薬毒の害、これはですね、言って分からせるもんじゃないですね。言葉で分からせるものじゃない。御神書にそう書いてあるじゃないかっていうので、ちゃんと行動にまで落とし込める人は本当に一握りの天才です。そんな非凡な天才は100万人に一人いるかいないかだと思うんですよね。では、昔の先人たちはどうだったのか。それは、おかげ話を読んでいけば分かるんですけど、薬毒の害を腹の底から分かってる先人たちも実のところ最初はイヤというほど薬を飲んでるのです。現代人だったら死ぬんじゃないかっていうほど注射から何から打ちまくりです。昭和の中頃なんで今ほどキッチリ医療のほうでも適用量を守ってないんですよ。症状がおさまるまでとりあえず三本ほど打っときましょうみたいな記録がゴロゴロあるわけです。それでもうホントに薬漬けです。そのうえで医者に見放されて、絶望のうちに教団に救われてっていう人ばっかりなのです。
それで、その頃は明主様も御在世で、教会長も浄化の理と薬毒の害をちゃんと信徒に教えてたのです。なので、この当時はお薬飲みながら御浄霊を受けるようなことは基本なかったのです。医療なら医療、御浄霊なら御浄霊とどっちかにしなさいという時代で、救われた人たちの多くはその当時の医療に絶望していたので御浄霊にすがりきっていたのです。それで、やはり浄化なので結局治るにしてもその途中は辛いのです。浄化中は毒素が排泄されるので、熱は出るし、咳は出るし、毒素が神経を触るのでとても痛いのです。辛いけどもこれは浄化だからと神様に御縋りして、みんな辛抱して根性で乗り切ってるのです。もちろん御浄霊で楽にしてもらいながらです。で、その楽にしてもらうたびに御浄霊のありがたさに涙して信仰を深めたのです。ちょっと熱が出て「イヤン、わたしはもうダメなのかしらん。お医者さんに診てもらわないと!」ってすぐクリニックに駆け込むような現代っ子の感覚とは違うのです。
それで、浄化を乗り切った先人たちはもうあんな辛い思いはイヤだ!!薬なんて誰が飲んでたまるか!!あんな苦しみばかりうむ意味のないモノ!!って感じで、腹の底から薬を拒絶するようになってるのです。だから、もうほとんどいらっしゃらなくなりましたけど、昔はすごい剣幕で「薬はいかん!!」って怒る先生や信者の人がいたのです。その人たちは乗り越えた経験があるから腹の底から分かるのです。御神書読んで、そこに書いてある文章で本当に理解した人なんてほとんどいないのです。例えて言うなら、第二次大戦中に硫黄島の激戦を生き残った猛者と、テレビゲームでしか戦争を知らない子供とぐらいの感覚の差があるのです。じゃあ、薬毒の害を本当に知るには、浴びるほど薬を摂取してそれを浄化によって全部排泄する死ぬような経験が必要なのかというと、そんなことはありません。こんなところでわざわざそんな鬼畜な提案をするわけないじゃないですか。違うんです、もっといい素晴らしい方法があるのです。
それは何か。ズバリ結論から申し上げると、御浄霊を取り次がせていただくことです。もうこれに限ります。それもできるだけ数多く、できるだけ真剣に取り次ぐことです。必死になって力んではいけないですが、どうしても救ってあげたい、可哀想だ、はやく楽にしてあげたいという慈悲の気持ちが湧くのは当然のことです。それで、明主様がやられてたのと同じように急所に対して御浄霊するのです。そして医療行為ではないので問診してはいけないですが、病歴や飲んでる薬を教えてくれたらしっかり覚えておくことです。これはこっちが聞かなくてもポロっと本人が話してくれます。それをしっかり覚えておくのです。そうすれば、身体に表れる毒素の位置と薬との対応関係がよく分かります。だいたい、背中の肝臓がある裏っ側から右の腎臓にかけて土手のように盛り上がってる人が本当に多いのです。あと御教えどおりに症状と固結の位置が対応してます。これはホントに見事なほどです。ちょっと余談になりますが、私が急所の浄霊を推奨するのはココなんです。取り次ぐ人間の成長が早いのです。御教えに求めながら症状と急所と固結の対応関係をみていくとホントに多くの学びと気づきがあって面白いのです。ちゃんと智慧正覚が成長する道になってるのです。柔道、剣道、合気道、茶道、華道というように、道を究めると言いますけど、御浄霊も浄霊道というように道を究めれるようになってるのです。明主様がそのように御浄霊という生命の芸術を道になるように設計してくださっているのです。それで、道を究める過程で薬毒の害がおそろしいほど分かるのです。しかも取り次ぐ側は客観的に浄化を観察することが出来るので楽なんです。浄化してる本人はウンウン唸ってそれどころではありません。実際に御浄霊を数多く取り次いでる先生で、御浄霊が効かないとバカにしたり、薬毒の恐ろしさを侮ったりするような人はいないのですよ。御浄霊や薬毒の恐ろしさを侮ったりする人は、決まってボール投げたことないようなヘボピッチャーです。取り次いでないのです。
だから、御浄霊や薬毒に対する態度で、あーコイツぜんぜん御浄霊取り次いでないなとイッパツでバレるのです。救世教の信徒でありながら人を救う気が全然ないのがモロバレして赤面してもいいぐらいなのに、当の本人はそのことに気付かずイケシャーシャーとしてるのです。厚顔無恥とはこのことで、私なんかでもこういう方を御見かけすると、あーあって思うのです。だからといってあえて咎めはしないですけどね。その人にはその人のタイミングがありますから。ホントに昔は救世教のことをお道と言っていたのです。富士山でいうところの一合目、二合目、…、八合目と登れるようになってるのです。だから一段一段登れるように御案内するのが本当で、ガーンと平手打ちして一気に引き上げるような乱暴なことではいけないのです。それでもあんまりにひどい人には、ちょっとクギを刺せばいいのです。
「あー、〇〇さん、あんまり御浄霊取り次がれてないですね。」って
そしたら、相手はウヒャーバレちゃった!みたいな顔してオメメをパチパチさせて、金魚みたいにお口パクパクさせますからね。ただ、クギを刺すだけだと嫌味に聞こえて人間関係が壊れてもいけないのですぐにフォローすることが大事ですね。
「いや~私もね、御神書読んでても分からない事ばかりでね。御浄霊取り次ぐとね、面白いんですよ。〇〇さんも取り次がれるときっと楽しいですよ。ちょっと変な話しますけどね、〇〇さんが御浄霊真剣にしてあげてね、ホントに皆さん楽になったって喜びますよ。でもだいたいの人が御浄霊うけて楽になったって喜んだ三時間後ぐらいに、いつものようにお薬飲んで悶えて苦しむんです。でまた来て御浄霊してあげて楽になったって喜ばせてあげてそれの繰り返しです。でね、意味ないじゃないかってついに嘆く気持ちが起こるんですけどね、真剣に取り次いだあなたは、もうその時は薬毒のことよく分かるようになってるんですよ。救われたい人たちは救われないかもしれないけど、真剣に救いたいと思ったアナタは不思議なことに救われてるんです。ヘンテコな話ですよね。」
みたいなね。こんなの一例で、真に受けてそのまま使っちゃダメですよ。何でも臨機応変です。わたしでもそもそもクギを刺さない事の方が多いんですから。この人ならもう一押しで分かるなって人だけです、実際のところは。
というようにですね。これが私の薬毒の害を信徒に理解していただく100%確実な方法です。取り次ぐ人になっていただく。これに限ります。ただもちろん無理難題なのは重々承知です。そこまでもっていくのが一苦労なんじゃないか!っていう御指摘はごもっともです。でも一個でも確実な解決方法を知ってるだけでも心が明るくなるじゃありませんか。Mr.マリックみたいなスーパーイリュージョンを期待した方には本当に申し訳ないですね。ここで陳謝いたします。ゴメンねゴメンね~。