私は結核医学に就て、凡ゆる角度から検討して来た事によって、読者は大体判ったであろうが、言う迄もなく医療を受ければ受ける程、病気は悪化するという驚くべき事実である。何よりも本著附録の百例中、残らずと言いたい程そうかいてあるから、全部を読んだなら、如何に疑い深い人と雖も、信ぜざるを得ないであろう。としたら之程の医学の誤謬を、何故今日迄気が附かなかったかという事である。幸いにも私によって発見されたからいゝが、そうでないとしたら、人類の前途や実に暗澹たるものがあろう。茲で私の事を少しかいてみるが、元来私は医学的知識など殆んどなく、只少年時代から多病の為、一般人の読む程度の医書を多く読んだだけであるが、然し今考えてみればそれが可かったのである。何となれば医学の潜入観念が専門家的にあるとしたら、素直に神意を受け入れ難いからである。而も病に対する治病霊力をも与えられたので、多数実験の結果と相俟って、真の医学の発見が出来たのである。それに就て左記三例は、医学の盲点をよく表わしているから、茲に挿入したのである。
気胸二カ年の肺結核より救わる(本文省略)
私の結核克服記(本文省略)
救われて行く日赤病院の患者達(本文省略)
右の第一の例に就て言いたい事があるが、それは二年前に医師が診療して治らなかった患者が、健康体になったのを目の前に見て「君、幽霊かと思ったよ」とか「もう三回忌の筈じゃないか」などと曰って頻りに驚かれ、「一体どうして此様に丈夫になったのか」と訊くので「私はメシヤ教に入信、御浄霊を受けて治った」と一切を話しても、只ウーンと唸ったきりで、それ以上深くも訊かないで、済まして了ったという一事である。斯ういう例は常に聞くのであるが、若し真に良心があり医学の真目的を認識しているとすれば進んで研究の態度に出なければならない筈だが、今日迄そういう医師は一人もなかった。という不思議な事実である。之を考えてみると、全く科学的でないからという理由だけであろうが、そうとすれば結果の善悪はどうでもいい、只科学的でありさえすれば、絶対に信ずるというのであるから、恐るべき科学迷信に陥っている為というより外に言葉はないのである。
(結核信仰療法 昭和二十七年十二月一日)