此婦人は当時廿五六歳位の人妻であったが実に不思議な病気で、サンザ医療を尽したが治らない。その原因はといえば、結婚後三年間に二人の子供を産み、其後間もなく自分はジフテリヤに罹り注射を受けた処、薬が強過ぎた為か一週間位人事不省に陥った。それから一年に数回入院し、入院と入院の期間は主治医の診療を受けてゐたが徐々として悪化し、最早どうにもならなくなったので私の所へ来たので、見ると瞑目し乍ら蚊の鳴くような声で口をきくのである。曰く、「眼を開けてゐるのが何よりつらく、頭痛、食欲不振、歩行困難、不眠等で、全身疲労倦怠感著しく、漸く生きてゐるに過ぎない」という状態である。治療をすると盛んにゲップをする。霊を入れる個所から必ずゲップが連続的に出る。而も其ゲップは非常に臭い。遂には肛門ではなく陰部からゲップが出る。放屁と同じで、盛んに出るのでその臭気に堪えなかったのである。そうしてなかなか効果が現はれず、一進一退を辿る中、衰弱その極に達し、愈よ断末魔が来た。医師の診察を受けると、もはや数日の生命だとの宣告である。
処が、実に書きづらい事だが、斯ういう事があった。その夫といふのが某省官吏で課長級である。妻が死ぬと決るや、早速モーニングを誂(アツラ)えた。妻が質ねると彼は、「お前はもう直ぐに死ぬのだから葬式の時の礼服が要るから註文した。」というので、私はそれを聞いて何たる冷たい人間かと驚いたのである。其刺戟が私をして助けたい熱意が強くなった為か、数日を経て僅かながらも好転しかけ、一ケ月位経て生命の危険がない迄に恢復した。処が夫たる彼は私を怨み出した。その為邪魔をする事夥しい。二三日おきにその家へ治療に行ったのだが、随分よくなったかと思って行ってみると案外悪いので、質くと夫人は、「先生に良くして戴いても、夫は私の気持の悪くなるような事ばかり諄々しくいうので、斯んなに悪くなって了う。」と言うので、私もその都度憤慨に堪えなかったのである。斯ういう事も聞いた。「お前が先に○○教を勧められた時にそれへ入らなかった為、岡田に助けられてしまった。お前が死ねば、財産はみんな俺のものになったのに残念で堪らない。」と言うのである。というのは、彼は某大学出で養子に来たので、可成の財産は妻君の名義になってゐたからである。それを聞いた私は、『世の中にはヒドい奴もあるものだ。』と憤った事が幾度あったか知れない。
そう斯うする中、漸次快方に向ひ、日常の仕事も出来るようになったが、天網恢々疎にして漏さずというか、その夫は腹膜炎に罹った。勿論医療一方でやったが漸次悪化して、終に親戚が私の所へ来て是非助けて貰いたいと懇願するので、私も嫌で堪らない心を制えてその家に行き治療廿分位した時、彼は仰向けになってゐたが、「先生もうよしませう。」といい乍らクルリと横を向いて了った。私は呆れて憤怒の心を制えながらその家を辞去した処、翌日夫人が来て非常に謝ったが、私はどんな事があっても二度と治療はしないと言って断ったのである。それから医療一方で一進一退しつゝ漸次悪化し、数ケ月後死亡したのである。初め夫人を私が手にかけた頃は夫は健康であったに係はらず、数年後反対の結果になったといふ事は、不思議ではないが不思議とも思えるのである。右夫人は未亡人として今日二児を養育しつつ頗る健康な生活を送ってゐる。
(自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)