自観叢書

自観叢書

天理教

此事柄は、他宗を非難する事になるのでかきたくはないが、何かの参考になると思うからかくのである。之は大本教時代の事であったが、私が小間物問屋をしてゐる時に使った蒔絵師で、熊井某という男があった。之は熱心な天理教信徒であって、支部長となる事にな...
自観叢書

或婦人の話

此婦人は当時廿五六歳位の人妻であったが実に不思議な病気で、サンザ医療を尽したが治らない。その原因はといえば、結婚後三年間に二人の子供を産み、其後間もなく自分はジフテリヤに罹り注射を受けた処、薬が強過ぎた為か一週間位人事不省に陥った。それから...
自観叢書

宗教となる迄

治療をやめたのは十五年末で、それから十九年春まで、重に治療師養成に専念した。処が世の中は戦時色が段々濃厚になり、十六年十二月八日逾よ火蓋を切る事になったが、東京は無論爆撃の為焼土と化する事は、以前から判ってゐたので、前以て信者にも注意を与へ...
自観叢書

運命の転換

私は前項に述べだ如く、昭和十五年十二月一日愈よ治療をやめ、いはば一個の浪人となったのである。それは寧ろ霊的にみて、一段階上った事になるので内心は喜ばしく思ったのである。というのはそれまで治療という極限されたいはば、第一線に於る体当り的兵隊の...
自観叢書

三度目のブタ箱入り

前項に述べた如く、復活した私は一年有余の空白を埋めようとして一生懸命治療に励んだ。すると三年目の昭和十五年十一月又々玉川警察へ召喚された。其時は物々しく警官二名が附添ひ自動車で警察へ送り込まれた。私は何事かと思ったが、署へ入るや主任らしい者...
自観叢書

豚箱入り

忘れもしない、昭和十一年八月四日の事であった。突如埼玉県大宮警察から呼出し状が来た。翌五日其頃玉川上野毛の今の五六七教会集会所になってゐる私の住宅から警察へ赴いたのである。其訳は斯うである、当時、大日本観音教会(創立は昭和九年十月)の会長を...
自観叢書

玉川時代

麹町半蔵門での開教以来、日に月に発展し数ケ月経た頃は手狭になった為、どこか大きい家を探し求めた処、幸ひなるかな、東京の西端玉川の畔の高台に、最も適当な土地と家がみつかった。土地の面積三千坪、建坪二百数十坪、而も眺望絶佳、玉川の流れを眼下に見...
自観叢書

大本教脱退の理由

之はよく聞かれるから、簡単ながら弁明する事にする。確か昭和二、三年頃だったと思うが、出口先生の実母が病気危篤の際、先生を枕元へ呼び言はれた事は、「私は若い頃、有栖川熾仁親王の国学の先生が私の父であった。その縁で、宮様が京都へ御滞在の折、私は...
自観叢書

麹町時代

前項の如く、私は昭和三年から昭和九年迄六年間、霊的研究と相俟って、神霊療法による病気治療の確信を得る迄に至ったので、之を引提げて世に問ふべく決意した。そこで、其頃の東京市の成可中心を選ばうとして、麹町平河町に、ピッタリ条件の叶った貸家があっ...
自観叢書

大森時代

愈よ全身全霊を打込み、神の命のまま進む事となった。何しろ神の意図が半分、自己意識が半分というような訳で、普通人より心強い気もするが、普通人より心細い気もする。勿論それ程の経済的余裕もなく、先づ数ケ月維持する位の程度しかなく、確実な収入の見込...