昨今何処も彼処も風邪引流行で、アチラでもゴホン、コチラでもゴホンで、都会も田舎も咳の騒音地獄だ。そうかと思うと例のマスクの氾濫で、人間窒息機械か、緘口具(カンコウグ)のような変なものを掛け始めたのをみると、さぞ窮屈だろうとお察しするが、御本人は風邪予防と思っているのだから、何をか曰わんやである。何しろ空気さえ絹漉しにしなければ、安心出来ないという文化族なるものは、吾々からみれば洵に哀れな存在である。これでは折角の美女美男も、見せたい顔も出すことが出来ず、目ばかりパチクリさせているその格好たるや、虎魚(オコゼ)が陸へ上ったようである。
そこで拙者は風邪引流行について、どんな頭の悪いお人にも、一遍で分るようにかいてみようと思うが、先ずこの地上を眺めてみれば、隅から隅まで埃だらけ塵だらけ、偶々低気圧の孫みたようなチンピラ風が吹いても、砂塵濛々目も口も開けられぬ有様、だがこれは水撒(ミズマキ)人夫や舗装路洗いで、どうやら綺麗にはなるし、家の中でのそれも朝晩嬶やおさんどんが、尻を捲って箒とハタキのバタバタ作業で相済むし、人間様も朝起きて顔を洗って脳天のフケでも落せばスッキリするし、躰の垢は一風呂浴びればサッパリする。以上は誰でも知ってる至極当り前のことだが、茲に誰も気の附かない処に、飛んでもない間違が伏在していることをこれからかいてみよう。
それは外でもない。これ程世の中が展けても人間様の智慧が進んでも、肝腎要の躰の中に年中溜る汚れものに、お気が附かない安本丹振りである。だが言うだろう。
“そんなことなんかあって堪るもんか、人間は皮膚という天然ゴム製ズックを被(キ)いて隠し蔽わせている以上安心なもんだよ”と。成程それも御尤だが、よくよく考えて見て貰いたいのは、仮令躰の中でもだ、ヤッパリ汚いものが年中溜るから不思議だ。何故かって訊くだけ野暮だよ。人間食ったり飲んだりする物にも毒があるし、夫よりも厄介な事には薬という恐しい毒なんだ。これこそ拙者がいつも曰っているが、その外糞毒尿毒も手伝い、人間様の腹の中の汚い事は、まるで塵溜、泥沼、肥料溜と同様なんだから、何よりも自惚を捨てる事だね。それが証拠にはヤレ蛔虫、ヤレ蟯虫、ヤレ十二指腸虫、ヤレ何々と、色んな虫が湧くにみて分るじゃないか、と言ったら一ペンにギャフンだろう。そこで神様も如才がないよ。人間共が行っている春秋二季の大掃除をして下さるんだ。だが神様の方は縁の下じゃない。人間の躰の中一面だよ。この掃除を名附けて風邪というんだから、風邪程結構な有難いものはないじゃないか。この掃除のおかげで躰の中は清潔になって、健康は増すのだ。どうだ分ったか。それをどう間違えたものか、そんなに結構な掃除を止めようとするのが、昨今政府始めお医者さん達総掛りの仕事なんだから、その馬鹿さ加減は呆れて物が言えないよ。これも全く医学迷信のためなんだから困ったものだよ。
従って拙者の申すこの説を聞いたら意外も意外、余りの意外にアフンと逆立してもオッツクまい。そこで今これを分り易くかいてみよう。先ず以て風邪引同志の話を聞いてみると、今度の風邪は性質(タチ)が悪い、いつもと違って中々治らないので困りますよ、などと愚痴やら泣言やらを並べているのは皆知っている通りであるが、これこそ風邪は躰の掃除だという事を知らないため、掃除の邪魔をするから治らないのであるから、誰でも風邪を引いたら何にも手当などせず、放っておけば必ず治るんだ。そうして寝たきりでもよし、起きたけりゃ起きててもよし、仕事をしたけりゃしてもいいので、要するに気儘にしていればそれで結構治るんだから、少しの心配もないんだよ。それで治らないとすればヤハリ薬や手当で掃除を止めるからなんだ。
この様な素晴しい真理を話しても、今の人間直ぐには承知出来まい。何しろ長い間に医学迷信の虜となってしまった人達ばかりだから、反って逆にとり、“ヘンそんな馬鹿な話があって堪るもんか、救世(メシヤ)教の奴時代離れのした非科学的蒙言などを言やがって、迷わせるのは怪しからん、そんな甘いことで善男善女は騙せるとしても、吾々インテリは相手にはしないよ”と鼻高々と威張っている人もあるだろうが、斯ういう人は、毎日日日(ヒニチ)ゴホンゴホンの連続で、熱で逆上せた赤い目玉で天井睨んで、ガンガン痛む頭を枕に乗せて、この寒いのに氷詰めになって、ブルブル、ビクビク、フラフラ、ウンウン唸っているのだから、医学迷信の恐しさが沁々分るんだ。中には住宅難の今日、エエ面倒だ、いっそ娑婆を見限り、彼の世とやらへ転宅をしようかと迷っている人もあるだろう。
先ず戯言(ザレゴト)はこの位にしておいて、再び本論に戻るが、さて人間の躰の中へ溜った汚れの掃除こそ風邪なんだから、論より証拠咳と嚏(クシャミ)は箒とハタキで、痰や水洟は塵埃でも、そうして湯で洗った汚れ水が汗と思えばいい。頭や躰の痛いのは、棒で叩かれ塵を浮かせるためだ。という様にこれだけでも、ハハーナールホドと感心せずには居られまい。処が斯んな結構な掃除をば、ヤレ注射、ソレ熱冷し、咳止め、湿布、吸入、葛根湯(カッコントウ)、梅干の黒焼、玉子酒などをガブガブ飲んで、蒲団被って簀巻(スマキ)同様になって、じっと我慢しているその辛さは馬鹿馬鹿しいにも程がある。そんな余計な苦しみをせずとも最初から放っておけば、腹の中の汚い雑物はスッカリ出てしまい、石川で尻(ケツ)洗ったようにサバサバする処か、一銭の金も、手数も要らずに治って、後は健康が増すとしたら、これ程有難い話はないではないか。
処がまだ厄介な事には、掃除を止めたため沢山の汚物は残ってしまうから、今度は一遍にドカンと大掃除が始る。これがみんな恐れてる肺炎なんだから、肺炎という奴は人間が造ったものに違いない。処がまだある大いにある。それは誰でも今度の風邪は性質(タチ)が悪い、思うように治らないというのは、これこそ近頃の薬が進歩したため、掃除を抑える毒力が強くなったからである。つまり折角出ようとする塵埃を、出さないようにする方法が進歩したのだ。そのため汚物は肺の中で固ってしまうから、この塊りを診たお医者さん、コリャ大変、結核の初期だと言うので、奴さん吃驚仰天青くなり、頬はゲッソリ落ちてしまい、眼ばかり光って愈々生きた屍になる修行に取掛るという訳。テモサテモ今の人間の哀れさは、虫ケラ同然犬猫同然、アキレ蛙のヒキ蛙、泥沼に足突込んで、ギャーギャー鳴いても追っつかない。とは情ない世の中になったもんだよ。
さてこれだけ読めば頭のいい御仁ならピント来て、早速医学迷信西の海へさらりと捨てて、救世(メシヤ)教の幸福の門に入って、何年振りかのニコニコ顔になるだろう。そういうお方はこれからドシドシ増えるに違いない。何よりも本教で救われた天国族は、風邪の流行など屁とも思わない処か、大いに結構、御蔭で一文要らずで掃除が出来るんだから、その有難さ嬉しさが身に沁みるよう。これを世間様に比べたら月にスッポン、ダイヤに硝子処ではない。恐らく斯んな大きな福音は、世界中何処探してもないに決っている。以上思うままをかいてみたので、拙者も肚の中の掃除が出来たような気がして、久方振りにスーッとしたのである。
(栄光百九十三号 昭和二十八年一月二十八日)