自観叢書 入信以後 それから私は、信仰に関してどこまでも深く究めなければならない、という覚悟を以て大本教に関する書籍、特にお筆先は繰返し、繰返し熟読したものである。尤も大本教に於てもお筆先を唯一の聖典として、拝読を奨励したからでもある。処がお筆先というものは、... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 入信の動機 私の若い頃は不正を憎む心が旺盛で困る事がある。特に政治家の不正や、指導階級の悪徳ぶり等を、新聞や雑誌でみたり、人から聞かされたりすると、憤激が起ってどうにも仕様がない事がある。全く信仰上からいえば厄介な小乗的人間であった。此様な性格が私をし... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 入信以前の私 私が信仰生活に入ったのは、前述の如く、大正九年夏三十九才の時であった。私の性格と入信の原因に就て述べてみるが、それまで私といふものは無神論者のカンカンで、神も仏もそんなものはある筈がない。そういふ見えざるものを信ずるのは迷信以外の何物でもな... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 はしがき 之は私の自舒伝である。最初わが半生の記と名づけたのであるが「光への道」の方が感じがいいのでそう名づけたのである。私の前半生は洵に平凡で世間ありふれた経歴で、面白くないから書かない事にしたのである。それが三十八歳の時私は運命の一大転換に逢着し... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 序文 著者須江孝雄氏は信者に非ずして信者なりという立場の人である。その須江氏が私を客観的にみての批判である処に反って面白いと思ふのである。而も宗教的方面に於る氏の該博なる知識と、それに加えて隠れたる第三者的立場にある某有力なる宗教学者の援助もあっ... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 序文 抑々、凡ゆる文化の向上は、破壊と建設を繰返しつつ進歩し、発展しつつ今日に到った事は何人も知る所である。破壊と建設にも大中小千差万別ある事も亦事実である。吾等が常に唱える地上天国の建設とは最も大いなる創造であって、空前の偉業であるといえよう。... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 大本信者時代の私 私が大本教に入信してから数年の間は、実に信仰は小乗的で、固苦しい極端な程禁欲的であった。何しろ衣服などは絹物はいけない、木綿でなくては着るべからずといふのであるから推して知るべきである。言霊学上絹物とは着ぬ物であり、木綿は気がモメン、家庭が... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 狂信 私が大本教へ入信後聞いた話であるが、大本教発祥の頃例のお筆先が信仰の中心であった為、お筆先の一字一句も見逃さないで、それを直訳的に実行した連中があったから堪らない。その結果実に笑ふにも笑えない喜劇が生まれたのである。其頃大本教の本元綾部の町... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 日本美術とその将来 五、書について 私は絵と共に書も好きである。御存知の通り毎日数百枚の書をかく。恐らく私の書く書の量は古往今来日本一といっても可からう。お守にする光の書は一時間に五百枚をかく。又額や掛軸にする二字乃至四文字の書は三十分間に百枚は書く、余りに早い為三人の男で手... 2020.09.05 自観叢書
自観叢書 日本美術とその将来 四、陶器 陶器に就てもかいてみるが、元来陶器も絵画と同様支那から、学んだものであるから最初の日本陶器は殆んど支那の模倣であった。古い所では黄瀬戸、青織部、青磁、染付、有田、平戸等で、美術的陶器としては彼の柿右衛門が始めたもので、次いで稀世の陶工仁清が... 2020.09.05 自観叢書