僅か一カ年で地獄から天国へ一足飛び

本教の救いが如何に実際的であるかという事は、今更言う迄もないが、左記信者の報告を読んでみると、一種の作り事のように思われる程であって、これにみても世界人類を救い、地上天国実現というすばらしい理想は何等疑う処はないであろう。

山口県 N・T

明主様日々の御守護謹みて厚く御礼申し上げます。今思い出しても恐ろしい昭和二六年師走も押迫った一二月二三日、A駅西出口前に洋装店を営む私宅裏より出火し、折からの強風にわずか二〇分足らずで国際マーケットを全焼、寒風の中で親子七人抱きあって泣きましたが、これではならじと翌日より早速再建にかかり同月二九日より再び開店致しましてほっとしたのも束の間、明けて二七年一月一〇日頃より、両眼底翳の為失明状態になりそれ医者、それ薬と手当をつづけました。

しかるに如何なる運命のいたずらか、同年四月妻K腹膜炎を起し、五月よりまるで臨月位に迄腹がはれ夫婦共々病の床にたおれ只々医学の救いを待つ身となりました。火事で焼けその上夫婦共病気の為、一家はまるで地獄そのままの生活でございましたが、同年七月ふとした事から救世教のお話を聞きまして、妻は御浄霊を戴く身とならせて戴き、その日よりまるでうその様に日一日と元気にならせて戴きました。同年八月お許しを戴き有難くも御守様拝受の光栄に浴しました。その後一〇日位であれ程の腹部のはれもすっかりとれてまいりまして、「救われた救われた」と涙と共に喜ぶ妻の声を聞き、初めて私の失眼をもと思い御浄霊を御願い致しました。

最初は中々有難いお話も本当には出来ませんでしたが、暗黒無明の私の目も御守護を戴き次第次第に曇りもとれて、明るさが増し、初めて偉大なるこの御救いの業に驚きと共に嬉しくて嬉しくて、すぐさま私も入信のお許しを戴き、同年九月喜びに胸おどらせ乍ら、信者の末席に加えて戴きました。医者に見放され乍らなおかつ医学に頼った罪深き私ではございますが、年末には九分通り全快させて頂き、喜びと神様への感謝の内に正月を迎える事が出来ました。

明けて二八年梅咲き匂う二月二五日御守護の御礼御参詣、眼前に明主様の御尊顔を拝しこの感激は我が生涯始って以来最初にして最大のものでございました。帰宅後腎臓部に御浄化を戴き長年の腰痛から救われ、重ね重ねの御守護に何と言って御礼申し上げて良いやら、その言葉すらわかりません。折から桜花らんまんと咲匂う春の息吹きの最中に、二六年の火災以来笑った事のない私がそして家族の者が、大いに笑い大いに働く事の出来る様にさせて戴きました。そして七月、一度は駄目と迄言われた妻も全快、この偉大なる御守護に感激致しました長男M、長女K、二女C、三女S、二男Yもそれぞれ入信させて戴き、一家の喜びは天にも昇る様でございました。火事と病に打ちのめされた家業も偉大なる御守護の下発展の一路をたどり今年末には、店舗改造迄させて戴きました。

長女Kは入信以来毎月八の日中教会へ御奉仕に参上、御恩の万分の一にもお報いさせて戴きたいと申しております。この様に数々の御守護の下に一時は一家破産の状態に迄なりました私達が、今吹きすさぶ疑惑の世嵐をよそに、一生涯に初めての喜びと共に希望のうちに、二九年を迎えんとしておりますが、以上の如き御守護の数々に、たとえ万分の一にもとどきませんが、今迄針より重い物をもった事のない長男Mが「僕は御奉仕隊に行きたい」と言い出し、この時ばかりは親の私さえ心の中で「よく言ってくれた、よく決心してくれた」と只嬉し涙でございました。

暮も押迫った今日一二月三〇日、正月元旦の御参拝と引続いての御奉仕隊に参加させて戴く為出発する長男の後姿に「有難う、父に代って十二分に御奉仕を」と何度も涙と共に心でさけびました。あの地獄生活よりわずか一年余、今は絶大なる御守護の下、家庭も天国化させて戴き、今又長男を御奉仕隊にお使い戴きますこの幸を、謹みて厚く御礼申し上げますと共に、悲歎に明け悲歎に暮れた地獄生活から救われましたこの感激を、そのまま地上天国建設に少しでも御奉仕させて戴く決心でございます。

明主様誠に有難うございました。厚く厚く御礼申し上げます。

(栄光二百四十六号 昭和二十九年二月三日)