(付録)全快者100人の手記 61~70

福島県 A・U

私は東北の片田舎に雑貨商を営んで居る者でございます。幼い頃より病弱にて風邪を引けば必ず肺炎に罹り、随分親達に心配をかけましたが、成長するにつれどうやら病気も固結し、現在の所に嫁ぎました。未だに忘れ得ませぬ昭和二二年秋もまだ浅き日、主人に肋膜の再発が襲って参りました。本人は勿論私始め親兄弟の心配は一通りではございません。分けても一人息子のお坊ちゃん育ち故結婚後も食物の好き嫌い等、我儘勝手の主人の日常生活は贅沢の為放題、妻は夫に随えとか、子供達にとっても寧ろ怖い感じのするお父さんでした。医学では不治の病とされている恐ろしい結核、考えただけでも目の前は闇黒の世界、臥床する事一年余り、医療に養生に、あらゆる看護を尽した甲斐もなく、昭和二三年九月中旬一三歳を頭に五人の子供と私とを残し、 辞世迄も残して遂にあの世に旅立ってしまいました。其時の私は世の中さえ許すなら貴方と一緒に死んだほうが、と縋り付きましたが返事はもとよりして呉れませんでした。

それ以来の永い月日は、嬉しい事があっても、又悲しい時苦しい時、総て頭に浮ぶのは主人の事ばかり、こんな時主人さえ丈夫で居て呉れたならと、霊前にひざまずき胸が一ぱいになり、頭は痛み遂には涙が止め度なく溢れ出て、食は進まず、床に就いても眠れず、恥も外聞も忘れ声も高く泣くばかりでした。お母さんは直ぐ泣くんだものと子供達も一緒に泣き出し、此世の中に病気さえ無かったならこんな悲しみも苦しみも無かろうにと、来る日も来る日も同じ想いで居りました処へ、自分がとうとう風邪にやられてしまいました。ですが風邪位に負けるものかと頑張って居りましたが、一〇日経っても二〇日経っても良く成らず、病状は悪化するばかりで止むなく医者に掛り診断の結果「旦那様の病気が感染したのだ」と言われ、やはり来るべき時期が来たのだと私は大海の荒波にさらわれたも同様の感に打たれ、唯茫然として何も考える余地すらございませんでした。直ちに福島の某病院にてレントゲンを撮り、入院の手続という大事に至りました。兎に角五人の幼な児を抱え、当時食料品と雑貨の配給所を一人で切り廻して居りましたのに総ての希望を失い、子供の事、将来の事を想うにつけ、家を離れる刹那の事は言葉にも筆にも現わせぬ思いでした。こんどは自分が臥床する事五カ月間の安静療法、身体だけは形式的には安静かも知りませんが、精神的にはどんなでしょう。いろいろと心配の余り安眠も出来ず、折角の尊い食物も美味しく頂けない始末でした。退院はしましたものの、安静を旨とするあの永い療養生活、明けても暮れても限りなき心配、体を三つにも五つにもして働き度いとはやる心、しかし残念な事には身体は思うに委せず、熱を出すまいと心の中は嵐の如くでした。以後一週間に一度ずつ病院に気胸療法に通いました。而もそれを二年も続けねば効果ないとの話、その内に再発の恐ろしさは勿論、金銭もさんざ主人が使い果した後の自分のこの苦しみ、同じ境遇に逢った方以外には到底御察しいただけない事でしょう。

ここに光明如来様のお慈悲の御手が差し延べられました。此多幸、救いの父明主様、地上天国御建設の父明主様、勿体なくて御礼の言葉すら出ないこの嬉しさ、自分と同じく不治の病に悩んで居る方々に一日も早く、一人でも多くお縋り成さいますようお知らせすると共にこれ迄の戴きました数々の御利益、又体験そのままを御報告させて頂きます。

退院しましての或る日、 H先生より一週間後に当M中教会W支部へ東京から先生がお出でに成り、病気に就いてのお話があるから是非お聞きに成るようにと奨められました。どんな病気でも、薬も用いずに治るとの事、狐にでもつままれた感じでしたが、その一週間が待ち遠しく、二四年八月二一日の教修会に朝飯を頂く暇さえ惜しく喜び勇んで参上致しました。いろいろと御話を御伺い致しまして夕方K会長先生より初めての御浄霊をいただきました。「こんな良い体格で肺病とは何です。休んで居るなんて勿体ない。もう明日からお仕事をなさい」と、唯の一回の御浄霊にて其悩みは何処へやら「病気の心配は有りませんよ」との有難い御言葉を頂き、次の日より働き乍らW支部長T先生からお話を伺いつつ一カ月余り御浄霊を戴きました。御守り様は次回の会長先生御出張まで戴けないものと思いましたが、T先生に伺いましたら「直ぐに御取次出来ますよ」との事、一週間目に拝受いただきました時の嬉しさ、直後ビッタリと病院通いも、薬もやめ、瞬く中に元気に働き続けられるようにして頂きました。兄弟を始め近所の人々が「其様に一度に病院を止めずに、薬を用い乍ら信仰をしたらよいでしょう」と申されましたが、私は「薬は大嫌いですので薬とはもう左様ならをしました」と申しましたら「一寸貴方の頭が変ですね」と笑われました。

明主様への御面会も一度は早く是が非でもとお念じしつつ御縋りいたしました事が叶い、昭和二五年三月一八日に熱海、又九月には箱根日光殿に於ける秋季御大祭にも御参拝させていただけました御恵み、あの事この事、明主様の広大無辺の御守護を唯々有難く勿体なく、嬉し涙が溢れるばかりでございます。

五人の子供もそれぞれお蔭を戴いて居ります。三女(八歳)は主人帰幽間もなく、夜中一一時と二時頃決って急にビックリした様に起き上り、大声で泣き出します。男は居らず、自分も淋しく成ってしまい、ほとほと困り、不安な毎夜を送って居りましたが、T先生の三、四回の御浄霊にて、後は全然そういう事もございません。

商業の傍、子供達を相手に自然農法も実行させて頂いて居ります。明主様の御導きを素直に信奉させて頂き、春の馬鈴薯を真先に里芋、お茄子、大豆、小豆、白菜、大根、小麦凡ゆる作物を、自然栽培させて頂いて居ります。その出来栄えの素晴らしさ、風味といい、色艶といいほんとうに格別です。農家の方々に多数一日も早く目醒めて頂き度く、 来る人逢う人毎にお奨めいたし居ります。以前と全く違う健康体と成らせて頂いたこの私の姿を見、又眼前に実行させて頂いて居ります自然栽培の作物を見乍ら、そっぽを向き、信じられぬ人達こそ気の毒の外ございません。

二五年暮にはK会長先生始め諸先生、信者多数の方々に御尊来頂きまして、勿体なくも、光明如来様を御奉斎させて戴きました事、生れて初めての此幸福、何に譬えようもございません。如何なる病気に襲われようと、氷枕も薬袋も備える必要もなく、一日も早く、一回も多くの御浄化を戴けますよう、朝な夕な、光明如来様の御前に祈願申し上げて居ります。六歳の末っ子を始め、お腹が痛んだり、怪我をしますと得意気に「お母さん御浄霊して」とせがみます。無医薬、自然農法に早くもここに小さい乍らも、地上天国を建設させて戴きました。明主様、 誠に有難うございました。 病に悩み続けて居る人々、高価な金肥入手に悩める農家の人々に、一人でも多く、この明主様の御導きを理解、実行して頂けますよう、御報恩の一端にもと御奉仕させて頂いて居ります。あの暗黒世界より、今この健康体と成らせて戴き、店は繁盛して女手一つで大したものだと村の人々に羨やまれ、蔭で一〇万二〇万と資本を援助する人が居るに相違ないなどとの噂が立つ程の御恵み、これ偏に肉眼では見えざる明主様の偉大なる御力で無くて何でございましょう。限りない、明主様の御慈悲の賜物と深く感謝致して居ります。明主様ほんとうに有難うございます。拙い文を以ちまして有難く御礼申し上げます。(二六年六月一日提出)

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長野県 Y・F

私は永年病床にあって非常に苦しみ、光明如来様に救われた者でございます。嬉しさの余り拙文を以て御報告させて頂きます。

観音の御救ひなくば吾は今底なき沼に悩みつづけむ此明主様の御讃歌にあります通り、本当に光明如来様を知らなかったら、私は今頃どうなっていた事やらと思い出してゾッとする程でございます。

昭和一四年の春でした。風邪気味で床に就きましたらそれっきり起き上る事が出来ず、病床の身となって仕舞いました。人様から嫌われる胸の病だと医者に言われました時の悲しさ、泣いても泣き切れぬ思いでございました。それからはあちらの医者、こちらの医者と世間の人から良いと言われる薬は必ず買ってのみました。併し中々熱はとれず、気ばかり急って、私の病気を治して呉れるものは此世にないのかとまで、暗い思いで細り行く自分の顔や手を眺めては涙するのでした。

初めの中は母を始め皆の者が痒い所へ手の届く様に手厚い看病をして下さいました。八年間も天井の節穴を数えて暮して居る者には、あきあきしてしまい母や家人も酷く疲れて参りました。母の愚痴を聞く度に、母も私も二人乍ら随分泣いたものでした。友人は次々と嫁いで参ります。そのニュースを聞く度に自分は病床の身、運命とは言え余りにも世は無常と一人淋しく又新たなる涙で蒲団の襟を濡すのでした。雨の日も風の日も一人淋しい病床の中で死より外に考える余裕もなく、人様に顔を見られるのも厭な位でした。只私の心を慰めて呉れるものは雑誌『主婦の友』でした。同じ所を毎日見るのも飽き飽きし、私は広告の薬の所を何時もよく目を通しました。その中同社発行の末本民間療法の治療法を取り入れてやって見ました。冷水摩擦、日光浴、生姜摩擦とつぎつぎと自分乍ら良くも続くと思う位やって見ました。それまでに一番よく固めたのが矢張り摩擦で一番よく楽になりました。一時は起き出て庭で遊ぶ事すらありました。その時の嬉しさは譬え様なく、一時は死さえ思われた私ですので、何とも言えぬ気持で歩き廻りました。此様子に一番嬉んで呉れたのは矢張り母でした。

三年程経た或日「生長の家」というのを知らされて、今度は信仰で行こうかと思い、早速入れて貰いやっている中にどうやら精神だけは救って頂きました。けれども矢張り駄目でした。私の熱心の足らぬのか又々病床の人となり、今度は少し重態でした。

その後丁度二四年一月私の体にもお光に包まれる日が廻り合せ、有難い光明如来様に救って頂く事が出来たのでございます。御導き頂いた時の嬉しさは本当に何に譬えん術もなく、此神様こそ救いの神と、只もう躍る心に手の舞い、足の踏む所も知りませんでした。

お蔭で迷わず一心にお縋りする事が出来、初めて御浄霊をして頂いた時の気持は今迄になく、身も心も軽くなって寝ているのが何となく厭になり飛び起きて仕舞いまして、一筋に御浄霊を受けに出掛けました。二月二日一里半程離れた処へ教修会に行く為、幾年も歩かなかった足で日帰りで行かせて戴きました。何時もならば足が痛くふらついて困りますのに大して疲れず、少しも休むことなく歩かせて頂きまして、此時の母上の喜び様はもう私以上でした。

其後体は軽くなるばかり家中喜んで信仰に入らせて頂きました。私も兄も只今では御資格を頂きまして、一心に御用を勤めさせて頂いています。又大光明如来様を御迎え奉り数々の御浄化や沢山な御利益頂き、御恵みの宏大無辺に感激して居ります。此有難き地上天国建設の大聖業に御用の一端に御尽しする事が出来ます身の幸を思えば、本当に命を捧げて最後まで頑張って頑張り抜く決心でございます。誠に有難うございました。健かに今我在るはおほけなくも世尊があつき恵みとぞ思ふあな嬉し望みを絶ちし世にしあれど観音知りてゆ希望み芽生えぬ拙文をも顧みず天龍川畔に生を賜わった喜びの御報告と致します。

(二六年六月一八日提出)

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島根県 H・K

五、六年以前風邪を引き出雲市C町のお医者様に診て頂きましたところ、初めは気管支炎と診断され其後も治療を続けましたが、はかばかしくなく医者を何軒も取りかえている中に、だんだん身体が衰弱しますのでレントゲンにかかりましたところ、右の肺が大分曇っているから絶対安静にして栄養を取り養生をする様に言われました。私はもう肺病の三期になった様な気がし、今にもあの恐しい喀血で血を吐くのではないかと思われ、身体中の力が無くなってしまう様にがっかり致しましたが、医師の言われる通りに一室に入り、子供も近づけず、親も伝染を恐れて近づかないような有様で悲歎のどん底に沈み死を待つ許りの有様でした。

その時に忘れも致しません。昭和二四年三月二〇日、近所のK様が来られまして「先日親戚に行った処御光さんのS先生が来ていられ種々話しを聞いているうちに自分のお腹がなり出した処、先生が貴方のお腹は少しおかしいですね、一寸御浄霊をしてみて上げましょうと言われ、自分は日頃元気で何ともないと思っていたのに腹工合がおかしいから御浄霊を受けてみました。処が全身電気にかかった如くなり震い出し、立って御浄霊を受けましたが、だんだん前後に身体が動き出し熱くなり、全身汗がだらだら流れ出し実に不思議なおかげを受けました。先生の御話しでは殆んど、どんな病気でも治るそうだから貴方も先生をお迎えして御浄霊を受けられたらきっと治りますよ」と力強く教えられ、生きかえった如くに嬉しく、早速S先生にお願い致しました。

御浄霊を受けますと大変に気持良く、又先生は「安静にして居ると体が弱る一方だから、無理しない程度に動きなさい。御飯も美味しくなりますよ」とおっしゃいました。私は御話しを聞きまして再生の思いが致しました。四月にKさんが入信され、私は五月一七日I先生より教修を受け入信させて頂き毎日Kさんから御浄霊を受けました。

入信後一〇日ばかりたちました頃、大熱が出まして大変苦しくなりましたので夜Kさんに来て御浄霊を頂き翌日S先生を迎えました。一晩泊って頂き御浄霊を受けました処、その翌朝は忘れた如くに楽になりまして御浄化と御浄霊の有難さをしみじみ覚らして頂きました。

それで一家中おかげを頂きました事が、余りに嬉しく私も手伝ってお餅をついて祝いました。その後薄紙をはぐ如くにぐんぐん快方に向い、六月の末の田植も手伝うことが出来ました。

その後全快致し働いて居りました処、今春、A保健所から村ヘレントゲン検査に来られ、私も写真を撮って頂きましたところ、少しも肺病をやったあともなく、きれいに治って居ましたので、お医者さんも大変に驚き、不思議がって「あんな手を翳した位で治るものかなあ」と首をかしげられ私の顔を眺めて居られました。明主様、大光明如来様本当に有難う御座いました。おかげ様で今日では家内中すっかり健康になりまして子供も一人増え、日々感謝の日を過さして頂いて居ります。世の中には私のような病気でお困りの方が沢山おありと存じます。一人でも多くの方に教えてさし上げ度いと存じましてここに御報告させて頂きます。明主様、誠に有難う御座いました。厚く御礼申し上げます。

(二六年二月八日提出)

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佐賀県 F・T

私は当年三〇歳の女で御座います。昭和一九年二月挺身隊に召集され、佐賀市の或鉄工所にて働いて居りました処が、それ迄は病気一ツせず至極健康でありましたが同年七月初旬の或日、不図頭が痛み気持が悪いので早引して家に帰りました。初めの四、五日は一寸した風引位に思い休んで居りましたが、一向快くなりませんので近所の医師に診察を乞うた処、意外にも肺浸潤との事に家中驚き且つ嘆き、早速又内科専門の某医師に相談一日置きに注射も致し服薬致して居りましたが、良くなるどころか病勢は進む一方、遂に其年の九月初旬には絶対安静を宣言され起きる元気もなくなりました。それ迄は病院通いも出来た身がばったりと臥床、やむなく医師に往診して戴き、尚一層医師の忠告を厳守療養に努めましたが、幸か不幸か其医師は其年の暮れに斃れたので、又次の医師に御世話になりつつ以来足かけ七年目の今年迄臥床のままで御座いました。七年の月日は私の精神を乱して失わせる程の苦しみで御座いました。今日迄生きて居る事が不思議な位ですが、生きて行き度いという望みは強く翼を拡げてあきらめる事は出来ませず、さりとて其「生きたい」と思う事それが苦しみの種で御座いました。生への執着程恐しいものはありません。此間次から次に医者をかえ薬を求め根拠のない世迷い言にも迷い込み、溺れる者は藁をも掴むの譬の通り、あれが良いこれが効いたと聞いた薬は買い、或る神様にも熱烈な信仰をして縋りましたが、一向効果なく此二、三年は一進一退、重くもならず軽くもならず、まことはかなき人の世で御座いました。

年若くして母を失いましたので、年老いた父も弟妹達も何んとかして今一度健康にと泣きの涙の年月で御座いました。取り分け父の心痛の様は可哀そうになる位で御座いました。いっそ自殺でもして死んだらあきらめてあれ程の御心配もなさるまいと思う事も一再ではありませんでした。

丁度昨年六月親族のU様が、わざわざ訪ねて参りまして光明如来様の偉大なる御救いを戴き、多くの人々が助かりつつあるお話しを聞かして戴き、是非お縋り致して御霊徳を戴く様にと勧められましたので、私の如き永年患いし者でも救われるだろうかと疑われましたが、U様の御親切に対しても無駄にお帰し出来ない様な気が致しましたので、御浄霊をお願い致しました処、今までになく良い気持になれましたので引き続き毎日お願い致しましたが、其後二度位でお願い出来なく成りました。と言うのはU様には沢山お子さんが在りますのと余り遠方の為私の思う様になりませず、残念に思って居りました時にA先生を御紹介して下さいました。A先生にお世話になる様に成りまして追々頭も軽くなり、永い間なやまされました便秘が良く成りました。一週間も一〇日も通ぜず、催した時は半時間位は泣く様な苦しみをして、カチカチの便が少しずつでしたのに御浄霊を始めて四、五日するとやわらかな便となり、何の苦痛もありませんのです。毎日気持ちの好い眠りが取れますので、何だかかすかな光りの様な希望が湧いて来ました。日が経つにつれて益々御浄霊が楽しみになりました。前途に光明を見出したとは此事で御座います。

確に生きられる、健康を快復出来るという一ツの信念が出て来たので御座います。之に気のついた時の私の喜びを御想像下さいませ、天国に上れた様な嬉しさで御座いました。毎日の先生の見えられる時間が待ち遠しくてなりません。其内に「起きて見よ、歩いて見よ、髪をとかしなさい」と御言葉のままに実行しました処、出来ない事だと思い込んで居た事が、次々に楽々と出来る様になり、遂に床上げとなったのが、九月中旬で御座います。最初の頃に佐賀市の支部のS先生もお出で下さいまして種々懇篤なる御訓しを戴いた事は感謝にたえません。苦しみの七年再び明るい人の世に迎えられたので御座います。何と御礼を申し上げて良いのか其言葉を知りません。神秘な世界の戸が開かれた。今迄見たり聞いたりした世界の事とは格段の差があり、出来ない事が見事出来た神様の御光の偉大さは計り知られぬ事で御座います。A先生に御世話になる様になってから三カ月、七年間の死の床を離れさして生れかわらして戴きました、生きたままで。一〇月八日佐賀市の支部に神様の御前に初めてお参りが出来た時は天国の様な気が致しました。三日二晩御世話様に成り、有難き御講話を承り尊き御浄霊を戴き、我家に帰り度くない様な気が致しました。

七年振りに乗ったバスの乗り心地、市中の有様等、見る物聞く物が皆珍らしくない物はありませんでした。床上げ後は毎日五時には起床、永い間父に委ねた(弟妹達は勤め先に行き留守)炊事も掃除も洗濯迄自分で出来、一時間でも休んで遊ぶのがいやで何かと働いて居ります。

現在思い出す度に恐しくなる事がありますが、諸先生が言われた神様にお縋りすれば必ず快くなるとの御言葉が、神様の御声でありました事で御座います。広い世の中には最初の私が考えた様に信仰とは心を安んずるだけの事と思うて居る一人の如何に多く其為に苦しんで居る人々のあまりにも多い事で御座います。同じ苦しみに悩みつつある人達よ、一日も早く光明如来様にお縋りして真実の喜びを味わって下さいませ。私の様に確実に健康体になる事が出来ますから、健康こそ幸福で御座います。病んでこそ健康の幸福なる事が判ります。光明如来様有難う御座います。

明主様有難う御座いました。

(二六年一月五日提出)

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鹿児島県 H・K

私は、 昭和二四年春だったと思いますが十二指腸を患い同時に心臓病をも併発致しました。貧血、呼吸困難、食欲減退と病勢は悪化致し、服薬注射は勿論の事、果ては総ゆる民間療法を試みました。その結果一時小康を得ましたが、それも束の間又もや再発し、肩の凝り、胸痛を感ずる様に成り、早速医師の診断を受け、レントゲン撮影を致しました。その結果は肺浸潤の宣告となり、絶望の渦中に投げ込まれました。

これを聞いた両親の驚きも一通りではありません。医師の言に従い百方手を尽せど甲斐なく、病勢は悪化の一路を辿り、遂に睡眠不足から神経衰弱となり、果は腰痛迄感ずる様になり、服薬、注射、漢方薬、鍼灸療法等人様の良いと言う事は悉く試して見ましたけれど、これという効果を見出す事もなく、唯前途の不安に震え乍ら気短な私は幾度も死を覚悟した程で御座居ます。丁度この時、村の方より光明如来様の御力で、唯手を翳すだけで如何なる病気も治して戴ける事を聞き、是非御縋り致したい気持になり、O支部のA様に御願いして御浄霊を御受け致しました。処がどうで御座居ましょう、あれ程痛み続けた胸痛、腰痛が僅か一回の御浄霊で治ったでは有りませんか。あれ程百方手を尽しても何ら快方を見ない此難病が、一回の御浄霊で快方に向うとは余りに顕著な御利益ではありませんか。この事実に村の人々も吃驚致しました。今迄暗雲に閉された吾家に、一朝にして一条の白光が射し込んだのです。

それより一週間A様に御願い致し、御浄霊を頂く度毎に手に取る如く快方に向い、一二月七日K先生が御出で下され、御懇切なる御指導のもとに入信さして頂きました。もしもこの御救いがなかったならば、今頃如何に成ったでしょうか。

今もなお底なき沼に悩み続けて居るであろう事を思えば、流汗三斗の思いが致します。 其後一カ月足らずの内に、 見違える様な健康体に成り、又家中次々に入信さして戴き、四月二六日には大光明如来様迄御迎えさせて戴き、一家揃って幸福な日々を送って居ります。

明主様、誠に有難う御座居ました。

(二六年六月二日提出)

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静岡県 M・T

青春燃ゆる二二歳の九月二日朝、 頭痛と寒気がしましたが、日頃丈夫で薬一服のんだ事が無いので平気で勤めて居ります中、約一〇日過ぎた頃、高熱とひどい頭痛で汗が全身より流れる様に出て、国立病院の医師より肋膜炎と診断されました。今迄病気の事など考えた事もなかった私故、別に気にもせず頭の痛みさえなくなればすぐ元の元気な体になれるものと思っていました。来る日も来る日も四〇度近い熱と酷い盗汗が続き、当時の私としては只医師の言葉を忠実に守って安静に寝ているより外、術を知りませんでした。処が今思い出してもゾッとする九月二四日夜半の一時頃、突然咳と共に咽喉元が生温いのにハッとして吐出した鮮紅色の喀血に、一時は失神同様で御座居ましたが、気がついてあたり一面に血の飛沫を見た時は、私自身忌わしき病にとりつかれ、死の宣告を受けた感じに茫然として仕舞いました。こみあげてくる悲しみと心の苛立たしさを凝っと堪え、唯だ医師に総てを委せて希望のない淋しい毎日が続きました。病気前は一五貫もあった体が急にげっそりしてしまい、あまりに変り果てた自分の体を床の上に持て余しながら、何時治るという当もなしに只死への悲しい旅路をさ迷い続けました。病勢は一進一退、家人も話している医師の言葉の端にもう私は駄目だと知り、日頃大事にしていたいろいろの品物を妹たちに形見にと分けてやり、この年になる迄何も出来ず親に心配かけたまま死んでゆかねばならない私自身を腑甲斐無く思い、床の中では人知れず何度泣いたか分りません。

初めて迎える昭和二三年の寝正月、 もう今年が最後だもう何も思い残す事はないと諦めて居りますと、一月八日、顔覚えのある小母さんが見舞に来て下され、私のお腹の膨れているのを見て「これは腹膜炎だね。これを治せば胸の方もずっと楽になりますよ」といわれ、御浄霊の話をして下さいました。溺れる者は藁をも掴むとか、誠の籠った小母さんの言葉に元気づけられて、其場で御浄霊を戴きました。今迄寝返りするにさえ息苦しかった私が、 小母さんの言う通り右にも左にも何の苦もなく向く事が出来て、 今迄にない楽な気持にさせて頂きました。小母さんのお話を聞いている中、今迄私の歩んで来た道が、神様のお道から見れば全く反対の事をしていた事に気がつきました。それからは淋しい病床を訪れてくれる小母さんの姿が毎日待遠しくなりました。三日目には一人で起きて便所へも行ける様になり、毎日頂いてくる薬は服まずにドブへ捨て、注射もしない方が気分がよいからと言って御断りしました。七日目ぐらいからは寝てばかりいるのが退屈になり、床を上げて貰いますと、蒲団の下になっていた畳が崩れかかっていました。 お腹の膨らみがとれて行くに従って食事も急に進み、体に力がついて参りました。囲炉裏端で『明日の医術』を読ませて頂いている中、薬、注射のいけなかった事等身に沁みました。神様は御見捨てなかったのだ。誰が何と言おうと私は神様に縋って何処迄も、丈夫にさして頂こうと強く決心しました。御浄霊戴く裡、変な匂いのする水を口から洗面器一杯位時々吐き、周囲の人も之が薬毒の浄化と聞いて驚いていました。

一月二七日に小母さんに連れられて、どうやら支部迄御参詣させて頂きました時は、全く生れ変ったかの様に思われました。出掛る時は心配そうに送って呉れた父母も、元気で帰って参りますと、何か黙り込んで居りますので聞いてみますと「あまりの元気な姿で、綺麗な着物を着て町へ行くなんて、いよいよ死花が咲いたのではなかろうかと思って一話をして泣いた処だよ。そうならなけりゃいいがね」と父が元気のない声で言うので、思わず吹き出してしまいました。救われた私、信じられない私、思わず嬉し涙が込み上げて参りました。二月二三日入信、其後丸二カ月下痢の御浄化を頂きまして、本当に大奇蹟により丈夫にならせて戴きました。

知らぬ間に救はれにけり観音の真の御教吾聴きてより只今はS中教会で御奉仕させて頂いて居ります。御奉仕に上りました当時より御蔭様で太りまして、楽しい毎日を過して居ります。尊き明主様が此世に御出でになりませんでしたら、とうに私は霊界で姉妹を次々に引寄せて吾家を暗黒のドン底へ導いていたかも判りません。大慈大悲の明主様の御救いを頂き、御恵みに唯止めどなく涙が出てくるので御座います。大前に額く毎に涙しぬ救はれたりし此身思へばあの地獄生活を思うにつけても、本当に幸福の最上で御座います。世に私と同じような病気で呻吟されている不幸な方々へ、光明への道標ともなればと思って、謹んで御報告させて頂きます。

(二六年四月一一日提出)

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岐阜県 K・R

御讃歌

罪深き此身も咎め給はずて大いなる幸豊に恵まふ

思えばどこ迄罪深きかもしれぬ此身を、明主様の大御恵を頂きました数多い御利益の中、私の持病であった十数年来の胸部疾患を簡単に治して頂けました事を御報告御礼申し上げます。私は昭和一一年二一歳の夏、気管支炎で一カ月入院しましてより、夏になると毎年悪くなるのでございました。昭和一九年七月、応召中左右肺浸潤で入院四カ月にして治癒退院しましたが、一カ月して再発、入院三カ月にして不治の理由で退院、召集解除となりました。

その後は自宅で静養して小康を得ていました処、昭和二四年一〇月もの凄く発熱し苦しみましたが、今度は思うように楽になりませんでした。その中医師から毎食事消毒、家族九人の予防注射、気胸療法、ストレプトマイシンの注射等の処置を言い渡され、世にも恐ろしい結核の烙印を捺され、家族一同茫然として悲歎に暮れていた時でございました。忘れも致しません、否一生忘れる事は出来ません。一一月二〇日折柄の秋雨に寒い夕方でした。妹の案内で支部のG先生の御出でを頂いたのであります。そうしてその晩と翌朝と二度までも御慈悲深い先生の御浄霊を頂き、その都度しつこくつづいていた熱も下り気分の爽快になりモウじっとしておれず、直ちに飛び起き床上げしてしまいました。二二日S教会へ妹に付添われ参拝さして頂き、妹も共に教修を戴き、有難い御守様を拝受致しました。その後は自宅で妹に朝夕二回ずつ御浄霊を受けながら、折柄の農繁期子守役を引受け、時には背負う等、今迄は重い物は成可持たぬようにしていた私には到底思いもよらぬ事が平気で出来るようになりました。心身共に疲れ果て、家族一同暗澹たる気持でいた時が嘘のようでした。それから二週間後一二月五日に熱海の明主様の御膝元へ御礼詣りさせて頂きました。その道中もお蔭様で非常に楽で、明主様の御面会を頂き、御慈愛溢るる御尊顔を拝し、歓喜のうちに心身共に軽々と無事帰れました。其後一年有半の今日まで益々健康に恵まれ、百姓仕事もとても楽で、自然能率も上り、非常に愉快な毎日を送らせて頂いています。その上勿体なくも、光明如来様を奉斎させて頂き、御守護のお蔭で家族一同歓喜にむせびつつ、及ばずながら御用に励まして頂いています。右御礼御報告申し上げると共に、胸部疾患になやむ世の多くの方々が、正しき神の御救いにあずかられる日の一日も早からん事を御祈りさせて頂きます。

明主様、有難うございました。

(二六年四月一六日提出)

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岡山県 W・Y

昭和二三年九月頃、私は胃腸が悪く困っていた処、毎朝二時頃より背中の痛みで横になって休めぬようになり起きていると別に変った事がなく、レントゲン検査では異常ありませんでした。マッサージ施療二回で痛みは止りましたが、鍬仕事もせず気まかせに外出していました。其年の冬より農耕をする様になり、其後二カ年間は重労働もしましたが、右肩胛骨の下部が時々不快の感があった位で別に気にも止めず農業をしていましたが、二五年三月頃より両胸が時々痛み出し、四月になり医診を受けると、肺に異常はない様申されたが痛みは次第に強く、其度を増す様になり軽い作業をしていました処、四月二九日昼前より床に就き、午後四時頃は呼吸困難となり苦しみました。安静にして栄養をとっていると、二、三日目に少し頭がよくなったので、五分か一〇分間散歩しますと、すぐ後は呼吸困難となり、頭はわれるように痛み医者を迎えると「病はなく、歩いてもよい」よう申されます。二、三日安静にしていると大部よいので散歩する。すると苦しくなる、というように、二、三回くり返していますと動悸がするようになり、一時は胸部の痛みも大部よかったのが再び痛むようになり、心臓病の飲み薬を医者より頂き、二週間位で少しずつは散歩出来るようになり安静にしていると、平熱となりました。

医診の際肺ジストマがいるとの事で、注射の為に通院三日頃より、長らく出なかった痰が出るようになり、朝などは血痰が混るようになりました。レントゲン検診で肺浸潤で、ストレプトマイシンを五本位打って、安静にしていると治るだろうとの事で、薬を求める為に二週間位はかかりました。其一間痰は増しちょっと動いても血痰が出るようになりましたが、注射を一〇本とパス五日分位服用しますと、痰は食前一回か二回にと少くなりましたが、 一カ月経過後も、依然家人とのちょっとの話や、二分か三分間の新聞をみるのがさわるのです。困っている処へ親戚のHさんから、光明如来様を信仰したらと教えて頂き、早速U村のMさんに来て頂くようになり、御浄霊を頂くうちは話も出来、次第に楽になり、少し位坐って話す事も出来、四日目夕刻にはA先生をお迎えして御浄霊をいただき、三カ月あまり禁浴していましたが入浴も出来、背の痛みもとれ、翌日よりは離床する事が出来ました。三日頃には近隣への歩行も出来る身となり、一〇日目には四里離れたT町のFさん宅へ行き、家内と共にお守様を受け、御屏風観音様をお迎えし、九月六日には光明如来様を奉斎し、今では不幸な人を救うべく、 お手伝させて頂いております。絶望のドン底より光明を見出し、今日の明るく朗かな生活をさせて頂けます事は、実に御浄霊の賜物と唯々感涙のみであります。医学で治らなかったものが、光明如来様の偉大なる御守護により治った事は世紀の驚異であります。私達も一日も早く世界救世教に徹し、眼に見えざる神様の有難き前代未聞の福音を、迷える多くの世の人に是非味わって頂き度く、お導き致します事を誓って、お礼の言葉に代える次第であります。

(二六年四月一三日提出)

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長野県 Y・R

今にして想えば誠に申訳ない事でしたが、初めの内は御浄霊を疑ったりした愚かな私を、何のおとがめもなくお救い下され、反って毎日の生活にゆとりと光明とを与え下さいました明主様、厚く御礼を申し上げさせて頂きます。茲に拙き文ながら御守護の程を御奉告申し上げます。

私は一七歳の頃、感冒がもとで肋膜となり、家より三里も遠い所に好い医者が居られるとの話で半年も通い、又、家では手厚い父母の看護を受け、どうやら全快という事になりました。その節、医者は、この病気はまた出ないとも限らないから、風邪を引かない様に気を付けなくてはいけない、と特別の注意をしてくれました。

それから十数年、忘れるともなく忘れ、忙しい日を過して居りました。

今では二人の児の母となり家庭の雑事に追われて居りましたが、今年の一月頃から妙に風邪ばかり引く様になり、二月の末頃になると何となく呼吸が苦しく夜もおちおち眠れぬ様になりましたので、町の病院で診察を受けますと、肺浸潤だから絶対安静にして寝て居なければいけない、と言われ、びっくりして落胆の余り、一時は目の前が真暗になった様な気が致しました。早速主人と相談の結果、私の実家より泊りがけで母に来て頂き、昨年一月生れた女の児は、同じ町内に住む姉の家へ預け、私は床に就いたきり起き上る事も出来ずに居りました。医者は一日置きに来て注射をしてくれます。その上、母は朝夕、辛子と小麦粉とを酢で溶いたものを胸へ塗って下さったりしたのですが、病気は一向に好くなる様子もなく、見舞に来てくださる方々も、あの薬この薬と御親切に教えて下さいますので、枕許には何時か数種類の薬が並び、全く絶え間ない服薬の連続でした。

こうして過す内、はや四月となり、実家でも農事が多忙となりその上、孫が病気故すぐ母に帰るようにとの話がありましたので、母は急いで帰ってしまいました。その後の寂しさは格別で、その為、病気が一層重くなる様にさえ思われました。だが私にも二人の子供があるのだと気付く時、このままでは死なれない。是が非でも達者にならなくては、とあせるのですが思う様にならず、病勢も依然快方には向わず、すっかり悲観し切って居りました。

其処へ又々、実家の母が心配して訪ねて来て下さいました。その時、母は実家の前の家のおば様が、御浄霊とやらで不治と思われた神経痛が全快したとの事、家の孫もそのおば様の御浄霊によりすっかり元気になった事等を話して、お前も是非やって頂きなさい、と申しましたが、私は私程の病気はそう簡単な事では治るまいと思い一寸、信ずる事が出来ませんでしたが、母が余り熱心にすすめますので、私もついついやって頂く気になりました。母は早速、B教会へ、O先生の御出張をお願いに行ってくれました。O先生はこころよくお出で下されましたが、私は不審の気持のまま御浄霊を受けました。処が、あれ程苦しかった呼吸も大変楽になりましたので、それからは喜んで毎日御浄霊を受け、四日目には早くも近所へ買物に出られる様になりました。五日目に先生は「東京からT会長先生がお見えになって、B教会の大光明如来様のお祭りをなさるから青女も来なさい」と言われましたので、翌日は元気よく教会へ伺い、会長先生の御浄霊も頂き、その上、有難いお守様も拝受致しました。それから一週間後の今日では、もう自分で洗濯も出来る様になり、姉の処へ預けた子供も引取って、再び楽しく明るい毎日を送らせて頂いて居ります。これも偏に大光明如来様の御慈悲と、諸先生方の御蔭と深く感謝致して居ります。これからは是非、私もお道の為、微力を尽させて頂きたいと存じて居ります。

(二六年六月一八日提出)

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徳島県 O・H

御守護の御礼謹みて御報告申し上げます。

思い出せばほんとうに嬉し涙が込上げて来てなりません。

何からどう御報告申し上げたら良いやら、余りにも御守護が多いので迷って居ります。初めから申し上げますれば、生れまして此方、ほんとうに病気など知らない身でしたのが、今年の初めより風邪を引き、それが因で頭が重くなり、又息先にかかり、心配になり、色々と薬をあさって見ましたが大した効果もなく、医者もはっきりと病名を言って下さらなく、只月経の無くなる頃故、何か生理的作用の様に申され、其内に癒くなると言って下さったのですが、一日として晴れた気持はなく、ぶらぶらとして居りましたが、五月初めよりたまらなくなって、又医者に診てもらった処「肋膜に水が溜って居る」との事、早速水を取って下さったのですが、洗面器に一杯あり、家族の者もびっくりしてしまいました。熱は三十七、八度と一〇日間位続き、病状は一向快方に向わず医者をかわってはと町立病院で診断の結果「肺結核」と言われ、此年寄でもなおるのだろうか、と思いつつも、一意養生に又医薬に、ほんとうに万全を尽して居りましたが、六月中頃にはもうとても現世を二度と見る事が出来ないのではないかと、不治の病と覚悟はして居たものの何とかしてもう一度元の体に、とあせればあせる程、いよいよ重体となって、我身の始末さえ出来かねる位となってしまいました。恰度其頃、長男の友人のWさんが突然遊びに来て下さって、色々と不思議な話をされるので、ほんとうにそんな事でと、まるで御伽噺位にしか思えませんでした。だが溺るる者藁をも掴む、の諺の通り、浄霊を戴きました処、なんと其夜の体の工合のよい事、ほんとうにほんとうに不思議でなりませんでした。夜の明けるのを待ち兼ね、早速主人がA村のT様宅へお願いに上がった処、早速来て下さいました。浄霊を始めると腹の中を何かがかき廻す様な感じがし、ひとり涙がぽろぼろと止めどもなく流れて、全身ががたがたと震えてなりませんでした。そして「明日からは私宅迄来る様に」と申されました。如何にも無謀な事を申される人だと思いつつも、医者に見離された私です、言われる儘にリヤカーに揺られ、渡舟に乗り、一里に余る道を日没頃より三日、なんと以後は一人で、T様の御仕事の邪魔にならない様にと日中にお伺い致しました。なんと僅か四回の御浄霊でまるで夢の様になりました。家の者も近所の方もびっくりしてしまいました。此時の嬉しさ、何と申してよいやら、それから四日、苦痛も忘れ、早速岐阜より来られて居るY先生にお願いして、御道の一員に加えて戴き、九月一七日K教会にてS会長先生よりお守と御屏風観音様を拝授致しました。又此時も大いなる御守護を戴きました。五○歳を越える私は汽車や自動車の旅は一〇分も辛抱が出来ず、食事は一日位前からせずに居た位なので、今迄に一回しか乗った事がございませんでした。其時は食べた物はみな返して吐いてしまいましたが、此時は途中三時間何の事なく、往復共ほんとうに光明如来様、明主様の御守護と厚く厚く御礼申し上げます。御讃歌の一句一句が体の奥の奥まで浸みこんでまいります。私も今日よりは御恩に報ゆべく一生懸命、医薬に迷い病苦になやむ方々を一人でもお救い出来ればと一意御用をさせて戴きます。御導き下さいました諸先生方、尚御指導を宜敷くお願いします。

明主様ほんとうに有難うございました。謹んで御礼申し上げます。

(二六年一〇月二五日提出)

(結核信仰療法 昭和二十七年十二月一日)