広島県 A・S
有難い大光明如来様の御力に救われて今日あるを思います時、御神徳の宏大さは到底筆舌に表わす事は出来ません。喜びのあまり拙文をも顧みず謹んで御礼御報告させて戴きます。
幼い時から至って病弱な私で御座居ましたが、一三歳の時学校で農業の実習中脳貧血で倒れたのをはじめ、学校に上る頃脚気になり、 どうやら学校は終えましたが、 坐骨神経痛、肋間神経痛、胃腸病と凡ゆる病魔と戦い、半年として愉快な日とてありませんでした。卒業三年後湿性肋膜炎を病み、一時はよくなって居ましたが、二三年五月少しの無理が因で発熱し、頭痛胸痛を感じる様になり、医者に通い一時は楽になり、気ままに農業の手伝をしておりましたが、だんだん食欲がなくなり、物事に飽き易く痛みも増して背面肩の凝りもひどくなり、だんだん衰弱して行く様に思い、二四年一一月下句、医者の診断の結果肺浸潤と言われ、絶望のどん底に突落された思いでした。それから医者の言葉の儘に医薬療法を続けたのですが、以前の様に楽になりませんでした。其処で二五年三月内科の専門の医師に行き、レントゲン写真を撮りました処「左右両肺に曇りがあり、左は可成り悪化している」と結核の宣告を申し渡され「安静が必要だ」と言い渡された一時の私の驚き、落胆、不治とされている結核の烙印に全く暗一黒の渦中に落ち込む思いでした。 人生の春ともいうべき夢多き青春時代を一生病床で送らなければ、と思えば兄弟の眼さえ冷たく感じられ、想い起せば今から一三年前、姉が胸の病気で他界致しておりますので、人々から冷い目を受けねばならぬかと思えば、居ても立っても居られぬ気持でしたが、気を取直して治して見せると医者の言う儘に注射に薬に栄養にると嫌われ、肩身の狭い思いをし乍ら種々な薬を服用し、蝮の黒焼、生胆等、苦しい思いをし乍ら良くなりたい許りによいと言われる薬草を尋ね求めて貰い、服用し、祈祷や法印等と、人から奨められる毎に頼ってみてもその甲斐はなく、日一日と悪化して行くのをどうする事も出来ませんでした。皆は元気で働いて居るのに自分はどうしてこんなにも不幸なのだろうかと考える事は死ばかりで生きる希望も失い、来る日も来る日も天井許り眺め明暮しておりました。肋膜炎を固めた為気胸も出来ず、意を決して手術を仕様かと思ったり、此上父母に心配を掛けるのは親不幸を重ねる事だと、幾度死を覚悟した事か!
今にして思えば何と有難い日であったでしょうか、昭和二六年一月一六日、嗚呼此日こそ私にとっては生涯忘れる事の出来ない感激の更生の日でした。夢にも見た事もなく、聞いた事も思った事もない、有難き大光明如来様がこんなにも曇り切った、罪穢の深い私共を御見捨てにならず御慈悲の御手をさしのべて下さったのです。此日父が田圃に用事の為出て居たのですが、同村のNさんが此尊い光明如来様を御知らせ下さったのであります。其日早速御越し下さり、種々と御道の有難い御話をして頂き、Nさん御自身も当時同病で悩んで居た事も御話戴き、其日は半信半疑の儘二度御浄霊を戴き、父も胃腸病で苦しんで居りましたので御浄霊を頂き、「今夜月例祭がありますから御一緒に」と言って下さったのですが、意気地のない私は父に御参りして貰い、其晩は其儘床に就いて了いました。処がどうでしよう、今迄ろくろく眠れなかったのが其夜はぐっすりと眠り、翌朝は気持がよいではありませんか。
二三日から御教修会があるとの事で、飛立つ思いで父に付添われて、一里半もある山の雪路をK村のS様へ御教修頂きに三日間徒歩で通わせて戴く事が出来たのであります。時は丁度一月の酷寒、雪の山路も疲れる事も途中で休む事もなく歩ませて戴き、O先生の熱誠溢るる御教修に依り、二六日にはI中教会長先生から有難い神様の御守りを父と共に御受けさして頂く事を得たのでございます。迷い悩み続けて来ました過去の茨の道をふり返ります時、今私の眼前へ幸福への大道、真理を御開示下さり、其道に選び出された尊き因縁、今く有難く余りの嬉しさに言葉もありませんでした。御守り頂きましてから、先生の御浄霊を戴き、最初祝詞を奏上されるや急に体が寒くなり、手もふるえ「霊的ですね」と言われ「先祖様から救われなければ」と、先生の御言葉でございました。代々家は真宗にて、位牌は全部堂にまとめてありましたので、早速新しく御願い致し、御屏風観音様を御迎えさして戴き、薬も捨てて了い一筋に御浄霊を頂きました。近くで入信して居られますTさん、Kさんにも御浄霊を御願いし、霊動もなくなり、体も大分温くなり、暫時楽になって来ました。
二月二七日には大光明如来様を御奉斎させて戴き、今迄暗かった家の中も明るく、急に私達の心も明るくなりこれ迄の病苦も一度に消えて行く様で御座居ました。六月には一家六人入信させて頂き、 一心に大光明如来様にお縋りし、 病等の不安も遠ざかり、笑声とてなかった家にも明るい笑いがほころびるのでございました。それから後も度々きつい御浄化を戴きましたが、慈母にも勝るO先生の愛と熱の真心に依る御浄霊を戴き、瞬く問に楽にして戴き、地獄から出て来た様な青ざめた顔、目はくぼみ、高熱に悩まされ、針を突刺す様な胸痛も忘れる様になり、食欲もだんだん進み出し、顔色もよくなり、痩せていた体も少しずつ太って来ました。近所の人も元気にして戴いた事を驚く様になり、入信当時の苦しんでいました事も今は大笑で話し合う事も度々でございます。「元気にして戴いて本当によかった、よかった」との先生の御言葉に、瞼に涙がこみ上げ、胸は一杯になって来るので御座居ます。只々感涙の外御座居ません。
生命を御救い戴いた許りか、病に悩む多くの人々を癒さして戴く此身にして戴きました事は身に余る光栄と、喜びに浸っております。若しも此御道に御縋りさして戴いていなかったなら、果して今頃はどうなっていたでしょうか。唯物医学を信じ、矢鱈に薬に頼っていた過去を思って、ゾッとする程で御座居ます。
世にものろわれた肺病から心身共に御救い戴き、今年七月には有史以来夢にだも想えなかった地上天国建設の槌音高き瑞雲郷御奉仕隊の一員と致しまして、一カ月間参加させて頂く御許しを得、明主様の御膝許にて度々御面会の栄を戴き、重労働にも心配した御浄化もなく、期間中御守護に依り無事終らせて戴きました。
御奉仕終って八月三日家に帰りつくと共に全身的大浄化を頂戴致し、腹痛、頭痛、最初の三日間は血便、日に三十数回も用便に行く等、その時の御浄化は一〇日程にて終らせて戴きましたが、何から何まで神様の御旨のままに此健康な身にまで為し下さる事を体験さして下さいました感激は、筆や口に申し上ぐる術も御座居ません。
又御奉仕期間中に実家の方にては、亡くなられた御先祖兄弟等次々と妹に憑り、救われた喜びを涙乍らに御礼の言葉を述べ、御教えの儘に霊の実在も体験さして戴いておりました事等々。
御讃歌集に御座居ます様に
其頃を顧みすれば恐ろしも闇路杖なく彷ひし吾
有難し噫有難し救はれて我家ぬちは此世の天国
と御教え戴いて居る通りで御座居ます。
偏に大光明如来様、明主様の大慈大悲の御心と、種々御導き下さいました諸先生、信者の皆様の賜物と厚く厚く御礼申し上げます。
此有難き世代に若き生命を戴いている事を思います時只々地上天国建設の為、御救い頂きました御宏恩の万億分の一にも御報いさせて戴き度く御報告させて戴きます。
(二六年一二月八日提出)
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香川県 S・S
針をつき刺したように痛む腹をおさえてじっと我慢すること日に数回「余程食物には注意している積りであるのに今日もこいつに悩まされるのか」と三日に一日は来る此腹痛に自分乍ら情なくなる。結核闘病の四年前、軍医が腸結核の初期症状として危んでいた丈あって、それ以来毎日の下痢便に血や膿が混って下りる。それに右の痛み。昭和二一年九月元来好きでなかった灸を治す薬がないので仕方なく始めた。二、三日してピタリと右の症状が止った。歓喜した私は三カ月もすれば完全に治ると信じられたので、農繁時も寒い冬の朝も欠かさずに一年六カ月続けたが初めの予期に反して効目は少しずつ衰えて来るように思えた。症状は止ってはいるものの二、三日怠ると昔の様な症状を訴える私の行手に見つめていた希望は薄れ始めた。ひそかに、余命の短いのを覚悟した。昭和二三年二月二一日若きH先生の誠溢れる布教講話を聞いていた私は、最初懐いていた疑と侮りが頭の一隅におし込められてしまって、入信を申し出た。「これだ」と思った私はその日から灸を止めてしまった。艾も捨ててしまった。昭和の晩から手当り次第に浄霊を始めた。そして私は自分で毎日五分間程一週間浄霊すると胃腸は完全に治った。夏でも毛糸の腹巻の外せなかった私がもう腹巻が邪魔臭くなった。血便も膿も止った。爾来食事は、食欲に任せてむら食いを始めた。だが何等の症状も起らない。胃腸の健康と共に悩みの種であった頭重感も一掃されて心気全く一変した。もし本教を知らなければ今頃は他界していたかも知れない。思うだに怖しい過去であった。
御恵に報ひ奉らでおくべきや生きし此身の幸を思へば
それ以来二年、全く無医薬の一家となった。特に子供の疫痢はただ一回の浄霊で治して頂き、脳膜炎は初期の中に僅か一週間で完全に治り、只々有難き御利益に溢る一家となった。そして一昨年三月一家五人全部入信させて頂き、七月三日には会長先生に大光明如来様を奉斎していただき、一〇月二二日にはM先生の讃岐初めての御来駕を賜わり、只々身に余る光栄と感泣致して居ります。二年間の信仰生活により、病友の悉くが他界しているに拘わらず、最も重症であった私がこうして生き残り、然も完全になっていることの意義を悟らせて頂きました。危い線を彷徨しつついつも免れさして下さった偉大な力の操りを感じていた私は、その御力が何であるかはっきりと悟らせて頂きました。特に妻が死寸前から甦った時に御手をさしのべて下さったあの不思議な霊現象、光明如来様の御情は私如き不浄の者をも地上天国建設の大事業に使役して下さる厚き御意であったのだ。今宵ひしひしと肺腑に迫り来るものがある。思えば誠に申訳ない事であった。今こそ此聖業に砕身すべき時である。厚き神の御意に応え奉らでおくべきや。
罪深き此身も咎め給はずて大いなる幸豊に恵まふ
魂機張る生命賜ひし御仏に酬はでおかむ我世の限り
(二六年一月一〇日提出)
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大分県 S・S
さかのぼれば四年前の事でした。唯もうけだるい、肩が凝る、頭が重い、何とも言いようがありませんでした。主人のすすめにより医師に診て頂いた処「あなたは肺門淋巴腺ですね」と言われて後というものは、注射薬と不安の毎日を送り、医者通いが仕事でした。 その後数カ月経って一時良いようになりましたが、再び不安の道を辿るようになり、主人は「今度は里に帰って、まあ空気の良い処で静養したらいいだろう」と勧められ、子供三人連れて里がえりしました。帰郷後無理をしない程度で家事に努めている傍らお灸、薬と、人の良いという事はいろいろと手をつくしましたが一向に良くなく、陰鬱の毎日を送っていた矢先、近所の人の話では「手を翳して病気が治るんだから妙な事があればあるものだ」などと種々言っている事を聞けば大変評判が良いので、先生が村に見えた時、早速お願して後、浄霊の度毎に日増しに体が良くなり、二週間目には肩も凝らなくなり、何か知ら世の中が明るくなりました。不安も昔の夢のようでして、近所の皆様が入信して間もなく、私も六月入信さして頂き、別府別院、教会と次々お参拝致して後、時々ちょっと浄化を頂く度毎に日増しに元気になって、現在では先生のお宅にて御浄霊にみえる方々に御用させて頂き、救われて行く皆様の喜びの中で、共に救われし喜びを語っています。救われしこの喜び、一切を忘れ、ただ神力に涙するのみであります。全国津々浦々不安の日を送っている皆様の、一日でも早く此御救いの御神力におすがりするよう叫びつつ、筆を止めさして頂きます。
(二六年一〇月一二日提出)
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大分県 K・M
観音の御救ひなくば吾は今底なき沼に悩みつづけむ
昨年の今頃をふり返り今日を思って心身共に大変な変化のあるこの有難さを、光明如来様、明主様に拙文を以て御礼申し上げさせて頂きます。
桜の花時は結核患者にとって危機とされていますので、美しく賞でるべき桜花も今迄はうらめしく眺めたのでしたが、先日も早咲の桜花を見て、唯々感慨無量にて春を喜び、花を心から美しいと思える今日の喜びを何と御礼申し上げてよいか言葉も見つかりません。
御浄霊を私が初めて戴きましたのは二五年の御盆の日でございました。今にして思えば何かの先祖様の御導きであったかと思われますが……其当時の私の病状は一日中床の中の方が多くて便所に行ったついでに部屋の中をぶらぶらと言う程度のところまで持ち直した時で御座居ました。二三年一一月発病以来少し好いとぶらぶら戸外を歩いたりして、医者の言う絶対安静はせずにいましたら、其度にシューブを起して二五年初めより三八度に毎日の様に昇り、四月頃には盗汗、咳痰が恐ろしい程出て、 熱は三九度を越して食欲は全然なく、骨と皮ばかりになり医者より「空洞が出来ていると思うから、マイシンを二〇本ほどして、体がもう少し出来たら気胸なり手術なり出来る方をしましょう」と言われ、二児を残しては死ぬにも死に切れず、入院費さえない中を借金してまで一五本マイシンを打ち、それから前記のところまで持ち直していました。初めて御導き頂いたのはA様、S様と言われるまだ若い方でした。色々と御話を御伺いしても全然信じられず、「体に触れる訳でもなし、折角遠い処(大分市より三里の山道)を来て下さったのだから」と言う気持で、御浄霊を頂きました。若い二人が夏の暑いのに床の両側で手を翳す様は勿体ない事でしたが、其時は唯可笑しくて此方が恥かしいのでした。すると次の日も其次の日も玄関に姿の見えた時は、今考えると申訳ない事でしたが「若いのに御盆の休みを棒に振ってまで、 しかもあんなに此方が夫婦で失礼な事ばかり言うのに根気が好いねー」と思いました。そしてふと私は頭の中で手を翳した丈で之まで持ち直した体が、 若し悪くなるような事があれば、好くなる御力もあろうから暫く続けてみようと思い御願い致しました。それからは大分市のT先生、K町のH先生の御親切な御指導を戴いて、 一回目の御浄霊を頂く頃より霊光の通るのが解り、日に日に何だか体が軽くなった様で、今迄秋口から春先迄湯タンポが欲しくて、夏でも足先の冷える様なのが何だか温く、咳や痰が沢山出るのに起きて余り疲れない様になり、今迄のマイシン等の医学は固め療法なる事を判らして戴いて、一一月三日には大分市迄の山坂道を越えて日帰りで出て御守様を頂きました時の喜しさは一寸此処には書けません。御守護とは申し乍ら足が疲れただけで外に何事もなく翌日になっても前日あんな体に過ぎた強行をしたとも思えない様で、全く夢の様でございました。この御道の尊さは浄霊をうけて初めて体に分り、御守を戴いて一人有難さが判り、自分で手を翳させて頂いてみて、ますます感謝報恩の気持と信念を深めさして戴けます事先生方の言われた通りだと思いました。
私が御守を頂いて間もなくC(当時二年三ヵ月)が自家中毒症にて五日間吐き通し、之では体力が持たないかも知れない」と心配する迄になりましたが、先生方の「九分迄行っても真心で一生懸命お縋りすれば、後の一分で御守護頂ける」との御導きに力を得て、遂に御守護を頂きました。其時の事、一度は発病して二日目の朝御霊紙を戴きますと、 其御水と共に蛔虫が一匹口から出ました。二度目三日目の朝、私が祝詞を奏げて浄霊していましたら、私の胸がカァーッと熱くなると同時に、 Cが吐気のある様な口をしたと思ったら、 又一匹蛔虫のみがニューッと出て来た時は驚きました。そして二度共一に食べたものは全然吐かないのです。それにあれ程の吐気や腹痛のあるのに、夜はグッスリ眠るのでございます。全く医学では説明出来ない事だと思いました。入信間もなく私共にこんな有難い御浄化の御守護を頂いて、唯々有難く、一つ一つが尊い経験となりました。こうして益々神の御力の偉大さを解らして頂いて、一二月二四日主人も入信させて戴きました。其後私も日増に元気にならせて頂いています。
マイシンで固めた人は浄化も激しいとか聞いた事もございますが、薄紙をはぐ様に元気にならせて戴き、昨年は出る度に恐怖の目で見詰めた痰の量も、只今では有難うございますと申したい位でございます。そして只今では自分の救われし嬉しさを一人でも多くの人に解って頂きたいと思い、御恩の万分の一にも届きませんが地上天国建設のため微力を尽さして頂きたいと念じつつ感謝の日々を過しています。光明如来様、明主様の大慈大悲に心から御礼申し上げ、此偉大なる御霊徳に浴せる幸福を拙き筆にて御報告させて頂きます。
明主様有難うございました。厚く御礼申し上げます。
(二六年四月一日提出)
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秋田県 W・M
不治の病とされていた心臓弁膜症の私が、有難くも光明如来様の大慈大悲の御手に救われた喜びを御報告さして頂きます。
私は幼い時(六歳)より二〇年間の長い年月心臓弁膜症で、何時も何とかして健康者になりたいと苦痛と悩みにどれ程苦しんだか知れません。医師に頼り服薬注射或は祈祷とあらゆる事をしてみましたが、良好なる結果を認める事は出来ず、暗い気持で日々を過さねばなりませんでした。小学校当時からボール遊び等出来る筈もなく陽当りの良い窓辺で学友の喜々として飛び廻る姿を淋しく眺める時など、唯眼頭が熱くなってくるのでした。学校を終える頃より症状はすすみ、心臓部は重苦しく動悸が激しくなり、床に臥している時が多くなってしまいました。それのみか一昨々年秋頃より風邪が拗れてしまい体全体がだるく、何時まで経っても治らず、苦しさの余り胸部レントゲン写真を撮って頂きました処、肺浸潤と診断され、安静にするようにも申されました。その時の私は急に力が抜け、とうとう世間の嫌がる肺病にまでと思うと心は千々に乱れ、はりつめていた気持もくずれて、力なく家に帰って来ました。それから後は日毎症状は悪化して行くばかりで、父母達の心配も一通りではございませんでした。医師のすすめた気胸療法も何等効果なく反って重苦しく動悸が激しくなってしまい、もうお薬さえ効かないのかしら、と諦めてしまいました。病が不治と診断されるほど悲惨な事がございましょうか。情なくなってしまい、吾身の不幸に幾夜涙にぬれたか知れません。何人かの医師を頼り苦しい日々を送っておりました。丁度その頃、近隣の小母さんが来て下さいまして、「どんな病気でもよく治して下さる方が来て下さいましたから」と知らせてくれました。「溺れる者は藁をもつかむ」と申しますか、私も助かる見込はないと、一人淋しく死は覚悟しておりましたものの、一日も生き延びたい気持で一杯でした処へ、小母さんが熱心にすすめて下さいますので、兎も角やってみようという気持になりました。当時は御浄霊も初めて見る事とて、こんな事で病気が治るのかしらと、申訳ない事には半信半疑で御浄霊を受けました。ところが有難い事には二度目の御浄霊を頂きました翌朝、あれほど苦しかった胸部もずっと楽にして頂きました。三日目には有難い光明如来様の御話、又御先祖の御話等をお聞き致しますうちに、私の家でも誤っていた事が解りました。それは二〇年前に分家になります時、土地の風習により、仏様をお祀りしなくては誰か新しい仏さんが出るとかで、本家から五〇年も経った位牌を頂きましたそうで、それをそのままお祀りしてあったのです。ところが本家で祀らるべき人が、分家の方丈で祀ってあったのが誤りであった事を、先生から色々お聞きして解りました。早速先生にお願いして御先祖様のお祀りをして頂きまして、今までの御位牌は本家の仏壇に帰っていただきますと同時に、何と有難い事でしょう。あれ程激しかった動悸はずっと落つき、身体はスーッと軽くなったのです。長い間病院に通い、 医学のよしとする凡ゆる療法を試みても、 何等効果のなかった心臓弁膜症も肺浸潤の苦しみも、否効果どころではなく反って年々悪化して来ていたものが、僅か三日間の御浄霊により、そして又位牌のお祀りにより、いとも簡単に解決されてしまったのです。その時の喜びと驚きと有難さ、それは到底筆舌に尽せるものではありません。
ああ私のような者にまで大慈大悲の光明如来様は、尊い御救の御手を差伸べて下さったのでございます。この事を知った私は、早速大館にて教修を頂きお守様を胸に掛けさせて頂きました。 その時の生れ変ったような喜び尊い光明如来の大慈大悲により、再び健康な体が与えられた喜び、ただ明主様の限りなき大慈大悲に感泣するばかりでございました。
今はただこの喜びを一人でも多くの方にお伝えし、微力ながらも此有難いお道にお救い頂いた御高恩の万分の一なりとも尽させて頂く決心でございます。
(二六年一月二〇日提出)
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岐阜県 M・M
過去の追憶は走馬灯の如く脳裏をめぐる、其頃の哀れなる姿よ……。昭和一九年蓄膿手術後出血多量の為悪化の一路を辿り身体の衰弱は肺結核の病状に迄進みました。身体はだるく、咳、痰は多量に出る様になり、医師より安静を命ぜられ入院中、毎日毎日注射注射と続け乍ら一進一退の有様、如何になるのか哀れなる身体、ますます苦しみは強く、三月後自宅療養にと退院致しました。自己の身体には自信なく、苦悩より救われる日道を求めて御仏の御前にひれ伏す我身となりました。精神的には御仏の御慈悲を喜び乍ら、前生の罪業だとあきらめ乍ら、日一日と衰弱の我身を思い、木葉の落ちるを見ても涙を流す頃、如何なる縁ありや、今一歩にて生命の消えなんとする時、神の御加護大神の示現大愛の御浄霊により救わるる身となり、幸福なる身とならさせて頂きました。
薬毒多量なる身には、頭痛、咳、血痰等の浄化は一年程毎日の如くありました。
御守護頂いてより一年余の昭和二三年春浄化にて休んでおりました折、光明如来と金文字の御字より御光を拝させて頂き、余りの有難さに唯ひれ伏して拝して居りました。
それより浄化も次第にうすらぎ、何時とはなしに健康なる身となり、朗らかな生活の出来る様にならせて頂きました。御経様の中に釈尊が違提希夫人の双により眉間の白毫より光明を放ちて光明の中に極楽浄土を示現して拝ましめ給い、苦悩より救われる日道を御示しなされたとある。明主様は白毫より光明を放ちて我等一切衆生を苦悩の世界より救わせ給う。ああ有難き御光の尊さよ。あらゆる生物の救われるこの偉大なる大神業、此度箱根別院に参詣させて頂き、神の御胸に抱かれて、地上天国の嬉々として神の御子達と共に参詣し語り、 楽しく過す一時、 明主様の御偉業の尊さを思い、感激にむせびつつ帰路に付きました。 ああ有難き意義ある九月二五日、永久に忘れる事の出来ない感激この幸福を、神知らぬ人々に味わって頂きたい。邪神の為に迷う世の人々よ、早く眼を覚して集い来れ。美わしの地上天国建設にと念双して止みません。
明主様誠に有難うございました。
(二六年一月一〇日提出)
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岐阜県 S・T
今から三年前、私は胸の病気で苦しみました。長い間お世話になっていた医者のお話では「大分ひどく侵されている、絶対安静にせよ」と言われました。私の兄も胸の病で亡くなりましたから、私はこのままではとても全快する見込はないと、その日その日を淋しく送っておりました。ある日お隣りの方からフト光明如来様のお話を聞き、良いお話とは思い乍ら、今迄は病気は薬でなくては治らないものと思っていましたので、何だか疑えてなりませんでしたが、それでも人様がよいと言われる事は何でもやってみようと、話を承わったY先生の御世話になりました。御浄霊を受けて、翌朝はとても気持よく全快したかと思う程になり、半カ月後には胸の痛みも去りその嬉しさはたとえようもなく、早速お守を受けさせて頂きました。その後は一そう良くなり、一カ月後にはどんな仕事をしても苦しくなくなり、O村の先生のところへ山一つ越えて御詣りするにも楽々と行けるようになり先生も「もう大丈夫」と言われました。これで此世に生まれた甲斐があると心が治まり、体もすっかり良くなりもうどんな仕事をしても何ともありませんでした。昭和二二年六月結婚、二三年には子供が生れるほど丈夫な体になりまして、今では楽しく暮しております。それで今は一生懸命で光明如来様の御業の御手伝いをさせて頂いています。御力の偉大なる事は譬えようもありません。今ではただ一心に光明如来様におすがりして、一家楽しく明るい生活を致しております。世の私同様の病に悩む方々は、是非御力におすがりし健康で楽しい日々をお送り下さいますようおすすめ致します。
(二六年一一月一日提出)
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島根県 H・E
私は昭和二四年四月一七日、T教会に於てA先生より御教修を受け、お守様を頂いた者でございます。ここに限りなき御利益の一端を拙い筆ながら、謹んで御報告させていただきます。
当市Q農協に勤務中突然喀血し、 肺浸潤と診断せられ、 にわかに重病人となりましたのが昭和二三年一一月五日でありました。爾来医師の命令を守り、絶対安静をなし、格別懇意な人とて薬に注射にあらん限りの治療をして下さいましたが、寸効も認められず病勢は募るのみにて遂に治る希望を失ってしまいました。
丁度その頃三月初めの事でした。母が知人から御浄霊のお話を聞いて、是非私にも受ける様色々勧めました。併し医療に絶大の信頼をかけ、又終戦後真宗の教を聞いていた私はどうしても現当利益を信ずる訳にいかず、浄霊を受ける気にはなれませんでしたが、母が余り熱心に勧めますので、四月初め頃よりT先生の御浄霊を受けることになりました。併し一方では前通り医療を続けました。かくてT先生や毎月の教修会でI先生より色々と有難いお話を承り、又医療による固め療法とは根本的に違う所以も度々伺いましたが、余り医師が熱心に回診されますので、つい断りかねて七月一一日まで注射療法を受けましたが、七月一六日意を決して医師に此事を話しましたら、医師も大変理解を持ってくれまして「では一心に御信仰なさい」との事で、それからは唯一筋にお縋りする心になりました。それから四日後の七月一九日から四〇度五分という高熱を発し、驚いて早速T先生をお迎えして御浄霊を受けました。先生は御覧になると直ぐ「貴方は大変よい御浄化を頂かれましたね、これで病気が根本的に治りますよ。しっかり光明如来様にお縋りなさい」と力をつけて下さいまして、それから約一カ月半毎日一度乃至二度宛実に親身も及ばない御親切な御浄霊を頂きました。
お蔭様で一週間余りで熱も七度乃至八度に下り、それから順調に快方に向い八月末には床上げをするようになり、九月一日より毎日七時半のT支部の朝礼に間に合うよう参拝し、九月二六日よりは毎日半日宛御浄霊の御手伝をさして戴いております。なお瀕死の鶏も片足不自由になって歩かない豚も、私の浄霊で皆よくなりました。そして昨年八月一八日には御屏風観音様をお迎え申し上げる事が出来、同月教修会には妻もお守を頂き、家内一同病気に対する不安が一掃され、日々明主様に感謝しつつ楽しい日を過させて頂いております。
明主様有難う御座いました。御報告を兼ね厚く厚く御礼申し上げます。
(二六年二月二三日提出)
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神奈川県 T・K
明主様、 筆紙に表すことの出来ない御利益を頂き、 嬉しさに乱筆にて一言御礼を申し上げます。今思い出しても怖しい、良人の肺浸潤のために家内中絶望のドン底に突落されたあの頃を思いますと、今は何と有難い日々を送らせて頂いている事でしょう。一昨年の四月初め、主人が会社の健康診断で肺浸潤と判った時の私の驚き、医者の言われるままに、薬と気胸を致しましたが、日に日に顔色は悪く食事も取らず、気は沈み、生きた心地はございませんでした。その頃より近所の奥様から光明如来様の有難いお話しを聞いておりましたものの、医者も薬も捨ててお縋り致す気にもなれずにおりました。五月二三日夜、 不思議な夢を見せて頂きました。 それは美しい観音様の前に私の亡き母と私が、有難いお話を聞いている夢なのです。亡き母の導きかしら?一時も早く行ってみたいままに、近所のIさんの奥様にお願い致しまして、S先生のA支部につれて行って頂きました。その日が亡き母の命日二四日なのでございます。母が導いて下さると信じ、光明如来様にお縋り致し御浄霊を頂きますと、何となく気持が良く食欲も追々に出て参りまして、絶対安静のあの身体が三カ月後には、漁師の父の手伝が出来て明るい毎日を送らせて頂くようになりました。二人でお守を頂き仏壇もなかったのですが、母の命日に先祖代々の霊位をお祀りしました。八月二八日光明如来様をお迎え出来ました時の嬉しかった事は言い表わしようも御座いません。家の中が本当に明るくなりまして又不思議な事に光明如来様をお迎え致しまして間もない九月一五日に、今迄は床の間のない家で御座いましたが、今度は床の間のある八畳と三畳の小さい家ではございますが、明るい家がみつかりました。 ただ有難く感泣の外御座いません。又五歳のNが心臓病になりました時も、S先生の二度の御浄霊で全快致しました。今では主人も就職させて頂き入社の時のレントゲンにも表われず、 発病以前にも増して元気で夜業迄やっております。
数限りない御利益を毎日頂き、厚く御礼感謝致します。良人と共に感謝の誠を捧げるため、出来る限りの御奉仕をさせて頂きたく念じております。
(二六年四月一四日提出)
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神奈川県 S・M
其頃を顧みすれば恐ろしも闇路杖なく彷ひし吾との御歌は実に私達の過去を看破せられたお歌と痛感致して居ります。
想えば長年月の胸部疾患に呻吟し、又信仰地獄に喘いでいた私達一家は、思い掛けない尊い光明如来様の御力を戴き、毎日の感謝の生活を送るようにならせて戴きました事を、拙ない筆では御座居ますが御礼旁々御報告させて頂きます。
忘れも致しません。昭和二一年秋、少しの無理が原因で発熱し胸痛を感ずる様になりました。其時は既に前夫は腸結核で三年も床に就いたきりで、ありと凡ゆる事を致しましたが、全く骨と皮のみに衰弱し、それでも何とか助け度いと思い種々迷った揚句、龍神様を信仰する様になって居りました。その御利益があって前夫は働ける程にまでなりましたので、一家を挙げて信仰致しました。併し前夫は再び病床の人となってしまいました。家族の者は一心に神様に祈りましたが、遂にO町の医療組合病院に入院する程に悪化してしまいました。何とか助けたいものと懸命な信仰を続けましたが、昭和二三年一月他界の憂き目を見る事になってしまいました。運命とか因縁として諦める事が信仰者としての一つの誇と自己に言いきかせ、諦める事に努力して居りましたが同年五月夫の母親も肋膜と診断され熱烈な祈願を捧げるにも拘らず死亡致しました。看護やら信仰やらで無理した私の体はこの衝撃で悪化し、遂に我身も床に就かねばならぬ状態になってしまいました。ところがこれに加えて長女(一四歳)も学校から肺結核故絶対安静を申渡され、私と枕を並べて寝なくてはならぬ始末、全く此世の地獄そのものでした。それ程信仰したにも拘らず、夫と母を亡し、その上現在私と子供が同じ病で倒れ、同じ途を辿らんとしている。神も仏もないのではないかとの迷いが出て来るのも、決して無理からぬ事だと思います。心の依り所を失った私は益々病状が悪化し、遂に医師より死の宣告を受けるようになりました。
恰度其頃、もと同じ信仰をしていたTさんが以前とは見違える程の晴々した顔で来られ「過去の信仰は正しいものではない」という事を説かれ、光明如来様のお話を伺ったり御浄霊をして頂きました。それまで苦しかった体が幾分楽にもなり、Tさんの見違える程明るくなった顔を見乍らお話を伺っていると、絶望していた私に希望と光明を与えて呉れました。
昭和二三年八月三日、H先生が秋田地方へ御出張下さいました際、早速入信さして頂きました。その入信式でH先生が「人を助ける事が我を助ける事」と仰言られた一言が魂に刻み込まれ、又今までの信仰が如何に間違っていたかも、そして知らず識らずの間に信仰地獄に喘いでいた事もはっきり判らせて頂きました。不思議にも入信させて頂くと体に力が付いて来て、起きられるようになりました。それからと言うものは自分は倒れてもこの有難い御教を多くの人に判って頂き、真の幸福を得て頂き度いと真剣に話しやら、御浄霊をさせて頂きました。そして三人、五人、一〇人と御導きさせて頂きます毎に、自分の体が軽くなって参ります。病気は体内の毒素の浄化作用であるとの御教を受けてからは何と気持の軽くなった事でありましょう。全く教理と御利益が何事に於ても一致している絶対力の神様にお縋り出来た心強さは、筆舌に尽す事が出来ません。
其後も人をお救いさせて頂く毎に、私も子供も恢復し全くの健康人にならせて頂きました。現在ではH先生のお蔭で、秋田県から御明主様のお膝元であります箱根へ住まわせて頂き、家族一同歓喜の生活の中から此天国の福音を全人類に伝えさせて頂き度く、微々たるもの乍ら努力させて頂いて居ります。これが又尊き生命の救われた者の報恩の道として当然の事と覚らせて頂いて居ります。御明主様、本当に有難う御座居ます。
(二六年四月一九日提出)
(結核信仰療法 昭和二十七年十二月一日)