以上によって病気なるものの実体は大体分ったであらうが、ではそれを治すにはどうすればいいかといふ事である。前項の如く放置してをけば治るのは間違ひないが、それでは非常に時日がかかる。というのは毒素が少量であれば速かに治るが、そういふ人は極く稀で、大抵な人は薬毒が充満してゐる。尤も政府も医師も小学校時代から薬を服めと教育し、奨励し、之が文化のあり方としてゐるのだから堪らない。今日薬剤特に新薬が如何に売れるかは、新聞広告欄を見ても分る通り、第一位を占めてゐる。搗て加えて先天性薬毒も保有してゐる以上、今日の人間は人間の形をした毒の塊りであるから、兎もすれば病気に罹り易く、その都度薬と来る。という訳で戦々兢々として日を送ってゐる。而もそういふ人に限って矢鱈に薬を服み、衛生にも充分注意してゐながら弱々しいのは、昔から養生家程弱いと言はれてゐる通りである。又当局は当局で医学の説を金科玉条と信奉してゐる。その為ヤレ帰宅したら手を洗へ、含嗽をしろ、風邪を引くな、暴飲暴食を慎め、無理をするな、睡眠を充分採れ、黴菌を恐れよなどと注意怠らず、結核検診、各種の予防注射は固より、子供は寝冷をするな、生水を飲むな、食物をよく噛め、よく睡れなどと、ザッとかいただけで此位だから、現在生活の煩雑さは生きてゐるのが嫌になる位である。之が文化的生活としたら、一種の牢獄であらう。
此最大原因こそ病なるものは、健康の為の神の恩恵である事を知らず、逆に病気を病魔と言ひ、闘病などといって敵視してゐるのを、吾々からみれば迷信地獄に陥ちて苦しんでゐる人々としか思へない。それに引換へ吾々の方では病を大いに歓迎してゐる。例えばお陰様でやっと風邪を引きました。先日は酷い下痢と嘔吐があって、それから迚も躰の工合が好くなりましたとか、やっと熱が出たからもう大丈夫だと、仕事に取掛るといふやうな有様を見たら腰を抜かすであらう。之こそ病の根本が分ってゐる為と、必ず治るといふ自信があるからで、此境地こそ文字通りの安心立命を得た幸福者である。故に此世界から薬剤全部を海へ投げ棄てるとしたら、その時を限りとして病は漸次此世界から消滅するのは、断言して憚らないのである。
以上は現代医学に対し、大胆卒直にその真相を暴露したのであるが、では此誤謬を是正するにはどうしたらいいかといふと、それは甚だ簡単である。即ち私の説に従ひ、病気に罹った場合自然療法か、又は浄霊療法を行へばそれで解決するのである。之に就て今迄の統計によるも、最も治り難いとされてゐる結核の治癒率が九十三パーセント、他の病気は九十七パーセントといふ好成績を挙げてゐる。而も右の少数失敗者の原因は、薬毒が余りに多量の為であるから、そうでないとしたら百パーセントは確実である。又浄霊法の最も誇るべき特長は、施術の場合医療と異って、肉体に一手も触れない事である。そうして浄霊の主眼は薬毒解消法であり、薬毒が減っただけは治るからよく分る。といっても医学迷信に固まってゐる現代人は、容易に信じられまいから、充分納得のゆくやう詳説すると共に、本人手記の百の実例をも添へてある以上、理解されない筈はないと思ふ。
(医学革命の書 昭和二十八年)