抑々、結核なる病気は、日本に於ても相当古くからあったらしいが、勿論今日程多くなかった事は、想像出来得るのである。そうして西洋医学渡来以前の病名としては癆症又は癆咳といって不治とされてゐたやうである。然るに近代医学の発達によって、漸次その正体を突止めると共に、彼のロベルト・コッホ博士の結核菌発見によって、結核病理学の進歩となり今日に到った事は周知の如くである。
然るに泰西文明国に於ては、近年に至って漸次結核の減少を来し、今日に於ては他の病気と同様の水準となり、特に問題にするに足りないまでになったのである。にも係はらず、独り我日本に於ては、泰西と逆比例し益々増加の傾向を辿りつつあるので世界唯一の結核国といふ洵に香ばしからざる名称を附せられたのである。而も現在の如く、大戦争を遂行しつつある此際として到底忽せに出来ない大問題である事は、今更多言を要しない所である。
以上の如き、泰西に於ての結核漸減を以て我国の医学専門家は、その原因を結核防止の施策が奏効した為と解し、それと同一方策を以てすれば、わが国の結核問題も解決なし得るとしてゐる事であって、その具体的方法が現在行はれつつある幾多の施策である。故に感染を防止する為として、集団的に早期診断を行ふと共に、種々の機械的方法を以て、結核患者の発見に努め、発見するや速かに隔離の方法を執るのである。そうして当局者の推定によれば、現在隔離を必要とする開放性結核患者の数は、約十五万とされてゐる。然るに現在の患者収容力は、官立及び私立療養所を合せて合計約五万床に過ぎないので、急速に不足分十万床を新設せねばならずとして、大日本医療団なるものを設立し六億円の巨費を投じて五ヶ年間に達成しようといふのである。
然るに、茲に問題がある。それは私の発見によれば、泰西に於ける結核減少の原因が、その防止法施行の結果ではなく、他の理由によるといふ事である。それを以下詳説してみよう。
(結核の正体 昭和十八年十一月二十三日)