著述編

観音運動

大光明世界の建設 観音力

人或は曰はん、観世音菩薩は、敢て、今更事新しく、知らせてくれなくても、古来、東洋諸国、併も、我日本に於ては各地に堂宇を建てて祭り、又寺院に祭り無数の人達が尊信し、礼拝して、その利益に預かって来たのではないかと、それも、一応は尤もである。今日...
観音運動

大光明世界の建設 膏薬張の救ひ

病気になっても、医者にかかれない人や貧乏で食えない人、可哀相な老人、孤児等を救ふ機関は、益々、社会的に完備してゆく、救世軍は、慈善鍋で貧民を喜ばせる、夫等の事は、確に良い事だ、無いよりも在った方が、どれ程いいか判らない。然し、夫等不幸な人達...
観音運動

大光明世界の建設 真の救ひ

真の救ひとは、永遠に、魂を救ふ事である。又、一生を通じての抜苦与楽(バックヨラク)である。それが出来なければ、宗教としての価値はないのである。病気を治さないで、慰安をして与る事よりも、病気を治して、健康体にしてやるのが、真の救ひである。貧...
観音運動

大光明世界の建設 宗教の使命

今日の宗教と名の付くものが、大部分は宗教本来の使命を、没却してゐるのは、困ったものである。大宗教団の多くが、社会事業が、重なる仕事になってしまって、病院や養老院や、孤児院などを営(ヤ)ってゐるが、本当の意味から言へば、是等は、都市の公共事業...
観音運動

大光明世界の建設 暗中模索

今日迄の凡ゆる聖典、即ち経文、聖書、御筆先等の著述を読む人は、誰しも気付くであらふが其孰れもが、如何にも瞹眛模糊としてをり、謎の如く、不可解極まるものが多い事実である。然るに、それを誰も、今日迄怪しむ者がなかったのみならず、甚だしきは、解ら...
観音運動

大光明世界の建設 明の世界

以上説くところに寄って観ても、今日までは-夜の世界であったのである。夜の宗教であり夜の文明であった。星の夜であり、月の夜であった。波瀾重畳-興亡無常(ツネナ)き世界史は、月の盈虧(ミチカケ)の状-其儘であるに見ても明である。夜が明けて、太陽...
観音運動

大光明世界の建設 東京が中心

前項に述べた日本が中心である。といふ事に就て、疑ふ人があるかも知れない、それは第一日本は世界の極東になるではないかと、夫に就て説明してみる。例えてみれば、富士山の頂をみればいい、飛行機に乗って、富士山の上から見下せば、頂は真中になってゐる ...
観音運動

大光明世界の建設 大宗教の発祥地点

我観音会は、日本の中心たる、東京の又中心たる麹町区の中央、半蔵門に、昭和十年一月一日生れたのである。此所は、一天万乗の大君の坐(オワ)す、皇居から指呼の間で、本当の意味の御膝元である。これは重大なる意味の存(ソン)ずる事である。日本が世界を...
観音運動

大光明世界の建設 世界統一

我日本が、将来世界を統治すべき使命のある事は、如何なる点から観ても肯定し得らるるのであるが、その最も特質とすべきものは万世一系にして、金甌(キンオウ)無欠の皇室を戴く事であり、又、東西両文化を遺憾なく吸収して、綜合調和する、不思議な国民性で...
観音運動

大光明世界の建設 東方の光

仏教では、娑婆即寂光之浄土と言ふ、此寂光と謂ふ事を有難がってゐるが、之は大に間違ってゐる。何故なれば、寂光とは寂しい光りである。それは、月の光りを指したのである。斯一事を以てみても、仏教時代は夜の世界であった事が判る。故に、陽光の浄土とか、...