結核に対し医学は、栄養に最も重きを措いているが、此栄養学の誤りも亦甚だしいもので、それを詳しくかいてみるが、先ず第一に誤っている点は、栄養学に於ては食物のみを対象としていて、肝腎な人体の栄養機能の方を閑却している一事である。例えばビタミンにしても、ABCなどと分類して、サモ進歩したように思わせているが、之は何の意味もなさないのである。というのは根本が分っていないからでもあろうが、ビタミン不足というのは、実はビタミン生産抽出機能が弱っているからで、其機能を快復させる事こそ本当の方法である。では何故機能が弱るかというと、機能の活動を阻止している邪魔物があるからで、それが薬毒の固まりである。之を譬えてみれば、人間に金がないというのは怠けるからで、働かせるより仕方がないが、医療は怠け放題にして、金を呉れて遺るようなものだから、之をいゝ事にして益々怠けるという訳で、如何に間違っているかが分るであろう。従ってビタミンを服めば服む程、ビタミン生産機能は退化するから人体も弱る。弱れば浄化も弱るから、病気症状は軽減する。それを医学は、栄養による好結果と錯覚するのであるから、栄養学は人間と食物との関係に無知というよりも、逆解している訳である。
そうして人間を養う為の必要な食物は、地球上至る処に生産されている。穀類、野菜、魚鳥、獣肉等等、地域的、気候的、民族的に、夫々適切な食物を神は配分されているので、それで充分栄養は摂れ、健康は保たれるように出来ているのである。其意味を知らないから科学の魔術にかかり、栄養学などという馬鹿々々しい学問を作り、手数と金をかけて健康を弱らせているのであるから、其愚かなる評すべき言葉はないのである。又此事は食物の咀嚼に就ても言える。それは余り咀嚼すると胃の活動の余地がないから弱って食欲は減退する。それを補うべく消化薬を服み、消化のいゝ物を食うから愈々胃は弱り、其結果胃下垂や胃潰瘍となるのである。此理によって結核患者も栄養などは問題にせず、一般人と同様の食物で、半噛み位にすれば結構で、昔から早飯の人程健康であるのはそういう意味である。
今一つの誤謬をかいてみるが、現代人は昔の人間に較べると、栄養不足処か栄養が多過ぎる位である。即ち栄養とは人体機能が作るものであるから、栄養過多だと機能が鈍って了う。此理を一層徹底すると斯うなる。即ち栄養食や栄養剤は謂わば完成したものであるから、機能活動の余地がない事になる。従って未完成な物程活動の必要が多いから、相互関係にある他の機能も活溌となり、健康は増すのである。という訳で人間の生活力とは機能の活動から生れるもので、空腹になれば弱るにみても明らかである。彼の美食家は弱く、粗食家は健康であるのもそれである。故に結核患者と雖も、寧ろ菜食を多くした方がいゝので、之に就て私の経験をかいてみよう。
私は十七歳の時、肋膜炎を患い、穿孔排水一回し、三月ばかりで治り、安心しているとそれから一カ年後再発したが、今度は前の時と違って中々治らない。医療を受け乍ら漸次悪化し、一年余を経た頃、遂々三期結核となって了った。最後の診断を受けたのが、当時有名な入沢達吉博士であったが、入念に診察の結果、全快の見込なしとの宣告をされたのである。何しろ日に々々衰弱が加わり、自分の手を見ると白蝋の如く、血の気など更になく、痩せ衰えて骨と皮になって了った。先ず衰弱の程度から推すと、精々後一カ月位で駄目だという事がよく分るので、覚悟はしたが、何とか助かる方法はないものかと思い、色々考えた末、何か大いに変った事をして、旨く当ればよし、外れゝば元々だという気になっていた処、病気以前私は絵を習っていたので或日色々な絵の本を見ていると『本朝薬草彙本』という漢法薬の本があった。勿論草根木皮の絵ばかりで、何の葉は何病に効くとか、何の実、何の花は、何の薬になると出ているので、私は“ハハァー斯んな植物にも、そのような有効成分があるのかしら”と思うや、不図気が附いたのは、それまで私は栄養は動物性に限ると思っていた事とて、試しに一日菜食にしてみた。処が驚くべし、非常に工合がいゝので、これは不思議と、翌日も翌々日も続けた処、益々いゝので、茲に医学に疑いを起し、薬も廃めて了い、三カ月間絶対菜食を続けた結果、病気以前よりも健康になって了ったのである。今一つは、私は二十五歳の時妻を娶ったが、一年位経た頃、妻はヤハリ結核に罹って了った。喀血、血痰等引っきりなしで、普通より大柄な癖に、体重は十貫五百匁という痩せ方だ。だが私は自分の経験によって、医者にもかけず、絶対菜食にした処メキメキ快くなり、三カ月で全快し、二年後体重を計った処、十六貫五百匁に肥っていた。
次に斯ういう事もあった。之は栄養には関係がないが、以前慶大の学生で、一日か二日置き位に、必ず喀血するという青年が治療に来た。本人曰く「苦痛がないので医療も廃め普通人同様にしている」と曰うので、私も「喀血は浄化作用で結構だから、其儘放っておいた方がいゝ」と曰ってやった処、それから二カ年程で全快したという事を聞いたが、之なども大いに参考になると思う。又喀血であるが、之に就ても斯ういう患者があった。三十歳位の青年で、此人は肉食をすると必ず喀血するが、菜食にすると直ぐ停まる。丸で判で捺したようだとの事である。之を見ても分る如く、喀血を停めるには菜食に限る事を知ったので、其後私はみんなに教えている。之等によってみても、結核に菜食のいゝ事は確かであるから、栄養学者は大いに研究して貰いたいのである。それに就て左の実例は、最も適切だと思うから載せてみた。
整形手術直前に救いの御手
熊本県 I・Y
私は昭和一九年に肋膜炎に罹り、其後二二年、二五年と一定の期間をおいて再発する毎に病は亢進し、二五年末の発病の時は肺結核と診断され、昭和二六年七月には、愈々入院して、整形手術を受ける事になっておりました。
大の無神論者であった私は、初め救世教のお話を聞かされたとき、半信半疑処ではなく絶対に其様な事はあり得ないとさえ思いました。然し余りにも一生懸命にお勧め下さいますので、入院を一週間か一〇日位遅らし、それまで試しに通ってみてもいいという気持になり、屹度その中にポロが出るに違いないと思い、毎日御浄霊を受けさせて頂いておりました。傍ら先生のお言葉に従い、今迄の安静療法を直ちに中止して気の向くままに行動する事にし、服用中のパスを廃め、努めて肉食等の栄養物を摂取していたのを菜食に切り替えました。其頃は時折微熱が出る程度の自覚症状でしかなかったので、一週間や一〇日位だったら少し位非科学的な事をしても、病状に大した影響はないと考えたからです。処が実に不思議です。医学上からいえば、安静を止めて無理をし、且つ栄養物も摂らないと微熱、頭痛、眩暈等の病勢は悪化し、身体は当然衰弱しなければならないのに、二日目位から顔色が良くなると共に、食欲は進み、一週間経たない内に、メッキリ元気が出て参りました。そこで私は只手を翳すだけの御浄霊が、只事ではないと思えて参りました。
又一方明主様のお言葉の記録や数々の御著書を拝読させて頂きましたが、初めの中は革命的な異説に只驚く外なく、又自分に一番関係の深い(私は熊本県庁に務めております)政治に関する御論説や役人に対する御批判等に対しては、宗教家が当然唱える理想論であって、現実の社会に対しては、単なる空論でしかないなどとも思ったものでした。併し右の御批判などもよくよく考えてみますと、読んで気に喰わないのは、自分の一番痛い所に触れられるからであって、人に余り関心を有たせたくない様な事を、単刀直入に申されるからであります。此様な事を考え乍ら数々の御論文を拝見させて戴いたり、先生のお話をお伺いしたりしている内に、明主様は社会の凡ゆる面に亘って、人間の最高道徳をお説きになり、而も之を行う道を明瞭にお示し下さっている事を分らせて頂きました。又御一人で政治、社会、宗教、医学、哲学、芸術等すべてに亘って詳細にお説き下さる事は、到底人間業ではない事も考えさせられました。
思えば昭和二六年七月一三日、入院準備の買物に行った日が、私の光明世界への更生の日とも申せましょうか。丁度お盆の日に―之も先祖様のお導きではなかったでしょうか。実に間一髪とも言うべき処でした。若しあのまま入院していたら、今頃はどうなっていた事でしょう。整形手術後順調にいったとしても、半年位は絶対安静で、一年位はブラブラしていて、再び働けるようになったと致しましても、不自由な不具の身体で、何時再発するかも知れず、戦々兢々として短い一生を終らなければならなかった筈でございます。
入信以来三カ月「病気は浄化作用なり」という真理を御教え頂きました一事丈でも、日常生活が如何に明るく安心感を与えられたかは計り知れないものがあります。之迄子供が一寸風邪を引いても、「ソレ医者だ。早く治さないと肺炎にでもなったら」と慌てたり、「ヤレ少々熱があるぞ」「腹が痛いというが何を食ったんだろう」等々今考えてみますと、全く無用の取越苦労をしていたものでございます。又神様の実在を信ぜず、三十有余年よくも永らえて来られたものと深く感じ、お詫びせずにはいられません。
此様に過去を顧み、感激に浸る事が出来ますのも、明主様のお蔭でございます。 此宏大無辺なる御神恩の万分の一にもお報いさせて頂き、地上天国御建設の大聖業に、少しでもお使い頂けますようお念じ致しております。
明主様寔に有難う御座いました。
(結核信仰療法 昭和二十七年十二月一日)