結核の原因

前項に述べた如く、浄化作用発生毎に停止する結果、漸次薬毒は追増し、尿毒は漸増する以上、遂に停止し難くなるのである。右は大抵の人が履む処の幼時から少年期までの経路であらう。然るに十五才以上の青年期になるに従って、漸次体力は旺盛となり、浄化力も強烈になるので、従而、発病の場合浄化を停止せんとしても容易に停止し難くなる。即ち発熱を初め其他の病気症状が執拗に持続する事になるから、此際医診に於ては、結核の初期と診断するのである。故に、之によって是をみれば、最初単なる感冒位であったものが、浄化作用停止といふ誤れる療法によって、結核にまで発展するといふのが、現在までの医術としての最善の方法であったのであるから、如何に謬ってゐたかといふ事である。そうして主なる根源としての種痘であるから、種痘が人間に与へた害毒も亦軽視出来ないものがあらう。

故に、結核が旺盛なる浄化作用であるといふ事の證左として、青年期程発病し易く、老年期に至るほど発病し難いといふ事によっても明かである。従而仮(モ)し医学の言ふ如く、抵抗力が弱るから発病するとすれば、抵抗力の弱い老年ほど発病しなくてはならない筈である。又白人に結核が減少したといふ事は、体位が低下し、青年にして老人の如くなったからであり、日本に結核が多いといふ事は、未だ青年的元気があるといふ訳になるのである。それは白人の方が種痘が早く、日本人は後れてゐるからであることは言ふまでもない。故に白人に於ては、結核罹病者は青年よりも老年に多いといふ事であるが、これ等も老年者ほど種痘の害を蒙る事が少いからである。

それに就て、最近の新聞記事に左の如き一文があった。

昭和十八年三月十一日の朝日新聞強兵健民欄
『医学と体育の問題』--強兵健民を目指してわが体育はあらゆる角度から再検討されてゐるが、体育問題を掘り下げれば下げる程、医学との深い結びつけの必要さが痛感される。ここにおいて体育、医学の両者は漸く相携へてわが国の真の体育体系の確立のために邁進せんとしてゐるが、以下この両者の意見を聴かう。

健康と結核の関係(東京中野療養所技師 隈部英雄氏)
『大東亜決戦下人的資源の確保増強の必要性が痛感さるるに及んで、従来の競技を主とした体育にたいして種々の角度から批判検討が加へられつつある。純体育方面の検討はこれを体育専門家に任せることゝして、われわれ医学に携はる者、特に結核専門医の立場からこの問題を考察してみると、ゆるがせにする事の出来ない多くの問題が伏在してゐる事を痛感する。

その最大の問題は結核と体育の問題である。実際問題として従来青少年の体育に関して一番障碍となってゐたものは結核である。従来スポーツの選手が 如何に多く肋膜炎や結核で殪(タオ)れたことであらう。しかもこれ等選手は優秀な肉体の所有者であり、かかる者こそ強健なる子孫を多く残すことが民族的にみて最も望ましいことなのである。

第二はこれとは全く対蹠的(タイショテキ)な、いはゆる虚弱児童の問題である。今迄この問題にたいして一体どこに重点をおいて考へてゐたか。暗黙の中に結核にたいして漠然と関係づけて考へてゐた点がありはしなかったか。しかるに皮肉にも、いはゆるこれ等虚弱者、虚弱児童の中には殆んど結核患者はゐないといふことを医学は證明してゐる。

従来の虚弱なる概念から、結核は全く棄て去られなければならない。虚弱と結核の間には何等の関係もないのである。かかる者こそ科学的に合理的に鍛練しなければならないのであるが、この分野は医者の方面からも体育家の方面からも一番等閑(トウカン)に附せられてゐた未開拓のものである。

一方において優秀な肉体の所有者が結核に殪れ、他方に於ては合理的鍛錬を必要とする人々が体育に見放されてゐたといふ矛盾は、結核を各人の見かけ、健康感によって判断してゐたといふことに由来する。

すなはち結核に関する限り一切の見かけは全然あてにならないのみならず、病勢がよほど進行しない限り、自覚的にも外観的にも症状は出ないものである。結核にかゝらない体格体質はないのは勿論、結核は鍛錬によっては決して防止出来るものではない。結核に関する限り、一切の解決が正当な科学的方法によってのみ可能である。

錬成に耐え得る人間を選定するのが医者であり、体育家はこれを合理的により強く鍛錬する。こゝに今後医学者と体育家が密接に協力すべき広大な分野が存する。体育によって一人の皇国民も喪(ウシナ)ってはならないし一人の虚弱者もあってはならない。これがまた今後の医者と体育家の理想である。』

右によってみるも、抵抗力薄弱者は結核に罹病し難く、反対に抵抗力強盛者即ち優秀な肉体の所有者が罹病し易いといふ事は、全く事実が私の説を裏書してゐるのである。次に驚くべき事は、結核は鍛錬によっては決して防止出来るものではないといふ事であってこれも亦私の説の通りである。即ち鍛錬は浄化作用を発生せしめるからである。

(結核の正体 昭和十八年十一月二十三日)