不可解な事実

茲に私は不可解極まる事を世人に告げたいのである。それは何であるかといふと、医学に於ての研究の結果として、一般人の九十パーセント以上が、一旦結核に犯されながら知らぬ間に治癒した痕跡が、解剖によって明かにされたといふ事で、之は余程以前から確認せられてゐる事実である。従而之が事実とすれば、仮令(タトエ)結核に犯されても、九十パーセント以上は自然良能によって治癒せらるる訳である。然るに、医学は右の事実を知り乍ら、今日その反対の方法を行ってゐる。それは周知の如く早期診断の名の下に、現在何等の病的自覚症状がなく、元気に労務に従事しつゝある者に対し、各種の機械的診査を行ひ、潜伏結核を発見しようと努力してゐる事である。否発見どころではない。強ひて結核患者たらしめようとするかとさへ疑はるる程の厳密なる手段をとってゐる。此結果ツベルクリン注射、血沈の速度、レントゲン写真の雲翳(ウンエイ)等によって結核又はその容疑者として突然労務停止又は隔離を申渡される者が夥しい数に上ってゐるのである。従而それまで自分は健康で何等異状はないと自信してゐたものが、突如結核初期を申渡され、強制的に安静や隔離をいはれるから、驚きと共に精神的に一大衝撃を受けるのである。而も安静や薬毒による衰弱療法を行はれるに於て急速に悪化し、例外なく結核症状を現はし始めるのである。

元来、人間に於ての精神作用が健康に及ぼす影響の如何に大きいものであるかは、余りにも明かである。何人と雖も何か心配事のある場合、食欲減退、顔色憔悴、不眠、憂欝等の症状は免れ得ないであらう。それに就て斯ういふ話がある。

それはフランスに於ての実験であるが、監獄に於て、何等健康に異状なき一囚人を健康診断の結果、潜伏結核があると申渡した処、本人は医師の誤診でありとなし、何等意に介しなかった。暫くして二回目の健康診断の時潜伏結核が幾分進行せりと申渡した処、彼は猶信じなかった。次で三回目の診断の後同様の事を言はれたので、流石の彼も終に三度迄も言ふ所を見れば、誤診ではなく、実際結核に犯されてゐるに違ひないと思ふや、忽ちにして衰弱し始め、漸次結核的症状となり、終に生命を落したといふのであるが、之等の例によってみても、精神作用の如何に恐るべきかを知るであらう。

次に今一つの例であるが、之は医博小川勇氏著「科学と信仰」中にある一文で一患者の手記である。
『私が日赤病院へ肺壊疽(ハイエソ)で入院当時の体験談を御話します。此病気も軽重はありませうが、私のは最も重患でした。頃は大正十二年九月九日と覚えてゐます。肺壊疽で入院十三年三月十九日退院と覚へてゐますが全治して退院したのではないのです。入院中は院内自炊で稍堅い目の「オジヤ」ねぎ、野菜の色々を交ぜた味噌の「オジヤ」を食事とし、間食に食パン一個を毎日喰べました。なぜ食パンを喰べたかと申しますと「オジヤ」だけではどうも便通がよくないのでパンを喰べてみたら実に加減のよい便通が出るので(寝臥したまゝ大便するからです。)毎日一個づゝ喰べていましたが病勢は昂進するのみ、恢復の見込みたゝず同時に経済に行詰り、病院に居たくも居られなくなった。さりとて自宅へ帰りても医術の施しようがない。私の病気の手当のみでなく一家一族が生活難に苦しむ状態でした。米屋、八百屋、魚屋の支払不能の為停止となった。金は借りられるだけ借り、もう何れからも借りる手筈もつかず、どうする事も出来ないから致し方無く自分は死を神に誓って一刻も早く此世を去らして下さいと一心不乱に祈ったと同時に退院を申込んだ。すると院長の曰く「あなたはそんな無茶な事を云はれてもいけません。今退院する時ではない。無理に退院せんとして動かせば此寝台から担架へ移す其時直ちに死んでしまうぞ」と申された。

そこで私は院長に申しました。「先生私は直ちに死ぬ事を希望してゐます。今の今としてはすべて行詰り最早どうする事も出来ません。決して御医者さんがわるいとも病院が悪いとも思ひません。何れにしても助からぬ命とあきらめた以上一日先へ生き長らへばそれだけ苦痛を忍ばねばなりません。一刻も早く此世を去る事が私も楽になり残る家族も何とかなります。それで十分ですから御願は叶ひませんか」と聞きました。院長曰く「ヨロシイ引受けました」と申されて私は有がたうそれで安心ですと御礼を申して直ちに退院準備、そして私は合掌して目をつぶり只唯一途に死を神に祈りつゝいつの間にか自宅へ移ったが神は私の願をきき入れられず、不幸にして自宅へ行っても死に至らず為に其当時在職中の先生が、病院から往診してくれました。

処で決心ほど偉大なものはない。決心したら苦痛が一切合財無くなった。同時に熱が一度急に下った。死の決心ですから心に持つものは何一つない。前後左右なし欲得なし同時に苦も楽もない。其の楽(タノシ)さ加減は口で語れません。何とも語りやうのない楽さかげんでした。さりとて覚えがないわけでもないのです。まづ云はば神様の懐中(フトコロ)へ抱かれたやうな気持がしたのです。

それからまあ退院後四五日も経った頃食欲がつきまして、何か喰べたいと云ふ気持が出まして其時まだ死なんと居るわい。はてなどうしたのだらうと思ったが以前のやうな病苦は一切ない。同時にたんせきも余程少くなった。喰べるものもうまい。熱は日々下る。退院後一ケ月も経った頃には半身起きる事が出来た。二ケ月目には便所へはいまわって行く事が出来た。三ケ月日には乳母車へ乗せて貰って町の状景を見に行くまでになった。こうした順序でずうっとよくなった。

こうして一旦身心共に神に捧げた命、よくなったとて最早私的生涯はこれ限りさらりと去って、余生幾何(イクバク)生きるかは知らんが、以上は神より与へられた命、これからは公的生涯となって一切合財世の為人の為に、余生を捧げると云ふ決心に心境が一変したのです。』

右二例によってみても、精神が病患に及ぼす影響の如何に著るしいかといふ事で此意味に於て、潜伏結核のある事を本人に知らせない事ほど、結核減少に有効なる処置はない訳である。

故に、早期診断によって潜伏結核を発見し結核患者扱ひをするといふ事の如何に誤謬であるかは、論議の余地はあるまい。然るに、今日多額の国帑(コクド)と労力を費しながら、結核の増加すべき結果となる方法を行ってゐるとすれば、寔に由々しき大問題である。然し乍ら今日の如き早期診断方法を施行し、結核を発見すると共に、実際短期間に治癒し、健康恢復さるるならば又可なりとするも、事実はそのやうな事はなく、長期間の療病生活によって漸次衰弱者となり、終に生命を失ふといふのが、大多数の辿るべき運命であるから、個人の不幸は元より国家的損失の如何に莫大なるものがあるかは、想像に難からないであらう。そうして偶々治癒したと称するものもあるが、それは真の治癒ではなく擬治癒であるから、普通の労務は先づ困難で、軽労働が精一杯であらう。そうして爰に見逃す事の出来ない事は、一度結核に罹った者は、治癒後と雖も社会から忌避され、容易に職業に携はれないといふ点で、之は全く感染を恐れるからであらう。

以上説いた如き意味によって考ふる時、健康診断特に早期診断なるものは、実際行ふべきが国家の利益であるか、行はざるべきが国家の利益であるかは自ら明かであらう。私は此あまりにも明かなる事実が、今日公然と行はれ、何人の眼にも怪しまれないといふ事は不思議に堪へないのである。

私は断乎として言ひたいのである。右の如き私の説に目覚めず、飽迄注射と早期診断を持続するに於て、結核増加の趨勢は止まる所を知らず、其結果として生産力低下を来す事は、火を睹(ミ)るよりも明かである。クレムリンの王者スターリンは曽つて言ったそうである。『日本と戦争をする必要はない。何となれば何れは日本は結核によって滅亡する時が来るからである。』と

嗚呼、日本危しと言はざるを得ないのである。

(結核の正体 昭和十八年十一月二十三日)