛の癖がよく出てます。この「山中常盤」の巻物は昭和五年に三越で展覧会をやった事がありますが、その時に評判になって、見物人が列をつくって見たそうです。そういう様で非常に有名な物です。それと同じ様な物で「堀江物語」というのがありますが、それも十二巻で、私の手にはいりました。世間にもう一つの「堀江物語」がありますが、それは八巻だけは又兵衛が画いて、あと四巻は弟子が画いた物です。それで八巻だけは御物になってます。ところが私のは十二巻揃ってますから大したものです。それでこの間の京都の展覧会に又兵衛の「小栗判官」と「職人づくし」の巻物がありましたが、これはずっと落ちます。絵も小さいし絵の出来も絢爛たるものがありません。あんまり真面目すぎるのです。ですから私の方がずっといいのです。そういう又兵衛の絶品が二つも私の所にはいったという事は実に不思議だと、この間も美術協会の会長でこの方では有名な人で、秋山という人が見に来て驚いてました。そういう様でなかなかいい物が集まっているのです。それはべつにそういった経路で集めたのでなく、自然にフラフラとはいってくるのです。そしていい物で欲しいという物になると、わりに値が安いのです。どうしても神様がいい塩梅(アンバイ)にそういった物を寄せる様にしているとしか思えないのです。それからもう一つは版画ですが、春信(ハルノブ)の版画で十二枚揃っているのがはいりました。この間文学博士の藤懸さんという人が見に来ましたが、その人は浮世絵の版画では日本一なのです。学者ですから実によく調べてます。むしろあんまりよく知っているので驚いたくらいです。私は版画というのは、今まで趣味がなかったから、肉筆は集めましたが版画は手を付けなかったのですが、どうしても買えというので、買う事にしました。私は気がなかったので、神様の方では買わせ様と思われたのです。それで博物館の浮世絵の係の人で近藤市太郎という人が“博物館でも買いたかったが金がどうしても足りないので、あなたの方で是非買ってくれ”と言うが、それでもグズグズしていると、文化財保護委員会の総務部長をしていた富士川という人も“買った方がいい”と言うのです。文化財保護委員会の会長の高橋誠一郎という人も、前から非常に欲しがっていたが金が出来なかったから買わなかったが、救世教の美術館で買ってよかった、という様な事を言われていたそうです。そういう様で非常にいい物です。それでそういう版画の方も、藤懸さんの話では、アメリカだけにある版画は日本の十倍くらいあるそうです。ボストン博物館には約六万枚の版画があるのです。一美術館で六万枚あるのです。それで日本の何処に何が幾つあるという事は分ってますが、日本中で七千枚あるのです。ですから、日本がうっかりしているうちにみんな向うにさらわれてしまったのです。あれは私が岡倉天心先生に会ったのが三十くらいの時ですから、今から四十年前に岡倉先生がボストン博物館の顧問になっていて始終アメリカに行ってましたが、その頃日本から版画を持って行っていたのです。それで日本で気がついた時には、もうあらかた無くなっていたのです。それからドイツ、フランスにも相当行ってますから、版画だけは日本にあるよりも外国に行っているのが十倍以上あります。そこで藤懸博士はボストンの六万枚というのを全部見たそうですが、今度私が手に入れた春信だけの物はないそうです。それでもしこの版画を展覧会に出すとしたら、これだけを見に来る外人が随分あるだろうという話です。また或る人ですが、この人は片手間に道具屋をやってますが、駐留軍の工芸員に雇われて一週に一回講義に行く人ですが……アメリカ人の中に顔が広く、この人が春信の版画を私の所に持って来るのに骨を折った人です……あれが並んだら外人の偉いのを片端から連れて行くと言ってますが、そういういい物がなんでもなく手にはいったのです。そんな様で版画でも肉筆でもそれはすばらしい物が並ぶわけです。そうして外の美術品も、今年はずっと変えて、現代美術はあんまり喜ばれない様ですから、今度はそれをやめて外国美術をと思ってます。外国美術と言っても、ヨーロッパでなくバルカンあたりの美術品です。これも自然に手にはいって来たので、神様がやれという事と思って、これをやります。それはギリシャ、ペルシャ、インド、支那の奥地、という様な美術品です。ペルシャの美術品にはなかなか面白い物があります。これは又別の味のある美術品です。それからあとは支那の周時代の古い銅器も相当集まってます。そういう物を並べるわけですから、今年は去年とは全然違った展覧会になります。それを楽しみにしてもらいたいと思います。

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箱根の神仙郷はそれで大体完成です。それが写って、今度は熱海の瑞雲郷がどんどん進むわけです。それでいずれ熱海にも美術館を造るつもりですが、これは大体箱根の三倍くらいにしようと思ってます。敷地がせまいので、もっと拡げる様に指図してありますから、もうじきそれが拡がる事になってます。それから京都も四月あたりに行っていろいろ案を立てて、敷地だけをボツボツかからせるつもりですが、この方の設計は頭の中には大体出来ましたから、今度は頭から言霊になって、それから物質になるのです。凡て順序というものは最初は頭の中です。これは霊界に出来るのです。それでこれを、こうしろああしろという言霊に出て、それから本当に物質が現われる、という順序です。それで今は頭の中の霊界では設計が出来てます。それで四月に行って、今度は言霊の設計をやるのです。そこで言霊というものは非常に重要なものです。それは誰がやる事でもそうです。たとえば、ここならここで思いますが、それは霊界にはすぐに出来てしまうのです。私でなくても誰でもそうです。ただ私がやると霊界での出来方がはっきりするのです。ですからはっきりと間違いなくいくのです。それが普通の人なら、そういう様にこしらえてもじきに消えてしまったりするから中途でいろいろ故障があります。中には物質に出来上ってからでも中途でオジャンになるのがあります。そういう今年の計画なり運びなりの大体をお話したわけです。

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一月五日

秩父宮様がお亡くなりになった事について思い出される事は、私は確か二度か三度頼まれた事があるのです。それで一度は話がほとんど決まったのですが、フッと消えてしまったのです。それはああいう人は周囲がなかなか警戒してますから、医学以外の事はよほど慎重にやるのです。ですから私は大抵駄目だと思ったのですが、やっぱり駄目でした。だからああいう身分のある人は、命の方から言うと不仕合せです。助かるものが助からないということになるのです。それであの病気は最初太平洋戦争前でしたか、結核ではないのですが結核だという事になって、薬を相当のまれたのです。それは最初膵臓の所に溜っていたのです。それで膵臓の表面に溜って圧迫されると糖尿病が起りますから、軽い糖尿病が起って来たのです。それで薬をのんでいると右の方に固まって来たのです。そうするとそれは肝臓を圧迫するから胆嚢から胆汁が出るというので、こんどは肝臓癌から潜在性黄疸という事になってますから、薬毒でつくられた病気です。ですから西洋医学には限らないが、今までの医学というものは大変な罪悪なのです。助かる命を一生懸命に殺してしまうのですから、これほど恐ろしいものはないでしょう。私は前に論文を書いた事がありますが、出そうと思ったがどうも酷すぎるのでやめましたが、それは「病気製造業兼官許殺人業」という標題です。それで統計をとってみると、その時分に医学で殺される者は一日に二千人くらいでした。ですからそれだけが殺戮(サツリク)されているのです。しかしこういう事を出すとあまりに酷すぎるからよしました。ですからそれを第一に助けなければならないというので、始終論文を書いたりいろいろ話をしたりしているのです。薬という毒ですから、今の人がみんな薬をのんでいるという事は、つまり自殺しているのです。しかし自殺しようとして自殺するのでなくて、助かろうと思って自殺するのですから、無知による自殺です。それから久邇宮様の妃殿下が神経痛で腕が悪くて、腕が動かないのですが、それも頼まれて行くばかりになっていたのですが、執事が私の身の上や、経歴を調べたところが、元大本教信者という事であった。ところがその時分に大本教は不敬罪でやられたのですから、これはとんでもない。大本教信者であったとすればこれはいかん、という事になった。それは警視庁の手を経て調べたのですが、紹介者は海軍大佐でしたが、その人が宮様の副官で信用されていたので、何日に行くという事までになったのです。そこは千葉県の木更津ですが、そういうわけでオジャンになったのです。そのくらいやかましいのです。そういう様で、偉い人というのは気の毒なものです。それから前の政友会の総裁の鈴木という人も体が悪くて、何日に行くという事に決まっていたのですが、何とか言う代議士が非常に反対して、これもオジャンになったのです。そういう事がときどきありました。秩父宮様で思い出したので話したのです。

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それから浄霊について話したい事は、何時も力をぬけという事を言いますが、力をぬくというだけでは足りないのです。というのは、みんな「一生懸命に」やりますがそれがいけないのです。「一生懸命」にやるがためにどうしても力がはいるのです。ですから『なんだこんなもの、一生懸命にやってもしようがない、可哀相だからやってやれ』という様な、ばかにした様な気持でやるのです。ですから「一生懸命」にやるといけないのです。『ええい面倒くさいな』という気持だとよくなおります。これはおもしろいのです。だから一生懸命だとなおりが悪いのです。一生懸命にならないとなおりがいいのです。あべこべです。しかし神様にお願いするのは一生懸命でいいのです。『どうか楽にしてもらいたい、なおる様にしてもらいたい』というのは結構ですが、浄霊の方は今言った様にごく軽い気持で、なおそうと思うのは結構ですが、なおそうと思うだけであって、手に力を入れたり、一生懸命な気持が浄霊の手の方にいってはいけないのです。浄霊は軽く何でもない気持でやるのです。試してごらんなさい、そうするとなおりがいいのです。

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「アメリカを救う」という本は出来ましたが、今度書く本は、今度は日本人を救うというか、そういう様な意味でできるだけ分りやすく書きます。御蔭話のうちで、私が批評を加えたのがありますが、それが七、八十になりましたから、百になったらそれを附録にして、医学の間違いをできるだけ分りやすく書いて出版しようと思ってます。その序文だけを書いたので今読ませます。本の名前は「医学革命の書」と言うのです。

御論文  医学革命の書〔⇒序文〕

それから薬が病気をつくるという事ですが、そればかりでなく薬が悪をつくり不幸をつくるという事を書いてみました。これには不幸をつくるだけしか書いてありませんが、この次には薬が悪人をつくるという事を書きます。ですから悪人というのは薬でつくられるのですが、これも大発見です。それを今書いてますから、もうじき出来ます。ですからあらゆる災(ワザワイ)も不幸も悪人も、ことごとく薬でつくられるのです。この薬がキリストの旧約聖書にある禁断の木の実です。ですから禁断の木の実は薬の事です。それを詳しく書きました。そうして神は悪をつくり不幸をつくり人間を弱らせて文化を進歩させたのです。これが根本的なものです。ところがキリストがそこまで説かなかったという事は、やっぱり時期の関係です。今の不幸のところだけを読ませます。

御論文〔⇒薬が不幸を作る〕【註  地上天国四十四号】

だから浄霊というのは霊的には霊を浄める事ですが、体的に言うと薬をとる方法です。ですから除薬法と言ってもいいのです。薬はそれほど恐ろしいものです。けれども長い間一つの薬剤迷信に陥ってますから、なかなか信じにくいのです。信者になっても、相当期間はやはり薬迷信がぬけないものです。ですからこれからそういった事を大いに世の中の人に知らせ様と思っていろいろやっているのですが、こういう事も今度の本に出すつもりです。そういう様で、人間の体から薬さえぬけば元気になるばかりでなく、精神的にも非常によくなるのです。第一、薬がなくなって来ると、目付が違って来ます。気持がいいです。始終気のふさぐ人とか元気のない人というのは全部薬毒です。特に若い婦人などは薬を多く入れると、無論顔色は悪いですが、皮膚などは小じわが寄って年寄の様になります。ですから若いつやつやした血色はなくなってしまいます。薬をとるという事は最も効果のある美容法です。ところが今の人は薬をのんでいるので、第一顔色が悪いです。この人は薬毒が多いか少ないかは顔色を見るのが一番です。青い色をしたり、或いはどす黒い、暗い様な色をしている人は必ず薬毒が多いのです。ですから薬毒をうんと入れた今の婦人は顔色を悪くしているために、仕方なしに人為的にごまかさなければならないという事になって、そこで化粧品が売れるのです。大体本当に血液が綺麗になれば、そんなに化粧しなくても、皮膚も滑らかになって美しい顔色になるのです。だから救世教信者になると、女が一番気に病(ヤ)む顔の美しさが大変によくなるのです。ですから長く信者になっている婦人は非常に美しくなります。私は始終見てますが、前にはそうでもなかった人でも、この頃はばかに綺麗になっているな、とよく思います。これは全く血が綺麗になったためです。ですからそういう点の仕合せというものは違います。それに、第一感じがよくなります。ですから信者でない女を見たり口をきいたりしても、私は少しも魅力がありません。ですから信者の婦人は非常に感じがいいです。それは無論信仰のためもありますが、薬毒が減るという関係も大いにあります。ですから相手が婦人の場合には、宣伝の一つの道具として、それを大いに言っていいと思います。私は女にそういう事を言うのは、病気が健康になるというよりか魅力があるのではないかと思います。女にとっては顔の綺麗、きたない、という事は命以上ではないかと思います。化粧品の広告の様になりましたが、まあ信仰宣伝です。なんでも信者にさえなればいいんですから、それは大いに有効だと思います。それからこの前に名人が失くなった理由という事で、俳優の事を書きましたが、その次の画家の名人が失くなったという事を書いたので今読ませます。

御論文〔⇒名人の失くなった理由(二)〕【註  栄光一九一号】

これもやっぱり医学と薬のためです。それを今度詳しく書こうと思ってます。

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一月六日

今度秩父宮様がお亡くなりになった事で、私は思い出したのは、あの方に二度か三度頼まれた事があるのです。無論私は快諾して、話はかなり進んだところまでいきましたが、それっきり音沙汰がなくなったのです。そういう事がよくあるのです。かなり話が進んでもこわれてしまうのです。大抵はお医者に相談するのですが、医者に相談したら賛成する気づかいはありませんから、それでこわれたのです。それからこれは終戦前ですが、履歴を調査するのです。私は以前久邇宮様の妃殿下に頼まれて、何日に行くというところまで話は決まっていたがこわれてしまったのでよく聞いてみると、警視庁で身元を調べたところが、元大本教信者だというので、あの時分には大本教は不敬問題でひっかかった時代ですから、一も二もなく駄目になったのです。そういう事がよくあったのです。秩父宮様には終戦後も頼まれたのですが、これは不敬問題でなく、新宗教というもので病気などなおるものかというわけで、それを止める方がてんで勝ってしまうのです。まだ五十才ですから、お年から言えばまだまだお若いのですから、非常に残念な様な気がします。病気というのは、結核でしばらく養生されていたのですが、その間に薬をのんでますから、その薬がだんだん胃の下の方に溜ったのです。ですから最初は膵臓が悪かったのです。それで膵臓の附近に薬毒が固まると糖尿病を起しますから、無論糖尿病も起っていたでしょう。それも或る程度溜って来ると、今度は右の方に溜って来る。だから今度の主因は肝臓による黄疸という事になってますが、ここに溜って肝臓を圧迫して胆嚢を圧迫して黄疸が起ったのです。ですからこれは全く薬毒病です。それはみんな薬毒病ですが、これは新しくこしらえた薬毒病です。要するに善意の殺人です。まあ、やられてしまったわけです。はっきり言うと実に恐ろしい様な話ですが、言わなければ分らないから言うのです。私は昔、医学というものは“病気製造法だ、官許の殺人だ”という事を論文に書いた事がありますが、それはあんまり正直すぎますから出さなかったのです。正直はいいと言っても、あんまり正直ではかえって問題でも起すといけないからよしましたが、考えてみると実に大変な世の中です。宮様でも、最初から何もしないで打遣らかしておけば、まだピンピンしてます。それで今までいろいろと本を書きましたが、医学について本当に書いた本はなかったのです。それで今度の「アメリカを救う」という本も、ごく簡単に書いてあるのです。予定になっているのは「結核信仰療法」ですが、これもいずれ出版しますが、なんとしても医学を本当に徹底して、少しも衣をきせないで赤裸々に書かなければならないのです。なにしろ今までとは反対の説ですからして、よほど徹底しなければ理解できませんから、どうしても分らなければならないという様に書いた本を、今書き始めたのです。その序文とその次のが出来ましたから、それを今読ませます。

御論文  医学革命の書〔⇒序文〕〔二、医学は迷信なり〕

かなり徹底して書いたつもりですが、まだもっと突込んで、本当に分らないわけにはいかないという様に書くつもりです。そうして附録として、御蔭話に批評を付けたのがありますが、それが大分たまって七、八十出来ましたから、百にしてそれを附録にするつもりです。これは医学革命の書と言うのですから、結局において医学をどうしても革命しなければならないのです。それで結局これが根本です。どんな救いでもまず病気というものを無くすという事を前提とすれば、あとは楽なものです。むしろあとは自然でもよくなってしまうのです。ですから病気という事について、一番分らせる方法をこれからやるのです。病気というものはあらゆる悩みの根本です。ところがそれに対する医学の間違いの根本は薬なのですから、結局薬を無くする事です。ところが今の世の中では薬を盛んに宣伝したりしてます。アメリカなどは特に大わらわになってます。そういう点もありますから、今度の「⇒アメリカを救う」の本は、本元に原子爆弾を投げ付けるというわけです。それで人間の不幸、不仕合せというものの原因は何かと言うと、薬なのです。ですから薬が無くなれば人間は幸福になります。幸福になれば世界はよくなるからミロクの世になるのです。ですから薬を無くすればミロクの世は出来ると思えば間違いありません。それほど薬というものは恐ろしいものです。それについて霊的に書いてみました。

御論文〔⇒薬が不幸を作る〕【註  地上天国四十四号】

だから何事もうまくいかない、間(マ)が悪い、という事は凡てその人の霊が下にあるからです。つまり霊界の下段にあるのです。その下段というのは薬のための曇りですから、つまり薬が体から無くなるだけいいと思っていればいいのです。ですから今の人間で運のいい人はないという事は、みんな体に薬毒があるからです。理窟は簡単なものです。ところが薬とはいい物と教育されているから、信じにくいのです。ですから浄霊というのは薬をとる事です。薬が地獄をつくっているのですから、薬をとれば天国になるのです。薬というものはそれほど重要な役目をしているのです。重要な役目と言っても悪い意味の役目です。ではどうして人間はそういう物をのんだかと言うと、それは今私は「文明の創造」の本に書いてますが、人間に苦痛を与えて、その苦痛から脱却しようとするそれが物質文化の進歩になっているのです。それは神様が物質文化を進歩させるためにとった手段であったので、仕方がないのです。それで旧約聖書にある“エデンの園におけるアダムとイブが禁断の木の実を食べ始めた”という事は、禁断の木の実というのは薬の事です。それまでは薬は人間にははいってなかったのです。エデンの園みたいなものだったのです。しかしそれでは物質文化を発達させる事はできないので、禁断の木の実を食べさせて体を弱くして、それによって物質文化が発達したのです。それで今度は物質文化が発達したエデンの園が出来るのです。大ざっぱに言うとそういうわけです。その根本を知ると大体分ります。それで近頃日本人は寿命がのびて、平均男も女も六十才以上になってます。ところがそれは、あんまり縮めすぎたから少し戻ったくらいなもので、大体人間は百才以上に神様が造ってあるのです。さっき読んだ様に、壊れ物扱いにしているというのはとんでもない話で、みんな人間が薬をのんで体を弱らしていたのです。ですから薬の気がぬければ百才以上はなんでもありません。私は近頃世界美術全集という本のヨーロッパ中世紀以後の油絵をみてますが、裸体の女は実に肉付きがいいのです。その時分には、今と違って純写生ですから、写真を彩色で画いた様な絵ですが、肉付きといい、色といい、艶といい、実にいいのです。ところが私はもの好きですから、今のアメリカとフランスのヌード写真もあるのでそれを見ると、裸体の女というのは、まるでガンガラで骨骨(ホネボネ)しく、男と同じというよりか男よりもっと酷いです。それを見ても、ヨーロッパの女は昔とまるっきり違っているのです。実に汚たなくて、見ても何も反響が起らないのです。それから見ると日本の女の裸体の方がずっと魅力があります。魅力というと変になってしまいますが……。それは何故かというとやはり薬毒のためです。ですから日本の女の人も、若いのに年寄に見えたり、顔色が非常に悪かったり、なんだかしなびた様な、又いやに豚みたいに太っている、という変なのは、みんな薬毒のためなんです。ですから女でも、薬毒がぬけると実に美しくなるのです。救世教信者になった女の人はだんだん綺麗になってきます。ですから薬毒というものは如何に恐ろしいものかという事が分ります。そのために女の顔なども、つまりごまかし手段が発達して来て、それが化粧品の発達です。化粧品というものは、顔色の悪い者に頬紅を付けたり、唇も変な色なので口紅を付けるとか、そういうごまかし手段が発達して来たのです。ですから私の昔の歌に「人工美が銀座の町を通っている」というのが「山と水」にありましたが、今の女の人は、人工美でどうやら綺麗に見えるのです。私は昔の平安朝時代の女は本当に綺麗だったろうと思います。小野小町とはどんなに美しかったかと想像されます。薬毒がなかったのですから……。そういう事によって若い女の人で信者になる人がずっと増えるだろうと思います。それは女というのは命よりも綺麗に見せるという方が、かえってそういう意欲の方が多いですから……。男でもそうです。いやに土気色をしているのはみんな薬毒のためです。人間は薬毒がとれると実に気持のいい晴れ晴れとした色になります。今読んだとおり、霊が曇ると罪悪を犯す事になります。ところが今の宗教は罪を犯してはいかんという事だけやかましく言って、では罪を犯す気持になるというのはどういう訳かという事は言えないのです。ところが罪の構成ですが、罪を犯そうという気持は悪ですから、悪の発生というのは霊が曇って、つまり魂が汚ごれるからです。悪い事をする気持になるという事は、副守護神の活動が強くなるから、それで副守護神の意志のままに悪い事をする。それを押さえるだけの魂の力がないからそういう事になるのです。以前私が浄霊している時に、狐が出てこういう事を言ってました。「これほど医者にかからして、やっと死ぬまでにしたのに、貴様横から出て余計な事をして、とうとうオレの目的を邪魔して、ふとい奴だ」と言うのです。どっちがふとい奴か分らないが……。ですから、医者にかからせ、薬をのませるという事は、副守護神がやっているという事がよく分ります。そこで薬をのむから霊が曇る。曇ると奴さんが働きよくなり、その人間を自由にあやつる事が非常にやりよくなるのです。ですから医者にかかったり薬をのむという事は、そういう先生が大いにそう思わせるのです。ですから薬は毒だ、薬という物が人間をそういう様に曇らせるという事を、人間は気が付かなくても、そういう動物霊の方がずっと分っているのです。そうなってくると、動物以下、動物よりも愚かという事になるから情ない話です。今の人間は虫けら同然だと私はよく言いますが、実は獣や動物の方が文句を言うかも知れません。“オレの方がずっと上だ”と。そういう事などが罪穢れの因ですが、今までの宗教はそれを看破できなかったところに大いに欠陥があるわけです。だからただお説教で押さえ付けるのです。やっぱり原因が分らないために結果に対する防止法が今までの宗教のやり方だったのです。私は、今度その根本を説くわけです。はっきり見せるわけです。ですから罪穢れを犯す人間にはこの事を分らせなければ、どうしても分らないわけです。これについて、面白い経験がありますが、いずれ話します。神様は実に行届いた事をされるのです。これはやっぱり大変な大きな経綸ですが、まだ話がすっかり決まりませんから、話が決まったらその話をします。

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それから注意したい事は、浄霊するのにどうもまだ「一生懸命」にやるきらいがあるのです。この「一生懸命」にやるのが一番いけないのです。「一生懸命」にやると人間の力が加わりますからできるだけ一生懸命にならない様にしなければなりません。春風に吹かれている様な気持で、少し極端ですが『面倒くさいが、可哀相だからやってやる』というくらいの軽い気持でやるのです。なおしてやろうという気持は結構ですが、それだからと言って一生懸命にやると手に力がはいるのです。ですからできるだけ軽い気持で、今言った様にするのです。私は浄霊をしても決して一生懸命にやっていません。『みんなが可哀相だから』というつもりでやっているのです。そうすると非常に効き目があり、時間が短かくて済みます。これは普通とあべこべですからよく間違うのです。今までは何事も一生懸命にやる癖がついてますから、そこに注意して、どこまでも一生懸命にならない様に練習するのです。そうするとずっとなおりがいいです。これは大変な違いです。

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一月七日

最初に一寸注意したい事は、浄霊のやり方にどうもまだ力がはいる様なのです。その力がはいるというのは「一生懸命」にやるからです。この「一生懸命」がいけないのです。しかも急病とか患者が苦しんでいる場合には早くなおしてやろうとして余計に一生懸命になるから、かえって効かなくなるのです。だから患者が苦しんでいる時や、早くなおしてやりたいという時ほど「一生懸命」になってはいけないのです。神様の事は反対が多いのですから、できるだけ軽く、まるで人事の様な気持でやる事です。というのは、光がお守から手を通って出る場合に、ここ(掌)で一生懸命になると、そこでつかえてしまうのです。掌はなんでもなく気がはいらないと、この光がずっと通るのです。私は浄霊する場合には『なおしてあげ様、曇を取ってあげ様』という気持はありますが、手の方は『ええい、可哀相だからやってやろう』という様な至極不真面目と言えば言えますが、そういう気持でやってます。又その方がよく効くのです。ですからそれを忘れない様にしてやる事です。まあ、なんでもない事をしているという気持です。それを忘れない様にしてやる事です。よく御守護の電報が来ますが、なんでもなくなおる様な事を電報で来るのです。というのは浄霊の効きが悪いからなのです。悪いという事は力がはいるのです。それは長くからやっている人と最近の人との違いさはありますが、大体今言った様な点が一番ですから、一寸注意しておきます。

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それからだんだん浄化が強くなるために、信者の人は非常に浄化が強いのですが、これが一般になって来ると、それこそ大変なのです。それを世の中の人にできるだけ早く知らせ様と思って、今度「⇒アメリカを救う」の本を出しましたが、まだまだあんな事ではとても分るわけにはいかないので、今度書き始めたのは、ごく徹底したもので、これを読んだら分らない筈はないという様に徹底して書いてあります。以前書いた「明日の医術」その次の「天国の福音」と、書くには書きましたが、なにしろあの当時は今日と違って言論の自由はないし、教団の方もごく微々たるもので、頭から軽蔑してますから、あんまり徹底して書くとかえって反対にとられる憂いもありますから、いい加減にぼかしたりしていたのですが、今日はそういう必要もなくなったから、どこまでも突込んで、どこまでも徹底して書きます。その序文とその次のが出来ましたから今読ませます。そうして附録として「栄光」に出ている私が批評を加えた御蔭話が七、八十たまりましたから、それを百例にして附録として添えますから、論文も徹底して、又その実例を読めば、分らないはずはないというわけです。

御論文  医学革命の書〔⇒序文〕〔二、医学は迷信なり〕

次は「地上天国」の論文に書いたものです。

御論文〔⇒薬が不幸を作る〕【註  地上天国四十四号】

今読んだ様にあらゆる不幸とか悩みというものの原因は薬なのです。ですから薬というものを無くすればミロクの世が出来るのです。だから薬を無くす事は、つまり一般人が本当の事を分らなければならないのですが、これが大変なのです。こういう様な本を読ませるべくだんだん世界的に運動するわけですが、その結果若し分って来たら、分るに従って大問題になるだろうと思います。これはおそらく見物(ミモノ)だと思います。仮に日本としても、“なるほど医学はとんでもない代物だ。これは絶対禁止しなければならない。薬というものは大変な毒だから、これも無くさなければならない”という事になると、それに関係した人は失業しなければならない。そうかと言って分った以上はそれを擁護する事はできない。ではどうすればいいかという事になる。つまり岡田の説を用いなければならないという事になる。それでおまけにこれからだんだん浄化が強くなるに従って一般人に浄化が起ってきて、それはあっちもこっちも病人だらけで、片っぱしから人が死ぬという時代になったら、それもなんとかしなければならないというので、ここで政府が非常な問題にぶつかると思います。そればかりでなく、今年からだんだんアメリカの方にもそういう宣伝をしますが、しかしその点はアメリカ人の方が分りが早いですから、アメリカの方でも大問題になるだろうと思います。そうするとヨーロッパの方にも響いて行くという事になります。ですから将来は世界的に医学や薬を廃止する、全然無くするというところまで行くに決まってます。おそらく今までに例のない問題ですから、大変な時代になるだろうと思ってます。しかしどうしてもそうしなければ人類を救うという事は出来ないし、又神様は百も承知でやられているのですから、いずれはこっちが勝つに決まってますが、それまでのいろいろな事は見物(ミモノ)だろうと思います。それもそう長くはないだろうと思います。神様はちゃんとそういう様に分らせる事と、又分らなければならない様な情勢にしますから、どんな大きな問題になってもべつに驚く事はありませんが、ただ一寸想像も付かないほどの事態になると思います。 今ここに書いている外の事は、悪の発生ですが、これはキリスト教の方などでは、旧約聖書の創世期にある“エデンの園におけるアダムとイブが禁断の木の実を食べた。それで禁断の木の実を食べると悪が発生する”と書いてありますが、禁断の木の実というのは薬の事なのです。それでその時分は薬をのまなかったために世の中はエデンの園の様な楽園だったのです。それで禁断の木の実によって悪を発生させて地獄の世にされたのです。それによって今日の様な物質文化が発達したので、これは神様の経綸であって、それは必要だったのです。それで薬のない時代のエデンの園というと、ミロクの世と同じ様なもので、まあミロクの世です。その時分は文化というものは全然なかった原始的なミロクの世だったのです。しかし今度は悪の発生によってこれだけの文化をつくって、そうしてもうこれだけになれば、あとは必要ない、むしろあとは邪魔になるから、悪を無くすという事については、薬を無くすという事です。そこで薬を無くすれば病人が無くなり悪も無くなりますから、そこで今度は絢爛たる文化によるミロクの世が出来るのです。つまりエデンの園が出来るのです。そういう様に考えるとよく分ります。それでこれは難かしい理窟ではなく、薬で血を濁しますから、血が濁れば霊が曇りますから、霊が曇れば副守護神の力が増すからして、副守護神という奴は悪い事をするのが本来ですから、それで悪い事をさせるというわけです。難かしい事はないので、簡単に分ります。面白い事は、私が前に浄霊していた時に狐などが出て来てこういう事を言うのです。「せっかくオレが医者にかけて、これだけに悪くしたのに、横から出て来てとうとう助けてしまった。随分薬をのまして、やっとこれまでに悪くして、もう一息で命を取るまでになったのを、横から出て来て助けた」と怒るのです。ですから彼等は薬で悪くして結局命を取るという事をよく知っているのです。それは人間はとてもかないません。むしろ人間以上です。私はむしろ狐から薬毒を教えられたくらいです。自分自身でも分りましたが、医学を狐が利用しているという事が分ったわけです。そうしてみると狐がその人間を殺そうとする場合にはやはり彼等恨みの霊というものが、何か仇を討つという場合に、狐がその人の副守護神に命令されたり、又はそこの祖先が稲荷を信仰したとか、又その人が稲荷を信仰したいという意思を知って、その狐が相手に働きかけるのです。そうするとその場合に医者にかけるのです。できるだけいい医者にかかって、できるだけいい薬をのむのです。むしろかえって大きな病院やいい薬を、という事に狐は働くのです。その方が悪くするには効果的なのです。大病院というのはやり方が大胆で思いきってやりますから、悪くするのも思いきって悪くします。それで町にいる薮医者というのはオッカナビックリしながらやります。手術でも、あんまりひどい手術はしないというのですから被害は少ないのです。ですから大病院でなおらなくて、町医者でなおったという事を聞きますが、つまり薮ほど間違いないというわけです。それで又薬をのませると霊が曇るからして、奴さんは余計働きよくなるのです。つまり医学を利用しているのは、そういう動物霊というわけです。そこで悪の世界というものは薬がつくったものです。無論今読んだのは、薬が不幸をつくるというのですが、不幸というのは悪のためですから、人間界から悪をとれば不幸というものは無くなってしまいます。だから病気で苦しむために不幸になるというので、その病気をつくるのは薬ですから、薬というものはそのくらい恐ろしいのです。ところがその薬をいい物の様に人間は長い間教育されているので、一寸やそっとではなかなか分らないのです。救世教信者になれば信じられますが、普通の人に言ってもなかなか信じられないので、そこに骨が折れる点があるのです。ですから結局薬の害を知らせる事が根本なのです。結局いろんな面から書きますが、元はと言えば薬毒の害になるのですから、それを分らせるという事です。私は昨日から歯が痛くて少し腫れてますが、これは歯の肉に固まりがあって、それが溶けて来たのです。この歯の薬の固まりですが、この薬が今年で三十七年になります。三十七年たっても、今もって無くならないというのは、固まってしまうのです。ですから新しい信者の人などがかなり浄化して出たので、もう薬毒は無くなっただろうと思うと、あに計らんやこれからです。二十年も三十年も前にのんだ薬などはもう無くなっているだろうと思うと、どうしてどうしてなかなかです。固まっているからですが、それが順に溶けていくのです。ですから一生涯無くなるという事はないでしょう。私は三十七年前のを毎日浄霊してます。それから横腹と背中の間に固まりがありますが、これは肋膜の時の水が残っていたのが固まっているのです。それに薬毒もありますが、これは丁度五十年前のがまだあるのです。それは固まってしまうからです。それで何時までたっても取れないのです。それで誰でも浄霊によって、やっと溶け始めて出るのですから、大変なものです。

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一月十五日

社会的に相当立派な或る人が、この間の判決をみて“何故控訴しないか”と言うのです。それで私は“控訴してもどうせ勝てるわけではないし、勝ったとしたところで、大した面白味がないから止した。私はもっと大きく仇を討ってやろうと思っている”と言ったら“一体どういうわけですか”と言うから“私が今に大いに出世して世界的になれば、あれ程の人をどうしてあんなに酷くいじめたのだろうと言って、大いに煩悶するだろうから、その方がかえって深刻な仇討ちではないか”と言ったのです。これは昔から例があります。松島に瑞巌寺というお寺がありますが、その和尚の話で有名な話ですから聞いているでしょう。その人は若い時分に伊達の殿様の足軽になって、いわゆる草履取りをしていたのです。そうして雪の降った寒い日に、草履が冷たいといけないと思って、懐に入れて温めたのです。それを殿様がはいたところが温かいので“貴様はいていたのだろう”と、けとばしたのです。それで悔(クヤ)しくて仕様がないので、そこを飛び出して死のうと思って、首をくくったか川にはいったか、どうかしたのです。するとそこを通りかかった坊さんが助けて“お前はどうして自殺をするのか”と言うので、実はこうこう言う訳で悔しくて堪らないから、自分の気持を分って貰いたいために死ぬのだと言ったのです。そこでその坊さんは“お前の考え方はごく小さい。それでは殿様に対する恨みを晴らすと言ったところで、わずかなもので、直ぐ忘れられてしまう。それよりももっと大きな仇を討て”と言ったので、“どうしたらいいか”と言うと、“お前がうんと出世をして殿様を見返してやるのだ”と、懇々と諭したので、自分もその気になってうんと勉強して、日本でも相当な坊さんになったのです。その結果支那に渡って、支那で又修行したのです。その時分に支那に行くというのは、今外国に行くのより、もっと大したものなのです。それで支那から帰って然るべき寺の住職になったのです。なにしろ学問はあるし、立派な人格者として大変な評判になったのです。それで故郷が仙台だという事を仙台の伊達の殿様が知って、そういう立派な坊さんなら是非招待したいというので、呼んで初めて会ったのです。そこで殿様は、よく来てくれたと大変に喜んで歓迎したのです。それで大変優待され、帰りに、是非お土産を上げたいと思って持って来た物があると言って、懐から立派な包につつんである土産物を、恭しく殿様の前に出したのです。見ると草履なので、殿様はアッケにとられていたのです。それで坊さんは“不思議に思われるのは当り前です。実はこれには謂(イワレ)があります”と、その謂を話したので、殿様は恐縮して“そのお詫びの印にあなたに寺を寄進しよう”というので建ったのが松島の瑞巌寺です。その人は瑞巌和尚と言うのです。その仇討ちですが、非常に面白いと思います。

それからもう一つは、これも有名な話ですが、当時大変有名な坊さんで白隠禅師という人がいました。ところでその当時の相当な商人の娘が姙娠したのです。それで娘は、本当の事を言うと親が何と言うか分らないというので、それを怖れて口から出まかせに白隠様だと言ったのです。それで親父が怒って、あんな立派な名僧がこんな事をするとは、飛んでもない生臭坊主だというので、檀家を集めて相談の結果追放したので、白隠は寺から出て宿無し坊主になって、散々苦労をして流浪したのです。ところがそのうちに娘が本当の事を言ったので、それは大変だというわけで再び鄭重に迎えられて、以前より偉い坊さんだという事になったのです。ですから人間はごく酷い目に遭わされた時には黙っているのです。そうしてこっちが偉くなればいいのです。そうすれば相手は“こんな大した人をあんな酷い目に遭わして、自分はなんたる愚かだったか、実に申し訳ない”という心の煩悶を起すのです。この仇討ちが一番いいのです。ですから普通の仕返しというのは、ごく小さい事で、又そのために恨みを残すという事になります。私がその話をしたところが、その人は非常に感心して“なるほどそうです。宗教家らしいお考えです”と言ってました。結局キリストを磔(ハリツケ)にしたヒラデ王も、霊界に行ってどんなに後悔しているか分りません。それからお釈迦さんに対する提婆とか、日蓮上人に対する北条時政という人達は、無論生きている時はそうでもなかったが、霊界に行ってどんなに苦しんだか分りません。

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それから今度出版した「⇒アメリカを救う」の本は、まだ徹底してないのです。ですからあれを読んだ人は必ずもっと徹底したものを読みたくなるのは当然ですから、そこでそのためばかりではなく私は前から、最後には医学について誰が読んでも分る様な、そうして有りのままを忌憚なく説こうと思っていたのですが、丁度そういう事のために急に書きたくなったので書き始めたのです。今一つは、今まで私が書いたものでは、まだ遠慮して書いた様な点があるのです。というのは、やはり時期の関係もあるし、教団が世間から知られていないという点や、私などが誤解されていた点とか、いろいろあったので、どうも思いきって書く気がしないのです。というのは、まだ救世教にならない時とか、救世教になってからでもまだ世間が本当に知らないうちにこういうものを書いても馬鹿にして、むしろ気違いじみた様に見られる懸念がありますから、そこでなるべく遅らせていたのですが、もうそろそろこれだけのものを書いても、なるほどと思う時期になったと思うのです。それから又一方早く書いて知らせないと、人類を救う上において、苦しむ人が早く救われませんから、そういういろんな点において書き始めたのです。これこそ、病気に対する事と、浄霊でなおるという様な理論を、微に入り細に亙って徹底して書いてありますから、これが結局救世教の最も中心になり、バイブルの様なものになります。最初のうちは病気の説明が主ですが、だんだん神様のいろいろな御働きまで書いていきますから、分らせるにはこれが一番適当した本になるわけです。これはなるべく早く出そうと思いますが、もう半年くらいたったら出せるだろうと思います。これはアメリカだけでなく世界中に配るつもりです。その最初の方のが少し書けましたから、それを今読ませます。

御論文  医学革命の書〔⇒序文〕〔二、医学は迷信なり〕〔三、⇒病気とは何ぞや〕

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一月十六日

今非常に風邪が流行ってますが、私も四、五日前から風邪を引いて一晩かなり苦しみました。今度の私の風邪は非常に水洟になるのです。何処から出たかというと、頭全体に薬毒が残っているのですが、これは前の歯の薬です。三十七年前に歯に付けた薬が頭に上って、それがいまだにモヤモヤしていて、それが溶けて水洟になって出たのです。随分出て、一帖くらいの紙を使ったかも知れません。それであとは頭が非常に軽くなりました。それは原稿を書いても、非常に頭の働きがよくなりました。ですから今流行の風邪は何かと言いますと、頭の病気つまり脳病風邪です。医学はそれを全然知らないから、風邪というのは何処から病気が発生するのか分らなくて出鱈目をやってます。そして今年の風邪は鼻血が出るとか言ってますが、なるほど頭の浄化ですから、鼻血が出るわけです。という様で、今の浄化はほとんど頭から頸の廻りです。だから風邪というものは一番はっきり言えば頭の病気です。脳病です。

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それからこれはおかしな話ですが、或る偉い人が“この間の裁判の判決で控訴しませんか”と言うから“控訴はしない”と言ったのです。すると“控訴した方がいいではありませんか”と言うのですが、“控訴しても、先では決めているのだから勝てる筈はありません。又よしんば勝ったとしても大した面白味はないし、それよりかそのままにしておいて、こっちが世界的にうんと有名になって、それを先生達が見たら、あんな立派な人をあんな酷い目に遭わせたという事は、自分は実に間違っていたと言って、そこで非常に後悔しますから、その苦しみの方がかえって大きいのではないか。ですから私はその考えで、勝つならもっと大きく勝つべきだと思っている”と言ったのです。“なるほど宗教家らしいお考えですね”と言ってました。 それについて有名な話があります。松島の瑞巌寺というお寺をこしらえた瑞巌和尚の伝記が丁度同じ様なものです。あの坊さんは若い頃伊達様の足軽になって、或る雪が降った寒い日に草履を懐に入れて温めたのです。すると殿様は非常に怒って“貴様がはいたのだろう、けしからん”と言って、けとばしたのです。それで悔しくて、そこを出て自殺しようとしたところが、通りかかった坊さんが助けて、お前はどうして死ぬのだと聞いたところが、こうこう言う訳で悔しくて仕様がないから、死んで恨みを晴らすのだ、自分の心の綺麗だったという事を見せるのだと言ったら、その坊さんは“それは嘘だ、死ぬ気になれば何でもできるから、偉い人になって見返してやりなさい。それが立派な仇討ちだ”と言うので非常に感激して、その坊さんの弟子になって修行して立派な坊さんになって、支那に渡ってあっちで又修行して帰って来たのです。それは今の洋行帰りよりも、当時の支那から帰ったという事はもっと箔が付いたのです。それを伊達様が聞いて、出身はなんでも仙台地方の様だというので、招待の使いを出したのです。それで快く承知していよいよお招きにあずかったのです。そうしていろいろ優遇されて、帰りがけに殿様に是非上げたい土産を持って来たと言って、恭しく紫の袱紗(フクサ)に包んだかして出したのです。それで殿様はどんな物かと思って開けてみると、草履が一足出てきたので、これは一体どういう訳があるのですかと言うと、実は私は若い時分に殿様の草履を温めておいたところが、逆解されてそのために自分は叱られて追い出された。それが悔しくて、そのために自分はこれだけに出世したのだから、この草履は自分にとっては大変な出世の動機だ。それでそういう酷い目に遭わされた殿様のために出世をしたのだから、そのお礼をしたいと言ったので、殿様も非常に感動したのです。これは有名な話です。

それからもう一つは白隠禅師の話ですが、当時の立派な名僧智識として大変崇拝されていた坊さんです。それが土地の大変な豪家の娘に恋人が出来て姙娠したのです。それで本当の事を言えば親にどんなに酷い目に遭うか分らないというので嘘をついて、相手は誰だと言われ白隠様だと言ったのです。それで親父は、白隠禅師と言って大変に偉そうにしていてそんな事をするとはとんでもない、あんな者を寺の住職だなんてとんでもないと追放したのです。それで乞食坊主になって、その辺を托鉢していたのです。ところが何かの動機で娘が本当の事を言ったのです。実はこういう訳で苦しまぎれに禅師様に罪をきせたので、申し訳なかったと言ったのです。それから親父は無論の事村中の評判になって、いよいよ名僧として有名になったという話ですが、これはみんなよく知っているでしょう。そういう様で酷い目に遭って仇を討つ場合に、すぐに仇を討とうとしないで、時期を待って、逆に出世をして見返してやるという態度に出るのが一番いいのです。どうせ良い物は良いし、悪い物は悪いのですから、何時かは知れるに決まったものですし、まして神様を信ずるものとしたら、神様が放っておきません。私はそういう様に思っているから控訴もしなかったのです。それは向うの方が、話にならないくらいの酷いやり方ですから、かえってそういう様にした方が、仇討ちと言っては変ですが、向う様は苦しむに決まっているのです。ただ時だけの問題です。大本教のお筆先に「艮の金神は大勢から押し込められて、あるかあらぬ苦しみをいたして居りたが、今度は喜ばして返報返しをいたすぞよ」というのがありますが、その“喜ばして”というところに神様らしい面白いところがあります。やはり神様も知情意は人間と同じなのです。ただ人間は返報返しをする場合に、先方を傷付ける、先方を酷い目に遭わせる、というのが人間のやり方です。ところが神様は喜ばせるのです。向うに被害を与えないで仇を討つというやり方なのです。その点が人間の考えからいくと一寸違うわけです。

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それから今度私は「医学革命の書」というのを書き始めたのですが、これはいずれはどうしても書かなければならないのです。というのは医学の間違いを今までは本当に書かなかったのです。「明日の医術」とか「天国の福音」を書くには書きましたが、いろいろな関係があって思いきって書けなかったのです。それは以前は言論の自由がないし、それからもう一つは、こっちに勢力がなかったから、あんな事を言っても人が相手にしないし、読まれるわけもないし、葬られてしまうという点と、あまりに変った事を言うとかえって変狂者扱いされるという点もあったからです。それからお蔭話なども豊富になかったのです。それが今は凡ての条件がよくなって、むしろ書いた方がいいという様になってきましたから、今度は思いきって徹底して、医学や薬の間違いを書き始めたのです。このあとはもう書く必要がないから書きませんが、将来救世教のバイブルになるというくらいにします。これによって人間の病気は全部解決した、人間死ぬまで病気にかからないで無病息災で居られるという原理を書いてありますから、この本を一冊読めばもう病気の心配というものは無くなるのです。出来上ったら、これを宣伝用として、病気なおしに来た人に一とおり読ませれば少しも迷いはなく本当におまかせするという気持になるわけです。出来上るには半年くらいかかるでしょうが、この中には病気の事と、なおる作用、浄霊の事、それから神様が浄霊を始められた意味などを理論科学的にすっかり書きましたから、これならどうしても徹底的に分るわけです。その最初の方だけが出来ましたから、出来ただけを今読ませます。

御論文  医学革命の書〔⇒序文〕〔二、医学は迷信なり〕〔三、⇒病気とは何ぞや〕

結論から言うと結局薬です。薬の恐ろしさという事は、今まで充分に説いてありませんから、これから説きますが、結局ミロクの世というものは、人類から薬を無くしてしまう事で、これでミロクの世が出来るのです。ただ薬という迷信が根強くはいってますから、その迷信をぶち壊すという手数がわれわれがやる仕事です。神様が浄霊の力を与えたのは、浄霊というのは薬をとる事です。薬を減らす方法です。それでそんなに恐ろしいものを神様ともあろう方が何故つくられたかという事になりますが、それはやはり大変な必要があってつくられたのです。それも今書いてますからいずれ分ります。そういう様で、薬を征伐するというのが根本の仕事と思えばいいのです。

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一月十七日

私が今度の判決で控訴しなかったので、この間相当の偉い人が“どういう訳か、した方がいいではありませんか”と言うのです。それで私は“控訴したところで駄目だし、万一勝ったところで小さな問題であって、それよりか放っておいた方が、仇討ちにしろかえって大きい。それはどういう訳かと言うと、私が今に世界的の偉い人になったとすれば、あの時にあんな酷い目に遭わせて、とんでもない間違った事をした。実に相済まなかったと言って、どのくらい後悔して、くやむか分らないから、その方が大きいではないか。それならやり方が綺麗で、かえって効果が大きいから”と言ったところが、“なるほど宗教家らしい考え方ですね”という様な事を言ってました。それで又話してやったのです。有名な話ですが、松島に瑞巌寺というお寺がありますが、あのお寺を開いたのは、これは相当に知っている人があるでしょうが、昔伊達様に足軽で奉公していた若者で、草履取りをしていたのです。ところが或る雪の降る寒い日に殿様の草履を温めてあげたいと思って懐に入れておいたのです。それで外出される時に草履をはくと温いので、“貴様がはいたに違いない”と、けとばされたというのです。そうして追い払われたので、悔しいので、なんとか仕様と思ってもどうにもならないので、死んで証(アカシ)をたて様と思って自殺しようとしたところが、そこを偉い坊さんが通りかかって、お前は何のために死ぬのだと言うので、自分はこうこう言う訳で悔しくて仕様がないから、死んで仇を討つと言ったところが、“それはつまらない、それよりかお前がうんと出世をしなさい。そうして見返してやれば、それが一番大きな仇討ちだ”と懇々と言われて、自分もなるほどと思ってその坊さんの弟子になって修行して偉い坊さんになって、それから支那に渡って又修行して帰って来たのです。そうして有名な坊さんの第一人者になったわけです。そうすると偶々伊達の殿様がそれを聞いて、そういう名僧なら是非御招待したい、しかもやはり仙台の方の人間だそうだし、自分の領地からそういう偉い人が出たという事は、なおさら大変な名誉だから是非お招きしたいと、会われるのです。それで殿様は大変に優遇していろいろ話を聞いて、帰りがけに坊さんは自分は土産を持って来たが、これを是非殿様に上げたいと言って、立派な包から恭しく出して殿様の前に置いたのです。見ると草履なので、どうしてこういう物を呉れるのかと言うと、これには謂がある、実は私が若い時にあなたの草履取りをしていた、それで或る一日こういう事があったのです。と、すっかり話をして、それだからしてこの草履のために自分はこれだけの出世をする事になったのだから自分としては大変な宝物だ。それもこれも殿様のお蔭だから、その記念としてこれをお土産に持って来たのだ、という事を話したので殿様は恐縮したのです。そうかと言って悪い気持はしないのです。そこで大いに面目をほどこしたと共に一つの仇討ちをしたのです。それでは一つ寺を寄進しようと言って造ったのが瑞巌寺というお寺です。そういう話があります。ですから私はそういう様な気持で控訴はしなかった、と言ったのです。なるほど、そう伺ってみるとその方がいいかも知れない、と言ってました。これは一つの例ですが、凡て人に酷い目に遭わされたり、人からいじめられたりした時は、それをすぐに仇を討とうという気持を起さないで時日を待つのです。それは自分が悪くてはいけませんが、自分が正しかったら必ず良い結果になるのです。昨日も偉い人達の集まりがあって話をした時に、戦の話になって、日本が戦に負けたという事の話から私は言ったのです。とに角人間は勝とうとしたり、勝ったりすると負けるのだから、戦で勝つには逃げるに限るのだ、逃げるくらいな人ならきっと勝つのです。ところが日本兵は逃げないのです。何処までも進みますから戦に勝てないのです。私は、マッカーサーがヒリッピンで戦かった時に命カラガラ逃げましたが、あの時私はみんなに言ったのです。“マッカーサーは大したものだ、とに角逃げた、だから今に立派な人になる、すばらしい軍人だ”と言って褒めましたが、聞いた人はここにも幾人か居るでしょう。ところが果たして偉かったのです。そういう様で人間は勝っては駄目です。負けて逃げるくらいならまず勝つのです。ですから裁判なども、控訴して勝ったらやっぱり駄目なのです。だからこっちが正しくて負けるというのは、非常に割の悪い、業腹(ゴウハラ)な事ですが、それを我慢して負けると、それ以上大きく自然に楽に勝てるというわけです。これは大きな話ですが、小さな事でもそうです。家庭的の事でも、負けておくのです。そうするとその人はきっと勝ちます。勝った人が必ず謝(アヤマ)る事になります。だから昔から言う「負けるが勝ち」という事は真理です。その話はこのくらいにしておきます。

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今度の「⇒アメリカを救う」の本で、昨日英文の方を読んだ人の批評ですが、“随分思いきった事を書いてありますね。あれはアメリカで問題になりますよ”と言うから、“問題になればしめたもので、問題になるという事をこっちは大いに希望するのです。何故ならば問題になれば売れるに決まっているし、売れれば沢山の人が読むし、外貨獲得にもなるから”といろいろ言ったのです。そこであれは急いだのも急いだし、それから売る値段や、多方面にいろいろ書いたり載せたりしたので、あんまり詳しく書いてありません。又或るアメリカ人ですが、お蔭話はもう一層詳しく書いたのを見たいという希望もありますから、そこで今度は「⇒医学革命の書」というのを書いてます。これはどこまでも徹底して、私が今まで言いたい書きたいと思った事を充分に書き表わしてあります。これは救世教のバイブルになってもいいくらいなものです。これが出来れば、新しく浄霊に来た人にこれを見せれば多くの説明はいらないくらいに書いてありますから、これをすぐに発行しようと思ってます。それであの本でかなりびっくりした人が、今度はこの本で“なるほど”と思うというわけです。無論これも英文に訳してアメリカにも送ります。それについて面白い話でこういうのがあります。イプセンの有名な小説に「人形の家」というのがあります。これはイプセンの傑作で世界的のものですが、これをイプセンがスウェーデンで発行した時に、大変社会的に問題になったのです。それまでというものは婦人は、日本人と丁度同じ様に夫唱婦随で亭主関白という様だったのです。ところが「人形の家」のノラが大いに自分の主張を言って、いろいろの行動が、とに角今まで眠っていた婦人を呼び醒ます事になったのです。実際今日の婦人問題というのはそれが皮切りです。「人形の家」というのが出てから婦人問題が起ったのです。ですから大変な著述だつたのです。そこでスウェーデンで大変な問題になつて、攻撃する者が多かったのです。イプセンという奴はけしからんと、あんまり非難攻撃が多いので、今度は「幽霊」という小説を書いたのです。この方はノラの様に夫のやり方に憤激しないで追随するのです。結論だけを言いますと、そうしてだんだん進んでいって、いろいろなうまくいかない事が出るのです。それがこしらえ事の様でなく、イプセンの事ですから、うまく自然に言ってあります。そうして精神病的の子供が出来て、非常に悲劇を起すのです。そこでノラの様に言うべき事を言って家を出た方がいいか、そういう事をしないで夫の言うとおりに素直に家についていた方がいいか、結論においてどっちがいいかという事を批判的に出したのです。ところがやはりノラの行動の方がよかった。あれが本当だというわけで、その「幽霊」が出てから、その輿論というのはピタッと収まってやっぱり「人形の家」はいい、イプセンは偉いという事になったのです。そういう話があります。私はそれを真似するわけではなし、それとは余程違う点がありますが、“あれは随分酷い事を思いきって言っている、本当にこうだろうか、本当にこうなら大変だ”というような、一つの疑惑が起ります。というのはあれはまだ徹底して書いてないからです。そこでどうしても、あれをもう一層徹底して詳しく、こういう訳だという事を今度の本に書きます。これはいろんな例をあげて、いろいろな方面から、医学というのは“どうしてもとんでもないものだ”と思わせる様に書きます。それから浄霊についても、神様はどうしてこういう事を始めたかという事から、どうしてなおるかという事を理論科学的に書きます。これを見れば“今の医学というのは科学ではない、科学よりもっと浅いものだ”という様に思わせる様に書いてあります。ですからこれこそ医学と浄霊に対する決定版です。その最初の出来ただけを今読ませます。

御論文  医学革命の書〔⇒序文〕〔二、医学は迷信なり〕〔三、⇒病気とは何ぞや〕

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一月二十五日

随分風邪が流行してますが、特に信者の人は溶けやすいから風邪を引きやすいのです。ところで今風邪を引かない人は、健康でもなんでもないので、つまりよく固まっている人なのです。こういう人の方が、溶け始めると急激ですから、かえって危ぶないのです。ですから風邪は早く引く人ほど、軽く済むのですから、いいわけです。  私も十二日から風邪を引いてますが、まだすっかりなおりません。風邪を引いても大抵は一日か二日でなおってしまいますが、今年はなかなか御念がいってまして、一晩だけは苦しくて仕事ができなかったのです。あとは不断と違いはありませんが、けれども体が痛だるくて、水洟や咳が出て、それだけはうるさかったです。信者でない人は“風邪をお引きになっても、よくお休みになりませんね”と言いますが、それで私は“風邪というものは薬をのまなければなおるに決まっているから、そういう必要もないから不断のとおりにしているのです”と言いました。だから何の病気でも、特に怖いという病気はありませんが、特に風邪は薬さえのまなければ、なおるに決まったものですから安心なものです。それについて非常に面白く、分りやすく書きました。

御論文  〔⇒風邪引結構〕【註  栄光一九三号】

それで風邪は、べつに何処の毒という事ではなくて、体中にあるものは何処からでも溶けて、咳と痰になって出るのです。私は最初水洟がうんと出ました。それで鼻紙が山の様になりました。これは何処から出るかと言うと、頭全体が溶けて水洟になって出たのです。その後は頭が軽くなりました。それは、私は原稿を書いてますが、頭が軽くなると、原稿を書いていても長く続くからすぐ分ります。それが済んでから、腰から足の方が痛だるくなってきたので、おかしいなと思って見ると、お腹の下の右の方の丁度盲腸と腎孟の間の所に熱があって、それが溶け始めたのです。それから痰が出て、それで痛だるかったのです。それでそこを浄霊したら、すっとよくなりました。頭や首から痰が出るという事は分りますが、お腹の右手の方から痰が出るのです。それが風邪の状態です。そこから咳と痰が出て、腰から下が痛だるいのです。これは信者さんでも一寸見当が付かないくらいです。ですから案外な所から熱が出て、溶けて、咳と痰が出るのです。今まで気が付かない様な所から溶けて、毒を出してくれるのです。ですから風邪というものは実に結構なものです。それが分らないから、ワクチン何万人分を取り寄せるとか言って、大騒ぎをしてますが、このワクチンというものは、そういう出ようとする毒を出さない様に止めるのですから、それを知らない文化族というのは、実にどのくらい馬鹿だか分りません。だから、こういう人間を教育してやらなければならないが、これを分らせるのは、なかなか大変なものです。すっかり迷信にかかっているのですから……。それで神様はそういう迷信族をどうして分らせるだろうという事になりますが、そこは神様ですから、神様の方には到底人間の想像も付かない秘策があります。それは、だんだん浄化が強くなって来て、今までの様に薬で固めるという事ができなくなるのです。それで、今ワクチンと言っても、一時固める事ができるのです。溶け出したものが一時でも固める事ができるからやっているのですが、これが一寸でも固める事ができなくなると、そうなると考えざるを得なくなります。その事を書いてみました。 

御論文〔⇒大恐怖時代来らん〕【註  栄光一九四号】

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この頃新聞で宗教欄などをつくって、大分宗教に関係した事を書いてます。中には宗教界の偉い人の説なども相当出てますが、読んでみると煙みたいな事です。昔から言っている様な事をただ繰り返して言っているに過ぎないので、そんな事を言ったところで、どうせ何の役にも立たないのです。実際、新聞の紙や活字が勿体ないくらいです。ですから、結局だんだん浄化作用が強くなると、みんな慌てたり分らなくなったりする事になって、大変な事態になりますが、その時になって“ははあ、救世教はこれを言っていたのだな”という事が分れば、非常に早く救われますから、今はその準備をしている様なものです。今まで言ったのは病気の事ですが、病気以外の戦争などもなかなか大変なのです。今日本人が再軍備が良いとか悪いとか、平和がどうとかこうとか言っている事は屁みたいな事であって、何にもなりません。それを社会党とかいろんな偉い人が鼻高になって言ってますが、虫や蚊が鳴いている様なものです。それどころでなく、だんだん世界が全然引繰り返る様な事になって行きます。私は「栄光」の新年号に『⇒世界夢物語』という論文を一寸書きましたが、あれは半分くらいのもので、あの先が大変ですが、それはあんまり恐ろしい事なので、今は早過ぎるから、書かなかったのですが、いずれ来年の新年号あたりに書こうかと思ってます。それは神様の方ではちゃんと決まっているのです。大体の事を言うと、いよいよ昼間の世界になると、太陽が東から霊界に出て、だんだん明かるくなります。それで日本は極東ですから、日本から明かるくなります。それから朝鮮、中国、中央アジア、西南アジア、ヨーロッパという様に、だんだん明かるくなって行くのです。それで、明かるくなるとすると、今までの汚たない物が非常に目立って来ます。夜の世界では分らなかったもので、とんでもない汚たない物が沢山ありますから、この掃除が今度始まるのです。それが神様のなさる事です。それで神様は掃除をやられるのですが、しかしドタバタには立派な神様は手を出しません。そういう労働は悪魔にやらせるのです。そして神様は懐手をして見て居られ、指図されるわけです。それが人間界に現われてくるのです。それはだんだん分って来ます。これだけを言っておきますが、一番酷くやられるのは英国です。日本が戦争でやられましたが、英国はとてもそのような比ではありません。それは随分気の毒なものです。それだけではなく、アメリカもあるし、ソ連も最後は大変です。それは、時期が来たらそういう事も書きますが、今のところはこのくらいにしておきます。昼間の世界になるという事は、東方の光がだんだん昇って行き、それが現界に現われるという事で、これが根本です。それから、医学革命の書の次のを読ませます。

御論文  医学革命の書〔四、⇒固め方法と溶かす方法〕

大体理論だけは出来ましたが、もっと先にいくとなかなか面白い事で今まで説かない様な事もあります。これをすっかり読めば、病気に関した事は徹底的に分るわけです。

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一月二十六日

風邪が流行ってますが、私も流行の仲間はずれにはなれないので、十二日から風邪を引いてまだすっかりなおりません。しかしもうあらかたよくなってます。今度の風邪のしつこいのには驚いてしまいました。しかし私は風邪を引いても、仕事や生活の方はべつに変りませんが、一晩だけ仕事ができなくて寝たきりでしたが、あとは普通にしてます。しかし風邪はなおるに決まったものですから、苦しくない限りは幾ら仕事をしても差し支えありません。ところが約半分くらいは風邪を引いている様な話ですが、この時期に風邪を引かない人はどういう人かと言うと、うんと固まっているのです。固まり方が強いのです。ですからこういう人が溶け始めたら一ぺんですから大変です。無論肺炎の様な、ごく重いわけです。ですから今風邪を引く人は幾らか溶けやすい方ですから、非常に結構なのです。大事なく済むわけです。ところが折角溶けかかったものをワクチンとか、いろんなもので固めますから、それだけは始末が悪いのです。要するに今風邪を引かない人は、ごく頑固な人なのです。素直でない人なのです。だから一番頑固であって非常に危険性があるわけです。だから今度風邪を引かない人は大いに注意しなければなりません。では、これは一体何処の浄化かと言うと、私のは、最初は目茶目茶に水洟が出たのです。鼻紙が山の様になるくらいでした。それは何処の毒かと言うと、頭全体の毒が溶けたのです。それが二、三日出ましたが、それが済むと頭が非常に軽くなりました。それから歯が痛くなりましたが、歯を浄霊すると水洟が出ました。ですから水洟は歯からも出るのですから面白いです。それが一旦なおってヤレヤレと思っていると、腰から足がだるいのです。それで“おかしいな、これは一体何処の浄化かな”と思ってましたが、熱があって寒気がするのです。ですから一寸仕事をして、十分か二十分寝ないと、どうも足が変なのです。ところが見ると、下腹の方に浄化を起しているのです。それでやっぱり、ここから咳と痰が出るのです。ですから風邪と言うと、肩か胸か首の廻りと思ってますが、とんでもない事です。下腹が風邪の原因という事になります。そこを浄霊すると熱が冷めて、寒気がするのがとれました。今度の私の風邪は、頭全体に歯茎に下腹です。だから普通の人が、風邪を引いても分らないわけです。それから外の風邪引きでは、家の者は皆ほとんど風邪を引きましたが、調べてみると首の廻りです。腹などは少ないのです。ですから、頭、首の廻り、肩という様な所を浄霊すれば間違いありません。女中の一人でばかに咳をするので、見ると、ここ(延髄)に固まりがあるのです。それを溶かしたら止まりました。それで、ここならここが溶けて、それは何処へ行くかと言うと、一旦肺にはいって咳と痰になって出るのです。ところがそこで一生懸命に手当をしたり薬をのんだりしていると、肺にはいった痰が固まってしまって、これが結核の因(モト)になります。そこで結核の原因というものは体中にあるわけです。それは肋間神経痛で咳が出る者もありますし、背中から出るのもありますし、股から出たりします。それがみんな一旦肺にはいってくるのです。腰の辺から出る咳もありますし、それが因で肺病にされる者があります。だから胸の病というのはおかしいのです。ですから胸の病というのは医者がつくったものです。中には額から咳が出る人があります。額を浄霊すると咳が出るのです。だから肺病などで青い顔をしている人は、額の病、股の病、と言っていいです。胸の病というのは本当ではありません。中間を言っているのです。それについて風邪引結構という論文を書きました。

御論文〔⇒風邪引結構〕【註  栄光一九三号】

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今は浄化がだんだん強くなって、溶けかかるというと、今度は又反対派の方では、溶けない様にできるだけ固めるという工夫を大いにやっているわけです。その一番の現われが、近頃の肺病の薬です。そこでその浄化を止める薬の毒が進歩したわけです。だから肺病が減ったとか、寿命が延びたとか言っているわけですが、これは最後のあがきみたいなものです。とに角ここまでは医学が進歩した様に見えるわけです。それでますます薬に大騒ぎをやってます。近頃の新聞広告を見れば分りますが、とに角薬の広告が増えました。無論アメリカあたりもそういうわけです。そこで「⇒アメリカを救う」の本は“結局薬は毒だ、のむものではない”という事が骨子(コツシ)になってます。そういうわけで、医学というものの根本、奥の奥は邪神がやっているのです。邪神は、人間の体を弱らせてだんだんフラフラにしてしまって、最後に武力をもって全人類をやっつけ様というのです。その見本が英国、仏国です。最近フランスから帰って来た人の話を聞いてみると、フランスの国民というのは全然戦争はできないのだそうです。以前は百二十個師団あった軍隊が、現在では七個師団しかないそうです。それに徴兵ができないそうです。それでみんな逃げてしまうそうです。ですから今度第三次戦争が始まると、ヨーロッパ方面は問題ありません。英国は英国で社会主義が随分徹底したために国民の体力が弱ってしまったのです。それで日本も体力が弱ってますが、それは邪神がやっているのです。それで、なにしろ英国の食物の不足する事は大変なものです。卵一つでも大変なのです。というのは何かと言うと、英国の農民が農業をするのが嫌なのです。それで怠けるのです。英国にも農業する土地はあるのですが、以前には外国から輸入してましたから、そういう農地は大抵ゴルフ場だったそうです。それで農作物には冷淡だったのです。日本などでは今は農地にしてしまいますが、英国はそれだけの労力を厭(イト)うのです。それで食物が不足するのです。戦勝国の方が食糧に困って、戦敗国の日本とは比べものにならないほどになってます。ただ日本は米だけが足りませんが、これは何時も言うとおり、肥料のためにそうなっているので、これも大変な問題ですが、とに角日本人の労働力はまだ大いにあります。そこで、労働者には栄養が必要だとか言って、政府でもいろいろやってますが、これは農民の体を弱らせるうまい方法なのです。農民の労働力というのは、まずい物を食べているから強いので、それを動物性の物を食べたら弱ります。あべこべになるのです。そういう様に英国は弱ってしまったのです。そこにもっていって種痘をやりますから余計弱ってくるのです。アメリカもだんだんそういう傾向になって来てます。アメリカでも病人が増えて来て、労働力を厭う様になるのです。それで労働時間を少なくするとか賃金を上げるとか社会福祉制度をよくするというので、それが社会主義です。だから社会主義というのは人間を弱らせるというよりか、弱った人間に非常に喜ばれるのです。それを知らない政治家というのは実に困ったものです。それをわれわれの方で教育しなければならないのです。そこでアメリカが英・仏の様になったら、世界は共産主義になってしまいますから、それで私は「アメリカを救う」という本を書いたのです。このくらいでアメリカ国民の弱るのをくい止めないと恐ろしい事になります。それで一番の根本は種痘ですが、ソ連は種痘は一番遅いので、わりあいに国民の労働力はあるのです。とに角共産主義というものの狙い所というものは、これは邪神ですから、文明国の人間をできるだけ弱らせて、最後にたたいて、そうして世界を制覇してしまおう、というのが根本の狙い所です。それについて一寸書きました。

御論文〔⇒スターリンの肚〕

今読んだとおりですが、ソ連の方ではヨーロッパなど訳はないのです。スターリンはちゃんと知っているのです。ただアメリカが怖いのです。そこでヨーロッパ方面を油断させるべく、そこで今は東洋の方に活動しているのです。ですから朝鮮問題にしろ、中共を援助したり、中央アジアに対して中共にいろんな事をやらしているのは、実はアジアをどうしようという事ではなくて、アメリカの力をできるだけ消耗させるという手段なのです。また最近樺太や北海道の上空をソ連の飛行機が大分飛んでいるという事も、まだ日本に対して手を付けるという腹はないので、やはりアメリカに日本を援助させるべく、そうしてアメリカの力を東洋に集めているのです。そうしておいてヨーロッパを大いにやっつけ様というのです。そうしてヨーロッパでも、英国をやっつけるのがスターリンの肚なのです。まだ外にもありますが、差し当ってのスターリンの肚というのはそこにあるのです。だからヨーロッパの方がうんと防備をしないと短期間にやられてしまうのです。それをここに書いたのです。その防備するのに肝腎な英・仏の国民がフラフラなのですが、それは西洋医学というもので体を弱らせ様という邪神の目的なのです。なにしろ世界を制覇しようという目的をたてたのは、キリスト以前の二千年前からです。これはマッソン秘密結社で、これが根本になっているのです。それが邪神です。大体赤龍は共産主義で活動しているのです。それで一方黒龍は違う方の活動をしているのです。そこで私を裁判でやっつけ様としたのは黒龍です。ですから私は黒龍と戦っているのです。赤龍はわりあいに強くはないのです。私の方は金龍ですから敵(カナ)わないのです。ですから私に対しては大して活動してません。しかし黒龍の力は大したものでなかなかのものです。ですから裁判の時は検察官に黒龍の眷族がみんな付いていたのです。だから神と悪魔の戦いというものはなかなか大変なものです。それはいずれ書きますが、そういう様で西洋医学というものの根本にはそういう計画があるのです。医学の根本は黒龍なのです。そこで人類を救うにはそれをぶち壊さなければならないのです。それで私がこれからやる一番の狙い所は、医学の革命です。そして黒龍の大目的をぶち壊すのです。だから仕事の大きさというものは、まず世界的というよりか、むしろ世界始まって以来ないものです。尤も今までにもいろいろな革命はありましたが、大抵は一国とか、一民族という様なものです。共産主義も革命の様に見えますが、あれは革命でなくて野望です。世界制覇の野望の一つの手段に使われているので、これは全然違います。そこでこの医学革命こそ、大きさから言っても本当に人類を救う目的から言っても、実に大きな大したものです。これは信者の人はよく知ってますから、そう詳しく言う必要はありませんが、それは薬が根本ですから神様は薬を無くするのです。それで薬でなくて、浄霊でなおるというので、その術を与えられたのです。それで薬は一時押さえだ、浄霊が本当になおるのだ。薬は固めるもので、こっちは溶かして出そうとするのです。それで人間の体は溶かして出そうとするのを、出さない様にするのですから、そうすると人間の体は弱りますから、一生涯病気のなおる訳はないので、それは敵ながら実にうまいやり方です。そこで注射をすると固まるから一時なおる様に見えるので“これはいい”と、病人よりかお医者さんが乗っているのです。それで一時は良いが又駄目になるから、新しい薬ができるというわけです。ところがこっちの方は溶かして出すから本当になおるので、そこで“そんな本当の事をやる救世教というのはけしからん”と黒龍の方は思いますから、いろんな邪魔をするのです。ところが、いい事には霊界がだんだん明かるくなるので、これがこつちの味方をしてしまうのです。それで先方の方は明かるくなると固め方が追い付かなくなるのです。固められなくなるからして、そこで負けてしまうのです。それを書いてあります。

御論文〔⇒大恐怖時代来らん〕【註  栄光一九四号】

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一月二十七日

今風邪で大騒ぎをやってますが、私も十二日から風邪を引いて、まだすっかりとはいきません。けれども、する事は不断と違いません。一晩だけは仕事もしないでゴロゴロしてましたが、あとは不断と変りません。だから、信者でない人は驚いてますが、こう言ってやるのです。“風邪というものはなおるに決まったものだから、若しなおらないとすれば、それはなおさないのです。放ったらかしておけばなおるに決まっているので、長引くとかこじれるというのは、なおさない様にいろんな事をしているからで、そうしてみれば怖い事もないので、不断どおりに苦しくない程度にやっている方が得だから”と言ったのです。今の人はそれさえ分らないのですから実に可哀相です。風邪は万病の元と言って、肺炎になりはしないか何の病気にならないかと、心配しているのですが、実に馬鹿馬鹿しいのです。又そういう様に教育されているから、そう思ってしまったのですが、その教育される頭が、前の代のその又前の代から嘘を教えられて来て、それからそれへと来たのです。それで文化が進んだとか学問がどうとか言っていても、それしきの事が分らないのですから情ないものです。そのためにわれわれの方はあの手この手でいろいろと知らせる様にしているのですが、なにしろこれは何百年前或いは紀元前から教育しているのです。ヒポクラテスの時代から薬を使ってやっているのですが、それが今もって分らないほどに瞞まされきっているのです。ですからこれをぶち壊すという事は容易な事ではないので、一朝一夕にはいきません。しかし神様の方では、浄霊でなおる様にするので分るのです。そういう様で救世教の信者だけは分ったわけですから、それだけ気強くはなりました。それでだんだん分る人が増えていけばいいのです。それについて面白く書きました。

御論文〔⇒風邪引結構〕【註  栄光一九三号】

それで風邪と言っても、私のは最初水洟がうんと出たのです。それは鼻紙が山の様になるほど出ました。そうすると頭がずっと軽くなりました。これは昔の歯に付けた薬毒が頭にあったのですが、それが水洟になって出たのです。それから歯茎が痛かったので浄霊すると、やっぱり水洟が出るのです。ですから歯茎から洟が出るという事は一寸気が付きません。それで歯の痛いのも大分よくなりました。そして一旦なおってから、咳と痰がまだ出るので、何処から出るのか一寸見当が付かなかったのですが、これは下腹の右の方に毒の固まりがあって、そこから熱が出て、足がだるいのです。それが溶けて足に流れていたのです。それを浄霊すると咳と熱は冷めて余程よくなりました。それは咳と痰が出るのですから風邪には違いないが、その原因たるや下腹にあるのですから、これも一寸気が付きません。そういう様で風邪と言っても、体中の何処かにある薬毒が溶けるのだから、風邪を引けば何処かの掃除ができるわけです。それを知らないから止めるのです。人間も随分馬鹿気た所が沢山ありますが、これはその馬鹿気たうちの王様だろうと思います。それでワクチンを大いにやらなければならないとか盛んに言って、ワクチン何万人分という事を言ってます。今日の熱海新聞を見ると“熱海にもいよいよワクチンがはいって来た、喜こべ”と言うのです。二百人分というのですが、それをまるで宝物の様に思っているのです。二百人分というのですから余程重い人とかにやるのでしょうが、本当に馬鹿気た事で見ては居られません。とに角唯物科学のためですが、文化民族というものがあまりに低能なので、どうしていいか分らないくらいに思います。尤もこっちが分り過ぎるのかも知れません。これがだんだん分る様になるのですが、それにはやはり神様の方でも、これでもかこれでもかと、どうしても分らなければならない様にやる……わけではないが、神様がやる様な形になるのです。自然なのですが、それを書いてみました。

御論文〔⇒大恐怖時代来らん〕【註  栄光一九四号】

昨日聞いた話ですが、この間心臓弁膜症で何かの薬を胸に、湿布の様に付けたのでしょうが、そうすると直ぐに死んでしまったというのです。弁膜症を何回もすると、よく死ぬのだそうですが、今まではそういう事はなかったそうです。だから今はそれを知らないから付けてますが、お医者が手をつけたりすると、すぐ悪化したり死んだりするという事が、これからだんだん出てきます。つまり浄化が強くなったから、その浄化を止めるからそういう事になるのです。ですからもう少したつと、今効いている新薬が非常に恐ろしい結果になってきます。ストマイだとかテラマイだとか、マイが付くのがそうです。マイマイ療法という事を言うので、何かと思っていたらストマイ、テラマイ、それでいくのだそうですが、おかしな話です。そういう様で薬も注射も、すぐに悪くなるので、恐ろしくてできなくなるという時代が来るのです。それからがこっちが一ぺんに発展するのです。今いろんな本を出してますが、これはその準備です。そういう事を一寸でも言ったりしておくと、そういう時になって“これだな”という事が分りますから、そこで救世教に行かなければならないという事になるのです。病気の事はそのくらいにしておいて、面白い論文を読ませてみます。

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御論文〔⇒スターリンの肚〕

今ソ連が朝鮮とか、最近は千島の上空や北海道の端の方に時々戦闘機などが偵察に来ている様ですが、これは日本に挑戦するわけではないので、一つの牽制策なのです。それから中共が中央アジアのビルマとか仏領印度支那の方面を大分脅(オビ)やかしてますが、これはそこを占領してどうするという事ではないのです。ああやってアメリカの力をアジアの方に引入れるのです。要するに牽制策です。それが狙い所です。それで彼が本当に狙っているのはヨーロッパなのです。ところがヨーロッパの英・仏では、ソ連はアジアに力を注いでいるから、ヨーロッパにはそれほど関心を持たなくてもいいと言って、むしろチャーチルは、一年前からみると余程戦争の脅威は薄くなっていると言ってますが、それは奥を知らないで現われただけをもって判断するからです。ところがスターリンの肚はそうではないのです。ヨーロッパにあるのです。ですからいろいろな事は、結局そこにあるのです。そこで朝鮮問題にしろ、中共をおだてて、そうしてグズグズしているという事は、とに角アメリカの力を大いにアジアの方に集めて消耗させ様という消耗戦術です。そしてヨーロッパの防備を薄くする様にとやっているのです。それでスターリンの肚の狙い所は、結局英国にあるのです。ですから私が栄光の新年号に「⇒世界夢物語」で書いたとおり、アメリカはこれから中共に対して、むしろ中国全土に対して大いに攻撃をやる肚ですが、そういう外電がしばしばあります。ただアイクの肚は、一挙に満洲爆撃とか沿岸封鎖、それから蒋介石を台湾から進出させるという事を一挙にやりたいが、しかし連合軍の方は戦局が拡大しますから非常にいやがるのです。この間チャーチルがアメリカに行ってアイクに言われたのです。“そういう様に戦局を限定したら、結局何時までも埒(ラチ)があかないから、思いきってやらなければならない”という事で、昨日かの外電ではチャーチルの考えがアイクに会ってから変った、という事を言ってましたが、結局そうなるのです。チャーチルもなかなか偉いですから“なるほど、では一つ考え直そう”という事になったらしいのです。では案外中共攻撃を思いきってやるかという事になりますが、最初アイクの肚では韓国軍を大いにあおって北朝鮮を占領してしまい、そうして合併させるという肚だったのですが、これは本当言うと消耗したわりに効果は薄いのです。ですから敵の急所をやらなければならないのです。それでマッカーサーを呼んだのですが、マッカーサーは最初から、中国をやれば朝鮮問題はついでにうまくいくというくらいの大乗的の見方なのです。それでどうやらアイクもそういう考えになって来たらしいのです。そうすると案外早く進展するわけです。ところが今までは、トルーマンという人は気の小さい人で、若しそれがきっかけになって第三次戦争になっては大変だと、それを考えていたのです。ところが中共をいくらやっつけてもスターリンは或る程度以上は援助しないという事も分って来たらしいのです。そこで、では一つやっつけ様というわけです。それで私が新年号に書いたとおり、中共はやっつけられても、第三次戦争にはならないと書いてますが、それはそうです。中共は見殺しにするのです。というのはスターリンの肚というのはアジアでなくヨーロッパにあるからです。むしろアメリカが中共をうんとやっつけると、相当大きな戦争をする事になる、という事はスターリンの望む事かも知れません。そうしてアジアにアメリカ始め国連軍を引付けておいて、ヨーロッパを一挙にやろうという計画かも知れません。それは神様の計画もそうなってます。それは神様がやられるわけですが、神様がやると言っても、邪神にやらせるのです。それで邪神がやる事を黙って見て居られて、許される事はやらせるのです。大掃除と同じで、神様の方では仕方がないから、やるだけやらせているわけです。要するに神様はお許しになっているわけです。それが今言った様な戦略になるわけです。だからこれから面白くなって来ます。しかしこれは救世教だけが言うのですが、というのはこっちは建設であっちは破壊なのです。そこでメシヤ会館が出来る頃になると、西の方に神様の東方の光が行きますから、朝鮮から中国、ヨーロッパ方面にだんだん光がさして行きますから、そうなるとだんだんあっちは掃除をされます。その頭で見ていくと空前の大芝居で、世界的チャンバラ劇が始まるわけです。

(教十八号  昭和二十八年二月十五日)