(付録)全快者100人の手記 71~80

埼玉県 F・M

讃へても称へ尽せぬ大御幸
筆も言葉も表はす由なき

今更の様に御讃歌の御教えが、魂の奥底まで浸透する様な思いで御座居ます。愚かな私、日和見な私が、命危きまでの大浄化により、初めて宏大無辺な神の大慈悲に目醒め、幸福な感謝の生活を送らせて頂ける様になりましたお蔭の御報告をありの儘に申し述べさせて頂きます。思い出してもぞっと致します二〇年二月二五日の大空襲で、神田の家を焼出されました私は、当時四カ月程前の猛烈な喀血のためすっかり衰弱して居り、医者よりは絶対安静を言渡された身体でありましたが、家族の者に援けられつつどうやら現在の処まで疎開致す事になりました。勿論、当地へ参りましてからも毎日胸が重苦しく、不快な日が続き、それに空襲で怯やかされてからは一層、心身共に疲労し切って居りました。

その頃、近所のSさんという方から浄化療法(その当時の名称)という結構な治療があるから掛って見たらどうかとすすめられて、早速にG町のN先生の処へ連れていって頂きました。二、三日続けて御浄霊をして頂いて居ります内、目に見えて元気になりましたので、それからは救われた様な思いで、毎日、半里程の道をせっせと先生のお宅へ通わせて頂きました。

普通、結核といえば誰でも心がひがみ、暗い気持になり勝ちなものでしょうが、先生のお話を伺わして頂いて居ります私は、御浄化の意味もよく判らして頂きましたので、少しの不安もなく、明るい心で御浄霊を頂いて居りました。

この感謝の気持のまま何時までも居られたなら良かった訳でしょうが、何時しか私の心の隅に横着の念が芽生えて来るに従い、段々と先生のお宅へ足が遠くなり、御浄霊を頂く回数も減って参りました。N先生は元の身体をよく御覧になって居られたからでしょう。「Fさんの身体は薬毒が相当多いのですから、随分、治った様でも未だ未だお浄化が起きますよ。御礼の心配も要りませんから一生懸命に通っていらっしゃい」と親切におっしゃって下さいました。

その当時、私はある事情で主人と別れ、子供と二人暮しの苦しい生活でしたが、邪神に禍された私は、先生のその御親切なお言葉も大して身にしみず、極くたまにしかお願いに上りませんでした。それでいて浄化の都度近所の医者へゆくなど、今思えば全くお恥ずかしい不徹底な神信心の私でした。

そうしてうやむやの内に二年ばかりを経過致しました。 併しこの横着な私にも愈々神様の罰(本当は御慈悲だったのです)が追々と与えられました。

昨年九月頃より過労の私の身体は、遂に心臓脚気という診断を医師より下されてしまい、脈搏不整、呼吸困難、何事にも疲れ易い不快な日が続く様になりました。一一月二○日の夜突然、胸元が重苦しくなり、全身の力が抜けた様な感じになり、脈をみれば早鐘の様なので、すっかり死の恐怖にとりつかれてしまいました。近所の人は医者を呼びに走り、全く大騒ぎになってしまいました。やがて来てくれました医者は、型通りの診察の後注射一本打っただけで何とも言わずに帰ってしまいました。それからは、度々そんな発作があって不安な日が続きました。

もうすっかり御浄霊におすがりする事を忘れて居りました私は、ある時、一二〇〇円という高価な薬だが、一回呑んだ丈で大変よくなったという話を聞かされて、早速、私も無理をしてそれを買求めました。服む前に効能書をよく読んだ積りだったのですが、暫くしてから胸が焼け付く様に熱くなり、 劇薬ではないのかしらという不安の念も起きると同時に心臓の動悸も愈々烈しくなり出し、もうそれ以上、その薬を服む力を失ってしまい、リンゴも半分程食べただけで嫌になってしまいました。もう全く真暗な心にとざされてしまいました私は、勝手な話ですが、その時、大光明如来様どうぞお救い下さい、 と真剣になってお願い申しました。全く苦しい時の神頼みでお恥ずかしい次第ですが、当時の偽らない私の心境です。早速、お導き頂いたSさんにお願いして、自分のお守を教会へお届け願い、よくおわびさして下さる様にとお頼み致しました。N先生も話を聞かれ「それではFさんも神様を忘れていた訳でもなかったのですね」と申され、早速に私をお見舞い下され、心からの御浄霊をして下さいました。その頃はもう床に就き通しでしたので、骨と皮ばかりにやせ細ってしまった私は、御不浄へも一人でゆかれぬ位弱り果てて居りました。種々有難い光明如来様のお話をして下さり乍ら、先生はその後も引続き御浄霊にお出で下さいました。御蔭で胸の苦痛も段々に薄らぎ、気持も伸々として参りました。先生はまだまだ色々な大浄化が起るから、今度、起ったら遠慮なく私の処へ知らせにいらっしゃいとおっしゃって下さいました。果せる哉それから約半月程後のある夜、又々、近所の人達を大騒ぎさせる様な大浄化がありました。医者を薬をと言って下さる近所の方々に、私はただN先生へ走って下さいとお願い致しました。そして苦しい中に私は一心に光明如来様を念じて居りましたが、心の何処かで、今度は駄目だ、もうお救いは頂けまいという不安がありました。その内、段々気が遠くなる様に思いましたが、玄関にN先生の来られたらしい足音にハッと気を取戻して、もう何も彼も先生の御浄霊一つにおまかせ致しますという気持になりました。先生は落着き払って、御丁寧に御浄霊をして下さいました。三〇分ばかりの後、気分もよくなり落着きを取戻しました。先生は近所の人達に「もう大丈夫ですからお帰り下さい。今夜は私が付添って居てあげますから」とおっしゃいました。不安な目で私を見詰めて居りました方々も、どうやら楽になった私の様子に安心して帰ってゆかれました。先生は「これは霊がこうさせるのだから、私が一心に光明如来様にお願いして居れば御守護があるから安心しておやすみなさい」とやさしくおっしゃって下さいました。私も先生を信頼し切った今は、何事もおまかせした気持になり、お蔭で朝まで一回の発作もなく、ゆっくりやすませて頂きました。今度の御浄化に就いて、今になって考えさせられます事は、あの強い買薬を服む時あれ程注意してよく効能書を読んだ積りが、ひどい苦しみをする位の分量を間違って服んで居たのですから、このお計らいは全く神様のお咎めとしか私には考えられません。薬というものに対する執着をどうしても捨て切れないで居た愚かな私に、光明如来様は尚御慈悲の御心から、浄化を通して御救いをお与え下さいました。私は何という幸福者でしょう。その後も時々、軽い発作が起りましたが、もう迷う事もなく、ひたすら御浄霊のみにおすがりして参りました。最近は子供にもお守を頂かせ、毎日感謝の生活を送らして頂いて居ります。明主様、御守護有難う御座居ました。

(二六年七月一八日提出)

………………………………………………………………

神奈川県 M・I

長年の病苦と絶望より救って頂きました有難さに、心よりの喜びは抑え様もなく、 悪文悪筆を顧みず茲に御報告を記させて頂きます。想い起せば昭和一三年親子三人睦まじく暮して居た私の家庭も、大黒柱と頼む父が腎臓炎となり、病の床に就いて了い、医者よ薬よと色々手を尽くしましたが益々悪くなるばかり、最後には神頼みと、ある信仰をして地蔵様を御祀りして朝夕一生懸命お祈り致しましたが何の効も無く、一一月には死んで了いました。残された母は、私がどうやら一九歳に成って居りましたので、家事農業を二人でぽつぼつとやって居りましたが、元来丈夫でなかった母も、それから間も無く病の床に就き、私の兵隊の事ばかり心配しつづけて、一五年の五月父の後を追って逝って了いました。兄弟の無い私は只一人と成り仕事も手に付きません。その上七月には母の死を早めたといっても過言でない私の徴兵検査が参りました。五尺八寸一七貫の体にて甲種合格となり、一六年一月親戚や近所の人に後を頼み総てを捨てて只管国の為と満州の部隊に入隊致しました。今日考えれば深き神様の思召しだったとつくづく思いますが、何たる事か脚気の為病院生活をしなければならぬ身となり、全快の日を楽しみつつ療養に専念致して居りましたが一進一退、其内胸膜炎を併発し白衣の身にて内地に送還されて了いました。「ああ自分も人の嫌がる肺病の第一期になって了ったか」と夢にも思わなかった其病名にすっかり失望してしまいました。

軍医に一身を任せ、服薬注射湿布と治りたい一心にて安静を守って居りましたが又々腹膜炎をも併発、腹部の湿布が又一つふえ、 熱は三八度から四〇度と上り、 食欲は全く無くなり、日一日と衰弱して全く生ける屍同様となりました。「いよいよ死んでしまうのか」と思えば亡き父母の顔が眼の前に浮んで参ります。「何んとかしてもう一度守って丈夫にして下さい」と心の中で叫びました。駄目かと思った苦しみも奇蹟的に一五日程で少し落着き、大きく腫れた腹もだんだんと小さくなり、楽になったのも束の間、今度は急にいたみも無いのに視力が無くなり、忽ちの内に本も読めなくなり、手紙も書けなくなって了いました。軍医には結核性網膜炎(ソコヒ)と診断され、看護婦からは「全く病気の問屋ね」と言われてしまいました。しばらく眼科に掛りましたが一進一退医薬にも頼り無くなり、神も仏も有るものかと思い、どうにでもなれと自暴自棄になり、薬は捨て、注射も断われるだけ断わり、禁止されてる入浴や散歩も無理して内証で行いました。併し乍ら案外悪くならず、 だんだんと良い方に向います。 其内療養所に送られ相変らず過して居ります内、一寸した反則をして事故退所をさせられてしまいました。病院生活一年半懐しい家に帰れるだけでも嬉しく、籠の鳥同様の生活から大空に離された小鳥の様な軽い気分になり「あの時死んだと思えば生きて帰れるだけ儲け物」と規則の無い気任せな生活をして居りました処が、日一日と良くなり、妻を迎え、一カ月余で働ける様になりました。何んとかして幸福な道を歩ませ様と日夜我が子の為にと苦労する親の大恩を全く忘れて居たと言うよりも、知らなかった様な不孝者の私にも、神様はこうして何時も温たかい御手を差延べて居て下さったのだと、今更乍らつくづく感じます。併し其時の私には大自然は有難い物だ、反対に医薬は頼りないものと思いましたが、其大自然の創造主たる神様の事など到底考えられませんでした。ただ運が良かったのだ位にしか思って居ず、働き出したものの一年に二、三回一寸無理な事をすると其為に強く弱く眼の方が再発し、 其度に暗い陰鬱な気持になりますが幾日か其のままにしておくと癒りますが、友人にも再三の事とて話せず、妻に迄も心配するので話さぬ様にして一人行末を考えると不安になり悩んで居りましたが、年一年と経つにつれその悩みは深刻となり「若しこの儘見えなくなったら……」と考えれば考える程、焦れば焦る程、全く居ても立っても居られない気持は、同じ病の方で無ければ想像出来ない苦しみで御座居ました。いろいろと考えて居りましたが外に方法の無いことと思い、やはり医師に頼って舶来の良い薬で徹底的に癒すべきだと考え、昨年一〇月強い再発で片目殆んど見えなくなった時、市立病院に行きました。医師は「貴方の眼は度々の再発に拘らず失明しないのは奇蹟的だ。まあ治療しましょう」と言います。私は「現在会社に勤め夜勤もやりますので」と申しますと、「夜勤などは無理だから当分安静にして目をなるべく使わず休みなさい」と言い何時なおるとも言わず、やはり頼りになる様な事は言って呉れませんので又々失望して了いました。丁度その時三ヵ月程前近所の人より救世教の話も聞いて再三すすめられて居りましたが、信仰にて父を亡くした私にはあまりに突飛な話で、新聞も読ませて戴きましたが、こんな馬鹿げた事がと、どうしても信じられず、こんな事で治ってたまるかと、忘れた如く気にもすらしないで過して居りましたが「とに角食べて味わって下さい」と言われた事を思い出し、物は試しと思っても疑の方が先に立ち御願に行く事も出来ません。或晩叔母が来て「私も近所の人に胃痙攣を治して戴いたが有難い、不思議だ」と話しますので、叔母と妻に御願して貰い、翌日F教会のS先生にわざわざ家まで来て頂きました。丁度私は留守だったので妻が御話を伺って「そんなに悩まず教会へ来なさい、簡単に治ります」と言われたから行ってみたらと言うので、それでは行ってみる丈けみようと三信七疑位の気持でしぶしぶ参りました。行ってみるとこれが教会かと思われる程さっぱりして御神前など何も飾りがなく、殺風景なので矢張り昔乍らのおまじないをする所位にしか感じませんでした。先生はにこやかな笑顔で楽な気持で「お座りなさい。どんな丁合です」と言われますので今迄の病状をお話し致しますと「きっとなおります。なるべく目を使い、夜勤しても良いです。酒も煙草も飲みたければ結構、会社を休まず勤めながら治しなさい」と自信満々たる其御言葉。「病気はこうして治すのです。どんな病気も良く治ります」と手を翳し始め、病気は神の恩恵である、浄化作用であると、色々とお話をして下さいます。医薬に頼りの無くなった私には話は成程と理解出来る気がしましたが、神様なぞ有るのか無いのか分らぬ私には、 手を翳すと霊光が出て病気が治るなぞとはどう考えても分りません。若し治ったとすれば偶然に運の良い人が治るんだろうと、無理に思おうとします。御話は中々面白く興味を持って聞き乍ら浄霊を続けて戴きます内、長年頭が重かったのが普通であった私が、少し軽くなった様なので、気のせいだろうと思って居りましたが、三〇分四〇分と経つ内に体も心も本当に軽くなりました。余りの不思議さに狐にでもつままれた様で、何か怪しげな術にでも掛けられて居るのではないかと思われました。兎に角良くなった事は否定出来ぬ、事実です。こんな夢にも思わなかった事が此世に有ろうとは、只「不思議」という一語に尽きて了います。御暇しての帰途も胸の中が何んとなくはずみ、鼻歌の一つも歌いたくなる様な気分をどうする事も出来ませんでした。翌日より一〇日程通って居る内、本当に良くなり、 今迄考えて居た事は裏と表の如く一変し、長い間の患いも喜びとなり、取越苦労と過越苦労だったと馬鹿らしくさえなり「自分の真に救われる道はこれだ」と初めて気が付きました。

今迄は、町で駅で電車の中で、多くの人を見れば皆幸福そうに丈夫そうに、自分の様に悩んで居る人は一人も居ない様に思え、 羨望の目で見て来た此私が、 僅かの間にそんな淋しい気持は夢の如くに消え去り、反対に気の毒な人ばかりの様に見えて了いました。一一月二八日御守様を戴き、一層力強くなり、家庭もぐんと明るく楽しい気持で働ける様になり、風邪など引けば「それ赤飯だ」と大喜びです。私の様な者が神様の御恵みに依り、誠の信仰に入信する事の出来た身の幸を永久に忘れる事は出来ません。次に入信早々の御浄霊の体験を記させて頂きます。私の子(四歳)が脱腸と寝小便の為、早速御浄霊させて頂きますと、最初は工合良かったのですが、其後変化なく二〇日程経て中耳炎の浄化を戴きました。 膿はだんだん多くなり、 いくら浄化でもこれで良いのであろうかと教会に行き伺いました。「毒素が多いので耳から出るのだから心配ない」と言われ、やっぱりそうだと思っても若干心配になります。会社の同僚で中耳炎のひどいのをやった人がいます。其人に話しますと中耳炎は恐ろしい病気だ。 一日を争い、 放って置けば脳膜炎をおこし、馬鹿か気違になり、悪くすると一命にかかわる。早く医師の手当を受けるのが良い」と言います。御親切は有難いがと御道の話をして、きっと治ると言いますと「飛んでも無い事を言う、それでは子供が可哀相だ。僕が子供を連れて行って医者に掛けてやる」と言います。それでも私は「まあ見てて下さい」と聞き入れませんのであきらめて「では仕方が無い。五日待ってやるからそれで治らなかったら医者に掛けて呉れ」と言います。「では治ったらどうします」と聞くと同僚は「私は今迄宗教も色々し研究もして来たが、神仏に祈ると良い医師を与えて下さるんだから、やはり医師が病を治すのだと信ずるが、万一治れば君の言う事は何んでも聞く」と言います。「よし………」と五日間の約束をして別れました。こんな力強くはっきりと約束したが若しかと思うと心配で先生にお話しますと、 にこにこし乍ら「貴方の勝ですよ」と言われました。やっぱりそうなのだと神様に御願し、御浄霊して居りましたが、それから三日目頃のひどい事、膿の固りがどろどろと出ます。後二日で治るだろうかと又心配しましたが、「神様が付いて居られるから大丈夫」と心を励まし、御浄霊を続けましたら四日目には膿がぐんと減り、五日目には殆んど出ません。ほっとした気持で会社に行き「もう大丈夫だ。馬鹿にもなりそうも無く、御蔭で殆んど良くなって来た」と言いますと、只「ヘェ……」と言ったきり何んとも言いません。其間痛みも殆んどなく、悪いという入浴もさせ、何んでも食べさせ元気に遊び乍ら全快迄二〇日掛りましたが、さっぱりと治りました。其後も数々の御守護を頂き喜びと感謝の日々を過させて頂いて居ります。

悩みに悩んだ病を治して頂き、其上右の如く病を治す御力を御与え下さいます大慈大悲の明主様の御心を拝察します毎に、数カ月前迄の私の如く、無神論唯物論を誇らしげに唱え苦の娑婆にこわごわ生活して居る多くの人々に此喜びを一日も早く、一人でも多く知らしめ、やがて来る地上天国への道を手に手を取って進ませて頂ける様御念じしつつ今後共御教導御鞭達の程伏して御願い申し上げます。拙き筆乍ら、闇夜の中より光明を見出し、真の幸福者となり得た心境を御報告致し、厚く厚く御礼申し上げます。

明主様誠に有難う御座いました。

(二六年六月一〇日提出)

………………………………………………………………

広島県 M・I

春ぬ野に遊ぶが如く心楽し神の霊衣に包まるる身は

其頃を顧みすれば恐ろしも闇路杖なく彷ひし吾

思えば長年の胸部疾患に呻吟し、はては喉頭結核に罹り、あまつさえ声さえも出なくなった私が、思いがけない奇蹟によって病苦より救われ、声までも以前と同様になり、日々感謝の生活を送るようにならして頂きました一端を、御礼旁々御報告させて頂きます。

忘れも致しません昭和二一年の秋、左右の肋膜を病み一時は良くなっていましたが、二二年秋少しの無理が因で発熱し胸痛を感ずるようになりましたので、早速医師の診断を受けた処、肺結核と宣告され、眼前が急に真暗になり、一時は茫然として食事も咽喉を通らない有様で御座居ました。

併し生きたいという本能の執着は捨てられず、何とかしてもう一度良くなりたいと思い闘病生活へ一心になり最初は毎日通院しつつその間種々の結核療養書をあさりあれやこれやと療法も試みましたが、目立った効果は更になく、その中出血するようになり病勢は悪化の一路を辿ったのであります。

処が今度は咽喉に痛痒があり、食事の度毎に非常な苦痛を感じて参りましたが、遂に喉頭結核と診断され、声も次第に出なくなりました。その上食欲は減退して衰弱が激しく便秘が続き灌腸しなければ出ないという状態になってしまいました。

その頃から妻は「苦しい時の神頼み」と申しましょうか、彼方此方と人の噂に従い神信心を始めたのですが、お蔭の現われる間もなく、二四年正月には元旦早々大喀血を起し、この儘不帰の旅へ旅立つのではないかと思う様な状態で御座いました。それよりはとみに肉体の衰弱は酷くなり喀血は回を重ね、身体を一寸動かしても極度の苦痛があり、まさに「空しき生ける屍」の言葉通りで、一年前の闘病精神はくじけ果て、医薬にも絶望し、神仏の加護も断たれ、今はただ結核菌にむしばまれつつ最後の日の到来を待つより外に方法はなく泣くにも泣けない気持で御座いました。

処が、神様のお導きとでも申しましょうか、全然予期しない処から知人の紹介で、Y支部からT様がお見えになって「治るとは言えませんが楽にはなられるでしょう」 と申され、早速御浄霊をして下さいました。処が御浄霊後は楽になる処か反って呼吸が苦しくなり、胸痛が激しくなってまいりましたので、果して良くなるのだろうかと疑い且つ心配しましたが、考えてみますとただ手を翳しただけで呼吸が苦しくなり、胸痛が増すという変化が表われるだけの力があるなら、もしかすると治していただけるかも知れないと思い、どうせ病気もここまで来ているのであるからという考えも手伝って、毎日御浄霊をして頂く事にお願致しました。一日、二日と休みなく御浄霊を頂いている中に、いろいろと不思議な事が現われ、或時は胸中に薄荷でも入れたように大変涼しく気持の良い事もございました。又或時は呼吸が逼迫し咳、吐痰が激しい時もありました。その度に家内の者は一喜一憂し、或時などは非常に心配した事もありましたが、私はすべて御浄化なのだ、体内の汚穢が排泄されているのだと思い、何かしら有難さを覚え「自分はこれで救っていただけるのだ」とひたすらに神様におすがりさせて頂きました。

一〇日目位から少しずつ声が出るようになり、一五日目には完全に声が出るようになりました。声を失って一年間、用事の度毎に笛を鳴らして合図をし、漸く用を達していた私でしたのにと、自然に込上げて来る感謝感激の涙!私如き者にまでかくも偉大なる御救いの御手を延べさせ給う大慈大悲の御心を思えば、ただ有難くて何とも御礼の言葉もございませんでした。

二月六日早速妻がY町にて御教修を頂き、御守を頂かしていただきました。その日から早速私を浄霊してくれる一方「一人でも多く御浄霊させて頂き、神様の御手伝をさせていただく事によって尚一そう早く健康な幸福者になれるのですよ」と申されました先生のお言葉をそのままに、近所の方の御浄霊にも廻らせて頂いていました。闘病一年半、衰弱しきって動けなかった身体が、曲りなりにも庭へ出られるようにならせて頂き、二月二六日には二里余の山道をリヤカーに揺られて支部へ参り三日間の御教修を無事にすませて入信させて頂きました。

それからは御浄化の都度楽になり、 近所の方の御浄霊もさせて頂き、疲れて動けなくなると妻に御浄霊を頼み、又自由に動けるようになると、近所の方々の御浄霊にと、こうした毎日を続けている中に何時しか私の身体は日一日と健康体にならして頂いたのでございます。過ぎし日の事を思いますと、まるで悪夢よりさめたような気持で御座います。明主様本当に有難うございました。

(二六年一月五日提出)

………………………………………………………………

兵庫県 U・A

昭和二四年四月、両下肢に数カ所拇指大位の塊りが出来、押すと痛みを感じますが、他には何にも障りもないまま放っておきました。すると右下肢の一カ所が紅く大きく腫上りその部分に熱をもっていますので、付近の医師に診断してもらうと「丹毒になるかも知れぬ」といってペニシリンを二度注射して頂きましたが、何の変化もありませんでした。家の者も「何か判らぬ、という事は良くないものに違いない」と申すし、自分でも不安になって大阪医大の皮膚科の診察を受けた処「バザン氏硬結性紅斑」という結核性の腫物である事が判りました。それと同時に胸部にも異常があるかもしれませんという事で、レントゲンを撮ると左肺浸潤が出ていました。

それで左肺に気胸をし、下肢にはレントゲン照射をしながら治療をつづけていましたが、別段苦しくもないまま勤めていた処、下肢はだんだん腫れがひどくなり、塊は大きくなり、赤かった一カ所がとうとう崩れ、潰瘍となりました。

七月になって足は益々腫れ、ふくらはぎもくるぶしも同じ太さになり、潰瘍は大きくなり、且つ塗り薬にまけてぐるりの皮は水ぶくれになり、痒く、とてもひどくなってしまいました。阪大の医師もこれでは伊丹から大阪まで来る事が既にいけないから、足を使わぬよう、高くふとんの上にでもあげて寝ているように、治療は付近の先生にしてもらうように、とのことでしたので、近所の病院でレントゲンがない為紫外線をかけて頂き、気胸もうけていましたが、八、九月と思い切って二カ月休ましてもらい、ずっと寝ていました。その内九月終り頃やっと潰瘍はふさがりましたが、他の塊りと腫れは一向によくなりません。

一〇月になってから気胸が原因で肋膜炎になり、熱は三十八、九度を上下し、とうとう少しも動けなくなってしまいました。食欲は七月頃から減っていましたが寝ついてから少しも食欲がなく、 衰弱をして見るかげもなくやせてしまいました。母も死ぬのではないかとひどく心配して一生懸命看護をしてくれましたので、翌昭和二五年三月頃ようやく床の上に起き上れるようになりました。その頃今度は母が弱り中風のようになり、身体がきかなくなりました。私自身はまだ一向に食欲も出ませんし、一旦治ったかにみえた下肢の塊りが、足も使わぬのに又々数カ所出て参りましたし、何かにつけて真暗な思いが致しました。医師はマイシンを打ってみたらと言われますが、とてもそんな余裕もなく母が寝ている為、しっかりせぬ自分が何から何迄していては、今度はどんな結核性疾患を起すやらと、不安と焦燥とでたまらない心地でした。

丁度この頃の事でした。御近所の奥様が「このお道の先生がみえて居られるから来てみたら」と言われ、初めてK先生にお目にかかったのでした。いろいろお話を伺いましたが、其時は全然信じられませんでしたが、何とかして治りたい、母より先に死ぬような事があってはと藁をもつかむ思いで一杯でしたので、兎に角御浄霊を受ける気になりました。先生に御浄霊して頂いた夜でした。足の拇指から電気に触れた様なピリピリした感じがして二度も目がさめましたので、何かあるという事は気がつきました。それからはO先生がずっと御浄霊して下さいましたが、半信半疑でいる内に「病気は人間のもつ自然の浄化力の表われであり、神の恩恵である事」をだんだん覚らして戴き、治ってから入信したのではおそいと、自分で判然と感じ、信ずるからにはと、医師と医薬の絶対信頼の観念から一八〇度の転換をして五月一七日教修をお受けしました。それよりはひたすらに神様を信仰しおすがりして参りました。

御浄霊を頂き始めてから一〇日程して、目立って食欲も出、元気も出て参りました。それに入信後間のない私に迄、神様は御力を授け賜わり、近所の方で不眠になやむ人も、一度でよく眠られるようになられたり、又母を浄霊しますと霊動をし、それが狐霊や祖霊である事も判らせて頂きました。それに中風も追々軽快に、 おサジからお箸も持てるようになり、もつれた言葉もだんだんはっきりさして頂き、便所にもゆけるようになりました。それに私も七月になって下肢の腫れは去り、塊りは消えてしまって、足を使っていながら此ようになり得ました事、ただただおどろくばかりの御恩恵を賜わり、何と神様に感謝申し上げてよろしいやら言葉も分りません。尚八月には肺浸潤も非常に良くなっている事が、勤先へ提出する厳重な診断でハッキリさして頂き、毎日毎日感謝で一杯でした。又経済的にもおかげを頂きまして一〇月には大光明如来様をお迎え申し上げ、其間筆舌に尽せぬ御恩恵を賜わりまして、神様の偉大なる御力をまざまざと分らせて頂きました。明主様まことに有難うございました。厚く厚く御礼申し上げます。尚又一二月二一日より再浄化頂き、毎日発熱三十八、九度に昇り、激しい咳と沢山の痰が出て夜はその為に眠れず、食欲は少しもなくなり、見る見る衰弱しましたが、O先生の親身も及ばぬ御浄霊をうけ、この二六年の元旦には床を離れる事が出来ました。家族の者は又ブリ返すのではないか、こんどは死ぬかと心配したようですが、自分では神様にひたすらおすがりしており、身も魂も神様のものと、有難く再浄化頂きました事が尚更有難く心から御礼申し上げました。果して一月一〇日頃から俄然食欲が出て、自分でもおどろくほど何でも美味しく見るみる肥りました。 病気以前は体重一三貫位だったのが最近では一四貫五〇〇を越え、何をしても疲れず、毎年三月頃に出てくる下肢の塊も腫も、本年は何の事もなく、しんからよくなった事を知り得まして、毎日毎日愉快に有難く、勿体なく過させて頂いています。神様のこの尊い御守護に対し、一人でも多くの方々を御救い申し上げ、御高恩の万一分の一にも御報いし地上天国御建設に少しでも協力さして頂きたいと念願しています。明主様有難うございました。

(二六年四月四日提出)

………………………………………………………………

東京都 E・Y

私事、 長崎県佐世保市H町のK大教会支部に於て昨年一月入信さして戴き、現在東京におりますが、今日迄の短い期間にも幾多の御守護を賜わり感謝の毎日を過させて頂いております。ここに御守護の一端を御報告させて頂きたいとおもいます。一昨年一〇月に医者より急性肺炎を診断され、医療に頼っておりましたが、引続き微熱が約二カ月近くあり、レントゲン写真により肺浸潤を宣告されまして、引続き二カ月間の休養を申渡されました。その頃母が里より参りまして、神様の尊いお力を説き、御浄霊を頂くように勧めてくれましたが、一当時ラジオや新聞のメシヤ教に対する報道を聞き且つ読んだりしていました私は、頑迷にも否定しつづけたまま一応郷里へ帰りました。今思い出しても唯申し訳なく思っております。それから一二月の終りにふたたび発熱致し、食欲もなく半月位の間苦しみ続けましたが、医者はただ首をかしげるばかりで「多分感冒でしょう」と言うのみでございました。母や姉は薬は何としても止めるように申し、ここに至って初めてさすがの頑迷であった私も、遂に神様におすがりするようになりました。すると御浄霊を頂いているうちに急に憑霊して参りいろんな事を申しましたが、初めての事とて唯夢中でございました。早速教会より先生に来て頂き、御浄霊を戴いておりましたところぐんぐん快くなり、日ならずして教会までお詣りに行ける程になりました。此偉大なる神様の御救いを頂いた私は早速教修を受けさして戴き、あれ程頑迷であった私にも数々の奇蹟を体験させて頂きつつ、やがて二カ月間の療養期間を終り上京致しましたが、其時は浄化を頂き、ふたたび郷里へ帰りました。すると暫く経って勤務先(東京都水道局〕の要請により三月一九日にレントゲン写真を撮り送りました処、折返し返信があり「今度の写真では充分働ける体になっているという判定だから、先ず一応上京ありたし」という意味の事が書いてありましたので、早速上京致し一〇日間程勤務致しました処、もう一度診断を受ける様にとの事でしたので、先ず教会へ行きお参りをさして頂いてから都庁へ行きました。すると以前に判定した同じ写真で同じ医師の診断が何と「こんな身体で働くなんてとんでもない。これはもっと休養してから出勤するように」との事でありました。之を聞いて私達はすっかり驚いてしまいました。かつて同博士は右の写真を見て 人間の体をA、 B、 Cに分けるとしたら、まさにAの位であって充分に働ける」と断言したとの事でした。その同じ医師が全く同じ写真で全然逆の判定をしてしまったのであります。尚此判定がもしも初めと同じものであったとしたら、二月以降四月前半期迄の受領した給料の半分は返納しなければならない事になっていたのでありますが、此判定により返納しなくてもよい事になりました。私としてはその時になって返納する事は大変苦しい事だったのです。しかも私の体は御浄霊をいただいておりますうちに以前とは見違える程になったと、自他共に言っていたものですから、此一診断には全く驚いてしまいました。しかしまだ充分に働けるまでには至っておらず、苦しいのを辛抱して仕事をさしていただいたのでした。その時なのです。神様は期せずして休暇を与えて下さったのです。そうでなければ此ような不思議があるわけがありません。世の殆んどの人が絶対だと信じているでありましょうレントゲン写真の判定に於て、以上の如き不思議を身を以て体験さして頂けました事を思う時、これこそ病める身を救われるのみでなく貧よりも解放されるという一つの現われではないでしょうか。病貧争を此地上より無くするという事は、決して単なる言葉の飾りでもない事を知らして頂きました。それは幾多の事実が証明しています。理論よりも先ず事実です。現在かつての私を知っている人は、あの頃とは打って変って元気になった私に唯驚きの目を見はっています。神様は私のような至らない者に迄も限りない御恵みを垂れ給うたのであります。此大いなる神の大愛に一人でも多くの人が一日も早く救われますよう念じつつ拙ない筆をおかさせて頂きます。明主様有難うございました。

(二六年二月一〇日提出)

………………………………………………………………

福井県 K・K

其頃を顧みすれば恐ろしも闇路杖なく彷ひし吾終戦直後の九月七日、可愛い末子Eに七時間程の患いで(腸炎)先立たれて一〇カ月目、将又四年間の闘病に敗北した

主人が逝ってから五年の長年月は、唯生活苦と戦い乍ら昼夜も別たぬ程働き続けてきた私でございましたが、どこまで不一幸は続くのでございましょうか。二四年一〇月、一四歳のAが一時にヘルニアと盲腸を病み入院手術、 其上結核にかかり退院後八カ月も通院して漸く学校へも行ける様になった二五年七月、又もや長男一一歳が発病(淋巴腺)二カ月程通院、引続いて私も八月から心臓と肺結核のため病床に倒れ、世の中の苦を一身に引受けた様な有様でございました。三カ月程通院致し良くなったとはいうものの、仕事などは思いもよらずに居りました折柄、 ふとした事から御浄霊を受ける様になり、一一月中旬からT先生、M先生より毎日御浄霊と御教修をお受けする様になりました。処がこれが奇蹟と申すのでございましょうか。一二月六日御仏壇に光明が拝される様になり、母子三人共日に日に元気も快復して参りました。同月一四日昼食の折には飯櫃の中に光明を拝すなど、又一八日午後二時過ぎ仕事の事で御礼申すべく仏壇をあけると同時に、正面右手下から紫色の美しい雲がむくむくと湧き出で、それが小さく切れては西へ西へと進み次第に薄く、終には金色となり何とも言えぬ美しさに、暫し茫然としていた程でございます。

又二〇日夜子供二人が固い糸玉を投げ合って居りました処、折悪く私の右眼に当り激しい痛みに思わず「大光明如来様守り給え」と、五、六回念じ乍らさすりましたら流石の痛みもばったり止り、ひどい内出血も四、五日ですっかり治して戴きました。未だ入信も致さぬ私如き者に、この数々の御恵みの御浄化奇蹟をみせて戴き、一日も早く入信させて戴くべく心懸けて居り、愈々二月八日御例祭日を期して入信させて戴く事になりました。処が四日前からお腹が痛み出し盲腸の様な痛みで、一人で寝返りも出来ず毎日M先生に御浄霊を戴いて居りましたが、八日になっても楽になりません。しかし何とかしてお受けしたいものと、二丁程の道をお腹をかかえて漸く支部にたどりつき、お守りを戴き首にかけた瞬間、心臓がぽかぼか温くなり一時間後には、何時の間にか今までの痛みも忘れて夜中まで御教修を受け、帰りは皆様と一緒にさっさと帰られたのには、我ながら不思議な位でありました。其後二十日余り毎日色々有難い御守護を戴いて居りましたが、三月一日支部にて何時もの通り御浄霊中御浄化を戴き、日一日と浄化は激しくなりM先生始め信者の方々の御誠心の御浄霊にかかわらず、一時に心臓弁膜症、腎臓病、中耳炎、肺、腹膜等々、五つも六つもの病気が重なって、苦痛のため一日中一〇分間と熟睡する事が出来ず、そういう状態が八日間続きました。九日午後二時、時計が止った途端に私の首はがっくりと垂れ、霊は次第に天国へ、体が宙に浮く様な気分になり苦しみも去りふんわりと暫くは地上をさまよい居りましたが、何時か雲が出て参り三尺程地上を離れた所で黒い大きな神様を拝し、だんだん高く雲の中に出ました。五、六間向うに白木作りの仏壇の中の様な御殿が浮び、お屋根には経緯の虹がまばゆい許りで、御殿の前は海の様にも拝されました。それから高い所で上方から雲上を何とも言えぬお優しいお顔の観音様が下りて見え、私の向う五、六間先方にて立止まられ、又下の御殿の方へ行かれましたが、又引返されて上方へと行ってしまわれました。今度は大きな直経一尺程もある綺麗に光った星がたった一つ見え、私が綺麗な星たった一つと指さすと同時に星は消え、私の霊は又病床に帰り苦しくなり眼もあかず口を利く元気も出ず、夜八時までその儘でございましたが、 時間にしては三〇分位だったそうでございます。後で色々とお話をきき余りの勿体なさに胸がつまる様な思いでございました。私如き者に此様な有難い御恵み、其後引続いて種々の御浄化を戴き一六日にも一度、首ががっくりと落ちた思いがしましたが、 何分半月余も飲まず食わずで、とうとう脚の甲は浮腫を生じ皆様がとても心配して下さいました。この病気の間不思議にもお使所だけは一人で行けましたのも有難い御守護と存じます。五分間の浄霊が六〇〇瓦の輸血にも等しきこの有難い御浄霊を日々御受けし、さ程の衰弱もせず御守護を賜わって居りました。その間色々と有難い御守護の中でも眼の前を離れないのは、首のみで二米もある大きな金龍を拝しました事と、一度も拝した事のない御明主様のお姿を頭上に拝される様になりました事でございます。漸く元気も快復致し毎日を心楽しく過させて戴く様になりました。病床についてから三カ月間に十余種類の御浄化を戴きながら四カ月目の今日、地上天国建設の為働かせて戴く様になりましたのも、大光明如来様御明主様の御守護の御蔭と深く深く感謝致して居ります。五月二七日に屏風観音様をお祀りさせて戴き感謝の日々をすごさせて戴いて居ります。誠に有難うございました。御明主様、拙文で十分の感謝を書き表す事も出来ませんが厚く厚く御礼申し上げ、地上天国建設に御協力を誓い、併せて御報告させて戴きます。

(二六年八月八日提出)

………………………………………………………………

愛知県 H・T

昭和二四年八月、猛烈なる頭痛に耐えきれず国立愛知療養所の門をたたいたのでありますが、病名は不明、ただ背にラッセルが聴える、と言われるのみ、あまり疲労を感ずるので九月四日再び検診を受け、 レントゲンをとってみた結果、我々青年期に多い胸の病に犯されていたのであります。「肺浸潤、肺浸潤」と医師の言葉を幾度も幾度も繰返してみました。そして暗くなってゆく気持をどうする事も出来ず、唯苦しみ悩みました。親も全快は半ばあきらめていたようでした。その後注射をうち肝油をのみ蝮の粉末と、 人の良いと言われる事をし、安静加療に専念したのであります。そして二カ月余りは過ぎました。そして忘れもしない一二月二五日N先生のすすめにより浄霊を受けてみたのです。なんと不思議な事でしょう。体がとても楽なのです。医師にみせた処、「大分よくなっている」と言って首をかたむけ驚いていました。唯一度の浄霊でこんなに良くなるとは、夢としか思われません「夢ではない、夢ではない」と、嬉しさのあまり、N先生宅にかけつけました。これ程はっきりした事実を見せつけられてはもう疑う余地はありません。教会のT先生に懇々と話していただき御浄霊を受けると益々調子がよいのです。一二月一七日より三日間教修を受け、おそるおそるお守をおし戴いたのであります。それからは勇気百倍、奮然とたち上り「一人でも多くの世の人を救う事だ。そうだ自分の進む道はこれだ」と誓ったのであります。今では友達に遇っても「そんなに良い顔色をして、どこが悪かったのだ」と言われるほど、あまり早く快くなったので驚かぬ者はありません。ああ世の人よ、此偉大な御力に何を言う余地があるか「明主様の御業をもう一歩深く検討されよ」と私は叫びます。中途半端で人の口に合せて、確信あるかの如く論ずる事はおかしな話です。私はこの幸福の道をめざして突進さして頂きます。

(二六年一月二〇日提出)

………………………………………………………………

愛知県 F・K

私は昨年一月初め風邪を引き、発熱と共に下痢を伴い全身に寒気がしましたので、胃薬を用いておりましたが一向利き目もなく、乳色粘液様の物が下り出し食欲は減退し、日々に体は衰弱するのみで、一五日目頃には会社へ出勤も出来なくなり、医師の診察の結果、急性気管支炎に腸炎併発でなかなかの重態との事で、一週間手当を受けましたが変りなく、医師より入院して養生しなければ危いと言われましたので、驚いて早速大病院へ行き、レントゲンの撮影の結果は、肺浸潤で、血沈は一時間八二、無理をすると湿性肋膜炎を併発する憂があるから絶対安静が必要だと言われましたが、幸か不幸か病室が皆塞がっていましたので自宅で療養致しました。病臥していながら前途を思う時、三人の子供の外に、妻は一カ月後に出産を控えていますし、それまでに起き上る事が出来るであろうか。不治といわれるこの病気が短時日に解決するとは思われない。万一最悪の場合が到来したら我家はどうなるであろう、日々につのる不安に暗澹たる毎日を送っていました。

二月一〇日の事、友人のI君が見舞に来て下され、救世教の奇蹟等いろいろとお話を聞き、試しに一週間浄霊を受ける事になりました。一日目は何の変化もなかったので頼りなく思っていますと、翌朝になって金冠歯が痛み出し、三日目の朝には咽喉まで痛みを感じ食事も通らないほどの痛さとなり、その時より唾液が出だし昼まで続きました。余りの烈しい痛みに今日の浄霊で痛みが止まらなければ歯科医へ行く事にきめました。昼食を無理に済ませヤレヤレと思う瞬間、あれ程痛んでいた歯や咽喉が急に痛みがとれました。不思議だなと思って、お産が後一〇日に迫った妻も、浄霊をお願するようになりました。 君が来て下さるようになって五日目の事、近所のY先生のお宅へA先生がみえて種々良いお話をして下さるから聞かないかとすすめられたので、衰弱してフラフラする身体を同君に案内され、Y先生宅へ行きお話をきいているうちに、これはキッと治していただけるぞと、暗夜に光明を得た心地で、又誰でも人を救うお力が戴けることを拝聴し、家内のお産も間近になりましたので安産させて頂きたいと思い、Y先生のお世話により御守様を拝受いたしました。一カ月近くも病臥していた私が短時日で元気になり、食事も病前の倍も頂けるようになりました。毎日一里の道程を徒歩で教会まで通いT先生に教修をお受けしました。家内は妊娠五カ月日に盲腸を病み、手術を致しておりますのでお産も心配しましたが、初湯の沸くのも間に合わぬ程の安産をさして頂きました。それでも他から安産御守護の御洗米を頂いていましたので、どちらの御利益を頂いたのか判らないとまだ疑っていましたが、産後二週間目頃より右乳にしこりが出来痛みを感じ出しました。教修を受けたのは、斯る時ぞと浄霊をさして頂きましたら尚痛みが烈しくなったので、初心の私は驚き、家事の手伝いに来ている家内の母は、医者よ薬よとやかましく言われるので心細くなりましたが、御讃歌に奇びなり噫奇びなり願言の

正しかりせば叶へますなりを思出し妻に相談の結果、最後までお縋りする事に決心し、Y先生の御指導を頂き引続き浄霊をしましたが、なかなかなか痛みは去らず増々烈しくなり、乳全体が赤く腫れ上り三昼夜痛み続けました。里の母も見かねて家へ帰ってしまわれました。その日が丁度教会の例祭日でしたので家内を納得させ、お詣りに連れてゆきました。するとあれ程痛んでいた乳が、御話の終る頃にはすっかり痛みが止っていたとの事に、御守護の偉大さに驚きました。T先生の御浄霊をお願いし診て頂いたら、何と乳癌との事、道理で三昼夜も苦しんだ訳だと思いました。其後は痛みは全くなくなり、ブドウ色に熟して来ましたので御霊紙を貼りましたら、 その個所が子供の拳大に腫れ上り、四日目に自然に破れ排膿致し大きな口があきましたが、一カ月半を経た頃は全快に等しき迄に治していただきました。家内の乳癌の為、 会長先生に御浄霊を頂きに共に通う中に、

私の肺浸潤も治して頂き、血沈も一時間八二であったのが、再検の結果普通の人と大差なく急速な治癒に却って医師の方が心配され、肺浸潤というものはそう簡単に治るものではなく、又安静療法をして居るにしても腹がはれ過ぎているから、腹膜炎を併発しているとの事、唯物的の医師や会社の幹部に、治癒した事を話してもなかなか信じてくれません。以上入信日浅き者に数々の御利益を頂き、有難さに感謝感激すると共に、光明如来様の偉大なるを、身を以て体験さして頂き、家内も家内の兄も入信し、今度光明如来様をお祀さして頂く事が出来ました。この有難い御教を知る事が出来ず、私が入院でもしていましたら、今頃わが家はどうなっている事だろうと思うと、救われし身の仕合わせを喜んでおります。明主様、有難うございました。

(二六年一月二五日提出)

………………………………………………………………

宮崎県 O・S

病により苦しみ、又病により此有難い御道に救われ、明主様の御霊徳により数々なる御守護を戴き、日々を明るく過さして戴いている者で御座居ます。拙ない筆をも顧みず御礼の一端を御報告さして戴きます。

回顧するに終戦後、医者より肺浸潤を言い渡され、薬に注射お灸と一年余り続けましたけれど効果無く、その内経済方面につまって参りましたので、(主人戦死の為子供三人抱えて生活苦と戦って居りました)医薬の方は止め、只お灸だけ熱心に続けて居りました処、少し良くなり仕事も出来る様になりました。でもまだ月の三分の一は休んで居たのでございます。そうしている中に、今思い出してもゾッと致します。

昭和二五年三月二五日、子供の卒業式に行き、翌々日の晩より発熱致しました。医者を呼ぶ事も出来ず、只頭をどんどん冷しておりました処、之が神の救いと申しましょうか、二日目にU町のT先生、K町のH先生、二方がお見えになり御道の話を聞き、御浄霊して戴きましたところ、御帰りになられてより、下着をしぼる程汗が出て居り、熱も一度下って参りました。その日より毎日来て頂き、少しずつ熱も取れ、一カ月後には出て歩く様になり、体の調子も良くなって参りました。二五年の一〇月七日には、K先生より待望の有難い御守りを拝受致し入信しました。又一月二〇日には御屏風観音様を、三月三日に光明如来様をお迎え戴きまして其度に有難い御浄化を戴き、特に、光明如来様奉斎後の御浄化は一カ月ばかり続きまして、今日では大した浄化も無く、日々楽しく過させて頂いて居ります。子供の四〇度からの高熱も、一週間程にて治して頂き、長女(一〇歳)の手の甲に大小合せて三〇ばかりの固い疣が出来て居りましたが、御浄霊と共に、御霊紙をT先生より貼って頂きました。その後私が二、三回貼ってやり、そのまま布でしばり学校にやりましたら、程なくして一つの疣が腐り、その内腹部の浄化を頂いたりして居る内に、すっかりあとかたもなく取れてしまいました。其の間、T先生より心からなる御浄霊を頂きました。又近所の方の腫脹、大傷、胃等々数々ならぬ御守護を頂き、その中一つだけ感謝報告さして頂きます。丁度六月二四日、家の田植でした。其の朝方勿体なくも自動車にて明主様が自家に御出頂きました夢を見ました(これで二度明主様の夢を見さして頂きます)。ハッと思い日を覚まして、何か有るなと思いつつ無事田植を終り、その晩寝についたのが一時頃でした。ウトウトして居ると近所のNさんの所より「父が悪いから是非来て呉れ」との事で行ったのが二時でした。その方はN・A様といって六一歳になる方でございます。私が行った時には、ペニシリンも効かず、医者より見捨てられ、もう今夜は駄目だと言って居られました。病名は急性肺炎、肋間神経痛、喘息と来て居ります。

早速御霊紙を戴かせ、御浄霊さして頂きました処、二〇分も経ちましたでしょうか、さしもの病人も目に見えて楽になって参り、ウトウトされる迄になりました。其時の嬉しさは言葉には現わせません。只有難う御座居ましたと言うばかりでした。それより朝晩二回ずつ行き、頭、肩、腹の処という様に御浄霊さして戴きました。日増しに薄紙を剥ぐ様に良くなり、早や一〇日頃には、さしもの臭い血痰(魚の腸の腐れたようなもの)も殆ど無くなり今では普通の痰となり、喘息の方もとても楽になられました。元気な時より、仰向きに寝れなかった人が、今では仰向が楽と言われる様になりました。近頃は歩いて私宅迄お出になる様になられました。其の間、この人は二度程有難い御告げを受けて居られますが、長くなりますので略さして頂きます。本当にこの人は毎日の様に、大光明如来様の御力に感謝して、只有難い有難いと言われるばかりです。近い中に入信もされる事と思われます。又この人の奥さん、娘さんにも多大なる御守護を頂きました。これひとえに明主様、大光明如来様の御霊徳の御蔭と感謝感激の外ありません。明主様本当に有難うございました。只々厚く厚く御礼申し上げます。この有難い偉大な救いの力を世の頑迷な人々が一日も早く解って呉れます様に御祈りすると共に、地上天国建設の為微力乍ら努めさして頂く覚悟で御座居ます。乱筆をも顧りみず、嬉しさのあまり御報告さして頂きました。なお、御指導下さいました諸先生方に、厚く御礼申します。

(二六年九月一日提出)

………………………………………………………………

大分県 S・H

私は昭和二五年四月に身体がだらしなくなり、日に日におとろえるばかりでした。ある日医者にみて頂きました処結核淋巴腺と診断されました。其の時、私は自分ながらも泣きくずれ生きて行く力はないと思いました。それから或日の事、医者よりの帰り道で、H町のK先生のお家の前迄来ました処、なんの用事もなしに先生の処によって行きました。其時K先生が「貴女は体が悪いのではありませんか」ときかれましたので、私は今迄の事を先生に打明けました。「そんな事なら此神様にお縋り致しませんか」とお話されました。先生は「貴女から一心にお縋り致せば貴女の病気は完全になおります」と言ってくれました。自分が先生のお家によって居たのもみんな神様のお導きでしょうと思い、それから私はお話して下さった其日から、一心に神様にお縋り致す気持になりました。K先生の唯の一回の御浄霊でもって夜は大変な寝汗をかき、休む時も一人で休む事が出来なかったのが出来る様になり、自分で不思議に思い全く夢の様でした。それから、一回二回とお参りを続けて居りました処、四回目には田畑の仕事が出来る様になりました時、ああ一心におすがりして良かった、これほど迄神様のお力はありがたいものかと思い、私共家人は喜び嬉し泣きに泣かされました。御明主様本当に有難う御座居ます。それから昨年五月二一日T町の中教会にお参り致し、此有難いお守を戴く様になりました。此お守を戴きましてから、 家内も大変ほがらかになり、 毎日大元気で楽しい日々を送らせて頂いて居ります。今後共一生懸命御奉仕させて頂き、御恩の万分の一にも御報いさせて頂く覚悟で御座居ます。思う事の半分も書けませんが、御礼旁々御報告申し上げます。明主様本当に有難う御座居ました。厚く厚く御礼申し上げます。

(二六年八月一日提出)

(結核信仰療法 昭和二十七年十二月一日)